続・千夜一夜 その234まで

プラットホーム  続・千夜一夜 その234

淋しい静けさはホンモノの静寂だった。物音さえしない時間と空間に自分が置かれている圧迫感がしんしんと漂う。昔に出会った静寂は偽物だったのかもしれない。ざわめく人の声と雑音に埋もれて自分だけが孤立してゆく時空のなかで深い深い穴のなかへと閉じ込められるような圧迫感と淋しさ。相互に解け合うことのできない苛立った感情が衝突している。それでも頭のなかは無音で、わたしはひとりで、目の前にいたあの人もひとりぼっちだったのだ。
プラットホーム。
それは別れの舞台には月並みなものでしかなく、ありふれたドラマのエンディングのように人の動きは冷たくスローモーションで、ガラス瓶が砕け散るようにばらばらになってゆくのだった。あの人とわたしは見つめ合い手を取り合い、心を揺すりあいながら別れを惜しむように風景のなかへと溶けていった。もう逢わないつもりでいるのだと固く決心しているあの人と、その人を無理矢理でも連れ去りたいと企む悪党のようなわたしがそのシーンのなかで無言の対決をしていたのだった。


偶然の記憶  続・千夜一夜 その233
半時間ほど前にケータイにメールが届きその人が上り特急で都会へ行くのでたぶん海の方に向かってくる私とどこかのの駅で行き違うだろうと知らせてきていた。7時ちょうどにその人の特急は町を出ている。それが今さっき私が見送った特急だったのだろう。走り去る列車の窓にその人の姿を探そうと密かに心に決めていたしその人もメールの雰囲気で私を見つけてと伝えるような書き方をしている。でも、私はその人は私のことなどもうこの駅を過ぎるころには忘れていることなど簡単にわかった。だからその人の姿を見つけたとしても無駄なことも知っていた。
私は昔のある光景を思い出していた。偶然のことで知り合いになってちょっとした仲になった女性が一人いた。その人との出会いは、すれ違う列車の中で目があって知り合いになり何度も繰り返すうちに頭の片隅に記憶に残りそれがあるときに街で出会い話をする機会になったという、ドラマのようなものだった。私たち何か赤い糸のようなもので結ばれていたのだわ、といつも口癖のように言い合いお互いに頷き合って楽しい日々を過ごした。しかしその人とは、その暮らしぶりを風の便りとして何度か聞き、手応えのない手掛かりにそっと声を投げ掛けてみるチャンスがあっただけで、生存の感触があっても音信がなかった。それ以上は人として押してはいけないというところまで来て途絶えている。
停車駅で列車の出発を待つ間、子どもたちの歓声をぼんやりと聞いていると、不思議なほどに忘れているその昔のほかにもあった対話が蘇ってきた。淋しい静けさが私の記憶を掘り起こすのだろう。
2014年11月10日(月曜日)


ぬけがら  続・千夜一夜 その232
ディーゼルカーのブレーキの音が頭の奥まで突き刺さるのを怖れて両手で耳をおおっていた子どもたちが、止まった列車を見届けてから万歳をするように両手を挙げて再び遊び始めた。子どもたちは色とりどりの服を着て駅のホームから駅前の広場を使い尽くして駆けずり回っている。ホームには柵もなければ警報機もない。古ぼけた昔からの駅舎が残っているもののもう20年も30年も前から無人化されてしまったのだろう抜け殻のような建物が、ここは列車が止まる駅なのだ、と主張するように居座っている。栄えたころはさぞかし威風堂々としていてモダンな建物であったのだろう。
列車が駅に止まっても乗る人も降りる人もなく、車内放送もされない静かな時間に、子どもたちのはしゃぐ声を聞いてぼんやりとしていると、駅構内の上りホームを特急列車が警笛を鳴らしながら通り抜けていった。
2014年11月 2日(日曜日)


海のくにへ  続・千夜一夜 その231
車窓が里山の雑木林の中から、トンネルを抜けて緩やかな下りのカーブを走り終えたときに、海景色に変わった。隣の客席の少し年老いた夫婦らしき二人が歓声をあげながら大急ぎで鞄のカメラを出している。列車は小さな入江をゆっくりと回り込むように走ってゆく。ディーゼルカーのゴーという音も断続的にやんで、真っ青な海のほとりに民家が見え始めると線路は束の間だけまっすぐになって、赤茶けたコンクリートのホームにゆっくりと止まる。そのスローに息が途絶えるような一時的な静けさが入り江のまわりにそっと佇む集落の美しさを一段と引き立てている。
2014年10月31日 (金曜日)


夏になる  続・千夜一夜 その230
三篇を書いて置いたままにしている。それには理由があってないようなものだ。わかりやすく考えればわたしはもう恋文などを書く必要が失くなったのであり書く気力がなくなったともいえようし書いても無意味になってしまったわけだ。しかし、人の心などそう簡単に変えることなどできるわけもないから、あの人のあらゆるところを嫌いだと感じようが、野に咲く花のように忘れたころに姿を見せてくれると何もかも忘れてぼんやりと見つめる。
2014年5月28日 (水曜日)


冬から春へ  続・千夜一夜 その229
いや、気力も情熱もなくなったなんて悲しすぎる日記だね。あの秋はそんな哀愁に包まれ、もう会えないかもしれないとまで思ったのだろう。もう一度、高台の深い森のなかの木立の間から海が見下ろせるベンチで、あの人と向かい合わせに座りヤマモモのジュースを飲みながら、交わす言葉が浮かばなくとも風に吹かれてみたい。そう!今度は薄目を開けてじっと見つめておくことにする。照れてばかりでじっと見ることすらできなかったあの日。
2014年3月14日 (金曜日)


秋のはじまりに 続・千夜一夜 その228
私にはもうあの人を追いかける勇気も気力も情熱もなくなったのだと、あのときは確かに思った。そう。あのときがいつの季節であったかさえも忘れているのに、今、秋の風が吹いて、あららっと思ったのは気のせいではないのだ。心を空っぽにしてしまい、恋もできなくなった私に、もう一度好きになろうと誰かが何処かで囁いたのだ。もはや春も夏も忘れていても、今から新しい秋を旅をはじめよう。端末がお知らせのチャイムを鳴らすから。
2013年9月 8日 (日曜日)


さがしもの 続・千夜一夜 その227
ああ、あのときふらりふらりとさまよいこんだ夢のなかのようなところに戻ってきた錯覚に今でもときどき襲われることがある。すぐにそれが幻想的なイメージだと気付くのだが、そのやり切れない余韻の波に少し浸っていたい気持ちも出てくる。追いかけても一向に追いつかないし、探しまわっても貴方は見つからない。確か以前にもここで貴方を見つけたのだから、こんどもきっとこのあたりにいそうだと思いながら探すのだが届かないのだ。
2013年6月 5日 (水曜日)


ざわめき (千夜一夜・その226)
鳥が鳴きやんで、ざわめく森が息をひそめようとしたとき、貴方の影が私に近づいてくるような予感がした。やがてそれが、気配に変わって、激しい息づかいになり、ときめきが私に襲い掛かる。抱きしめたい。その衝動が言葉になったか、それとも風を震わせながら伝わったのか。突きとめることもできないままに、夢の中で見る夢の幻を私は掴もうとしたのかもしれない。強く抱きしめて離さない。更に私には激しい情熱が沸き起こった。
2013年5月 9日 (木曜日)


回想 (千夜一夜・その225)
あの人は小さな峠になった切通しの向こうにある入り江に囲まれた数軒しか家のない小さな集落に住んでいた。わたしはただそれだけで、それは内緒の話だけれど、その人を好きになってしまった。沖には鯛の養殖筏が点々とあって、その間を漁船がときどき行き交うのが見えるどこにでもあるような漁村がその人の住まいだった。一本道を行き止まりまで突き当たってしまってオロオロしていると、どこかからか彼女が現れて小さく手を振ってくれた。
2013年5月 2日 (木曜日)


溜息 (千夜一夜・その224)
いったいどれほどの時間が過ぎればあの人のことを忘れることができるのだろうか。どれだけ哀しく思い出しても、また切なく苦しく恨らやんでも、その涙の量を秤で測って、はいはい一杯になりましたからお待ちどおさまでしたというような、笑話でも済ませてくれない。どこまでもいつまでも、気持ちに逆らって記憶の中にいるのは嬉しいけれど、叶わぬ想いが憎くなることもある。ああ、私とは全く別世界の人だったのだ、と溜息をつく。
2013年4月 4日 (木曜日)


潔く (千夜一夜・その223)
これまでに何度も同じようなことや情景を書いてきたが、そろそろ終楽章を書かねばならないと思う。私には未練があった。しかし、それは決して美しいものではなく、叶うことのない儚く無残で、淫らに乱れたものであったかもしれない。私たちは清くて美しかったよと、かつてどこかで讃えあった、あの偽りのドラマを演じたのとはまったく違う。だから、潔く切り上げて、私はキョトンとしていたいのだろう。あの人を訪ねたいと思った。
2013年2月 6日 (水曜日)


苦しさ (千夜一夜・その222)
散る花と国の峠でわかれたり。この句を思いたったのは、人生で一番切実にその人を想い心を焦がしていたときではないだろうか。片思いがこれほどまでに焦れったく儚く哀しいものだとは後になって感じるのだが、このときは、あの人のところへと続く峠に佇んで集落を見下ろしては、溢れ上がる想いを噛み殺していた。あの人は私の気持ちを知っていながら、固くその扉を閉じている。それが私にはよくわかった。好きだと言えない苦しさ。
2013年2月 5日 (火曜日)


貴方はいない (千夜一夜・その221)
昔々に出会った小さな子が話してくれた海のロマンの物語を思い出している。白く眩しい光が世界で一番大きな海を横切ってその子の部屋の中に横一直線に差し込む。ウチの窓の下には高い高い断崖があってその下に大きな海があってお日様はウチにまっすぐ差してくる。確かそんなふうに話してくれた。時間が過ぎ行き再び原風景に還ってきた。銀色の衣の様に輝く海原に天使の羽衣のようなしなやかさで波が揺れて流ている。貴方はいない。
2013年1月28日 (月曜日)


侘助 (千夜一夜・その220)
初めて貴方と歩いた石畳の坂道をお別れする日にもう一度だけ歩きたいと思いました。でもそれは我儘だとわかっていながら、貴方に手紙を書き綴ったのでした。そう、ひと冬に幾度も雪の降り積もることのないその坂道で侘助が凍える様に私たちを見つめている。そこでもう一回貴方に一言を伝えようと思ったのです。しかし侘助は、振り返る直前にポタリと雪の上に落ちた。ほんのまばたきほどの時間差で二つの想いがすれ違ったのでした。
2013年1月25日 (金曜日)


突然に (千夜一夜・その219)
この恋文の200字ノートは「千夜一夜」ではなく「200夜」にすればあっさりと終われたろうにどうしてアラビアンナイトのように千夜一夜も私は書こうとしたのだろうか。しかしその理由は明らかすぎる。千日以上になってもさらに幾らでもあの人に恋文を綴り続ける確信が私にはあったから。そしてさらにドラマとして綴り続ける予感もあった。物語が突然終わりしかも悲劇的なほどドラマは面白いのだと嘗て自分で話したようになってゆく。
2013年1月11日 (金曜日)


坂道  (千夜一夜・その218)
何度ももう嫌いになったと思い込もうとしたのだけれど、ふとしたことでその人を思い出すと締め付けられるような胸の痛みを感じるのだった。遮断機が鳴って、その向こうにあの人に似た姿を見つけたとき、はっとして、見つめようとすると特急列車が私を遮る。立ち止まって踏切のこちら側でその人を待つこともできず、後ろを振り返ることも我慢をして私は坂道を上ってゆく。朝日が白くさわやかな輝きで10階建てのビルを照らしているのに。
2012年12月15日 (土曜日)


恋文  (千夜一夜・その217)
恋文を幾ら綴り続けてもあの人は読んでもくれないことを知っていた。それでも、気持ちを投げつけるモノが欲しくて、ペンを持てば湧き上がる感情を断片的に書き残してみたりした。届いたとしてもそこで終わり、その先に道筋などなかったのに、その行き止まりまで来て私はそこが行き止まりなのだと確認している。歯痒かった。でも、それで良かったのだ。あの人は私の綴る恋文の波動とは全く違った羽ばたきをしている人なのだから。
2012年10月22日 (月曜日)


満月  (千夜一夜・その216)
月は十五夜で満月になり同じ時間をかけて新月に戻ってゆく。新しい月が始まる、などといつの時代の人がどういう手がかりで考え出したのだろう。今の時代をゆく私にとってこの呼吸を忘れまいとする気持ちが襲ってくるときがある。それはあの人を思い出しあの人の面影に再会しようとするときだ。お呪いやお祈りを頼りにするわけでもないのだが、満月が空に浮かぶと高ぶりは頂点に達する。深呼吸をする。▼満月をまっている呼吸の谷間
2012年9月23日 (日曜日)


さざなみ (千夜一夜・その215)
かつて、ベートーベンの月光を聴いては悲しみに耽った夜があった。しかしやがて、それもすべて忘れてしまう日が来るのだろう。幻のような出来事だったとか天使のような人だったと私は振り返るのだろうか。魔術にかかっていたのだとすれば思い出しもしないのかもしれない。そう、物語は入江の見渡せる小高い丘に続く石畳の坂道で始まったのだった。森の中に迷い込み、夕日に赤く染まる海を見下ろし、裸足をさざなみで漱いだひととき。
2012年8月14日 (火曜日)


白い街 (千夜一夜・その214)
あの人はかつて私が描こうとした物語の倫子と銀子を思い出せた。銀子はプチハネ茶髪のショートカット。倫子は真っ黒で長く肩まであるサラサラ の髪だった。私は現実では倫子や銀子のような人には出会っていない。だが、倫子のモデルにしたいと考えた人はあった。そして、銀子にもそんな人がいたものの、もっと知ろうとすればするほど銀子から遠ざかってしまい私の空想はバラバラになっていってしまった。▼酔いどれてあなたを想う白い街
2012年7月18日 (水曜日)


出口へ (千夜一夜・その213)
もう、私の物語は出口を失っている。書きかけてそのままに放置したメモが散らかって、取り返しがつかなくなっている。もう一度拾い上げて、あのとき、私が何を感じてその言葉を書き残したのかを考えて、できることならその場にいたあらゆる人の情景も手繰り寄せて、ふたたびじっと見つめて、あのときのように激しく想いをぶつけたいと願ってみる。しかしながら、そこには出口などなく、出口への道のりもさえも見あたらないのだった
2012年7月11日 (水曜日)


海が嫌い (千夜一夜・その212)
冷たい風の吹いたある朝にもう冬など懲り懲りだと弱音を吐きつつ坂道を黙々と登る。鉛色の空から冷たい物が落ちてくるのに気づく。▼初雪と思わせぶりの霙かな-何を見てもあなたのことを思い浮かべてしまう自分から早く抜け出して、私は私の新しいブルースを作ろうと決めているのに、落ちてすぐに舗装道路で儚く融けてゆく霙を見つめながら、またしても雪国生まれの人のことを思い出す。あの子はあなたと違って海は嫌いが口癖だった。
2012年6月26日 (火曜日)


対岸 (千夜一夜・その211)
私は臆病でありながら無鉄砲なこともしました。声が聞きたい衝動であの人の入り江が見える対岸を幾度も訪ねたこともあります。同じ町から突然電話をしたことが一度だけあったし手紙を出したこともあった。よせばいいのに衝動的にそんなことをして返事がなかったことを当然だと自分に言い聞かせて、自分の愚かな部分を責め続けていたのかもしれない。でも、あの人は優しい人だったのです。どんなときでも一瞬に見せる笑顔が大好きでした。
2012年6月 1日 (金曜日)


ひととき (千夜一夜・その210)
200文字の手紙を毎夜書きました。その手紙にはいつも同じことばかりを書きました。しかしこの手紙は届かない手紙です。告げられない苦しさを書く夜はいつも静かな夜で、丸い月を見あげてはその人を思い出し、月のない夜にはまぶたに精一杯笑顔を蘇らせました。花屋の店先に季節の花が並ぶのを見ては、生け終わった花台の花をいつも静かにじっと眺めているあの人の姿を思いました。柱の陰から見ているだけだったひとときが過ぎ去る。
2012年6月 1日 (金曜日)


千回の恋文 (千夜一夜・その209)
叶わなくとも千回の恋文を書き続けよう。果てることなく書き続けてゆこう。私は、そんな風に心に決めて想い続けることにしました。何の疑いも迷いも持たずにこの決心ができたのは、その人を好きになってはいけなかったからです。それゆえにこの恋が叶わぬともあの人をこっそりと見続けることの空しさを痛く感じることがあってもそれは私の覚悟のうえでした。向こう岸にいるあの人をこちらから静かに見ているだけの幸せと苦しみ。
2012年5月23日 (水曜日)


叶える (千夜一夜・その208)
もしや時間は止まってくれるかもしれない。あの人は立ち止まって別れの言葉をひとことでもくれるかもしれない。そんな甘ったれた幻想をいつまでも棄てられずにエンドレスの悲しみに沈んでゆくところが私の最も私らしい姿でした。ほんとうは独り占めしてしまいたいと切実だった。だけどそんなことはできるわけがない。そもそもこのときの願いは、ハナから叶うものではなく、願いを抱くことで自分のなかの何かを癒していたのでした。
2012年5月23日 (水曜日)


時間をとめる (千夜一夜・その207)
闇を一手に吸い込むように目の前に広がる静かな海原を部屋の窓から見下ろしている。そこには時間の動く気配などはなく、生き物が呼吸をする音さえもない。 風にも依らないエネルギーが生み出す大きな息づかいのなかにあって、太陽がそそいでくれる瞬きの揺らぎにも満たないほどの僅かな波が小さな筏を揺らし続けている。私の心は揺れていた。あの日、大好きだと言ってしまった私が嫌いだった。時間を止めるためにも無言がよかった。
2012年4月30日 (月曜日)


消滅する直前の炎 (千夜一夜・その206)
貴方のメールはいつも気まぐれでペンを持って言葉が浮かばないままインクが乾いてしまうほどに考えて考えて手紙を書いた私とは違って言葉をテニスボールやバトミントンの羽根のように打ち出してメールにしているみたいだっただけに、もうラケットは片付けましたとばかりに音沙汰もないときが幾らでも平気で続いたりご機嫌のときは道端の四葉のクローバほどの感動でさえ便りをくれた。あれは消滅する直前の炎のようなものだったのだろうか
2012年4月29日 (日曜日)


ヤマモモのジュースを (千夜一夜・その205)
丸い月貴方を想う白い夜。だんだんと月が大きくなってゆくのを見あげながら、貴方が出かけて行った旅を考えていた。偶然に貴方は、一人旅にゆく列車の中からメールをくれた。驚くことにそれがちょうど私とすれ違う列車だった。貴方とは凪の入り江に一筋の波跡を描きつつ沖に出てゆく漁船を見ながらヤマモモのジュースを飲んでいたあの日の午後に逢ったのが最後だった。もう会えないだろうという、よからぬ不安が脳裏から離れない。
2012年4月29日 (日曜日)


消えてゆく (千夜一夜・その204)
夢は、諦めることはあっても棄てないで心の片隅をいつまでも痺れさせていて欲しい。私はそう願い続けて、あの人のことを想い続けた。想いながらたびたび、もう一度、山霧の晴れゆく谷間に差し込む朝日を二人で見ることができるだろうかと考えることがあった。幻を追いかけて夢をみることができるのだろうか。幻とわかっていながら夢を追えるのだろうか。やがてあの人は私の手の届かないところに消えて行ってしまう日が必ず来るのに。
2012年4月24日 (火曜日)


ささやく (千夜一夜・その203)
シェヘラザードが千夜一夜にわたって物語を囁いたように私もあの人に手紙を届けようと考えた。それは投函しない手紙で、あの人を想い続ける夜を忘れずに心にとどめておく大切な記憶だと私は思っていた。届かない手紙は千夜を超えて綴りゆけるような気がした。永遠に止まることのない振り子時計のように刻々と ペン走らせあの人をまぶたに蘇らせるのだ。夢がいつか破れることはわかっていても、その夢は棄てないで胸に秘めておく。
2012年4月24日 (火曜日)


無言の (千夜一夜・その202)
あの人はほんとうは見栄っ張りで意地っ張りだったのかもしれない。誰にでも好かれている自分を偽り続けていたのかもしれない。でも私はそんな疑いの想像をすぐにかき消す。窮地に追いやられても、弱みなど見せずにいつまでも美しく舞い続けようとするあの人を見続ける私は涙さえも出さず手を差し伸べることもできずにただ見守った。無言の私に気づいているのかも確かめられず泣かないあの人を遠くから見ていた。あの人が蘇るときを待つ。
2012年4月15日 (日曜日)


