初サンマあっち向いてほいで右向いて

サンマのことを「かど」と呼ぶ。
ネット検索をしてもHITしてこないので伊勢のこの地域独特の呼び名なのかもしれない。

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子どもの頃から「カドは藁で焼く」と教わってきた。
実際には風呂の焚き口から炭を取ってきて七輪で焼く。

うちには猫がいたので盗まれないかと気を使ったことだろう。
今は頭と尻尾以外は丸ごと食べてしまうが、子どものころは骨とか腹ワタはよう食べんので猫にやったものだ。

秋のごちそうだった。

ツマはスタイルから入る方で、サンマを食べる季節になるたびに、横長のちょうどサンマが横たわるのにぴったしの大きさの皿を買いたがる。和食であろうが何であろうが綺麗に盛って食べるのは基本と教わったのだろう。

旨いものがたくさん出回るこの季節は、きれいな器に料理を盛って、美味しいお酒を飲みながら、風情を愉しむというのがいい。

そんな器量などわたしにはないのだろうが、ささやかな暮らしに見合ったささやかな食で、肥えすぎているのを解消したいと密かに思っている。

ネバネバの食事にも心がけている。夏から秋にかけては旬の野菜も豊富だから、これまでとは違った食にチャレンジしてみる。

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積極的に納豆も食べてみて、近代化された食事から少しでも遠ざかりたい。

サンマを買う前の日に焼き物の器を買った。と言ってもスーパーで棚積み(ワゴン)の美濃焼きである。横長のサンマ用の皿はやめて、何でも盛れる大きさと形の皿を二種類。

皿を買った日にサンマを買おうとしたら、一尾で300円もしたのでシャケにした。サンマは後日150円のときに買ったものである。

暮れにかけて100円以下にまで値段が変動する。今の季節には、刺し身で食べるか、丸ごと焼いて大根おろしでいただく。

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処暑のころ

稲刈り ─ 処暑篇(8月23日)を書いたころを思い起こす。
まだ暑かったなあと思う。

八月もきょうと明日で尽きる。
新しい九月が始まる。

朝夕はすっかり涼しくなった。休日に6キロほどを歩いているが、汗の出る量が少し減ってきたのがわかる。

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ちょうど「水のかたち」(宮本輝)をじっくりと読んでいるころか、読み終わって頭の中を整理していたころだろう。
出穂みて四十日 そう母が言っていたのを思い出し、ちょうど穂が出た写真を撮影して四十日目だと気づくのだ。

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昔の人は、生きるなかで様々な出来事をじっくりと考え、遡って知り、未来の自分たちの暮らしに役立ててゆく。
今でもそのことは変化ないのだが、何事にも分業化が進んで、更に完成されたものが出まわってしまったことで、詰まらんことに悩まされたり病んだりする人も出てきた。

宮本輝は期待通りの物語で、誰もがいう「宮本節」を随所で楽しめた。

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今は、ホテル ローヤル(桜木紫乃)を読んでいる。
感想はそのうちに。

疲れたのであとでかこうかな。

遺す 秘伝 1

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「遺す言葉」の第1回 「はじめに」で

■はじめに

私には偉大なものは何もない。歴史に残る様な足跡も築けなかったし、実績もない。誇れるものもない。お手本になる様な行いもしなかった。詰まりは何もないのだ。こういう生き方を平凡というのだろう。

では、論理を逆からなぞって、私は平凡な人生を送ったのか。そう問うてみれば、世の中の多くの人たちの人生が見える様な気がし、ヒトというものの生き様が、客観的に見えてくる様な気がするだろう。 そこには、誰一人として同じ足跡を辿りあう人はなく、意識があってかなくてか別として、その人らしさを足跡とする。またそこには、立派も恥じらいもない。

自慢することもなく、後悔もない。 生きて来た結果だけが美としてあると思う。私はそんな美学のなかで心に留めたことを幾らかでも書き残したいと思う。 少しずつ、書き足していきます。(平成22年12月1日)

と書き出している。
心に留めておきたいことがいくつかあるので凡人であるが書いておくことにする。わたしにはわたしの生き方があったのでそちらの視点から書く
そんなつもりであったのだろう。(平成22年師走のころは)

■ちかごろ

どうも余命が気に懸かって仕方がない。
(略)
まっとうに生きていた日々不遜に生きた日々ぐうたらであった日々も掘り起こして、今一度追い続けていた夢の答えを考え直してみたい。(平成22年12月4日)

