価値であるとか本質というものを 見つめる姿勢 - 小満篇 【裏窓から】

ちょうど、バイクの仲間がサンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー(SSTR)に出かける日記を載せていたのを読む。

むかしの旅には目的地とか目標とかよりも、旅に出ることそのものや自分の旅の未完成さが生む必死根性のような意気込みが大きかったのではないかと回想をしている。

未完成であるが故に自分で何かを作り上げてゆこう、乗り越えてゆこう、未知なるものを見にいこうというようなある種の燃えるものがあった。

雲の動きはわからない。その日の天気の予測などあてにはならない。今のようにレーダー情報などない。宿の当てはない。ケータイも持たない。衣食住に纏わる道具は半分手作りのようなもので、お金を掛けて手に入れているわけではなく、決して便利で充実していたとも言えない。

しかしそれは当たり前のことだったし、もっと便利を望んだのだろうが、そんな不満のようなものやそこで生まれる向上心を胸の片隅に抱きながらの旅であった。

もしも充分に時間や金や情報があり、旅の予定が完璧に立てられ、安心が保証され、快適さが提供されていたら、ぼくは旅人を続けていただろうかと思うことがある。

🍀

小満のころは、旅の支度をしていた。

新婚旅行の二人旅に出かけたきり列車を使った旅を二人ですることはもしかしたらなかったかもしれないと気づき、なるほどと思うと同時に驚きも襲ってきた。

バイクで旅をする。そのあと子供が生まれて車で旅をした。

二人で出かけたことなどなかったのだった。あれから30年以上が過ぎていた。

そんなことを思いながら、むかしの旅のスタイルや情熱を蘇らせていた。

同じような旅のスタイルである必要は何もないし、気持ちにしても大きく違ってきてもいいだろう。

新しい時代のステージでは新しく思いついた新鮮な気持ちで旅に出よう。そんなことを考えていたのだった。

🍀

「広島・尾道 デジタルスケッチ」の日記のあとがきに

予習不足でしたが、ゆとりのあるときにもう一度散策をしてみたいです
旅に出るしたくをしなくてならない
けれどもなかなか捗らない

どうしてなのかを考えながら、そんな理由などはどうでも良くなってきて、むかしの旅は家を飛び出すときに勢いがあったたことなどを思い出していました

今回の旅は、新婚時代以来の列車旅でしたので、待ち遠しい日を何日も楽しみました

中身が濃い旅にするよりも、旅自体が楽しければそれでいいのだと思い直して、食べることとメジャーなスポットに重点をおきました

二日目には雨に降られましたが、なんとか乗り切りました

と書いた。

🍀

冒頭でも

無作為に撮り続けたカメラのデータを
するっと棄てられないだけかもしれません

デジタル機器が一般的になって
高機能な素子が普及して
身近なもののなかから
価値あるものとそうでないものの区別が消えかかっている

そういう区別からさらに一歩も二歩も踏み込んで
価値であるとか本質というものを
見つめる姿勢を世の中の多くは失っている

それは放棄してしまうことよりも
怖いのかもしれない

と書いた。

🍀

しかし
ぼくたちにできることは
この心意気を受け継ぐことなのだと
切実に思うのです

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中