星野仙一 逝く ─ 小寒篇 (裏窓から)

長い人生を歩めば必死にならねばあかんときもあるし、気を緩めた方が良いこともある

壁に当たっても強気で攻めるのが策のこともあるし、熟すのを待つという選択もある

つまりは人生は状況を冷静に見て判断してゆく眼と勘と勇気が必要ということだろう

あの時の勝負が成功だったか失敗だったかなどは自分の命の最期まで断定できない

元旦篇であるとか小寒篇とをじっくりと腰を据えて考えることが六十を回った新年にはふさわしかろうと思いながらも日々が過ぎてゆく

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そんなこんなのときに星野仙一さんが一月四日に亡くなったニュースがメディアで報じられ追悼の記事が余韻を引いている

星野仙一産は私が学生時代だったころの中日のエースであった
七十歳ということが大きな衝撃だ

数々の足跡を残した人だけに心に突き刺さる名言が多い

明治の野球部時代には合宿所の便所掃除もこなしてきたという話を読む

「人が嫌がること、つらいことこそ先頭に立って上の者がやるべきなんだ」

星野仙一さんは自らの著書「勝利への道」で「厳しさと激しさの中でこそ人は伸びる」と語っている

「なぜ便所掃除でなくてはならないのか」ということを筋道を立てて考え「筋道とは何か」を自分にもう一度問いかけてみるのがよい

急がねば「便所掃除」という言葉自体が社会から消滅するかもしれない

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星野仙一のあの投球フォームが好きだった
短気で熱い印象も鮮烈に残る

生まれる前にすでに父を亡くし母と姉二人の元で育ったという
十歳上の時代に明治を出ているのだから並大抵の苦労ではなかったはずだ

人は不屈の精神に燃えている時が一番の哲学者かもしれない
七十歳という数字がこびりついて頭の中で暴れている

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逝く人や伝えたきこと問い返せず ─ 冬至篇 【裏窓から】

▶️ この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう 小暑篇 【裏窓から】 – Walk Don’t Run –

これを書いたのは七夕のあくる日だった

そして作家の葉室麟さんが亡くなったのは冬至(22日)を一日過ぎた十二月二十三日のことで、翌朝の新聞を読んで知り驚く

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小林麻央さんの悲しい知らせのニュースのこともあって夏の盛りには
▶️ 「いつ死んでも後悔するように生きる」その姿を考える ─ 立夏篇 【裏窓から】
という回想もしている  - – Walk Don’t Run –

刻々と月日は過ぎてゆく
次々と此の世をさる人の中に同世代が年々増える (同世代=年齢±6歳)

私の父も六十六歳という年齢だった
そのことをこのごろになって考える
20年前には思いもよらなかったことを考えつく

たぶんあの年齢のときにあの人は
とてつもなくたくさんのことを考え
小さなことから大きなことまでを
尽きることなく案じ続け
それを言葉にできずに悔しがり
伝えられず考え
その果てに諦めたのかもしれない

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亡くなった人にはそれぞれの人生があった
それははかり知れないものだが
何一つにも無駄はなく失われてはいけないものだったに違いない

まだまだ生きねばならない人もあっただろう
生きる必要もあったし
生きて
やらねばならないこともあったはずだ

そのときは予告通りだったかもしれないし
曲がり角を曲がって突然現れるようなものであったのかもしれない

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死んでしまって
此の世で忘れ去られようという時期が
いつやって来ても
あの人はかけがえのない人であった
と振り返ってもらえるような足跡を残さねばならないし
いつまでも語ってもらえるようなヒトでありたい
と考えて生きてきた

何よりも悔やむのは
その様々な場面において
きちんと義理を果たして来なかったことだろう

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さあ、私の番が近づいている

あれこれとそんなことを言いながら年賀の宛名を書いている
近年、宛名を書くのが座禅のようで楽しい

12月27日朝日新聞
12月27日朝日新聞

– Walk Don’t Run –

落ち葉舞う師走の風は冷たかろう ─ 大雪篇 【裏窓から】

師走を迎えて本格的にいよいよ来たかと思わせる寒波と共にフォークソング「風」を作曲してヒットさせた、はしだのりひこさん死去のニュースも飛び込んできました。

1960年代の後半から一世を風靡した「ザ・フォーク・クルセダーズ」や「はしだのりひことシューベルツ」の名前を知らない人も多いかもしれません。

五十年という歴史のページをパラリと捲ってすべては過去の中にしまい込んでしまうこともできましょう。

けれども、それでは少し気が収まらないというわけで、酒を片手に音楽を聴いてあのころ・あの人を偲びました。

北山修・はしだのりひこのコンビでヒット作を放った「花嫁」も回想するなかに出て来ます。

「花嫁は夜汽車にのってとついでいくの」と歌っても何の違和感もないどころか、夢とロマンに満ちていた時代でした。

天国にはこわい神様がいて地上へと追い返されることもあったのかもしれない。

しかし今も昔も「プラタナスの枯れ葉舞う冬の道」は変わりなく、京都・都大路には「プラタナスの散る音に振りかえる」人が溢れて賑わっていることでしょう。師走は刻一刻と暮れていきます。

