鶴さんの物語(リメイク)

鶴さん  [まえがき]

【はじめに】

この物語は
「出会いの風景(1)、(2)」
「別れの風景(1)、(2)」という
四篇の短い回想記を
思いうかべながら
書き始めたのでした

第26話 第27話 第28話 第31話
で出てきます

【動機】

四つの哀しい場面を思い出して
今は絶望的にも会えなくなった人のことを
ひとりでカウンターにでも腰掛けて
誰かに聞いてもらうようなかんじで
おもしろくもない話であっても
少しばかりの酔い加減で耳を傾けてもらえば
もしかしたら頷いてもらえて
続きも聞いてもらえそうにお話ができるかも
と思って書き始めています

【鶴さん】

鶴さんという呼び名は
その人の名前が「千鶴子」さんというところからいただきました

北海道で出会って
東京で四年後に再会して
二年たって別れてしまう
そのあと一度だけ京都に来た
それから
彼女の生まれた福島県郡山市の家を訪ねて
お母さんとお兄さんさんとも会って
東北を旅してその旅の帰りに
郡山市に寄って一目会って
それきり会えないままの人です


どうして「居酒屋・鶴さん」なの? [第1話]

— どうして「居酒屋・鶴さん」なの?

— いや、別に意味はないのよ。何となく鶴さんという居酒屋があって、そこにホッとひと息つきに立ち寄れたらいいのになーって思っただけよ。

居酒屋に立ち寄って、取り留めの無い話などを、気のおけない人と交わしたことなど、この10年ほどの間に1度か2度程度じゃないだろうか。居酒屋だけではなく、広義でいう飲み屋さんで酒を飲むということさえ数回も無い。

時には、活気のあるカウンターなどで店の雰囲気に酔いしれながら、思い切り多弁になってみたいものだ。

昔 といっても相当昔のことで、私が大学でノロノロしている間にお先に卒業して銀座で働き始めた千鶴子さんに、何度も何度もご馳走になったもんだな。夕方、そそくさと研究室を抜け出す私に、メンバーの奴らのひとりが、「おぅ、また千羽鶴さんのところに行くのかぃ?」と言ってたな。

—- そうだよ、アレから何年後に彼女とは別れ別れになってしまって、今では何処に住んでいるかも分からない。関西の人と結婚するかもしれない…というようなこと をちらりと話したことはあったけど。夢の中ででもいいから逢いたい子なんだけどね。居酒屋・鶴さんに行けば会えそうな気がしてね。

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ふたりでドアを閉めて [第2話]

—- ここでお別れね。あなたはきっと立派になれるわ。信じてる。

北陸方面への特急列車がホームに入ってくるなかで、
その子はそれを言うだけが精一杯だったのだろう。
黄金週間が終わる京都駅は人人人で、ごった返していた。

私は、米原に発つというその子を見送るために、居た。

朝から目まぐるしく時間が過ぎた。
車のラッシュでまったく時間通りに来ないバス。
待たせたまま何十分もの時間が過ぎても私は京都駅に迎えに着けなかった。
それでも、私が必ず来ると待ち続けたあの人。

東京で新幹線に乗り込むのを見送ってくれた。
あの別れから僅か1ヶ月半の時間が過ぎただけなのに、
もう何年も会わなかったかのような錯覚におちいっている。

— 待たせたね
と言い出したのか。それさえも記憶に遠い。

— ううん、きっと来ると信じてたし
と答えたのかどうか。

何処をどのように連れまわしたのだろう。

返したくない。このまま京都の私の部屋に誘拐してしまいたい。
そんな強烈な衝動を何度も抑えながら1日を過ごした。

あの子はあれから何処に行って、どうなってしまったのだろう。
記憶の中で、時計は止まったままだ。

心の中からも名前は消えて
その時心は何かを

無言になるのだろうか


翼をください [第3話]

遠く離れて4年間も再会をすることなく過ごした。
何度、あなたに逢いに行きたいと思ったことか。
でも、想像を絶する貧乏学生だった私にはあなたに逢いに行くお金が無かった。
せっせと毎夜毎夜、手紙を書いてポストに入れることが精一杯だった。

あなたは遠くに居て私を酔わせてしまうような人だった。
私は魔法の薬を飲まされたように、
そばにも居ないあなたのことを思い酔うのでした。

もしも神様が私の背中に翼を授けてくださったなら
いや
それでも私はあなたのところへと飛んでゆく勇気を持ちえたのかどうか。

叶うはずのない翼を欲しがっているだけで、
実は飛ぶ勇気を持っていなかったかもしれない私。

あこがれだけで、空を飛ぶ夢を見続けたのでした。

今、願いごとが叶うなら・・・・


二人して流星になる [第4話]

美濃から飛騨へ、
そして信州を抜けて、六十里越をひたすら走り、
福島県郡山方向を目指した。

奥只見付近で日が暮れた。
大きなダムのすぐ下流にある鄙びた村だった。
ダムから谷底の村へと下降しながら村の明かりが見えた記憶は無いが
私の心は、これから再会するその子と共にあった。

何故に遠くまで来てしまったのだろうという後悔や自省の念はまったく無かった。

磐梯山を仰ぎ見ながら猪苗代湖畔を駆けてゆく自分の姿を夢に描きながら、
鄙びた村の片隅で夜空を見上げてビールを飲んだのを記憶している。

星が瞬きだす
私たちは大空を彷徨う流星なのかもしれない


京都の秋の夕暮れは  [第5話]

手元に1枚の書きさらしの手紙がある。万年筆のインクが日に焼けてかすれはじめて、便箋も染みだらけになっていた。

加川良は語りかける。さらに、詩は続く。

♪ 京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで 丘の上の下宿屋は いつも震えていました

そうか、もう、コートなしでは寒いだろうな、そんな季節になったのか。

私は便箋を手にとって過去を探るように滲んだ字を見つめている。ひどい文章だけど、二十歳過ぎってこんなものよね。たぶんボツとなった手紙だろう。棄てるのもナンだしメモっておこうか。

鶴さんへ
木枯らしがこの冬初めて吹いた今日は、
アナタはどこでどう過ごされたんでしょうか?
元気な様子ですね。
3 回風邪をひくと冬になり3回風邪をひくと春になる、
なんて言いますが、まだまだ春は遠いようでも・・・・
と書きたくなる。
28日土曜日
午後、早々に部屋に辿り着いたら、
速達届いてました。
大変嬉しゅうございました。
ほんとに泣いたんです。
私って本当に泣き虫なんですね。
布団に横になっても滲むようにあふれてくる。
それに感情が乗っかっておいおいと声を上げて泣いている。
毛布をかぶってみても、悲しいものは本当に悲しいのだから・・・・
今だからこういうふうに笑いながら書いているけど、
僕にはどうしようもできないんだと思うと、悔しかった。

彼女は福島県郡山市のほうで仕事が見つかったんだ。
冬を都会で過ごして、私は京都に。彼女は福島県へと別れてしまうことになるのでした。


終バスを見送る二人のあかね空  [第6話]

1977年夏の北海道でした。

積丹半島の終点のバス停でひとりの女の子に出会った。

とても素敵な子でバス停前の売店でバイトをしてるその子に私は一目惚れ。

最終バスが出てもなおも彼女と話し続けます。
日が暮れた半島をヒッチハイクで小樽まで帰って、でもどうしてももう一度逢いたい。そう思って…。

それから4年後の夏、東京・高田馬場の駅前で再会します。

長いドラマがありました。
でも壮絶な失恋劇の始まりでもあったのです。(続く)

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ときめきを胸に夜汽車は北へゆく [第7話]

ヒッチハイクをしながらやっと小樽駅まで辿り着いた。陽光はすっかり暮れていた。

さて彼女をもっと知りたいと思案に暮れた私は、葉書を一枚買って出そうと決めた。

「北海道中央バス余別終点の売店でバイトをしていた女の子様へ」と宛名に書きポストに投函した。

行くあてのないさすらいの旅。金もないしこの日の宿のあてもない。そのまま夜汽車に乗って最果ての街、稚内まで揺られることにした。

2週間あまりの旅が始まる。

(続)

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手紙の投函は意外とあっさりと忘れて私の旅は続いた。

釧路の大地を走るディーゼルカーの中で相席になった女子高生に「○◇△大学ですか?プロポーズ大作戦に出して!別海町の小林商店です、1軒だけだから」と言われたこともあった。ヒッチハイクの旅はスリルに満ちた必死の旅だった。

しかしある日急に私を寂寥感が襲った。「あの漁村にもう一度」という想いがありながら、私は夜汽車で大地を離れる。

もう逢えないだろうな…(続)


旅の思い出はどっしりと重く、早朝、夜行列車は上野駅に着きました。衣類は汚れ、髪はボサボサ、新調したズック靴はボロボロでした。これが貧乏旅の象徴でした。

半月ぶりに我が家に戻り玄関をあけたら1通の手紙が置いてありました。4年間でダンボール箱一杯になった手紙の第1通目でした。

このあと、一度も北海道を訪れず、4年という歳月を経て東京で再会を果たします。そして、つらい別れ…。

続く


ダイアルの音が余韻に消える夜 [第10話]

4年の歳月が過ぎようとする初夏のころ、春以来便りが途絶えていた彼女から手紙が届いた。消印は草加市だったので東京で働いているんだとわかったのです。

4年間を手紙だけで過ごした私にとって会える距離にいながら会えないのはこの上ない苦痛です。名字が珍しかったので何とか探し出せる気がして、すべてを番号案内で聞き出し、深夜にもかかわらず片っ端から電話をし「○○さんですか?」と聞く。

心臓が破裂しそうでした。

続く。


4年ぶりでした。その間に一度も電話はかけず逢いにも行かなかった。

部屋の片隅にある段ボール箱には手紙がいっぱい詰まっています。
貧乏学生なので夜汽車にさえ乗ることもできず逢いたい気持ちを胸に日々手紙を綴った。

まさか手が届く所にその人がいるなんて…。

光陰を形にした手紙を見ながら電話の向こうにいるその人に私は話しかけたのでした。
こんなときに出てくる言葉はひとつしかない。

会いたい。絞るように私は伝えました。

つづく


ざわめきが消え行く街に星はなく [第12話]

地下鉄丸の内線で通学してましたので銀座までは乗り越しで行けました。

大人たちの雑踏に揉まれながらソニービルの前で待ちます。

約束の時刻は過ぎます。

そこに居る誰もが恋人を待ち続ける人で、しょぼい学生の私は、コツコツと音を立てて歩く大人の靴の足音の渦に巻上げられて潰されそうでした。

まだ待ちます。顔ぶれが変化してゆく中で時間は無音に過ぎる。

予感とは動物的です。ひとりの女性と視線が合って止まった。じっと動かない。

【後記】

久々続篇。

休日なので、のんびりと玄関先に出て雨の降るのを眺めておりました。山茶花の新芽やあじさいの葉、その他、雑草が雨粒に打たれています。なかなか風情があります。

遠い昔に、雨に打たれて歩いた街が懐かしくなって、重いペンを持ちました。

まだまだ、続く。62回まで。


路地裏やネオンのはてにゆく二人 [第13話]

幸せな日々はあっという間に過ぎてゆく。それはあとから思うから言えること。

あの時は月に何度かの銀座通いが楽しい日々だった。

所沢のB医大の基礎研究棟に篭もっているのが何よりも居心地がよく、風呂も冷暖房もない江古田(練馬区)の下宿へは殆ど帰らなかったような記憶がある。

丸の内線を母校の前で下りずに銀座まで乗り越して有楽町のパブで落ち合い何を語ったのか。

彼女は銀座の一流の会社人。私は臭くて汚い学生だった。

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キスもなく別れる夜に星はなく [第14話]

人ごみの中に居る私はひとりぽっちだったが決して孤独ではなかった。

雑踏の中からあなたが現れるのを信じているからだ。
銀座のオフィスから吐き出るの優良企業の女性たち。
ても同じ年頃には見えない。
でも私は恥ずかしいとは思わない。
あなたと食事をし他愛もないことを喋るだけが私の楽しみだった。

薄暗い店のテーブルを挟み、食事の味であるとか流れる音楽であるとか、あなたの服装であるとか、そんなものはどうでも良かったのだ。

私はあなたが好きだった。

(続く)

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終列車ふりむく君のあどけなさ [第20話]

あの時ほど希望に満ちていた時期は、かつて、私の歴史の中に一度もなかった。

受験の失敗、中退、落第などの遍歴を残しながらようやく辿り着いた人生の再出発点を迎えようとしていたのだから。

1982年の冬は暖かかった。電車が雪のために遅れたとか不通になったなどというような記憶はない。年が明けて防衛庁の官舎に先生を訪ねて、原稿を書き上げ電子通信学会に提出したあと、学内と防衛医大での報告会を同時進行させながら、卒業のかかった試験も済ませた(「単位をください」と書いたのでよく覚えいます)。

でも、卒業式の様子さえもほとんど残っていないほど記憶は風化している。(さらに、証拠写真も卒業証書もない。)

実は、鶴さんを書き始めてこの時期の記憶というのがほとんど無いことに気がついた。私の心はこの子を京都に連れてゆくこと、否、連れて行ってそのあとこんなふうに幸せになろうということばかりを考えていたんだろうと思う。

論文を出したころにサントリーパブでお祝いをしてもらったことがありました。銀座で会えば分かれがとても辛らかった。このままアナタのアパートまで行ってしまいたいよ、という気持ちを押し殺して私は銀座線のホームで手を振って分かれたのです。

今の私なら間違いなくこの子のあとをついてアパートまで行くだろう。あのころの私は強かったのかも知れない。

あどけない彼女の横顔が今でもストップモーションのままだ。
何処にいるんだろうか、今…

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うつむいて季節はずれの寺の道 [第15話]

