出来事を刻む – 裏窓から 冬至篇

出来事を刻む
柱の傷の如く

そのようにゆっくり刻まれてゆく時間のうえで
こつこつと生きてゆきながら
後始末をするような日記を綴るのもいいだろう

冬至を迎える21日は水曜日で
一日とくに用事もなく
身の周りのことを整理したり
一年を振り返ったりしていた
いいえ
・・していたようで何もせずに師走の一日を過ごした

今年のできごとを振り返って重大ニュースを整理する
若いときはそれほど意味あることとは考えてもみなかったし
叔父がむかしみんなを集めてそれを考えてみようと
年末年始の団欒のおりに呼びかけていたのを思い出して
今ごろになってあのことの意味の深さと意義の重さを肌身に染みて感じる

昔を振り返ることに貴重な価値があったのではなく
自分の足跡を丁寧に見つめ直して
大勢の人に世話になりながら一歩一歩を踏み出して来たことに感謝し
反省するべきことをしっかりと戒めとして受け取り
次の一歩あるいは百歩への根拠を見出さねばならない

何もしなくても時間は過ぎてゆく
何かをして考えても何の変化もないことも多いかもしれない
しかし
違いを大切にして前を向いて堂々と歩んでゆくためにも
よくきく眼とあらゆるものを受け止める感性が必要だ

冬至を迎えさらに
時間(とき)は刻まれ
クリスマスのお祭りも楽しんで
年末年始へと向かってゆく

できごとにそれほどの変化がなかったとしても
そこには常に新しい自分でいて
弛まぬ変化をしている(いなければならない)

丁寧にできごとを刻むということは
今になってとても基本的で大切なことだと思う

柱時計
柱時計

積読(つんどく)

大きな流れの波の上を
漂うように彷徨うている
そんなふうに思うことがある

若くて元気なころは時に無謀なこともしてきたけれど
今は考えもしなかったような自分がいて
それがやけにしおらしくて苦笑する

周りから仲間が抜けてゆくときもあったし
息が合わずに逸れてってしまったこともある
どっちが本流だったのか
いつまでも考え込んだものだ
さらには、この世から逝ってしまったものもいる

わたしもそんな波の上を
ときには大きく揺られながら
ここまでやってきた

もう沈んでもいいいやと何度も思い
漂うだけで幸せと泣いたこともあった
ほんと
私は今日まで生きてきました♬
と口ずさんだものです

たくさんの人に手を差し伸べてもらい
命を助けてもらい
沈まないように静かな波間を導いてもらい
ここまでやってきた

これからは
恩返しをする番なのです

若い時とは違った使命が山ほどあって
パワーは昔のようになくて
なんの取り柄もなくて
でも
人生の後半戦は忙しい

一緒に頑張ろう
まだまだ この先も

最近どうよ?

と尋ねられて

井上靖の「孔子」を
もう10年以上鞄に入れて
持ち歩いているけど
やっと読んでて泣けるようになったよ

と答えている


平成28年12月17日中日春秋(中日新聞)から
「積ん読」という言葉は、世界に誇るべき日本語らしい。オックスフォード大学出版局は、「愛書家が知っておくべき十の言葉」の筆頭に、tsundoku(ツンドク)を挙げた
▼買った本を読まないまま、積んでおく。そんな状態をずばりひと言で表す言葉が、英語などにはない。日本の読書文化が生み出した見事な言葉なのだ
▼だが、胸を張ってばかりもいられない。本棚からあふれ、廊下や枕元などで山となった本に、自己嫌悪さえ覚えるのに、その山は確実に成長し続ける。そういう「積ん読病」患者にお薦めなのが、若松英輔さんの近著『言葉の贈り物』だ
▼若松さんのお父さんも大変な愛書家で、晩年に目を悪くして満足に読めなくなっても、買い続けた。どう見ても無駄である。父の「積ん読病」を若松さんが同僚に嘆くと、こう言われたという。「読めない本は、読める本より大事なのかもしれない」
▼<人は、いつか読みたいと願いながら読むことができない本からも影響を受ける>と、若松さんは書く。<私たちは、読めない本との間にも無言の対話を続けている。それは会い、話したいと願う人にも似て、その存在を遠くに感じながら、ふさわしい時機の到来を待っている>
▼いい言葉だなと思い、こういう本はじっくり噛(か)みしめるように読もうと、枕元の本の山の一番上に置く。かくして積ん読の山は、また高くなる。

高を括る ─ 大雪篇 【裏窓から】

ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる   山頭火
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ   山頭火

句集「草木塔」の始まりに出てくるそれほど目立たない句だが
時をかえて読んでいると目にとまった

もしも山頭火が大酒飲みでなければ
あれほどまでに人々の心を掴むことはなかったのだろう
山頭火は捨てきれずに
背負っていたモノに少しでも近づこうとしていた

捨てるということは
それが何であっても
いつの時代であっても
難しいことなのだと思う

🍀

師走のある日のこと

書棚を整理しながらも数々の本たちが目に飛び込み手が止まる
大掃除を諦めてしまうことも多い

毎年のことながら早々に諦めて
ガラス越しの陽だまりで
じっくりとお気に入りを読み返すことになるのだ

🍀

ときには
熱い酒をチビリチビリと舐めながら山頭火句集を読んだりした

その酒が冷えてしまっても読み続けて
足も膝も手もすっかりと冷え切ってしまおうとも
もう目が離せなくなっていたりする……



ぽりぽりと齧って悲し過去の恋


🍷

さて、
昔の大掃除といえば一家を挙げての大仕事で
家中の家財道具や押し入れの中のものも
全部庭先(せんざ)にほうり出して
畳を上げてパンパンと叩いて
すっきりと新年を迎える準備をしたものだ
(近所中にパンパンという音が響いた師走であった)

