高村薫 リヴィエラを撃て(上・下)

登場人物がかっこいい。
オンナがクールで美人だ。

物語は難解で全然わからないので何度も読み返して進まないから2ヶ月も電車のなかでにらめっこをしていたけど、こういうのが好きな人は絶対に★★★★★になるでしょう。

高村薫
どんな人だろうって。
思うのかもしれない。

読み終わって
もう一回読んで
今度は感動をしたいと思う小説です。

季節は冬ばかりだ。2月とか3月とか。
この国の物語をこの重たさで書こうとすると最も合う季節なのかもしれない。
年末買って1月いっぱい、ちょうどそんなふうに同じ季節に読んできた。

エスピオナージ。耳慣れない言葉はどこかに記憶があるものの、スパイ小説なんてのはふだんから触れる小説や映画、ドラマでは007くらいしか知らない。(それに私は007の映画は1度も見たことがない)

「愛する者を傷つけないために別れ、愛してくれる者を傷つけいないために愛し、遠ざけ、キムは結局ひとりで逝ったのだ。」

こんな一文が目にとまる。
この言葉と出会うのは、物語として第4コーナー付近に差し掛かるあたりになろうか。
もしかしたら、さり気なく行き過ぎる物語のシーンのなかで、ふっと一息つく瞬間に痺れたのは私だけではなかったのではないか。

人が人を愛するとか何かに情熱を燃やすとか執念を煮え滾らせるとか正義を通すとか、そういう人間味からはまったく無縁にも思えるハードボイルドな側面をオモテにしている物語であるはずだったが、作者の思いは決してそんなにもクールではなかったのだと思う。

そんな想像を絶やさせないような只ならぬ作品だと難解と闘いながらも読み始めれば誰もが感じ取ってしまうだろう。

そして読み進むにつれて、人間の愛情や社会の不条理のようなものに熱いものを滾らせているのではないかと思いはじめるのだった。

登場人物が次々と狙撃されて死んでいってしまう。
これほどまでに非情がどこにあろうか。
死んで欲しくない人がことごとく無残に死んでいく。
しかしながら、タダの殺し合いの小説ではないことくらいは、それも少し読めば直ぐに分かる。

スパイ小説とはどんなものなのかをお手本で知らされたわけではないし、このような作品の経験がない私には最後まで読み切る自信が持てなかった。だが、とても難解な物語であるはずだったのに、未知のジャンルに戸惑いながらもドキドキで読んでいく。どこかしらに最後まで読んでしまう理由と確信があって、それは読み終わってみてはっきりと見えたのだった。

私たちの非日常のテロリストというものが登場する。
スパイがいる半ば非現実の社会で、そこには民族の意識の闘いが潜む。
情報機関が事件の水面下でざわざわと動く。

伊勢志摩サミットの警備のニュースはお茶の間で流れ、身近でも囁かれている。

各国でのテロ事件も騒がしいときに読み始めたこともあって、公安警察や外事警察の物語としてもグッドタイミングでドキドキとして読む。

スコットランドの地名や地形や民族の闘争の背景の資料を探して読んで、読者に求められるスタミナをつけた。
さらに、登場人物リストを大きな紙に書き出して自分なりに関係図を描いてみた。
それでも、何度もページを最初までめくり直す日が続いた。

忘れる

平成22年(2010年)の年末に「遺す言葉」を書き始めている。

忘れようとすることとはどういうことかをあのときは考え続けていたのかもしれない。

忘れてしまうには覚悟が必要だ。
そのことを薄々感じ始めいるようだ。

恩返しをしないままですべてを忘れてしまっていいのか。
何も残さずに命を絶やしていいのか。
そんなことを考えたのではないか。

許すということは忘れるということだ。
そのことが言葉になって迫ってきたときにこれまでの許せない数々の出来事を次々と思い出してゆく。
しかし、次々と出てくるはずのものがそう長くは続かなかったから慌てた。
こんなに少なくはないはずだ。
もっと憎しみや恨みに満ちていたはずだ。
だから、許せないアイツらのことは必ず山のようにあるはずだ。

