胸に手をあてる 立春篇 (裏窓から)

▼ 鬼さんも泣きたい夜がたまにある

節分が迫ったころにふっとそんな落書きをして
ほんの言葉の遊びなんだと自分で自分に語りかけて
あるような無いような心当たりを手さぐりしている

世の中の鬼さんのなかには
さぞや寂しがっている鬼も多かろう
と思ったひとときだった。

泣いた赤鬼という童話を
子どものころに読んでもらい
人の(鬼の)優しさや友情、社会の中の正義と悪などを
噛み砕いた言葉ではなく
形にならない波動のようなもので子どもながらに
自分の体内に受け入れたときがあったのだ。

人にはそういう敷居のない心や受け皿がある。

鬼には鬼の事情があったのだろう。
その物語を受け入れる側が熱ければ熱い物語になるし
冷めていればサラリと終わることになるかも知れない。

野球界の名選手だった清原氏が逮捕されて、
ニュースがざわざわとしている。

もっと昔には、
江夏投手だって同じ罪を犯して刑罰を受けている。
シャバに戻ってから
「江夏」の名前がタイトルに入った本が出版され
彼は事件と犯罪のことにも触れている。

社会に大きな影響を及ぼす力を持っていた人であったのだから
そして社会の大勢に背中を押してもらって称えられて生きてきたのだから
彼らはこれからの社会に恩返しをしなくてはならないと思う。

そう自らが再び決意をして行動を起こさなくてはならない使命を持っていると私は思う。

これまでの数々の闘いはさぞかし厳しかったことだろう。
目標に向かう道のりは想像以上に厳しく孤独で淋しいものであったのかと思う。
孤独と向かい合わせになっていたときの誰にも言えぬ感情は計り知れないものがある。
それらのときの勇気であるとか闘志、あのころの真摯な姿勢や心を忘れたわけではあるまい。

人は熱くなったときのことをそう簡単に忘れられるモノではない。

憎しみ然り、喜び然り。
あるときは怒り、哀しむ。
必ずや再起を祈りたい。

恩返しということについてはこれまでにも何度も書いてきた。
誰であっても、たとえどんな貧乏人であってもどんな大金持ちであっても
人生の最大の使命は恩返しをすることだと私は思う。

自分だけで幸せがつかめたわけではないし、自分の才能だけで走り切れたわけでもないのだ。
静かに胸に手を当てて考えてみなさい。

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