「いつ死んでも後悔するように生きる」その姿を考える ─ 立夏篇 【裏窓から】

ぼくは小林麻央さんという方は知らない
有名な方だということは知っているが、世の中がこれほどまでに(必要以上に)騒ぐのを見てるとある種の怒りもなくはない
子どもを残して若くして先立つことの悔しさを想像する

世の中の大勢の人が(どんなときでも)「後悔しないように生きて行こう」と考えるだろう
しかしそのことは、一つの無責任の姿ではないかと問いかける

どんな形であれ死別というときが来てしまったときに「後悔する」生き方を提起されれば、いささかの厳しさも感じるだろう、迷いも生じてくるだろう

だが、後悔をするほど必死になってやり遂げねばならない方向性や着地点に向かい精一杯生きることが大切だという

それゆえ、厳しい書き方だが、冷たくはないとも思うし、「後悔する生き方を選ぶ姿勢」を提起されて襟を正す思いになっているのだ

🍀

小林麻央さんは無念であっただろう
34歳で、子どもたちも小さい
そのことを思うと無念である

本当に彼女が心から叫びたかったことはなんだったのだろうか
メディアはきちんと伝えたのか
不安も残る中、死と向き合う哲学というものを今一度考えて、自問してみる必然性を感じたのだった


中山祐次郎という外科医のかたをご存知であろうか。

幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと 若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日  (幻冬舎新書)

という本を書いている。先生の記事は新聞などでも時々見かけるので、出来事を調べれば思いつく人もあろう。著書の中に「人は生きたように死んでいく」という章がある。

一生涯をかけて誰も愛してこなかった人、誰にも本気で尽くしてこなかったひと。そういう人は残念ながら誰からも付き添われず、病院のベッドでひっそりと淋しい最期を迎えます。
それとは対照的に、たくさんの人を愛して、たくさんの人を慈しみ、お世話をした人の最期とはどんなものか。

と書いている。

中山祐次郎 幸せな死のために
中山祐次郎 幸せな死のために

後半で「いつ死んでも後悔するように生きる」として

今、中断したら後悔するでしょうか。しないでしょうか。
もし後悔しないとしたら、それはどこかで本気ではないのではないかと思います。
後も先も考えず、今目の前にあるミッションに対して、目いっぱい熱狂して夢中で取り組んでいたら、それが中断したら無念で無念でならないはずなんです。いのちがけでやっていたら、無念で仕方ないはずです。

🍀

つまりはタイトルの通りで
「いつ死んでも後悔するように生きる」ことが人として生きてゆくひとつの姿ではないかと提起している。


中山祐次郎 幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと
若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日
(幻冬社新書)

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