そう、鎌倉に行こう!ということになった。東京駅から横須賀線に乗った。

さだまさしが縁切り寺を歌った鎌倉のイメージがあった。北鎌倉で降りて、苔むした塀を眺めながら細い坂道を下った。雨あがりの円覚寺の霧が晴れてゆく光景は、あなたと見た初めての感動だった。

いつも鶴さんと駅に降り立つと僕は甘えるように言う。

「僕たちにもやがて別れる日が来るんだね、そのとき君は僕を追いかけてくれるのだろうか」
彼女は無言だった。

久々の【鶴さん】シリーズ

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晩秋の一番星は願い星 [第16話]

実は鶴さんのことはあれだけ愛しておきながら何も知らない。
血液型や誕生日だって曖昧だ。

高校時代に合唱部だった、大学時代にバスケ部だった。
お父さんがお医者さんだったけど既に亡くなっていなかった。
それくらいか。

僕たち、

深夜に長電話をして、
月に何度か、銀座で長い夜を過ごし、
休日の早朝から鎌倉に出かけたりした
…くらい。

映画をみたり音楽を聴きに出かけたことさえ一度もない。
好きだというわけでもない。
名前で僕を呼んでくれるわけでもない。

銀座の街の中を二人で歩いた。
冬が近づいているというのに私にはお洒落をするような服もなく、いつ洗ったかさえわからないようなタートルネックとクシャクシャのトレンチコートがあっただけだ。
そのみすぼらしさについても、鶴さんは何も触れなかった。

僕の話に、
いつも相槌を打ってくれる友達だったのだ。

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木枯らしがステンドグラスを揺する夜 [第17話]

知らず知らずのうちに遠くの女性を慕い、願いが叶ってときどき逢えるようになり、そして、知らず知らずのうちに恋心を抱き、最後は悲しい別れとなるオトコの物語。もう少しで春のお別れ篇を迎えます…。

クリスマスソング。そんなものが所沢の駅前で流れていただろうか。木枯らしに吹かれながら、暮れなずむ街路を大学から駅へと駆け足で急ぎます。

12月の風は冷たかった。でも、所沢よりは銀座の方が2℃ほど暖かかったかも知れない。1着しかないセーターの上からヨレヨレのトレンチコートを羽織って、いつものように銀座まで心を弾ませながらゆきました。

「クリスマスも近いことだし、きょうはパブに行きましょうか」

ときには遠くに住む母の面影を、またあるときには一度も会うことのなかった姉のイメージを胸に抱きオーバーラップさせていたのでしょうか。寂しがる私の話をいつも笑顔で聞きながら、
「就職も決まったんだし、早く論文仕上げてよ」
と檄を飛ばしてくれた。

「お正月は東京で過ごすんだ…学会の締め切りが1月初めだし…」
「私は福島に帰るよ。昔みたいに手紙書くから」

彼女は草加市に住んでました。もしも車があれば環七を走って1時間余りかも知れない。都会というところはイジワルなところだとつくづく思ったものです。

(アナタの部屋まで押しかけて)「暖かいコタツのある部屋でゆっくりアナタと話をしていたい。」
そんな私の泣きごとを聞きながら、きっと困った顔をしていたのでしょうが、
「もうすぐ京都に行くんだから、そこではきっと夢が叶うよ」
と励まし続けてくれてたんです。

あのときのあの子の心の中には、私と同じく、二人で最後に出かけるところは鎌倉にしよう、という思いがあったのでしょう。
「私には将来を誓い合った人がいるの、だから、そのときを最後にしましょう」
とは、決して口にしなかった。

「手紙を書くから、お正月は論文を完成させてね」
子どもではなくかといって大人に成り切らないまま交わす会話。みすぼらしい貧乏学生の風体。そんなものとは裏腹に、銀座のパブは大人たちの妖しい喧騒に包まれて、空想のような艶めかしい酔いに私たち二人は浸っていったのでした。

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I Can’t Get Started・・・合唱部のこと [第18話]

♪ いま、わたしの願いごとが叶うならば…

そんなふうに、急に歌い始めて、歌が途切れたところで
「一番星は願い星、二番目は叶え星って言うのよ」
と、アイツは教えてくれた。
「私の学校は、安積女子高っていうの。私はそこの合唱部だったの。全国的にも優秀だったんだよ」

自分のことをほとんど語ろうとしないその子が自分の生い立ちを少しだけ話したことがあった。

医者であった父を幼いときに亡くしたこと。そのご先祖さんは歴史の教科書にも出てくる人物に繋がっていて、自分もその血が流れているんだと、ときどき、思うということ。
ひとり残された母のそばに自分がいてあげないといけない、と強く思っていること。

あのころの私には、オンナの心なんてこれっぽっちも理解できない間抜けなヤツだったな、と、他愛ない会話を思い出すたびに、そう思う。

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ハイヒールこつこつ響く別れまで [第19話]

私は覚悟をしている。
この人とは年が明けたらお別れなんだということを。

「兄じゃダメなの、母を看るのは私でなきゃ・・・・」
口癖のようにいつもそう言う。
そのときの目を彼女は決して私に見せなかった。

銀座のメインストリートにクリスマスソングなど流れていない。
オフィスビルからスーツ姿で吐き出される男や女。
思い思いに雑踏へとまみれてゆく。

私も彼女と並んで
腕を組むことなく
どこに急ぐわけでもなく
歩いた。

ハイヒールの靴音が脳裏に残る。

私がハイヒールが嫌いなのは
あの時の音が蘇えるからなのかもしれない。

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終列車ふりむく君のあどけなさ [第20話]

あの時ほど希望に満ちていた時期は、かつて、私の歴史の中に一度もなかった。

受験の失敗、中退、落第などの遍歴を残しながらようやく辿り着いた人生の再出発点を迎えようとしていたのだから。

1982年の冬は暖かかった。電車が雪のために遅れたとか不通になったなどというような記憶はない。年が明けて防衛庁の官舎に先生を訪ねて、原稿を書き上げ電子通信学会に提出したあと、学内と防衛医大での報告会を同時進行させながら、卒業のかかった試験も済ませた(「単位をください」と書いたのでよく覚えいます)。

でも、卒業式の様子さえもほとんど残っていないほど記憶は風化している。(さらに、証拠写真も卒業証書もない。)

実は、鶴さんを書き始めてこの時期の記憶というのがほとんど無いことに気がついた。私の心はこの子を京都に連れてゆくこと、否、連れて行ってそのあとこんなふうに幸せになろうということばかりを考えていたんだろうと思う。

論文を出したころにサントリーパブでお祝いをしてもらったことがありました。銀座で会えば分かれがとても辛らかった。このままアナタのアパートまで行ってしまいたいよ、という気持ちを押し殺して私は銀座線のホームで手を振って分かれたのです。

今の私なら間違いなくこの子のあとをついてアパートまで行くだろう。あのころの私は強かったのかも知れない。

あどけない彼女の横顔が今でもストップモーションのままだ。
何処にいるんだろうか、今…

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さよならと何度あなたに言ったやら [第21話]

本棚の奥に大学ノートが積み上げてある。
灰色の表紙が赤く日焼けしている。
「限界を走りぬけば、そこには静かさがある」
雑誌の切り抜きが表紙に貼ってあった。
中細の万年筆。ブルーブラックのインクは昔のままの色だ。

1982年(昭和57年)の1月下旬。
卒業は確定していない。
そのことは日記にはひとことも書かれてないが、次から次へと受けねばならない試験科目が連ねて書かれていることから十分にわかる。
この時期に、言ってみれば普通じゃない。

「複素解析学」の試験が終わったあと、先生に(卒業がかかっていると)お願いしに行ったくだりがある。
そのくせ、帰りにブックマートで「北の国から」を買って帰ってくる。

入学してから卒業するまで、ずっと繰り返して受けつづけた「電子回路」の試験が終わった夜に、鶴さんに電話を入れた。

一生懸命やったんだから、と彼女は言ってくれたらしい。

「明日、会いたい」
「いやだ」
そんな会話が繰り返されて、夜は更けていったのだろう。

幾日か過ぎて、2月2日。火曜日。晴れ。
夕方、鶴さんに会う。
ちょっと飲んで、
池袋で、

日記はこのあと、すべて、白紙となっている。

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ハイジのような人 [第22話]

車を飛ばせば1時間で行けるのだ、とは、1度たりとも考えたことがなかった。車なんてのは現実離れした代物だったからだろう。

電車を降りて駅前のスーパーで買い物をし、暗く寂しい路地をしょぼしょぼと帰る暮らしをしながら、この路地は同じ都会の網の目の片隅と片隅で、不思議な糸のように私たちを結んでいてくれる。その不安定さが、あるときは安心感と切なさに変化し、私たちを危なっかしく繋いでくれているのだ。漠然とそのように私は考えていた。そしてもうすぐ、自分の手で新しい生活を拓くのだという情熱に燃えた私も居た。

会いたい、と繰り返し電話で話しても、あの子は、きょうはダメ、としか答えない。そこで、電話を切らず、何かしらの話を私は続けた。何もしなくてもいい。ずっと傍にいたい。戸を開ければ声を掛けられるところ、いや、ちょっと走ればドアをノックできるところに居たいと、電話をかけながら切々と思い続けていたのだ。

彼女は電話の途中で
「ちょっと、待ってね」
と言って席をはずす。
「…」
「ねえ今、何してたの」
「お風呂のお湯を張ってるの」

四畳半とキッチンだけの生活をしている私にすれば、アパートにお風呂や、冷凍庫の付いた冷蔵庫がある暮らしはユートピアのようだった。そういう部屋で思う存分あなたと語り合うことができるならば、それ以上の甘い暮らしなど何もいらない。そう私は考えていた。

この世に別れ話なんて実在しない、あれはみんなドラマの世界の話だ。愛してしまった女の人が自分に付いて来てくれないことなど、どんな深い事情があれども有り得ない。私の今のこの気持ちがあれば必ず通じるのだ。あのころは真剣にそう考えていた。

「私がこんな贅沢な部屋にいるのは、兄が今、中国に出張中だからなのよ。私には郡山に母が居ます。私は母と暮らすのが宿命なの」

あのころ、ひとりの部屋で暗闇を見つめて考え続けることに、私は孤独を感じなかった。あの人はハイジのようにカラケラと笑った。あの声がいつも心で甦っていたのかもしれない。

濡れている姿霞める春の雨 [第23話]

無性に
鶴さんシリーズの続きを書きたくなってくる。

濡れている姿霞める春の雨    ねこ作

ああ、きょうは、冷たい雨やった。
続きを書く時間がないのは、ありがたいことなのかね。
まるで、恋心が募るようだな。。。

そう、2月20日に日記に書いている。

++

そして、

ねえ、みなさん!
雨に霞むその向こうに
いとおしい彼女が雨に濡れているんだよ。
走ってそこまで行きたいけど
もう、逢えない人なんだよ。
何と悲しい。

ねえ、キミ。失恋したことある?

なんて。ね。

そう、4日後に書いた。

++

ゆうべ、枕元にあったカレンダーの裏に
ボールペンで色々と思い出したことを書いていた。
こんなものを書いていたら眠れないぞ、と心配したけれども、眠ってしまった。

眠ってゆくときは、幸せかもしれないけど、
死んでゆく瞬間となんら変わりないのかもしれない。
そんな死に方なら幸せかもしれないと思うものの、
生き返れないのは哀しい。

「鶴さん」の続き、
また書き始めるけど
終焉が近いことで、自分に少し躊躇いがある。

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横須賀線…  [第24話]

三月になると街の装いは瞬く間に移り変わり、下宿への帰り道でちらりと横目に見るケーキ屋さんのバイトの女の子のバンダナがオレンジ色から空色になった。

鶴さんに会ったのはいつだっただろうか。試験の結果を話して元気付けられたのが最後だったかもしれない。

電話はもちろんだが、手紙もせっせと書いて、眠る前にはいつも彼女を想っている。近くにいても、会ってくれない冷たそうな人だけれど、こんど会えるときには私なりにお洒落をしてみたいなと、夢のようなことを考えながら布団に潜り込む。

あの年は雨の少ない冬だった。日記が途切れてしまっているので、詳しいことがわからないけど、どうやら三月の二十日ころに卒業式があった。

論文の発表会、京都での家探し、引っ越し。慌ただしく時間が過ぎてゆくなかで、どうやって鶴さんと連絡を取り合っていたのかさえ記憶に無い。細々とした出来事をおおむね忘れてしまっている。しかし、忘れる理由があって、私は薄々気がついている。つまり、原因は次の事件に拠るのだ。

二十日ころに卒業式を終えた。晴れていたと思う。日本武道館から母校までのらりくらりと歩いた記憶があるから。

だが、明くる日には冷たい雨が降ったように思う。だって、そんな日に僕たち二人は鎌倉へ出掛けたのです。

そう…ここでの出来事が、私の三月の記憶を、まるで大きなショックがあったかのように消してしまったらしい。いえ、きっとそうだ、と私は思うことにしている。

もう、都会にネグラを持たない私は、何処で夜を明かしたのかわからないけど、卒業式の翌朝には東京駅の横須賀線ホームに、鶴さんとふたりで並んで列車を待っていた。

第24話初出タイトル「これまでの全ての「好き」がこだまする」

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鎌倉へ・・・  [第25話]

22年前のきょう
1984年3月16日
夜が明ける直前まで
嵐のような雨が
降っていた
結婚式でした

そう、24年前のあの日も雨が降っていた。

それにしても、今までに何度、このような回想記を同じ書き出しで始めたことだろう。

春の雨は、冷たさを幾度となく私の身に染み込ませる。歳月は刻々と過ぎ、記憶を朽ち果てさせて枯れ葉のように棄ててゆく。

晴れの日、くもる日、ときには深深と雪の降る日もあった。
暮らしの中で、私の意思とはかけ離れた物の司る悲哀があり、或る日雨が降っていたとしても、この日にはこの日特有の余韻のような思い出がこびり付くように記憶に残り、私はそれを言葉にして残すことに苦心をしている。

