「あとがき」から 15日号 

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巻頭言

9月7日は二十四節気の「白露」でした。

俳句を愉しむテレビ番組の影響でしょうか、暮らしのなかで季節を感じるひとときを言葉で味わおうという俳句人がジリジリ増えているような気がします。

手紙を書く習慣や文化がそこはかとなしに廃れようとしていっても、日本人の脳は時候の挨拶の作法を忘れたくはないのかもしれないな、と僅かながら歓びを感じます。

白露や茨の刺にひとつづゝ 与謝蕪村

この季節に蕪村だったらどんなふうに詠むのだろうと想像しながら歳時記の本をパラパラとめくるとこんな句に出会いました。

芭蕉と蕪村、二人の句にはそれぞれの味わいがありますが、夏色が微かに残っている初秋なので、芭蕉よりも蕪村のほうが何か気持ちに響くものがありそうだと期待をしました。

引っ張ってきたこの句は、蕪村が放つ絵画的イメージをきりっと表した優しく深みのある句に思えます。

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■ あとがき

お盆過ぎころから朝になると我が家の付近でとても奇麗な声で囀る鳥がいることに気づきました。

「ちちい、ぴゅるるる…」と二三度繰り返して鳴くのですが、物陰に隠れて姿は見えず、探している間にやがてどこかへ飛んでいってしまいます。

環境学習情報センターの木村さんに、今ごろの時節に急に家の軒先に現れて早朝に奇麗な声で囀る小鳥がいるのだが、名前の見当は付きませんか、と質問をしました。

すると、声を録音するか姿の写真を撮るなどしてください、と返事をもらいました。

残念ながら、小鳥を追いかけるカメラや録音機を持っていないので、早々に諦めてしまいました。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」 この歌は立秋のころに詠んだものでしょうが、「風」ならぬ「小鳥の声」に季節の変化を感じながら毎朝を迎えています。

さて、おおかた記事を書き終わってふっと気がついたのですが、七十二候・第四十四候(9月13日~17日)が「鶺鴒鳴」(せきれいなく)と暦に書いてあります。

そうか、あの鳥の声の正体は、鶺鴒(セキレイ)だったのでしょうか。

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