誰でもこの歳になると思うのであろうな。(回想)

■呟くということ
(略)
悩んで書いている様子が残っている。精神的に苛立っているときは荒々しい筆跡となるし、急いで書いても気持ちが表れる。 思考が三歩進んで二歩戻ったときに、ペンであれば矢印で挿入をしたり括弧で反転させたりすることも珍しくなくて面白い。
(略)
実は日記の面白味というのは文章があちらこちらに散らばっている点にあり、書かれている内容が意味不明とならない限りは、思考の過程や足跡が分散して絡みあっているからこそ興味深いものなのだ。 せいぜい、私くらいの人間であれば記録に残したいことなどたかが知れており、先人が残してくれた言葉にすでに集積されていると言っても過言ではなく、むしろ言いたいことを十七音程度の簡素な言葉にして書く方がその人らしさが出て面白いしスッキリするはずだ。

あちらこちらに書きなぐったものをバッサリと捨てきれない性格なんだと言っているようなものです。
そしてだらだら書いても読まれないから十七音でとなる。でも意味不明になることも多いはず。

遺したいのはこんなありふれたつぶやきであり、すでに確立している格言や評論や小言ではないことは明確だ。つまり、つぶやきとは気持ちの片隅にふわりと浮かんだ感想であるとか、それが泡となって消えていってしまっても何も損をしないし誰も咎めたりしないもの、そして書き留めたところで何も得もしないものである。余韻のようなものを与えてほしいのかもしれない。(平成22年12月4日)

思いついたことを分散的に書き遺そうという思い付きは良かったものの、多くなりすぎて訳がわからなくなって来るのも現実で、作家でもないのだから究極は詰まらない日記になる。

これを書きだした時はそれを逆引きする方法などは考えてもおらない。

■悔しいなりの苦肉作

いつのころからか自分の死というものを意識するようになった。親戚の葬式に順番に顔を出したり、卒業してから会わなくなっている友人の突然死の知らせを受けたり、多かれ少なかれ死というものと向かい始めている。

老衰なら救えるが、成人病、高血圧、糖尿病、心臓病、脳こうそく、癌、交通事故、自殺など、原因はさまざまな人を見てきた。そこで、見送る方としてはやり切れないものが圧倒的に多い。明日は自分も衝動的に首を吊ることがあるかもしれない、と真剣に考えることがある。

目の当たりにする死を見ながら無力な過去と自分の未来を考えたのだろう。

私は人一倍怠け者で、わがまま気ままで、好き勝手に生きてきたし、反社会的なときがあったかもしれない。情熱的に仕事に打ち込んだこともあったが、持ち前の飽き性であることが祟って数年で投げ出してしまい気持ちが継続できないことが多かった。45歳という年齢で大企業を放棄してしまったお馬鹿な奴だから、身近なところからは厳しく非難も受けている。 世間のみなさまよりも15年も早く定年状態に入ってしまって、死んでしまう日々のことを元気なうちから考える暇ができてしまった。それはある意味ではチャンスといえるのかもしれないが、本来なら人間が死ぬ間際になってから、余命の合間に体で感じて考えるべきことであるのに、50歳という年齢であれこれ考え始めるものだから、元気すぎて弊害も多いし、考えにキレを欠くこともある。やはり切羽詰まって考えるのが正しい姿だと思う。

少し早いが、生きてなければ書けないのだからと考えたのだろう。
死んでしまったら、あの人は何を思っていたのだろうか、と想像をされるだけで終わる。
長生きしたら儲けもの(おまけ)と思うのもこのころから。

そういいながらもせっかく得られたチャンスとして死を考えるわけであるからある意味では幸運である。確かに生きる意欲を失くしかけている面もあるし、立身出世欲など皆無になっている点を考えればマイナスが遥に多い。 そういって自分を戒めて足掻いてみたところて波が立つだけで、今の私に飛び立つ力はない。有名人ならばその遺言が文学にでもなるところだろうが、私にはそんなものもない。やっぱし悔しいけど、悔しいなりの「遺す言葉」なのだろう。(平成22年12月4日)

名文など遺せないと思いながら、暇であったことが幸いして、この後に続く長いシリーズを書きはじめた。

適当に思いつくままに書く。まあ、何か書き遺せば、もしかしたら誰かが読んでくれるかもしれない。
そんなふうに始まった遺す言葉です。