千夜一夜・その150まで

えくぼ (千夜一夜・その150)
あの人を初めてみたというか初めて会ったのは、つまり、長い間遠くを繋いでいる電話だけで話していた人に初対面した日でもあった。しかし、そのときのあの人の残像は何ひとつ記憶にない。要件は微かに覚えていて、ちょっとした連絡か何かだったのだろう、例えば嬉しいとか驚いたとか予想外とかそういうものも何もない。静かに首をかしげて廊下を歩いてゆく姿と明るくにっこりとほほえむエクボだけが私の記憶に出てくる始まりなのだ。
2010年11月17日 (水曜日)


ショーウィンドウ (千夜一夜・その149)
何も見なかったような顔をしながら言い聞かせるようにホレテハイケナイと心の中で反復していた。惚れてしまうことはないという自信はある。叶わぬものに手を伸ばすのはもうこりごりだ。痛い思いも辛い思いも嫌だ。凩はその日から毎日のように吹き荒れた。帰りの列車を待つ間、ひまつぶしに駅前のカジュアルな洋品店街を歩けばショーウィンドウの中のざわめきが聞こえるような気がした。▼シルエット、キミに見えるてくる木枯らし
2010年11月12日 (金曜日)


胸のぬくもり (千夜一夜・その148)
冷たく強い凩が頬を突き刺すホームに立ち間もなく列車入ってくるというときに胸の中でケータイがぶるぶると震えた。「ありがとう、大好き(はあと)」の文字が目に飛び込んだのだから私に戸惑いがなかったとは言い切れない。ワカッテいるのだが。オブラートに包んだ飴玉をそっと口の中に放り込んで周りをキョロキョロと見渡すときのように私はドキドキする動揺を大事しながら誰にも気づかれないようにケータイをポケットにしまった。
2010年11月12日 (金曜日)


はあと (千夜一夜・その147)
麻薬のようなその言葉に私は戸惑わず、いくらかの期待も持たなかった。あの子の言葉は日常のひとかけらのできごとであり、この人にとっては何ひとつ飾りを纏わない自然な挨拶だったのだろうから。しかし、心の奥深いところで私の心はピクピクと緊張し、温まってゆく。木枯らしの吹き始めた11月中ごろに、仕事帰りの坂道を下りながら、今日も元気な顔を見れて嬉しかった、とメールしたら、ありがとう、大好き(はあと)、と返事が来た。
2010年11月12日 (金曜日)


大好き (千夜一夜・その146)
マボロシダッタノカモシレナイと思った瞬間から数か月が過ぎたある日、いつかの大雨に出した見舞いの便りのことを思い出す。ほんとうに心配してめげていまいかと胸を傷めた。そんな便りにもあの人は必ず返事をくれた。ハートマークとか「大好き」という言葉を何の垣根もなく投げてよこす人だった。そんな人だったからこそ本当の意味での「好き」ではないとわかっていたつもりだったが言葉は魔術の呪文のように人間を溶かしてしまう。
2010年11月12日 (金曜日)


マボロシ (千夜一夜・その145)
「オトコの人ってアホですね」そう、私はアホやからいつか貴方がそういってた通りの奴です。オマケに、そんな奴であればなおさら、恨んだり憎んだりもしないみたい。月曜朝の貴方の激しい赤のチークが嫌いだっけど、好きだったのかもしれない。小さな入り江に潜んだ静かな家で再び会って、化粧もせずに水でルージュを引いたような貴方は海の精のように素敵だった。あれはマホロシダッタノカモシレナイと思うことにする。さようなら。
2010年11月 6日 (土曜日)


置き手紙 (千夜一夜・その144)
そこには「さようなら」という言葉などなく、あるのは、絶望の果ての失墜だけかもしれないのに。私は、貴方が投げ付けて去って行った置き手紙を丸めて棄てようともしなければ、拾い上げて読もうともしない。その手紙にはおそらく言葉や活字など何も書かれてないだろう。真っ白の便箋が丁寧に畳んでしまってあるだけだろう。きっと貴方のことだから、私がこれでもかというほど哀しめばいいと願ったに違いない。そんな気がするの。
2010年11月 6日 (土曜日)