泣かない (千夜一夜・その201)
あの人はたやすく泣いたりするような人ではなかった。負けてへこたれそうになっても弱音も吐かない姿が私の印象だった。泣かないでと私は言った。もっとも私の心配などよそにあの人はたやすく泣いたりするような人ではなかった。負けてへこたれそうになっても弱音も吐かない姿をいつも見せた。だからこそ泣かないでと言いたかったのかもしれない。ほんとうは脆く崩れ落ちるような弱さを何処かに持ち合わせているのを知っていたから。
2012年3月20日 (火曜日)


千夜一夜・その200まで

胸にしまう (千夜一夜・その200)
一切のときめきも喜びも哀しみさえも胸にしまうことした。▼好きですとリンゴをかじって言ってみる。窓から差し込む明かりを受けて真っ赤な林檎は白く光る。でも林檎は白ではなく赤い林檎なのだ。あの人の薄くしかしながら激しく赤いチークが蘇る。その頬をじっと見つめることもできなかった自分にため息が出て、あの人は私の気持ちを知っていながらそれを許さなかった人だ。諦めがついて貴方の小さな眼が好きだったのだと気がつく。
2012年2月20日 (月曜日)


幕が下りる (千夜一夜・その199)
わたしの中を諦めと絶望の嵐が吹き荒れ過去の忌々しい憎しみや後悔が次々とわたしを悩ませた。しばらく投げやりにトロトロオロオロする時間を過ごし苦しさで己を見失いそうになってゆく。だがやっと落ち着くところに辿り着く。ここでは黒い天使が現れては消え再び近づき、わたしに哀しい過去は棄てなさいと助言する。すると消そうとする慕情がちっぽけなドラマに思えてきて、まさに幕は下りる瞬間となる。わたしはそこで拍手をした。
2012年2月13日 (月曜日)


化粧 (千夜一夜・その198)
こんな化粧もしていないわたしでごめんなさい、恥ずかしかったわ、とその人はいう。確かにいつものように激しく美しくている貴方ではなかった。けれども、ふだんの、それは、まさしく素顔の貴方の姿で、とても素敵で魅力的だった。でもそれを上手に言葉にできずにいる自分自身がいて、ぶん殴りたいほどでした。もうこれで会えん、このときが最後かもしれん、そう予感を抱きながら貴方の小さな後ろ姿を自分の瞼にしっかりと焼き付けた。
2012年2月12日 (日曜日)


泥の海 (千夜一夜・その197)
二日が過ぎた。動揺は少し収まったものの、地獄に落ちるような恐怖感がときどき胸を突いてくる。夜半からさらに雨脚が激しくなったようだ。一度だけ目が覚めてふたたび眠ったら夜が白み始めていた。脱出。そんな言葉が浮かんだ。でも、私たちは逃げるのではなく旅に出るのでもなかった。私は暴走しているのだろうか。そんな自問を繰り返しながら泥のようにうねる湘南の海を見ていた。いったん上がった雨が再び嵐のように降り始めた。
2012年2月 6日 (月曜日)


供養のような (千夜一夜・その196)
もう情熱のすべてを使い果たしてしまった。冬ざれた野山で北風を受けても霜が降っても枯れることなく飄々としている雑草の如く、夢がいつになったら叶うのかとか、幸せとはなんだろうか、などということを考えるのはやめにすることにした。私は兼ねてから胸に抱き続けている「銀子と倫子」の物語を、実像のように綴ってゆきたいと思った。それがあの人を慕い続ける残された心の供養のようなものだ。▼雨降りて人恋しきと傘が呼ぶ
2012年2月 5日 (日曜日)


沖を見る (千夜一夜・その195)
あの人は真っ白な砂浜をひとりで先々と歩いてゆき私を置いてきぼりにしてしまう。気まぐれに振り返り「疲れたわ、帰りましょ」というと海に向かったまま しゃがみこんで目を細めた。この人を今はもう好きじゃないと口に出さずに自分に話しかけてやる。沖を漂う漁船のように流れる時間とは別次元の波動の上で生きている。そう見せかけて私は手探りをする。そうはさせぬとあの人は沖の筏を見る。波打ち際の砂が引潮で乾き始めている。
2012年1月20日 (金曜日)


抗い (千夜一夜・その194)
11月下旬のある日。少しずつ寒さが増し始める毎日を送りつつ12月になったら年も暮れ大事に棄てずに置いている数々の拘りを思い切って処分しなくてはならないと覚悟している。絶対にこの人のことは忘れないだろうと思った人でさえ長い年月の果てに記憶が曖昧になってゆく。それは仕方のないことで、あのときの熱い情熱も、いや、あの激しい憎しみも今は許してもいいという気持ちに変化している。▼抗いもこの曲がり角まで、あとは冬
2011年12月17日 (土曜日)


とっておき 2 (千夜一夜・その193)
思い出は儚い。最期の年齢が近づくにつれてもう2度と会えないことが明白になってくるとある種の諦めと諦めた後のステップとしての決意が生じ始める。私には、とっておきの写真が1枚もなかった。悔やむのは、そう、あの人とのとっておきの1枚の写真を撮れなかったことだ。あの人といってもカテゴリーごとにさまざま人物があるが、当たり前のように言葉を交わし、さり気なく意地っ張りを交わしながら、とっておきを幾つか失ってきた。
2011年12月 6日 (火曜日)


とっておき (千夜一夜・その192)
美味しい酒を手に入れたりもう2度と食べられないような珍しいお菓子に出会ったとき、それをそのままの形で残しておけないものかと願うことは多い。人一倍に欲張りで寂しがり屋なクセに、そういうものをなるべく大事にしないように自分から心がけてきたようなところが私にはある。時期を満たして消滅するのが嫌で、そいつを独り占めして絶対に誰にも渡したくないというわがままを持っているのだ。そんな私に悔やむことが幾つかある。
2011年12月 6日 (火曜日)


九月の雨 (千夜一夜・その191)
夏が終わりきらない。あのころそんなことを紙切れの隅に書いてしばらく放置していた。九月に降る雨は気分しだいでどうにでもなる。あるときの雨はさぞや恨めしく、好きな人への届かぬ想いを湿らせて毒を含んだような雨にだってなる。そのときもきっとそうだったに違いない。しかし今となってはもはやいじらしさも悔しさもない。あの時間は過去でありあの人は体温を失ったように冷たくなってゆく。▼赤い花アナタの心に突き刺して
2011年11月30日 (水曜日)


ボタンのかけ違い (千夜一夜・その190)
都合の悪いことや思うようにことが運ばなくなって何か言い争いになってしまうと必ず「ボタンのかけ違い」というふうに言い訳をして逃げようとしてしまう。きっと、あの女も何処かで足を踏み外して人生の方向が定まらなくなったときから、狡く逞しく生きてゆく術を得たのだろう。潜在的に欠片があったのかもしれない。しかし、あの女と私の相性は「ボタンの掛け違い」というような生易しいものではなかったことに、あとになって気づく。
2011年11月27日 (日曜日)


悪夢 (千夜一夜・その189)
嫌な夢を見たことがった。悪夢とノートにおぼえがきをしたものの、しばらくのあいだにそれがどのような具体性を持っていたのかさえも忘れて、今さらになって、その悪が許せてしまう。そういうことがしばしば続くと、私には悪という文字は不必要なのではないかとさえ思えてくる。あの女は確かに悪意に満ちていたのかもしれないが、それ以上に愛してしまったのも紛れもなく私自身だった。そんなことを繰り返しながら愚かに生きてきた。
2011年11月27日 (日曜日)


銀に輝く (千夜一夜・その188)
いつか昔、誰かに打ち明け話をしたことがあった。僕の心のなかにはふたりの女性がいて、そのふたりはそれぞれがまったく違ったタイプなんだっていうような話をした。名前を「銀子」と「倫子」といって、僕のえがくドラマの主人公にもしていきたいと打ち明けたのだった。そのひとりである女性が、銀に輝くススキの野原をアルプスの少女のようなワンピースを着て歩いて来る姿を思い浮かべて、私は千夜一夜を書いていたのかもしれない。
2011年11月27日 (日曜日)


抜け出せない (千夜一夜・その187)
オトコがオンナに惚れるということはある種の狂気の沙汰なのだと今ごろ気づいている。冷静になって醒めた頭で一部始終を回想するとき、あんな愚かな手段でその人をこちらへと振り向かせようとしていたことがこの上なく恥ずかしく最低だったとわかる。どんどんと自分を負ける戦に導いていってしまいそれに気づけない。いや知っていても抜け出せない制御不能の状態になった。そしてあそこに進化は存在しないのだと、あとになって分かる。
2011年10月15日 (土曜日)


変わらない (千夜一夜・その186)
貴方へ届けようとした数々の手紙は、あれはもうマボロシであったことにしてしまいたい。確かに正直な呟きだったのだとも言えなくはないが、恥ずかしくも大人が綴る恋文ではなかったのでした。貴方に多かれ少なかれおバカで愚かなメッセージを届けてしまい迷惑をかけてしましたことを悔やむ。赤面するほどに恥ずかしい。大好きは変わらないものの、一時期の様な狂気の夢中さは今はもはや静まってしまって、しっとりと昔を偲んでいる。
2011年10月15日 (土曜日)


暗号 (千夜一夜・その185)
貴方にだけ暗号のように届く手紙を私は書き続けたいと願った。それは私が考えていることや想いを貴方と少しだけでも共有できたらという切実な願いであり純粋な祈りのようなものだった。どうしても貴方に届けたいという重苦しい感情は引き潮のように翳ってこのときは片隅にそっととどまっていればそれでいいと思い始めていた。けれども貴方はいつものように気まぐれ子猫が尻尾を立てたまま知らんふりをする如く私の便りには無言だった。
2011年10月12日 (水曜日)


想い続ける (千夜一夜・その184)
あの人への恋文は、もうおしまいにする。さわやかさも、ほほえみも、優しい眼差しも、すべてがマボロシのような夢だった。その夢に描いているあの人はきっと現実には思うほどに素敵じゃなったのかも。それでも私は好きでいたいのだと片意地のようなものを張りながらも突っ張ってきたのだけれど、今は嵐が去ったようにさわやかになってゆく。あの人というマボロシの女性を描きながらその虚像と実像を重ね合わせつつ想い続けたあのころ。
2011年10月 2日 (日曜日)


さわやか (千夜一夜・その183)
そうさボクはさわやかという言葉をすっかり忘れてた。キミはさわやか、素敵な笑顔と透き通る明るい声で僕を幸せにしてくれた。…と青春ソングのような詩節が浮かんだよ。気がつかなかったけれど、あの人はアルプスの少女ハイジのように、少しも悪意など持たず人を疑うこともなく憎むこともなく、意地っ張りでもなく見栄っ張りでもなく、みんなに微笑みかけてくれたのでした。その微笑を私だけが独り占めしようとするのはいけなかったの。
2011年10月 2日 (日曜日)


しあわせ (千夜一夜・その182)
十年ごとに彗星の如く私の前に現れては私の心を惑わせ煩わせていつかどこかに消えていってしまう人たち。戸惑ってはいけないときにその人に出会いやがて意味も訳もなく堕ちて行ったのだ。好きなわけではないし独り占めしたいわけでもないと言い訳を並べ立てても、ほんとうは大好きで独り占めして誰にも渡したくなかったのだろう。今なら潔く認めてもいい気持ちが満ち潮のように押し寄せて来る。何度も何度も「私はしあわせ」とくちずさむ。
2011年9月13日 (火曜日)


煩う (千夜一夜・その181)
もう想い煩う必要がなくなったのだと染み染み思う。あの日、ふとしたことでこれまでに一番欲しかったあの人の笑顔を私は手に入れた。それはケータイか何かで撮影した写真で、その笑顔に再会できたことで私はこの上なく幸せになれた。これまで「逢いたい声が聞きたい遠くからでも見つめていたい」と日記に綴り、静かに佇むものを眺めては想いを募らせていた。しかし本当に一番欲しかったのはこの子の笑顔を心にとめておきたかったのだ。
2011年9月11日 (日曜日)


ぱっと咲く (千夜一夜・その180)
「思いつき。あなたを好きになったのも」 十七音を浮かべながら、心にもない言葉の遊びだなと思っている。あの人を思いつきで好きになってしまうわけがない。じわりじわりと素敵さが見えて来る毎日を送りながら、意識してそっとその可愛さに触れてみると、パッと花が咲いたときの驚きのように私の心は揺さぶられたのだ。そういう感動を感激にして持ち帰って眠れない夜を幾度か過ごせば、誰でも魔法にかかったようになってしまう。
2011年9月 4日 (日曜日)


凪 (千夜一夜・その179)
二百文字という限られた升目の中にあの人への想いや夢物語やささやかな思い出や取るに足らない淋しさを書いてきたのだが、もうそろそろオシマイにしよう。夢中になっても静かに語りかけても、すべての私の思いはあの人にもう届け終わっているのだから、オシマイでいいじゃないか。日が暮れてゆく凪の堤防で、おしゃべりな私を無口にしてしまうような魔術を持っている海に向かって、さようならの言葉のあとの十二文字を考えている。
2011年8月 3日 (水曜日)


まさか (千夜一夜・その178)
まさか、ほんとうにあのときの別れが永遠の別れになってしまうとは、誰にも言えない途轍もない悲しみだ。確かに、もう逢えない予感があったのだが、あの人は、もはや私の前に姿をあらわそうという気持ちを一切持っていない、ということが少しずつ明らかになるほどに悲しみが押し寄せてくる。何かの拍子にまた切っ掛けを作って逢えるだろう、と軽々しく考えていたものの、どうやら、今度ばかりは心で受け止めねばならないようだ。
2011年7月14日 (木曜日)


南風 (千夜一夜・その177)
もういいよ、キライになるから。そんなうそは言えないね、おまえさんには。そんな会話を思い浮かべつつキライになれたらどれほど楽かと考える。南風が優しく吹き込んだのだろうか。日が西に傾き湾の入り口付近の水平線に丸い月が昇ろうとするころ、風は止んでいたに違いない。点々と浮かぶ鯛の養殖筏を、さざ波の跳ね返す光が飾りの様に光らせていたのだろう。あの人のいるあの浜へはもう私は行けない。▼南風凪を待たずに消えてゆく
2011年6月23日 (木曜日)


赤く小さく (千夜一夜・その176)
そうか、ただの女か、マボロシか…と繰り返しながら。その人を思うと寂しさがどっと覆いかぶさるように私を襲った。蛇苺を見てヘビを想像できるわけがない。爬虫類のあの冷たい触感はとても苦手だから。真っ赤な苺は小さいからこそ惹かれたのか。▼黄色い花、貴方を想う優しい花。もしもこの時に出逢った花が赤色だったら私は優しいあなたを慕わなかった。▼怒りん坊そんなあなたに出逢いたい。膨れ面のその人を想像しただろう。
2011年6月19日 (日曜日)


蛇苺 (千夜一夜・その175)
ただの女をマボロシを見るように私はひたすら追いかけていただけなのかもしれない。二度も三度も四季が移ろいゆく合い間にも廃れることのなかった想い。どうやって始末すればいいのだよと問いかけたとしても、アイツはネコのように知らんふりをしている。酸っぱい顔をした真っ白な猫のような、ただの女を、私はマボロシを見るように追いかけていただけなのかもしれない。▼蛇苺あしたの恋を占うて。へびいちごとカナでは書かない厳しさ。
2011年6月19日 (日曜日)


十六夜 (千夜一夜・その174)
窓を開けて月を眺めている間に私は眠ってしまった。満月のクセに隣の屋根に隠れそうなほど低空を月は横切ってゆく。初夏の月を見て…どうしてもあの人に会いたいと思っている。誰にだって私の心は嘘をつけない。何を見ても何を耳にしても、あの人が目の前に出てくる。月が白く淡く輝けば、色の白いその人を思い出し丸い顔が蘇ってくる▼丸い月アノコ髪型変えたかな▼空をみる切ない切ない十六夜。眠れば切ない夜は終わり朝が来る。
2011年6月18日 (土曜日)


遠回り (千夜一夜・その173)
雨に散ってしまう運命のツツジであっても、あの甘い香りを放ち、鮮やかに咲き誇るツツジの花の坂道が私は好きだった。夕暮れのひととき、電車道沿いの坂道歩けば、二人がたとえ言葉に詰まっても困ることはなかった。ハイヒールの足音がコツコツ響いていたのが蘇ってくる。あなたは遠回りじゃないの?と尋ねることはできなかった。あの人は何かわけがあってこちらの道を歩いて帰る。私の知らない理由にちょっとヤキモチを妬いた。
2011年6月10日 (金曜日)


ツツジ (千夜一夜・その172)
梅雨の走りの雨があがったあの一日だけに晴れ間がやってきた。まさにその日に、私は一枚の写真を撮って届けたくて花の咲く石畳のあの道を訪ねた。しかしそこには花はなく、私を迎えてくれたのは新芽の緑が鮮やかに吹き出している光景であった。ピンクの花びらをこぼれんばかりに咲かせているような、夢に描いたツツジはどこにもなかった。失望が私を襲う。次にここに来るときはきっと梅雨だろう。▼ツツジ咲くいつかの雨に散るために
2011年6月 3日 (金曜日)


封じ込める (千夜一夜・その171)
メルアドを聞き出せばきっとときめかなくなるだろう。そのまま、知りたいと願い続けるのがいい。聞き出すチャンスはいくらでもあるのだから、たやすく使ってしまうのはやめた方がいい。昔、夢を叶えることだけに突っ走って、叶えた夢を愉しむことをうっかりと逃したことがあった。あのときを忘れてはいけないのだ。だがこの人は、自らを語ることは一切なく、まるでこれまでの苦渋の過去を自分の胸に封じ込めようとしているように見える。
2011年5月14日 (土曜日)


ひっかく (千夜一夜・その170)
おとなしく黙って向かいに座り少しだけニコニコし何も自らは話し出そうとはせずテーブルに置かれたヤマモモの生ジュースのストローを口に付けたり掻き混ぜる素振りをしたりしながら決してため息をつくこともなく店の周りに広がる森を眺め遠くから届く潮風を感じているのだろう。海は無言でその人も無言。この人を誘拐しどこかに逃げてしまいたいという衝動。きっと私はその人の立てた爪で激しく責められるだろう。
▼ひっかいた心の隙間にキスをする
0921山帰来 (27)
写真:山帰来にて
2011年5月14日 (土曜日)


惹きつけるもの (千夜一夜・その169)
時に鬱になるとあの人は話してくれた。どんな気持ちで打ち明けたのだろう。私を突き放すつもりだったのかもしれない。でもその話を聞いてあの人を絶対に放したくないと私は強く思った。時々ヒステリックなふりをする時もあるけれど、それがますます私の気持ちを傾けてしまう。あの人は知らない。ただ単に好きだからあなたの前にいるのではない。離れたくないほどの魅力があなたにはあるのだ。それを伝えたいけど、あの人は耳を傾けない。
2011年5月12日 (木曜日)


星より秘めやかに輝く (千夜一夜・その168)
貴方には星より秘めやかに輝くときがあって、華やかな面影を漂わせつつも、光の中に吸い込まれてゆく哀しみを抱きながら、ひっそりと暗闇の中へ姿を消そうとする揺らぎを持っている。小さく点になってもなお瞬き続ける情熱を滲ませて、ぽつんとひとりの貴方は孤独と闘っている。それが私にはわかった。雨よりもやさしく春のそよ風よりも爽やかなシルエットに包まれても誰にも言えないものがあったの。いつもそんな気がして貴方を見てた。
2011年4月26日 (火曜日)


嘘つき (千夜一夜・その167)
静かで暴れることのない落ち着いたペンが綴ってゆく短い手紙の言葉は、いつかやって来る私たちの別れを予期するようだった。池に投げ入れた石ころが水に落ちる音でもなく涸れ底に転がるでもなく無音のままが続くなら、それは終わりを意味するのだろう。今になって思えば、それは穏やかで優しそうにも見えるのだが、実はそんなに生やさしいものではなく、呪文ほどに震えていたのかも知れない。陽炎のような日々。君のこと好きだと言った嘘つき
2011年4月13日 (水曜日)


さすらう (千夜一夜・その166)
雪うさぎ輝くことが哀しくて。どなたかのつぶやきが目に焼き付いたまま離れない。太陽の光を受けてキラキラと輝くうさぎはやがて融けて流れて消える。哀しくてもそれは破ることの出来ない約束なのだ。もう心を震わせるのはゴメンだ、慕い続けるのにも疲れたと私は思い始めている。叶わぬとわかっていてもいいというのは嘘だ。できることなら少しでも心が触れ合えばそれでいいのに。オトコの人ってアホですね。今更ながら沁みてくる。
2011年4月13日 (水曜日)


