立冬のころに考えていたこと ─ 立冬篇 (裏窓から)

立冬が過ぎる頃から次第に
気持ちに決心がついてきて
もう今の仕事は年度末で終わろう
と思い始めた

急に新しいことを探そうかと考えるなんて
想像もつかないことだったし
そもそも 今さら 新しいことに挑むのもどうなのか
という疑問も多い

ツマは言い訳ではないかと手厳しく
いつものように怒りを私に向けて
もう少し働いてもらわねば困ると言うのだ

言い分はとてもよくわかる
しかし 私だって
生死をそろそろ自分で決めることが許されてもよい「としごろ」ではないのか

そう思うと 還暦を超えても 尚
自分の意思の割合より他人様の意思の割合の方が多めになっているような職場環境で
オロオロと頭を下げて 仕えていることもなかろうに

そう思えてきたわけである

このままでは終われない
そんな気持ちが枯れ果てていた心の中から湧き上がってくる

復活したいのかもしれない

 


ひの菜 と ぶり大根 を 食う

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サドン・デス(sudden death) 寒露篇 裏窓から

秋分から神無月を迎える時期に色々と思っている

其の一つに

🌱 サドン・デス(sudden death)

これはジョーダンで語れるものではない時期に差し掛かってきた

祖父も父も六十五歳と六十六歳でこの世を去った

叔父もまだまだこれからというときに病で倒れて再起を図る前に逝ってしまう

顔がそっくりなように性格もよく似ていた

似ていることに薄々は気づいて大人になってゆくのだが
父が死んでからそのそっくりなことを確信する

たった十八年間しか同じ屋根の下では暮らさなかったのだし
とりわけ突っ込んだ対話をしたわけでもない

いわゆる親子で飲むことを愉しんだことも数えるほどだった

だが確実に似ていることを確信する

何故に似なくてはならないのか
同じ血脈であるのだからだ

だから身体の弱さもよてもよく似ている

ヒトは万能のように見える科学が支配する時代になっても
天地人のさらに向こうにいる神が与えた滾るものを簡単には変えることなどできない

やがて確実に来る サドン・デス(sudden death)

待ち遠しいようで
怖いもの見たさで待ちわびるようであるものの決して歓迎はできない

負けないようにしておくつもりでいるが
勝てないだろうと思う、血脈には


💦滾る漲る迸る を考える

ぶるっと一回ふるえて冬を思い出す


寒露篇

サドン・デス(sudden death)という言葉は

じわりじわりと迫って来る
けれどもそれほどの恐怖感はない

恐れているわけではない
しかし 覚悟ができているわけでもない

🌹

礼を欠いたままの恩人がたくさんある
私の人生の舵を切ってくれた人もある

音信の途絶えた人もあれば
先に逝ってしまった人もいる

🌱

10月8日は寒露でした
少しずつ夏の暑さを忘れ去っていきます

冬の寒さが忍び寄る
ぶるっと一回ふるえて冬を思い出す


💦 滾る漲る迸る を考える篇

続・旅とはそもそも(2)- バイクでゆく 立秋篇 裏窓から

🌱🌱
🌱🌱 旅とはそもそも(2)- バイクでゆく

バイクを買いました
新入社員のころです

休みが続くと旅に行きたくて
紀州の山の中を彷徨うように走り回ったりしたのですが

秋の連休に

仕事の束縛(休日出勤ですね)に反発するように
出勤明けの日に信州に向けて飛び出しました

地図を持たないあてのない旅でした

宿の予約もしませんでしたし
そのあとの行き先も決めていませんでした

もっと言えば
信州とはどんなところかも知らないままだった

卒業の間際に友だちの車で
麦草峠を越えて
蓼科や別所温泉に入ったりしながら
諏訪の街並みも楽しんできたことがありました

あのころに考えていた旅とは
ふらっと出かけるものだったのです

☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️

🌱🌱
🌱🌱  旅とはそもそも(3)- 筋書きのないもの

旅に
用意周到な計画などなかった

天気を予測することも(ネット情報も)なかった
オススメのガイドブックのようなものは無縁だった
(あれはお金持ちの人が行く優雅な旅のためのものだった)

