あれが最期 大寒篇 (裏窓から)

あれが最期 大寒篇 (裏窓から)

平成10年(1998年)
1月の暦を調べると20日が大寒です
そして21日が母の誕生日で67歳を迎えて
22日に父が亡くなります
父は66歳でした
3月20日で67歳になるはずだった

気象記録データを調べると
市内の観測所で測定した最低気温が
22日に2.3℃、23日に3.0℃、24日2.6℃
となっている

とても寒い北風が吹き荒れ
葬儀の時にも寒さが容赦無く襲い掛かり
私はそのあと2週間ほど激しい風邪ひきと前例にない声枯れに襲われたと記憶している
私の弟も(あれから20年たち)86歳になる母も
あのときのことや葬儀のこと、そのあとのことを話すと一致して同じことを言う

しかし、気象データは2℃以上あって、二、三日前の寒波よりも温たいことになる
記憶がいい加減で曖昧なのか、色褪せるのか、それとも人が死んでしまうようなことがあると身体がまた違った反応を示すのか
私の父は数年来に経験がないほどの寒い日であった1月22日の正午前に亡くなったと大勢が記憶している
そんな記憶があるのだということは事実である

その1週間ほど前から周りの人はそろそろを覚悟したり、まさかまだやろうという感触を持ってみたりしていたそうだ
本人はふだん通りの日常を過ごしていたのだろうと思う

車で1時間ほどに住む私のところには何の連絡もないし心配事を伝える電話もなかった
私の方も別段に憂うことも心当たりもないので、冬が終わって春が来て、きっとのらりくらりといつまでもこのままでいてくれるだろうと考えていたのだった
のちに私は自分の日記にあの頃の様子を母が話してくれたのを書き残している

近づくところ

「なあ、うちのお父さんが逝くときには、どんなふうやった?」
「そうやなぁー」

と母は目を細めて話し始めた。
高血圧で、脳みその中のあちらこちらで血が滲んでいたのだろうか。

「その日の二三日前には既に意識がぼーっとしてたなあ。ビールが飲みたいと言うので、こんな状態で飲ましてはならんと思い、お茶をやったら、『ビールと違うやないか、まずいなあ』と言うてやったわ」

「どこかが痛かったとか、そういうことはなかったのか」

と尋ねると

「そんなに苦しがることはなかったな。布団に入ってスースーと眠っていて、(父の実姉と三人で布団に入って)向こうから姉さんが身体を暖めて、わたしがこちらから暖めていたんやけど……姉さんが『なあ、仁(じん:父の名前)、冷たくなっていくわ。あかんな、もう』と言うて……あれが最期や」

🍀

さすがにここまで書いて
私もペンが揺れるわ

少し休憩

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