アホ (千夜一夜・その165)
好きという言葉を何度も自分に呟きながらこのことは誰にも言えないことなのだと染み染み思う。あの人に私の気持ちが必ず伝わっていると信じている。だが、伝わったところでやり場のなさが新たに生まれるだけで、だからあの人は、オトコの人ってアホですねと言って私をからかう様に見つめた。離れ離れになることは出会ったときに決まっていて、その人が遠くへ行ってしまった一年前にも私はこうして夕空を見上げては飛行機雲を探していた。
2011年4月11日 (月曜日)


ねぇ聞いて (千夜一夜・その164)
ねぇ聞いて、いいことがあったの。でも誰にも話せないの。口に出して誰かに言うと、シャボン玉のようにパッと消えてしまいそうな気がして。かつて、ある人から便りが届いたときに、喜んでそれを人にペラペラ喋ったらその人からの便りは途絶えたの。手紙に嬉しいことが書いてあったときも懲りずに喋ってしまってしょんぼりよ。そもそもが実るわけでもない恋心に春など訪れない。そっと一人で楽しむのが一番なのかもしれない。
2011年3月29日 (火曜日)


追いやる (千夜一夜・その163)
かくて私はその人のことを自分が持てる記憶の果てへと追いやろうとした。言うまでもなくそんな辛さに何故遭わねばならぬのか。望みはもはや微塵もなくなり如何なる努力を成したとしても最早努力だけでは揺るがせないものの諦めであったのか。崩しようのない大きな壁がそこにあり、決して動じることのない固い意思でそれは支えられていた。法や心を捻じ曲げようとしてみたところで壁は容易く動かせない一種のエネルギーを持っていた。
2011年3月25日 (金曜日)


失う (千夜一夜・その162)
わたしをすっかり見失いはじめている。このままでは意識の置き場も喪失してしまうだろう。喜怒哀楽の感情が空中分解してしまいそうだ。何が一番今のわたしにとって哀しいことか。それはあなたを忘れてること。遥か遠い人にしたくない。わたしが好きなことに気づかないふりをするなんて、この世のどんな拷問よりも苦しい。だからあなたをそっと、遠くもなく近くもないところから見つめていたい。でも、それさえも不可能なのがとても悔しい。
2011年2月11日 (金曜日)


私のゴール (千夜一夜・その161)
終点なんて一体どこにあるのだろう。本当にあるのだろうか。ゴールと書いてみて、少し見えてくるような気がする。ある人を追いかけて、追いつくことなどできもしないと知りながらその行方を想う。もう会えないかと不安を抱いたことさえあったが、今はそんなことは考えたくない。確かに結果は見えていた。愛とか恋とか情熱とか。真心とか真面目とか誠実とか。そんなモノで歯が立つならば、哀しみという言葉は不要だったことになる。
2011年1月29日 (土曜日)


冬籠り (千夜一夜・その160)
寒さは嫌いじゃないのだと口癖のようにいいながらも、ほんとうは温温とした暖炉の前が好きなのだ。冷たく肌を突き刺す季節風が吹く時期にはどこかに籠もってしまうのがいい。この「籠もる」という言葉にじっと息を潜めて時を待つようなイメージがあり、それが好きで家の中に冬籠るのを私はとても好んだ。もう誰にも会わない。とことんひとりになって、身体から汚れた膿を絞り出し、綺麗な血が滲み出てくるのを私は待つことにするの。
2011年1月29日 (土曜日)


見えない糸 (千夜一夜・その159)
わたしは見えない糸を手繰って彷徨い続ける。その糸のたもとにはわたしを麻薬で犯した悪人がいて、いけないことであっても糸を手繰り続けている。昔話で誰かに教えられたように、「玉手箱を絶対に開けてはならない」と固く忠告を受けたにもかかわらず開けた愚か人のように、わたしは夢を求め未知なるものを探し続け、細やかな誘惑に引きずられながら見えない糸を手繰る。ときには風のように、また詩人のように、自分を失いながら。
2011年1月26日 (水曜日)


突然 (千夜一夜・その158)
たとえそれが忌々しい記憶であっても、魔法に罹ったわたしが愚かだ。そもそも魔力に憑かれたように狂ってマボロシを追い続けるなど愚かさと浅はかさの至りだ。しかしながら、狂った側にも理由がある。ふだんから素敵だとか理想だと言い続けているような人物ではなく、趣味も性格も考え方も何もかもが突然変異的な人が目の前に現れたときに、わたしはどうやら魔術にかかりやすいということがわかってきた。十年とはそんな時間なのだ。
2011年1月26日 (水曜日)


十年 (千夜一夜・その157)
彗星のように女は現れた。そう、およそ十年ごとに、襲ってくる自然現象のように、わたしの前には女性がひとり現れた。十年という時間が何を意味するのか不明であるが、ほぼ間違いないこの時間の空白の後に次の新しい物語をわたしは迎えた。それは石畳を共に歩いたあの人だけではなく、十年前にも、そして二十年前にもわたしを惑わせて狂わせて失意の淵に追いやってしまうというような人生に凸凹を残してしまう出来事で幕を閉じた。
2011年1月26日 (水曜日)


マボロシ (千夜一夜・その156)
去年のある日あの人は怪我をしたという。横転した車の下敷きになって十数箇所を骨折したと、歩けるようになった頃ひょっこりと便りを出した私に無造作に教えてくれた。便りはそこで途切れた。あれから私は依然としてマボロシを追い続けている。夢を見ながらマボロシを追い、夢のなかでまた夢を見る。マボロシの自分が堕ちてゆく。あの人のことはもう嫌いになろうと思いながら、マボロシの翼に乗って逢いにゆきたいと夢見ている。
2011年1月17日 (月曜日)


サイレン (千夜一夜・その155)
ケーキなんて…と投げ捨てるように思った後、それでいいのだとひとりごちた。すると今度は頭の中に再び大晦日の救急車のサイレンの音が蘇った。幾つも山を越えねばならない村の名が車に書かれている。この町で誰がどうなったのだろうか、老人が脳内出血で倒れたか、予定よりも早く子どもが生まれるのか。あのときに感じたこととはまったく異種とわかっていながらも目の前を流れゆく社会の悲哀や驚愕を肌身に感じつつ家路を急ぐ。
2011年1月17日 (月曜日)


ケーキ (千夜一夜・その154)
日が暮れてしまった夜空にうっすらと銀色の分厚く重たそうな雲が横たわっていた。冷たい風が頬を切る様に吹き付けると滲んでいた涙が目尻を伝って凍る様に肌を刺す。煌煌と明かりを放つケーキ屋がすぐそこに見える。何の用事もない自分にとってそこへ出入りする人に興味などないものの小さな箱を下げて車の中へと足早に消える女性の姿をみるとそこには幸せが一杯詰まっているのがわかる。あの人はどんなケーキが好きなのだろうか。
2011年1月17日 (月曜日)


しみったれ (千夜一夜・その153)
さて、そろそろペンを置く支度をしよう。もうそれほどいつまでもこの人のことを書き続けるわけにもいかない。すい星のようにある日わたしの前に現れた人だから、すい星のように消えていってしまってもおかしくもなく、わたしはそのことを知らなかったつもりでいれば何もこれ以上哀しむことなどないのではないか。ところがそうではない。どこの女性たちもが助言するように男とは未練に満ちた動物でしみったればかり。そうわたしも。
2011年1月 7日 (金曜日)


惹かれる (千夜一夜・その152)
私がその人に吸い寄せられてゆく始まりのころはエクボの素敵なくらいの感動しかなかった。なのに、福永武彦が「風土」の中で残酷だと書いていた海が持つイメージを放つその人に私は惹かれてゆく。あの人にはハイヒールもお洒落なブーツも無縁だったし銀のピアスも亜麻色の長い髪も似合わなかっただろう。そういうものは、彼女の可愛さにはそぐわなかったのだ。でも私はドラマを描くと必ずあの人のイメージをそのように自由に変えた。
2010年11月30日 (火曜日)


残酷 (千夜一夜・その151)
あの人はいつもひとり静かにいた。本当はそれほど人付き合い上手じゃなかったのだろう。無理矢理それを隠していた訳でもなかろうが、そのことに触れられるのが嫌だったに違いない。そんなふうに頑張って背伸びしている意地らしさが憎めなかった。-いつでも、白波のように、絶望が牙を噛んでいるのだ。海はまったく人生に似ているよ。粗暴で、強情で、残酷で(福永武彦)-あの子も激しい性格だったか。細雪の三女・雪子が思い浮かぶ。
2010年11月29日 (月曜日)


千夜一夜・その150まで

えくぼ (千夜一夜・その150)
あの人を初めてみたというか初めて会ったのは、つまり、長い間遠くを繋いでいる電話だけで話していた人に初対面した日でもあった。しかし、そのときのあの人の残像は何ひとつ記憶にない。要件は微かに覚えていて、ちょっとした連絡か何かだったのだろう、例えば嬉しいとか驚いたとか予想外とかそういうものも何もない。静かに首をかしげて廊下を歩いてゆく姿と明るくにっこりとほほえむエクボだけが私の記憶に出てくる始まりなのだ。
2010年11月17日 (水曜日)


ショーウィンドウ (千夜一夜・その149)
何も見なかったような顔をしながら言い聞かせるようにホレテハイケナイと心の中で反復していた。惚れてしまうことはないという自信はある。叶わぬものに手を伸ばすのはもうこりごりだ。痛い思いも辛い思いも嫌だ。凩はその日から毎日のように吹き荒れた。帰りの列車を待つ間、ひまつぶしに駅前のカジュアルな洋品店街を歩けばショーウィンドウの中のざわめきが聞こえるような気がした。▼シルエット、キミに見えるてくる木枯らし
2010年11月12日 (金曜日)


胸のぬくもり (千夜一夜・その148)
冷たく強い凩が頬を突き刺すホームに立ち間もなく列車入ってくるというときに胸の中でケータイがぶるぶると震えた。「ありがとう、大好き(はあと)」の文字が目に飛び込んだのだから私に戸惑いがなかったとは言い切れない。ワカッテいるのだが。オブラートに包んだ飴玉をそっと口の中に放り込んで周りをキョロキョロと見渡すときのように私はドキドキする動揺を大事しながら誰にも気づかれないようにケータイをポケットにしまった。
2010年11月12日 (金曜日)


はあと (千夜一夜・その147)
麻薬のようなその言葉に私は戸惑わず、いくらかの期待も持たなかった。あの子の言葉は日常のひとかけらのできごとであり、この人にとっては何ひとつ飾りを纏わない自然な挨拶だったのだろうから。しかし、心の奥深いところで私の心はピクピクと緊張し、温まってゆく。木枯らしの吹き始めた11月中ごろに、仕事帰りの坂道を下りながら、今日も元気な顔を見れて嬉しかった、とメールしたら、ありがとう、大好き(はあと)、と返事が来た。
2010年11月12日 (金曜日)


大好き (千夜一夜・その146)
マボロシダッタノカモシレナイと思った瞬間から数か月が過ぎたある日、いつかの大雨に出した見舞いの便りのことを思い出す。ほんとうに心配してめげていまいかと胸を傷めた。そんな便りにもあの人は必ず返事をくれた。ハートマークとか「大好き」という言葉を何の垣根もなく投げてよこす人だった。そんな人だったからこそ本当の意味での「好き」ではないとわかっていたつもりだったが言葉は魔術の呪文のように人間を溶かしてしまう。
2010年11月12日 (金曜日)


マボロシ (千夜一夜・その145)
「オトコの人ってアホですね」そう、私はアホやからいつか貴方がそういってた通りの奴です。オマケに、そんな奴であればなおさら、恨んだり憎んだりもしないみたい。月曜朝の貴方の激しい赤のチークが嫌いだっけど、好きだったのかもしれない。小さな入り江に潜んだ静かな家で再び会って、化粧もせずに水でルージュを引いたような貴方は海の精のように素敵だった。あれはマホロシダッタノカモシレナイと思うことにする。さようなら。
2010年11月 6日 (土曜日)


置き手紙 (千夜一夜・その144)
そこには「さようなら」という言葉などなく、あるのは、絶望の果ての失墜だけかもしれないのに。私は、貴方が投げ付けて去って行った置き手紙を丸めて棄てようともしなければ、拾い上げて読もうともしない。その手紙にはおそらく言葉や活字など何も書かれてないだろう。真っ白の便箋が丁寧に畳んでしまってあるだけだろう。きっと貴方のことだから、私がこれでもかというほど哀しめばいいと願ったに違いない。そんな気がするの。
2010年11月 6日 (土曜日)


燃える空 (千夜一夜・その143)
赤く燃えている空に季節の色などあるのだろうか。私が貴方に会いたいとこんなに切なさを募らせているときにも夕暮れは容赦なくバラ色のドラマの終わりのようではないか。哀しみに満ちて迎えたあの日の朝のように赤く海原を照らしているではないか。赤色が好きだといって、赤いバラを見つめていた日々もあったのに、今はそのすべてを哀しみへと集結させようとしている私がいる。私は見つかりもしない出口をずっと探し続けている。
2010年11月 6日 (土曜日)


幻の鳥 (千夜一夜・その142)
絶望の淵に追いやられたら私は死ぬ覚悟で物語を終わらせるのだろうか。まさかそんなことをするはずもない。私は自分が不死身で必ずまた生き返ると思っている。その人を恋するひとりの人間として永遠に生き続ける。しかし、その人は容赦なく私を崖っぷちに追いやる。というか、その人にはそんな気はサラサラないのだ。なぜならその人は短気でヒステリックで、夢に架けるロマンのかけらさえない人なのだ。私は幻の鳥を追い続けている。
2010年10月29日 (金曜日)


絶望 (千夜一夜・その141)
きっと私はこのドラマを早く終わらせてしまいたいと思っている。恋を失うことも愛に惑うことも、もはやありえないのだから潔く切り捨ててしまうのがいいと思っているのだ。なのにどうしてこれを書き続けているのか。つまりそれは、絶望という言葉も失望という感情もない私にとって、崖っぷちに追いやられたり、望みをなくして立ち上がれなくなるような哀れな結末はなく、まして惨めもないのだから、そのことが邪魔をしているのだ。
2010年10月29日 (金曜日)


土砂降り (千夜一夜・その140)
雨の降るイライラの募る日に庭の花畑からバラを切って一輪挿しに投げ入れてみる。人影のまだ少ない昼休みのロビーであの人が花を活けていたのを思い出している。あの横顔を何度も何度も思い浮かべながら、一輪挿しの脇にあの人の姿を置いてみる。深い淵がたとえ存在したとしても静かに花に手を添えているあの人のシルエットは私のものだ。私はそれだけで、毎日をドキドキして送ってきたのだから。▼土砂降りに棘ある花を生けている
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅣ (千夜一夜・その139)
カーテンを開ければ窓の下に真っ青な海が広がるという景色は、私にしたら夢のような世界であっても、小さいころからそこに海があったその人にすれば、悲しみも辛さも喜びも悲しみも、みんな飲み込んだ海だったかもしれない。「海が好きだ」と私が呟いたのを聞いたあの人は、あのとき、悲しそうにうつむいて黙ってしまった。なぜにその気持ちに気付かなかったのかと今更ながら思う。私とあの人との間には深い深い淵があるのだと思う。
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅢ (千夜一夜・その138)
朝日と夕日にいったいどんな違いがあるというのだろう。どちらも同じ自然の姿であるのに、心が沸き立ってみたり沈み込んだりを繰り返しながら、人を好きになったり嫌いになったりしている。あの人のウチの、おそらくあの人の部屋からも、海のざわめきが肌でわかるはずだ。さざ波が浜に打ち寄せる音も静かな朝ならば聞こえるのだろうか。きっと、真っ赤な朝日が窓から差し込む部屋で、波の音を耳に眠い目を擦りつつ起きるのだろう。
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅡ (千夜一夜・その137)
それは私の我儘であるにしても、多少の焦りや妬みを含んだ嫉妬のような感覚だったと思う。自分では何の他意も欲も無いと言い放ちながら、海がざわめく、陽の当たる静かな佇まいへ訪ねてゆき、何を語ることもせず時間を過ごせたらどれほどまでに幸せだろうかと幾時となく夢を見ていた。すでに夢破れていたこともあり、腫れ物に触るようにその人には何も打ち明けられないのだろうけれど、私の心は充分すぎるほどに届いていたに違いない。
2010年10月21日 (木曜日)


海のざわめき (千夜一夜・その136)
私は怒っているのであろうか。そう、その人に怒りを持っているから、私はこうしてこれを書いているのかもしれない。しかし怒りは、憎しみも生まないし恋情も残さないままだ。穏やかな波の上を漂う流木のように、沖からその人の居る岸辺を眺め、眼を細めてにこやかにしているふりをしながらも、ほんとうは最大の絶望に満ちていたあのときを思い出させようとする。そうだ、私はやはりその人を憎み、その人に怒りを感じているのかも知れぬ。
2010年10月20日 (水曜日)


月を見上げる (千夜一夜・その135)
どうしたら私の心の叫びを届けられるのかと夢中になったことがありました。でも、あの人は私の心の内を察していながら知らんふりしていただけで、私も十分にあの人に気持ちが届いているのを感じていました。あの人が知らんふりすればするほど、私は夢中になっていってしまう。あの人にはそんな気などサラサラないのに私は夢中になる。知らん振りしなければならない理由があったのもわかっている。▼同じ月きっとあなたも見てようか
2010年9月23日 (木曜日)


気障はお嫌い? (千夜一夜・その134)
そんなことがなんとなくわかってきた時期がありました。私の思い込みや期待で、魅力があの人には溢れかえっているように思えたわけです。でも、恋って盲目って言うように、私の場合は恋じゃないと言い張ってみるけれど、まあそれは置いといて、自分でも恥ずかしくて顔から火が出そうな気障な言葉を用意してメールでポンと投げても、仕事帰りの坂道でほろりと呟いても、あまり反応してくれなかった。▼雨の朝、あなたの手紙を読み返す
2010年9月19日 (日曜日)


ロマンチスト (千夜一夜・その133)
あの人を知りたくて一生懸命になるのは訳があった。友だちも多くて人気者で明るくて爽やかだからきっとモテルだろうけど、自らは何も話し出さない人だから、思うほどに人付き合いが広くもなく友だちも多くない。見た感じよりも派手でもなく大勢よりも一人が好きなのかもしれない。けっこう人付き合いに気を使ってヒーヒー言っているタイプなのかもしれない。それにそれほどロマンチストでもないみたい。▼彼岸花咲いて静かにもの思う
2010年9月19日 (日曜日)


夕やけ2 (千夜一夜・その132)
諦めきれずにあなたに手紙を書こうとする。でもそれは、中学生のころに書いた恋文のようで、好きですと言葉に出来ず、一歩手前でうずうずするようなかんじ。大人だから潔く好きだといおう、と思うのだが、上手にいえない愚かな奴。夕やけの中に飛行機雲を見つけて、あわててメールを投げてみる。キミの夕やけは、ボクの夕やけ。そう思うと繋がれるような気がして、私は一生懸命に夕やけを見上げた。言葉にならない、私の気持ち。
hkoukigumo
2010年9月 9日 (木曜日)


夕日 (千夜一夜・その131)
走る列車の中で手帳にそんな走り書きをした。夕焼けなんか見てなかった。旅に出ても何も解決しないじゃない。たとえあなたに逢えたとしてもそれは同じ。このままでは燃え尽きて、私はやがてバーンアウトしてしまいそうだ。そんなことを考えていた。日に日に熱くなってゆく自分は、ちょっとイケナイ状態で、そうなると早く焼け落ちたほうがいいのかも。だったら、できる限り綺麗な姿で落ちてゆきたいな。走る列車に宵闇が襲ってくる。
2010年9月 9日 (木曜日)


秋の暮、心に旅をさせてみる (千夜一夜・その130)
秋の暮、心に旅をさせてみる。そう手帖の片隅に書いている。あの日の私は乱れに乱れた。あなたを想う私の気持ちなど誰にもわかりはしないから、想えば想うほどに心は迷宮入りだ。あなたからの便りなどあるわけもなく、差し延べた手を何処にも戻すことができないままで、いったい私はどこへ行けばいいのだろう。▼秋の暮、心に旅をさせてみる。私は旅に出るしかないのだろうか。心だけが遠くへ旅立てば私の切なさは解消されるのだろうか。
2010年7月23日 (金曜日)


十月、真っ赤なリンゴ (千夜一夜・その129)
秋も深まるとリンゴが美味しい。サクッと音を立てて齧ってみる。シャリシャリと噛む。あなたはいつも上品だから、きっと綺麗に皮をむいて細かく切って、そう、真っ白な小さなお皿に並べているかもしれない。会いたいな。でも会えなくてもいいかな。今、小さい目のあなたを思い出してる。(14日)▼好きですと、リンゴをかじって言ってみる▼諦めがついてあなたの小さな眼が好きだったのだと気がつく▼雨音やいつもどおりに地を叩く
2010年7月16日 (金曜日)


