ソーダ水

私は冷たい麺類が大好きで、夏になっても美味しく食べ続けますので、夏バテという言葉は全く無縁です。好き嫌いも全くありませんので、四季折々の味覚を美味しくいただいて、モリモリと成長しております。

もうすぐやって来る土用の丑の日には鰻も食べます。県内ではなかなか手に入りませんが、鱧も好きで遠くまで買いに出かけたりします。

夏をそれなりに楽しみながら感じることは、楽しもうと思えば思うほどに子どものころに食べた美味しかった食べ物やお菓子に戻って行ってしまう、ということでした。スイカ、かき氷、冷や麦・冷そうめん、ソーダ水…。

文明が進化しても涼しさを呼ぶ夏の味はそれほど変化しないのかもしれません。

一生の楽しきころのソーダ水  富安風生


7月号のメールマガジンのあとがきにはそんなことを書きながら、何十年もの変遷がもたらす味覚の変化や食べ物に対する執着心そして満足心のようなものも、ずいぶんと姿を変えてきてしまったと振り返る。

成長してゆく真っ直中で自分の身体の中に染み込ませていった味とか習慣というものは、容易く変更してしまうことなどできず、好き嫌い旨い不味いなどの感覚に基づくものは他人の忠告や刺激でさえ役に立たないほど頑固であることが多い。

それでいいのだと思う。

政治の方も揺れている。今決めたことは20年30年後になって不安から現実課題へとかわり問題となって人々を困らせたり悩ませることになるだろう。

新しく選挙権を得て勇んで投票をした人々は人生の半分以上を終えたころにあの時の人たちが叫んでいた声の本当の意味を知る。

歴史はそういう長いうねりで躍動している。

「一生の楽しきころ」はたった一回しかないのかもしれないが、間違いなく次の世代に伝わっている。少しずつ姿を変えて伝わってゆくのは仕方がないことだし、何が善くて何が悪いのかは、更にその後の歴史が吟味することになろう。

このうねりを楽しみながら人生の最終コーナーを心地よく走り終えたい。

京都日記(宵々山)

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14日の朝は少し早めに駅に到着し、駅前のDOUTORでモーニングというのが定着

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京都駅に降り立ったらちょうど早めのお昼ごはん(よりもまだ少し早かったが)伊勢丹をぶらぶらとして、11階のいつものへんにきて、韓国料理のショーウインドウに目が止まった。美菜莉という店で1500円ほどだったので満足。

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かき氷も食べたい。ポルタに降りて行きランチの人たちであふれる店で冷たい氷を食べました。

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車折の家に着いて真っ先に鱧の話をしたために、お父さんが近所のお店に買い物に誘ってくれはって、ハモを買ってかえることに。

スーパーの鱧でもどこの鱧でも、夏は鱧を1回は食べておきたい。

水無月も食べたし、小鯛の笹漬けも食べた。写真はない。

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15日は朝から四条烏丸あたりへ出かけて鉾を見ようと決めていた。
烏丸の手前でバスを降りて一筋上がって、菊水鉾の前に出てきた。
記念に絵葉書を1枚だけ買ってみる。

暑いので早くご飯を食べたい。

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古今烏丸の中にあるザ・ブッフェスタイル サラに行ってみる。久しぶりだったのでウキウキです。
それほど混んでいることもなく、同じ階にある京都精華大学のギャラリーや京都シネマを見て時間を潰す。

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一生懸命に食べて一息ついて写真を撮る。タイムサービスのフレンチトースト。

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美味しかったパスタをもう一度おさらいして

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ソフトクリームは大好物なのでしっかりと2回も食べる

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高島屋に行く前に長刀鉾をちょいと見ていく

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帰りは車中で鱧の弁当を食べる。

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本心

そう、それでよろしいんや。本心いうもんは、人に明かすもんやあらしません。
(李歐 159ページ)


一彰はそれ以深く考えるの放棄したが、所詮、理性で突き詰めるに足るだけの意味はない。 突発的な歓喜の発熱だと思ったからだった。 熱である限りそのうち冷めるだろうし、熱が下がらなければ死ぬだけだった。
(李歐 180ページ)