でも、諦めよう。記憶とは、儚いものなのだ。

私の心には覚悟ができ上がっていた。

東京駅の地下ホームから、いったいどのあたりで地上に出たのだろうか、雨の中を横須賀線は鎌倉に向かって走っていた。

渋々でもない、ザーザーでもない。シトシトでもない。
列車の窓の外からは音さえも届くことなく、冷たい雨は静かに鉄路を濡らし続けていた。

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別れの風景(1)   [第26話]  (回想)

時刻は16時を回った。
最終バスが岬の先端から小樽の街に帰っていく時間だ。

「もう帰らなきゃ」

女の子はそう私に教えてくれる。しかし、私は帰りたくなかった。自分でもこれといえるような理由などなく、ただ、わがままを通したかった。だから、今夜に泊まる宿屋のことも、駅までのバスの時刻のことも気にしていないそぶりをしていた。旅に出て初めての衝動だったかも知れない。離れたくない気持ちが私のさまざまな不安を吹き飛ばしてしまっている。

女の子は続けてしゃべった。

「早くしないとバスがいっちゃうよ」

そう言ってくれても私は「ヒッチハイクで帰るから」と答えて、強引に彼女のそばを離れようとはしない。主題のある話をするわけでもない。名前を聞くわけでもない。顔をじっと見つめたわけでもない。私の体は自分の理性や抑制心を無視して、その子の発散してくる新鮮さを掴もうとしている。心の本能は体までをも支配し、私は金縛りにあったようにそのバス停にとどまっている。

こうしながら私は最終バスを見送った。小さなバスの待合い室の前の売店の女の子は、とても愛想良く私と話を続けてくれる。私が去ってしまえば私のことなどはその場限りで忘れ去ってしまうかも知れないのに。

真夏の日はまだ暮れるほどではなかったが、ひとしきり話した私は彼女と「さようなら」をした。何とかなるだろうという気持ちで、ヒッチハイクをさせたものは、私を動かした衝動であったのだろう。

止まってくれる車を幾台も代わりながら小樽に着いた時はすっかり日が暮れていた。名も知らぬ彼女に手紙を出すために私は駅の売店で葉書を買った。しかし、手がかりは何もないままだ。待合い室でひたすら思案に暮れた。

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出逢いの風景(1) [第27話] (回想)

7月初旬。街を歩くと汗が吹き出る季節だ。梅雨とはいいながら毎度のこと雨は降らず空梅雨が続いたのに、その日はジトジトと雨が降っていたような気もする。思い出からは「ありのまま」は消えて行き、そこには理想のドラマだけが残っている。そいつが「ひとり歩き」を始めてゆく時に、ほんの些細な日常が美しいラブストーリーに変わってゆく。

銀座のソニービルの前で私は女性を待ち続けた。「北海道中央バスの終点、『余別』のバス停の前の売店でアルバイトをしていた眼鏡をかけた女の子様」、と書いて手紙を出したのはそれから4年前の夏の出来事であった。北海道の旅から帰って一枚の葉書の返事が届いていた。何通の手紙を書き、またもらったことか。しかし、不思議にもその間に写真は一度も同封しなかったし電話もしなかった。顔ももう忘れている。雰囲気は美化されていた。

梅雨の頃のある日、手紙が久々に舞い込んだ。消印がS市だったのに気が付いた時は心臓がドキンドキンと音をたてるのがわかるほど高鳴った。○○という名字は珍しかったので「もしや・・・」と思った。夢中であった。消印の街や近くの街の電話番号を調べた。なり振りかまわず、迷惑も考えずに深夜に電話をした。一度しか逢ったことのない、しかもこちらから手紙を書いた女性が逢えるところに住んでいるなんてことは夢のようだった。

そんな女性にこれから逢おうというのである。「電話番号を調べるのにはほんとうに苦労したぜ、東京に就職したのならすぐに言ってくれなきゃ!」と切り出そうかなんて考えながら、ひたすら待ち続けた。「4年の歳月は永いようで短くもあった」と言ってもいいかな。ニヤニヤしていたかも知れない。

しかし、約束の時間は過ぎた。待ち合わせをする人の波の中でさりげない振りをして女性を待ち続けた。ひとり、またひとりと待つ人が消え、新たに待つ人が立ち止まる。幾人の笑顔を尻目に見たことか。時間はまだまだ過ぎていく。貧乏学生が銀座のOLに逢おうと言うのである。これがそもそもの間違いか。遠巻きに私を見て消えたのか。銀座の街の雑踏は重苦しく、何の面白味もない。

人の予感とは動物的である。ひとりの女性と視線が合って止まった。じっと動かない。街のざわめきが消えていく。私の脳は存在しない記憶を拠り所なく探し続け、時は秒読みで過ぎる。再会の瞬間であった。

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出逢いの風景(2)  [第28話] (回想)

〔誕生日編〕  フィクション

「雨の銀座」という歌があれば「雨に唄えば」などという歌もある。雨を想い恋を語ってみたり失恋を懐かしんでみたりできるのも、この冷たい秋雨のなせることかも知れない。いやはや雨に敏感に生きてきていることの証なのだろうな、と思いながら池袋駅で丸の内線に乗り換えるのを急いだ。地下鉄の窓ガラスには雨は当たらないのが普通だけれど、丸の内線は後楽園を通るあたりで地上に出るから池袋に入ってくる車両は濡れている。鼻歌が自然に出てくる。「辛子色のシャツ追いかけて飛び乗った電車の・・・」と口づさみながら後楽園の脇を通り過ぎる車のライトを見ている。その残光が眼に焼き付いて離れない。

銀座の駅に電車が入るとどっと人が降り、また人が乗ってくる。有楽町のソニービルに向かって歩いて行くけれど、傘や肩がぶつかって歩きにくい。約束の時間はもうすぐなのにわざと急がないで歩いてあいつを困らせようかなどと考えているのは、自分が小悪魔ではなくあいつが浮気な奴だからなんだと言い訳をぶつぶついいながら、きょうは誰とのデートの後なのと聞いてやろうかとも思っている。

小降りの雨。「もうコートなしでは寒いかな」という台詞を思いついてみては小さな声で言ってみる。ネオンが明るい。その残光が眼に焼き付いて離れない。山の手線が通るのが遠くに見える。ひとりで部屋で手紙を書くときは寂しいけれど孤独じゃあない、なんていうラブレターを書いてみたいな。都会の中に一人でいるととめどなく孤独を感じるが今は寂しさは感じないと言ってみたいな。あいつは待っているかな。

ソニービルの前のにぎやかな一角を避けてビル裏にはいると、ステンドグラスのきれいな小さなコーヒー屋さんがあった。あいつはそこで待っているはずだ。きょうは24歳の誕生日。カランコロンと鈴が鳴るドアを開けて店にはいると一人の女性がこっちを見て笑っている。「キリマンジャロください」と言って座った私は片思いのこの女性をじっと見つめることしかできない。

「もし雨があがっていたらいいところに行きましょうね」、そう言って笑うえくぼが私をまた恋の虜(とりこ)にして行ってしまう。ステンドグラス越しに街を歩く人は傘をさしていないのがわかる。ネオンが光る。その残光が眼に焼き付いて離れない。

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はじめての、雨の鎌倉 [第29話]

鎌倉が近づくにつれ周辺の座席には観光らしい人々が目立つようになってくる。でも、そんな人々のことなどは気にかけることもなく、私は彼女に話し続けていたのだろう。そのお話は、きっと、初めて出会ったときのことではなく、私がこれからどのように生きてゆくのかという夢物語だったのでしょうか。
あのときの私は、とにかく、彼女を京都に連れて行ってしまいたいということだけを考えつづけていました。何故なら、私には過去を振り返る必要など、これっぽちもなく、描けるものは二人が歩む未来しかなかったのだから。

列車は、新川崎、横浜、大船、、、、、今となっては微かにしかその名を思い起こせない駅に止まり、まもなく北鎌倉へと到着した。

私の乗った舟と、あなたの乗った舟が、ある日あるとき、ばったりと出会いました。
あなたの視線が、そう、あのときは優しかったのに、今はどうしてこんなに破滅的に見えるの?
ワイシャツのボタンを掛け違えて戸惑っていた私を、黙って見つめて笑っていた、あのときの瞳が懐かしい。
ひとつひとつボタンを外し、襟をつまんで正してくれて、ふっと大きく息を吸い、ふざけて敬礼のポーズをとってくれました。
泣き笑い。もらい泣き。乱れるように…。

まだ泣かない、そう決めたのに、約束を果たせなかった。

改札を抜けて、ピンクの傘を開いた彼女が、お姉さんのように笑いかける。
「はじめての、雨の鎌倉よ。私たち」

(続く)

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約束  [第30話]

「泣かない約束などしていませんでした。だから、ボクはキミの前で泣いても仕方がないよね」
そう私は何度も何度も言ったのだろうか。そして、どうしても連れて帰りたいのだ、と言って私は駄々をこねていたに違いない。あの子はそれをどうやって宥めていたのか、私の記憶に残るはずもなく、お姉さんのように優しく、ときには厳しく私を叱っていたのだろう。

「しっかりしなさい。男の子なんだから」
きっと、そう、言っていたに違いない。

【鶴さん】というこのお話を書き始めたときから、私の頭の中にはひとつのシーンがありました。

都会の高層ビル。…つまりそれは私にとって新宿のビル群でした。二十数年の歳月のうちに都心の風景も変わってゆくということはTVのニュースなどを見ていればわかります。しかし、仕事でときどき東京に足を運び、列車の窓から見る街の様子は、名前が東京というだけで、もはや私の知っている東京とは別のものとなっているようでした。

いまさら東京に戻るつもりはないし、そういう街で暮らしたいと思うこともない。それは、東京という街を否定しているのではなく、あの時代に生きてきて、私という人物の骨身となった一部がこの都会で熟成されているときに、多かれ少なかれ私に刺激をくれた街の面影を、今の体の中で大事に持ちつづけたいと思うのだろう。

講義の合間に散策に出かけた神保町。クラブのランニングで大声を上げて走った北の丸公園。神田川を下る船を見ながら欄干に凭れて青春論について1時間も2時間も話した午後。ちょうど今の季節なら、見事な桜を咲かせた千鳥が淵。私の記憶の中にあるものは簡単には消せない。でもきっとそのうち消えてしまうのだ。

鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居の色も、雨の参道も、あのときの春の香りも、…すべては儚いものなのだ。

一日中、やむことがなかった雨を私は決して恨んだりはしなかった。東京を離れるのにふさわしい贈り物だったのかも知れない。

(続く)

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別れの風景(2)  [第31話]

雨が降っている。雨が窓に打ちつける。私は、外の景色をじっと見ている。黙ってその私を見ている鶴さんは、黙っていても始まらないので何かを話しかけるが、私はただ過ぎ行く景色を見ながらこれから再訪する鎌倉の街を思い出している。少しずつ悲しみが突き上げてくる。

景色は過ぎる・・・・。

過ぎる駅・・・・。

駅。

北鎌倉駅を降りたときから雨は降っていた。

鶴岡八幡宮で傘をさして写真を撮った。ピンクの傘の色が反射して頬までもピンクにしている。ファインダーをのぞく私は、鶴さんの放つ雰囲気に引き込まれシャッターを押すのを忘れてしまっている。鶴さんはじっとうつむき加減にひとつの点を見つめている。雨のしぶきが足にかかる。まだ少し寒い。傘を持つ手が冷たい。

東京に帰る横須賀線。電車の中で、向かい合わせに座って写真を撮り続けている。4人がけのボックス席で二人、悲しみなどは忘れて恋人同志のようにはしゃぎ回ってみたり、顔をじっと見つめ合って静かになったりの繰り返しをしている。たった今、鎌倉駅の前の喫茶店で「キミを置いて京都に行くなんてのは嫌だ!」と駄々をこねて、周りの人にクスクスと笑われたばかりなのに。「鳴いたカラスがもう笑ろた」とはこのことみたいだ。

東京を去る日の午後くらいは、今まで歩いた銀座の街を肩を組んで歩いてみたいと思った。小樽以来に4年ぶりの再会をした銀座のソニービルのテレビの前にも寄った。有楽町の街にはいつもながら人があふれている。ひとつビルを裏に入ると、とても粋なコーヒー屋があった。いつも行く洋風居酒屋(パブ)とは違って「僕はキリマンジャロ」なんていって、気取っている。

新幹線がホームに滑り込んできた。鶴さんの、にっこりとして話すときのえくぼがかわいい。
「いよいよね」
「これだけ言っても京都には一緒に来れないのかい?」
「うん・・・」
「・・・・・・」
「もういかなきゃ、あなたは京都で偉くなってね」

人の動きが止まった。ベルがなる。私は座席に急いで荷物を置いてホームを見た。鶴さんは小さく手を振ってくれている。列車の扉が閉まった。私は、じっと彼女を見つめている。そうするしかない。
滑るように少しずつ列車は動き始めた。

その時突然、彼女はうしろに振り返ってしまった。彼女の顔が見えなって、その姿さえ追う間も与えてくれずに、列車は一気に加速をしてゆく。私は身動きもとれないままだった。新宿のビルの明かりが雨で霞んで見える。街は相変わらず無表情だった。

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桜の花の散る四月に [第32話]

雨に煙る都会のビル群とそこに点るガラスの破片のように散らばった明かりを一生忘れることなど無いだろう、と心の中で私は何度も呟いた。東京を離れる列車は闇の中をひた走り、この列車に乗って東に向かうことはもう絶対に無いのだと思うと、閉じた瞼の後ろあたりから空気が抜けて気が遠くなってゆくような錯覚が襲ってくる。