燃える空 (千夜一夜・その143)
赤く燃えている空に季節の色などあるのだろうか。私が貴方に会いたいとこんなに切なさを募らせているときにも夕暮れは容赦なくバラ色のドラマの終わりのようではないか。哀しみに満ちて迎えたあの日の朝のように赤く海原を照らしているではないか。赤色が好きだといって、赤いバラを見つめていた日々もあったのに、今はそのすべてを哀しみへと集結させようとしている私がいる。私は見つかりもしない出口をずっと探し続けている。
2010年11月 6日 (土曜日)


幻の鳥 (千夜一夜・その142)
絶望の淵に追いやられたら私は死ぬ覚悟で物語を終わらせるのだろうか。まさかそんなことをするはずもない。私は自分が不死身で必ずまた生き返ると思っている。その人を恋するひとりの人間として永遠に生き続ける。しかし、その人は容赦なく私を崖っぷちに追いやる。というか、その人にはそんな気はサラサラないのだ。なぜならその人は短気でヒステリックで、夢に架けるロマンのかけらさえない人なのだ。私は幻の鳥を追い続けている。
2010年10月29日 (金曜日)


絶望 (千夜一夜・その141)
きっと私はこのドラマを早く終わらせてしまいたいと思っている。恋を失うことも愛に惑うことも、もはやありえないのだから潔く切り捨ててしまうのがいいと思っているのだ。なのにどうしてこれを書き続けているのか。つまりそれは、絶望という言葉も失望という感情もない私にとって、崖っぷちに追いやられたり、望みをなくして立ち上がれなくなるような哀れな結末はなく、まして惨めもないのだから、そのことが邪魔をしているのだ。
2010年10月29日 (金曜日)


土砂降り (千夜一夜・その140)
雨の降るイライラの募る日に庭の花畑からバラを切って一輪挿しに投げ入れてみる。人影のまだ少ない昼休みのロビーであの人が花を活けていたのを思い出している。あの横顔を何度も何度も思い浮かべながら、一輪挿しの脇にあの人の姿を置いてみる。深い淵がたとえ存在したとしても静かに花に手を添えているあの人のシルエットは私のものだ。私はそれだけで、毎日をドキドキして送ってきたのだから。▼土砂降りに棘ある花を生けている
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅣ (千夜一夜・その139)
カーテンを開ければ窓の下に真っ青な海が広がるという景色は、私にしたら夢のような世界であっても、小さいころからそこに海があったその人にすれば、悲しみも辛さも喜びも悲しみも、みんな飲み込んだ海だったかもしれない。「海が好きだ」と私が呟いたのを聞いたあの人は、あのとき、悲しそうにうつむいて黙ってしまった。なぜにその気持ちに気付かなかったのかと今更ながら思う。私とあの人との間には深い深い淵があるのだと思う。
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅢ (千夜一夜・その138)
朝日と夕日にいったいどんな違いがあるというのだろう。どちらも同じ自然の姿であるのに、心が沸き立ってみたり沈み込んだりを繰り返しながら、人を好きになったり嫌いになったりしている。あの人のウチの、おそらくあの人の部屋からも、海のざわめきが肌でわかるはずだ。さざ波が浜に打ち寄せる音も静かな朝ならば聞こえるのだろうか。きっと、真っ赤な朝日が窓から差し込む部屋で、波の音を耳に眠い目を擦りつつ起きるのだろう。
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅡ (千夜一夜・その137)
それは私の我儘であるにしても、多少の焦りや妬みを含んだ嫉妬のような感覚だったと思う。自分では何の他意も欲も無いと言い放ちながら、海がざわめく、陽の当たる静かな佇まいへ訪ねてゆき、何を語ることもせず時間を過ごせたらどれほどまでに幸せだろうかと幾時となく夢を見ていた。すでに夢破れていたこともあり、腫れ物に触るようにその人には何も打ち明けられないのだろうけれど、私の心は充分すぎるほどに届いていたに違いない。
2010年10月21日 (木曜日)


