木瓜のはな ─ 裏窓から 春分篇

♠ 桜咲けば別れのカーテンそっと引く

架空であるそんな情景を浮かべて
春分の一日は過ぎていった

桜が咲く半月ほど前のまだひんやりとしている今の季節には独特の匂いがあって茂みを歩いているとこれだと思い見渡すのだがそれらしい木はなく花もなかったりする

新芽が放つものか、花粉が湿気と気温で変化を起こすのか
わからないままだが春の匂いだ

20日は67回目を迎えることなく大寒のころに逝ってしまった父の誕生日であった
18回忌を済ませてこの頃にようやく熱心に墓に参るようになったのは苦々しい話であるものの妙に納得がいくような気がしている

日記にも登場することが増えたのも訳あってのことなのだろう
その訳は日記を探ってみるしかない

墓参りのときに母の所に寄りぼた餅と赤飯をもらって帰る
挿し木をした沈丁花が庭の片隅で咲いている
見回すとあちらこちらで根がついている

6月ころが植え替えどきだから忘れないように念押しの話しぶりで頼んでくる

木瓜の花も玄関の脇の花畑で咲いている
背が高くならない目立たない木だが色は鮮やかでハッとさせられる
これも9月頃が挿し木どきなのでちょっと狙っておこう

我家の庭ではユキヤナギが花を咲かせてくれた
1年かかってここまで辿り着いた

花の知識はからきし無しで庭に咲いているのが何であるのかなど気に留めたこともなかった
そのくせ、花屋になりたいなどと言っていた三十歳のころもあったのだが

このごろになって草茫茫の庭の草取りもせずにその隙間を耕して木を植えてみたり挿し木をしたりしている
といっても皐月とユキヤナギとハナミズキくらいで、その前にロウバイとオリーブなどを植えてみている

そうそう、オリーブは長めの枝を土の深くまで刺して放ったらかしにしていたのだが随分と時間が経っても枯れないところを見るともしかしたら…と期待をしている

庭を弄っているところなど、先代からの爺さんによう似てきとるそうである

人生は紙飛行機━初心とは

ぼんやりと毎日を過ごしていても
自然に勝手に耳に飛び込んでくる音楽があって
歌詞が所々聞き取れてそれがいつも
「人生は紙飛行機…」
と歌っているのだった

「距離を競うよりどう飛んだかどこを飛んだのか」
というふうに歌詞は続いていく
調べてみると
そのあたりが一番大事な部分だったらしく
ネットでチェックをすると
それほど外れてはなさそうだった

音楽は非常に単調で
30年ほど昔の流行ソングのような
哀愁を伴ったリズムとハーモニーだ
今の時代の若者を中心としたリスナーに受けるとともに
この歌を主題歌にしたドラマの視聴者世代にも
支持されそうな万能な音楽である

そのリズムに載せて「人生は紙飛行機」とくると
グサリとやられてしまう人も多かろう


初心を忘れずに
意思を持って公務に着いたのですから、公僕としての責任感を感じ、また、使命感を持ち充実感も感じて日々職務に服していることと思います。
職務経験は、まだまだ未熟でありますが、今後も努力を惜しまず、強い意思を持って業務を推進できるような人を目指すことが大切です。
社会においても家庭においても充実した日々を達成するために、初心を忘れずに誠意と真剣味を持ってあらゆることに向かっていってください。2012年4月 2日 (月曜日) 【語録選】


わたしは上述のような言葉を3年目になるムスメに贈った。

当時ムスメが赴任した部署の上司(署長)だった方から家族にひとこと書いてもらって提出するように指示があったのだったか。

ここで書いた「初心」というモノはとても大事だ、とわたしは思っている。
その「心」のなかには、将来を見据えた夢と展望と数々の計画と1つの像(自分の姿)がある。
さらにそれを推進する戦略と闘志とパワーも備えている。

そうでなくては「初心」とは呼べない。

確かに紙飛行機のようなものであるのかもしれないが、操縦桿はしっかりあるしパイロットは自分だということをしっかりと心得ておくことも不可欠である。

311 もうひとつの日記

311 もうひとつの日記(mixi から)

5年前の3月10日にわたしは次のような巻頭言の書き出しでメールマガジンを考えていた。


サクラサク。春の空をこんな電文が飛び交ったのは昔のことです。
そんな時代があったことを知る人も今は少なくなりました。

しかし、情報通信技術が夜明けを迎えるのは、1830年代にイギリス人のミシェル・ファラデーが電磁誘導理論を考え出したころのことで、それ以前の通信はとても原始的でした。
飛脚が街道を駆けたり、さらには狼煙をあげて情報を伝達したりしていました。

