秒読みが始まったとは誰も気づけない
したがって架空で語ってゆくか
過去を巻き戻して書きとどめるしかない
この際どっちだっていいだろう
七日後には消えるというものがたりを追いかけてみる
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◆ 七日前
朝はいつもどおりに目ざめている
歳を食ってからは床をあげるようなことは全くない
身のまわりの几帳面さも欠乏して
寝床の周りには着さらしの服を放置したままだ
日記はもう数年前から書かなくなってしまった
枕元に昨日の夜の書きかけの日記があったのは
もう数年前のことで
今では幻の風景になってしまった
最初に脳梗塞で倒れたとき
激しい衝動が湧き上がり
何十冊とあった若い頃からの日記に
火をつけ燃やして灰にした
大きな事件であったが
誰も深刻な脳梗塞の重篤さを
気にかけなかった
生涯で怒りを噴出させたのは
二度だとすると
このときがその二度目だった
寒いなあ、正月が過ぎて一段と寒いなあ
と呟いたかどうかはわからない
1月15日木曜日
脳梗塞の症状ものらりくらりだ
むかしからときどき
ひとりごとをいう癖はあった
ツマの誕生日が近いことは
気づいていただろうから
もうじき歳を食うなあと囁いたかも知れない
そして自分の誕生日が
あと二か月後にくることに
何かを期待したのだろうか
まだ67歳ではないか
しかし80際までは生きられない
そんなことを漠然と思っただろうか
まさかこの冬に
自分が67歳を2か月後にひかえながら
逝ってしまうとは想像もしていない
もう少しだらだらと生きてゆくのだと
漠然と感じていたのだろう
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◆ 六日前
その朝いつものように起きて
いつものように朝ご飯を食べて
寝たままで一日をはじめた
救急車まで自ら出向いて
病院まで運んでもらったことが過去にあった
死んでたまるか
そう思ったのだ
あのとき
頭蓋骨の中には
毛細血管から吹き出た血が
満ち溢れていたのだ
そんな事件があったことを
ムスコ(長男)には話したことなどない
あのときは生きていくことに夢中で
ムスコと会話を愉しむというような歓びはなかった
いつか忘れてしまうほどのむかしに
体調を崩して寝込んだことがあって
あの日のできごとが蘇る
身体は丈夫な方ではなかった
だから寝込むことが多かった
あのときは今までにない痛みを感じたのだったか
家族が(たぶんツマが)
冗談めいて
「それはガンかも知れない」
などというものだから
落ち込んでしまう
二日間ほど床に伏していた
気持ちが落ち込んだのだ
家族は
おとうちゃん気が弱っとるわ
と冗談を言ってケラケラとしたような気がする
根っから怠け者ではないので
明るい時刻に寝ているようなことはしない
そんな姿を見た人もいないはずだ
もしも寝ていたなら
たとえそれが朝であって
誰よりも遅くまで寝ていれば
どこか具合が悪いのではないかと
誰もが疑う
頭痛や腹痛で横になることもない
根っから身体が弱かったのだが
特化した症状が出るのではなく
弱い身体が全体で悲鳴を上げるタイプだった
66歳という若い年令で
死に絶えてしまったことを考えると
身体そのものの頑丈さは持って生まれたものであり
弱い人は長くは生きられない宿命を秘めていると気づく
努力をしても早く坂道を駆け上がることもできなければ
どんなに節制してさらに上質な栄養を摂取し続けても
元々が弱い人があるのだ
それがウチのこの人であり
ウチの血脈の宿命なのだった
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◆ 五日前
当然、自分の命が果ててしまうとは想像していない
18歳で出て行ったムスコだが
まずまずのところに住んでいる
ひと目でもいいので逢っておこう
などとは考える必要もない
この日は1月17日土曜日
ムスコも休みではないか
正月に顔を見せたきりだ
クルマで1時間走れば飛んできてくれる
その時間くらいはいつでもあるだろう
そう考えていたのか
まだ生きると信じていたから
遺言を伝えようとも考えない
そもそも遺言などと言うものは
ヒトが元気なときにぼやく愚痴に似たものでもある
オラには何の不満もなければ
言い伝える言葉もない
と思っていたかも知れない
ムスコのことを
子どものころは賢かったが
大人になっても大きな人間にはなれなかったな
と思い続けていただろう
小学校の卒業文集で
アナウンサーになりたいとか
もっと小さいときには
船乗りになりたいと
言っていたのを
強烈におぼえていて
そんな夢を大人になるまで持ち続け
実現するまで粘るだろうと