本心  at  – Walk Don’t Run – から

二十五年ぶりくらいの人に会う

(きのう)

海に来てます
小雨降りだして
また止んで

海に来て木枯らし帰れぬ干潟なり わはく

パクリ先は、コレですな(↓)
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

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干潮時刻
13:30ころ
1時間ほど前に海にいました
25年ぶりの人にも会いました
小雨が降ったりやんだり

楯干しイベントでしたが
わたしは参加者に会いに行っただけですので
収穫なし

でっかいお魚を袋に入れて
持っている人がおって
ええなあって思ってまして

スーパーでお刺身を買いました

旨そうなモノが店にあれば買います
しびの文化

この味が気の毒なことにわからない人があるけど
それは文化の違い
わからない人は食うべからず

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届ける

一枚の葉書にその人の近況が書いてありました。

引っ越しをしたことや仕事を辞めたことのほかに、近ごろさらにまた新しいことを始めていて、自分がどんどんと進化しているのが伝わってきました。

とても安心させてくれる内容で、少しホッとして、わたしの心や身体が温まってくるのが、その便りから分かりました。

最後に手書きで、メールは苦手で返事をなかなか書けないのだとも書き足してありました。

メールのことはおよそ想像していたからへっちゃらだったけど、もしかして気を使わせていたならば悪いことをしてしまったと悔やみました。

でも、わたしがメールを構わずに出したとしても、怒ったり凹んだり投げたりするような弱くて負けやすい人でないと思います。

大丈夫です。また、交流が復活します。

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むかしはもっと子どもに見えて、あんまし頑張って仕事をしているのを見ていると、いい人見つけて早く幸せになることを祈りました。

今はあのころと比べたら、ほったらかしにしておいても大丈夫な感じが出てきて、すっかり大人になって安心できる子になってきたと思います。

ほんとうに少しずつ話をするたびに、知らない面などが少しずつ見えてきて、どんな子なのかわかってきます。

それがわたしとは全く正反対の方向に向いている人なのですが、ふつうならこの辺りまで分かってくると、全く違う考えとか食い違う性格なのでというよくある理由で、だんだんとかみ合わなくなるとか疎遠になるところでしょう。

けれども、わたしがこの子を手放せないで大事に引き止めています。

理由がないままですけど、好きなんです。

恋とか愛とかじゃなく、好きなだけなんです。

黄色い麦わら帽子

あれは いつのことだったのか
小麦色の肌の
クラスメイトの女の子と
バスの乗り場で手を振って別れた

夏休みが終わるころ
教室の席がとなりの彼女に
電話を入れた
遊びに行っていいかい?

電車とバスを乗り継いで
灯台のある
小さな漁村に私は着いた
バスの停留所で迎えた彼女は
黄色い麦わら帽子だった

強烈な印象
16才の夏

バス停から灯台まで歩いた
真っ青な海と水平線を見おろした
町の一点を指さし
— 青い屋根が見えるでしょあれが私の家よ
と教えてくれた

真夏の日差しを気にせずに
小さな漁村の狭い路地を
歩き回った帰りに
バス停まで見送ってくれた

それから数年して
彼女に手紙を書いた
名古屋の或る銀行に
彼女は勤めているという
涙が出るほど嬉しかったです
と書いた返事をくれた

東京の下宿に戻る時に
駅で待ち合わせた

でも 彼女は来なかった


夏の終り(黄色い麦わら帽子)

不思議な友だち

あれこれと書きながらもなかなか登場しない人(Kさん)がいます。

その人(Kさん)は学生時代に心の拠り所の人として存在したとても大切な人です。

都内に住み車でならば30分ほどで辿り着けるような近所にいながら五年間の暮らしで一度しか会わなかったというような一風変わった関係の友人です。

わはくさんはこの人のことをペラペラとは喋りませんでしてどんな間柄でどんな友だちだったのかもあまり話してくれませんでした。

初めて出会ったときのこともサラリと教えてくれただけです。

合コンをやってその会場で息が全然合わずに貶(けな)し合いばかりをして終了となったにもかかわらず手紙のやり取りが始まってそれで長い友だちになっていることは結構色んな人たちに喋っているみたいですがそれ以上はあまり知らされない。