海のざわめき (千夜一夜・その136)
私は怒っているのであろうか。そう、その人に怒りを持っているから、私はこうしてこれを書いているのかもしれない。しかし怒りは、憎しみも生まないし恋情も残さないままだ。穏やかな波の上を漂う流木のように、沖からその人の居る岸辺を眺め、眼を細めてにこやかにしているふりをしながらも、ほんとうは最大の絶望に満ちていたあのときを思い出させようとする。そうだ、私はやはりその人を憎み、その人に怒りを感じているのかも知れぬ。
2010年10月20日 (水曜日)


月を見上げる (千夜一夜・その135)
どうしたら私の心の叫びを届けられるのかと夢中になったことがありました。でも、あの人は私の心の内を察していながら知らんふりしていただけで、私も十分にあの人に気持ちが届いているのを感じていました。あの人が知らんふりすればするほど、私は夢中になっていってしまう。あの人にはそんな気などサラサラないのに私は夢中になる。知らん振りしなければならない理由があったのもわかっている。▼同じ月きっとあなたも見てようか
2010年9月23日 (木曜日)


気障はお嫌い? (千夜一夜・その134)
そんなことがなんとなくわかってきた時期がありました。私の思い込みや期待で、魅力があの人には溢れかえっているように思えたわけです。でも、恋って盲目って言うように、私の場合は恋じゃないと言い張ってみるけれど、まあそれは置いといて、自分でも恥ずかしくて顔から火が出そうな気障な言葉を用意してメールでポンと投げても、仕事帰りの坂道でほろりと呟いても、あまり反応してくれなかった。▼雨の朝、あなたの手紙を読み返す
2010年9月19日 (日曜日)


ロマンチスト (千夜一夜・その133)
あの人を知りたくて一生懸命になるのは訳があった。友だちも多くて人気者で明るくて爽やかだからきっとモテルだろうけど、自らは何も話し出さない人だから、思うほどに人付き合いが広くもなく友だちも多くない。見た感じよりも派手でもなく大勢よりも一人が好きなのかもしれない。けっこう人付き合いに気を使ってヒーヒー言っているタイプなのかもしれない。それにそれほどロマンチストでもないみたい。▼彼岸花咲いて静かにもの思う
2010年9月19日 (日曜日)


夕やけ2 (千夜一夜・その132)
諦めきれずにあなたに手紙を書こうとする。でもそれは、中学生のころに書いた恋文のようで、好きですと言葉に出来ず、一歩手前でうずうずするようなかんじ。大人だから潔く好きだといおう、と思うのだが、上手にいえない愚かな奴。夕やけの中に飛行機雲を見つけて、あわててメールを投げてみる。キミの夕やけは、ボクの夕やけ。そう思うと繋がれるような気がして、私は一生懸命に夕やけを見上げた。言葉にならない、私の気持ち。
hkoukigumo
2010年9月 9日 (木曜日)


夕日 (千夜一夜・その131)
走る列車の中で手帳にそんな走り書きをした。夕焼けなんか見てなかった。旅に出ても何も解決しないじゃない。たとえあなたに逢えたとしてもそれは同じ。このままでは燃え尽きて、私はやがてバーンアウトしてしまいそうだ。そんなことを考えていた。日に日に熱くなってゆく自分は、ちょっとイケナイ状態で、そうなると早く焼け落ちたほうがいいのかも。だったら、できる限り綺麗な姿で落ちてゆきたいな。走る列車に宵闇が襲ってくる。
2010年9月 9日 (木曜日)


秋の暮、心に旅をさせてみる (千夜一夜・その130)
秋の暮、心に旅をさせてみる。そう手帖の片隅に書いている。あの日の私は乱れに乱れた。あなたを想う私の気持ちなど誰にもわかりはしないから、想えば想うほどに心は迷宮入りだ。あなたからの便りなどあるわけもなく、差し延べた手を何処にも戻すことができないままで、いったい私はどこへ行けばいいのだろう。▼秋の暮、心に旅をさせてみる。私は旅に出るしかないのだろうか。心だけが遠くへ旅立てば私の切なさは解消されるのだろうか。
2010年7月23日 (金曜日)


