ひとつの節目が過ぎてゆく - 清明篇 (裏窓から)

ひとつの節目が過ぎてゆく
古い時代が終わってしまい
新しい時代が始まったのだ

つい先ごろまでは
そのようなドラマじみた
あるいは 誰かの説教のような
ありふれた筋書きを
現実へと受け入れる心づもりなどは
全く持つつもりもなかった

還暦祝いや厄払いをしたわけでもなく
淡々と仕事を辞めて立ち去る挨拶をし
心から清々として三月を終えて来たのだ

四月からは新しい場所で
新しい面々に挨拶をし
心を新たにして
今までをさっぱりと切り捨てて
毎日に臨んでゆこうと考えた

🍀❤️

エイプリルフールが
そそくさと終わって
二日から仕事に出かけた

『清明』の五日は
何やかんやに夢中になって過ごし
四月になってからの日記は
一向に書き進まない

本当は休みたかったもしれない八日の日曜日に
友だちを誘ってお花見ウォーキングに行った

誰かに伝えたいと思って書く日記はもうすでに終わった
何かを遺したいと思うこともそれほど強くない

自然消滅でいいのだ
遺してきたものは昔の文化だ
遺産とはそんなものだ
そう思うようになった

🍀❤️

新しい時代の人は
新しい文化の上を生きてゆく
それが苦しくても
寂れたものであっても
その人たちが構築してゆくものであり
改革してゆくものなのだと思うから
私の文化は遺す必要はないのだ

歴史とか足跡は
残された人のために書いたのだ
確かに
新しい文明を開拓するときに
役立てばと思い
少しくらいは
記録に残るようにしてもいいかも知れないが

これからの水夫は
新しい海へと
新しい船で出帆してゆく

未知である宇宙には
自らが考え出した技術でゆく

社会は
新しい人の認めた法律や秩序で築かれてゆく

広告

深夜の自画像(七日間)- 春分篇 (裏窓から)

秒読みが始まったとは誰も気づけない
したがって架空で語ってゆくか
過去を巻き戻して書きとどめるしかない

この際どっちだっていいだろう
七日後には消えるというものがたりを追いかけてみる

————————————————————————
◆ 七日前
朝はいつもどおりに目ざめている
歳を食ってからは床をあげるようなことは全くない
身のまわりの几帳面さも欠乏して
寝床の周りには着さらしの服を放置したままだ

日記はもう数年前から書かなくなってしまった
枕元に昨日の夜の書きかけの日記があったのは
もう数年前のことで
今では幻の風景になってしまった

最初に脳梗塞で倒れたとき
激しい衝動が湧き上がり
何十冊とあった若い頃からの日記に
火をつけ燃やして灰にした

大きな事件であったが
誰も深刻な脳梗塞の重篤さを
気にかけなかった

生涯で怒りを噴出させたのは
二度だとすると
このときがその二度目だった

寒いなあ、正月が過ぎて一段と寒いなあ
と呟いたかどうかはわからない

1月15日木曜日
脳梗塞の症状ものらりくらりだ

むかしからときどき
ひとりごとをいう癖はあった
ツマの誕生日が近いことは
気づいていただろうから
もうじき歳を食うなあと囁いたかも知れない

そして自分の誕生日が
あと二か月後にくることに
何かを期待したのだろうか
まだ67歳ではないか
しかし80際までは生きられない
そんなことを漠然と思っただろうか

まさかこの冬に
自分が67歳を2か月後にひかえながら
逝ってしまうとは想像もしていない

もう少しだらだらと生きてゆくのだと
漠然と感じていたのだろう

————————————————————————
◆ 六日前

その朝いつものように起きて
いつものように朝ご飯を食べて
寝たままで一日をはじめた

救急車まで自ら出向いて
病院まで運んでもらったことが過去にあった
死んでたまるか
そう思ったのだ

あのとき
頭蓋骨の中には
毛細血管から吹き出た血が
満ち溢れていたのだ

そんな事件があったことを
ムスコ(長男)には話したことなどない

あのときは生きていくことに夢中で
ムスコと会話を愉しむというような歓びはなかった

いつか忘れてしまうほどのむかしに
体調を崩して寝込んだことがあって
あの日のできごとが蘇る

身体は丈夫な方ではなかった
だから寝込むことが多かった
あのときは今までにない痛みを感じたのだったか
家族が(たぶんツマが)
冗談めいて
「それはガンかも知れない」
などというものだから
落ち込んでしまう

