逝く人や伝えたきこと問い返せず ─ 冬至篇 【裏窓から】

▶️ この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう 小暑篇 【裏窓から】 – Walk Don’t Run –

これを書いたのは七夕のあくる日だった

そして作家の葉室麟さんが亡くなったのは冬至(22日)を一日過ぎた十二月二十三日のことで、翌朝の新聞を読んで知り驚く

**

小林麻央さんの悲しい知らせのニュースのこともあって夏の盛りには
▶️ 「いつ死んでも後悔するように生きる」その姿を考える ─ 立夏篇 【裏窓から】
という回想もしている  - – Walk Don’t Run –

刻々と月日は過ぎてゆく
次々と此の世をさる人の中に同世代が年々増える (同世代=年齢±6歳)

私の父も六十六歳という年齢だった
そのことをこのごろになって考える
20年前には思いもよらなかったことを考えつく

たぶんあの年齢のときにあの人は
とてつもなくたくさんのことを考え
小さなことから大きなことまでを
尽きることなく案じ続け
それを言葉にできずに悔しがり
伝えられず考え
その果てに諦めたのかもしれない

**

亡くなった人にはそれぞれの人生があった
それははかり知れないものだが
何一つにも無駄はなく失われてはいけないものだったに違いない

まだまだ生きねばならない人もあっただろう
生きる必要もあったし
生きて
やらねばならないこともあったはずだ

そのときは予告通りだったかもしれないし
曲がり角を曲がって突然現れるようなものであったのかもしれない

**

死んでしまって
此の世で忘れ去られようという時期が
いつやって来ても
あの人はかけがえのない人であった
と振り返ってもらえるような足跡を残さねばならないし
いつまでも語ってもらえるようなヒトでありたい
と考えて生きてきた

何よりも悔やむのは
その様々な場面において
きちんと義理を果たして来なかったことだろう

**

さあ、私の番が近づいている

あれこれとそんなことを言いながら年賀の宛名を書いている
近年、宛名を書くのが座禅のようで楽しい

12月27日朝日新聞
12月27日朝日新聞

– Walk Don’t Run –

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四月バカ 仕方がないやろホーホケキョ

春になって
ひっそりと
考えていたことがあるけど

みんな どっかに消えていってしまったよ

🌱

毎朝 おはようと言葉を交わすJKちゃん
卒業して東京に行ってしまう話

あれは寂しかったね
名前も知らないけど
中学から6年間も
駅で見かけて
近頃になっておはようと
挨拶するようになったところだったのに

🌱

もう一人
ポニーテールの横顔が
とてもさわやかな子もいて

この子も
おはよう 寒いなあ
とか
おはよう 眠そうやな
とか
雨降り嫌やな
なんて他愛もない挨拶を交わす子だった

先日
おはよう 四月からもまた同じ電車やな
と声をかけたら
結婚してxxxに住むんです
と話してくれた

新婚だそうで
家の準備ができたら
この列車には乗らないそうです

立て続けに
二人の 別れが来るとは

どちらも
名前は知らない
それで良かったのだ

でも

正直 寂しい

京都日記(裏窓から) 小雪篇 果てしないもの

11月22日は小雪
これを書き始めた日には既に過日となっている

秋がくれるのが些か早いような気もしたいた
それは毎年思う気のせいみたいなものであろうと自分に言い聞かせるように思いながらブルリとくる朝もジーンと冷える夜も襟を立ててやせ我慢をして11月の下旬の日々を送っている

その小雪の午後二時間ほどの休暇を取って夕方から京都へ向かった
お父さんのところに帰る前に懐かしの居酒屋で晩酌をしながら更けゆく夜を二人で過ごした
お勘定が二人でドンピシャ5千円となったことをちょっと驚いたりしながら嵐電に乗る

あくる日 23日
京都の秋の朝の寒さはピリッと冷たいかもと恐る恐る布団から出てみるものの時雨雲が空に散らばっていたせいもあってかそれほどでもなく肌寒さが少しあるので厚めの服を着て折りたたみの傘を一つ持って出かけた

有栖川車庫でバスの一日乗車券を買いそこから三条河原町まで京都バスに乗り三条河原町でモーニングコヒーを飲んだ
三条通りにもコメダがあってせっかくここまで来たのにコメダは避けたいなと言いながら三条京阪のバスターミナルまで歩くのだが、銀閣寺を経由して白河に行くバスが激混みで到着するのに呆れて、次を待っても乗れる保障がなかろうと判断し、これを避けて北大路経由で北白河へと向かうことにした

去年の秋は一人で高雄に行き散り果てた紅葉のあまりの見窄らしさに落胆して、帰りに仁和寺に寄ってきた
今年は二人で散策しようと気持ちが一致した
昔から行こう行こうと言いながらも行けずにいる曼殊院と、ツマの母校が移転した跡地界隈も歩いてみようということになって、二人とも張り切って足を伸ばしてみるつもりでいる

曼殊院から圓光寺門前、詩仙堂、八大神社をへて宮本武蔵の決闘の地でも有名な「一乗寺下り松」跡も立ち寄る
一乗寺の山々は尾根から斜面へと一面が赤や黄色に染まり京都の市街地を見下ろしている