高速道路を利用するお金はケチった
(そもそも高速道路もそれほどなかった)

貧乏旅であったので野宿もした

ユースホステルも利用した

ビジネスホテルは贅沢だった

誰かが行って良かった評判も大事だったが

地図を見てココに行ってみたいという衝動が大事だった

鄙びた温泉は大きな魅力だった

安くて美味しいご当地の料理(B級グルメ)を求めて走った

人里を離れた寂しい峠をひっそりと越えて昔の旅人の足跡を偲んだ

山村の道端の人とお尻が冷たくなるほど長く座り込んで話すこともあった

バイクを止めてそばに偶然止まったライダーと話し込んだ

女性ライダーも気さくな子が多く長々と話し込むことが多かった

総じてみんな気安く声かけあって楽しく語らった

YHの談話室では
「私たちも仲間に入れてください」
といって話に加わってくる子がたくさんあった

旅とはそもそも ─ あのころのバイクの旅とはいったい何だったのか 秋分篇 裏窓から

振り返っている時間が時々ある
このごろ

だが
懐かしむわけではない

そういう足跡を振り返ってそれがどのようなものによってもたらされたのかを考えると人生がとても不思議に思える一方で必然にも思える

サドンデス(sudden death)を想像する年齢になってきたから
ひとつの区切りで何か纏めておこうという気持ちがあるのか

sudden death いずれそのうち触れていきたい

まずは

旅とはそもそも
を考えているので 引用してから

続く

大暑から立秋へ 大暑篇 (裏窓から)

大暑
大暑

大暑(7月23日)が過ぎるころから
何も書かないままの日々がいく日も続く

危険な暑さが続いていると
ニュースでは報じている

果たしてそうなのだろうか
と疑問もある

危険という言葉が安易に暴走していまいか

人(ヒト)が自分の都合のいいように暮らした挙句の果てに
このような暑さが襲ってきたのではないか
と言う疑問が
どうしても拭い去ることができない

便利なことが慢性化して
豊かな暮らしに満たされてしまった挙句の果てに
暑さが襲いかかってきたのだ
と思うと

少しは何かを辛抱するとか
我慢や不自由を受け入れるべきではなかろうか

台風12号が来て
大暑の後にわずかな涼しさが戻ったものの
7月から8月にかけても再び暑さが襲っている

🌱

百円の回転寿司を
あれを寿司(のスタンダード)だと言って
鱈腹食べるのは
もはや現代人の流行りでも何でもなく
日常になっている

「食べ放題」という看板を掲げた店で
空腹を満たそうとするのではなく
上質の味を夢見た果てに
あれも一つの上質の分類の端くれだと認めて
満足している

そんな人たちが標準の時代になった
そしてぼくはそんな標準に乗れないでいる

ぼくは
そういう時代に乗り遅れているのだ
三十年後から人生を始めた人たちに指摘される

では
「遅れる」って何を意味するのだろう
どんな状態を指すのだろう

ステージが違うだけで
時系列の順が前後するだけのことで

指数関数と三角関数とを融合させた空間で
彷徨っているのならば
答えなんてないのだろうと思う

🌱

身近なところで考えれば
離婚をする人が当たり前のようになって来て
社会のなかで結婚をするという根本的なところまでが変化をしてゆく

タバコを吸う人がその辺にフツウに居る社会が消滅して
オトコやオンナの区別がなくなって
子育てはオトコでもなくオンナでもなく
挙げ句の果ては親でもない人が行うようになって

オトコとオンナの差別も区別も存在も特徴も
どうでもよくなって性的な差別も障がいの差別も
影も形も無くなって
ある種の平等が実現してゆくのだろうが

分子生物学が進化した果てには
人が考え出した生命科学のような技術と
脳科学と数学が進化した人工知能を超えた新しい知能により
社会が想像のつかないことになってゆくのだろう

けれども

やはり遅れていると指摘されるぼくが
現在のアタマで考えついたり思いつく想像の空間では

そんな夢のようなものを
進化とは安易に呼べない

「快」と「楽」に走ってしまう生き物は
滅びたほうがいい

地球が滅びても不思議ではないかもしれないような
延長の道程を走っているのかもしれない
この暑さをお祭りにしているようで甚だ滑稽です

まずは豊かさと幸せボケを見直さねばならない

ほんとうに断捨離するべきもの - 立春篇 (裏窓から)

