はや夏がすぎようとして手さぐりで  立秋篇 (裏窓から)

結論から書かねば成らない

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そんなメモが見つかった

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  1. まずまずの人生であったと思って満足している
    周りは不満だと思っているだろうが
    人間なんてのは勝手なものだから仕方ない
    許してやってくれ
  2. 金は稼げなかった
    そのことは自分の打って出た勝負が失敗だったことを意味する
    貧乏を共有させたり金に世話になった人が多かったことで
    今更何も弁解はできない
  3. 身分相応の人生だったのではないか
    見栄を張ったわけでもなく
    必要以上に立派を装ったわけでもなく
    将又見下されて生きたわけでもなかろう
  4. 楽しく生きたという点でよしする
    金がなかったことは前に書いたが
    貧乏であったことが不幸ではなかった
    大金を使って生きる人生もあっても良いだろうが
    そちらを残念ながらその道を選択できなかったというだけで
    幾らかの無念や寂しさも残るものの
    こちらも堂々とした人生だったと思う
  5. 他人と比べるものでもなかろう
    自分の裁量程度で生き通せたのではないか
    器以上の仕事を請け負うても苦心するだけだったに違いない
    怠け者な側面も持っているのだから表裏なく生きて来たと思う

🌱

書き始めてほったらかしにしたのだろう

真面目に書くと長くなる
長くなると読まれなくなる
読んでもらえないと伝わらない

しかし
短いと誤解を招く
または不十分であったりする

本当のことはどうやって受継げばいいのだろう

8月6日 巨峰と水割り
8月6日 巨峰と水割り

8月も25日になり末を迎えているが
日付は立秋(7日)とします

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人生をドラマに

■人生をドラマに

わたしは人生をドラマに仕立てようとしたのか
それともドラマだと勘違いをしていたのか

あしたはいつもドラスチックなものだと描いてしまったのか

そうあってほしいと願ったのか


 

2018年2月 2日 (金曜日)
増殖する(秘)伝

十年

十年

書きかけて放置している
そのうち書き足すのだろうか

うそっぽい

年度の節目に誰かに渡すための引継ぎのための文書を書いている
そのことは普通の業務なので格別な感傷などはない

寧ろ十年間という歳月に
たったこれだけのことをしてきて
それだけのことを大切にするかのように日々を過ごしてきたことが
ある意味では滑稽であり
眺めようによれば愚かで情けなくもあり
幸せでもあり楽しくもあったのだと
客観的に評することもできる

ささやかな人生であり
掛け替えのない十年であり
もっと羽ばたけた十年であり
よくぞ墜落しなかったなとも言える十年だ

さきごろからたびたび考え込むようなネタとして思い浮かび
しばらく放置している間に日々の雑音のなかに消えてゆくことがある

何かを遺す
何かを伝える
何かを受け継ぐ

大切なものは何であるのかを見極める
不要なものと大切なものを区分する

それらを考えて答えを出すために求められることがある
簡単なことだが難しくあり悩ましいものだ

判断をすることだ
区別をして色分けをする
不要なものは切り捨てる

だが、しかし

リンゴよりもイチゴが好きだ
イチゴよりもメロンが好きだ
メロンよりもリンゴが好きだ

そういう人にとっては
白黒をハッキリさせるとか
これは右の棚で次のこれは左の棚
というように区分をテキパキとすることはできない

さてさて
困ったものだ


2018年2月 1日 (木曜日)
増殖する(秘)伝

憎しみや悲しみというものは 赦したり忘れたりできるものであろうか

一月尽

数々のいじめ報道のニュースを見ても電通の過労死事件においても茶番劇のように思えてくることがある
もはや、私は冷めてしまったのだな、という寂しい感慨を抱かざるを得ない

だが、決してこういった事件自体を突き放しているのではない
当事者のみなさんと同じように悔しい思いを持ち憤りを感じている
重要社会問題として捉え、今後の解決課題として必須であろうと思っている

しかし
メディアの御都合的報道では事の本質には何も迫れないとも思うとやるせない

報道メディアは仰々しく正義を見せて大衆に呼びかける一方で
茶番劇のようにしか見えてこないのには理由がある

それは
これらの事の実態はもっと泥臭く水面下は膨大な氷山であること、
これらの事件の陰や裏には悲惨な思いをした人たち一人一人の届いてこない無数の叫びがあること
などを丁寧に掘り下げるべきなのだ

わかっていながら追求しようとしないから歯がゆいのだ
どんな些細なものであっても切り捨てて消滅させてはいけない筈である報道メディアが
弱者のスタンスにまったく寄り添っておらず
弱者の世界での声を聞こうともしていないように思えてならないのだ