十月・月 (千夜一夜・その128)
秋という季節は遠くにいる人を慕ってもの思いに耽るには絶好だ。夜は、静かで甘く優しく、月は綺麗に輝き、日ごと高く昇るようになる。沁みる寒さが感情を刺激し、遠くにいるその人に想いを投げかけるに如何にも相応しい。空の真上に向かって叫べば遠くに届くような気がしてくるのだ。つき先ごろも、月はひとり、星は二人で見上げたい、と書いた(3日)▼同じ月きっとあなたも見てようか(5日)▼これきりと言い出せなくて神無月
2010年7月16日 (金曜日)


十月、まあちょっと (千夜一夜・その127)
去年の秋のメモが残っている。それをポイと屑篭に棄てられない自分を憎んでみたり、可愛く思ってみたりし、ゆくゆくは哀れなのだと気づき始め、誰にも言えない感情に襲われる。そこには照れでもなく怒りでもないものがある。そんなことを繰り返しながらメモを読み進む。そう、あなたは手の届かないところにいる。(1日)▼キミと僕、秋雨前線でつながる▼夕焼けに切なくなって、まあちょっと▼まあちょっとあなたに手紙を書いてみる。
2010年7月16日 (金曜日)


散り散りに (千夜一夜・その126)
あなたに愛を告げる/言葉を探しましょう/並木道を歩く二人に。こんな流行歌があった。愛を自分のなかに擁いているのだろうかと自問を続けた。その自信のなさと熱くなる情熱との二つの心を葛藤させながらこれを書き、結局今は「恋文」としている。もう終章のつもりでいるのでこのあとに改めることもないだろう。恋心は幻のまま、そして纏まることもなく、散り散りの言葉を集めて、つまりは塵とする覚悟を決めるため書き続けられる。
| 2010-07-07 04:44 |


赤 (千夜一夜・その125)
たまには雨もいいさ、ちょっと湿って。そんな十七音のつぶやきが残っている。まるで、詰まらなくなった講義の合間に大学ノートの片隅へ書く落書きのようだ。その十七音がとても切なくナルシスト的だ。秋は無言でいても時めいていても過ぎてゆく。指切りを思い出すたび彼岸花。赤色が好きだ。秋晴れの青空を見ても、それが、夕刻には真っ赤に燃える夕焼け雲に変化しても、何を見ても人が恋しいときには、もはや手の施しようがない。
| 2010-06-27 13:41 |


雪子  (千夜一夜・その124)
初恋なんて覚えてないわ…体育祭。私の地方ではまだ紅葉は色づかないけど、九月の中旬にどこかで秋の運動会を見かけて初恋のころが急に懐かしくなったのだろう。職場の体育祭やマラソン大会というとあの人はいつも人気者だった。見かけは小柄だが、負けん気が強かったのかも知れない。元気に汗を流している姿が印象的だ。しかしながら、その溌剌さの陰には細雪の女四姉妹の三番目の雪子のような性格があったのかもとも思えてくる。
| 2010-06-23 10:04 |


終楽章その四 (千夜一夜・その123)
深まる秋にその心の寂しさも萎えてゆく自分の弱さも知りながら、おはようと爽やかに挨拶するよりも、さようならと明日を見つめて分かれるほうに、静まった自分の気持ちを置いて眺めているような自分がいる。「坂道の下のイチョウが散りました」こんな十七音を残し、静かに自分を見つめる夜を迎えてる。秋は少しずつ彩りを重ねて、寒さも日一日と忍び寄る。「しずけさが誘ってくれた白い月」名月の夜に空を見上げてひとりでそう詠む。
| 2010-06-22 19:05 |


終楽章その三 (千夜一夜・その122)
分かれは日常の記録にとどめるまでもないままで繰り返されて、聞こえることのない小さな一言のつぶやきは私の魂の炎の源に当たる芯を痩せ細らせていった。それはあたかも人間が餓死してしまう際に衰えてゆくような痛みを、何ら齎すことなく苦味だけを帯びた苦痛を残し、私の魂はそれさえも覚悟のうえで受け止めながら、分かれがいつか最後に別離になってしまうときを陽炎を見るように思い浮かべていた。そこには逆らえない壁がある。
| 2010-06-22 19:01 |


ある秋の小さな旅 (千夜一夜・その121)
秋のある日の私の小さな旅は取るに足らない些細な出来事なのかも知れないが、一方で絶対に失いたくないひとつの思い出でもある。まるで駅のホームで恋人を送るかのように私はその人と別れて、小さな路地へと行ってしまう車を見送った。帰りにはお祖父さんのお墓参りをする言っていた。その言葉がその人の優しさを象徴しているのだと思う。その人はまっすぐ私は右へと、小さな集落のなかにある交差点で、さようならと呟いて分かれた。
| 2010-06-22 05:56 |


終楽章その二 (千夜一夜・その120)
そうだ。塵に還ればまた新しく芽を出して、再び花を咲かせることが出来るのだ。生命がこの世に生まれて活動を終えたときに還ってゆく場所が土であるように、もしも私が花ならばこの花も土に戻ってゆかねばならない。物語は切ないほうが、味わいがあるかもしれないし、その次のシリーズが生まれやすいのかもしれない。はっきりと無理だとわかっていても、はっきりと言葉に出して「嫌いだ」とか「好きだ」と言わせたい性格なのだろう。
2010年 06月 15日


終楽章 (千夜一夜・その119)
すでにもうこの物語は終楽章に入っているのであろうが、昔に「鳥のひろちゃん」を書いたときも「鶴さん」を書いたときもそうであったように、一向に終わりだと認めようとしない自分がいる。花がピンクやオレンジや黄色など様々に咲き、見る人を和ませてくれようとも、いつかそのときが来れば枯れて、萎れた花びらは枝から落ちてしまう。誰かに拾われ土に埋められれば幸せだ。行き交う人に踏みにじられ、やがて風に吹かれて塵になる。
2010年 05月 21日


弱くて愚か (千夜一夜・その118)
やがて必ず訪れる別れのときは、それ自体が悲しいものか、それとも幸福を伴うような必然なのか、またはいずれにも当たらないことだってあるだろう。まったく想像はできないにしても、心のどこかで覚悟をしているのかもしれない。しかし、その反面、いざそのときを迎えたらおそらく未練を隠せず、ジタバタとする自分も見えるのだ。もっとも私らしい姿を曝け出しながらその人とサヨナラをするのだろう。弱くて愚かな自分を哀れもう。
2010年 05月 21日


夢を語る (千夜一夜・その117)
この人は何を考えているのだろうか。きっとこの子にも大人の恋があったのだろうな。それが熱いものであるとか深いものであるとか、私には知る由もない。ただ、好きな人が永遠に幸せであってほしいと願うのは誰しもが同じで、この人を幸せにするチャンスも力もないけれども、今、小鳥の囀る森の中に身も心も埋もれさせたままで、束の間の幸せを感じその光輝を浴びながら、この人の幸せの夢を語って聞かせて欲しいと思ったのだった。
2010年 05月 20日


山帰来(2) (千夜一夜・その116)
山帰来であの人は山モモのジュース、私は何のジュースだったか記憶にないけど、めはり寿司も注文した。茂みに囲まれた山の斜面に建つ静かな店だった。とても私たち二人が来るには相応しいとは思えない。まもなく挙式を控えた二人ならわかるが、イケナイ二人の来るところではなかった。山モモのジュース、久しぶりだわ。そうその人は、まるで呟くように、私から目を逸らせたまま海を見ている。何を思い出しているのか。気に掛かる。
2010年 05月 20日


秘める (千夜一夜・その115)
私にとっては猫としか思えない。でもそのことを口にすると少し不快な顔をする。滅多に不快な顔をしない人だ。気に食わないときはよそ見をして知らんふりをしているような人だ。不快な顔をされるとこっちはちょっとどころか凄く落ち込む。何ひとつ私の望みを叶えてくれるわけでもないこの人を、じっと見ているのが好きだった。何ひとつ幸せにならない。そんな夢を胸に抱きながら見つめているのだ。辛いのだがそれはそれで幸せだった。
2010年 05月 14日


熱情 (千夜一夜・その114)
時計の針は止まらない。止めることもできない。コチコチと時が刻まれてゆく深夜、この流れに身を任せて次なるドラマの筋書きを私は描こうとする。かつて大きな夢を胸に目前の荒波に向かい、勇気と情熱で船を漕ぎ出そうとしたときの、揺るぎないシナリオは誰にも負けぬエネルギーを持っていた。しかし、細かく刻み続けられた時空の果てに、小さな変化が大きなものとなり、あのときの熱いモノが些か衰えてしまったようだ。暫し休むか。
2010年 05月 12日


猫よ(4) (千夜一夜・その113)
あの人は、猫と犬ではどっちが好きかというような世間話的でアイスブレーク的な話にもまったく乗ってこないマイペースな人なのだし、馬鹿げた話をすることに交わるのも好きでないようだ。ましてオトコ好きでもない。もっとも私はこの人にモテようと思っているわけではなく、この人のちっこくて優しい目と、可愛いエクボ、ときどき見せるはにかみを含んだ話し方が好きなだけだから、早く嫌いにならねば自爆をすることになると思う。
2010年 05月 12日


猫よ(3) (千夜一夜・その112)
その怒りの様子を見て百年の恋も冷めたか、とまでは言わないが、濃い化粧が嫌いな私がここまで貴方を思っているのに少しはわかって欲しい、と思ったのは確かだ。しかし、あの人のそういうところを見ているとまるで、猫に横からお節介をしたときに、奴らが怒り食いついてくるのに似ているな、と思った。今は「アバタもエクボ」状態の私だから大きな失望することなく踏みとどまったものの、というより不思議にも許してしまうのだ。
2010年 05月 12日


猫よ(2) (千夜一夜・その111)
私にとって、あの人は何ひとつ分からない不思議な人で、きっとあの人は正体不明のまま、私の前から姿を消してしまう日が来るだろう。そんな微かな予感がある。猫のようだと私が言えば、どうやら猫にはマイナスのイメージが多いらしく、とても不快そうな表情をするし、化粧が濃いと言えば、それを私がどう感じているのかを聞こうともせずに珍しく怒りを込めた語調で声も大きめで「そんなことはどうでもいいじゃないですか」と嫌がる。
2010年 04月 16日


猫よ (千夜一夜・その110)
秋の終わりに京都の街を散策したくなり、ひょっこりと出かけてみたことがあった。そのことを伝えたくてメールをすると、普段から一向に返事をよこさないあの人が「今信州に来ています」と気まぐれな返事をくれた。自分を猫のようだと言った人があったがそんな風にいわれて嬉しい人がいるものか、と珍しく感情を荒立ててメールをくれたこともあるが、やっぱし、この人は紛れもなく気まぐれな猫のようだ…と私にさえ思えてくる。猫よ。
2010年 04月 14日


予感 (千夜一夜・その109)
予感はある種の理論に基づいて発生するのだと思うことがあって、三度目にこの町であの人に逢った午後、それが最後になってしまうのではないかという叶って欲しくない予感のようなものを感じた。それはあの人が再び今のところに戻ってくるという期待でもあったのだが、春から6ヶ月という時間が過ぎたのだから、さらにあと6ヶ月が過ぎれば今度こそ本当のお別れになるという確度の高い予測もあった。じっくりと考えると悲しみが湧くのだ。
2010年 04月 14日


痺れて (千夜一夜・その108)
食物が美味しく風光明媚で人情が厚いから何度訪ねても飽きてこない。次に来てもまたワクワクと愉しめる町に変化してしまったのは、その人の吸引力であるのは明らかで、心とはその程度のものだ。まるで魔法や催眠術に罹ってしまったかのように惑わされて続け、そんなことわかっていますよと思いながらも甘い戸惑いと神経が痺れてゆくようなある種の悪質な酔いに縛られて成すがままに流されている。この人に恋をしてはいけないのに。
2010年 04月 14日


あなたのもとへ (千夜一夜・その107)
手帳から。この人がこの小さな入り江に帰ってきて住み始めるまではまったく気に掛けなかった町なのに、初夏の或る日にあとを追ってこの人を訪ねて以来、まるで一夜にして色を塗り替えたかのようにこんなちっぽけな地方の町がまったく違った町に見えてきたのです。あれから私は、例えば贔屓にする町で美味しいワインを求めるように、この町に立ち寄るようになったのです。峠を越え最初のコンビニを曲がり港までゆき片隅の公衆電話まで来て。
2010年 04月 09日


脳裏 (千夜一夜・その106)
私はあの人を脳裏にしまってあるの。メールをしても返事もくれないのに顔を合わせば別人のように優しくにこやかに私の話に相づちを打って、やがて疲れたように小首を傾げて眼を閉じてしまう。話すことに疲れたかのようにふわっとしている姿が私の心をどんどんと痺れさせてゆく一方で、これ以上あなたを見つめていたらわたしは生きていられなくなるのではないかというような錯覚にも似た衝動が襲ってくる。でも、騙されてはいけない。
2010年 04月 07日


出さない手紙 (千夜一夜・その105)
今夜はどんなお話をあなたに書こうかな。私がとても醜い人間だということでも打ち明ける?いいえ、そんなことしたって、破滅のときが近づくだけだから、今夜はあなたのことを思い出して、少しお酒に酔ってみたいなと思っています。きっともう、私のことなど気に掛けてもいないだろうけど、私はたった三回だけでもあなたに逢って話ができたことを永遠の思い出にしているんだから。出さない手紙でも、こうして書くのが好きです。
2010年 04月 06日


憎まれ口を叩きつけ (千夜一夜・その104)
黒い天使。あなたは私にとって悪魔のようで、ほんとうだったらトコトン嫌いになって、おもいきりなじって、憎まれ口を叩きつけてやりたいほど嫌いだった。そう思いながらも、好きだった。抱きしめたいとかキスしたいとか、そういうのではない。憎らしいけど好きなの。そんな音楽があったけど、気持ちはあの音楽のように陽気じゃない。私はいつでも、あなたを連れ去って独り占めしてしまいたいという夢ばかりを描いていたのだから。
2010年 04月 06日


ひとりよがり (千夜一夜・その103)
好きですと、リンゴをかじって言ってみる。そう紙切れに書いて暮れゆく秋を哀しみながら、もうすぐきっとあの人が戻ってくるのだと少しだけ喜んだ。しかし、あのときはあの人に再び会えることが、即ちやがて遠くて永い別れになってしまうのだということを気にかけなかった。予想をしなかったわけではなかったものの、元気になって戻ることのほうが嬉しかった。ひとりよがり。わたしはあのときのほど醜い人間であったことはない。
2010年 03月 27日


春ベンチ (千夜一夜・その102)
三月のある日、色彩を失った月の光が照らし出す庭の中に雪柳が陽炎のように潜んでいる。まさにそれは潜んでいるというのが相応しいほどに、惑いを漂わせていた。思わずわたしは好きな人の名を呟いてしまった…。その瞬間に途轍もない諦めの感情がわたしを襲う。その日、街では卒業式に向かう袴姿の女学生をたくさん見かけた。そうだ、決定的な日が時々刻々と近づいてきているのだ。散歩道誰を待つのか春ベンチ。そう、刻々と 忍び寄る。
2010年 03月 27日


欲望 (千夜一夜・その101)
誰にも知られたくない激しい欲望を私は持っている。それは、あなたを独り占めにしてもう絶対に放さないのだという強烈なものだ。しかし早くあなたを嫌いにならなくては私も滅びるかもという不安もある。春になって喧嘩をして、冷たい雨に濡れながら「さよなら」できるだろうか。と、そんなおぼえがきをノートの端くれに書きながら、好きです嫌いですを繰り返している。まるで、ドラマの狂人を真似するように、わたしは振舞うのだ。
2010年6月25日 (金曜日)


千夜一夜・その100まで

2010年 03月 13日
予感 (千夜一夜・その100)
いつかどん底へと落ちてゆく予感をわたしは察していたのだろうか。その人が笑いかける小さな目と、かわいらしいえくぼを、じっと見てひとり占めしていると、何もそれ以上を望むことはない。半年間に三回だけお目にかかれたことの幸せを感じながら、もしも毎日でも会えるようになるなら、たとえばそれは同じ職場に居るような、それは夢物語だろうか。しかし、もしもそうなったらわたしは、きっと、ダメになるのかもしれない予感がする。


2010年 03月 05日
夢中 (千夜一夜・その99)
しかし、目の前にいる人がわたしに夢を与えてくれているのは確かだ。この人を想いながら、どきどきメールを打ち、たまに返ってくるメールに胸を熱くしている。そしてその物語のオマケとして、こうしてここでお茶を飲んでいる時間があるのかも知れない。わたしは夢中なのだから、この人にマイナス点など何ひとつないと思っている。考えてみればそんな人が世の中にいるわけもなく、落ち着いているようでも惨憺たる会話が続くのだった。


2010年 03月 04日
夢物語 (千夜一夜・その98)
わたしは、1年という時間をかけてひとつの夢物語を絵描いてきたのだと思う。それは情熱的なもののように見えたこともあり、ときには無謀でもあり、禁断を犯そうとするようなものであったのかもしれないが、しかし、その実態はただの夢であったに過ぎないように思う。わたしはこんな夢をときどき見ながら、夢とは何かを考え、夢って現実の裏返しではないかと納得させて、明日からの希望の活力にしてゆく。何とも儚いものなのだと思う。


2010年 02月 24日
猫のような (千夜一夜・その97)
ふた月ぶりに見るこの人の顔をじっと眺めていたいという願望だけが少しずつ叶おうとしている。不思議な人。血液型を訊ねても誕生日を聞いても教えてくれない。性格だって明るいのか暗いのかもわからない。何が趣味なのかも知らない。モテルかどうか、でも、人気者だろう、子猫のように大事される子だろうと思う、けど猫のような人じゃない。私が筋書きにないことを、再会の感動で動転しながらサササと喋ってしまったら、黙ってしまう。


2010年 02月 23日
オレンジの車 (千夜一夜・その96)
歴史古道として残される石畳を迂回し荷車のための細道が山の中腹を取り巻くようにゆらゆらと延びている。旅人たちはこの道の途中で休みながら刻々と姿を変える入江の姿や海の色を眺め、二つとして同じ形を成さない漁村を次次と歩き繋いで熊野の霊場や伊勢の神域を目指したのだろう。ただそんなことを考えながら、人里から奥まったカフェまで案内してくれるオレンジの車の彼女の後を私は追った。余計なことは何も考えない、思い付かない。


2010年 02月 23日
再び (千夜一夜・その95)
そもそも、逢いたいと思ってもホイホイと逢えるような間柄ではなく、ただの知り合いなのだから、その潜在的な私の心理が幾ら強烈であったとしても、この世の誰もが許しはしない、この世の掟として恋することは許されない。あの人はことのほか厳格な人なのだから、好きだということを私がどれほど情熱的に語ろうが、まったく気に掛けない素振りだ。しかし私は、海に呼び起こされ鄙びた漁村に立ち、入江にある小さな集落まで来てしまった。


2010年 02月 23日
消える (千夜一夜・その94)
二ヶ月間、逢いたいと思わなかった日はたった一度もなかった。朝焼けを見ても、夕暮れに佇んでも、ひとときもその人のことを忘れることなどなかった。西の空が真っ赤に焼けて、そこにちょうどひこうき雲が焦げつくように消えてゆくのを発見しても、その感動を言葉にして出せない手紙、出してはならない手紙を、ぐっと心の奥にしまい込んだのだった。メールじゃ伝えられない。だけど、目の当たりにしても夢のように時間は消えるのだが。


2010年 02月 21日
山帰来 (千夜一夜・その93)
山帰来さて、どこに行きましょうか。その彼女の気持ちに私がどのようにリクエストを伝えたのかは記憶にないが、とにかく二ヶ月ぶりに会い元気な顔を見たのだから、少しでも他愛ない話で構わないから静かに時間を過ごせるところへ行きたいと私は考えた。あの人がそんな私の気持ちを察してくれるわけがないし、察する必要もないのだが、もしかしたら、この近辺で最も素晴らしい安らぎの空間を持ったところへ案内してくれたのかもしれない。
0921山帰来 (26)


2010年 02月 21日
ケラケラ (千夜一夜・その92)
ケータイを車の中に置いたままコンビニに行っていたので一度目の電話には気づかなかったという。そのことをサラリと話してケラケラケラと笑っている。許されない人に会いに来ているのだから強い姿勢で来ないでほしいと叱られてもおかしくないし、昨晩のメールで訪ねてゆくと書いたのにそれには一切の返事もよこさなかったわけだから、私としてはさっき掛けた電話に出るという確信はなかったし、まして再会できるという筋書きもなかった。