目の前が白くなる。激しく光る。赤く光る。

鎌倉であの子の顔をピンクに染めた雨傘が、瞼の裏に突き刺さるように現れ、焼きついて離れない。脳みそに突き刺さるんじゃないかとさえ思う。

時間は、私がどんな苦渋に苛まれていても、容赦なく過ぎる。

目を開ければ、そこには京都の街があり、私の住む新しい部屋があった。静かな佇まいの中にある部屋で、東京時代と比べると2倍以上の広さだった。

歳月、引き潮のように彼方に消えて、満ちるときは闇夜の夢の如し。

あの子のことはキッパリと心の奥にしまい込んで、波のように揺れた毎日は忘れよう。もう会えないし、会わないだろう。そう決め込んで、四月、新しい年度を迎え社会人としての一歩を私は踏み出していた。

桜の花は散り、その散り初めの東山を散策して、誰を偲ぶこともできない日々を過ごしながらも、私はあの子に電話を掛けようとはしなかった。

ときより、昔のように手紙を書き、ときより手紙が舞い込む日々を再び私は過ごし始めた。手紙には熱い言葉は何も書かなかった。新しい仕事のこと、京都の住み心地のこと、あの子へ、その後、元気なのかという伺い。それは、他愛の無い手紙だった。

前略。

琵琶湖疎水にピンクの花びらが浮かび、ゆっくりと流れるのを見て、あなたとは今の季節に一度も肩を並べて歩いたことがありませんでしたね。夏に出会い、そして夏に再会し、早春に別れてきた私たちに、同じ春を感じた一瞬はなかったんですね。京都には御室という桜の綺麗な古刹があります。会社の名前もこれに因んでいるんですよ。・・・・。

手紙はそんな調子で綴られていたのだろう。

つづく

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五月、京都で… [第33話]

郵便屋さんがバイクで通りかかるたびにポストが気にかかる日々を過ごしている私に1通の手紙が届いたのは四月の下旬だった。

「五月のお休みに大阪の方に行きます。友だちに会うためです」
たぶんそんなことが簡潔に書かれていたはずだ。そのころの手紙は全て処分をしたし、記憶も微かになっているものの、私は会えないはずのその人にひと目会えるということで跳び上がるように喜んだのは紛れもないことだった。

彼女のいう「友だち」とは、学生時代から思いを寄せている人だった。彼女がくれるそれまでの手紙や電話で、願いは叶わぬものだが心に秘めた人があるという話を何度か聞かされていた。つまり、私はそれを知って、彼女を奪い取ろうと必死になっていたともいえようか。

そんなことはどうだって構わない。あの人は叶わない人でもいい。もう1回だけ会えるなら会いたい。私が京都を案内しよう。花の咲く古刹の庭で、言い残したことのすべてを話してこよう。

私もひと月と少しの間に、少し大人になっていた。冷静というには少し私が可哀相だったが。

そんなわけで、5月になったばかりの休日に彼女を京都駅で迎えることになった。

「時刻は9時半ね、京都駅よ」

そう言って約束し、当日を迎えるのだが、その日の朝、とんだハプニングが起こったのでした。

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9時半・その時刻には… [第34話]

京都に住み始めて1ヶ月あまりが過ぎようとしていた。

最初、京都という街が想像以上に田舎だったので落胆して、新人歓迎会が終わる時刻に、この街の一番の繁華街に人影が疎らで、新聞紙が風に舞っていた風景が侘びしく思え、やけに尾を引いてショックを受けていたのだが、それも十日も過ぎればまさに住めば都になりつつあった。

大型連休(GW)というものを今ほどにメディアはバカ騒ぎしなかったし、休日を戴く側としても長い休みをどうしても獲得して何かをしたい、どこかに行きたいというものでもなかった。新人だったので特に欲もなかった。(車やバイク、カメラ…などは持っていなかったし)

さて、9時半に京都駅に行けばいいのだから、と単純に考えて車折の家を出たのは1時間ほど前だっただろうか。バスに乗れば40分ほどだから、余裕は十分だ。

しかし、誤算というか、しばらく待ってもバスが来ない。いや、さっきから三条通りにバスが通ってゆく姿が見えないのだ。自家用車は普通に走っているのだが、バスや、おそらくタクシーも、少ないのです。

今となっては何も珍しいとか、難しい問題ではなく、GWに突入して市内のあちらこちらで車が増え渋滞を起こしているので、バスが嵐山方面に向かってゆかないのだった。

したがって、そこから引き返してくるバスもやって来ない。数少ないタクシーに飛び乗ってしまえばよかったのでしょうが、京都ひとり暮らし1ヶ月・社会人1年生の私は即座に京都駅まで直行する手段を思い浮かべることができず、困ったなと思いながらバスが来るのをひたすら待ったのでした。

でも、バスは、1時間たっても1台も来ませんでした。はあ。

この時代にはケータイなどは、影も形も無い。どうして、もう少し早い時間にタクシーを見つけて乗らなかったんだろうか。

そのころ京都駅では、時間になっても現れない人を、「遅いけれどもうすぐ来るかな、もう少しだけでも…」と、駅のバスターミナルを見通せる通路の壁に凭れて彼女は待っていた。

「1時間以上も遅れて来るなんて、誰が想像しますか!」

そういわれても仕方がない。

ボケ、カス、アホ…です、私は。

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木屋町 ソアレ  [第35話]

四条河原町から東へ一筋入って木屋町通りまで来ると、静かな佇まいの高瀬川が南北に流れています。四条通りの橋の上は人で溢れていますが、一歩二歩と川の流れに沿うて上るか下るかすれば、やはりここは京都なのだと思えてきます。

ほんの二三軒分ほど上るか下がれば人の数も減り、さらさらと流れる川のほとりで枝垂れ柳が風に揺れているのをゆっくりと眺めることができます。高瀬川の水は、ここが最も栄えた歴史の時代と比べるとおそらく減ってしまっているだろうけど、私なりに京都を味わい、また過去を偲びながら川の淵に佇むこともできます。

このあたりは、夜には夜の顔を持ち、昼には昼の顔を持っています。不思議なほどに変貌してしまう京都の路地裏通りですが、私は京都に来て1ヶ月余りでしたので、観光客よりも哀れなほど繁華街のことをこれっぽちも知らず、何を考えていたのか、四条河原町までとりあえず行こうと思ったのでしょう。

先斗町へと抜ける路地裏通りなどを用もないのに子どものように通り抜けてみたり、その出口で立ち止まり振り返ってみたりして、言葉にはできないものをどのように表現したらあの人に伝わるのだろうかと思案に暮れたのだろうと思います。

お昼前のひとときを私たちは「ソアレ」という喫茶店でしばらく過ごしました。東京で別れてから2ヶ月弱だったにもかかわらず、きっと私は彼女に十年振りのような感傷で話し続けたのでしょう。

窓の外には高瀬川のせせらぎが、道ゆく人にさして気に留められるでもなく、悠々と静かに流れているのが見えていました。

続く

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このときのあなたは  [第36話]

私の長い長い旅の終わりは、あなたと別れた雨の鎌倉だったのだ。そう、思ったことがありました。
でも、それじゃ諦めきれない。だから、私は再び旅に出ることにしようと誓ったのです。

その旅であなたに運良く巡り会えれば、それほどの幸せは望まないのだろうけど、出会えなくても私はひとり、旅を続けようと誓ったのです。

どんなにみすぼらしく汚い格好をしていても、そして私があなたをひとり占めして放そうとせずにいても、我儘も言いたい放題で力任せに抱きしめていても、あなたは私のことを一度も嫌だとは言わなかったし、離れて欲しいとも言わなかった。もちろん、嫌いだとも言わなかった。

ソアレを出て私たちは何処をどのように彷徨っていたのか、私にはまったく記憶がないのですが、五月の風はすっかり初夏のものでだったことと、京都の路地をあなたの手を引いて歩きながら人ごみにうんざりして、京都駅に戻ってきたときが一番嬉しかったことを覚えています。

せっかく共有した時間を持てることになった一日だったのに、お互いにゆっくりと見つめあえる時間を持たずに過ごして歩き回ってしまったことに、京都駅まで来てみて初めて気がついた自分が、自分で大バカに思えて悔しくて悔しくて、、、女だったらワンワンと泣いてやるぞと思っていた。

特急「雷鳥」が人をいっぱい乗せて金沢のほうへと出発してゆくホームを眺めながら、今度こそ本当のお別れなのだろうと覚悟を決めた。そのときに、私はあの余別のバス停であなたと別れたときのことを思い出していたのでした。

あのときは手を振って「じゃあ」と言って別れた。

1982年五月、京都駅。

このときのあなたは「きっとまた会えるよ」と私に言ったのでした。

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サヨナラと三回ゆうたら夕焼け  [第37話]

あなたを乗せた列車は線路の果てに消えていってしまった。
さあ、下宿へ帰るのだ。嵐山行きのバスに乗ってトコトコと揺られてゆこう。

秋でもないのに、やけに山を包む夕焼けが赤かった。
さよなら、さよなら、さよなら。

サヨナラと三回ゆうたら夕焼け  ねこ作

映画にも歌舞伎にも1度も誘ったことがなかった。いつもひとりで行ってきて感想だけをべらべらと喋った。一緒に行きたいとあの人は思ってくれたのだろうか。そのことを自ら口にすることはなかったけれど、私と一緒に行きたいと思ったことがあったのだろうか。

もしも、あの人にそのことを尋ねたとしたら
「ひとりで行くほうがいいから(来ないで・・・・)とあなたは言うよ」
と説明するかもしれない。

しかし、たまには映画に誘いたいなと思ったに違いない。私のことを知っているからこそ、誘おうなんて考えず、それ以上を口にしなかったのだろう。

一緒にいて何を話して二人だけの時間を過ごしてきたのだろうか。今更ながら不思議だ。でも、もう今は、思い出せない。たぶん、私は自分の夢を気ままに語り、あの人は「あなたはきっと成功するわ」と相槌を打ち、頷き続けたのだろう。

京都の1日は、終わった。何も記録が残っていない。写真もない。日記もない。

彼女は私をひたすら励まし続け、幾ら結婚したいといわれてもそれだけは叶えることができないのだ、しかし、「あなたの夢が叶うように遠くからいつも祈っているから」と言い続けたのだった。

そう、
アルプスの少女ハイジを見るたびに、ケラケラケラと明るく笑うあの人が瞼に浮かぶ。彼女は天使のようだった。

♪天使が恋を覚えたら ただの女になるという (北山修)

サヨナラを呟いたあと、夕焼けを見あげながら歌おうとしても、それは歌にはならなかった。

つづく

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東北は遠いところでした・・・・  [第38話]

五月の風が吹き抜けていった京都に夏がやってきて、新しく始まったばかりの暮らしは次第に落ち着き得て、学生から大人へと急激に変化した生活を私は一人前の顔をして送っている。

別れは辛くて悲しかった。そんなことはわかっていた。♪迷子の迷子の子猫ちゃん…と歌ってみては、しょんぼりとしたものです。

二度と起こり得ないような出逢いをくれた彼女だっただけに、これから再会できないと思えば、このまま自分は立ち直ることなどできず、何処かに蒸発してしまえばいいじゃないかなどと思い詰めて死んでしまうのではないか…。

モノ思いに耽るような日々もありました。

でも、一方で、アッケラカンとした自分がいることもあって、研究所の仕事も楽しかったし、休日にはバイクで出かけたりするようにもなって、市内の古刹を訪ねたり、郊外の旧街道を走ったりする喜びも覚えていました。

ときどき、手紙を書いては彼女へと送りました。エアーメールの便箋で、たくさん書きました。彼女も同じ便箋でくれました。彼女から手紙が届くのは1、2週間に1度しかないのに、仕事から帰ると毎日のように郵便受けを覗いたものです。

(不思議にも私は電話を掛けませんでした。生の声を聞きたいとは余り考えなかったようです。あの性格は今でも変わっていないみたいだけど。)

「あなた宛ての手紙がいつもマンションの郵便受けに入っていたの、覚えてるわ」と、ある人は言う。ある人…。同じマンションに住んでいた女の人で、二年後には私の奥さんとなるのだが…。

せっせと手紙を書き、バイクに乗って飛び回っていながら、彼女の住む東北へ走って行こうと、私は思わなかったのでした。

東北ってところは私にしたら途轍もなく遠いところで、夢のようなところだったのです。まさか、そんなところに行こうなんて考えるはずもなかった。ですから、その年の夏は紀伊半島を走って、秋には乗鞍へ出掛けただけでした。

つづく

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幻の旅 ― 東北 ― 1  [第39話]

【鶴さん】 最終楽章に入ります。
しばらくは、あのときの日記を読み解きながら進むことになります。

京都駅で別れてから、まる1年と2ヶ月。
手紙は山のように書きましたが、私は鶴さんに一度も電話をしませんでした。

日記は、こんなふうに始まってゆきます。

1983年の夏は、アンニュイに始まった。
はじめての東北は、センチメンタルな旅でした。

(この旅をきっかけに)
それで私は
東北が嫌いになってしまったかのように、北には足を踏み込めなくなってゆくのです。

思い出は化石のように風化してゆくけど、私が生きている間だけ消えなければいい。

7月28日〔木曜日〕 はれ
朝5時を少し回ったころに目が覚めた。
別に早く出発するつもりはなかったけど、気持ちがその気になったら出掛けるしかないか。
前日から用意してあったタンクバックとディパックをバイクにつけて、さあ出発。
ちょうど青山さんちの純子さんと家の前で挨拶を交わしてエンジンをかけた。
AM5:45だった。

