モナリザ 秘伝篇

2015年7月30日 (木曜日)  【- Walk Don’t Run -】
モナリザ

モナリザがあったのをふと思い出した。もちろん安物の壁掛け用である。
それがあった部屋は応接間という設定で拵えたのだが、農家に応接間など必要ないのでわたしの第二勉強部屋にしたような記憶がある。
18才で家を出てしまいそのあとは弟が使ったか、それとも誰も使わずに放置したか。
壊す直前には物置になってしまっていたかもしれない。

その部屋の壁に、ポツンと小さなモナリザが飾ってあった。
今思うとあれは父の嗜みの1つであったのかもしれない。
いや、父はそれほど多趣味ではなく、晩年は木を掘ったり絵を描いたりしていたので、その源流に当たる大切な嗜みであったのではないか、と考えて間違いはない。

もうひとつ思い出すことがある。
実はそのモナリザを模写したモナリザが家にあったような気がする。
なるほど、父ならやりかねないことだと今になって思う。
曖昧に記憶を呼び起こすと、その模写は似てもにつかないような下手くそなものではなかった。
決定的にニセモノだと直ぐにわかるものの、何となく優しい タッチの気品の溢れたモナリザだったような気がするのだ。
そのころの私は絵に対する関心などこれっぽっちもなく、可愛くない息子だった。
ワシの描いた絵を見てもくれない、とさぞかし父は哀しかっただろうと思う。
今ならそんな素気ないことは絶対にしないだろうに、あのころは理解をするチカラがなかった。
父は、ゆうはんを食べると一人で自分の部屋に行って絵を描いていた。
どんな気持ちで描いていたのか、考えたこともなかった。


こんな日記を書いてペンを置いてから幾日かが過ぎる。
形にならない思いが巡ってきては何処かに消えてゆく。
それは、父の本心に触れる思いのことであり、届かぬ思いに対するため息でもある。

つまりは、何も父のことを知らなまま、しかも死んでしまってからもそのことを掘り越すこともできないまま長い年月を費やしてしまったことをわたしは後悔しており、それを弁解し、懺悔しようとしている。誰かに向かって、というわけでもない。

モナリザを飾ったり父が絵を描く部屋(それはわたしの高校時代までの勉強部屋)のあった建屋を壊して処分してしまったから、あのモナリザやほかの絵、そして父の持ち物であった彫刻道具も処分して消滅させてしまったことを後悔しているのだ。その佇まいを記録するための写真も撮っていない。

こういうことを思い出すたびに、何をうっかりしていたのだ、と自分を問いただしてみるが、壊して今は砂利を敷いて庭にしてしまって井戸だけが残っている。あの部屋で何を考えてどんな時間を送っていたのかを巻き戻すことは不可能で、もはや救いようがないのだ。

模写したモナリザに価値はなかった。しかし、わたしは父から形見として貰ったモノなど特に何もなく、たった1枚だけ、村のはずれの河原の景色を描いた絵が一枚玄関にあるだけである。

もしもモナリザがあれば、わたしの宝になるのだが、棄てたのか、母がどこかの押入れか空き部屋の隅にでも積み上げているのか。不明なままだ。

まだ書き足りないような気もして、足したいけど、ちょっと休憩とします。つづきはあとで。

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もう会えない 続・千夜一夜その235

わたしの頭のなかからディーゼルカーのエンジン音が消え去り、駅前の広場で駆け回って遊んでいる子どもたちの声が戻ってきた。ホームからは真っ白な砂浜が見えた。湘南であるとか九十九里にあるような洒落た砂浜で、海との間に広がる白砂の広さや弓なりになって消えてゆく湾の姿は湘南にも劣ることなく、むしろハワイやグアムのビーチと偽れるほどの美しさだった。

海岸を遠くに眺めながら子どもたちの遊び場を横切って海岸沿いの道路へと歩いて行こうとしたそのときに、一人の色の白い幼稚園児ほどの女の子が駆け寄ってきて髪飾りを作ったのだと言って編み込んだ草の輪を掲げて見せてくれた。わたしは、受け取ってそれを頭に乗せながら峠へのハイキングの近道を尋ねてみた。すると、するりと横へ振り返って古ぼけた土壁の家の方を指さして、あっちが近いのと教えてくれた。

すたすたと先に立って歩き出した道は自転車も押して通れないような生活路で、リュックサックが壁に擦れるのを気使いながら車の走る道路へと抜けた。おかっぱに切りそろえた髪がとても可愛くじっと見ていると小さい目は二重で澄み切っており、ぱちぱちとさせながら泣きぼくろをぴくぴくとさせているの見ているととても美しい子だった。上品で可愛い黄色いワンピースが砂で少し汚れていた。

黄色が似合うという表現はこの子のためのものだと思いながら、またねと言って手を振った。こんな子にまた会いたいとふっと思っても、この子にはもう会えないのだと自分に言い聞かせるしかなく、うしろを何度も振り返っては手を振りながらわたしは峠を登り始めた。

平成23年4月29日熊野古道0

ソーダ水

私は冷たい麺類が大好きで、夏になっても美味しく食べ続けますので、夏バテという言葉は全く無縁です。好き嫌いも全くありませんので、四季折々の味覚を美味しくいただいて、モリモリと成長しております。

もうすぐやって来る土用の丑の日には鰻も食べます。県内ではなかなか手に入りませんが、鱧も好きで遠くまで買いに出かけたりします。

夏をそれなりに楽しみながら感じることは、楽しもうと思えば思うほどに子どものころに食べた美味しかった食べ物やお菓子に戻って行ってしまう、ということでした。スイカ、かき氷、冷や麦・冷そうめん、ソーダ水…。

