自分のなかにある自分がいちばん知りたくないこと

「小説というのは、自分のなかにある自分がいちばん知りたくないことを、取り出そうとする作業だと思うんだよね。それをやろうという奮闘の跡が一行でも見えれば、それでいい」
@arereno

(快感語録・久々)朝日から
posted at 11:02:41

猛暑日を待ち構えていた庭プール (裏窓から) 大暑篇

前略 ご無沙汰しています
と或る人あてに書き始めたものに
少し手を入れてここに残しておく

参議院の選挙が行われてこのあとには都知事選がある
無関係ではあるけどもアホみたいに日本中が気にかけている
誰もがそんな素振りをしている
いや、関心を持ているような錯覚に陥っている

ちまたには情報が溢れている
それも十分すぎるほど錯綜している
メディアは情報を奪い合いい先取りして見せて
何を優位の根拠にしようしているのだろうかと思う
そんな状況でお互いが醜い闘いをしている

新聞やテレビを見せられる側もそれにつられてお祭りのように話題にしている
そんな風潮の中でコチラもアホみたいに必死になって追いかけてしまいそうになっていた
危うく大事な心を見失ってしまうところだった

けれども一方で
普遍性をもって揺るぎないものを伝えてくれるモノがどっしりと不敵に存在する
どんな流行にも動じず泰然とするものがある
何もかもを巻き込み去ってしまうような勢いにも動じずにそこに存在するモノ
そういうモノにあこがれとか美的さをや落ち着きを感じてしまう

でも、待てよ
そしてそのこと自体がとてもアブナイのかもしれない
そう思ってしまうことがあるのだ

そんなものを美しいとか毅然としていて頼もしいとか思うことがすでに心が蝕まれている証ではないか
しっかりと自分を見つめようと思う

これから暫くの間、暑くなります
あんばいようお暮らしなして

手紙はそこでおしまい。


♣ マネーをたくさん潜ませた軽々しい情報が世の中の流れを作っていくことへの怒りなのだろう

怪しい情報が出まわっていても誰も咎めないで、むしろそれが堂々としている
そのあてにならいものを根拠にして大事なことを判断しているヒトがたくさんいる
そのくせ、そういう情報の海を悠々と泳ぐようにいて、上手に問題を拾い上げて一丁前な意見や苦言を呈している奴が居る

あるときは、1つの人権を主張して大きな盾にして、クレーマーみたいなことをやって満足している(アホがいる)
アホとまでもいかなくても、意見は自由だから(言論の自由)ということで、いかにもな論法で勝手なことを自由に無責任に言う
(マスタベーションのようなものだ)

世の中には詰まらない情報が溢れている
それに詰まらないヒトが寄って集(たか)っている

都知事選挙だってまともそうに見せかけて熱狂的にメディアが騒ぐ
必要以上に騒ぐのはニーズがあるからなんだろう
儲けが出るからなんだろう
儲かれば何でもするというのは矜持としてどうなんだ

けれども、ニーズを求めている方がまたそんな群衆の階層だ
そんなことに関心があるなら真剣に国会議員を選んでくれよと言いたくなる

そうは言いながらも選挙はいつも真剣勝負の結果だ
だから、今回の結果が真剣な結果だ
そういう人がこれからの行政を引っ張っていくのだという事実と現実を明示している

情報という簡単に手が伸ばせるものに安易に手を伸ばしているのだということは誰もが知って認めている
けれども、深く考えずに表層の波の美しさを見て、思いつくように物事を決めいく

そんなことをしていてはいけないと思いながらも、それでも事が進むことを知ってしまった
だから、社会が段々と崩れていっているのだ

エロな映像がいつの間にか無制限に流出しているように、政治をコントロールする哲学も、崩れている
個々の持つ重みや色合いを無視して目に見えるダイジェスト的なデジタルの姿だけで選ばれていく

「表層と深層」という言葉が浮かんだ
深層を誰も見つめようとしない
いつかその深層から泥が吹き出すかもしれないのに
いったいいつごろから深層に目を向けなくなったのだろう

こんな愚痴や新しい提案を日記やブログに書いている人を見かけない
そのくせ、イケガミとかいうそれらしい解説者に人気が集中したりしているから、オカシイ

昔なら読みに来てくれる客が無くてもブログや時事解説を書いている人が多かれ少なからずいた
しかしそういう人は売れないから消えていき、このごろはほとんど姿を消してしまった

その代わりに写真を掲載して何かを書く
写真だけがネットを流れて人の目をキャッチする
活字を読む人が少なくなった

ケータイが多いから長文をじっくり読まなくなった
読むべきものが多すぎて全ての意見を読み切れなくなった
全ての記事にゴミのような記事がどんどん増えているので選別が難しくなった
下手くそな文章と上手な文章を区別することなど、どうでも良くなってしまった
ツイッターで流れる文章を入試の国語の問題のようにして真剣に読むならば
全部読んでしっかり考察するのに3,4時間では読み切れないだろう