続く

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幻の旅 ―東北― 2  [第40話]

若さというものは、素晴らしい。

二十数年の歳月を経たことで、あの時代の自分を冷静で客観的に振り返ることができるからこそ、今、そんなことが書ける。

私は夜明けの京都市内を颯爽と走り抜けた。

天気は良いし、太陽が昇り青空が広がっていた。とにかく信州へ、そして鶴さんの所へ・・・、このことだけを考えての出発だ。だから好天なのが何よりも嬉しい。京都市内を抜けて滋賀県に入る。旧中仙道であるR19に入り関が原方面へと向かう。左側に新幹線のあるところで第1回目のピースサインを交わした。

軽トラのおじさんが信号で止まっているときに「暑いでしょうね、革を着て…でもかっこいいよ。どこまで行くのだい?」と聞いてきた。「北海道に行くんだ。10日間の休みで・・・」と答えて別れてしまう。

【日記から】

心の中には鶴さんが待っていた…はずだった。しかし、その気持ちを紛らわしながら、乗鞍高原に寄り道をしたり、上田まほろばYHに泊まったり、さらには草津白根道路も楽しみながら、北に向かっている。

家を訪ねても会ってもらえないかもしれない。もしも、会えたとしても願いが叶うわけでもないだろう。会えば必ず別れて帰ってこなくてはならないのだ。それが私には恐ろしかったのだろう。

それでも、北に向かって走った。

1泊目は上田市、2泊目は奥只見。3日目に猪苗代湖を見た。

日記ではそのあとのことを以下のように書いている。

+++

とにかく猪苗代湖に出てみた。海みたいな湖だ。大きいから湖という感じはしない。汐の香りがしないから何となく味が出ない。R252からR49にすでに移っていた。このあたりは磐梯朝日国立公園である。残念ながら一番見てみたい磐梯山には雲が掛かって見えない。猪苗代湖から磐梯山の東側を回って裏磐梯に出た。五色沼に行ってみたが人ばかり。ひとつだけ沼を見て…

(以下略)

+++

雲が掛かって見えなかった磐梯山が象徴するかのように、私の心にも雲が掛かっていたのだろうか。私はこのあと、山を越え郡山市内へと降りてゆく。

まるで神の導きのように彼女の住む町の近くまで、ほとんど何も頼らずに行ってしまうのだ。

雨が降り始める。しょぼしょぼと降り始めるのだが、それもやがて容赦なく大粒の雨に変わる。

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幻の旅 ―東北― 3  [第41話]

時刻は6時前だったと日記に書いている。7月30日は土曜日だった。鶴さんは、この日は仕事で、電話を入れた時刻にまだ家に帰ってはいなかった。

家庭にはそれなりの予定もあるのだから迷惑になるだろうと考えるのが大人だ。いきなり邪魔をしたら、準備もできないから困ったことでしょう。しかし、会いたい一心だったのだ。

手ぶらで、いきなり電話を入れて、しかも、彼女は不在であったにもかかわらず家に上がらせてもらって彼女を待ちました。お兄さんがいらっしゃって、お母さんと三人で話をしていた光景がかすかに記憶にあります。

【日記から】

7月30日〔土曜日〕曇り時々雨
6時前だった。家に電話を入れた。
それが家のすぐ前のボックスだったから、知らないって恐ろしい。7時半くらいまで待っただろうか。
彼女は帰ってきてかなり強引に家に泊めてもらうことになった。
夜遅くまで話をしていた。夜というか、朝の5時くらいまで話していた。

このシリーズを書き始めて何度か触れたが、鶴さんと私の会話の内容は私の日記には書かれていない。普段からどんな話を交わしていたのか。もしもその内容に触れるものが残っていたとすれば、ダンボールに一杯あった手紙だけだったのだといえる。
しかし、何をどう判断したのか、どんな事件があったのか、回想するのも悲しいのだが、私はその手紙の束を数年前に…棄ててしまった。
悲しいことに頭の中にも残っていない。こうして日記を読み返していても蘇えってこない。ただただ私は自分の夢を語り、一緒になりたいと言いつづけていたに違いない、と、そう思う。

小さな市営住宅で、一階に台所と居間があるだけの侘びしい家だった。お父さんはお医者さんだったという。でも、小さいころに亡くして、お母さんが大変な苦労の末に兄二人と鶴さんを育てたという。大学まで出すのはさぞかし大変だったのだろう。私はしかし、その本当の苦労を理解できていなかった。

冷房もない部屋だった。畳に座り、ときには膝を抱き、ときには横になりながら、酒を飲むこともなく延々とくどい話をしていたに違いない。時間は情け容赦なく過ぎる。時間が尽きるときの悲しさを想像しても、まだ延々と私は話を続けたのだ。

夜が明け始めて窓が白み始めるころに、少しだけ眠った。

つづく

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幻の旅 ―東北― 4  [第42話]

気象庁のあのときのデータを調べてみると、午後6時ころから8時ころにかけて、郡山市には1ミリから2ミリの雨が降っている。それはまさに私が彼女の帰りを待っていた時刻だった。

記録を辿ると、さらに、深夜11時から翌日の1時までにも相当に強い雨が降った記録がある。

私たちふたりはその雨音を聞きながら夜をすごし、熱情を言葉にして私は語り続けたのだった。

そして、静かに朝がやってきた。
雨はあがっていた。

何をどう申し合わせたのか、彼女を後部座席に乗せて小さな旅に出ることになりました。

日記には、

お母さんとお兄さんと彼女と4人で食事を取って、
写真を撮って、彼女を乗せて出発。
猪苗代湖の方に向かうけどパラパラ・・・。ああ。

と書いている

彼女から、「あぶくま洞へ行こう」と言い出したのだろう。その小さな旅は、二人の最後の旅なのだと彼女はきっと決めていたに違いない。

郡山市内を抜けてR49をいわき市の方に向けて走る。10キロほど走って、そこからそれてあぶくま洞へ。

再び、雨が降り始めた。
私には熱い気持ちが漲っていたのだろう。
日記には挫けた言葉はほとんど無い。

(続)

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幻の旅 ―東北― 5  [第43話]

もう何年も昔のことだが…

師走の京都はしんしんと冷え込んだ。仕事を終えてひとりで歩く。暖かそうな湯気が、暖簾と赤ちょうちんの間から漏れ出てくる店が裏通りにあった。

「明日は雪かも知れんなあ」と帰り際に誰かが呟いていた。そんな冷たく寒い夜に、ちょうちんを指で軽く突付いてガラガラと引き戸を開ける。

店の名前は「鶴さん」といった。

この店の名前がなぜ鶴さんなのか、私はその由来を尋ねたことはなかった。聞かないで大事にしまっておきながら、カウンターでおでんをつまんだ。「鶴さん」と小さな声で口ずさみながら、幻の東北の旅を思い出したものだ。

私があの子のことを「鶴さん」と呼んだことは一度もなかった。向かい合って話すときも、あるいは手を引きながらのときも、呼びかける言葉など不要だったのだ。

あの夏も私は呼びかけることは無かった。薄暗い鍾乳洞の中をふたりで歩く。まるでそこは迷い道のようにくねくねと続き、地上の雨のことも忘れて私たちは恋人のように寄り添ってゆく。

地上に出たら雨は上がっていた。そして雨具をたたんで郡山市内へと向かった。

記録を辿っても詳しいことは何もわからない。たったそれだけの道程を朝から晩までかかって走っている。雨に打たれてタンデムで走ったことだけが日記に残っている。

そして日記はこのあと、数行で終わってしまう。

(続く)

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幻の旅 ―東北― 6  [第44話]

このものがたりを書き始めたころは、こんなにいつまでものんびりと書いているつもりはなかった。キラキラと輝くシーンを、短く、幾つかまとめておこうと考えていたのでした。

そして、、、最後にはひとつのシーンを思い浮かべていた。

なぜなら、このものがたりのすべては、その時間に収束してくるからです。喜びも悲しみも、出逢いも別れも。

あぶくま洞から郡山市内へ帰ってきた時刻は、夕方だった。

日記には

いつの間にか日が暮れていた。

夜には酒を飲んで、
ホテルの階上でさらに食事をして、
部屋に戻ったのが10時過ぎ。

バンダナを買ってもらった。
思い出の多い1日だった。

と書いている。

ホテルはワシントンホテルでした。彼女のお母さんが来客用にと買い備えてあった宿泊券だったのだろう。そのときにはそんなことなどに気が付くはずもなく、誰かに貰って余っていたのかな…などと考えた。無理やりに家に押しかけたりして散々迷惑を掛けていたことに何年も後になってから気付く。

「いいから、使いなさいよ」
と彼女は私に渡してくれた。

日記には

今夜の宿は、ワシントンホテルだ。
バイクが心配なので駐車場に入れて荷物を降ろして・・・。

と暢気なことを書いているのが、何とも最高に恥ずかしい。

その夜。
飲み屋で何があったのか。
ホテルでどんな話をしたのか。
記憶にも、記録にも、ない。

エレベーターのドアが閉まったとき、すかさず、私は彼女に抱きついた。歯と歯がガチガチと当たったのがわかった。

ところが、高層まで一気に上がるはずのエレベーターが、途中の階で、誰かが押したボタンのせいで止まった。

ドアが急に開く。

乗り込む人の姿がドアの前に見えたのだが、・・・、とっさに私たちは離れて、同じ方向を見るような形に並びなおして、深くうつむいた。口の中にじわっと血が広がるのを感じながら、クスクスと笑いがこみ上げてきたのを覚えている。

最高に恥ずかしかった。身体じゅうが赤くなるのを感じた。そして、時間が経つにつれて切れた唇がずきずきと痛み出してくるのがわかる。酔いは相当に深くかった。

その後のことは、もう記述する必要はないだろう。

記憶は、何年もの間にしばしば蘇ってくることもあったが、そのことを忘れてもいいと私は思った。もちろん、忘れることなどはできないのだが。

赤いバンダナは、その後、どこであろうと旅に出かけるときには首に巻いた。私のトレードマークになってゆく。しかし、そのバンダナも、ある日あるところで風に吹かれて失くしてしまった。

続く

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幻の旅 ―東北― 7  [第45話]

幻とはいったどういうものをいうのだろう…。
そんなことを考えながら、あの日の朝を思い出している。

私は、郡山市から北に向かって旅立った。

過去の人生における或る一時期の私であったら、彼女と別れたことでおおよそ投げ槍になるか、または絶望に陥り、旅をキャンセルしてしまっていたに違いない。

しかし、あのときには若さがあったし、野望もあった。揺るぐことのない人生のビジョンを描いていた自信のようなものが私の心を支えていたのだ。

旅を続けねばならない、と考えたのではない。
自由に未知なるモノを探し求めて、身体の何処からか湧き上がってくる好奇心に逆らうことなく前進をするならば、自ずから旅は続くものであったし、北に向かって然りであった。

彼女の薬局を開店の時刻に訪ねて、その後、私は北へとバイクを走らせた。

続く

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幻の旅 ―東北― 8  [第46話]

昔に流れていった時間を切々と思い起こし、喜哀の日々のひとときに過去を蘇らせてみても、過去は過去だという諦めに似た心が邪魔をすることもある。

今、こうして数々のシーンを並べ直している間にも、あのドラマのひとコマひとコマが、私の喉の奥で苦みを増してゆく。

もはや、生きてきた人生よりもこれから生きてゆける人生のほうが短くなってしまったという事実を覆そうという気持ちなどは一切ないのだから、苦いといってもそれは私がキリマンジャロを好んで飲むように酸味のきいた芳しい苦味なのかもしれない。

旅を思い起こしてみる。しかし、今の私が幸せすぎていたり、不幸すぎていたりすると、その回想はつまらないものとなってしまう。では、幸でも不幸でもない私とはいったいどういう私なのだろうか。

自問をしながらなんと難しい問いかけだろうとため息をつく。

郡山市を出発して宮城県を目指した。唐桑半島というところで泊まっている。行き当たりばったりである。この半島の小さな入り江で私は旅に出て初めて海と対面した。そのことをこれまでに何度も回想してきた。走っても走っても山の中ばかりだった旅の一瞬に出会えた海に感動した。こみ上げるものを堪えることもせずに、その場から動けなくなってしまっていた。

8月2日〔火曜日〕唐桑YHから田沢湖まで。
8月3日〔水曜日〕雨のち晴れ。田沢湖から那須まで。
8月4日〔木曜日〕那須より東京へ

この三日間に様々なことを考えていたのだろう。
三陸海岸から遠野を走りぬけ、まだ未開通だった東北自動車道の工事を横目に見ながら青森県へとゆく。

発荷峠で十和田湖を見下ろしたのが最北限だった。
その後、田沢湖を経て少しずつ南へと向かったのだ。
そして、那須を発ち、学友である安藤の家に寄っている。

日記のどこにも記載がないのだが、田沢湖から那須まで向かう途中にもう一度、郡山市に立ち寄っている。

そのときのことは、寄ったという以外にまるっきり私の脳みその中にも記憶がない。

このようにして東北の旅は終わったのだった。

続く

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消し歩く。ふたたび東北  [第47話]

瞬く間に十年という歳月が過ぎ去ってゆく。その夏が終わってゆくのをやり過ごす度に、冷たく濡れながら走った阿武隈洞への道程を私は思い起こした。そして、年を追って掠れてゆく記憶を悔しみながらも何度も、もう忘れてしまってもいいのかもしれない、と自分に言い聞かせたのだった。
まさか再び、みちのくへと旅立つ元気が、私の気持ちに蘇ってくるとは考えてもみなかった。
1994年の夏。日記の冒頭には、以下のように記されている。

