平成最後の師走を迎えている ─ 冬至篇 (裏窓から)

足跡(犬) 平成三十年師走

平成最後の師走を迎えている

その時刻を刻む時計が近ごろになってコツコツと音を立て始めたようにも思えそんな魔術のようなことはないのだからとひとりごちて暦を見る

社会がお決まりのように騒ぎ立てている
はたしてそんなに大勢がこのささやかな時刻の一瞬を凝視しようとしているのだろうか

あっと言う間にまさに表裏が入れ替わるように
そして何事もなかったかのように年は暮れてしまう

まるで戸板返しのように私は別人になって
新しい年を迎えるだろうか

メディアがチヤホヤするのとは裏腹に
静かに確実に数に限りがある人生の終盤の正月をいかに過ごそうかとお考えの方々も多かろう

新しい年を迎えて
新しいステージに装いを改めて

幕が降りて再び上がった歓びを
しっかりと平成最後のこのひとときに刻んでおこうと
熱く拳を握りしめている人もあるだろう

これまでに数々の失意に遭いどん底に引き摺り下ろされながらも
こうして生きてきた自分の足跡を振り返ると

あれほどまでに憎しみや恨みをこらえて
許しがたい憎悪を噛み殺さねばならなかった一つの時代のことを
もはや諦めでもなく寛容でもない心で忘れようとしている自分がいて

足跡とはいとも儚くあるのだと振り返る
しかしながら
その消えてしまいそうな楔に手と足を掛けて
第四幕まで辿り着いた

第三幕は弁当幕だったのだ

芽

昭和が役目を終えて平成に変わるころに
子どもが生まれて
自分は子どもに育ててもらってきたのだと思うことも多い
平成を振り返ると必ずそう思う

幸運なことなのかもしれないとありがたみを感じながら
この平成の中に第二幕と第三幕を立て続けにおけたことが
私のこの上ない幸運であり幸せであったのかもしれない

足跡(犬) 断捨離

十二月のある日
仕事帰りのNHKラジオで
断捨離をテーマにバラエティーが進行していた

棄てること

大学の一般教養である先生が「棄てる」とは紙くずを丸めてゴミ箱に入れるようなことをいうのだ・・・みたいな話をされて

それ以来、その本論外の言葉が私の人生のサイドをずっと並走している
丹羽先生の揮毫にあった「失意泰然」という六然からの言葉とともに私の座右にあり続けたのだ

その棄てるという言葉をいとも簡単に断捨離のなかに紛れ込ませているところが現代の軽々しさでありある意味では知性であり聡明さでもあろう

棄ててはいけない
と私は考える

あらゆるものは棄ててはいけない
(わが家の蔵から出てきた昭和初期のころの古文書も棄てられずに県立博物館に寄贈したし)

では、いつ棄てるのか
消えるまで待てばいい

足跡(犬) おかあちゃん

母のことをおかあちゃんと呼んだ子どものころを回想している投書を読んでいた
そうやなあ 子どものころはおかあちゃ おとうちゃんと呼んだものだ

いつの時代からおかあさんと呼ぶようになったのか

🌱

そういえば
うちのまごっち
「ねえママはどの人?」
とあるお店で聞かれて
ママ は使わない言葉なので
まんま??~
と困っていたので
「お母さんはこの人やな」
とフォローされてました

私のことはちゃんと
じいちゃん
と呼んでくれます

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中