やっぱし

多すぎる情報
切り捨てられる情報
どうでもいい情報
などが多いのだ。

今の世の中をこれらの情報がめちゃめちゃにしてしまった
読者が軽薄でミーハー的になった
誰でも書けるのは望ましいことだし自由に意見が出るのもいいことだが
質は間違いなく低下してゆく

だから反発して(変人になって)わたしは自分のために
(1)なるべくテレビは見ない(2)流行りには注目しない(3)怪しい解説は聞かない
ということに気を使っている

近ごろは、朝日新聞や毎日新聞も信用度が低くなってきたこともあって、何を頼りにしたら良いのかを見失いつつあります

でもね、1つ言えるのは
「時代は巻き戻せないので、これからの時代はこれからの人が作る」
ということだ
そして「わたしの出番はもうない」


M’s Zoom から

ムスメLINE

我が家

温度差のこと(再考) 梅雨あけ篇

▶  http://goo.gl/pvQ0ns
霧雨ふる ─ 小満篇

ここで私は何が言いたかったのか

温度差の事だったはずだ
むかしの友とは温度差ができてしまって話がかち合わない

  • 1000万円以上の給料所得者
  • 世界を股にかけるマネージャ
  • 大手家電会社の取締役
  • 都内有名大学の教授
  • 優良電機メーカーの安定した管理職
  • 個人事業主として成功した人

Facebookには漏れ無くそういう友ばかりが集う
100円のシャケをアテに発泡酒を飲むわたしのような奴は登場しない
 ※ ファイスブック格差

メディアの統計記事では
1000万円超の所得者が5%ほどで
300万円以下の所得者が4割にも及ぶと書いている

信憑度を余分に見ても
この格差は社会が理想的に成り立っていくためには
美しい姿とはいえない

友だちはそういうものとは関係なく
自立したものであって欲しい

心のつながりが昔ながらに生きていて(蘇って)欲しい

さらに定年を迎えて名刺や肩書を廃棄して
生身のニンゲンになってしまう時こそ
そういう昔の友だちと
むかしの(学生時代のまだ殻を持たないころの)関係に戻りたい
葬式だって普段の姿、生身で飾りのない立場でお互いに立ちたい

そう思ったわけだが

現実にはみなさん
自分の人生を華やかに飾ったモノは捨てきれない模様で

1000万円の暮らしを切り捨てて
300万円以下の世界に飛び込んだアホな奴などを
相手にする仲間などは居なかったということだ

アレほどまでに
心から打ち解け合っていたように見えながら
元プロ野球選手の清原が逮捕されたときの
むかしの周囲の人間たちの冷たい態度

アレが人間の正体なのだろう

しかしわたしは
そうではないのではないかと夢をかけた

儚いかもしれない

様々な考え方がある中で
社会は少しずつ少しずつ潜在意識を偏らせていってしまったのだと思う

そもそも論になるのだが
正しい物など存在しない中で極限の倫理観などは守られるものの
自由という言葉のもとに社会は発展する

発展という言葉は魔性の言葉で
経済指標などの数字も魔術に使える

最近は人権(単に権利も含む)であるとか
差別、平等、弱者などというものや概念が飛び交い

社会が表層的なものと本質的なものを(深層とを)
明白にしながらも知らぬふりをして
都合よく表層で押し切ろうとするモノが多い

政治も経済もそうではないのか

どこかが間違っているのだ

続・スズメはなぜ電線から落ちないのか

(余録ノート)

スズメはなぜ電線から落ちないのか。
そんな問題提起をあげて何かモヤモヤとするものを手さぐりで探すように考え続けていた。

スズメは飛べばいいから電線からは落ちないのだ。
しかし、そこで考えるのを完了していいのか、と思い直して何日が過ぎてゆく。

そうすると、飛び続けることに対して幾つかのことが浮かんでくる。

うるさく目の前を飛ぶハエを退治する方法がある。
しかも3分程度で簡単に可能だ。
それは、ハエに止まるチャンスを与えないことだ。
ハエ叩きで叩く必要はない。
止まろうとするハエを追い払うだけで良い。
3分ほど飛び続けたハエは力尽きてぽたりと落ちる。

飛べないスズメがいたとしたらそれはどうだろうか。
夏がくるころに雛は巣立つ。
スズメも母のもとを旅立ち1人でお外に出るのだ。
飛べないスズメは地面をヨチヨチと歩くだけでまた巣に帰ってゆく。
飛べるようになるまでの2,3日はその辺を歩いて過ごすのではないか(推測)
歩く(というよりも跳びはねるだけの)スズメを何度も見かけたことがある。
猫やヘビに狙われて食われてしまえばそれまでだ。
食われてしまって途絶える人生があるかもしれない。
もしかしたら恐ろしいことが自分にふりかかる可能性があるとは子スズメは考えてもせずにヨチヨチと歩く。
飛べるようになれば親スズメとさほど区別がつかなくなってしまう。