だから、冷めて見てしまうのだろう

🍀

事件の裏や陰には無数の声や叫び、怒り、悲鳴、嘆き、泣き、諦めのつぶやきが必ずあったに違いない

私が「パー」で大馬鹿な会社を辞めるときにも周囲では同様の声があった
身近な人が叫び、もちろん私も叫んだ
しかし、それらは誰に注目されるわけでもなく、どこにもオモテに出なかったのだ
報道は大勢の言い分を筋書き通りに書いただけで
社会の枠の外から高みの見物をする人たちを楽しませたに過ぎない

社員およそ10万人のうちの約3万人近くを
「自主退社」とか格好・体裁がよい「人員整理」という形で 処分したときにおいても
どれだけの人間が叫んだのか、誰も知らないままだった

声は誰にも聞いてもらえることなく時代は幕を閉じて新しいステージにすり替えられてしまった

🍀

現代でいう差別やいじめの陰湿さやえげつなさを考えてみると
それが氷山の一角であることくらいはどんなに鈍感な人でも推測できよう

電通の過剰労働の事件、世間を騒がすブラック企業の問題、いじめやそれに伴う自殺事件にしても
実際にはもっと深くて大きな世界で想像以上に泥流やドロドロとしたものが蠢いている

人殺し、惨殺は人道に背くことは自明であるが、それよりもいじめは無残で非人間的である
にもかかわらず、世の中ではそれ以上の悲惨で卑劣ないじめや強要、誹謗、中傷、差別、迫害などが起こっている
人と人との繋がりのある箇所にはもれなく非人道的な行為があると考えて間違いではない

これらは一瞬のうちに人を殺戮する残酷さとはまったく違って
石川五右衛門の釜茹での刑罰や五条河原に生首をさらされることのように
さらには、隠れキリシタンが受けた穴吊りの拷問のように
えげつないものであるのかも知れない

人が人をピストルではないもので攻撃するときはとても卑劣なものになる

何故ならば
それはまっとうな人間が社会の安泰としぬくぬくとしたところから
非人間的に行う(動物でもしないような)許されないような行いであるからで
ピストルというような明確な武器を使わない分だけ陰湿で卑劣になりやすいことを特徴付けている

いじめや過剰労働の強要、ブラックな就業体制など、
人間の醜い行為は、従来の刑法と言う枠をすり抜けるようなものの連続で
動物の世界にはおそらく存在しないものではないか

🍀

最初に書いたように
私はもう冷めてしまっている

いわゆる大企業を渡り歩いて技術者として名誉・地位・お金を得て
悠々に暮らしてゆこうと考えたことの土台からが大間違いだったと
気が付いた時には半世紀が過ぎていた

温度差がある「ヒト」と「ヒト」との関係
毅然と尺度が異なる中での歩み寄りやら繋がり
または社会での共存・共栄の考えに
もう今更何を言う気もない

それが今である

恨みがあったらあの世に行ってから
化けて出て果たすしかないだろう
と笑い飛ばしている

父が逝った十九年前のこの季節、大寒が過ぎて舞った雪も凍えるように冷たかったが
いつの時代になってもこの季節は寒いもので
あのとき逝った人は凍える土の中であの世の三途の川を渡ったのだろうかと思うと

憎しみや悲しみというものは
赦したり忘れたりできるものであろうか
と改めて思うのであった

躓く・忘れる・落とす・こぼす─朔日にうるめを食いつつ考える

♠️躓く
絨毯程度のちょっとした厚みであっても足がすっと閊えてしまうことがある
足が微妙に高く上がっていないからだろうと思う
そういうふうに躓くことが増えた

♠️忘れる
頻繁に会った人なのに暫く振りにどこかでばったり再会して名前が思い出せないことがある
いわゆるド忘れである
これには特徴があって必ずと同一人物を繰り返して忘れる
意地になってメモをするものの見ないで思い出そうとしても蘇らないことが多い

♠️落とす
テーブルに腰掛けて作業などをしながら手を伸ばして離れた場所からハサミを取ろうとしたときなどに手に持ったハサミをポロリと落とす
手が握る力(握力)を加減する制御神経のようなものが微妙さを失ったからであろう
一定の力で握り続けている時にふっと筋力が緩むように見える

♠️こぼす
漬物とか惣菜などをテーブルの上で取り分けるときに取り皿までの間でぽろっと匙からこぼすとか箸から落ちしてしまう
また、お茶漬けをかき込むような動作でご飯を食べているときに口からポロポロとご飯などが零れ落ちる