そういうわけで
年も押し迫ってきている

いちいち過去のことなどかまっておれなかった半世紀前
あれから人々の心の豊かさは大きく進化し
何よりも現代社会では物が豊富になり
「片付ける」=「捨てる」というわけにもいかない

「断捨離」という便利な言葉も使われているものの
お掃除や片付け物をきちんと成そうとすると
断捨離とい言葉が机上で作り出された
一種の仮想の言葉のようだとわかってくる

悩んだ末の挙げ句
それほど整理もされずに
年を越してしまうのだ

🍻

歳末のスーパーの店先に
しめ縄が並んでいるのを見かけることが多くなった

師走になると
父が長屋の土間で
しめ縄をなう後ろ姿を
毎年見かけたものだ

お店でしめ縄を購入しても
ご利益のようなものや
神様への感謝が
果たして伝わるものなのだろうか

とやや疑問に思ったりもしている

❤️

12月7日は大雪でした

【裏窓から】を書き始めたのがこの日で
ぶるっとくる朝を迎えることが
だんだんと増す

真っ白な霜に覆われた銀世界の朝はお正月を回ってからだろう
と想像をしたりしながら
少し高を括っているところもあろうけど

ユニクロで今年はマフラーを買ってもらったのでぬくぬくなのだ

躓く・忘れる・落とす・こぼす─朔日にうるめを食いつつ考える

♠️躓く
絨毯程度のちょっとした厚みであっても足がすっと閊えてしまうことがある
足が微妙に高く上がっていないからだろうと思う
そういうふうに躓くことが増えた

♠️忘れる
頻繁に会った人なのに暫く振りにどこかでばったり再会して名前が思い出せないことがある
いわゆるド忘れである
これには特徴があって必ずと同一人物を繰り返して忘れる
意地になってメモをするものの見ないで思い出そうとしても蘇らないことが多い

♠️落とす
テーブルに腰掛けて作業などをしながら手を伸ばして離れた場所からハサミを取ろうとしたときなどに手に持ったハサミをポロリと落とす
手が握る力(握力)を加減する制御神経のようなものが微妙さを失ったからであろう
一定の力で握り続けている時にふっと筋力が緩むように見える

♠️こぼす
漬物とか惣菜などをテーブルの上で取り分けるときに取り皿までの間でぽろっと匙からこぼすとか箸から落ちしてしまう
また、お茶漬けをかき込むような動作でご飯を食べているときに口からポロポロとご飯などが零れ落ちる

うるめ
朔日にうるめを食いつつ考える

(1)忘れる
(2)落とす
(3)こぼす
(4)躓く

この4つのアクションは日ごろの行動で起こるミスだ
特にある年令を回ったころからこうしたちょっとしたミスが気に掛かるようになってきた

しかし視点を変えると面白い

人生の歩むうえでの自分の姿や道程にも当てはめることができるのではないかと後でよく考えてみて気づいて苦笑いをする

人生において起こるこれらの4つのミスは、若いときであれば日常茶飯事で、驚くことではなかったわけで、むしろそれをステップ・アップの足場にしてきたはずだった


♠️落ちると躓くは人生において痛い思い出がある

受験に落ちる
高校入試失敗で始まって高校2年の2学期の交通事故の後の成績の急落
大学受験は推薦で落ちて現役で落ちて浪人で落ちまくる
進級においても落第を体験するし
人生いろいろというのは早くも15歳の時から始まったのだった

躓く人生
元来頭は良くないのだからそんなに背伸びをしても無駄なことが多く
自分に合った人生の道を歩むべきで合ったのだと気づくのはこの年に近づいてからだ

躓いたことをふりかえるものの実力不足なのだから想定通りに壁に当たったというのが正しいか
出世もできないし仕事での成功も(私の力では)輝かしいものはあまりない
周囲に恵まれての言ってみれば歴史に残るような足跡があるともいえようが
私が一人で築いたものではない

オンナ好きの怠け者、さらには見栄っ張りでケチ
思い出したくもないオンナに騙されて人生の崖を落ちることになったのはここで封印する
(ツマには感謝します)

そもそもが競うことを嫌う性格がたたって
似たものが集い切磋琢磨して上達しながらものを作り上げてゆく集団には行きたがらない

♠️曽祖父、祖父、父と三代に渡って、村長、村会議員、公務を努めてきたのだから
何もスピンアウトして遠い都市に本社を置く企業に行くことなどせずに
故郷に御恩を返すべく奉公する職につき持ち味を出せばよかったのだ

(身近な人たちは口を揃えていうのだが、もうすでに遅い)

♠️こぼす と 忘れる
まあ歳食ったんだから仕方あるまい

幸せに生きよう
健康に暮らそう
そんなことばかりを口癖にしている