蝶がふわふわと飛んでいた。
止まるところがないチョウ
はいつまでも飛び続けるのだろうか。
ハエのように力尽きて落ちることはないのだろうか。
蝶の場合を想像したのはここまでなのだが、これを書きながら思ったことが1つある。
蝶を止まらせずに手で払おうとしたならば
疲れた蝶ならその手に止まろうとするかもしれない。
ヒトの手はそれを拒まないかもしれず、蝶のほうに軍配があがる。

飛べばいいからという答えも名答のように見えるものの
飛んでいる側から見れば大変な努力をしているのだということが分かる。
安易に「飛べばいいから」などと言えない。

できればそんな危険を犯してまで飛びたくないのかもしれない。
逆にそのものたちには「飛ぶ」という概念や言葉などがないともいえる。
飛ぶことはすなわち生きることなのだ。

「ヒトが考えること」=「生き続けること」みたいなもんだろう。

書きかけはつづく

七夕が過ぎてちょっと期待の変化球 (裏窓から)小暑篇

朝陽が鋭く刺し込むので
早朝ウォーキングは日の出の時刻には終了せねばならない
肌が焦げてしまいそうだ

早起きは苦手ではないが
おなかの調子が快適でないときはスパっと家を飛び出せずにいる
結局のところ日暮れのころに出かけるケースも多いこのごろだ

7月になってから2,3度朝の散歩が続いた

やはり朝が清々しい
そう思う季節は今が一番ふさわしいかもしれない

オオマツヨイグサが咲いているのを見かけた
1週間ほど前からクマゼミも鳴き出した

空模様はグズグズとしているものの夏らしい猛烈な暑さも来ている
最高気温の記録がニュースで流れるたびに事件や事故もなく異常気象を報じているのだから平和なのだと思う

庶民は呑気なもので選挙も間近いけれどもそれほど白熱した話題や議論もおこらないままだ
やはり幸せボケであろう

実際にはどうだろうか
大半の人が改革を期待して然るべき社会になっているのではないか
公平に見ても格差が不条理に生まれている
しかしそういうものを見たり感じたりしながらも痛みを痛みと思わずまあいいかで済ませてささやかな幸せに緩やかに不満を溶かしてしまっている人が多いのだろう

そういう世相になっている
不満を怒りに変えてぶつけて、改革を叫ぶ時代ではないのだともいえる

決して平和ではない
そう思う人が世界にはたくさん居る
戦争はないけれども
戦争に代わって新しく闘争をするカタチやモノや概念や組織が生まれつつある
テロもその1つだろう

人の心は荒んでいるのだろうか
巷のニュースには殺人事件の報道が目立つ
配慮の足りない事故が起こる
身勝手な行動が起こす事件も多い

幸せボケと書いてみたが誤解を生むかもしれない
社会が幸せの頂点を迎えていること
そのように錯覚していること
生活スタイルの変化がゼロではないにしても目まぐるしくなく無風に近いこと
人々が社会システムの変化を読み取る力を失いつつあること
情報メディアがアンバランスに力を持って経済や人の心を捻じ曲げてしまっていること
社会への影響度の重みや密度の高い階層がや世代が何も考えないと思われるほどに荒廃していること
ホンモノへのこだわりを哲学的に考える人たちが減ってしまったこと
経済という魔法の言葉に政治が沈下してしまうのが悔しいじゃないか

ウォーキングをしながら考えていたこと

江古田の下宿でボクの部屋の前にあった南国屋さんが懐かしい
食いに入ったことは一度もなかったけど懐かしい
たくさん猫を飼っているばあちゃんがやっていたのだがばあちゃんの顔も記憶に無い

二階が下宿で若い女の子が住んでいた
大学生じゃなかったと思う
バンツで部屋の中を歩き回る
窓際に机をおいているボクのところから様子が丸見えだった
それでも平気だったその子の顔は知らない
パンツは何種類も知っているけど
ボクが二十歳くらいのころだから彼女も今ごろ年金生活者の仲間入りしただろうか
やけに懐かしい

♣オオマツヨイグサ
この黄色い花は鮮烈にわたしの旅の記憶の中に残っている
哀愁のある思い出ばかりなのがちょっと
いまごろそんなことを思い出してもセンチになるだけだ

♥七夕
これといって思い出もない
高校時代に集中豪雨が降って宇治山田駅が冠水した思い出がある
その夏の始まりのころにオートバイでクルマと接触事故を越した記憶などがセットになっている

♠七夕がすぎればムスメ誕生日
暑い朝だったこと
仕事に出掛けてお昼すぎに生まれたと電話をもらったこと
名前は男の子ばっかし考えていてギリギリまで決まらなかったこと

♦クルマが不調
ブレーキ警告灯とABS警告灯が点灯したままになる
時々消えるのでほっとする
11年目の車検が10月か
前の車(ルノー)のときはパワーウィンドウが動かなくなってガムテープで止めて乗っていたなあ
きちんと直して大事に乗ってやればよかったなと悔やんでもおそいけど今でも同じ車種を街で見かけるとちょっと後悔する