文明が進化しても涼しさを呼ぶ夏の味はそれほど変化しないのかもしれません。

一生の楽しきころのソーダ水  富安風生


7月号のメールマガジンのあとがきにはそんなことを書きながら、何十年もの変遷がもたらす味覚の変化や食べ物に対する執着心そして満足心のようなものも、ずいぶんと姿を変えてきてしまったと振り返る。

成長してゆく真っ直中で自分の身体の中に染み込ませていった味とか習慣というものは、容易く変更してしまうことなどできず、好き嫌い旨い不味いなどの感覚に基づくものは他人の忠告や刺激でさえ役に立たないほど頑固であることが多い。

それでいいのだと思う。

政治の方も揺れている。今決めたことは20年30年後になって不安から現実課題へとかわり問題となって人々を困らせたり悩ませることになるだろう。

新しく選挙権を得て勇んで投票をした人々は人生の半分以上を終えたころにあの時の人たちが叫んでいた声の本当の意味を知る。

歴史はそういう長いうねりで躍動している。

「一生の楽しきころ」はたった一回しかないのかもしれないが、間違いなく次の世代に伝わっている。少しずつ姿を変えて伝わってゆくのは仕方がないことだし、何が善くて何が悪いのかは、更にその後の歴史が吟味することになろう。

このうねりを楽しみながら人生の最終コーナーを心地よく走り終えたい。

京都日記(宵々山)

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14日の朝は少し早めに駅に到着し、駅前のDOUTORでモーニングというのが定着

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京都駅に降り立ったらちょうど早めのお昼ごはん(よりもまだ少し早かったが)伊勢丹をぶらぶらとして、11階のいつものへんにきて、韓国料理のショーウインドウに目が止まった。美菜莉という店で1500円ほどだったので満足。

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かき氷も食べたい。ポルタに降りて行きランチの人たちであふれる店で冷たい氷を食べました。

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車折の家に着いて真っ先に鱧の話をしたために、お父さんが近所のお店に買い物に誘ってくれはって、ハモを買ってかえることに。

スーパーの鱧でもどこの鱧でも、夏は鱧を1回は食べておきたい。

水無月も食べたし、小鯛の笹漬けも食べた。写真はない。

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15日は朝から四条烏丸あたりへ出かけて鉾を見ようと決めていた。
烏丸の手前でバスを降りて一筋上がって、菊水鉾の前に出てきた。
記念に絵葉書を1枚だけ買ってみる。

暑いので早くご飯を食べたい。

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古今烏丸の中にあるザ・ブッフェスタイル サラに行ってみる。久しぶりだったのでウキウキです。
それほど混んでいることもなく、同じ階にある京都精華大学のギャラリーや京都シネマを見て時間を潰す。

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一生懸命に食べて一息ついて写真を撮る。タイムサービスのフレンチトースト。

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美味しかったパスタをもう一度おさらいして

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ソフトクリームは大好物なのでしっかりと2回も食べる

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高島屋に行く前に長刀鉾をちょいと見ていく

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帰りは車中で鱧の弁当を食べる。

本心

そう、それでよろしいんや。本心いうもんは、人に明かすもんやあらしません。
(李歐 159ページ)


一彰はそれ以深く考えるの放棄したが、所詮、理性で突き詰めるに足るだけの意味はない。 突発的な歓喜の発熱だと思ったからだった。 熱である限りそのうち冷めるだろうし、熱が下がらなければ死ぬだけだった。
(李歐 180ページ)

本心  at  – Walk Don’t Run – から

二十五年ぶりくらいの人に会う

(きのう)

海に来てます
小雨降りだして
また止んで

海に来て木枯らし帰れぬ干潟なり わはく

パクリ先は、コレですな(↓)
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

20150704hikisio引き潮IMG_1787

干潮時刻
13:30ころ
1時間ほど前に海にいました
25年ぶりの人にも会いました
小雨が降ったりやんだり

楯干しイベントでしたが
わたしは参加者に会いに行っただけですので
収穫なし

でっかいお魚を袋に入れて
持っている人がおって
ええなあって思ってまして

スーパーでお刺身を買いました

旨そうなモノが店にあれば買います
しびの文化

この味が気の毒なことにわからない人があるけど
それは文化の違い
わからない人は食うべからず

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届ける

一枚の葉書にその人の近況が書いてありました。

引っ越しをしたことや仕事を辞めたことのほかに、近ごろさらにまた新しいことを始めていて、自分がどんどんと進化しているのが伝わってきました。

とても安心させてくれる内容で、少しホッとして、わたしの心や身体が温まってくるのが、その便りから分かりました。

最後に手書きで、メールは苦手で返事をなかなか書けないのだとも書き足してありました。

メールのことはおよそ想像していたからへっちゃらだったけど、もしかして気を使わせていたならば悪いことをしてしまったと悔やみました。

でも、わたしがメールを構わずに出したとしても、怒ったり凹んだり投げたりするような弱くて負けやすい人でないと思います。

大丈夫です。また、交流が復活します。

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むかしはもっと子どもに見えて、あんまし頑張って仕事をしているのを見ていると、いい人見つけて早く幸せになることを祈りました。

今はあのころと比べたら、ほったらかしにしておいても大丈夫な感じが出てきて、すっかり大人になって安心できる子になってきたと思います。

ほんとうに少しずつ話をするたびに、知らない面などが少しずつ見えてきて、どんな子なのかわかってきます。

それがわたしとは全く正反対の方向に向いている人なのですが、ふつうならこの辺りまで分かってくると、全く違う考えとか食い違う性格なのでというよくある理由で、だんだんとかみ合わなくなるとか疎遠になるところでしょう。

けれども、わたしがこの子を手放せないで大事に引き止めています。

理由がないままですけど、好きなんです。

恋とか愛とかじゃなく、好きなだけなんです。