二日間ほど床に伏していた
気持ちが落ち込んだのだ

家族は
おとうちゃん気が弱っとるわ
と冗談を言ってケラケラとしたような気がする

根っから怠け者ではないので
明るい時刻に寝ているようなことはしない
そんな姿を見た人もいないはずだ

もしも寝ていたなら
たとえそれが朝であって
誰よりも遅くまで寝ていれば
どこか具合が悪いのではないかと
誰もが疑う

頭痛や腹痛で横になることもない
根っから身体が弱かったのだが
特化した症状が出るのではなく
弱い身体が全体で悲鳴を上げるタイプだった

66歳という若い年令で
死に絶えてしまったことを考えると
身体そのものの頑丈さは持って生まれたものであり
弱い人は長くは生きられない宿命を秘めていると気づく

努力をしても早く坂道を駆け上がることもできなければ
どんなに節制してさらに上質な栄養を摂取し続けても
元々が弱い人があるのだ

それがウチのこの人であり
ウチの血脈の宿命なのだった

————————————————————————
◆ 五日前

当然、自分の命が果ててしまうとは想像していない
18歳で出て行ったムスコだが
まずまずのところに住んでいる
ひと目でもいいので逢っておこう
などとは考える必要もない

この日は1月17日土曜日
ムスコも休みではないか
正月に顔を見せたきりだ

クルマで1時間走れば飛んできてくれる
その時間くらいはいつでもあるだろう
そう考えていたのか

まだ生きると信じていたから
遺言を伝えようとも考えない

そもそも遺言などと言うものは
ヒトが元気なときにぼやく愚痴に似たものでもある
オラには何の不満もなければ
言い伝える言葉もない
と思っていたかも知れない

ムスコのことを
子どものころは賢かったが
大人になっても大きな人間にはなれなかったな
と思い続けていただろう

小学校の卒業文集で
アナウンサーになりたいとか
もっと小さいときには
船乗りになりたいと
言っていたのを
強烈におぼえていて

そんな夢を大人になるまで持ち続け
実現するまで粘るだろうと
心の側面で固く信じているような人だった

つまり
自分の子どものころに抱いた夢がきっとあり
それが幾つになっても夢として心の片隅に
存在していたのではないか

夢は誰にも語ることはなく
秘めたままで
誰も夢の存在すら知ることはなく
消えていったのではないだろうか
————————————————————————
◆ 五日前