十月、真っ赤なリンゴ (千夜一夜・その129)
秋も深まるとリンゴが美味しい。サクッと音を立てて齧ってみる。シャリシャリと噛む。あなたはいつも上品だから、きっと綺麗に皮をむいて細かく切って、そう、真っ白な小さなお皿に並べているかもしれない。会いたいな。でも会えなくてもいいかな。今、小さい目のあなたを思い出してる。(14日)▼好きですと、リンゴをかじって言ってみる▼諦めがついてあなたの小さな眼が好きだったのだと気がつく▼雨音やいつもどおりに地を叩く
2010年7月16日 (金曜日)


十月・月 (千夜一夜・その128)
秋という季節は遠くにいる人を慕ってもの思いに耽るには絶好だ。夜は、静かで甘く優しく、月は綺麗に輝き、日ごと高く昇るようになる。沁みる寒さが感情を刺激し、遠くにいるその人に想いを投げかけるに如何にも相応しい。空の真上に向かって叫べば遠くに届くような気がしてくるのだ。つき先ごろも、月はひとり、星は二人で見上げたい、と書いた(3日)▼同じ月きっとあなたも見てようか(5日)▼これきりと言い出せなくて神無月
2010年7月16日 (金曜日)


十月、まあちょっと (千夜一夜・その127)
去年の秋のメモが残っている。それをポイと屑篭に棄てられない自分を憎んでみたり、可愛く思ってみたりし、ゆくゆくは哀れなのだと気づき始め、誰にも言えない感情に襲われる。そこには照れでもなく怒りでもないものがある。そんなことを繰り返しながらメモを読み進む。そう、あなたは手の届かないところにいる。(1日)▼キミと僕、秋雨前線でつながる▼夕焼けに切なくなって、まあちょっと▼まあちょっとあなたに手紙を書いてみる。
2010年7月16日 (金曜日)


散り散りに (千夜一夜・その126)
あなたに愛を告げる/言葉を探しましょう/並木道を歩く二人に。こんな流行歌があった。愛を自分のなかに擁いているのだろうかと自問を続けた。その自信のなさと熱くなる情熱との二つの心を葛藤させながらこれを書き、結局今は「恋文」としている。もう終章のつもりでいるのでこのあとに改めることもないだろう。恋心は幻のまま、そして纏まることもなく、散り散りの言葉を集めて、つまりは塵とする覚悟を決めるため書き続けられる。
| 2010-07-07 04:44 |


赤 (千夜一夜・その125)
たまには雨もいいさ、ちょっと湿って。そんな十七音のつぶやきが残っている。まるで、詰まらなくなった講義の合間に大学ノートの片隅へ書く落書きのようだ。その十七音がとても切なくナルシスト的だ。秋は無言でいても時めいていても過ぎてゆく。指切りを思い出すたび彼岸花。赤色が好きだ。秋晴れの青空を見ても、それが、夕刻には真っ赤に燃える夕焼け雲に変化しても、何を見ても人が恋しいときには、もはや手の施しようがない。
| 2010-06-27 13:41 |


雪子  (千夜一夜・その124)
初恋なんて覚えてないわ…体育祭。私の地方ではまだ紅葉は色づかないけど、九月の中旬にどこかで秋の運動会を見かけて初恋のころが急に懐かしくなったのだろう。職場の体育祭やマラソン大会というとあの人はいつも人気者だった。見かけは小柄だが、負けん気が強かったのかも知れない。元気に汗を流している姿が印象的だ。しかしながら、その溌剌さの陰には細雪の女四姉妹の三番目の雪子のような性格があったのかもとも思えてくる。
| 2010-06-23 10:04 |


終楽章その四 (千夜一夜・その123)
深まる秋にその心の寂しさも萎えてゆく自分の弱さも知りながら、おはようと爽やかに挨拶するよりも、さようならと明日を見つめて分かれるほうに、静まった自分の気持ちを置いて眺めているような自分がいる。「坂道の下のイチョウが散りました」こんな十七音を残し、静かに自分を見つめる夜を迎えてる。秋は少しずつ彩りを重ねて、寒さも日一日と忍び寄る。「しずけさが誘ってくれた白い月」名月の夜に空を見上げてひとりでそう詠む。
| 2010-06-22 19:05 |


