八月号の雑感(巻頭言・あとがき)

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■ 巻頭言

先月号を書いたのが大暑のころで、桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)という季節でした
そのあと、土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)を迎えて、「溽暑」(じょくしょ)な日々を我慢で乗り切り、やれやれという思いで8月を迎えます

七十二候では、8月になって立秋を迎えるまでのあいだを、大雨時行(たいうときどきふる)というように呼び、暑い夏から秋へと移ろうのを待ちます

今年はちょうど、7日(月)に台風5号がやってきて、その前日(6日)、夕刻のジョギングに出かけるとツクツクボウシが鳴いているではないですか

あら!と思い日記を繰ってみると、2年前には立秋の前日に初鳴きを聞いたと記録してあり、カナカナと悲しそうに鳴く蜩がすぐそのあとに鳴き始めたと書いています

さて、夏休みが真っ盛り

澄み渡る青空にモクモクと入道雲がわき上がると思えば、激烈な雨が突然に降るような日々が続きます。小学校の校庭の一角にあるプールからは涼しい歓声が響いてくる

やがてお盆

先祖の恩に感謝をし盆棚を飾り、お墓参りに出かけたり、忙しい日々をお過ごすことになります

フォークソング歌手のよしだたくろうが歌った「夏休み」は、麦わら帽子、たんぼの蛙、絵日記、花火、スイカ、水まき、ひまわり、夕立…と叙情を呼ぶ言葉がたくさん並んでいます

消えゆくもの、伝統をしっかりと伝えるもの、様々ということでしょう

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■ あとがき

七十二候の暦が、第三十八候「寒蝉鳴」(ひぐらしなく)に変わりました

「寒蝉」とは「秋の訪れを告げる蝉で、ヒグラシやツクツクボウシ」のことです
まだまだ暑い日が続くものの、稲穂は日に日に色づいて、秋は着実にやって来ているのもわかります

稲穂は七夕のころに出てほぼ四十日余りで刈り取りの時期を迎えます
伊勢平野ではお盆を過ぎたころに稲刈りが真っ盛りになります

先日、ふらんす堂の山岡さんが編集日記で
  包みたる桃の匂ひの古新聞  細見綾子
という句を載せているのをみて、子どものころに庭になった桃をもぎ取って囓ったのを思いだしました

店頭に並ぶ桃は今やすっかり高級品になってしまいました
スイカも桃も葡萄も、いまでは甘くて美味しくなっています

お盆に大勢の人が集まるとそんなむかしの味を一生懸命に思い出そうとします
懐かしくもあり滑稽にも思えてきます

あのころには、甘くなくとも美味しかった時代があったのですね

ともだち (七月中旬号)

ともだち

「ともだち」とは掛け替えのないものだから大切にしよう
と大勢の人が言います

「ともだち」って何でも話せて
言いにくい悩みも聞いてもらえて
居てくれてとても嬉しい

けど
別の見方もしているのです、ちかごろ

「ともだち」って
話を聞いた後にも
本当に相談に乗ってもらって
自分のゆくべき道を考えるときの大きな力になってくれるのだろうか

ともだちって言って居ながらも
それって本当はお互いが何も知らないのではないか
知ってるつもりになっているだけではないのか

ともだちっていうものの概念は
理想であって妄想のようなものではないのか
イザという時に傍にいてくれるわけでもなく
崩れてゆくわたしのあらゆるのもを
しっかりと支えてくれるわけでもない

傍にいて泣いてくれたり
死んだ時に見送ってくれることはあっても

いわゆる
そんなことってのは「なかよし」な話であって

何でも話せて本音を打ち明けてそれを聞くことと
本当の「ともだち」というものの間には
大きな隔たりがあるのではないか

「ともだち」という言葉は安易に使えないし
そんな人はゴロゴロとはいないのではないか

では
「ともだち」とはどこに居て
今のわたしとどんな位置関係にあるのだろうか

そんなことを考えている日々が続く

遺す言葉 - 平成27年までのものを書き写し完了しました

遺す言葉 26〜30まで これで転写終了

「あいさつ」のメニューにて
ぼちぼちと書いてきました
(書き写してきました)

平成27年のものです

平成28年からのものは
このブログに書いています



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遺す言葉 1〜11まで 更新しました
遺す言葉 12〜18まで 更新しました
遺す言葉 19〜25まで 更新しました

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(八十八夜に考える)

(八十八夜に考える)

案を練る歓びと
作る歓びと
完成品に見とれる歓び
などありましょうか

黙々と手や脳みそを動かす時間は
私たちが永年
すっかりとその本質を注いで
その本当の姿も忘れていたかもしれぬもので
そういう原点に戻ってくることってのは
ヒトの本能であるのかもしれない
と思うことが増えています

アホみたいに何かに取り憑かれたように
ある種のガムシャラで生きてきた長い年月は
一言で申し上げれば愚かであったとまで断言できないにしても
ある時代の人たちが魔法にかかってしまったようであったことは否めない

多くのものを取り戻すことは
ちょっとした困難を伴うけど
それこそがそのヒトの本当の腕の見せ所なのだろうと思います

捨てたくないモノを捨てて
新しいステージを築く時の
歓びを讃えましょう

🌿

私はそんなメモ書きを
放置したまま
この春を過ごしました

激しく生きてきた
一時期のような
弾け飛ぶような
パワーは今はもうありません

しかし
冷静に物事を見つめて
見送る心が
少しずつ満ちてきているように
自分では思っています。

新しいものを生み出したり
触発するような閃きもありません

3月のなかごろに考えていたこと

3月16日
33回目の結婚記念の日の頃に考えていたこと

(3月号のメルマガ巻頭言)

あっという間に3月を迎えて、年度の節目ということで忙しい人も多かろうと思います
新しいステージへと旅立つ人もあるのではないでしょうか

落第も二度目は慣れてカレーそば  小沢信男

季語の「落第」というが面白くて目にとまりました。愉しい俳句です
作者の小沢さんは昭和2年生まれの人で、興味深い作品がたくさんあります

「落第」の季節今ごろですから、春の句になります
「落第」って恐ろしい言葉ですけど、 もしかしたら死語になりつつあるかも知れません

この季節には花が咲きますからのんびりと花見をしたいものです

しかしながら、思い出は苦々しいものばかりで、散歩をしながら湯島天神の梅や千鳥ヶ淵の桜を 見物に行くにはちょうどよいところに母校があったのに一度も花見に出かけて行く余裕はなかったです

あのころは「留年」などという生やさしい言葉ではなく「落第」という言葉が春の日常語でした

(私の母校では)新入生の6割ぐらいが浪人生で卒業時にはその半分くらいが「落第」の洗礼にあっていた時代です

あれから時代が過ぎて二期校という呼び名が消えて共通一次試験ができて後にセンター試験に変わって、学生の顔ぶれは金太郎アメのようだと評されるようになり、浪人とか落第
という言葉も廃れていきました

3月のメルマガを書く時節は、そんなわけで節目がズレて2倍、3倍にも膨れあがった友人たちから異動の便りが届く季節でもあります

みなさんはいかがな年度末をお送りでしょうか。