日曜日
NHKの日曜美術館を見るのを楽しみにした

ドラマは見ないし
バラエティーも見ない

脳梗塞で倒れて頭が……
というか
記憶が曖昧になってきた頃から
絵も描かなくなった

几帳面な性格で
絵を描く自分の部屋はいつも片付いていた
目を閉じても何がどこにあるかを探り出せるほどだった

それも
脳梗塞の進行とともにかすれてゆく

酒も飲まないので
遊びもしないので
時間が止まったように過ぎる日々を送り

秒読みが始まると
秒針がいらないほどに
静かに呼吸だけを続けた

————————————————————————
◆ 四日前

寒さが来るとニュースが伝えても
元々が寒さには弱音を吐かないので
それほど苦にしていなかった

死の時刻が迫っていた
そんなことには気づかない
誰かが察することができたのだろうか

姉には
わかるのだ
予感なのか

ジンはどうや
電話をかけてくれたのか
前もって問うこともなく
この家に来たのか

兄弟には淡白だった
喧嘩をするようなこともなく
付き合う人たちにも
悪く評されることなど一切ない

日常の人付き合いも
そのままの顔で
蔑まれたり妬まれたり
憎まれることなどもない

自分を主張することもなければ
無駄に意地を張ったり
相手を貶したりもしなかった

寝床に伏しても
我が儘をねだることもなかった

したがって
人間関係において敵など居なかった

しんしんと一つの方向へと
向かっていたのだろう

静か過ぎて
気づかなかったのは
ムスコがアホだったとしか言いようがない

————————————————————————
◆ 三日前

明日は大寒
明後日はツマの誕生日
そう思っていたのだろう

自分の心臓の勢いが弱くなっている
そのことに気づいていたのだろうか

周りが少しざわつき始めるけれども
隣に住むムスコは仕事に出かけてゆく
月曜日

30キロほど離れたところに住むムスコ(カズ)は
この人の微妙な変化など何も知らない

正月に会って
話したことすら
どんな内容だったかも忘れている

まさか……
と楽観的に考えているのか

最期に及んでどんな言葉を交わしたかなど
誰も知ることができない

逝く人のほうも
意識がぼーっと朦朧になり始めて
あらゆることが記憶にとどまらない

カズのことも
気にとまらなくなっている

————————————————————————
◆ 二日前

隣のムスコは仕事に出かけ
危篤が迫るのを
ムスコたちは何も知らずにいる

ざわざわと人が集まってくる
しかしながら
いつものようにお粥を啜り
えらいなあ、ぼーっとするなあ
と言うていたのか

カズは何をしとるか
正月から顔を出しておらんな
東京に行って就職で京都に来て
そのあとこっちに帰って来ても
ロクに話もしなかったなあ
と思ったは夢の中のことか

もしも
あの世で再会できたら
そのことを問うてみよう

夢うつつの時間が過ぎて
食欲も衰えてきている

————————————————————————
◆ 一日前

ミエコさん(姉)が来る
家族(ツマ)と並んで布団に入って
さすってもらったり
何やら話しかけてくれたりする

記憶はうっすら・ぼんやりとして
周囲の人は予感を感じたに違いなかろう

離れたムスコは何も知らない
誰も知らせようともしない

ムスコ(フトシ)は覚悟をした
しかし兄を呼ばない
まだ生きると信じている

————————————————————————
◆ その日

姉やツマが悟る
残された人の話によると
既に相当に意識がぼーっとしてたらしい

ビールが飲みたいと言う
しかし付き添っているツマは
こんな状態で飲ましてはならんと考えた

代わりにお茶をやる

「ビールと違うやないか、まずいなあ」
そう言うて寂しそうにする

他人(ヒト)が飲むと真似して飲んだ
だから楽しそうに飲むことが多かった

タバコも嫌いなくせに吸う真似をしたし
お酒は好きだったわけでもないのに
好きなふりをした

くしくも
そんな言葉が
最期になった

死んでしまう間際でも
そういうところがあった

さよならとふる手を濡らす春の雨 - 啓蟄篇 (裏窓から)

雨水が過ぎて啓蟄へと日々が刻まれてゆく

その間にオオツカ先輩に会いに行き若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」を読み
ひな祭りのあくる日に生まれて一度もひな祭りをしたことないかもしれない母を訪ねてゆく