心の側面で固く信じているような人だった
つまり
自分の子どものころに抱いた夢がきっとあり
それが幾つになっても夢として心の片隅に
存在していたのではないか
夢は誰にも語ることはなく
秘めたままで
誰も夢の存在すら知ることはなく
消えていったのではないだろうか
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◆ 五日前
日曜日
NHKの日曜美術館を見るのを楽しみにした
ドラマは見ないし
バラエティーも見ない
脳梗塞で倒れて頭が……
というか
記憶が曖昧になってきた頃から
絵も描かなくなった
几帳面な性格で
絵を描く自分の部屋はいつも片付いていた
目を閉じても何がどこにあるかを探り出せるほどだった
それも
脳梗塞の進行とともにかすれてゆく
酒も飲まないので
遊びもしないので
時間が止まったように過ぎる日々を送り
秒読みが始まると
秒針がいらないほどに
静かに呼吸だけを続けた
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◆ 四日前
寒さが来るとニュースが伝えても
元々が寒さには弱音を吐かないので
それほど苦にしていなかった
死の時刻が迫っていた
そんなことには気づかない
誰かが察することができたのだろうか
姉には
わかるのだ
予感なのか
ジンはどうや
電話をかけてくれたのか
前もって問うこともなく
この家に来たのか
兄弟には淡白だった
喧嘩をするようなこともなく
付き合う人たちにも
悪く評されることなど一切ない
日常の人付き合いも
そのままの顔で
蔑まれたり妬まれたり
憎まれることなどもない
自分を主張することもなければ
無駄に意地を張ったり
相手を貶したりもしなかった
寝床に伏しても
我が儘をねだることもなかった
したがって
人間関係において敵など居なかった
しんしんと一つの方向へと
向かっていたのだろう
静か過ぎて
気づかなかったのは
ムスコがアホだったとしか言いようがない
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◆ 三日前
明日は大寒
明後日はツマの誕生日
そう思っていたのだろう
自分の心臓の勢いが弱くなっている
そのことに気づいていたのだろうか
周りが少しざわつき始めるけれども
隣に住むムスコは仕事に出かけてゆく
月曜日
30キロほど離れたところに住むムスコ(カズ)は
この人の微妙な変化など何も知らない
正月に会って
話したことすら
どんな内容だったかも忘れている
まさか……
と楽観的に考えているのか
最期に及んでどんな言葉を交わしたかなど
誰も知ることができない
逝く人のほうも
意識がぼーっと朦朧になり始めて
あらゆることが記憶にとどまらない
カズのことも
気にとまらなくなっている
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◆ 二日前
隣のムスコは仕事に出かけ
危篤が迫るのを
ムスコたちは何も知らずにいる
ざわざわと人が集まってくる
しかしながら
いつものようにお粥を啜り
えらいなあ、ぼーっとするなあ
と言うていたのか
カズは何をしとるか
正月から顔を出しておらんな
東京に行って就職で京都に来て
そのあとこっちに帰って来ても
ロクに話もしなかったなあ
と思ったは夢の中のことか
もしも
あの世で再会できたら
そのことを問うてみよう
夢うつつの時間が過ぎて
食欲も衰えてきている
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◆ 一日前
ミエコさん(姉)が来る
家族(ツマ)と並んで布団に入って
さすってもらったり
何やら話しかけてくれたりする
記憶はうっすら・ぼんやりとして
周囲の人は予感を感じたに違いなかろう
離れたムスコは何も知らない
誰も知らせようともしない
ムスコ(フトシ)は覚悟をした
しかし兄を呼ばない
まだ生きると信じている
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◆ その日
姉やツマが悟る
残された人の話によると
既に相当に意識がぼーっとしてたらしい
ビールが飲みたいと言う
しかし付き添っているツマは
こんな状態で飲ましてはならんと考えた
代わりにお茶をやる
「ビールと違うやないか、まずいなあ」
そう言うて寂しそうにする
他人(ヒト)が飲むと真似して飲んだ
だから楽しそうに飲むことが多かった
タバコも嫌いなくせに吸う真似をしたし
お酒は好きだったわけでもないのに
好きなふりをした
くしくも
そんな言葉が
最期になった
死んでしまう間際でも
そういうところがあった