2010年 02月 21日
おとなな人 (千夜一夜・その91)
不思議な人だ。自分に寄せられた気持ちが如何なるものかを知りながら、呼び出されても出てきてくれる。相手がどれほど熱い気持ちを投げつけても、かわすことなく受け止めて、何もなかったようにニコニコしてる。自分のことを好きになること自体がありえないことで、そんなことは許すも許さないもない。一貫しているその人は、私などよりも遥かに大人であり、百歩も先を見通していたのだ。そんなふうに思うのはあとになってからだ。


2010年 02月 06日
コール (千夜一夜・その90)
いったい何処にそんな魅力があるのだろう。誰かの小説がそんな自問を書いているのを読みながら私自身もあの人のことを同じように考えていた。呼び出したりして果たしてそれに応じてくれるのだろうか。不安に満ちて震える手で受話器を持った。電話に出るその人の声は沈み込んではいないだろうか。コールの間の静寂は谷底に落ちるようにカラダを締め付けてくるようだ。だが、その心配を払拭するかのように元気で明るい声が聞こえる。


2010年 01月 29日
小さな漁村へ (千夜一夜・その89)
もしも船で沖にゆけたら…ふとそう思う。ロマン溢れた岸辺から一気に斜面は競り上がる。その海辺には民家が点在し、中腹あたりには蜜柑畑が広がっている。半島の背骨にあたる付近は岩が混じった小高い山になっていて暖地性の植物が生い茂っている。そして歴史的な古道の石畳の街道がこれらの山を縫うように越えて何処までも続く。寂れた集落の片隅にあるあの人の家まであと一息という所で私は電話を掛けた。いつもの電話ボックスだ。


2010年 01月 29日
光る海 (千夜一夜・その88)
入り江から入り江へとゆくために港からは定期船が出ている。それが小さな湾の入口に一本のすらりとした曲線を引きながら出てゆくのが見える。鏡のように光る海面には生け簀の筏が染みのように点在している。海が白く輝くのは一日のうちで限られた時刻だけだ。私は時計でこの時刻を確認することなく湾の入口で少しだけキラキラと光る海を眺めて、峠を越える街道へと発った。船でゆけば波間から蜜柑畑の中にあの人の家がある。


2010年 01月 28日
入り江にて (千夜一夜・その87)
どうしようもなく逢いたくて逢いたくて仕方がない夜にメールをしても何の返事もない。なのに夜が明けて再び「逢いに行くことにしました」とメールをすれば、そっけなく「近くまで来たら連絡ください」とだけ書いたメールをよこす。この人はいったいどんな感情の持ち主なんだろうか。やがて秋が来るというのに、ひとりで海に出かけ、そこがあの人の住む隣の入り江で、小さな漁港の桟橋で少し佇んでから、あの人のいる街に向かった。


2010年 01月 27日
季節のない旅 (千夜一夜・その86)
私が再びあの人に無性に会いたくなったのは、夏が終わって秋に移り変わろうというころだった。もう海には人影もなかった。砂浜にサーファーがポツリポツリと居たのを思い出す。まだ紅葉の便りさえどこからも届いてこなかったので10月ではなかったのだろうと思う。夏に会った。Tシャツになっても汗が噴出すのを必死で拭きながら、クーラーの効いた食堂の、壁に向かって並んで座る横並びの席で、サンマ寿司を食べて以来だ。


2010年 01月 20日
気障にも (千夜一夜・その85)
「ひとりごつ、今夜は気障に飲みとうて」「泣き顔のあなたを。気障に水割りで」とそんな言葉の遊びを並べてあの人を想ってばかりいたのがもう300日ほど前の話だ。春の異動でどこか遠くに行ってしまうのだと思うと寂しくなってくる。実際には離れてしまうことや毎日見かけることがなくなることは然程重大なことではなかったと後になってわかってくるのだが、そのときはどうやってメルアドを聞き出そうかなどと気を揉んでいたのだ。


2010年 01月 17日
銀子 (千夜一夜・その84)
昔、銀子と倫子という二人の女性の物語を書きかけたことがあった。実在の人に理想の女性像を重ね合わせて、まったく違った二つのタイプの女性を見つめている自分を書きたいと思ったのだ。今までここに書き綴ってきた「千夜一夜」のあの人は、もしかしたらあのときに私が書こうとしていた「銀子」のような人だったのかもしれない。実は銀子のイメージは明確ではなかった。銀子は美人を想定するがあの人は美人ではない。でもほかは銀子だ。


2010年 01月 17日
懐かしむ (千夜一夜・その83)
最初は「恋文」千夜一夜として始めたころの熱い気持ちが懐かしい。諦めると決め込んでしまったころに、ちょうどそのころに70年代のことを書き始めた。70年代を書き出したら仲良しだった桃子ちゃんのことを思い出してしまい、そうだ、桃ちゃん今ごろ何処で何しているのだろうかと懐かしんでしまった。偶然にもそのとき読んでいた「死の島」(福永武彦)に桃子っていう名前があって、小気味良く「死の島」を読み耽ってゆく。


2010年 01月 17日
依りかかる (千夜一夜・その82)
依りかかる、母がマフラー巻きなおし。千夜一夜を終わってしまって潔く「うたかた」とカテゴリーの名前を変えてしまった。そう、私は、新しい物語を書き始めたいと考えていたのだ。いくら想っても何も実現しない恋など意味がない。だから坂道を登ってそこでお別れをして、その先の街は貴方の住む未知の世界で、私はそこであなたとお別れしてまた新しい人に出会いにゆくのだ…みたいに考えて、この話をこれ以上書くのを諦めようとしたのだ。


2010年 01月 13日
迷路 (千夜一夜・その81)
私は迷路から抜け出せないまま二ヶ月もの間さまよっていたことになる。しかし、もはやその人を掴みきれないと思い本気で諦めたのだから、思ったよりもスッキリした気分だった。というか、振り出しに戻った感覚で、もう心をときめかせることはないのだからと自分で自分に言っている。あの人のほうがずっと大人の感覚の持ち主で、サラリと私のメールもかわしてしまうし、普段は知らん振りしてるくせに全然ツンツンしてるわけじゃない。


2010年 01月 10日
ときめき (千夜一夜・その80)
キラキラと霜が融けます音もなく。そんな呟きを残していたのがちょうど一年前で、柱の蔭からあの人を見ていたころがあった。ふとしたことで言葉を交わすようになり、廊下で笑顔の挨拶ができるようになってゆく。その傍ら、伝えられない、伝えても仕方のない我が心を安置する場所を無くしてゆくもうひとりの私がいて、何気ない一言二言の会話にときめいていた。人間はときめいているときが美しく、言葉は流れ星のように自ら消えてゆく。


2010年 01月 09日
諦める (千夜一夜・その79)
今は何処かにやってしまったが、二ヶ月余り前、一枚の紙切れに「諦める」と書いてペンを握ったまま私はその先を書けなくなってしまった。男の人ってアホですね、という言葉は僕を擽るように響くものの、よく考えると途轍もなく大人びて感じられた。ああ、あの人は黒い天使なのかも知れない。どれほど愛しくても好きになってはいけない人で、ときに甘い会話を交わしたとしても僕はそれに戸惑ってはいけない。そう閃くとペンが止まった。


2009年 10月 25日
アホ (千夜一夜・その78)
――男の人ってアホですね(^-^) 明日は早起き。 おやすみなさい と、あの人は返事をよこしてくれた。早起きって何よ。どこにお出かけするの?って尋ねてみたくなるのだけど、初めてメールを書いたときから一度だって僕の質問に答えてくれたことなんかないからね。一見、マイペースなように少しずつ自分を語ることもあるのだけど、僕からすれば知りたいことの1パーセントにも届かない。それでも構わない。後戻りはしてないから。


2009年 10月 25日
肌寒し (千夜一夜・その77)
きょうは、絶対にメールなんか書くものか、と思ったけど書いてしまった。書き留めておくことや伝えたいことなど何もないのに、ただただ「おはよう」とか「おやすみ」とかを書いて置いて来たいだけなんだ、と思う。それが読まれようが読まれまいが構わない。書いて届ければ気が済むんだ。書きながら僕はどんどんセンチになってゆく。「肌寒し、いかがとひとことメールする」きょうは、ありがとう。そんなメールで意味ないのに出してしまう。


2009年 10月 25日
ずっと (千夜一夜・その76)
ちっともあなたという人がわからないままなだけに、好きなんだろうなと思う。もしも、もっと身近で、あなたのことを友だちのように知ることができたら、僕はもしかしたらあっさりとあなたを諦めているかも。それとも、飽きるか、キライになるか、なんかそんな形で遠ざかっていってしまったような気がする。ところが、不思議でわからないあなただから、好きなままなんだろうと思う。だから、僕はこのままずっと片思いでいたいのかも。


2009年 10月 25日
キライ (千夜一夜・その75)
あなたがどこか、声のするほうに居るんだと思うと、嬉しさと、どうしようもできない切なさで、何も手につかなくなってしまう。ほんとうならば、「よかったね、早く元に戻ろうね」って言ってあげるのが優しさなんだろうか、などと、いろいろ頭の中で考えてると、泣きそうになってしまうのでした。キライになることなんか絶対にないのに、キライになれたらどんなに楽になれることか。憎たらしいのだけど、憎くない。やっぱし、わからない。


2009年 10月 24日
久し振り (千夜一夜・その74)
あなたとはちっとも話ができない。そのことを嘆いてばかりいますがお許しを。もう、あなたをキライだと思おうと何度も何度も理屈で考えていますよ。でも、キライになるということは理屈では無理なんだな。あなたの声が何処かから聞こえて、あらあなたが久し振りに姿を見せたんだって気がついたら、もう胸がドキドキして、心臓は止まりそうでした。好きになってもそれ以上どうしようもできない人なので、わかっているけど、堪えられない。


2009年 10月 24日
笑顔 (千夜一夜・その73)
あの日、あなたは明るい笑顔を少しだけ見せてくれました。元気そうで何よりです。ほんとうに、戻ってくるのかどうかとても心配ですし、あなた自身だってさぞかしプレッシャーになっているでしょう。半年以上お休みしましたからね。でも、これからは近くで会えるので嬉しいです。ただ、みんなのところに来てしまうので、僕の心の中に独り占めできなくなってしまっとてもてが悔しいような気持ちでもあります。喜びながら複雑なんです。


2009年 10月 22日
これきり (千夜一夜・その72)
叶わぬ人なのだと何度も書いた。何度書いてもキライになるとか飽きるとかそんなことは無い。好きなままだ。自分のことを何も話さないから、知りたいと思ったことはあったものの今はもう諦めた。どんなに頑張っても、天地がひっくり返っても、それは叶うことが無いのだから、星座を知っても誕生日を知っても仕方がない。このまま好きで居られるのが一番幸せだ。10月の始めに「これきりと言い出せなくて神無月」と詠んだ。それでいいのだ。


2009年 10月 22日
潔く (千夜一夜・その71)
信濃路をどんな風に旅してきたのかを、結局のところ、何ひとつ聞かせてもらえなかった。尋ねても返事が来るとは思えず諦めている。普通ならそこでストンと恋も終わるのだが、ハナから実るものとは考えてもいない恋だから、終わらせる必要も無い。あの人はちひろ美術館とかわさび園に行ったりするだろうかと想像し、もしも彼女が一部始終を話すような人なら、私はその話を聞き終えたときに、叶わぬ人と潔く諦めてしまうのかも知れない。


2009年 10月 16日
さみしい (千夜一夜・その70)
この人の趣味も好みも、他にもありとあらゆるあなたのことを私は知らないから、いったいどんなところを、どんな想いで散策しているのかさえ想像できない。ひとり旅なのか、恋人と一緒なのか。車なのか電車なのか。そうだ、北陸へ旅に出たときには、写真を1枚送ってくれたなあ。何が届いても私は嬉しいのだけど、待てば必ず音沙汰が無い。意識して無口を装うように便りが来ない。それでもいい、と私は思っているが、正直寂しい。


2009年 10月 16日
わからない (千夜一夜・その69)
私が信州と奥飛騨の旅を終えて帰ってきたあとに、あなたは信州に旅立って行った。あなたはその旅の二日目で私あてに便りをくれて「信州に来ています、さむい」とだけ書きしたためている。あなたを好きなままでいていいですか、と私が問いかけた言葉は私自身が手紙にせずに握り潰してしまったからあなたには届かない。あなたはいったいどんな人なのだろう。どんな想いで秋の深まる信濃路を旅しているのだろうか。私にはあなたがわからない。


2009年 10月 15日
粧う (千夜一夜・その68)
ショーウィンドウに冬の粧いが並び始めたのにふときづいたある日、あなたが髪形をかえてきたあの日を思い出しました。あのときの日記には「ねえキミの髪形変えたね、言いたくて」と書いてある。秋はもの哀しく過ぎる一面があるものの、私はあなたのお洒落な粧いがとても楽しみで、髪型がどんなに思い切ったものに変わってしまってもあなたの全てが好きだった。職場には珍しいほど茶色く染めた髪とキラキラ光るピアスのあなたが好きだった。


2009年 09月 23日
夏がゆく (千夜一夜・その67)
私は夏が嫌いみたい。自分ではそう思っていないのだけど、秋になるのを感じ始めるとウキウキしている。夏の始まりのころにあの人を訪ねて、ひと月ほどで七夕を迎えました。宇宙のロマンスの物語にテレビもメディアもはしゃぎ立てていたけれど、私には片思いの人に逢える筋書きなどどこにも用意してないから、メールだっていつものように気まぐれで返ってくるのはいつかしら。「七夕は十五夜お月さんみて眠る」って送って眠ってゆく。


2009年 09月 23日
チュ (千夜一夜・その66)
<おバカさんそれだけ書いてメールする> タイトルに「チュ」と書いて、そんな十七音を送ったことがあった。8月の下旬ころだ。返事がきて「うぇー きもちわるいタイトルやめてー(゜Д゜) あーびっくりした」と言われてしまった。きもちわるい…か。夜は夏の暑さの余韻でまだ暑い日が続いていたのだろうな。最後に会ってひと月と1週間ほどが過ぎてそろそろもう一度会いたくて仕方がなかったのだろう。メールに書く話題がなかったのか。


2009年 09月 23日
猫のミーコ (千夜一夜・その65)
「猫のミーコ」という名前に変更した。どうしても猫を飼いたいという夢を棄てられないのだが、その夢は絶対に叶えることのできない夢であることもわかっているだけに、せめて、ささやかに200字を綴っているときだけでもそこに猫のミーコを抱いてみたいと思った。私は膝に乗った猫をさすっている。首のあたりや顎のあたりをこちょこちょと撫で回しているような想像をしてみる。猫は無言で眼を細めている。ミーコという名前にしたの。


2009年 09月 23日
夢の写し (千夜一夜・その64)
ときどき、ふっと疲れたようすをみせることがある。おしゃべりな私の詰まらなくなってきた話に愛想をつかせているのかも…と心配をする。でも、きっと違う。この人は私の話をしっかり聞いているだけに、過去の様々な思い出も甦ってきて、自分の心の片隅に眠っている何かに触れているのかも知れない。明るくはしゃぎ回っているような活発な姿の裏に、情熱のようなものを感じるものの、それは私のこの人に賭ける夢の写しなのかもしれない。


2009年 09月 22日
静かに (千夜一夜・その63)
目の前に見つめていたい人がいる。静かな時間が流れる中で私は、隣に座るあの人のほうへ身体ごとよじって、座り直して、いつまでも見ていることができた。何の照れもなく恥じらいもなくあの人を見ていられた。この人は、いったいどういうつもりで街まで出てきてくれたのだろう。森に包まれた小さな丘の中を通り抜ける道を、入り江に沿って湾のはずれのほうへと行ったところにこの人は住んでいる。ひっそりと蜜柑の山に囲まれて。


2009年 08月 25日
シェアー (千夜一夜・その62)
今さっき「鰻巻き食べました」と書いたが、括弧書きで(夢か)と原文には添えていた。ゆっくりと二人でウ巻きを食べた夢を見たかったのか…。街の国道沿いの小さな食堂で、鯖のあぶり焼き鮨やサンマ鮨、めはり鮨を選んで食べた。そこにウ巻きもありました。だから本当は夢ではなかったのだが、私は照れたのかも知れない。並んでお鮨を頬張りながら私のお皿を覗いてシェアーしましょと言って鉄火巻きを私のところから摘んでいった。


2009年 08月 25日
うまき (千夜一夜・その61)
丑の日にあなたと鰻巻き食べました、という呟きを書き残した。ひごろの出来事や小さな事件などの話をひとしきり終えたらあの人は自然に黙ってしまう。明るく活発そうに見えるけれども、もともとは静かな人なのかもしれない。何も会話が起こらないあの人との間には、深い河があるのかもしれない。けれども、渡れないわけでも向こう岸が見えないわけでもない。私はあなたがニコニコと子どものようにうまきを食べている姿を見ていた。


2009年 08月 24日
ひとつき (千夜一夜・その60)
あの人と会ったのが18日で、あれから1ヶ月余りの日が過ぎていった。会えないのはとても辛いし、手紙があまり来ないのも寂しいものだが、毎日ひとときたりとも忘れることなど無いので、思い出すたびに何かを書いてしまう。だがそれをそのまま送れば、読むほうも困ってしまうだろう。届けたい心は今にも弾けそうなのだ。難しい。しかし、想い続けていることは伝えたので、あとはもう何も届けるものは無いのかもしれないとも思う。


2009年 07月 23日
カンナの花 (千夜一夜・その59)
黄色のカンナの花が道路脇に咲いている。真夏の花だ。頭がくらくらとするような暑い夏には、なぜかこの黄色い花が心を落ち着かせてくれる。春は鮮やかな緑と青の木々のなかを駆け、夏は黄色い花に癒され、秋には燃えるようなショッキングな赤色に刺激を受ける。燃えるような暑さのなかへと、身体じゅうが融かされて投げ捨てられてしまうような激しい季節なのに、黄色という色が夏には凄く似合う。自然界の植物たちにも黄色の花が多い。


2009年 07月 21日
遠くから (千夜一夜・その58)
彼女と同じケータイが欲しいな、ってな調子で、ケータイを持たない僕がそんなオモチャを欲しがるようになった。デスクにいると、グループの島を二つほど跳び越したところにあの人の姿が見える。それを何気に毎日楽しみにしていた。遠くから眺めているなんて怪しいオトコのすることだ。でも、3月までの僕はそれで充分だった。もうすぐ居なくなってしまうと思うと焦ってしまった日々もあった。彼女のメルアドを知りたいと思った。


2009年 07月 20日
素敵 (千夜一夜・その57)
実は、あの人のことなど、何も知らないんだということが、自問自答を繰り返すうちにわかってくる。趣味のこと、嗜好のこと、友だちのこと、休日の過ごし方、などなど。知っていることって何だろうか。名前と出身地と住んでいる街…くらいかも。もっと知りたいと思うと、知らないことも素敵に思えてくる。例えば、もしも僕の全然知らないファッションをまとい、知らない音楽を聴いていたとしても、みんなそれは素敵に見えてくる。


2009年 07月 19日
消えてしまった君 (千夜一夜・その56)
3月の終わりに組織が変わって、それきり僕はその人に会えないままだった。最も近くに居ながら、会いたいなと思っても僕の自由で会えるような人じゃない。メルアドを聞き出したいな、どうしたら教えてもらえるだろうか、と悩んでいる間に年度が変わって姿が消えてしまった。お茶や食事に誘うなんて到底できっこない。せいぜいメールを出すくらいのチャンスが欲しい。そんなことを思うと、いわゆる妄想状態に突入してしまうのだ。


2009年 07月 06日
花の咲いたころ (千夜一夜・その55)
4月の中ごろには花が散って、その散り様を見ながら僕はあなたに会えないことを悲しんでいたのかも知れない。花びらが舞い落ちてくる一、二秒の間に「散りゆくものを手のひらにのせてみる」と十七音にのせた言葉で想いを刻み留めて、淋しい雨を自分に受け入れようとしている。哀しみは、ときどき、大きな周期でやってくる。それは、誰にも話せない無力を伴っていて、僕はぶつけようのない不安と淋しさと苛立ちと、あなたへの想いを、悶々と抱き続けている。傘を差して歩き去ってゆくあなたのうしろ姿…。


2009年 07月 06日
なじる (千夜一夜・その54)
「詰る」(なじる)という言葉が気の毒に思えてね。だって、詰る人にも言い訳があるのでしょうし、それを聞いてあげたいと思ったんだ。「花冷えを詰ってそっと腕を抱く」4月の花の咲くころに僕は、君のことを思い続けていました。でも、僕の前に君の姿が現れることはなかった。ドラマのセリフのパクリでもある「オマエなんか嫌いだ」はすっかり口癖で、ぶつぶつ言いながら、会えない君を思い出していたのが4月だ。あのころは、それほど必死に会いたいとも思わなかったの。遠い人だったし、夢の中の人だった。