これを書き始めた日から配信する日まで、日一日と目まぐるしく変化する波のなかで、今年一年を省みて漢字を考えたりしながら、ふっと五十年を振り返ってみる時間があったので、ここに覚え書きをしておこうかなと思ったのでした。


もう少し書き足したい

熟熟:つくづく  年が暮れゆく前に考える - 小雪篇 (裏窓から)

「よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要なんだ。最初は俺が教えた通り覚えればいい」

立川談志の語録にある。師匠は弟子にお辞儀の仕方から扇子の置き方まで、相手の進歩に合わせながら導いたという。

「あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん」

「盗むほうにもキャリアが必要だ」という温かみがあってしっかりと相手を分析している眼が素晴らしい。この人の凄さの一面なのかもしれない。

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「技は盗め」「黙って見て学べ」「一を聞いて十を知れ」「聞いてわからんなら見てもわからん」と一般的によく言われ、私の父もコツコツと農作業をする傍ら口癖のように私に呟くように話したものだ

それを否定する談志師匠の言葉である。

人を育てることの難しさは、この二つの正反対の言葉を融合させて同じ方向に力を向けるところにあるのだろう。

優しい心遣いと厳しい指導力があって実現できる。

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私が社会人になる時にある人から助言として「自分が世に出て大物になるより人を育てて大物にしていけ」という言葉をもらった。

どこまで私がその人の助言に忠実だったかは反省するところも多いのだが、人が持っている力をしっかりと見つめて押したり引いたりしながら大きくするのだという心が言葉の奥には潜んでいる。

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一子相伝。父は私に何かを伝えたかった。それはあまりにも多過ぎたのか、大き過ぎたのか、困難だったのか、私には一つとして受け継いだという納得の物がない。

年末に思う。

上手に藁縄を編み込んで草鞋を作ったり注連縄を作っている父の姿を思い出す。

正月前にはカゴに溢れるほどの出来上がった注連縄をどのようにしていたのか、友人知人に配って歩いたのかさえ知らないままで暮らしていた。

青く瑞々しく逞しい藁が注連縄に編み込まれてゆくのを黙って見ていたこともあったが、編み方の技を教えてくれと進み出たこともなければ、その注連縄を手にとってじっくりと眺めたこともなかった。

師は黙ってモノを作り言葉少なく人生を語った。

子どもに将来の生きかたを語ったに違いないが、言葉は消滅して何も残らない。

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私は伝えることの難しさを熟熟とこの頃になって感じる。

語るのはうしろ姿だった。そして今はうしろ姿の面影だ。

藁をぐっと巻いて締め上げる時に彼は何を考えていたのだろうか。

何を伝えたかったのか。

年の暮れになるとその思いに迫られる。

正月があける大寒の時季を迎えると二十回目の命日を迎える。

ぼちぼちと冬に向かう ─ 立冬篇 (裏窓から)

二週続けて県南部沖を襲った台風であったが、幸いにも被害や怪我に見舞われることもなくホッとしている

台風や大雨などの災害は、不運をいう前に自らの油断や奢りによる点も振り返るべきである

自然の猛威は、近代の地球温暖化による影響だけではなく、ずっと原始の時代からニンゲンが闘ってきた歴史のなかにある

決して今に始まった訳ではないと言ってもいいだろう

河川の氾濫、山壁の崩落は、大地を我が身の都合の良いように人類が改造をしようとした時から始まり、地球の上である種の均衡を保っていた力を、自分たちの都合でねじ曲げてしまったことが大きな起因要素であろう

ヒトは勝手な生き物だと思う

住みよいように山を削り、川を曲げ、海を埋め立てておきながら、自然からのしっぺ返しには知恵という力で立ち向かおうとする

いつまでたっても、人類への驚異を封じ込めようとしている壁のどこかで綻びるところが絶えない

なのに、いつまでもどこまでも開発をやめようとしない

地球温暖化というもっと大きなパワーでやられるかもしれないのに、まだ、高を括ったようなところがある

台風が過ぎて日一日と秋めいてくるので、荒ぶれた心も秋のしっとりとした雰囲気と相まって、落ち着きを見せ始める

静かに冬を迎えようとしている姿は覚悟を決めた生命体の一つの姿でもあるのかもしれない

◉ 雨の日や傘かくれんぼ尻尾追う
◉ 誕生日リセットボタンに指乗せる
◉ 柴漬けを食うや酸っぱき人生思う

誕生日の頃に書き留めた三作ですが

なかなか、うまくまとまらない
苦汁を飲んで暮らしているときとか
不満に満ちているときとか
夢を追いかけているときとか
そういうときにびっくりするような作品が生まれて