うるめ
朔日にうるめを食いつつ考える

(1)忘れる
(2)落とす
(3)こぼす
(4)躓く

この4つのアクションは日ごろの行動で起こるミスだ
特にある年令を回ったころからこうしたちょっとしたミスが気に掛かるようになってきた

しかし視点を変えると面白い

人生の歩むうえでの自分の姿や道程にも当てはめることができるのではないかと後でよく考えてみて気づいて苦笑いをする

人生において起こるこれらの4つのミスは、若いときであれば日常茶飯事で、驚くことではなかったわけで、むしろそれをステップ・アップの足場にしてきたはずだった


♠️落ちると躓くは人生において痛い思い出がある

受験に落ちる
高校入試失敗で始まって高校2年の2学期の交通事故の後の成績の急落
大学受験は推薦で落ちて現役で落ちて浪人で落ちまくる
進級においても落第を体験するし
人生いろいろというのは早くも15歳の時から始まったのだった

躓く人生
元来頭は良くないのだからそんなに背伸びをしても無駄なことが多く
自分に合った人生の道を歩むべきで合ったのだと気づくのはこの年に近づいてからだ

躓いたことをふりかえるものの実力不足なのだから想定通りに壁に当たったというのが正しいか
出世もできないし仕事での成功も(私の力では)輝かしいものはあまりない
周囲に恵まれての言ってみれば歴史に残るような足跡があるともいえようが
私が一人で築いたものではない

オンナ好きの怠け者、さらには見栄っ張りでケチ
思い出したくもないオンナに騙されて人生の崖を落ちることになったのはここで封印する
(ツマには感謝します)

そもそもが競うことを嫌う性格がたたって
似たものが集い切磋琢磨して上達しながらものを作り上げてゆく集団には行きたがらない

♠️曽祖父、祖父、父と三代に渡って、村長、村会議員、公務を努めてきたのだから
何もスピンアウトして遠い都市に本社を置く企業に行くことなどせずに
故郷に御恩を返すべく奉公する職につき持ち味を出せばよかったのだ

(身近な人たちは口を揃えていうのだが、もうすでに遅い)

♠️こぼす と 忘れる
まあ歳食ったんだから仕方あるまい

幸せに生きよう
健康に暮らそう
そんなことばかりを口癖にしている

人生は死に向かう歩みである

年齢を重ねていくとは、心が豊かになっていくことだと思っています

先日ある方からいただいたメールに
書かれた一文が目にとまった

するりと読んだものの気に掛かるので
少し思いを揺らせている

その1通前の便りには
まだまだ思い出を語るには早い年齢
とも書いている

いろいろと回想することやら想像が頭の中を巡る

🍀

悩みや悔やみに満ちてこれまで生きてきたことの苦悩から脱出して
少しでも緩やかに穏やかに楽しく愉快に暮らしたいと
晩年を迎えて多くの人たちは夢見る

ストレスに締め付けられる時間を過ごすのではなく
我が儘で気まぐれな時間を送りたいと誰もが願う

豊かなモノに満たされて
欲しい物など何1つ辛抱することなく手に入れて
満足で豊かな暮らしをしたい人もあろう

人生の道筋の先に1つの姿を目標として置き
例えば幸せをこういうふうにして掴みたいと考える
それは叶うかどうかはわからない
叶わずに終わる人も多かろう

私たちは生まれたときから幸せを追い求め続け
苦しみや悲しみを踏み越えて
夢を食べながら一生懸命に歩む

ある形をしたものを描きつつ
そこに豊かさを見いだそうとしている
そんな気がする

🍀

私の想像は
単なる想像というよりも
ドラマの創作のように多様なものに変化し
もらったメールとはかけ離れていってしまう

世の中には
無数の人生の筋書きがあり
価値観があるわけで
私が考えたのは
きっとその1つを
掘り出して組み立ててみただけなのだ

豊かさを求めながら
幸せとは何だろうか
考え続ける

人生は死に向かう歩みである

忘れる

平成22年(2010年)の年末に「遺す言葉」を書き始めている。

忘れようとすることとはどういうことかをあのときは考え続けていたのかもしれない。

忘れてしまうには覚悟が必要だ。
そのことを薄々感じ始めいるようだ。

恩返しをしないままですべてを忘れてしまっていいのか。
何も残さずに命を絶やしていいのか。
そんなことを考えたのではないか。

許すということは忘れるということだ。
そのことが言葉になって迫ってきたときにこれまでの許せない数々の出来事を次々と思い出してゆく。
しかし、次々と出てくるはずのものがそう長くは続かなかったから慌てた。
こんなに少なくはないはずだ。
もっと憎しみや恨みに満ちていたはずだ。
だから、許せないアイツらのことは必ず山のようにあるはずだ。

そう考えたのだろう。

ところが、あたかも許したように出てこないのが悔しい。
許すということは忘れるということ
その言葉を何度も頭のなかで反芻した。
忘れてしまっては許したも同然だ。

怒りも湧き上がりながら
万事休すなのかと悲しくなる。
諦めもどこからか忍び寄る。

けれども、ゆるさないために思い出さねばならないのだ。
ペンを置いてはいけないと誓おう。