終楽章その三 (千夜一夜・その122)
分かれは日常の記録にとどめるまでもないままで繰り返されて、聞こえることのない小さな一言のつぶやきは私の魂の炎の源に当たる芯を痩せ細らせていった。それはあたかも人間が餓死してしまう際に衰えてゆくような痛みを、何ら齎すことなく苦味だけを帯びた苦痛を残し、私の魂はそれさえも覚悟のうえで受け止めながら、分かれがいつか最後に別離になってしまうときを陽炎を見るように思い浮かべていた。そこには逆らえない壁がある。
| 2010-06-22 19:01 |


ある秋の小さな旅 (千夜一夜・その121)
秋のある日の私の小さな旅は取るに足らない些細な出来事なのかも知れないが、一方で絶対に失いたくないひとつの思い出でもある。まるで駅のホームで恋人を送るかのように私はその人と別れて、小さな路地へと行ってしまう車を見送った。帰りにはお祖父さんのお墓参りをする言っていた。その言葉がその人の優しさを象徴しているのだと思う。その人はまっすぐ私は右へと、小さな集落のなかにある交差点で、さようならと呟いて分かれた。
| 2010-06-22 05:56 |


終楽章その二 (千夜一夜・その120)
そうだ。塵に還ればまた新しく芽を出して、再び花を咲かせることが出来るのだ。生命がこの世に生まれて活動を終えたときに還ってゆく場所が土であるように、もしも私が花ならばこの花も土に戻ってゆかねばならない。物語は切ないほうが、味わいがあるかもしれないし、その次のシリーズが生まれやすいのかもしれない。はっきりと無理だとわかっていても、はっきりと言葉に出して「嫌いだ」とか「好きだ」と言わせたい性格なのだろう。
2010年 06月 15日


終楽章 (千夜一夜・その119)
すでにもうこの物語は終楽章に入っているのであろうが、昔に「鳥のひろちゃん」を書いたときも「鶴さん」を書いたときもそうであったように、一向に終わりだと認めようとしない自分がいる。花がピンクやオレンジや黄色など様々に咲き、見る人を和ませてくれようとも、いつかそのときが来れば枯れて、萎れた花びらは枝から落ちてしまう。誰かに拾われ土に埋められれば幸せだ。行き交う人に踏みにじられ、やがて風に吹かれて塵になる。
2010年 05月 21日


弱くて愚か (千夜一夜・その118)
やがて必ず訪れる別れのときは、それ自体が悲しいものか、それとも幸福を伴うような必然なのか、またはいずれにも当たらないことだってあるだろう。まったく想像はできないにしても、心のどこかで覚悟をしているのかもしれない。しかし、その反面、いざそのときを迎えたらおそらく未練を隠せず、ジタバタとする自分も見えるのだ。もっとも私らしい姿を曝け出しながらその人とサヨナラをするのだろう。弱くて愚かな自分を哀れもう。
2010年 05月 21日


夢を語る (千夜一夜・その117)
この人は何を考えているのだろうか。きっとこの子にも大人の恋があったのだろうな。それが熱いものであるとか深いものであるとか、私には知る由もない。ただ、好きな人が永遠に幸せであってほしいと願うのは誰しもが同じで、この人を幸せにするチャンスも力もないけれども、今、小鳥の囀る森の中に身も心も埋もれさせたままで、束の間の幸せを感じその光輝を浴びながら、この人の幸せの夢を語って聞かせて欲しいと思ったのだった。
2010年 05月 20日


山帰来(2) (千夜一夜・その116)
山帰来であの人は山モモのジュース、私は何のジュースだったか記憶にないけど、めはり寿司も注文した。茂みに囲まれた山の斜面に建つ静かな店だった。とても私たち二人が来るには相応しいとは思えない。まもなく挙式を控えた二人ならわかるが、イケナイ二人の来るところではなかった。山モモのジュース、久しぶりだわ。そうその人は、まるで呟くように、私から目を逸らせたまま海を見ている。何を思い出しているのか。気に掛かる。
2010年 05月 20日