そう考えたのだろう。

ところが、あたかも許したように出てこないのが悔しい。
許すということは忘れるということ
その言葉を何度も頭のなかで反芻した。
忘れてしまっては許したも同然だ。

怒りも湧き上がりながら
万事休すなのかと悲しくなる。
諦めもどこからか忍び寄る。

けれども、ゆるさないために思い出さねばならないのだ。
ペンを置いてはいけないと誓おう。

誕生日 大寒 命日 大寒篇 ─ 裏窓から

21日が大寒で母の誕生日であり
22日が父の命日で早いもので18回目を迎える

寒い時期に人が逝くような気がする
気のせいであって欲しいと冬の間は願い続ける

祖父は伊勢湾台風の来た年の12月15日に逝っている
死因は心筋梗塞だったらしいことを最近になって母の語りから聞いた

わたしには先祖から受け継ぐ運命があって
父も祖父もパタリと心臓が止まってしまって
はいそれまでだった

添い寝していた二人が
真ん中で寝ていた父の身体が
あっという間に冷たくなっていくのを
自分の身体と肌で感じ
「おい 仁が冷たくなっていくわ」
と感じたのだと話してくれたことがあった

冷たくなってしまった日は
22日で
おそらく大寒の明くる日で
山が真っ白に雪を被り
数年に1度かもしれぬという寒波が襲来していたのだった

大寒のころは特別なのだ 私にとっては

誕生日 大寒 命日

供え物も持たずに
墓を訪ねた

私の父の好物はなんだったのだろうとふと思った

すぐに答えられないほどに知らないのだ
それは 私が生きるのに精一杯だからというわけではない

親に甘えているから
それが当たり前の
ぬるま湯だからなのだ

そこにいる限りは
ぬるま湯を沸かしてくれる人のことなど
気にとめない

血脈に潜む重き流れは
凡そ一方向なのだなと犇犇と思う瞬間だ

しかし
それが理屈ではなく当たり前であったからこそ
ヒトは歴史を作ったのかもしれない

そんな大それたものでもなかろうと
仰る方々もおありかもしれないが

ヒトは未熟者のうち
散々な無礼を顧みず
馬齢を加えるにつれて恥を知り
後悔を積み上げてゆく

しかし
まあ これでいいのだ
そういう哲学でいいと思う

ヒトはそんなに完成されたものでなくてもいいのだと思う

見てわからん者は聞いてもわからん

見てわからん者は聞いてもわからん
ヒトのふり見て我がふり直せ
この二つの言葉について考える

父には頻繁に注意をされたものだ。
小言ではない。説教でもなかった。
偉い人の説法に似たようなモノであったのかと今ごろになって回想する。

▼見てわからん者は聞いてもわからん

この言葉の本当に深い意味考えてみるとき、ずっと50年以上もの間にわたって本当の「その心は」の部分をわたしは理解しないままでいたのだと気づく。ちょっと恥ずかしいのだが、当たり前のことを理解していなかった自分の愚かさをさらけ出す話だ。

「見てわからんことがあっても、聞いたらわかるやないか」
さらには
「見なくてもきちんとした設計図があれば完璧に学ぶことだって出来るはずやないか」
と若いときには何度も思ったものだ。

そう考えた理屈は決して間違っていないとも言えるし、その言い分で成功を収めることも出来るだろう。そのまま完了して終わってしまうこともある。さらには、成長していく段階においても「見てわからん者は聞いてもわからん」という言葉の真意を理解しないままで何も困らずに安泰に過ごせた人も多いかも知れない。

しかし、この言葉にはもっと深い哲学が潜んでいるのだ、と歳を経る毎に思うのである。

見てわからん  → 聞いてもわからん
聞いたらわかる → 見てもわかる

論理式はこうなるのだが、それだけではない。
じっと見つめて、観察することからすべては始まる。

そこに隠されたコツであるとかその手法を考案した人の視線や視点・考えを想像して学ぶこと。
さらにはその技が生まれてくるまで、頭脳のなかを駆け巡った工夫や着想の切っ掛けやアイデアの変化を肌身で感じて自分のモノにしなくてはならない。

職人の技を弟子入りした者が何年もの下積みを経て身につけて一人前にしてゆくときの姿勢のようなモノを説いているのだ。襖張りであるとか寿司職人が師匠から学ぶのに十年二十年という目の眩むような年月を要して血と涙の足跡やワザを受け継ぐ。