2009年 06月 27日
心配 (千夜一夜・その53)
そんなメールでウキウキの僕を傍で見ている或る人は「オジサンが遊ばれているだけだよ」と進言する。友だちならもっと優しく労わりつつもデリカシーのある言葉で戒めてくれればいいのに。だから、それでもオジサンは嬉しいのだ、と開き直ってみせる。確かに、夜ごはんは誰と一緒に行ったの、なんて尋ねたい気もあるけど、恋人でも女友だちでも、僕はもう気にならないよ。初めはヤキモチを妬いたこともあったけど、もうそんな心配は不要なんだ。好きなように飛び回る君とメールしてるのが愉しい。


2009年 06月 26日
気まぐれ (千夜一夜・その52)
夜ごはん食べに行ったとか、その後にかき氷を食べておなかを壊したとか、アパートに戻ってきたら風邪気味だとか。そんな些細なメールをくれるようになったので、こっそりと僕は喜んでいる。あまり飛び跳ねて喜んでいけないのだとここで自分に言い聞かす。いつもの僕ならば「ウレシイよ」と書いた後に何か他愛もないことを付け加え直ぐに返信するだろう。でも、そのメールにあの子は間違いなく無反応で僕はショボンとなる。要するにあの子は僕からみれば気まぐれにメールを送ってくるだけなのだ。


2009年 06月 25日
マイペース (千夜一夜・その51)
ひょっこりメールをよこして「バドミントンに行ってきまーす」だって。バレーボールやスキューバダイビングもするし、カイロプラクティックに出かけたりけっこう忙しく駆けずり回っているのだ。ひとことで世代ギャップといえばそれまでだが、なかなか活動的だ。お茶に誘い出す間もないし、誘ったとしてもさらりと軽くかわしてしまうんだろう。それだから余計に猫みたいなマイペースに見えてくる。でも「猫」といわれたときはちょっとご気分を損ねたみたい。ネコ好きがネコみたいな子を好きになり。


千夜一夜・その50まで

2009年 06月 24日
青い海 (千夜一夜・その50)
メールには「熊野までドライブ!」としか書いてない。きょうは金曜日ですよ。いったい誰と出かけるというのよ。誰と一緒であろうと僕には関係ないのだから、知りたいくせに尋ねない僕の気持ちを知っていながら、出かけちゃったみたい。意地悪だよな、気まぐれだよな、ってますますそう思うこのごろだけど、そんなあなたに付いていけないくらいがちょうどいいわ。もう、夢中になんかならないからね、と意地を張ってみて「真っ青な海を僕にも分けてくれ」とメールしておいた。どこ走ってるかな。


2009年 06月 23日
ブルー (千夜一夜・その49)
素敵な音楽を聴いて、心はとろけるような恋を夢見ていても、夢から覚めると何故か何処となく淋しい感じが襲ってくる。やっぱし、こんなときにあなたにおやすみのひとことでも言えればいいのにな、なんて思っていたのかもしれない。あじさいの紫はちょっと好きじゃない。今日はいつもよりちょこっとブルーです。そんなメールをあてどなく書いてしまう。きっと受け取ったほうも困ってしまったかもな、とか思いながら夜が更けた。あくる朝、割と早くにメールが届いたのだった。あの日は金曜日やった。


2009年 06月 22日
花を飾る (千夜一夜・その48)
僕は花を買うことなどなかった。貧しかったのが大きな理由だ。真っ赤な花を持ち帰って、部屋の片隅にちょこんと飾ることができるなら、どれほど幸せだっただろう。しかし、微かな香りを漂わすバラの花など、かび臭い独りの男の部屋には似合わないよ。花を贈りたい女の人だっていなかったし。そんな昔を思い出していると、真赤な花を君に贈れば、きっと君ならば君の素敵な部屋のどこかに僕の花を飾ってくれるだろうね。それは、窓辺の小さな花台だろうか。ダイニングのテーブルの上なのだろうか。


2009年 06月 21日
花瓶 (千夜一夜・その47)
部屋に花を生けたくて花瓶を買ったことがあります。今でも我が家のどこかの棚の中で眠っているだろうな。一輪ざしではなく、バラの花なら数本ってところがちょうどいいくらいの、やや背が高くてスリムな真っ白の洋風磁器の花瓶です。背の高い花でもオッケーです。でも、花瓶に生けるってのは難しいなあとつくづく思います。鉢に植わったサクラソウとかスミレならば、それ自体が自分から部屋になじんでくれようとしているみたいな気がするけど。まして真っ白な磁器の花瓶。君のうしろ姿みたい…。


2009年 06月 20日
赤いバラ (千夜一夜・その46)
真っ赤なバラ。あの人はこの花を「慣れない花屋に立ち往生の男性が苦し紛れに選ぶもの」と言う。なるほど、花屋の店先で一番目立っているのも赤いバラかもね。我が家の庭がある日突然とても殺風景に見えたことがあって、僕は直ぐに花屋に行ってバラの苗を買ったのですよ。昔、学生時代に講義の合間に散歩をした大学の裏手の、綺麗な洋館が立ち並んだ蔦の絡まる煉瓦塀と苔の匂いのする石段が続く坂道を下ったその一角に、そう、大通りに出る手前に小さな花屋があったんだ。「その赤い花、ください」


2009年 06月 11日
花を手に (千夜一夜・その45)
近所を散歩していたときに、真っ赤なバラが咲いているのをみつけた。そうだ、子どものころ、初夏になるとうちの庭にも次々とバラが咲いた。毎日、それを切って母は僕に持たせてくれた。教室の花瓶はいつも赤や黄色のバラで飾られ、傍に近寄るとキュンと酸っぱいような切ない匂いがした。あのころは赤いバラを何とも思わなかった。だが、人を好きになるような年ごろになり、花を見て悲しい思い出がひとつ二つと浮かぶようになると、赤い花びらが愛しく思えるようになった。花を愛する女たちに弱い。


2009年 06月 10日
月・ふたたび (千夜一夜・その44)
君と呼びかけ続けてきたが、これは恋文でも何でもないのでやめることにする。ときには君でありあなたであり、話によってはあの子でありオンナが…と書くこともあるかも知れない。さてふたたび、月が出ている。もしも、二人で海辺に腰掛けて月でも見上げながら佇むことができるならば–凄い妄想であるなと自分でも呆れるが、僕たちには恐らく何も話すことなどないだろうと思う。近ごろ感じるのは不一致なことばっかしで、じゃあ一体この子の何がいいのよと自問する。でも痺れてドキドキするんだ。


2009年 06月 09日
月 (千夜一夜・その43)
6月8日は満月だったのだろう。寝床に入って窓をあけると、心地よい風が流れ込むと同時に、まん丸の月が見えた。尾崎放哉が「こんなよい月を一人で見て寝る」と詠んでいるのをおぼろげに思い出し、真冬の月と違って屋根スレスレに昇っている夏の月が何とも控えめに感じられる。放哉は42歳で死んでしまった儚い人だが、彼は一人を如何に感じていたのだろうか。僕も今そこで月を見上げているときは一人だった。種田山頭火は「月が昇って何を待つでもなく」と詠む。彼も一人だったが、恋の歌はない。


2009年 06月 08日
1枚の写真 (千夜一夜・その42)
たった1枚だけ写真が手元にある、といってもメールのホルダーのなかである。それは何かの拍子に送ってくれたもので、お父さんと近所に山菜採りに出掛けたときのツーショットの仲良しな写真だ。JRの線路がありトンネルが背景に写っている。大きなイタドリを手に持っている。実物はとても可愛いのにこの写真のこの子はオバサンに写っている。野球帽みたいなキャップをかぶりお父さんはハンティング帽。この二人が似ているかどうかの判別はつかないが、それは二の次で、貴重な1枚の写真なんです。


2009年 06月 07日
ニャーと泣いてくれ (千夜一夜・その41)
君が猫だと気がづけば僕の気持ちからヤキモチを妬く心などは吹っ飛んでいく。君はどうぞ気まぐれにお好きなように。君の愛らしい眼差しとふかふかした顎とすらりとセクシーな尻尾を想いながら、呼んでもニャーとも言わないツンとした猫様と寄り添う夢を見続けるだろう。遠い世界の人、別の世界の人なんだと–いや猫なんだと思ってしまえばひとつの恋が終わって、僕はそれを気まぐれな夢だったと思えるさ。でも僕がニタッとした訳がもうひとつある。君が凹んだっていうからさ。じゃあ君は猫が嫌いなの?


2009年 06月 07日
ズルイ目で (千夜一夜・その40)
そしたら返事に「前に猫みたいって言われたことを思い出しヘコんじゃった。猫みたいに一瞬で懐にもぐりこんできて、かと思えばするっといなくなってしまうって」と書いてあったから、僕はうふふと笑ったよ。可笑しいからじゃない。やっぱし同じように君にジレッタイ気持ちと、おそらく相当の嫉妬心を滾らせた人がいたに違いない。ある日、君に恋した誰かは気がつくんだ。君は猫のように気まぐれで、その可愛らしさゆえに誰にでも好かれて、恋する人はそれが我慢できないけど、猫だと気づくのさ。


2009年 06月 07日
猫みたいに (千夜一夜・その39)
僕は手紙に「犬が好きですかネコが好きですかと尋ねたことがあったよね。今日はどういうわけかあなたがネコのように思えてね。憎たらしいけど可愛らしい。嫌いになりたいけど、抱っこしてしまう」と書いたんだ。君は猫のように気まぐれで、ちっとも僕の願いを聞いてくれないし、わがまま勝手でマイペースで嘯いているんだ。だから、恋心なんか寄せないぞ、好きでも嫌いでもないぞ、と考えていたことがそんな言葉になった。書きながら、君が途轍もなく遠い世界の人に思えてきて、寂しかったけど。


2009年 06月 03日
誰かが誰かを (千夜一夜・その38)
誰かが誰かを愛してる。その音楽を聴きながら綺麗な花の咲く高原へと君を乗せて車を飛ばして行きたい。愛してるなんて、まだ僕には言えない。朝のうちはどんよりとした雨模様だったのに、お昼を過ぎには雲が切れて陽が射し始めてる。窓から街を見下ろすと、ピンク色のツツジの生垣が鮮やかに目に飛び込んでくる。海もきょうは太平洋のほうまで見渡せて、神島の三角に尖った山ともくっきりとわかる。海を見ると海へ行きたくなる。でも…。海は嫌いだ。ひとりで海に行くなんて嫌だ嫌だ。寂しくなる。


2009年 05月 29日
ツーショット (千夜一夜・その37)
誰にでも愛想がよくてにこやかで明るいから好かれるのよ。だからストーカーに遭いやすいの。気をつけてね。僕も一時プチ・ストーカーになっちゃいましたが。だから僕はメールに「返事はいらんよ。好きかと聞いたら好きだとだけ言ってくれ」と書いて、今日は「そんな気障なセリフで終わらせてくれ」って締めてるのさ。でも、その後すぐに思いついて娘とのツーショットを送ったけど、君も素敵なツーショットを送り返してくれて、もう、僕はそのあとドキドキでした。傍にいる素敵な人に少し嫉妬よ。


2009年 05月 28日
めがね (千夜一夜・その36)
「きょうのあなたは一段と綺麗ですね」と、誰が言ったか。僕も真似をして、しかもそれを君に言いたいね。昨晩、夜更かしをしたのかい、彼と遊び過ぎたのか。頬紅が赤すぎない? 眼が腫れてない? そう尋ねてみたい朝がある。「頬紅のやや濃すぎても嫉妬かな」君はメガネをかけて、それも、昨日と今日は別のメガネで、銀のピアスが冴えている。ふーん、少し自分を粋がって見せて、悪い子ぶっているんかい。メガネが良く似合うの、隠せない。うつむき加減で微笑む顔が、ばら色の天使に見えてくる。


2009年 05月 28日
酸っぱうまい (千夜一夜・その35)
桑の実の酸っぱうまいか、片思い。ふとそんな句が僕の頭の中に自然に、しかもリズミカルに浮かんだ。ちょっと覚えておこうっと。酸っぱい顔が君は良く似合うよ。前にも言ったけど、ちょっとベソを掻いたような泣き顔が素敵なんだよ。ふくれっ面じゃないんだ。今、涙が乾いたばっかしっていうそういう感じさ。せっかく綺麗にお化粧もしたのに、髪だって綺麗にしたのに、泣き腫らしてしまった君の顔は子どもみたいになってしまってる。でもね、その顔が、ほんとうは可愛いのさ。酸っぱい顔なんだな。


2009年 05月 26日
ヒヨドリ(2) (千夜一夜・その34)
ヒヨドリの写真を見つけたの。身近な鳥だけど意外に近くで見ないよ。梅や桜の蕾を食べていってしまったちょっと小憎たらしい鳥だな…という印象だけど、写真で見るとシャキッとして素敵なヤツだ。僕の友達のひとりに素敵な子がいるんだ。そう!前に書いた「プチハネのベリーショートの茶色いボブ」の彼女さ。彼女は可愛いくせにちょっとボーイッシュで、そのくせ銀のピアスがよく似合う。ヒヨドリみたいなイメージをどこかに持っているかもしれない。僕は鳥のような子が好きなんだよ、きっと。


2009年 05月 26日
ヒヨドリ(1) (千夜一夜・その33)
僕は「鳥のひろちゃん」という連載を長い間書いて、それが60回を越えたところでパタッと終えてしまったわけですが、半分自伝・半分夢の物語でした。彼女は私の人生を大きく変えてしまった一人であることは間違いなく、彼女の魅力が何処にあったのかは未だ謎のままだ。一人の女を自殺未遂に、そして一人の男を粉々にしてしまった悪魔のような女だった。いいや、君とは全然関係ないことなんだけど、少し誰かに聞いて欲しくなっただけさ。その彼女が鳥のイメージなんです。ヒヨドリを見て思い出した。


2009年 05月 25日
満ち潮 (千夜一夜・その32)
ちょうど今、潮が満ちてくる時刻ですね。波打ち際に腰掛けて夕焼けに染まる山並みを背に太平洋へと続く湾を見ていたことがあるんだ。刻々と時間が過ぎるうちに僕は海に浚われてしまうような錯覚に陥る。そのうちこの波が僕たちを包んでしまう。ザザザ、ザザザと繰り返す波音を聴きながら、何も言葉を交わすことなく海を見つめて、空を見上げている。やがて、西の空の夕焼けが東の空へと移ってゆく。燃えるような鮮烈な赤色から紫がかった赤へ。今、君の家の窓からもそんな海と空が見えるのかな。


2009年 05月 24日
汗 (千夜一夜・その31)
夏はそれほど好きな季節じゃないけど、君には夏がよく似合いそうで、夏が来るのが待ち遠しい。オデコに汗を滲ませてアルプスの少女ハイジのように駆け回っている姿を思い浮かべると、小さな身体でありながらスポーツ選手のような機敏に動く姿がカッコいい。そう!ボーイッシュなシルエットに乾いた声が弾けるのが聞こえてくるようだ。きっと僕は君に声などかけられるわけもなく、遠くからじっと見つめているんだろうな。特別に何かを話しかけることもいらない。見てるだけさ。それでいいんだ。


2009年 05月 23日
次に手紙を書くときは (千夜一夜・その30)
「今だけは君に夢中にさせてくれ」別にドラマのセリフじゃないですから。いつもそんな気持ちで僕は手紙を書いている。ずーっと前からメルアドだけでも聞き出したいって思い続けていたときに、他愛ない話のついでにメルアドを知りたいと言ったら即座にオッケーしてくれて、僕のアドレスをボールペンで手の甲にメモしてくれた。ほんとうにメールくれるのかしらって心配だったよ。有頂天の僕は貰ったメールに立て続けに返事を書いてしまってゴメンなさい。メールには禁句があるんだ。告白はお預けさ。


2009年 05月 22日
ボーイッシュ (千夜一夜・その29)
また書くよ。ボーイッシュな君のこと。「プチハネのショートなボブのキミ」が好き。これはちょうどひと月ほど前に僕がノートに書いた落書きの十七音です。けっこう、イカシテル茶髪だから、その雰囲気は大好きです。全然お洒落じゃない僕でさえも、そんな跳んでる君を連れてドライブに行きたくなります。ツツジがピンクの花をいっぱい咲かせている高原で乾いた風に吹かれると、きっと君の茶色い髪がサラサラと風にふるえる。ツツジの花びらって美味しい蜜があるの知ってますか?すごく甘いんだ。


2009年 05月 21日
素敵な町 (千夜一夜・その28)
僕の高校は高台にあって市の外れにある海が見えた。遠くに浮かぶタンカーを三階の教室から眺めるのが好きで、受験が迫ったころには、理由もなく音楽室から海を見たものだ。陽炎に包まれた地上に、大型船が浮いているように見えた。君が生まれたところは港町だから、学校から坂を駆け下りれば港に行ける。田舎かもしれないけど素敵な町だよ。君は海で生まれた子なんだなと、その街を訪ねてみて初めてわかったよ。だから、海のなかにぐいぐいと潜って行くことが平気なんだね。お魚みたいですね。


2009年 05月 20日
田舎の子 (千夜一夜・その27)
あれから十日ほどが過ぎただけだ。まだ緑色をしていた麦の穂があっという間に色づき始めている。水田と隣り合わせで麦畑の穂が揺れる姿を見ると真夏の暑さを思い出す。五月も下旬になると、畦道の蛇苺や桑の実を摘んで食べたものだ。黄金色になってきた麦畑の穂をちぎって髪に差していた子もいた。君の生まれた町は山が入り江の間際まで迫り、米を作るような平野はなかった。僕は、君の都会風のお洒落な姿が好きなんだけど、君は自分で、私は田舎の子なのよ、と言う。うつむき加減が可愛い。


2009年 05月 18日
凪ぎの風景 (千夜一夜・その26)
この小さな旅で僕はひっそりと入り江に佇むことの愉しみを知った。それは感動的なものを何も求めずに特別な期待もなく吸い付けられるように入り江の淵を辿って湾の外れの小さな集落へと向かっただけなのに、そこには胸に手を当てて鼓動の音を聴くように息をこらえてじっと身体で感じ取るような驚きと感動が満ちていた。それをプレゼントしてくれた君に心から感謝したい。居間のテーブルに座ったままでテラスの窓から湾が一望できるなんて、そのときの僕の気持ちは言葉にできない。


2009年 05月 18日
火遊び (千夜一夜・その25)
或る女性に「火遊びの恋とまじめな恋の違いは?」って訊ねられたことがあるんだ。僕に火遊びなんていう言葉はないなあ。いつも真剣でまじめな恋です。でも、まじめでであればいいというものではないのよね。してはいけない恋とか絶対に実らない恋もあるのよ。そういう恋を恋と呼ぶのは辛いなあ。人を慕って想い続けてもやがて儚く忘れねばならないこともあるし、人から奪っても奪われても、それはいけないんだ。好きになるということは、そんな危険が潜むのを知らなくては。盲目はダメだ。


2009年 05月 17日
風と何処かへ (千夜一夜・その24)
風が誘ってくれたこの道を僕はひとりで駆けてみる。君が走ったその道をきょうはひとりで駆けてみる。まあ、そんな夢のようなことを考えてみても、僕は風になんかなれないんだよ。風になったら鳥になれたら、その夢が叶うときに僕は限りなく自由で、誰にも束縛されずに空を行き来できるんだろうなあ。でも、大事なことがもうひとつだけあるんだ。それは、僕が行くところに君を一緒に連れ去れるかどうかということなんだ。大事さ。君にずっと傍にいて欲しい。だから、手をつなごう。


2009年 05月 17日
風は何処かへ (千夜一夜・その23)
バイクに乗っていると君のことを忘れているよ。風を切って走っていると爽快だから、君を背中に乗せて走れれば最高だろうになあ、なんてことは考えるけどね。海が見えたら君を思い出して、そのときだけは君のこと想って風の中でいっぱいの深呼吸をするのさ。風になりたいなんて気障なことは言わないよ。さざ波の上を自由に吹き渡るのもいいけれど、目を細めて湾の入口の方角を見つめている君の傍をそよそよと吹いていたいな。僕は風だよ、風なんだ。風になって君の髪を揺するんだ。


2009年 05月 16日
ねこが好きですか?犬ですか? (千夜一夜・その22)
君のことをいち早く知ろうとすれば、例えば誕生日を聞いて星座の話や血液型の話をして、社交的やとか几帳面なタイプなんやぁーなどとワイワイとやるのがフツーなんだろうけど、僕は君にそんなことを聞く切っ掛けもなくて、いまだに年齢も正確に知らないんだ。もちろん君だって僕の事には無関心で何も知らないとは思うけど。そんななかで、一度思い切って尋ねたことがあったんだ。猫が好き?それとも犬が好き?って‥‥。昔は犬かなあー、今はちょっと猫かな、と君は言ったね。


