絲山秋子 離陸

サスペンスタッチな面があるけれども中途半端なところがある。
だから、サスペンスがそれほど好きじゃないわたしが読めてしまうから、この物語のサスペンス色は気にしないことにしよう。
読感のタッチは満足。

女性とは思わせないような冷たくて非情な風味を出していることで、作家像においても男性的な一面を垣間見せる人なのだ、と読みながら気づく。その感性が生む筆のタッチで、オトコの人の - 特に主人公の - リアクションや行動や心も嬉しいほどに小気味好く書いている。やはり男性作家ではないか、と思えるくらい。 ロマンチックとかスイートな感覚は欠片もない。

わたしは男性の作家が好きな傾向に(結果的に・無意識に)あるらしいが、絲山さんのこの作品を読んでいるときはその線から外れて、作家の魔術に神経が痺れてゆくようだ。マッチしているのかもしれない。

池澤夏樹が解説を書いているのを読みながら、この作品が「マシアス・ギリの失脚 」と似た雰囲気だと思った人も多いのではないかと想像してニッタリしてしまう。
一方で、ミステリアスでハード・ボイルドなら、高村薫というバリバリでコテコテ、読んだ後どっぷりと疲労感が満ちてくる作品があることを思い、絲山さんはまたそういう人たちとも違った路線で、謎を秘め込めることができる人なのだと思うのだった。

酔いしれるようなドラマティカルな小説ではない。
ドキュメンタリーが得意な公共放送局が得意としている「土曜ドラマ」的な色があって、進展に面白みがあるとか主人公に入れ込んでしまうのを楽しむのではなく、不安定でそれっぽくないミステリアスを追いかけて読み進んでゆく。だから、この作品では主人公がくっきりとクローズアップされてくるわけでもないし、オンナの人や主人公の生き方に同調するというわけでもない。確かに、乃緒という人物の神秘性に魅力を感じたりはするが、心を移入してしまうというようなものではなかった。

普段ならばこのように入れ込めないような小説であると、ツマラナイと感じて投げ出してしまうこともあるのだろうが、こんな小説でありながら惹きつけら続けたのは、やはり絲山さんの男性的な作風だったのでなはないかと確信している。

サスペンスは好んでは読まないのだが。中途半端と批判もあろうが、この作品には、こういった色合いがあったのも大きな持ち味であったと思う。

絲山秋子 離陸
絲山秋子 離陸

(話題の)恩田陸の「蜜蜂と遠来」のすぐ後に読んだのであるが、比較してもこっちの方が文学かもと思えても来る。買う際に迷った宮下奈都の作品ならば、文章に溶け込んでしまって、読みながら作家に少し入れ込んでしまうことがあるが、絲山さんにはそれもない。そういうところでも、味わいは異色と言って間違いない。

(P12)
そして悲しいことに、ぼくはしばしば自分に近しかったひとの面影すら忘れてしまう。
なによりも大切に思い、「好きだ」と何度も言ったひとのことでさえ、きっとどこかで元気に暮らしているんだろうという楽観のもとに忘れ去ってしまうのだ。
人間には想像力があるといっても、結局のところ思い浮かべることができるのは、現在とその僅かな周辺、森の端の川辺のようなところでしかないのではないだろうか。
(P43)
彼女のことを思い出すとき、人間の記憶は時系列じゃないんだな、と思う。
最初に彼女のことをどう思って、どうやってつき合い始めたかではなく、どうしても別れのところから記憶がはじまってしまう。
今でもまだ懐かしさより苦しさを感じる。
肌にくっついたガーゼが傷を破らないか気にしながらじわじわと剥がすように、言うなれば男らしさの微塵もない態度でしか自分の記憶にアプローチできないのだ。
(P94)
「回り道をするような相手はだめだね。上手くいくときは何も考えないでもサッサッといくんだから、そういうんがいい。最初に苦労すれば後からやっぱり苦労する。
なにも考えてなさげなひとのほうがしあわせなふうだよ。」

付箋は貼るつもりでもなかったのだが、電車の中でカラーマーカーを持っていなかったこともあって、何箇所か貼り付けたところがある。そこを読後に見直しても価値あるところだったので、自分の感覚にちょっと拍手を送りたい。

(付箋を貼った)前半のこんな部分を読むと、「沖で待つ」という作品で絲山秋子という作家に出会ったときの冷たさのようなモノを思い出す。

こてこてと着飾ったり、思わせぶりであったり、いかにもなセリフを言わせてみたり、壁ドンのようなシーンも無い。着々と冷たい男の作家が男の心を切り裂いてゆくような淡々とした筆を感じる。そのくせちょっとは揺らぐ心にも触れている。こういうところが好きな人には、程よい辛さが味わえる小気味よさと言えよう。

しかし早い話が、謎を放ったらかしたのか、空想に任せるとハナから決めて謎のままにするつもりだったか。という点など、野暮ったいようにも思えて、面白くないとも言えるけど、そこが味わいだとも言える。

まさに何処に行くのかわからない作品だった。
しかしながら、エピローグはすでにできあがっていたのだ。
だから、ミステリーなのかも知れない。

最後に、四日市の言葉が上手に使われている。涙が出るほどに感動する。
この作品は、テキトーに書いた作品ではないことがそこからも窺い知れる。

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