遅くなりましたが
立春篇です

++

++

この二つを一月に書いて
ぼくは迷路に入り込む
六十年という歳月を生きてきて
偉そうなことを言うつもりは毛頭ない

むしろ
四十歳を過ぎて五十歳を回ったころに
自分の子どものことも
さらには
子どもを取り巻く社会のことにも
不満と不安をもって
社会やその体勢や
そこで先頭に立って走る人物の人間性に
どことなく怒りを爆発させていた

だが
心配はいらない

もうそんな気持ちは収まった

ぼくは
「伝える」「遺す」
という言葉が引き出そうとするもっと重みのあるものを
一生懸命に自分の人生という過去の中に探し出そうとして
焦っていたのだ

そう思うことにした
いや気づいたのだ

つまり
何かを引き継いだり伝えたりできたとしても
それは精神論であったり
形のない遺産であって

新しい時代の新しい人類のヒトたち
即ちぼくの子ども、孫、ひ孫たちには

それほど役立たないのだということを
自分自身に冷酷なほど強烈に知り
納得しなくてはならないのだ
と思うようになったのだ

あっけらかんと言えば
いつ死んでも誰も困らない

もしも一瞬だけ困ったとしても
パスワードのわからない開からない宝箱は
丸ごと棄ててしまうだろう

新しい時代の人類は宝箱などには
それほど関心がないのではないか

それにもっと言えば
宝物の価値は新しい人類が決めるのだから

断捨離という流行言葉があるが
なんて馬鹿馬鹿しい言葉だと一蹴していたのに

ちかごろ
本当に断捨離が必要だったのは
ぼくの勉強部屋(書斎)のガラクタではなく

自分の自伝や遺言じみたものではないのか

そんな自爆な(秘伝)が浮かんでくる始末だ

逝く人や伝えたきこと問い返せず ─ 冬至篇 【裏窓から】

▶️ この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう 小暑篇 【裏窓から】 – Walk Don’t Run –

これを書いたのは七夕のあくる日だった

そして作家の葉室麟さんが亡くなったのは冬至(22日)を一日過ぎた十二月二十三日のことで、翌朝の新聞を読んで知り驚く

**

小林麻央さんの悲しい知らせのニュースのこともあって夏の盛りには
▶️ 「いつ死んでも後悔するように生きる」その姿を考える ─ 立夏篇 【裏窓から】
という回想もしている  - – Walk Don’t Run –

刻々と月日は過ぎてゆく
次々と此の世をさる人の中に同世代が年々増える (同世代=年齢±6歳)

私の父も六十六歳という年齢だった
そのことをこのごろになって考える
20年前には思いもよらなかったことを考えつく

たぶんあの年齢のときにあの人は
とてつもなくたくさんのことを考え
小さなことから大きなことまでを
尽きることなく案じ続け
それを言葉にできずに悔しがり
伝えられず考え
その果てに諦めたのかもしれない

**

亡くなった人にはそれぞれの人生があった
それははかり知れないものだが
何一つにも無駄はなく失われてはいけないものだったに違いない

まだまだ生きねばならない人もあっただろう
生きる必要もあったし
生きて
やらねばならないこともあったはずだ

そのときは予告通りだったかもしれないし
曲がり角を曲がって突然現れるようなものであったのかもしれない

**

死んでしまって
此の世で忘れ去られようという時期が
いつやって来ても
あの人はかけがえのない人であった
と振り返ってもらえるような足跡を残さねばならないし
いつまでも語ってもらえるようなヒトでありたい
と考えて生きてきた

何よりも悔やむのは
その様々な場面において
きちんと義理を果たして来なかったことだろう

**

さあ、私の番が近づいている

あれこれとそんなことを言いながら年賀の宛名を書いている
近年、宛名を書くのが座禅のようで楽しい

12月27日朝日新聞
12月27日朝日新聞

– Walk Don’t Run –