カンレキの父にも母にも何もしなかったわたしなのにムスメが何かというので万年筆をと答えた

三年前から産休に入って二人目も続けて生まれたのでまだあと一年余りは仕事に復帰しないだろう そろそろ働きに出ねば家計運営も揺らぐかもしれないのに

🌱

三月になって周期的に天気が崩れるようになり、まさに三寒四温の日々が訪れた

雨あがりの石畳の坂道をゆっくりと行き来しながら時間を待ったある時代が無性に懐かしい

センチメンタルでノスタルジーに満ちた感慨がある一方には自分に言い聞かせるようにあのころの自信に満ちた姿を回想するぼくがいる

若いときは確実性など重要視せずに、質量がもたらすエネルギー量よりも速度によって生み出されるエネルギーを、最上の美しさのように捉えていたのだ

ヒトは、そういう刹那を「がむしゃら」とか「ハングリー」などという形容詞をかりて褒めてみたり貶してみたりする

それも四十歳すぎのころまでのことであろう

その年齢を超えたら 誰も何も言わなくなってきて

叱らない、笑わない、褒めない、貶さない、蔑まない、罵らない、咎めない

大声で注意もしない


🍀 雨が好きと嘯いている水たまり
🍀 やれやれと春を迎える支度して
🍀 さよならとふる手を濡らす春の雨
🍀 あなたとはここで別れる春の雨

三月を迎えています
卒業の季節です
初旬には高等学校、下旬に大学の卒業式でありましょう

卒業という言葉からは人それぞれの思い出が蘇ります

その時期に間違いなくあった節目や転機の重大な意味を数十年後になってようやく気づくこともあります

自分の活躍するステージを大きく変化させる人があれば、一方で同じステージで勢いよく加速をする人もありましょう

わたしの年令ではステージを降りる人もたくさんあります
そしてまったく新しい世界を探し始める人もあります

こんな季節が偶然に春であったのかそれとも春であるから大きな節目が合うのか

この季節の時空を「サクラサク」という電報が飛び交ったのは今や伝説的なものになりました

しかし、いつの時代になっても、ヒトの心は咲く花や散る花に息吹を吹き込まれて新しい形へと感化され続けるのだろうと思います

花といえば、井伏鱒二の「コノサカヅキヲ受ケテクレ」訳詩であるとか、世阿弥の花伝書(風姿花伝)「初心忘るべからず」の言葉について触れたことがありました

歴史に残る言葉や教えの数々には表面的なものだけではなく奥深くにまで真意が及ぶものも多く、昨今、軽薄と危惧される現代人が誤って理解して都合よく伝えを塗り替えかねないのが心配ですが

🌱

卒業の季節
身のまわりに生じた変化に乗って頭をリセットして、少し「哲学的」に色々と考えてみようかな、と思う

卒業のことであれこれと思い浮かびます

もう四十年ほどむかしのことで、記憶は曖昧です
そんな「遙か」と形容をしてもいいくらいの年月が過ぎました

このごろはそれを「遥か」と書くか「僅か」とするか思案することが多くなりました
その真意をわかってもらえる人は「僅か」かもしれません


わはく(秘)伝

 

金子兜太さん 逝く 雨水篇 (裏窓から)

裏窓から・雨水篇を書く時節が来たのに
なかなかまとまらない頭を突っつきまわしているときに
大変なニュースが飛び込んで来た

かつて私は金子兜太さんの著書を読んで
人生の後半戦を生きてゆく考え方を
おおもとから見直してしまうほどに
大きな影響を受けている

カラカラとした語り口で(筆致で)重い波のようなことを
さらりと言ってのけてすまし顔をしている

実際のお顔はご覧のように渋いのですまし顔という表現が
相応しいかは意見があるかもしれませんが
とてもすまし顔をするのが似合うお人だと感じたのです
照れ屋さんのようですし