何故、東北に行くのか。その答を何度も書いては消している私がとても滑稽である。11年前、情熱だけを持って、ある女性を訪ねた旅の思い出が、東北の各所に散らばっている。今回の旅は、その思い出を「消し歩く行為」にほかならないことがわかっていながら、引きつけられるように旅に出てしまう。「芭焦」気分で東北を回ってみるのも面白いか。とにかくそんなこだわりで旅に出ることになった。

(中略)

ツーリングは建て前で、実は独りぽっちに浸りたいというのが目的かも知れない。家族を置いて旅に出ることには賛否両論があると思います。しかし、こんなひとり旅に出て初めて家族と旅をしたいと切々と思う。

GSXの調子はお世辞にも良いとはいえない。GSX最後の旅(長い旅)に出かけようという折に、今回は珍しくうちのんが写真を撮ってくれた。

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号外 消さねばならないもの  [第48話]

前回の
「消し歩く。ふたたび東北」
に、下のようなコメントを追記した。
メモとして残す。

【鶴さん】はまだまだ続くのかもしれない。

多かれ少なかれ誰もが持ち合わせたもの。
消さねばならないもの。
でも、それは、消したくないもの。

この【鶴さん】シリーズをかれこれ一年以上前から書き始めたんですが、終わってしまいたいのに終われないのです。
これって、消したいのに消せないのと似てますね。


東北地方という区域が私の旅のスタイルにあらゆる角度から刺激を与え、この地をセンチな気持ちを押さえながら駆け抜けた日々が存在したことが、もしかしたら私の人生の行方にある種の影響を及ぼしたと考えてもそれは過言ではない。

二十歳前にひとりの女性と出会い、その後十年間で私の心に大きな安らぎと夢を、その人は授けてくれたこと。

そして、その人とひと目でも逢いたいと思い、我武者羅に情熱を燃やし続けたこと。極めて純粋・無垢で、美しく清くその人を慕い、夢のなかで姿を慕い、諦めることなく限りなく未来を描き続けていたこと。

それは、叶わぬ夢であったのだけど、この人に逢うために京都を発ち、陸奥(みちのく)を目指し駆け続けた夏があったことは事実だった。

そんな夏は、一度や二度ではなかった。私が陸奥へと向かった数だけ、燃え上がった情熱があったわけだし、本州の中心に聳える信州の山々を通り越して、夢を実現できる手掛かりを掴むために、何度も何度も、北を目指した日々があったのも事実だ。

若き頃の夏は、誰にも負けないほどに激しく燃える情熱で満ちていた。その地域がどれほど遠くても、怖じ気づくことも無く走った。体力を使い果たし、気力が萎えることがあっても、諦めずに夢をこの地に預けていた。

猪苗代湖から郡山市へと越える峠道の途中でバイクを止めた。その峠道は幹線道路ではなく、ローカルな県道の名もない峠だった。

真っ直ぐにこの道を降りてゆけば郡山市に着ける。下界に見える盆地の街がそうだ。あそこに行けば、あの子に逢える。

鶴さんの名字は珍しかったので電話帳で調べればすぐわかる。一度、行ってお兄さんやお母さんにも会っているので、尻込みする理由もない。さあ、ここから電話をしよう。

しかし、そう思った瞬間に、私の胸は異常に高鳴って、峠の公衆電話ボックスの前で屈みこんでしまった。立ち上がれない。

電話をするだけなのに、受話器が持てない。ああ、ここまでだ、これで終わりかもしれない、と直感的に私は思った。

どれほどの時間をこの峠で過ごしただろうか。あの日は、というか、あの夏はもっと北へと旅の行き先を変更して、まさに彷徨うように走り続けた。


名もない峠(2)  [第50話]

まさか、あのときが人生最後のお別れのときだったのだ、とは思わなかった。

人は、或る人と別れるときにもう二度と逢えないのだということなどを考えることはない。たとえそれが明確なことであっても、病気や宿命的な別れでない限り、これから40年も50年も生きる間にもう一度逢うということの重大性などわかるわけがないのだ。もう逢えない。少しでもそういう予感があっても、まさか本当に逢えないと、私は思わなかった。

郡山市内の彼女のいる薬局に行き、簡単な別れを告げ、私は青森の方面を目指して旅立った。そして、ひとしきり悲しみを紛らわせたあと、旅を終えるためにもう一度郡山市内の彼女がいる薬局に立ち寄ったのだった。そしてそこで、ほんとうのさようならをして、この街を後にした。

日記は残っていない。自らが書こうとしなかったのだろうと思う。それは、ひとつの別れの風景をとどめておくことに、私なりの罪悪感を抱いたのかもしれない。決して別れを寂しがり、彼女を忘れようなどと洒落た感情を持ったわけではなかったはずだ。

この後二度と手紙も電話も私によこさない人なのだと推測しながらも、自分の勇敢さを称えてあの街を去った。

だが、私には微かながらでも確信があったのだろうと思う。それは、またここに来れば彼女に逢える、遠いけど来ればいい、という想いだ。

月日は五年、十年と過ぎ、私自身が変わってしまった。

そこに逢いたい人が居ることがわかっていても、森を抜け、峠を越えて、街を避けて北に向かえばもうこれで彼女を探さなくて済み、想い煩うことなどなくなるのだという無念な選択をしてしまう。

「オマエ、弱くなったな。それで、ええのか」

ひとりごとを呟いた。
何度も何度も繰り返した。
いつまでたっても、瞼が震えるのが止まらなかった。

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いつもそこに夕焼けがあった  [第51話]

「私は今日まで生きてみました」と吉田拓郎が振り返り「私には私の生き方がある/それはおそらく自分というものを/知ることから始まるものでしょう」と叫びながら歌っていたのが記憶にしっかりと残る時代だった。

キャンパスの片隅で反体制を熱く語り合い、恋人像についてお互いをさらけ出しあいながら、自らそれを青春とは一切呼ばずに、またそういう意識を持つこともなく日々を送っていた。満たされないものを胸に秘め、不満を握りつぶし、正義を発散して生きていた。いつの夜も、思う存分を語り尽くして夜を迎えた。

二十歳代のころは、あんなにも情熱的であったのだ。貧しかったからこそ情熱に満ちていた。

もしも、ケータイ電話というものがあったならば、小樽駅で手紙をポストに入れるようなことはなかっただろう。もしも、メールがあったら、私たちは名前以上の何を知らせあうこともなく、単なる旅の行きずりの人で終わったのだろう。

遠く離れていても、一度も電話を掛けることなく、ただひたすら手紙を綴った日々。封筒が膨れ上がるのを嫌がってエアーメール用の便箋を愛用した。

後に、環七を飛ばせば30分で行けるようなところに住むようになっても手紙を出した。封書がミカン箱の大きさのダンボール箱から溢れるほどになっても、手紙は続いていた。

いつも、私の前には赤く染まる大空があった。

積丹半島の先端へと行ける遊歩道が始まる余別という街の、バスの終着駅から、最終便が噴煙を残し去ってしまう姿を見つめながら、「ヒッチハイクで帰るから」と出任せを言った。

バス停前の売店からは、真っ赤な太陽が見えたはずだ。それが次第に赤みを帯び、人影のない店内と彼女の顔を真っ赤に染めてゆく。

私は小樽へと、まだ一度も経験をしたことのないヒッチハイクという荒技で、帰らねばならない。

不安と熱情で揺さぶられている私の心とは関係なく、真っ赤な夕焼けが私たち二人を赤く染めていた。そんな別れから始まった私たちの数年間だった。

いつか、どこかで、ふと思いついた短い詩。私だけにしかワカラナイかも知れないけど・・・・

「サヨナラと三回ゆうたら夕焼け」

いつも、そこには、夕焼けがあった。


喫茶・コリン  [第52話]

長い道のりを歩いてきた。
いつも心にあの人の面影を擁きながら、遠くから想い続けた。

夕焼けを見上げてはあのときの出会いが、雨が降れば別れの鎌倉が、私の脳裏をよぎった。そして、ネオンの輝く夜のざわめきに中に身を置けば銀座の夜が甦ってきた。

しかし、三十余年という歳月が過ぎたのだ。ついに、息が切れるときが来たのかも知れない。

喫茶コリン。

彼女は自分の下宿のことをそう呼んでいた。「コリン」という名前は、アセチルコリンという神経伝達物質から戴いたのだと、いつかの手紙に書いてくれた。

クラブの仲間やクラスの仲間とわいわいと下宿でお茶をする様子を手紙に書いてくれた。

バスケ部だった。手紙には試合のことをあまり書かない子だったが、遠征に行ったときのことを書いたことは何度かあった。万年筆でスラスラとイラストを描き添えてある手紙が多かった。Dr.スランプのアラレちゃんの絵も好んで描いてくれた。イメージが似ていてお気に入りだったのだろう。

高校時代は合唱部だった。安積女子って有名なんだよ、とちょっと自慢をしていた。けど、歌を聞かせてくれたことはなかった。

ある日、インターネットで彼女を検索してみようかと思いついた。クラブのこと、名字のことなど手掛かりがあるかもと思いサクサクと打ち込むと、クラブのOBOG会のページに行き着いた。

事務局さんにメールを出した。彼女の名前、生年月日、出身地などを書いて、私の身分を添えた。2,3日して事務局さんから返事が来て、彼女の名前が名簿にある、と書かれていた。

跳び上がるように私は喜んだ。すぐに、自分のことを書き添えて、私宛にメールを返信してくれるように伝えた。数日後、彼女にメールを転送します、という回答が事務局さんから届いた。

夢のように話は運んだのだが、そこで終わりだった。

事務局さんが転送すると書いてくれたメールを毎日眺めながら、彼女からの返事を待つ日々が続いたけど、返事は来なかった。

メールが転送される→彼女がメールを受信する→読む→私に返事を書く。このステップのどの段階で動作が停止してしまったのだろう。

もしも、あの人が私に便りをくれないのであれば、どうしてなのだろう。メールは上手く転送されなかったのだろうか・・・・。

幸せに暮らしていれば、必ず便りをくれる人なのだから、何か予期せぬ不幸でも背負っているのだろうか。

募るものや悪霊のような不安が襲いかかってくる。

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たあいない夢なんか とっくに切り捨てたきみ  [第53話]

あのころのまま

歌:ブレッド&バター
作詞作曲:ユーミン

6時のターミナルで ふりむいたきみは
板に付いた 紺色のスーツ
今でも気まぐれに 街をゆくぼくは
変わらないよ ああ あの頃のままさ

去りゆく若い時間を ひとり止めているようで
うらやましいやつだよと はじめて笑ってくれた

For Yourself For Yourself
そらさないでおくれ その瞳を
人は自分を生きてゆくのだから

ネクタイ少しゆるめ 寂しげなきみが
馴染みの店に 腰すえる夜は
陽焼けした両足を 投げだしてぼくも
“SIMON & GARFUNKEL”久しぶりにきく

人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと
たあいない夢なんか とっくに切り捨てたきみ

For Myself For Myself
幸せの形に こだわらずに
人は自分を生きてゆくのだから

For Yourself For Yourself
そらさないでおくれ その瞳を
人は自分を生きてゆくのだから

For Myself For Myself
幸せの形に こだわらずに
人は自分を生きてゆくのだから

ユーミンの歌を、ブレッド&バターが歌っている。
独特の響きと粘っこく立ち上がるリズム感覚が、彼らの歌い方のスタイルだ。

鶴さんと有楽町で待ち合わせ、銀座を歩いたあの頃にも、ユーミンのこの歌が流れていた。

そして、この歌が何年も後になって、私自身のことのように身に沁みてくるなんて、あのときには、想像もしなかった。

そりゃあ、そうだよ。「あの頃」の真っ只中を生きていたんだから。

鶴さん。
もう少し、書くことにします。
ゆっくり、ゆっくり。

続く

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秋の夜や子どものように駄々こねて  [第54話]

都会に住むと秋が深まるのに気付かない。でも、所沢の並木町あたりは街路樹が少しあり、徐々にそいつが色づいていたような気がする。今は航空公園という駅ができているらしいけれど、私がいた頃は大学から新所沢まで20分以上かかって歩いた。研究室から正門を出るまでが長かった上に1キロほど歩くのはやや長いと感じたものだ。

何事も懐かしく思い出される。

大学病院の患者棟の無数の窓が、光る虫を集めたように、幾つもの点になって白く冷たく輝きを空に放っていた。街明かりも疎らな所沢の薄暗がりのなかで、病院の明かりを異様なほどに近代的だと感じたものだ。

あの日も、秋の夕暮れが奥武蔵の山々を赤く染めていたことでしょう。西武線に乗って私は銀座へと向かったのです。

いつものように私から電話を掛けたのだろう。誕生日が近い今ごろ─そう、ちょうど26年前の今ごろに─「ねえ、ご馳走するよ、いつものところで」と鶴さんは言い出した。

二人が落ち合うのはソニービルの前と決めていた。それから当ても無く銀座を歩いて、食事をしたりお酒を飲んだりした。ひと足先に卒業して銀座の会社に就職した彼女は、お姉さん気取りで私を誘ってくれては貧しい学生の私に美味しいものを食べさせてくれた。満足するまでお酒を飲ませてくれて、声が枯れるほど喋らせてくれた。

ソニービルの壁に身を寄せながら私を待っていた彼女は、この上なく哀しいほどに無残で貧しい格好の私が雑踏の向こうからやって来るのを見つけても、とろけるような笑顔で迎えてくれて「さあ、行きましょ」とビルの裏通りへと連れて行ってくれた。

二人で並んで歩くと、鶴さんのふんわりとした胸が私の肘に、時々触れた。それは鶴さんの身体に触れていると思えないほど柔らかく暖かかった。そのたびに私の身体のそこらじゅうが、ピンと張り詰めた。アルコールで乾杯をしたあとも、酔いしれてゆく意識のなかで、酔っていないような錯覚に惑わされながら、私はとろけてゆくのでした。