京都にいた時間が長かったのにずっと嵯峨嵐山界隈で過ごしたため鴨川のほとりにはあまり行ったことがなく修学院方面から北大路へと向かうバスは観光気分で愉しめる

ツマの母校跡地になっている市内のど真ん中・烏丸通は地下鉄が開通したのでバス路線が廃止されていて古い町を訪ねるためにはバスを乗り継いで行かねばならないのだが、それがまた新鮮で楽しい

ツマは市電が走っていた時代をしっかりと記憶しているのでバスに乗るたびに200番台は市電の路線を走るバスだと懐かしんでいる

市内のその場所に昔の面影がどれほど残っていたのかは私にはわかってあげることができないが、いくつかの路地を歩くと御所まで辿り着けて、そこにある長くて変わることのない歴史とそれを守ってきた建物の重さを感じながら、イチョウの葉の舞う参詣道をゆっくりと歩く

激震するように大きく時代が変化して各国からたくさんの人々がやってくるようになった古都だが、流行を掴み損ねまいとして華やかに飾っている古都のなかに表と裏があって、立ち止まった路地で風景や人などのそれらに出会えると、数え切れない文化の位相(あるいはそれは波動と呼んでいいのかも)のようなものを感じる

それは人の(人間の)心理や哲学にも共通する遥か未来へと続く果てしないものなのだ

深い霧 春近づいて あれこれと


8日の朝
濃い霧に見舞われて
視程50メートルか100メートル程度でした

目をパッチリあけた写真を
送ってくれたので載せておこう

三月の車窓から(深い霧の朝)

うるうの日

閏の日ももうすぐ終わります

お昼前にも時雨れたけど
夕方からも再び時雨れてきまして
でも、温かい感じがする

ムスメさん
(早く生まれるかもと先生に言われながら)
予定日の閏の日を迎えてますが
まだです。

親が一番待っているのかもしれんな

この子の時もそうやったんか…
と今更気づく

一瞬をみつめる

私の書いたコメントをメモしておく

このごろ 私も母(85歳)を訪ねて家に帰ることが少し増えたかな

意識して会っておこうと思うのかもしれません

母はむかしの話をしてくれます

私の上に姉があって死なかしてますが、その後に男の子があったけど流産したこと、さらに私の5つ下の弟との間に二人の男の子を8ヶ月と7ヶ月で流産していることなど、を話してくれます

残酷な命の絶える様子などもしますが 私は母が生きていることを染み染みと噛み締めながら同じ話であっても むかしの話を新鮮に聞いて帰ってきます。

新しい世界で行きてゆく練習か準備か まあそんなようにも思えます

話を聞いて帰っては日記に書き留めています

生まれてから一度もしなかった話も多く 脈々と記憶がどこかで生きていたのを感じます

一瞬
例えそうでもあっても とても掛け替えのない時間ですね


コメント元

傾聴ボランティア

先日、ホームの母の部屋に、傾聴ボランティアの実習生(講師は久田恵さん)の方が見えた。母の趣味の墨絵について、いろいろ聞いてもらえることになっていた。母が墨絵を始めたのは40代からで、今から半世紀近く前からのことである。このホームに入る1年ほど前まで、静物や風景などをずっと描いていた。絵の話なら喜んでするのではないかと、周囲の人は予想していた。

ところが、である。母が熱心に話すのは、戦前の女学生時代のことばかり。臨海学校のこと、伊勢神宮参拝のこと、戦争が始まったこと、勤労奉仕のこと・・・話は戦後にさえならない。夫や子供のことも話そうとしない。中年から始め、あんなに夢中だった墨絵も、「もうやってない」と言うだけ。母の戦後は何だったのだろう、結婚して家庭を持ったことも、忘れてしまったのかしら?

昨日の句会で、こんな句を出した。舌足らずで、子としての無念の思いが出ていないけれど。

鳥雲に母の戦後はただ一瞬〉  こはる

温そうな雨  【裏窓から・雨水篇】

❏ 雪景色夢にだけ見て冬終わる
❏ 餃子二つがぶりと食って雨水ぞよ

♡♡

二三日前に嫌な夢を見たので、それが正夢になったら嫌だからここに書いておくことにする。

夜中に珍しく弟から電話がかかってきて母が急に死んでしまったと非常に冷静に話す。
こりゃあ大変なことになったと慌てなくてはならないところだがやけに冷静に応対している。

夢だから細かい心理や動揺まではまったく記憶してない。
とにかく平然として電話を聞いて慌てずに私が振る舞っているのが不思議なのだ。

♡♡

夢を見ながらなのに
不思議な夢だと思って、自分の反応に空想のような非現実を感じている。

これは夢だから母はまだ生きているのだ
死んで欲しくない人殺してしまうような嫌な夢だ
そんなものを意志に反して見てしまい
だが、消せないだけに段々腹も立てている。

夢の非現実性に気付いている。

私は眠っている。
だから夢として分類していいだろう。
私は非現実なことの様々を考えつつ、うつらうつらとしている状態にあった。
やはり夢であったのだ。

だから、正夢になっては困る。
だからといって胸にしまっておくのも気持ちが晴れない。
そこで、誰かに話しておくか、
こうして書き留めてしまうのがいいのではないかと考えた。

(続く)