ブログには少しばかり感想が書き残してありました
自分で読み返してもさっぱり意味のわからない感想もあって
おそらく誰も読んでくれないのだろうなと思いますけど

  1. いつもと同じ春、いつもと違う春 ─ 啓蟄篇0
    「まずまず」の暮らしが動き出しているようです。金子兜太さんは「他界」のなかで、逝ってしまう人はもう一つの世界に移ってゆくだけで魂までもが消滅するわけではないのだとお…
  2. 金子兜太 他界
    金子兜太 他界2015年2月20日 (金)図書館で借りたのでさらりと読んでホイと返却してしまった。読み終わったあと、し…
  3. 春はじりじり
    に立たんが少しは手伝っているかな。雨水。金子兜太を読み始めました。さっぱりした作品です。引っ越しの荷物運びなどの予定で休暇にしていたのですが、割と暇だったので…
  4. 温い日寒い日 ─ 雨水篇
    書館に予約を入れておいた本が届きました。金子兜太さんの「他界」です。少し前に金子兜太さんの語る 兜太 ─ わが俳句人生 金子兜太を読んで以来、カリスマ的に手が…201502119takaiimg_1510
  5. 語る 兜太  ─  わが俳句人生 金子兜太金子兜太さんという人は、朝日俳壇の選者もやっていて、テレビで何度か見たことがあり、ラジオでも話を聞いたことがある。95…
  6. 金子兜太 わが俳句人生 語る兜太
    BOOKs(読書日記)から金子兜太さんの魅力と凄さはいったいどこから湧き出てくるのだろうか。そう思うと、むかしを掘り起こして、自らが描く姿にお目…
  7. 枯野
    よく眠る夢の枯野が青むまで  金子兜太私は夢をほとんど見ない。眠ったら朝までまっしぐらで、眠っているときの歓びはない。したがって、どんな寒い朝でも起…

きさらぎの日和もよしや十五日 上島鬼貫

■ 巻頭言

例年になく寒い冬になりました。

立春を過ぎてもいっこうに寒さは衰えず、友だちが「三寒四寒」と言って笑わせてくれました。

建国記念日の朝にはうっすらと雪が道路をおおいました。

パソコンに向かうときも、冬山に出かけるような防寒対策をしています。

それでも、手が冷たいです。

二月は「如月」ともいいます。

寒さで着物を更に重ねて着るからでしょう、漢字で「着更着」とも書きます。

「きさらぎ」と読みますが、むかしの人は洒落た名前を付けてくれるな と、まことに感心をします。

きさらぎの日和もよしや十五日 上島鬼貫

鬼貫の句にはもっと難しくてインパクトのあるものを密かに期待してしまいますが、この句はホッとします。

立春も過ぎましたし「きさらぎ」とひらがなで綴ってじっと春を待つのでしょうね。

■ あとがき

先日、鳥羽市の離島を訪ねて、小さな旅を愉しんできました。

定期船で島に渡るのですが、それはそれは冷たい風が海上を吹き抜けます。

海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

島の住人の人たちは誰もデッキに出ようとはしませんけれども、船に乗るのが大好きなので冷たい風に吹かてきました。

島の中を健康ウォークを兼ねて散策をするうちに、港の小屋の軒先で日向ぼっこをしているお年寄りを何組も見かけました。

言葉にならない暖かさを感じながら島旅ができました。

旬のお魚も美味しかったです。

この峡(かい)の水を醸して桃の花 飴山實

春は、飴山實の句がほっこりします。

ほんとうに断捨離するべきもの - 立春篇 (裏窓から)

遅くなりましたが
立春篇です

++

++

この二つを一月に書いて
ぼくは迷路に入り込む
六十年という歳月を生きてきて
偉そうなことを言うつもりは毛頭ない

むしろ
四十歳を過ぎて五十歳を回ったころに
自分の子どものことも
さらには
子どもを取り巻く社会のことにも
不満と不安をもって
社会やその体勢や
そこで先頭に立って走る人物の人間性に
どことなく怒りを爆発させていた