こんな伝承のスタイルは、今の時代には消えかかっているのかもしれない。
だが、自分が1つのモノを完成して揺るぎない技として完成して、さらにそれを未来に受け継ぐ確固たる作品や無形の力にしてゆくために、本当に真剣にやり遂げようとするならば、まずは「見て」学ぶのだと父はわたしに教えていたのだ。

この「見る」と短く表している言葉の奥には果てしなく揺るぎない厳しさがあったのだと思う。

変化しゆくもの 小寒篇 

(今年最初のメルマガから)

❏ ─
❏ 巻頭言

新年があけました。本年もよろしくお願い申し上げます。

今年は今のところ暖冬です。お正月も温かかったです。

近所の野原で誰か凧揚げでもしていないかと散歩に出てみましたが、残念ながら凧揚げの姿は見あたらず寂しい思いでした。

ですが、北風は予想ほどにも冷たくなく、耳たぶを引きちぎるような厳しさはなかったです。

お餅を沢山食べてゆったり目の肉付きになったお腹をさすりながら近所をぐるりと一周回って来ました。ロウバイが咲いていてびっくりしました。

このメルマガが配信されるころは、小寒が過ぎて寒中ということになりましょうか。本来ならば寒さが最も厳しい盛りであろうかと思います。

でも、油断は禁物ですからくれぐれもご注意くださいね。


❏ ─
❏ あとがき

お正月が終わって、鏡開きも成人式も過ぎました。お雑煮やお餅は満足いくほど食べたでしょうか。

我が家のお雑煮は合わせ味噌のなかに大根と里芋を入れて食べます。お餅は、つきたてのときにスルスルと手で丸めた丸餅で育ちました。

ところが近ごろ、お餅を杵と臼でつくことが減ったうえに、つきたてのお餅を丸めるのが面倒なのか、はたまた保存性や合理性に欠けるのか、丸いお餅を見かけることがすっかり減ってしまいました。

さらに、火鉢を置いている家も少なそうで、お餅の文化が急変をしているのです。

「変化しゆくもの」というカテゴリーで周りを見ると、ほかにもたくさんのことがあります。

歴史に変化はつきものですから、この変化率から将来を予測することが大切だとはわかっています。けれども、なかなか受け入れがたいのもヒトの心理ですね。

年のはじめに考える


平成27年が終わって平成28年が始まった

  • 2月にムスメが結婚
  • 3月に叔父が逝く

去年
この二つの大きな出来事で
また一度人生を振り返り見つめて考えなおしてみようとしている

答えなどないものをいつまでも考え続けてもしかたがない
そんなアドバイスを片耳で聞きながらも
私はどうしても理屈をつけて振り返ってみたかった

何も考えておらず のほほんと暮らしているように見える人もある
しかし 本当はみんなそうでもないのだ

お金にゆとりがあって 贅沢で無駄遣いな暮らしをした時代が私にはある
その生き様と無哲学と無計画を いまさらながら大きく咎めて自分を責めることがある

自分で稼いだ金だから勝手気ままに自由に使うことに異論はない
他人に迷惑を掛けてきたわけでもないから人間的に責めるわけでもない

だが それではいけなかったのだ と思う

四十にして不惑なり
たしかにある勢いを持って
いわゆる天狗な生き方をしていたのだろう

しかし 四十をこえてしまうと
誰かに自分の不遜を指摘されて
更に大声でバカモノとど叱られるようなことは
殆ど無くなってくる

ヒトは叱られてなんぼ
どやされて立ち止まるのだ
しかし
四十をこえた人を叱るような先人・賢人はいないのだ

(そのことは「四十を超えて誰かに大声で叱られたことがありますか」
と誰彼に質問をしてみればわかる)

五十にして天命を知る
およそ 気づいた時は遅いのだ
天命を知っても10年遅すぎたと嘆くのだ
それが笑い話のようであるが 天命を知るということではないか

だから そこからが人生・運命との勝負なのだと 薄々気づき始める

人生の第4コーナーを回ろうとしてる
第2コーナーに差し掛かったムスメに呼びかけても届かない
振り向こうともしないし 気づきもしない
それでいいのだ

第4コーナーに置き手紙をするしかないのか
近ごろはそんなことを考えることが多くなった

さて
平成28年からのこれからをどう生きるか
年末年始に考え始めてみたものの
閃くモノがない