2009年 05月 16日
お酒 (千夜一夜・その21)
お酒をやめている。といってもまだ1週間も過ぎていない。何日やめようとか、いつまでやめようというような目標はない。この前に君に会って、その日に晩酌をしたかどうか記憶さえ曖昧だが、そのころから飲むのをやめることにした。僕の場合、こうしようと決めてもとても意思が弱く、弁解・言い訳が次々と出てきて、いとも簡単に意思は崩れ去る。僕にとってはそれが当たり前のことなのだが、あることとお酒をやめてみることにチャレンジしよう思い立った。理由は至って不純なんだ。


2009年 05月 16日
縺れる 2 (千夜一夜・その20)
君のイメージを抹消するなんてできるはずもない。嫌いなところが見つかったとしても、それはドミナント・ナインス・コードのように、僕の心にすべてプラスに響いて来るんだ。嫌いなところなんてありもしない。でもね、もうメールはやめるよ。君の悲しくて忌まわしい過去の話のその1%にも満たない一部を聞いてみてわかってきたことがあるんだ。それは、君と同じ視線で同じモノを見つめてみたり感じてみたりしてみたいと僕は思っていたということ。少し近づけたからそれでいい。


2009年 05月 16日
縺れる 1 (千夜一夜・その19)
「私、彼氏からのメールでも1日1通が限度だって気づきました」とメールに書いていた君へ、この僕の縺れた心を一生懸命に解きほぐして送ろうとしても、それは間違いなく罪悪となり、世にいうストーカー行為になってしまうのだ。もがけばもがくほど、足は泥の中に沈んでゆくのだ。わかっているのに自分がコントロールできない。縺れた糸のような自分の心を見つめてみると、いったい、そこには何があるのだろう。いっそう、君のことなど嫌いになって頭の中から抹消すればいい‥‥


2009年 05月 14日
入り江  (千夜一夜・その18)
入り江という言葉を使ったけれど、実際にあそこは入り江ではなかったかもしれない。ざわめく娑婆の騒々しさから解放されてひとりでいたいと思うとき、人は入り江のような静かに閉ざされた空間に憧れるような気がする。壊れてしまったキミの心を癒し快復させるものが何か、僕にわかるならば僕は最大限にそれをキミに捧げるよ。でも、悲しきかなそれが何なのかわからない。僕は無力だ。僕はキミのところへとは戻ってはいけないのだ。痛いほど失敗を繰り返し、僕は許されていないのだ。


2009年 05月 14日
恋文 その17 「夢色」へ
恋文篇をいったん「その17」で終わることにします。それはこの恋が終わってしまったということではありません。また次のステップへと僕自身が変身していかねばならないからです。君は壊れてしまったけど必ず元に戻れる。僕も同じように壊れてしまいそうだったけど、新しい僕をめざす。君も新しい君を築き上げるためにリフレッシュして下さい。詰まらないメールはもう書かない。恋文・千夜一夜も名称を「恋文」から「夢色」へ。


2009年 05月 13日
恋文 その16 やがて
夜が明けて日が昇ったら僕は君に最後のメールを送るだろう。もう今は、がむしゃらに書く意味も必要もなくなったから。僕の心は必ず届いたと思っていいね。だから、メールはもう、書かない。君がメールで「○○さん」と僕を呼んでくれるそんな些細なことが喜びで、ひとつひとつの仕草がお気に入りです。今はしばらく会えないけれど、しっかりと記憶にとどめたから大丈夫です。僕の家から海までは遠いけれど、君を思い出すことなんて簡単さ、と強がらせておくれ、今日は。


2009年 05月 13日
恋文 その15 音楽の話をしようよ
ねえ音楽の話をしよう。ベートーベンのピアノソナタを聴いても交響曲を聴いても、チャイコフスキーでも、コンサートホールへ出かけると演奏中に必ず泣いてしまうんです。泣けてきますよ。年末の第九なんかもうボロボロと泣いてしまうので三階席の一番前でしかダメですね。あそこが僕の定位置です。ひとりで行きたいのですけど、君だったら誘ってみたいと思う。生まれてまだ誰も誘ったことなどがない僕だけど、君と音楽の話をしたいな。駅前のコーヒーショップがいいなあ。


2009年 05月 13日
恋文 その14 遠いどこかで
僕の想いが届いている確信が欲しいと思うのだろう。だから、好きだと打明けて嫌いだからと言い返されたとしても、ある意味では満足なんだ。一番悲しく辛いのは、知らん振りなんだよ。でも、僕の心が届いていることさえわかれば、君と、たとえ月まで離れてしまったとしても、僕はめげないし不安にもならない。ほんとうの友だちには手紙なんか出さなくてもずっと友だちでいれるから。僕は君にこうしてここで手紙を書いている幸せを味わうよ。でも本当は返事も欲しいし来なければ切ない。


2009年 05月 12日
恋文 その13 花屋になりたい
花屋になりたいと思っていたころがあります。若いときでした。全速力で思いきり走りきったら、そこには静けさがあるはずだ。その静寂の中でじっと僕は花を見つめていたいと夢見たのです。24歳で就職して、その職場での挨拶で「いつか、田舎に帰って花屋になりたい」と言ったのですが、仕事を転職して田舎に帰るときに同僚だった憧れのステキな女性が「田舎に行って花屋になるの」とポツンと話かけてくれたのを思い出します。天使だった。花を愛する人は無条件で大好きです。


2009年 05月 09日
恋文 その12 見つめる
君の視線を感じる。まさかその視線が僕のところで止まっていることなど絶対にないのだけれど、不思議な力を感じてしまう。まるで魔法の杖で恋の魔術をチチンプイプイとかけてしまうように、僕は君に惹かれていってしまう。そう!今ちょうどベートーベンの月光が第三楽章に入ったところさ。胸が高鳴り頭の中は真っ白になってゆく。少しうつむきかげんに何かを思案中だった君の一瞬のできごとで、過ぎゆく視線を僕は掴みたかった。


2009年 05月 06日
恋文 その11 花を生ける
小学生のころ、母はいつも僕に庭の花を切って学校に持たせてくれた。赤いバラの花束を胸に抱きかかえながら、少し恥ずかしくまたちょっと自慢な気持ちで、僕は教室にいる先生に渡したものだ。大きな花瓶に水を張り花を生けるとき、駆け足で来た自分の心臓が静かになっていくのに気づきながら、新しいときめきが身体を痺れさせているの感じた。あの日、花を生け終えたあとそっと手を添えて花を見つめていた君を、じっと柱の陰から僕は見ていた。


2009年 05月 05日
恋文 その10 淡い色
全体の雰囲気がやわらかい人だと思う。だから、真っ赤とか真っ青というような色の服ではなくピンクとかうすい水色のような服を着ていると小柄な姿によく似合うのだ。そっとそこにいる静けさがいい。でも、心のうちは激しく一本気な面もありそうで、問答をしたわけではないけれど、キッパリとしているかもね。濃い紫っぽい服を着ていたときそれがステキで淡い色が似合いますねと声掛けたら、それって私にはこの色が似合わないってこと?って言われて。


2009年 05月 02日
恋文 その9 チュニック
恋じゃないよ。くれぐれも。ショートカットが好きなのはどうやら昔からのようで、跳んでるヘアースタイルってのも好みみたい。この子は、そんなにスタイルがいいわけでもないし、背が高いわけでもない。でも、傍にいるとそこに花が咲いたような明るさと元気が滲み出て来るのです。そういうものってのはその人自身が持ち合わせる天性のようなものなのでしょう。堅苦しい職場なんですが、そんな中でチョッピリ派手だが淡い色が良く似合う。


2009年 05月 01日
恋文 その8 ボブ[2]
その髪型をボブと呼ぶって後で知ったよ。体中からチカラを吸い取るような不思議な魅力を感じさせたその子の声が透き通るようだったことと、甘えたように話す話方と、どうでもいい僕のちょっとしたデータをきちんと記憶している点などがすっかり気に入ってしまった。誰にでも好かれるステキな子だと分かっているけど、少しでも僕は話をしたいと思ったね。そしたら、この打ち明け話を聞いてくれた知人が、それは恋だなと言った。


2009年 04月 30日
恋文 その7 ボブ[1]
僕ほど服装やヘアスタイルに鈍感な奴はいないと思う。御洒落という言葉は僕の辞書にはないのだ。でも、君に出会って、茶色い髪は今風としても、そして、耳まで見えるほどに短く切ってしまった髪も珍しくはないけど。アインシュタインが難問にぶち当たって苛立ちから頭をクシャクシャにしてしまったかのように、ハネハネにした(僕は爆発したみたいなと思ったけど)髪型に出会ったとき、この子、素敵な雰囲気だなってピンときた。さらに声が可愛かった。


2009年 04月 29日
恋文 その6 Mちゃん
昔、鳥のひろちゃんという物語 を書いたけど、あのときのあの子のなまえは「M」だった。無意識と思うけどそんな音の響きが好きなんだろうと思う。チーズのチのようにイ行のときは笑顔になれる。でも、あるときに気が付いたことがあるだ。Mさんの笑顔には泣き顔が隠れているんだ。それは、自分と闘っているんだろうなって思う。本当は芯が強くて責任感のある、でもホンワカな雰囲気も持ち合わせて明るい子。蓮華の花を髪に飾りたい。


2009年 04月 29日
恋文 その5 言い出しかねて
昔、あるとき一度だけ、情熱的な恋をしたことがありました。好きになってはいけないという言葉が世の中にあったんです。でも、その人の不思議な魔力に私は惹かれていった。約束をした人の所へやがて行ってしまうのはわかっていても、どうしてもささやかな時間でいいからその人と話していたかった。恋なんだよと友人は教えてくれました。そんな恋はもうしません。だから、君が大好きだと言ってはいけなかったのです。嬉しいだけでよかったの。


2009年 04月 28日
恋文 その4 海の話
屋上から海が見えます。霞んでいても割と遠くまで見渡せる。湾の出口の島まで見えますね。大きなタンカーも浮かんでいる。そう。今日は海の話をさせてください。君の名前には海という字があって、きっと、海が大好きなんだろうと想像してます。私はバイクに乗るので、海を見に行くことが多いです。いつもひとりですけど、風に吹かれて二人で海を眺めるなんてのは夢です。いつか君の古里の海を案内してもらいたい。話題に窮すかな。


2009年 04月 28日
恋文 その3
いつか、昔、お昼休みに散歩に出かけて、海の見える秘密のその場所の話をしてくれた。そんなときでも君は泣き顔で「そうだ、君の笑顔はどんなときでも泣き顔だったんだ」と僕は気づく。ためらうように柱の影から君を追いかけた。再び君が戻ってきて、ステキな笑顔と出会えたこの一日が終わっていった夜は、ひとりでこっそりと乾杯をしたんだ。誰にも内緒にね。どうか、気障だと言ってくれ、お礼に好きだと言わせておくれ。


2009年 04月 27日
恋文 その2
僕は夢を見たようにまどろんでいる。夢の中で石畳の坂道を歩いてゆくんです。一緒に歩く君のハイヒールの足音がコツコツと響く。見晴らしのいい高台へと細い散歩道は続く。そこにはお気に入りの公園もあって、森陰からはウェディングパレスの教会の尖った屋根が見える。坂道はやがて石段になって、一番上のベンチからは海が見える。空に浮かんだようにタンカーが見えることだってあるんだ。君は古里の海を思い出すのかもしれない。


2009年 04月 26日
恋文 その1
珍しく夜更かしをしたあの深夜に、縺れる糸のその先を見つめようとしている自分に気付いたの。好きだとは絶対に言ってはいけないと硬く誓ったのに、ああ僕はなんて馬鹿なんだろうか。だから、この手紙を書き始めながら決めたんだけど、毎夜、200文字で終わらせる手紙にすることにした。さて、君にはもう会えないかも知れないとあきらめていた僕が、飄々と廊下を歩いて居る君を見て涙を滲ませてしまったのは、絶対誰にも内緒だよ。

山頭火 雑記

山頭火


山頭火句集 その1
山頭火句集・ちくま文庫を片手に読んでみたいと思います。
この記事は、平成16年10月から平成17年2月までのものを集めています。
・千夜一夜物語
・大菩薩峠
なども出している、あの「ちくま文庫」です。

私は(私にとって)いい本屋と悪い本屋を見分けるときのひとつの指標として
・岩波新書をしっかりそろえていること
・岩波文庫も同様
・ちくま文庫も然り

近頃は、ココの店主は本を読まないな・・・って思わせるような店も多くなりましたね。

[ 2004-10-13 ]
山頭火句集 種田山頭火 村上譲編 ちくま文庫
を読んでいきます。

読書のコミュニティーでしりとりをしていたんです。
「さ」で始まる作家に回って来ました。
あやかさんが私にくれた贈り物は「さ」だったんだと喜んでいます。

**
種田山頭火という人を知っていますか?

自由律の俳句の残した一風変わった俳人です。
早稲田を退学した後、実家の酒蔵を継ぐものの倒産し、漂流の生活となってしまう。
酒に溺れながらも数々の作品を残します。
その生き方に感銘を受け、その俳風に無条件でのめり込んでゆく人、まあ私のようなファンが現代でも数多い。

ちくま文庫の懐の深さに感謝。座右の 1冊です。

| 2004-10-20 11:29 | 山頭火
種田山頭火句集をよみませんか?
というタイトルで書き出しました。

**
うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火

山頭火は、句集「鉢の子」のなかでこの句を詠んでいます。

10 歳のときに母が井戸に身投げ自殺をしたのが始まりでした。その後、早稲田を1904年(明治37年)に中途退学し帰郷したあとも、無軌道に酒を飲み、実家 の酒蔵が倒産しても、飲み続け、熊本で市電を急停車させる事件などを起こしたりした。一草庵(松山市)で泥酔頓死するまで、行乞の俳人としての人生を歩み 続けます。

1931年(昭和6年)この年は満州事変勃発の年、

熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかった。またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである。
自嘲
うしろすがたのしぐれてゆくか


と句集にあります。

芭蕉が、年暮れぬ笠きて草鞋はきながら、という句を詠み、それが脳裏にあってのことでしょう、山頭火が、うしろすがたの…と詠む。山頭火はこの年49歳。行乞をはじめて5年が過ぎていました。

山頭火句集 ちくま文庫から

| 2004-11-18 12:45 | 山頭火
鉄鉢の中へも霰  種田山頭火

俳句のことはあまり分かりませんが、私が山頭火を読むようになったのは、彼が放浪の旅を始めるまでの生い立ちに決して同情をしたのではなく、彼の詠む一句一句が、私にもわかるような気がしただけなんです。

母が自殺をする。弟も山で死んでゆく。親しい友も、同志も、次々と失うなか、彼は自由律の俳句の道を歩もうと意思を硬くします。そして、1926年(大正15年)2月、44歳の山頭火は、一鉢一笠の行乞の旅に出ます。

鉢の子の冒頭は、

>松はみな枝垂れて南無観世音
>松風に明け暮れの鐘撞いて
>ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いている
>分け入っても分け入っても青い山

>解くすべもない惑いを背負うて、行乞流転の旅に出た。

と始まっています。

旅を共通の趣味とするバイク仲間・友人たちに山頭火という人を紹介してきました。紹介というより、旅日記にその一句をお借りして私の気持ちの代わりにした程度ですが、それを読みすっかり山頭火ファンになっていった人もいます。

上に引用した、分け入っても分け入っても青い山 という句のあとの「惑い」というのが社会の波の中でもがいている人々の心を、神経毒のように刺激するのかもしれません。

安か安か寒か寒か雪雪 種田山頭火

>私はまた草鞋を穿かなければならなくなりました。
>旅から旅へ旅しつづける外はない私でありました。
>ハガキに書いて親しい友に出し熊本をたつ。

京都などに住まわれた経験のあるかたは、冬の寒い朝に、大きな笠をかぶった托鉢の修行僧が「ウォー」と唸るように家の前に立ちます。その姿を見てればイメージも湧きやすいと思います。

タイトルは、昭和7年のお正月の句です。霰の降る寒い日だったのでしょう。

山頭火句集 ちくま文庫から

| 2004-11-21 00:34 | 山頭火
ふるさとは遠くして木の芽 山頭火

芭蕉と蕪村を比較して、

芭蕉には帰る里、伊賀があった。
しかし、蕪村には、帰るところがなかった。
同じように
山頭火にも帰り着くところはなかったのです。

私は
芭蕉が訪ねた奥の細道も
山頭火が行乞をした各所も
訪ねて歩きました。

>冬雨の石階をのぼるサンタマリア (大浦天主堂にて)
>嬉野温泉にて
>ふるさとは遠くして木の芽

彼のふるさととはいったいどこだったのでしょうか。
帰るところなどなかったはずです。

山頭火句集 ちくま文庫から

| 2004-11-21 22:37 | 山頭火
ほろほろ酔うて木の葉ふる  山頭火

山頭火は、
>ほろほろ酔うて木の葉ふる
>しぐるるや死なないでゐる

自分には生きている価値など無いと思ったのでしょうかね。
死ぬときはコロリと死にたいと、どっかに書いていたと思います。
酒と山頭火と落ち葉が、三位一体で(流行語?)とけこみます。

芭蕉が
>旅人と我が名呼ばれん初しぐれ 芭蕉
と詠んでいます。

芭蕉の句は、優等生。
じゃあ、山頭火は劣等性?

いいえ、
これを声に出して何度も鑑賞した人だけが知るトコロがあるんです。

人は、ひとりで旅に出ると、様々なセンチメンタルに遭遇します。

私は、
「どうしてひとり旅に来るのですか?バイクにひとりで乗って旅しておもしろいですか?」
とある出会いの人に問われたことがある。

そのとき、私のそばにいたひとり旅の若者が
「現実から逃げてるんでしょうかね」
と答えていた。
私は黙々と焚き火に当たって酒を飲んで、ニヤニヤしていたなあ。

山頭火が逃げていたとは言えません。
しかし、そこには夢の世界があることは確かでしょう。

今夜も山頭火にお付き合いくださいましてありがとうございます。

山頭火句集 ちくま文庫から

| 2004-11-26 21:51 | 山頭火
今日は2句

ゆふ空から柚子のひとつをもらふ
冬が来てゐる木ぎれ竹ぎれ

草木塔 其中一人から、ふたつを書き出してみました。

12月5日夕刻に近所のスーパーに出かけてみましたら、クリスマス音楽が流れ、プレゼント商品が積まれています。
国産牛肉半額…などと大きく書かれた売り場にはたくさんの人が溢れています。
スキヤキでもするのかな、と思いながら私もうふふふと買いまわったのでした。

日が暮れて駐車場には木枯らしが吹いています。
私はこのときに「ゆふ空から」を思い出しました。
山頭火、柚子湯に入るのかな。其中庵はさぞかし寒かろうに。

この晩(昨晩です)は、「NHK音楽祭2004ハイライト」ってのをやってまして、ロリン・マゼールに聞き惚れて満足な夜を過ごしました。
さて、今朝になって鈴鹿山脈にうっすらと冠雪がありました。
時雨まじりに北風が吹き降りてくる寒い朝でした。
北西の空を見るとうっすらと虹が出ていました。
(せっかくだから写真を貼っておきます。)

>冬が来てゐる木ぎれ竹ぎれ

熊本を去り、ここなら…と思い決めて川棚温泉に安住の地を求めるものの、失意を抱いて離れることになる。おそらく、もっとも充実した時期を過ごしていたのでしょう。

山 頭火は法華経の「其中一人作是唱言」という一節を好んだそうで、災難に遭ったり苦痛に苛まれたときに其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると観世音菩 薩は直ちに救いの手を差し伸べられて皆を救われ悩みから解き放たれる、という意味だそうです。(其中庵でもらったパンフのパクリ)

| 2004-12-06 18:55 | 山頭火
笠へぽつとり椿だった 山頭火

黒染めの衣に袈裟をかけた身なりである。
綱代笠に杖をつき、鉄鉢で布施をいただく。
寺には所属せず乞食の放浪をする。
乞食(コツジキ)は、コジキではない。紙一重であるが違う。

私が山頭火という俳人に出会ったとき、それがまず理解できない。
実際にただのコジキ同然の扱いで、生存中は評価も高くはなかったらしい。

山頭火は、十歳のときに母を亡くす。井戸に飛び込んだ自殺だった。
芭蕉には伊賀上野があった。しかし、山頭火には帰ってゆけるところがなかった。
この決定的な大きな違いが、山頭火の作風をより山頭火らしくして、密かにも多くのファンが絶えない理由でもあろうと思う。

家を持たない秋がふかうなるばかり

行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに弧ならず、欲しがってゐた寝床はめぐまれた。

昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。

曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであった。今日は酒が好きな程度に於いて水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかも知れない。

「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かった。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチャンポンになってゐる。これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水─それが私の境涯でなければならないから。
(昭和八年十月十五日其中庵にて、山頭火)

なんだか 自分のために書いている わたしがいる  (パクリ)

山頭火句集 其中一人  ちくま文庫から

| 2004-12-09 17:16 | 山頭火
雪空の最後の一つをもぐ 山頭火

山頭火句集 其中一人 を読む。

>ひとりの火の燃えさかりゆくを

わたしには俳句を理解する素養などどこにもない。
この句で山頭火が伝えたかったのは何だろうか。
誰かが荼毘に付されているのでしょうか。
死ぬときは端的に死にたい、「ころり往生」でありたい、と願う山頭火の死生観を思うと、自分の往生をオーバーラップさせていたのでしょうか。

>落ち葉の、水仙の芽かよ
>あれこれ食べるものあって風の一日

>茶の木も庵らしくひらいてはちり

静かな年の瀬を迎えていることと思う。
みなさまに食べさせていただいている、飲ませていただいている、という暮らしだったのでしょうね。

>誰か来さうな空が曇ってゐる琵琶の花

秋が深まって琵琶の花が咲いている。
いやいや、やはり年末なのでしょう。
師走の、冷たい風の吹く折に、おそがけに琵琶の花が咲いていたのよ、きっと。
寂しい庵を誰が訪ねるのだろうか。。。

>雪空の最後の一つをもぐ

これはきっと蜜柑だったと確信します。
木枯らしが吹きすさぶ冬に、逞しく実をつけている蜜柑を大事にひとつずついただく。
この実がそれで最後だったんだろうと思う。

山頭火句集 其中一人  ちくま文庫から

| 2004-12-19 14:29 | 山頭火
月が昇って何を待つでもなく 山頭火

満月。
仲秋にみるまん丸の月よりも格段と冷たさを増している。

冬至を過ぎた暮れの夜。
月は一段と丸みを帯びた。

>月が昇って何を待つでもなく 山頭火

正月が近かったのかもしれない。
ちょうど、今夜は満月です。

寒いよ。

あの時代でも今でも
月の輝きに変化はなく、寒さにも変化はない。

人の心だけが変化してゆく。

>もう暮れる火の燃え立つなり 山頭火

>月かげのまんなかをもどる 山頭火

科学が進歩して、便利な世の中になりました。
私たち、まさに裸の王様かもしれない。

アナタ
パソコンもケータイも時計も棄てて
月明かりの下で時を送ることができますか?