なかなか、それなりに幸せなときは
緩んでしまって
作品に締まりも切れも情熱も欲望も
そのかけらが出てこないものだ

🍀

立冬に当たって所感が
スラスラと浮かばないのは
どういうことだ

ムスメは13日の予定日を控えて
いつでもオッケーの気持ちなようですが
なかなかです

台風21号 一過の月曜日 〜 裏窓から 霜降篇

10月23日は霜降
立冬まであと15日であると思うと愈々きたなあと染み染みと感じ迫るものがある

先日から産休で帰泊しているムスメも臨月の期間に入った
インフルエンザの予防接種も済ませた

今年の10月23日はそんな日である

そして台風21号が未明に大暴れして行った日でもある
記録史上初という降水量を記録しながらも近隣で大災害が発生しなかったのは幸運だったといえるかもしれない

予報技術の進化により半日ほど前には相当精度のいいレベルで豪雨や雨雲の予測ができるようになった
当たり前のように流れている危険警報が耳に残らないのかそれとも舐めてかかっているのか、はたまた怖さについて無知すぎるのか

悲しい報道がいくつかある

台風一過となったあくる日は月曜日、通勤で使用するJRが一日中運休したため仕事は休ませてもらった

昼過ぎになっても強風は収まることがなく、マゴの手を引いて住宅地のなかを散歩に出ても1歳半の軽いカラダは吹き飛ばされそうになっている

宇治山田駅に床に浸水があったというニュースを見た
高2の七夕の豪雨で宇治山田駅の周辺は水浸しになった
あれ以来だろう、きっと

霜降の夜に考える

あの雨は只者ではない雨だと気づき始めたのは台風が最接近する6、7時間ほどまえだった
夕暮れどきに玄関に出て庭の水たまりと黙々と振り続く雨にゾクッとする静かな勢いを感じた

一、二度か、二、三度かは定かではないが、子どものころの嵐の夜に家中の戸には戸板を打ち終わって台所と牛小屋の境の土間に担桶(たんごけ)を置きロウソクの明かりで食事をしたりして夜を待ったのを微かに覚えている

嵐が来れば停電になるのは当たり前のことだった

防災意識が高まっている昨今であるが、もしもこの日の夜に昔のように予告も避難勧告もなく突然に停電をして数時間を過ごすことになったならば・・・ということを、ふと、考えた

便利とは何か、どういうことか、科学技術とは何か
考えろと言われて考えるのではなく、必然的に見つめ直して考えることが最も有効な防災訓練かも知れない

もしも・・・の停電は起こらなかった
それが一番いいに越したことはない

ひつじ田が露光らせて寒さなし 寒露篇 - 裏窓から

▶️ 寒露
七十二候の暦が冬の前触れみたいにヒヤッと寒さを漂わせる
早朝に駅へとゆく折にも頬を撫でてゆく引き締まった空気に真剣味を感じる

ひつじ田の朝露が水平に照らしてくる太陽光で銀色に輝いている
稲架がけが並んだ田んぼも見なくなってしまった

暑くなったり寒くなったりの日々を繰り返している
九月のような日だと思えば十一月の寒さがくる

毎年のことだが
寒露のころって誕生日が近いのでソワソワとしている

長袖にしたり半袖にしたり
いかにもぼくの性格に似ているようでもある

▶️ 京都
十月初旬になってまもないときに三日間ほど京都へ出かけていた
その帰りに寒露をの時節を迎えた

六日から七日にかけて雨が降った
横殴りになるような激しいものではないものの
静かで淑やかを装いつつ豊かな降水量を記録したのではなかろうか

三十余年ぶりにむかしの職場の同期の子と会うのだという
ツマといっしょに出かけた
会って話し込んでいる間には
秋の国宝の特別公開にでも行ってこようか
と軽く考えてていたのだが
雨降りを避けて地下街やそこに連なる大型店舗を
行ったり来たりしていた

▶️ 「壇蜜3」という日記
電車の中で日記を読むのがなかなかリラックスできる
一日分の短い日記を読み終わっては外の景色をぼんやりと眺めている
あらっと思うキーワードがあるときは付箋を貼るかメモ帖に書きとめている

「泣くなら一人で、出来事は日記に」

味なことを所々で書く人である
見たこともないし声を聞いたこともない真っ白な印象の人である
知性を見せびらかす風でもない

▶️ 日記を書く
司馬遼太郎を読んでいるときに書く日記は「街道をゆく」ふうになるし
壇蜜日記を読めば壇蜜ふうになってしまう

もちろんそれは自分がそう思っているだけで他人が読んでも似ていないのに
人というものはそういう人物や人物の生き方に知らぬ間に傾倒してゆく

▶️ 総選挙
それが正しかろうが間違っていようが
1つのことをぐいっと考え込むことは大事なことで
この十月に大騒ぎをする総選挙であっても
考えることなく送ってしまう人が多いのではないか

何でもネットなどの情報網で検索し流れるままに決定してしまう人が多い
そういう人がこれからの社会を構築してゆくといえばこの上なく儚く情けない

▶️ 不便であることを活用する
負けるとわかっていても
戦さに挑む人の心の奥深くを
一度でもはかってみる柔らかな視線が必要だろう

論座を返す
白黒を互いに入れ替える
そういうふうにじっくりと考察をして未来を設計する
考える手間や勇気や手段を失ってはいけない

何でも任せっぱなしの便利な時代である
不便であることを活用することを忘れないように心がけたい