秘める (千夜一夜・その115)
私にとっては猫としか思えない。でもそのことを口にすると少し不快な顔をする。滅多に不快な顔をしない人だ。気に食わないときはよそ見をして知らんふりをしているような人だ。不快な顔をされるとこっちはちょっとどころか凄く落ち込む。何ひとつ私の望みを叶えてくれるわけでもないこの人を、じっと見ているのが好きだった。何ひとつ幸せにならない。そんな夢を胸に抱きながら見つめているのだ。辛いのだがそれはそれで幸せだった。
2010年 05月 14日


熱情 (千夜一夜・その114)
時計の針は止まらない。止めることもできない。コチコチと時が刻まれてゆく深夜、この流れに身を任せて次なるドラマの筋書きを私は描こうとする。かつて大きな夢を胸に目前の荒波に向かい、勇気と情熱で船を漕ぎ出そうとしたときの、揺るぎないシナリオは誰にも負けぬエネルギーを持っていた。しかし、細かく刻み続けられた時空の果てに、小さな変化が大きなものとなり、あのときの熱いモノが些か衰えてしまったようだ。暫し休むか。
2010年 05月 12日


猫よ(4) (千夜一夜・その113)
あの人は、猫と犬ではどっちが好きかというような世間話的でアイスブレーク的な話にもまったく乗ってこないマイペースな人なのだし、馬鹿げた話をすることに交わるのも好きでないようだ。ましてオトコ好きでもない。もっとも私はこの人にモテようと思っているわけではなく、この人のちっこくて優しい目と、可愛いエクボ、ときどき見せるはにかみを含んだ話し方が好きなだけだから、早く嫌いにならねば自爆をすることになると思う。
2010年 05月 12日


猫よ(3) (千夜一夜・その112)
その怒りの様子を見て百年の恋も冷めたか、とまでは言わないが、濃い化粧が嫌いな私がここまで貴方を思っているのに少しはわかって欲しい、と思ったのは確かだ。しかし、あの人のそういうところを見ているとまるで、猫に横からお節介をしたときに、奴らが怒り食いついてくるのに似ているな、と思った。今は「アバタもエクボ」状態の私だから大きな失望することなく踏みとどまったものの、というより不思議にも許してしまうのだ。
2010年 05月 12日


猫よ(2) (千夜一夜・その111)
私にとって、あの人は何ひとつ分からない不思議な人で、きっとあの人は正体不明のまま、私の前から姿を消してしまう日が来るだろう。そんな微かな予感がある。猫のようだと私が言えば、どうやら猫にはマイナスのイメージが多いらしく、とても不快そうな表情をするし、化粧が濃いと言えば、それを私がどう感じているのかを聞こうともせずに珍しく怒りを込めた語調で声も大きめで「そんなことはどうでもいいじゃないですか」と嫌がる。
2010年 04月 16日


猫よ (千夜一夜・その110)
秋の終わりに京都の街を散策したくなり、ひょっこりと出かけてみたことがあった。そのことを伝えたくてメールをすると、普段から一向に返事をよこさないあの人が「今信州に来ています」と気まぐれな返事をくれた。自分を猫のようだと言った人があったがそんな風にいわれて嬉しい人がいるものか、と珍しく感情を荒立ててメールをくれたこともあるが、やっぱし、この人は紛れもなく気まぐれな猫のようだ…と私にさえ思えてくる。猫よ。
2010年 04月 14日


予感 (千夜一夜・その109)
予感はある種の理論に基づいて発生するのだと思うことがあって、三度目にこの町であの人に逢った午後、それが最後になってしまうのではないかという叶って欲しくない予感のようなものを感じた。それはあの人が再び今のところに戻ってくるという期待でもあったのだが、春から6ヶ月という時間が過ぎたのだから、さらにあと6ヶ月が過ぎれば今度こそ本当のお別れになるという確度の高い予測もあった。じっくりと考えると悲しみが湧くのだ。
2010年 04月 14日


痺れて (千夜一夜・その108)
食物が美味しく風光明媚で人情が厚いから何度訪ねても飽きてこない。次に来てもまたワクワクと愉しめる町に変化してしまったのは、その人の吸引力であるのは明らかで、心とはその程度のものだ。まるで魔法や催眠術に罹ってしまったかのように惑わされて続け、そんなことわかっていますよと思いながらも甘い戸惑いと神経が痺れてゆくようなある種の悪質な酔いに縛られて成すがままに流されている。この人に恋をしてはいけないのに。
2010年 04月 14日


