さよならとふる手を濡らす春の雨 - 啓蟄篇 (裏窓から)

雨水が過ぎて啓蟄へと日々が刻まれてゆく

その間にオオツカ先輩に会いに行き若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」を読み
ひな祭りのあくる日に生まれて一度もひな祭りをしたことないかもしれない母を訪ねてゆく

カンレキの父にも母にも何もしなかったわたしなのにムスメが何かというので万年筆をと答えた

三年前から産休に入って二人目も続けて生まれたのでまだあと一年余りは仕事に復帰しないだろう そろそろ働きに出ねば家計運営も揺らぐかもしれないのに

🌱

三月になって周期的に天気が崩れるようになり、まさに三寒四温の日々が訪れた

雨あがりの石畳の坂道をゆっくりと行き来しながら時間を待ったある時代が無性に懐かしい

センチメンタルでノスタルジーに満ちた感慨がある一方には自分に言い聞かせるようにあのころの自信に満ちた姿を回想するぼくがいる

若いときは確実性など重要視せずに、質量がもたらすエネルギー量よりも速度によって生み出されるエネルギーを、最上の美しさのように捉えていたのだ

ヒトは、そういう刹那を「がむしゃら」とか「ハングリー」などという形容詞をかりて褒めてみたり貶してみたりする

それも四十歳すぎのころまでのことであろう

その年齢を超えたら 誰も何も言わなくなってきて

叱らない、笑わない、褒めない、貶さない、蔑まない、罵らない、咎めない

大声で注意もしない


🍀 雨が好きと嘯いている水たまり
🍀 やれやれと春を迎える支度して
🍀 さよならとふる手を濡らす春の雨
🍀 あなたとはここで別れる春の雨

三月を迎えています
卒業の季節です
初旬には高等学校、下旬に大学の卒業式でありましょう

卒業という言葉からは人それぞれの思い出が蘇ります

その時期に間違いなくあった節目や転機の重大な意味を数十年後になってようやく気づくこともあります

自分の活躍するステージを大きく変化させる人があれば、一方で同じステージで勢いよく加速をする人もありましょう

わたしの年令ではステージを降りる人もたくさんあります
そしてまったく新しい世界を探し始める人もあります

こんな季節が偶然に春であったのかそれとも春であるから大きな節目が合うのか

この季節の時空を「サクラサク」という電報が飛び交ったのは今や伝説的なものになりました

しかし、いつの時代になっても、ヒトの心は咲く花や散る花に息吹を吹き込まれて新しい形へと感化され続けるのだろうと思います

花といえば、井伏鱒二の「コノサカヅキヲ受ケテクレ」訳詩であるとか、世阿弥の花伝書(風姿花伝)「初心忘るべからず」の言葉について触れたことがありました

歴史に残る言葉や教えの数々には表面的なものだけではなく奥深くにまで真意が及ぶものも多く、昨今、軽薄と危惧される現代人が誤って理解して都合よく伝えを塗り替えかねないのが心配ですが

🌱

卒業の季節
身のまわりに生じた変化に乗って頭をリセットして、少し「哲学的」に色々と考えてみようかな、と思う

卒業のことであれこれと思い浮かびます

もう四十年ほどむかしのことで、記憶は曖昧です
そんな「遙か」と形容をしてもいいくらいの年月が過ぎました

このごろはそれを「遥か」と書くか「僅か」とするか思案することが多くなりました
その真意をわかってもらえる人は「僅か」かもしれません


わはく(秘)伝

 

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