宮下奈都


宮下奈都の「羊と鋼の森」が本屋大賞に選ばれてざわざわと騒がしい。

そもそも何たら大賞というのは好きになれないのだ。
そのわけはきっと同じ思いの人ならば表現こそ違うだろうけどよく似た感情を持っていて、
詰まるところチヤホヤされているわりに期待が外れることが多いからだろう。

では、期待が外れなければいいのかとなる。確かにその通りなのです。

昔でも超売れっ子作家とかがいて、何たら大賞にノミネートされると渋い顔をされた。

遠藤周作や司馬遼太郎、向田邦子、藤本義一、井上ひさし、村上龍、村上春樹、宮本輝、石田衣良…など。形は違えどもチヤホヤされて歴史を刻んできた。

今は広告メディアや自己主張が前に出やすい時代になって、売れる物ならば善し悪しは二の次の感じもする。
社会がスピーディの情報化されていなかった時代は、本との出会いは素朴だった。
純粋に本屋や古本屋に行って、積んであったり並んでいる本を見て手にとって選んだ。
購入した本の裏表紙の作品リストなどを眺めては今度買う作家に夢を馳せてたりすることも多かった。
あの時代はハズレもあったと思うが、読者が揃って目指している方向を見つめ合いながら、ゆっくりと噛み砕いて作家なり作品を選んで行けたような気がするのだ。

本屋大賞などというのが出てきた。書店員が選ぶというところが惹きつけるところなのだろう。
並んだ本にラベルが欲しいのか、ある種のカリスマ性のようなモノを放たねばならないのかもしれない。
けれども、読者は多彩であり志向も疎らになっているから、ハズレを訴える人の声がオモテに出やすい。
さらに大声で叫ぶ力があれば正しかろうが無茶であろうがまかり通るという側面もある。
それは逆に、大賞を押す人の声も当然のことながら前面に出てくる。

早い話が大賞などそれほど当てになるとも言えるしそうでもないとも言える。

自分の好みや読みたい本であって、さらには感動できたり共感できるような作品は、多数決では決まらないし、他人には決められない。
大声で推薦したり金をかけて宣伝してればいいとも限らない。
書店員が薦めてくれてもホイホイとは選べない。
自分で読んで選ぶしかないというのが一番確実な選択手段となる。

ですが!!
宮下奈都の「羊と鋼の森」を図書館で40人待ちなのに予約したのだ。
借りて読むつもりはそれほどないといえばそうなのだが、ミーハーになってみたい面があるのと、非難ばっかりしてないで読もうではないかと思ったのだった。

40人×2週間の間も待てないので、「はじめからその話をすればよかった」というエッセイ集を借りてみた。それがドンピシャであった。

というところまできて、今になっている。

宮下奈都の「羊と鋼の森」を古本屋に探し行くことになるかもしれない。
でも我が田舎町のピントのずれた古本屋にはそんな本は出回っていないだろうな。

ウドもろて
ウド

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