あなたのもとへ (千夜一夜・その107)
手帳から。この人がこの小さな入り江に帰ってきて住み始めるまではまったく気に掛けなかった町なのに、初夏の或る日にあとを追ってこの人を訪ねて以来、まるで一夜にして色を塗り替えたかのようにこんなちっぽけな地方の町がまったく違った町に見えてきたのです。あれから私は、例えば贔屓にする町で美味しいワインを求めるように、この町に立ち寄るようになったのです。峠を越え最初のコンビニを曲がり港までゆき片隅の公衆電話まで来て。
2010年 04月 09日


脳裏 (千夜一夜・その106)
私はあの人を脳裏にしまってあるの。メールをしても返事もくれないのに顔を合わせば別人のように優しくにこやかに私の話に相づちを打って、やがて疲れたように小首を傾げて眼を閉じてしまう。話すことに疲れたかのようにふわっとしている姿が私の心をどんどんと痺れさせてゆく一方で、これ以上あなたを見つめていたらわたしは生きていられなくなるのではないかというような錯覚にも似た衝動が襲ってくる。でも、騙されてはいけない。
2010年 04月 07日


出さない手紙 (千夜一夜・その105)
今夜はどんなお話をあなたに書こうかな。私がとても醜い人間だということでも打ち明ける?いいえ、そんなことしたって、破滅のときが近づくだけだから、今夜はあなたのことを思い出して、少しお酒に酔ってみたいなと思っています。きっともう、私のことなど気に掛けてもいないだろうけど、私はたった三回だけでもあなたに逢って話ができたことを永遠の思い出にしているんだから。出さない手紙でも、こうして書くのが好きです。
2010年 04月 06日


憎まれ口を叩きつけ (千夜一夜・その104)
黒い天使。あなたは私にとって悪魔のようで、ほんとうだったらトコトン嫌いになって、おもいきりなじって、憎まれ口を叩きつけてやりたいほど嫌いだった。そう思いながらも、好きだった。抱きしめたいとかキスしたいとか、そういうのではない。憎らしいけど好きなの。そんな音楽があったけど、気持ちはあの音楽のように陽気じゃない。私はいつでも、あなたを連れ去って独り占めしてしまいたいという夢ばかりを描いていたのだから。
2010年 04月 06日


ひとりよがり (千夜一夜・その103)
好きですと、リンゴをかじって言ってみる。そう紙切れに書いて暮れゆく秋を哀しみながら、もうすぐきっとあの人が戻ってくるのだと少しだけ喜んだ。しかし、あのときはあの人に再び会えることが、即ちやがて遠くて永い別れになってしまうのだということを気にかけなかった。予想をしなかったわけではなかったものの、元気になって戻ることのほうが嬉しかった。ひとりよがり。わたしはあのときのほど醜い人間であったことはない。
2010年 03月 27日


春ベンチ (千夜一夜・その102)
三月のある日、色彩を失った月の光が照らし出す庭の中に雪柳が陽炎のように潜んでいる。まさにそれは潜んでいるというのが相応しいほどに、惑いを漂わせていた。思わずわたしは好きな人の名を呟いてしまった…。その瞬間に途轍もない諦めの感情がわたしを襲う。その日、街では卒業式に向かう袴姿の女学生をたくさん見かけた。そうだ、決定的な日が時々刻々と近づいてきているのだ。散歩道誰を待つのか春ベンチ。そう、刻々と 忍び寄る。
2010年 03月 27日


欲望 (千夜一夜・その101)
誰にも知られたくない激しい欲望を私は持っている。それは、あなたを独り占めにしてもう絶対に放さないのだという強烈なものだ。しかし早くあなたを嫌いにならなくては私も滅びるかもという不安もある。春になって喧嘩をして、冷たい雨に濡れながら「さよなら」できるだろうか。と、そんなおぼえがきをノートの端くれに書きながら、好きです嫌いですを繰り返している。まるで、ドラマの狂人を真似するように、わたしは振舞うのだ。
2010年6月25日 (金曜日)


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