秋の夜や子どものように駄々こねて ねこ作

夜が更けて、私は駄々をこねた…ような気がする。
離れたくない、いやだ、あなたについて行くんだ、と。

続く

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駄々のあと慰めるかのように終列車  [第55話]

地下鉄の階段をホームへと下りながらどんな会話をかわしたのだろうか。

ラッシュ時よりも人ごみが少なくなったものの、私たちがホームで別れを惜しんでいる間にも、人は増え続けホームを埋め始めていた。

そうか、終電車がもうすぐ来るのだ。

駄々のあと慰めるかのように終列車  ねこ作

電車に乗る前、アナウンスの騒音の中、あの人は無言だった。
なんにも言わずに黙って私を見つめた。

そう、そんな優しいさようならが切ない。

沈黙がサヨナラせかすシンデレラ  ねこ作

時刻は12時を回っていたのだろう。

また明日、また明日、と心の中で繰り返している私は、そこに滑り込んでくる電車のガラス窓に写る自分を見ている。

揺れる意識。
揺れる私の姿。
ブレーキ音を軋ませて止まる電車。
開くドア。

シャツのボタン、上から順に
外してみては、またとめてゆく。

「どうするのよって… わからない」

そんなあなたの笑わない顔を、
真正面からゆっくり見つめた。

初めてのこと。
長い夜。

続く

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離散した欠片  [第56話]

たぶん、

自分の誕生日を10月に迎えてそのすぐ後に前回の記事を書いた。その後、11月14日までのあいだに、これまで綴ってきたものを目次として整理している。11月13日は、鶴さんの誕生日で、そのことも実は記憶の中では曖昧なままで、私は鶴さんを想ってささやかにお祝いをしたのだ。

長い夜を最後に書いて、放置したままなのは、あの夜の余韻が今でも大きいからではないのだろうか。

鶴さんシリーズはもうひと通りを書き終えているので、終わることなく余韻のように綴るものは私の瞼に閃光的になって蘇えってくる離散した欠片のような風景ばかりだ。

どのシーンも輝かしくほろ苦いものばかりで、私はそれを簡単に忘れ去ってゆくこと恐れていたのかもしれない。だからそれを整理してみたいという気持ちがあったのだ。

しかし、それほど簡単に書き留められるような物語ではなかった。
もう、忘れ去ってしまいなさいと、天の声があったのかもしれない。
最後の力を振り絞って「終章」を書き上げてしまいたい。

(あらすじ)

遥か昔の夏の日。それは、北海道の小樽からバスで少々走ったとても夕日の綺麗な漁村での出会いだった。鶴さんと私はひとことふたことだけの会話を交わした。

その土地を去った私は、北海道を旅する途中で、名前も分からない鶴さんに手紙を書いた。旅から帰ってくると鶴さんからの返事か届いていた。そのときから鶴さんとの文通が始まった。それは4年続いた。

夏の或る日、鶴さんからの手紙に、東京で勤めているということが書かれていた。そして私は4年ぶりに、2度目の鶴さんに再会し、東京での鶴さんとの日々が始まった。

それは、貧乏な学生と銀座の大きな企業で働く鶴さんとの不釣り合いな付き合いだった。銀座の夜。鎌倉。二人は、兄弟のようであったかもしれない。優しいお姉さんと頼りない学生…。

しかし、分かれるときが来た。就職が決まって私は京都に住み移った。彼女はその後、家庭の事情で仕事を辞め実家のある郡山市へ帰った。黄金週間に京都を訪ねて来た鶴さん。夏に東北を旅する私。

物語は、至ってシンプルだ。東北の旅で鶴さんの家を訪ねる。その後、本州の最果てを目指し私は旅立ち、その旅の帰路でもう一度だけ再会する。それが事実上の最後の別れであった。

続く


別れの断章 (号外)  [第57話]

(号外)

啓蟄が過ぎて数日後の或る日の朝。嵐と呼んでもよいほど空は荒れて、雲の隙間から青い稲妻が突き出てくると同時に轟音が轟いた。朝のまどろみの中で緩やかな休日の朝を迎えたいと願っていたのに、春雷はこの想いを打ち砕くように鳴り止まない。窓際に寄り添い、ガラスに額をつけながら灰色の空を見ている。大粒の豆をばら撒いたような大きな音で、雨が空から地面へと叩きつけられるのを、私はじっと見ていた。

—-

小説「朝の歓び」で「紫色の雷光が、夜の海の上で烈しく走りつづけるのを眺めながら、江波良介は、海辺の旅館の窓辺に坐ったまま、ひとりで四十五歳の誕生日を祝ってウィスキーを飲み始めた」と宮本輝は書き出している。

明らかに私は、小説のこの冒頭を思い浮かべるために布団から抜け出しガウンを羽織ることなく自室の窓辺まで来た。そして、更にもうひとつのシーンへと想いが遷移してゆく。

春雷が駅の構内に響き渡るのを思い出しながら、あの日の夜のこと知っているのはあの人と自分だけであることに、言葉にはできない安心を感じている。あんな土砂降りのなかで、永遠かもしれない別れのシーンを、ひとりの女性と共有した一瞬があったのだ。

雨粒が転げまわるように地面で踊るのを見ながら「あなたは京都で偉くなってね」と呟いた。それが合図のようにそのあと新幹線の扉は閉まった。

続く


終章 その1 [第58話]

「幻の旅 東北」シリーズを八話、「名もない峠」の話を二話、書きました。その後、話をはぐらかすように脱線していましたが、いよいよ終章に入ります。

終章

幻の旅、東北 のときに撮影した写真がミニアルバムに何枚も閉じこんである。そのことをうちのんは知っているし、いい加減で棄てたら、と言うこともあるが、どんな大掃除のときでもその写真に手をつけることなく、私も棄てる勇気を振り出せないまま、今もなお写真はそこに保存してある。

不思議な写真だ。

鶴さんと、鶴さんの兄さんと一緒に、郡山の家の前で撮っている。この日は、お昼頃から雨に見舞われ、二人で阿武隈洞に出かけるものの、途中から雨具を着て走ることになったのだった。

(今でいうコンビニで売っているような)簡易の雨具しか持たない鶴さんは、後ろのシートに乗せられてどんな気持ちで雨のツーリングに付き合ってくれたのだろうか。

「幻の旅 東北8」の最後で私は東北を去る。鶴さんと会ったのはあれが最後だった。

それから、彼女のことを気にかけないようにする日々が続いたのだが、2,3年前にふとしたことで、彼女を探す手掛かりが見つかった。

それは、小樽にある彼女の母校のクラブOBのホームページの事務局さんにメールを入れたのが切っ掛けだった。人を探しています、と問い合わせたら返事がきたのだ。もしかしたら、居場所が見つかるのかもしれない。

東京で再会する切っ掛けとなったのも、深夜であったにもかかわらず名字を頼りに番号案内で探し出し電話を掛けたところから始まったのだ。

今、再び、彼女が見つかるのだろうか。

続く


終章 その2  [第59話]

サヨナラと三回ゆうたら夕焼け。

京都でそんな別れをして、その明くる年に郡山でどんな言葉を交わしながら別れたのかも記憶にないようなさり気ない別れを置き去りにして、それが最後の鶴さんとのシーンになったまま、月日は刻々と過ぎてゆく。

私は夕焼けを見上げても、もはや、鶴さんのことをメソメソと思い出したりしなくなっていた。

郡山をあとにしてからその後の十年ほどに東北へは数回の旅をしたものの、時にセンチになって会津若松から東へと越え行く名もない峠に佇み、眼下に広がる小さな街を見下ろしながら、それはもう過去のことなのだと自分に言い聞かせることができたのだ。

鶴さんの名字が、郡山市内(たとえ近隣も含めたとしても)には1、2軒しかない珍しいものだったこともあろう。探せばわかるのに、今、探し出すのはやめようか、と思いとどまってばかりだった。

それは、私が鶴さんを諦めたからではなく、逢えないけれどもここに居るという一種の安心感のようなものだったのかもしれない。

—-

ふとしたことで見つかった彼女への手掛かりとは、大学時代のバスケ部のOB会のホームページだった。もしかしたら、そこの事務局に連絡先が登録されているかもしれない、と思うのは当然の思考パターンで、事務局あてにメールを書いた。住所や連絡先を教えてくれるわけもないので、私が書いたメールを転送してもらえないか、という内容だった。そしてメールにはすぐに返事がきた。貴方の仰る人は確かに登録されてるので、そちらのメールに転送することはできます、という内容だった。

よし!、では、鶴さんから手紙がきたら、積もる話をし始めることになるだろう。鶴さんあての手紙にはこんなこともあんなことも書きたい。次々と浮かんでくる想いを胸に、私は返事を待った。

前略。

郡山でお別れしてから随分と長い時間が過ぎてしまいました。あっという間に過ぎたというのが実感です。その間も、貴方のことを気にかけていました。お母さまのお体の具合が悪いという話もあのころに聞いたのでしょうか。

あれから20年以上が過ぎますので、多くのことは過去のことや終わってしまった歴史のことなのかもしれませんが、やはり貴方に簡単にあれからのことをお話したいな、と思います。

私は京都で結婚しました。マンションの3Fと1Fというご近所さんでした。その話は今度お目に掛かることでもあればお話するとして、まあ、その彼女が(妻ですが)今でも貴方から届く手紙のことを話します。月に一二度、私のところに届く手紙が気に掛かっていた、私の心に貴方という人が存在することは知っていた、と今でも京都時代を思い出し懐かしみながら話します。

私たちは十年も住まないうちに京都を離れました。私は仕事を変わって大阪に本社のある会社に移りました。この会社には十年あまり居ましたが、この頃に何度も東北を旅しました。1990年代ですね。10年の間に6、7回は行きました。

貴方と巡り会い、貴方と別れて(保留になったままと考えてますが)以来、私はひとり旅が大好きになりました。旅先を変更して、郡山の近くを通過してみたり、霊山に泊まってみたりしてました。

私は貴方をもっともっと強引に連れ去ることができたのでしょうか。今でも、そのことをふっと思います。メールもない時代ですからね。電話を掛けまくるとかすればいいのに、そんなこともせずにいましたね。

ちょっと、仕事に燃えていた頃だったかもしれないな。私の力で大きな発明をして、社会にどーんと飛び出したい、みたいな。貴方ならわかってくれるでしょうね。私の夢物語をいつも聞いてくましたからね。

汚い身なりの貧乏学生の私を嫌がらずに何度も連れて行ってくださったあの銀座のパブ。もう、とっくの昔に無くなっているだろうな。

私には姉はありませんでしたから、そんな姉のような貴方に、いつも寄り添いながら銀座を歩いた。幸せだった。酔って甘えることだけが楽しみだった学生時代の暮らしは、少しずつ私の記憶の中から風化してゆきつつあります。貴方と再び会えることで、私の記憶を大きく巻き戻したいですよ。

こんなふうに手紙に書くのだろうか。
電話で話すのだろうか。
そんなソワソワが続いた。

バスケ部の事務局の人は、本当に私のメールを送り届けてくれるのだろうか。
手違いはないだろうか。
いいえ、あれほど快く引き受けてくれたのだから、必ず鶴さんに私の連絡先は届くはずだ。

一方で、メールの返事は来ないかもしれない、という確信のようなものもどこかに在った。
それは悲愴感から来るものではなく、彼女が持っている厳しさのようなものを想像したからだ。
鶴さんは今、幸せとも不幸せともわからない。生きているかさえもわからない。
私はそんな他人の人生に勝手に踏み込むことはできない、というのも一種の掟かもしれない。

もしも、今、会えば、飛びつくとか抱きつくというようなアクションではなく、ぐっと静かに手を添え硬く握り、今の鶴さんを尋ねるのだろう。
おかあさんはどうなさいましたか。お兄さんはいかがですか。

事務局さんの返事の素早さとは正反対に、鶴さんからの便りは私には届かない。これにはピリオドがないので、今でも届かないとだけしか記載できない。

転送は正確にされメールは届いたはずだ。そう思うしかないわけで、確認の手段はどうやら尽きたようだ。

その3へ続く。

続く(ちょっとだけ書こうかなと思う)


終章 その3  [第60話]

「アセチルコリンっていうのよ。神経伝達物質なの。そこから名前を取って、喫茶コリンと呼んでいたの」

鶴さんは社交的で明るく、学生時代にも人付き合いが広かった。バスケットボールに打ち込みながら、遠征先からたびたび便りをくれた。その彼女が下宿に友だちを集めてお茶をするとき、そこを喫茶コリンと呼んだという。

コリンの話は、鶴さんシリーズで何度も書いてしまった。今、終章を書き終えようとしているときにも、再び「コリン」という名前が蘇えってくる。

楽しそうに命名の由来を話しているのを見てお茶目な子だなと感じた。一度だけ「コリン」と聞いただけなのに一度も忘れることはなかった。

或る日、鶴さんのところに一通のメールが届いた。そのメールは見覚えの無い人からであったが、少し読み進むと話の筋が見えてきた。メールの送信先はバスケットボールのOB会事務局からだった。そしてそこには、次のように書いてあった。

あなたのお友だちが、あなたおことをお探しです。OB会の事務局に電子メールを寄せられましたので、転送させていただきます。内容はご当人から預かったものをそのままお送りします。

このあとに事務局宛てに出された手紙が付いていた。何故、今、あなたを探しているのか。何処にいて何をしているのか。どんな暮らしをしているのか。予期せぬメールであったが、もしかしたら心のどこかで期待をしていたかもしれない。そんな複雑な気持ちで目を通す。

メールに目を通しながら、あれから20年の間にあった出来事を、鶴さんは思い出していた。

ねこ君か。元気にしているのかな。

そうねえ、郡山市の薬局で、仕事が始まる前にやって来て、青森まで行ってきたんだっていう話をしてくれたのよね。薬局を替わったばかりだったしお仕事前だったので、じゃあね、また手紙を書くから、って言ってそそくさと別れてしまったわね。

あれから何度か手紙を書いたけど、ねこ君、私の手紙に返事をくれたっけ?

