消えていくもの - 元旦号 (裏窓から )

🍀 (年末雑感) ー 言葉が消えてゆくこと

「ぬくたい」「 ひやかい」「よぼる」「いる」という言葉が消えつつあるのだと実感する
「よぼる」は「呼ぼる」であり、「いる」は「はいる」ことでお風呂に「いる」というように使う
ふと自然に使ってみて、近頃こんな言葉を話す人を見かけなくなったと閃くように思った

*

わたしの前で祖母ー孫(わたしの母と娘)が話をしているときに祖母の問いに
「ええ?どういう意味」
と聞き返しているのを見かけた

言葉に多少の不明点があっても大抵は想像で話が進むものだ
しかし
このときには何を話されたのかが全くわからなかったらしい
(書き留めず忘れたのが残念)

暮らしの中の物であれば見れば理解できるので話しは続く
しかし
モノの考え方であるとか振る舞いは想像では解決できないことがある

一緒に暮らさず、日常生活品に違いができると
昔ながらの暮らしを守る人と現代人の間には
自然にギャップが出てしまう

言葉も食い違うようになり
会話が成り立たなくなってくる

テレビ文化の侵略で地域文化が消滅してしまうかもしれず
全国レベルで暮らしの中にある言葉が一般化され共通化してゆき
さらに合理化が進んでゆく

異なった生活圏では文化の浸透度合いから温度差が発生して
非常に身近なところで(すぐ隣の空間でありながらも)大きな溝が生まれている

♠️

溝が生まれていることや
或る時代のものが消滅してゆくことに特別な寂しさ
(ときには怒りに似たもの)を感じる人は多いだろう

消えてゆくのも文化の変遷の流れなのだと言えば
消滅させてしまう側をいまさら責めることはできない

そのことに危機感を持つ人はどんどんと消えてゆき
やがてゼロになるだろう

消えていいのかという問いは
投げかけないことにしている

何千年もの昔へ遡って想像してみると
新しいものが生まれるときには
消滅させてしまう次の時代に怒りを持った人が
必ずいたのだと想像できる

この怒りを歴史として伝えた歴史上の人物は偉い
そう思う

🍀 雑感その2

修行という言葉が消えつつある
言葉の意味は、ストレートに行を修めることだ

若くて実力のある人が社長になり事業を進めるケースがある

頭が良く、キレもあり、知才も備え、人脈もある

社会と広く交流をし
大きな流れもしっかりと捉えることができ
将来を的確に見て構想を立てることができ
苦難に出会ってもチャンスに出会っても瞬時に正確に判断ができる

何かが足りないとすれば修行が足りない

早朝に井戸の水を汲み上げにいく行いを千日、二千日続けるようなことを言っているのではない

玄関を毎朝掃き清めて綺麗にし
社長の草履をきちんと丁寧に揃えて
来たるべき時を待つ日々を千日続けることでもない

ただわたしは古い人間なのだろう

温室で十分な栄養と人工の光で育てられた促成栽培の野菜と
大きな大地の畑で自然の光を浴びて育ってのちに収穫された野菜とで
どちらかを選ぶとすると
促成栽培は選ばないと思う

促成栽培の方が格段に美味しくて栄養があって綺麗で整っていても
大地の畑の野菜を選ぶような気がする

人の器とはどんなものだろうか

現代科学や経済理論さらには精神科学や行動科学が
より完成されたニンゲンを開発し続け
都合のよいキレる人材を育成してきたことは
ある側面で反省するべきことであろうとも思え

しかし誰も咎めないから
何も指摘できないし
どこか間違っていると思うのだが
主張もしない

しかし確信はある

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