サクラサク、という言葉と、世間を騒がせたひとつのできごとの記事を見て、科学技術の賜物である携帯電話がもしもこの世になかったならば、不正を働いた子はサクラを咲かせようと頑張れたのかもしれません。


不正というのは携帯電話で入学試験中に不正を働こうとした受験生のニュースが話題になっていたからだ。

東日本を大地震が襲い、原発が惨事を起こすのはあくる日のことである。

科学技術の賜物という表現をしている。これは、原発事故の後であったならば、原子力エネルギーを指すように置き換えられるのだろう。

人類は一度手中に収めた快楽や利便を、欲望という善にでも悪にでも力を働かせることができるもののせいで、簡単には捨てたり諦めたりできない。

既得権という都合のいい宝物にしても、便利さ、豊かさ、満足度、更には長い歴史で積み上げてきたご褒美のような今日の暮らしスタイルにしても、一 度どこかに置いて大局的に見なおさねばならないのではないか。そうここで何度も書いてきたが、社会の大勢がそう思っていても政治はいっこうに方向を大きく 変える気配はない。

5年という昔を振り返りながら5年先10年先の構想を考えるとき、わたしたちは、経済社会のことだけではなく、もっと大局を見つめねばならないのは言うまでもない。

不安と期待が交錯する311である。

深い霧 春近づいて あれこれと


8日の朝
濃い霧に見舞われて
視程50メートルか100メートル程度でした

目をパッチリあけた写真を
送ってくれたので載せておこう

三月の車窓から(深い霧の朝)

3月5日(土)に生まれる 啓蟄篇【裏窓から】


啓蟄に幸せの文字見つけたよ
にも書いた通り お昼過ぎに病院に駆けつけて
午後は止まったような期間を過ごしたのだった

病院の待合室(談話室)でツマが待ち続けるのを視界の片隅に置きながら、私もカバンにいつも入れてある「孔子」(井上靖)を読んだりして紛らわすものの孔子様の言葉とこのたび子どもが生まれてくることとの関連性などは何一つもなく重くじんとくる子の言葉を読み続けると自分がこれまでに犯してきた数々の失敗をひとつずつ思い出してしまうのだったが、しかも、子の言葉を読み続けるとあらゆる過ちまでもが然るべき戒めを経て再起へと向けられているようにも思えてきて、こんな時期にこの言葉を読むのが辛くなるのであった


ツマが
「もう母親の役目は終わったのやな」
と生まれた直後に呟いていたのを聞いて

さらに、生まれる少し前にその談話室で何度も涙を拭きながら刻々と時間が過ぎ時刻が来るのを待っているのを見続けて

28年前に今母になる子を産んだ時のことを思い出し、40年前に亡くしてしまったたった16年間しか一緒にいなかったツマの母のことなどを考えると

歴史は否応無しに過去を過去としてのカテゴリーに追いやって着々と新しい幕を開けていることを痛感する。

28年前にこの子の母が生まれた。そのときにわたしは仕事をしていた。

30歳という働き盛りでひとつの方向に向かって進んでいたのだ。そんな時代があって、そのころはおおよそが自分の力で突き進み、苦しい時や悲しい時試練の時には大いに悩み、そのすべての悩みも自分で片付けてゆくのだというような自信や確信に満ちていた。

今更、それを過ちだと言うつもりもないが、それはひとつの未熟のカタチであったのだと思う。

人は、あるいは若者はそういう未熟なカタチでなければ成長できないともいえる。未熟であるがゆえに地につかない不安定さがつきまとうだろう。

そこには必ず差しのべる手があり祈りがあった。ひとつも功を奏しないこともあれば命を救うこともある。その見えない力があってこそ未熟が成り立った。


わたしはこの日記に「伝」という字を入れた。伝えねばならないと考えたからだ。

伝えるものは数限りなくあり、形があるものもあれば恩義のように無形のものもある。哲学じみたものもあっても良い。わたしが祖父や父から受け継いだものの中には教義を受けなかったものもあるし言葉にさえならなかったものもあるが、先代に似ている事を指摘されてそれも受け継いた1つなのだと感じ取る。

さて、
この生まれた子どもがどんな名前をいただきどんな夢を抱いて大きくなってゆくのか。

ツマが言うように「役目は終わった」と私も思う。だから、今度は恩返しをするステージなのだと漠然と考えている。そして、実はこの恩返しのステージが人生で一番重要な幕ではないのかとも思い始めている。