大きくて揺るぎない

大きくて揺るぎない
という日記を書き残している。
ブログだからいつの日にか消滅してしまうこともあるかもしれない。
それはわからない。

昔ならば必死で残そうと思案したものだ。今は消えてしまってもそれはそれと思えるようになってきた。

2500篇書いてきた過去が自分の死とともに消えていいのか。
わたしはそう考えた。

大学時代の友人に残したい(伝えたい)気持ちをメールしたら返事が来て

来年で還暦の○○○です。自費出版は数十万円かかりますが、結局、親戚や友人に配っておしまいの自己満足でしょうが、自分の死後も形に残ります。他人に読んで欲しければ、「小説家になろう」に投稿すれば、エッセイなどのジャンルもあるので、読んでもらえるようです。僕は、子孫がいない事が確定しているので、何かを遺す作業(写真の整理とか)は、止めました。同好の士がいれば、遺せるのでしょうが。

と書いている。

初行に書いた揺るぎないものについて纏め直して書き留めておく。

ヒトは
どかんと動かないもんにあこがれる
また 不変な姿にも思いを馳せる

自分も大きくなりたいと思うし
揺るぎない人生を送りたいという意志を持って進もうとする

自然てのは
数々の苦難を経て
それらを犠牲にして(あらゆるものを)捨ててきたからこそ
あれほどまでに大きくなれたのだ
と思う

ヒトは
所詮 自然に
包まれているだけなんだ

ジリジリと伝わってくるものは
およそ 誰もが同じように感じているのだろうけど
取り込まれたあとは
みんなそれぞれに化学反応のように変化してゆくのだろう

揺るぎないものを核にして
感情の増殖は続くのだ

死んだら終わり
苦し見ながら死にたくない

多くの人がそのように考えるのだろう

あるとき母が面白いことを言っていてポンと膝を打って頷いた。

死ぬときに痛いとか苦しいとかも嫌やけど
バタッと死んでしまうのも嫌や

(遺言を遺す時間が欲しいということなのだろう)
(多少の痛みや苦しみは我慢するので)

床に伏して
誰や彼やと来てもらって
ひとことずつでいいので話をし
別れを惜しみ
自分を懐かしみかつ惜しまれながら
死んでいきたい

およそ
話の内容はそんなことだった

叶えてやることができるかどうかは
神様仏様のワザの話だ

わたしはこの話を聞いて
気持ちがわかるような年齢に達してきた
ということを知る

余韻だけ遺せればいいのだろうか。

 

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