母が脳梗塞で倒れてしまい自由が利かなくなった身体なので、私が傍に居てあげる決心をしました、って書いたのよ。ねこ君は結婚するって言ってたから、忙しくて手紙を暮れなかったんだろうな。そう思って私もあれから書かなくなったのかも。

私には私の人生があって、貴方には貴方の人生がある。貴方は自分でその道を開いてゆかねばならない使命を持って生まれてきたの。立派な技術者になって夢を叶えるんだって口癖のように話してくれたわね。そのために京都に行くんでしょ。私も蔭ながら応援するから。そのことは、あの晩、東京で話したわ。何を今更、弱音を吐いているのよ。手紙なんかよこして。私は今、返事なんか出さないわよ。私たち何処にいてもいいじゃない。私のこの気持ちは届くはずよ。

こんなふうに鶴さんが思ったかどうかは定かではない。

アルプスの少女ハイジが高原をかけているアニメを見るたびに鶴さんのことを思い出したときがあった。優しく甘い雰囲気を放ちながらも、心は厳しい人だった。医者だった父を子どものころに無くし、決して豊かではない暮らしの中で育ってきたという。「私は私を育ててくれた母を最期まで面倒みます」、と言い切った彼女の心の奥深くには、私では分かり得ない厳しい彼女の人生の決意が秘められていたのだろう。

メールが届いたからといっておいそれと返事を出すような人ではないことは簡単に想像がつく。そうか、(ねこ君には)子どもができて幸せに暮らしているんだ、と頷いたとしても、そこまでだ。鶴さんは自分の人生を自分で描いたように歩んでゆく人であるから、「AはBのようになるべきなんだよ、というあの口調で、きっと、私たちはこのままで良いんだ、と言い切るに違いない。

鶴さんはピリオドも打たない、返事も出さない。
私はピリオドを打とうとしない。返事を期待しない。

千の風になって、という歌がヒットした。鶴さんは歌っただろうか。ふとそう思った。

続く

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終章 その4  -ネオン消えバンダナ赤し夏の夜-  [第61話]

ネオン消えバンダナ赤し夏の夜 (わ)

もともと、この物語は「出会いの風景」で始まり「別れの風景」で終わる4話ほどを考えていた。しかしながら、書き綴りながら、鶴さんと織り成した数々の別れや出会いが増幅されて、甘味が加わっていった。自分のために悲愴感を絞ってみたり明るく泣いてみたりしてしまった。

どれだけ飲んでも酔いつぶれることのない私が一度だけ苦しいほどに飲んだ夜があったように、いっそうこのまま全てを吐き棄てて終えてしまいたいという激情に似たものがこみあがっていたのかもしれない。

いいえ。
美味くない酒はいっさい飲まない私であるから故に、酔うほどに身を任せることなどありえない。

そう。
ここで得られる仮想空間を鶴さんと旅して、私は夢心地をしばらく楽しんでいたのだろう。それは、初めて酒を飲んで酔うことを知った夜のように、うぶで柔らかく、純白で欲のない自分であり、私はそこに帰ってゆこうとしていたのかもしれない。もたれかかったその胸の中は、暖かく柔らかかったのだ…。

赤いバンダナは、この物語の中で一回だけ出てきている。郡山で過ごした夜に鶴さんが私に買ってくれたのだった。「バンダナ、買おうよ」と言って赤色のものを渡してくれた。プレゼントとか思い出などというようなやわい言葉は何もなく、渡してくれただけだった。

旅に出ると必ず赤いバンダナを私は首に巻いた。お守りであり、祈りであったのかもしれない。結婚してからもそのバンダナは使い続けていて、うちのんはその理由を知りながら、「バンダナ持った?」と出かけ前にチェックを入れてくれた。友人知人は、赤いバンダナはねこさんのトレードマークだ、と言ってくれるほどになった。

或る日、鶴さんのことを思い出して少し沈んだことがあった。どんなことを回想してしまったのか、それはもう思い出すつもりもないが、その後、バイクでぶっ飛ばしたときに、ポケットに入れていたその赤いバンダナは飛んでいってなくなってしまった。

赤いジャケットに赤いバンダナ。私の旅のスタイルはいつもそうだった。私は赤色が好きらしい。
口笛を吹き鳴らし、夕焼けを見上げる。

鶴さんが私に旅のスタイルを授けてくれたのかもしれない。

高石ともやの107ソングブック(82番)に「涙色の星」という高石とし子さんのうたがある。

夕焼けの山に登り
想い出をよんでみた
別れた人の名は
いまも胸に痛む
私のブルースは
涙色の星
気まぐれ青い鳥は
あなたの窓でうたう

(107ソングブックから)

♪私のブルースは涙色の星…
そうか。なるほどね。

旅に出る。
夕焼けを眺めて、うたを歌う
口笛を吹きながら、峠を越えてゆく。

私の旅がいつもひとりであったのは、いや、ひとりでなければならなかったのは、そんな理由があったのだった。

続く

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それは広くて深い湖の底に沈んだ泥に埋もれた宝石箱を探すようなものだ  [第62話]

鶴さんを見つけたい。でも、それは広くて深い湖の底に沈んだ泥に埋もれた宝石箱を探すようなものだ。なのに、そんな想いが湧き上がってくるときは、少し酔っているときではなく、珍しく深夜に、静かに椅子に座ってペンを持ったときであったりする。

ああ、いやだ。叶うことのない願望を追うのは嫌だ。メソメソした自分が強烈に嫌いになる。(でも、いたわってやりたくもなる)

私は嫌なことを想いながら酒は飲まないので、鶴さんの夢を追いながらマイナスなことは考えない。全てプラスに変えて酒を飲む。

そういえば、いつからか、酔わなくなってしまった自分が寂しい。酔いたいことだってあるさ、ねえ。

大学のクラブ活動OBの事務局さんの計らいで、私のメールが鶴さんの元へと転送されるという、あの話のときはまさに目の前がバラ色だった。ほんとうの喜びを得たときというのは誰にも打ち明けることの出来ないものなのだ、ということを知ったのだった。

だから、あのときは、きっときっと私あてに返事のメールか手紙が届くはずだ、と、そんな揺るぎない確信を持った私であったが…、何の連絡もなく1年、2年と時間は過ぎてきた。

事務局さんがあれほどまでに快く引き受けてくださったメール転送であったのだから、まさか転送が上手く行かなかったとか、転送を忘れていたとか、(失礼かもしれないが、)あれは返事だけで実はプライベートなことに事務局は関わってはいけないというルールがあって転送作業がまったくなされていなかった、とかは考えてはいけないのだ。それでも、考えてしまう。

正直、今でも、信じがたいものがある。鶴さんが私のメールを見て理由もなくそのまま放置することは、間違いなく有り得ないと思う。だったら、メールが届かなかった、ということになるのだから。

ほんとうに鶴さんは、自分の意志で私への返事をやめてしまったのだろうか。

いつか、銀座の街のどこかを歩きながら、
「一番星だ。あれは願い星って言うんだよ。それで、その隣の二番目の星は叶え星なの」
と話してくれたのを思い出す。

あれも秋の夕暮れだったかも知れない。きっと、今も、鶴さんは広い日本のどこかで、私が見ている真っ赤な夕日と同じ夕日に顔を赤く染めて空を見上げているのだろう。この「鶴さん」シリーズを書き始めた理由のひとつは、この広い世界のどこかで、もしかしたら鶴さんがこのブログを読んでいたら、このブログが目にとまったら、鶴さんは私に必ず手紙をくれるだろう。

もしもこの「鶴さん」シリーズが本になって出版されて、書店の棚に積まれたら、私のことを思い出してくれるだろう。

そう思って書き始めた。しかし、万事休すかな。


別れの風景 (みちくさ バージョン)

時刻は午後四時を回った。最終バスが岬の先端から小樽の街に帰ってゆく時間だ。
「もう帰らなきゃ」
女の子は、そう私に教えてくれる。しかし、私は帰りたくなかった。自分でもこれと言えるような理由などなく、ただ、わがままを押し通したかった。だから、今夜に泊まる宿屋のことも、駅までのバスの時刻のことも気にしていない素振りをしていた。
旅に出て初めての衝動だったかも知れない。彼女から離れたくない気持ちが私のさまざまな不安を吹き飛ばしてしまっている。
女の子は続けてしゃべった。
「早くしないとバスがいっちゃうよ。」
そう言ってくれても、私は
「ヒッチハイクで帰るから」
と答えて、強引に彼女のそばを離れようとはしなかった。主題のある話をするわけでもない。名前を聞くわけでもない。顔をじっと見つめたわけでもない。私の身体は、自分の理性や抑制心を無視して、その子の発散してくる新鮮さをひたすら掴もうとしていた。心が持ち合わせている本能、それが身体全体を支配して、私は金縛りにあったようにその場所にとどまっていた。
そこはバス停の前の小さな売店だった。その店の中をウロウロとしながら、私は、女の子に何か他愛もない話を続けた。そうしながら最終バスを見送った。売店のその子はとても愛想が良くて、止め処なく話相手をしてくれる。私が去ってしまえば私のことなどその場限りで忘れ去ってしまうかも知れないのに…。
真夏の太陽はまだ暮れるほど落ちてもいなかったけれども、ひとしきり話した私は、彼女と「さようなら」をしなくてはならない時刻がとうに過ぎていることを知っていた。何とかなるだろう、という気持ちでヒッチハイクを決心していたのだ。そんな勇気が湧き上がったのも、すべて、私を動かしたあの衝動であったのだと思う。止まってくれる車を幾台も乗り継ぎながら小樽駅に辿り着いた時にはすっかり日が暮れていた。
名も知らぬ彼女に私の気持ちをどうにかして伝えたい、どうしても伝えたい。ヒッチハイクの不安から解放されたときに再び私を襲ったのは、たった今まで私の前に居たあの子の面影だった。
手紙を書こう、と考えた。小樽駅の売店で葉書を買い、しかし、手がかりは何もないままで深く深く悩み、待合い室でひたすら思案に暮れた。

結局、苦肉で思いついたのが「北海道中央バス終点、余別駅前の売店でバイトをしていたメガネをかけた女の子様へ」と宛名に書くことだった。きっと誰かが届けてくれるだろうという期待に胸がドキドキした。それをポストに投函して、私は何度も何度もポストを振り返った。
行くあてのないさすらいの旅だからこそ大きな道草を食えた。金はない。今夜の宿のあてもない。そのまま夜汽車に乗って最果ての街、稚内まで揺られることにした。それから二週間あまり、手紙を投函したことなどあっさりと忘れてしまって、ひとりの旅が続いた。
釧路の大地を走るディーゼルカーの中で相席になった女子高生に「○○○大学ですか?プロポーズ大作戦に出して!別海町の小林商店です。一軒だけしかないから」と誘われたりしながら、ヒッチハイクと汽車を織り混ぜて、スリルに満ちた必死の旅はしばらく続いた。
しかしある日、急に私を寂寥感が襲う。無性に一人が寂しくなって「帰りにはあの漁村のあの売店にもう一度寄ろう」という想いを秘めながらも、ポイと夜汽車に飛び乗って、私は北海道を離れてしまうのだ。
もう逢えないだろうな…という重く苦々しい寂しさ。旅の思い出がしっとりと私を包み込み始めている。汽車の窓の向こうは真っ暗闇だ。集落なのだろう、小さな灯かりが時より過ぎてゆくのをぼんやりと眺めているうちに眠れぬ夜が更けてゆく。早朝、夜行列車は上野駅に着いた。衣類は汚れ、髪はボサボサ、新調したズック靴はボロボロでほつれかけていた。これが貧乏旅の象徴だったのだ。
半月ぶりに我が家に戻り玄関を開けると一通の手紙が置いてあった。それは、四年間でダンボール箱一杯になるほど書いた手紙の第一通目だった。このあと、一度も北海道を訪れず、四年という歳月を経て東京に就職した彼女と私は再会を果たします。卒業。辛い別れ…。

そんな物語は、あのときの「みちくさ」が始まりでした。

一部第26話と重なります。


終楽章が書き出せない

4月の初旬から「鶴さん」と「ひろちゃん」の続きを書かずに置いている。

物語の最終楽章は、決してグランディオーソ(grandioso)をフォルテシモで駆け抜けようと考えているわけではない。

むしろ、私にしたら大きく息を吸って勢いよく書き出しながらも、繊細で震えるように消してゆきたいというように、考えていたこともある。

しかし、そう簡単には書き出せない。
いつまでたっても、最終楽章に取り掛かろうという気持ちになれないまま、幾日もが過ぎてゆく。

ストーリーは、わかっているし、決して面白いものでもないのだから、そそくさと終わらせてしまいたい。
・・・・というものの、自分に納得のゆく余韻が得られないのだ。

理由は簡単だ。

物語が終わってしまえば、再び生き返ることがない。

中途半端でもいいから、このままで「続く」としておきたいと、私は心のどこかで思っているのだろう。
終わりのないドラマにしておけば、いつまでも夢の中を彷徨えるのだから。

どうしようもなく眠れない夜に、身体の髄まで酔いしれてしまったならば、書き出すことが出来るのかもしれない。
静かな夜が、あらゆることを思い出させてくれるという、魔術に似た力をくれるような気がする。


あれから何年も過ぎて

一つの出来事がありました

鶴さん その後

これで正真正銘 おしまい です


【初出】

(追憶) 居酒屋・鶴さん
(追憶) 鳥のひろちゃん

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