続・スズメはなぜ電線から落ちないのか

(余録ノート)

スズメはなぜ電線から落ちないのか。
そんな問題提起をあげて何かモヤモヤとするものを手さぐりで探すように考え続けていた。

スズメは飛べばいいから電線からは落ちないのだ。
しかし、そこで考えるのを完了していいのか、と思い直して何日が過ぎてゆく。

そうすると、飛び続けることに対して幾つかのことが浮かんでくる。

うるさく目の前を飛ぶハエを退治する方法がある。
しかも3分程度で簡単に可能だ。
それは、ハエに止まるチャンスを与えないことだ。
ハエ叩きで叩く必要はない。
止まろうとするハエを追い払うだけで良い。
3分ほど飛び続けたハエは力尽きてぽたりと落ちる。

飛べないスズメがいたとしたらそれはどうだろうか。
夏がくるころに雛は巣立つ。
スズメも母のもとを旅立ち1人でお外に出るのだ。
飛べないスズメは地面をヨチヨチと歩くだけでまた巣に帰ってゆく。
飛べるようになるまでの2,3日はその辺を歩いて過ごすのではないか(推測)
歩く(というよりも跳びはねるだけの)スズメを何度も見かけたことがある。
猫やヘビに狙われて食われてしまえばそれまでだ。
食われてしまって途絶える人生があるかもしれない。
もしかしたら恐ろしいことが自分にふりかかる可能性があるとは子スズメは考えてもせずにヨチヨチと歩く。
飛べるようになれば親スズメとさほど区別がつかなくなってしまう。

蝶がふわふわと飛んでいた。
止まるところがないチョウ
はいつまでも飛び続けるのだろうか。
ハエのように力尽きて落ちることはないのだろうか。
蝶の場合を想像したのはここまでなのだが、これを書きながら思ったことが1つある。
蝶を止まらせずに手で払おうとしたならば
疲れた蝶ならその手に止まろうとするかもしれない。
ヒトの手はそれを拒まないかもしれず、蝶のほうに軍配があがる。

飛べばいいからという答えも名答のように見えるものの
飛んでいる側から見れば大変な努力をしているのだということが分かる。
安易に「飛べばいいから」などと言えない。

できればそんな危険を犯してまで飛びたくないのかもしれない。
逆にそのものたちには「飛ぶ」という概念や言葉などがないともいえる。
飛ぶことはすなわち生きることなのだ。

「ヒトが考えること」=「生き続けること」みたいなもんだろう。

書きかけはつづく

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