近くにいても会わなかったのだし実際のところそんなにみなさんにペラペラと教えて回るような出来事もなくて手紙の友だちだったようです。

文學部の彼女でしたが熱く文学作品のことを語り合ったりしたわけでもなかったみたいですし趣味もお互いでよく知り合って理解しているわけでもないらしい。

就職が決まって浮かれているわはくさんをお祝いするために新宿の飲み屋街の地下の一角にある小さな居酒屋でひっそりと二人だけのさようならパーティをやっています。

就職で京都に去ってゆくわはくさんとのお別れの挨拶だったのです。

合コンの後で会ったのは五年間でこの1回きりでした。

五年間不定期に手紙だけはやりとりをしていましたが電話もかけないし写真も見せあわないし近くにいながら会わないで合コンのときの面影だけを胸に抱いていた人に新宿で再会したその雰囲気は想像できないものがあります。

わはくさんが京都に行ってからも細々と文通は続いていました。

わはくさんのツマ(J)さんはわはくさんが京都に来たばかりのころのことをよく覚えていていつもポストに手紙が届いているのを見かけたと言ってます。

でもその手紙は実は半分は鶴さんからのものだったかもという心配もあってもう半分が(Kさん)からのものだったかも知れないのですけれども今となってはそんなことはどうだっていいことです。

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かぼちゃでまあ一杯

このごろをときどき振り返るたびに毎日に飲み過ぎているのを反省しているので今夜こそは控えるからと言って朝に家を出るのですけれどもおゆうはんの時刻になって飯台に座るとかぼちゃが三切れ入った小鉢とそのとなりに水と氷の入ったグラスを出してくれますのでまあ一杯ということになるわけです。

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百貨店で中元の用事を済ませてふたりでブラブラと歩きながら陶器の焼き物などを見てゆくわけです。

とても落ち着いた雰囲気のお鉢と小鉢とお椀、小皿が並べて置いてあるのが目につくとどうしても立ち止まってしまいます。高額なので買おうなんっていう気は更々ないもののいつか一揃い買ってゆっくりと食事をしたいなというようなことを呟きながら歩いてゆく。

母にお茶碗を買ったことがありました。そんなことを思い出してそれがずいぶんと昔のことだったことに気付き改めて月日の儚さを思うわけです。あのとき父はまだ生きていたかなそうすれば夫婦で揃いの茶碗と湯呑であったはずだがどうやらそうではなかったような気がして記憶の曖昧さが少し情けなくなると同時に父が逝ってからの月日がやはり重く長いものなのだと思うのでした。

もうそれほど長生きもできないだろうしできたとしたらそれはおまけに当たるほど年齢になってきたのでお茶碗も意味もなく日常に添うて暮らしにあるものであるからいいかもしれないなあとちょっと覚えておいて何か急に思い立ったら買って帰ろうなどと考えている。

いまは貧しい暮らしだけれどそれはそれでいいが豊かに暮らしていたころにあらゆる人にもっと義理を果たしてお礼をしておくのが筋だったなと二人で話をしながら高級な陶器の並んだ売り場を歩いてゆく。義理を果たすというよりもそのときの自分は誰のお陰で成功してそこで大きな顔をしておれるのかを考えると必然的に義理などという言葉など不要となりそれよりもそのときの節目の時期にはきちんと感謝とお礼の心を伝えてゆくべきであった。もしも今あのころのように豊かな暮らしならば果たせる限りの恩返しをできるのにと人生の終焉支度をしつつも残念ながらその義理が果たせず恥ずかしい思いをしている。

この晩はそんなことをあれこれと考えながら一杯飲んでストンと寝た。そのあとにムスメから連絡があったらしく旦那さんが一次試験に通って早速一生懸命勉強を始めたという。何も応援はできない。わたしの出る幕はもうない。