だが
心配はいらない

もうそんな気持ちは収まった

ぼくは
「伝える」「遺す」
という言葉が引き出そうとするもっと重みのあるものを
一生懸命に自分の人生という過去の中に探し出そうとして
焦っていたのだ

そう思うことにした
いや気づいたのだ

つまり
何かを引き継いだり伝えたりできたとしても
それは精神論であったり
形のない遺産であって

新しい時代の新しい人類のヒトたち
即ちぼくの子ども、孫、ひ孫たちには

それほど役立たないのだということを
自分自身に冷酷なほど強烈に知り
納得しなくてはならないのだ
と思うようになったのだ

あっけらかんと言えば
いつ死んでも誰も困らない

もしも一瞬だけ困ったとしても
パスワードのわからない開からない宝箱は
丸ごと棄ててしまうだろう

新しい時代の人類は宝箱などには
それほど関心がないのではないか

それにもっと言えば
宝物の価値は新しい人類が決めるのだから

断捨離という流行言葉があるが
なんて馬鹿馬鹿しい言葉だと一蹴していたのに

ちかごろ
本当に断捨離が必要だったのは
ぼくの勉強部屋(書斎)のガラクタではなく

自分の自伝や遺言じみたものではないのか

そんな自爆な(秘伝)が浮かんでくる始末だ

居酒屋・鶴さん

「居酒屋・鶴さん」

それは京都の古い町屋の並びにポツリと潜んでいる店だった
十年ほど前から気にかかっていた

初めて知るまではそんなに存在感などなかったし
華やかな看板を通りに向けて出しているわけでもなければ
レトロな店構えでもない

古ぼけた暖簾は3つに割れるもので
一番左に「鶴」真ん中に小さく「さん」と手書き風に書かれているだけ
戸口に小さく「鶴さん」と彫り込んだ木の表札がある

居酒屋だと思ってみれば居酒屋だ
メシ屋だったら「鶴さん」は不似合いにも思えるので
やはり居酒屋だろうとじわじわっと飲み屋感が湧いてくる

ふとしたことで店の暖簾が目についた
素人の書いたようなデザインであったが
私の脳裏を「鶴さん」のことが
ぐるぐると回っている時だったのかもしれない

鶴さんとは、北国の田舎町にある薬科大学の学生で、
下宿で「喫茶コリン」という集いの部屋を作って、
学生時代を送った一人の女子の名前の一字だ

もちろん、店とその女性とはまったく関係いない
だが私はある日から何も用事のない週末などに
ふらりとこの店で道草をするようになる
「ふとしたこと」と知り合いや同僚には説明をするけど、
その理由がはっきり言えず曖昧なのは、
理由が理由らしくなく意味がないからである

今となっては暖簾が急に気になり出した瞬間などのことは
まったく記憶になく、不明になってしまった

ただ、

むかしの女友だちに千鶴子さんという子がいたこと
その子が懐かしかったので店の名前で思い出したこと
さらには
その店に行けば何かいいことが起こるかもしれないような予感があったこと
あくる日にいいことが起こるような気持ちになれたらいいなと考えたこと

そんなおまじないのような気持ちで
暖簾をくぐったのだろうと話している

鶴さんという店が日ごろの通勤で通る路地にあっても
特別に気にとまることさえなかったのに、
ある日突然気になり出した理由について
「やはり何か事件か大きな変化あったのではないか」
と親しい友だちが尋ねてくる

けれど、
鶴さんはある昔に私の前から姿を消してそれきりで
今となってはどこで何をしているのかさえわからない

そんな人なんです

++

そんな「居酒屋・鶴さん」に
立ち寄っている私がいる

一人で店に入って
焼き串か串カツかを二三本つまんで
冷やのお酒を二合飲んで
帰ってくる

ゆっくりとお酒を飲む稽古をしようと思うことがある
何かいいこととか
誰かがおめでたいとか
昼間にちょっとラッキーなことがあったとか

そんなふうにつぶやきながら
無理やりな理由をつけて
言い訳をつけてやって来る

財布の小銭を気にしながら
時間の使い方が下手だな
飲み屋で過ごす時間は窮屈だな
などと思うくせに

カウンター越しに見える酒が並んだ棚の片隅に
「鶴さん」と彫り込まれた彫刻を見ている

店には滅多に来ない

そこにはドラマにもならないような平凡女将さんがいる
そして、ちょっと意気が合うところがある
でも、それ以上は何も知らない
————————————————————————
喫茶・コリン
居酒屋・鶴さん
酒房・あうん
カフェ・六角堂
古書・わはく