山頭火句集 其中一人  ちくま文庫から

| 2004-12-27 22:57 | 山頭火
笠も漏りだしたか 山頭火

<随筆 『鉢の子』から『其中庵』まで から引用>

冬雨の降る夕であった。私はさんざん濡れて歩いてゐた。川が一すぢ私といっしょに流れてゐた。ぽとり、そしてまたぽとり、私は冷たい頬を撫でた。笠が漏りだしたのだ。
笠も漏りだしたか
この綱代笠は旅に出てから三度目のそれである。雨も風も雪も、そして或る夜は霜もふせいでくれた。世の中のあざけりからも隠してくれた。自棄の危険をも守つてくれた。─ その笠が漏りだしたのである。─ 私はしばらく土手の枯草にたたずんで、涸れてゆく水に見入つた。

* *

山頭火は、昭和五年の年末にタイトルの句を詠んでいます。
熊本から宮崎へ、福岡を経てまた再び熊本へ。
12月。熊本市内春竹琴平町で「三ハ九居」で自炊生活を始めました。

句集には
>述懐
>笠ももりだしたか
と書かれています。

述懐とは…と思い辞書を引くと

(1)心中の思いをのべること。
「現在の心境を―する」
(2)〔「しゅっかい」とも〕不平・うらみ・愚痴(ぐち)などをいうこと。
「かの者―もことわりとぞ憐みける/咄本・醒睡笑」

とあります。

すべてを棄てて、生きることにこれほどまで素直になっていながらも、それでも、不平やうらみ、愚痴という念があるのですね。

(脱線)
今日、東京から雪の便りが届きました。雪を思い浮かべて、よしだたくろうが「雪」というフォークソングをつくって猫というグループが歌った一節を思い出しました。昭和47年のことです。
伊勢平野には雪は舞いませんでしたが、冷え込む1日になりましたね。

木枯らしの一日吹いておりにけり 岩田涼菟
私はこの句がとても好きです。

きっとみなさんも静かな年末をお送りのことと思います。
| 2004-12-29 22:01 | 山頭火
枯木に鴉が、お正月もすみました 山頭火

ぱらぱらと句集をめくる。冬の句はモノトーンだ。
今、私の部屋の窓から青空が見えて、隣の屋根が陽の光でキラキラしている。
でも、木枯らしが吹いて寒い。

>枯木に鴉が、お正月もすみました
>どこからともなく散ってくる木の葉の感傷
>ぶらりとさがって雪ふる蓑虫

ひとりで暮らす山頭火にとって、カラス、木の葉、蓑虫が心の拠り所だったのでしょうね。

>ぬくうてあるけば椿ぽたぽた
>あるがまま雑草として芽をふく

暗くて重苦しい句ばかりでもありません。
逞しさも感じますね。

— (昭和十年十二月二十日、遠い旅路をたどりつつ、山頭火) から引用

題して『雑草風景』という、それは其中風景であり、そしてまた山頭火風景である。
風景は風光とならなければならない。音が声となり、かたちがすがたとなり、にほひがかほりとなり、色が光となるやうに。

私は雑草的存在に過ぎないけれどもそれで満ち足りてゐる。雑草は雑草として、生え伸び咲き実り、そして枯れてしまへばそれでよろしいのである。
(以下略)

ほろほろとほろびゆく…彼の生き方。
何故、今のご時世にファンが絶えないのでしょうかね。


ちくま文庫 山頭火句集 : 草木塔「雑草風景」から

| 2005-01-09 10:34 | 山頭火
ひっそり暮らせばみそさざい 山頭火

雑草風景の続きをよむ。

>ひっそり暮らせばみそさざい
>住みなれて藪椿いつまでも咲き
>ひつそり咲いて散ります

ちくま文庫 山頭火句集 : 草木塔「雑草風景」から

鏡開きも過ぎていよいよ寒さも本格的ですね。
大寒を迎えるまでに急激に寒さが募ります。
夏、秋には緑の葉っぱをいっぱい茂らせていた樹木も冬は枝だけになってひっそりと冬が終わるのを待つ。

なあ、藪椿は元気やなー、この寒いときに花を咲かせている。
ひっそりと雑草のように生きることを思い、数々の不運を思い出すのであろうか。
あるいは、ミソサザイのように藪の中に暮らして、時に大声で啼くような人生を夢見たのか。
山頭火の気持ちは、わかるようで、わからない。
理解もできないのに句集を読んで、共感している。
自分の弱さを知っている。
そんな山頭火ファンも多かろう。

□     □■     □

─(前回の雑草風景・随筆の続き)─
或る時は澄み或る時は濁る。─澄んだり濁ったりする私であるが、澄んでも濁っても、私にあっては一句一句の心身脱落であることに間違ひはない。

此の一年間に於いて私は十年老いたことを感じる。(十年間に一年しか老いなかったこともあつたやうに)そして老来ますます惑ひの多いことを感じないではゐられない。かへりみて心の脆弱、句の貧困を恥ぢ入るばかりである。
(昭和十年十二月二十日、遠い旅路をたどりつつ、山頭火)

| 2005-01-13 16:21 | 山頭火
ほつかり覚めて雪 山頭火

山頭火は草木塔以後に「一草庵」のなかで

>ほつかり覚めて雪

と詠んでいます。大正十四年から十五年にかけて、行乞の旅に出ていますので、その旅先で詠んだのでしょうかね。

そのあとに

>転一歩
>身のまはりかたづけて遠く山なみの雪

としている。
「転一歩」とはどういう気持ちなのでしょう。

夜通し、静かに雪は降り続きます。
「山行水行」に

>寝ざめ雪ふる、さびしがるではないが

という作品があります。

しんと静まり返った早朝に、あの白きモノと出会えば、人は誰でも「転一歩」という気持ちになるのでしょう。

種田山頭火の行乞の旅はまだまだ続きます。

※立春が過ぎたら、「春篇」として別スレッドで書こうと思っています。よろしく。

| 2005-02-02 10:46 | 山頭火
category – 山頭火 2013/05/02


山頭火〔春篇〕 その2
平成17年2月から4月までの山頭火への想いです。
少し寒さが戻った日曜日。
乾かない洗濯物のあふれた部屋で一緒にパソコンに向かう。

山頭火〔春篇〕 としました。
春の山頭火の句を座右にぜひ!

>>うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火

いいでしょう、いいでしょう。
読めば読むほど、味が出る。ほんと。

わかるようになったら、少し自分が変化し始めてるってことですわ。

>きっと女にはわからない業が男にはあるのでしょうか?
>(まあ女にも男にわからない業があるのでしょうが・・)

男だからとか女だからというのもひとつの見方ですね。
私は生き方というものについては、男女それぞれの視点で見てないことが多いかなと、メッセージを読ませていただき自省している所です。

それは、私が女のような側面を持っていることがあるからかもしれません。
うちのんには、女に生まれればよかったかも…などと言われたこともあったな。

なにはともあれ

>芭蕉と比べると山頭火のほうが人間くさくて、どこか
>悟りっきっているような気がしてなりません。

随筆などを読んでいると、随分と弱音を吐いている所もあります。
何故生きているのよ、クビをくくって死んでしまえば─となじられるのではないかと、読んでる私が心配してしまいそうなときもある。

そういうところが人間臭くなるんでしょうかね。

種田山頭火のファンになったという私の友だち、皆さんが焚き火を囲んで酒を飲んでいたりしても、「山頭火はいいなあ」、と言い合うだけで特に、どういいのかとか、こういいのだ、というような言葉は出ないのですよ。

焚き火を見つめて酒を飲んで、黙っている。
きっと、似たようなことを考えているんだろうケド、確かめ合わない。

| 2005-02-20 16:31 | 山頭火
種田山頭火ファンのみなさん。こんにちは。

2005年2月23日
立春が過ぎて、雨水がきてもアップできずにいたのですけど、やっと新しいスレッドを作りました。

ふるさとは遠くして木の芽 種田山頭火
「山頭火句集」(ちくま文庫)には索引がついている。そこで「ふるさと」という言葉で始まるものを探してみると3句見つかります。

3句のうち「鉢の子」にあるこの句はなぜか私の目によくとまる。赤いボールペンで <嬉野温泉で4泊後、早岐の町へと出る途中> とメモが書いてあります。図書館で借りた本にでも書いてあったのかな。

机の上には句集のこの文庫が1冊あるだけで、山頭火の日記をいつでも読めるような環境にはないのですが、このたった1冊の句集だけを読んでいるのも飽きないもので、ここで山頭火を探り、自分を探るのです。

山頭火にとって、「ふるさと」は死んでしまった母や兄弟と同じく、もう2度と逢えないものです。自分が死んで極楽か地獄かに行ったとしても、母と巡り逢える保障も無い、遠くにあるものです。(何度も書きますが、芭蕉さんにはふるさと・伊賀というところがあったんです)

どうしたらそこに行けるのであろうか。行きたい。
こんなにまで落ちぶれて、みすぼらしい行乞となりながらも、母にだけもう一度逢いたいと思わぬ夜はなかったに違いない。

自戒を抱きながら歩き、山を越え、寒さをこらえ、酒を飲む。

春、今まで枯れ枝だった灰色の木に、小さな芽を見つけた時、彼は遠いところを思い浮かべたのでしょう。ふるさと。

| 2005-02-23 10:57 | 山頭火
山頭火句集の「孤寒」から

>だまってあそぶ鳥の一羽が花のなか 山頭火

この句は春だ!という句は意外と見つけにくくて、何を選ぶかなあ思って、ぽんと取り出したのが、

>ふるさとは遠くして木の芽 山頭火

でした。そしたら、既に【239】で昔に書いていた。私って進歩のない奴なんですな。
いつも同じようなことを書いてますね(恥ずかし)。

カラスや鳥、木の芽、花。
ひとりになって自分と対話をすると、自然界とも対話ができるようになってくる。
あそんでいる鳥は、誰だったのでしょうね。ウグイスかな。

我が家の椿の枝にはたくさんのメジロがいます。
ウグイスは、まだもう少し、さえずりが下手です。もう半月ほどすると上手に「ホーホケキョ」といえるようになるでしょう。
そうか、だまってあそんでいた鳥は、ウグイスだったのかもしれない。

| 2005-02-23 11:13 | 山頭火

春風の鉢の子一つ 種田山頭火

其中日記から。

其中庵に移り住んだのが昭和7年ですから、其中庵での初めての春のころでしょうか。(昭和8年ころ)

3月になると日差しが白くて明るくなるのを感じます。寒く凍える行乞もやっとひと段落です。
春になると目の前のモノが活気を帯びて動き出すだけでも、うきうきしますもの。
山頭火はその鉢を手にして歩いたのでしょうね、きっと。
松山市・一草庵に「春風の鉢の子一つ」の句碑があります。

道後温泉に浸かったあと、市内の案内マップを見て一草庵へと私は急ぎました。正岡子規は有名ですが、山頭火の終焉の住処であった一草庵への道を尋ねても知らない人があるほどです。

住宅街の中にひっそりと庵はありました。

昭和14年の暮れに一草庵へと移り住み、冬春夏を過ごし、秋に脳溢血で倒れて死んでしまいます。やっとたどり着いたこの庵でわずかな時間を過ごし、望みどおりにころりと往生してしまったのでした。長いようで短いような59年でした。

春になると山頭火は自作のこの句をきっと思い浮かべていたことでしょう。

| 2005-03-01 18:59 | 山頭火
かすんでかさなつて山がふるさと 種田山頭火

あすは啓蟄だというのに東京では雪が降っているとニュースが報じている。
今朝、伊勢平野では朝から雨が降っていました。

あたたかい雨です。御在所連山に冬中、白く積もっていた雪がまた少しずつ融けてゆきます。

山頭火が川棚温泉を発って其中庵へと旅をする途中で見た山には、春の雨が降りしきっていたのでしょう。

地面を濡らす雨は、春の芽を呼び起こすように、語りかけるように空から降りてくる。

山頭火はふるさとの山を春霞の中に描いていたのでしょうね。

句集では、
>春風の鉢の子一つ
の前に、

>かすんでかさなつて山がふるさと

の句があります。このうしろに、

>わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく

があります。

春の雨。
冷たいことには変わりがないけど、少し気持ちが和らいでゆくのがわかるような気がする。

| 2005-03-04 19:22 | 山頭火
春が来た水音の行けるところまで 種田山頭火

ちくま文庫「山頭火句集」旅から旅へ(P100)を開く。

>わかれてきた道がまっすぐ

旅から旅へはこの句から始まります。

昭和7年、山頭火は50歳。行乞の旅は続きます。

秋に其中庵をかまえるまでのこのころの句には一種独特の寂しさとその裏にある喜怒哀楽が滲み出ているように思えるのですが、いかがでしょうかね。

>春が来た水音の行けるところまで

数年前に、柳生の里から奈良公園方面へと、滝坂道を散策したことがあります。

早春のころで、水田に湧き水が滲み出て、ふきのとうがひっそりと顔を出していたのを見つけたときは嬉しかった。
土筆を摘む親子が田んぼのあぜ道を歩いてゆく姿が印象的でした。
靄のかかったような奈良盆地を眺めおろし「春の坂道」をゆっくりと楽しみました。

旅は、当然ながら徒歩がいいですね。朝、見上げていた峰は、夕方になっても視界からは消えない。

実際にはほとんどバイクで旅をしますが、多くのバイクツーリスト仲間は、できることならチャリダー(自転車旅人)になりたい。もっと贅沢な望みをあげれば、トホダー(徒歩旅人)になりたい、といいます。

ゆっくりとした時間の中で、山頭火は歩き続けてゆきました。

>梅もどき赤くて機嫌のよい目白頬白

メジロ、ホオジロ。
そういえば、先日、ホオジロが職場の駐車場の枝にたくさんいたぞ。

梅もどきは秋に真っ赤な実をつけるのですが、山頭火の句集を詠んだあくる日には早起きをして庭の南天に集まる小鳥を見たくなりますよ、きっと。

二日間降り続いた雨も上がって薄日が差してきています。

さて、近所の池に鴨をみに行かねば。早くしないと北に帰ってしまう…
鳥たちの4000キロの旅も、春に始まるのですね。

| 2005-03-12 09:34 | 山頭火
窓あけて窓いつぱいの春 種田山頭火

P196孤寒から。

大事な一句を忘れてました。
大きく手を広げて、空を見上げよう。
みなさん、それぞれに春を感じてください。

彼岸も近い。

山頭火句集 ちくま文庫

| 2005-03-13 08:08 | 山頭火
けふは蕗をつみ蕗をたべ 種田山頭火

彼岸が過ぎるとあっという間に春を迎えます。
窓越しに春の芽吹きを眺めていても、やはり寒さに少し尻込みをしていました。

沈丁花の匂いがそれとなく漂ってきます。

その昔、進級発表の会場に向かう途上でこの花の匂いを嗅いだら落第になる、というジンクスがある大学に通っていた方、ありませんか。懐かしいですね。

さて、
4月になれば、おもいきり散歩に出ても大丈夫。

>けふは蕗をつみ蕗をたべ 山頭火

>ひさびさもどれば筍によきによき 山頭火

みなさんのまわりの山々はいかがでしょうか。

大正から昭和の時代、春といえばやはり、街のあかりも瞬きだす季節でもあったのでしょうね。

>水をへだててをなごやの灯がまたたきだした 山頭火

活気が出て、元気がもりもりと湧いてくる。
夜寒を感じない季節になりました。

山頭火句集(ちくま文庫)から

| 2005-04-03 14:55 | 山頭火
category – 山頭火 2013/05/01


山頭火〔夏篇〕 ─その3
平成17年の5月から平成18年10月まで。

夏も近づく八十八夜…

このごろこんな歌をうたう子供たちをあまり見掛けませんね。

水田の間を駆け回って魚を採ったり、花を摘んだりしながら、近所の仲良しのお兄さんやお姉さんに魚や花の名前を教わって大人になってゆく。

こういうふうに育ちながら様々なことを学んでゆくのが本当のゆとりなんだろうと思いますけどね。

さあ、種田山頭火句集から、夏の風景を思い起こすようなものを選んでみましょうか。

皆さんも、どうぞ、ご自由に綴っていただきますよう。

| 2005-05-13 18:58 | 山頭火
けふもいちにち風をあるいてきた 種田山頭火

夏になった。お茶の緑がグイグイとのびる。

茶摘の風景を眺めるために道端に腰を下ろすと、いい香りが漂って来ることに気づく。得しちゃったね。

山頭火句集 (行乞途上) から3句選んでみました。

>けふもいちにち風をあるいてきた

風を歩く・・・か。
昔、PPMっていうフォークグループがあってね、、、って語ってしまいそうです。

>何が何やらみんな咲いてゐる

>ほうたるこいこいふるさとにきた

そうだ!
蛍ってのは、毎年、五月の末の決まった日に飛び始めるんだよ、って友達が言っていたのを思い出した。

ふるさとで見る蛍は、さぞかし優しかっただろう。
でも、山頭火さん、あなたに古里などあったのかい。。。

| 2005-05-13 19:03 | 山頭火
山頭火が井月を訪ねて木曽路を旅して、床に伏したのが今ごろの季節でした。そう思って句集を開いてみました。

・ 乞ひあるく水音のどこまで
・ 飲みたい水が音たててゐた
・ 山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる
・ 山しづかなれば傘をぬぐ

山頭火は、木曽路で病気になり、入院をし、退院後に汽車で其中庵へと戻ります。

・ まこと山国の、山ばかりなる月の
・ あすはかへらうさくらちるちつてくる

冬から春への月は、夏の月と違って高度が高い。真上まで昇っている月を見上げて52歳という年齢を思ったのではないでしょうか。

いつの間にか、冬が終わって春になっている。

| 2006-03-21 12:49 | 山頭火
・ 燕とびかふ旅から旅へ草鞋を穿く
・ 飲みたい水が音をたててゐた
・ 山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる
・ あすはかへらうさくらちるちつてくる

黄金週間に何度も旅に出た私は、四国を訪ねることが多かったのですが、この山頭火の気持ちを感じてみたくて伊那谷へ行ったこともありました。

中仙道をゆっくりと散策し、峠を越えて伊那谷へとゆく。

南アルプスの、雪を堂々と戴いた勇壮な姿を見ると、信州という密かな谷が春を迎えて本当に喜んでいるのが伝わってくるようです。

バイクを止めて、道の脇に腰を下ろすと、湧き水のせせらぎが聞こえる。
ああ、水が違う。
ゆっくりとゆっくりと旅をするチャンスを失いつつある私たち。
何故、急ぐのだろう、自問が続きます。

| 2006-04-28 12:51 | 山頭火
山頭火句集から

【雑草風景から】

・ 山から白い花を机に

其中庵で暮らす山頭火の姿が想像できます。
白い花は、何だったのでしょうか。
今なら、白いつつじかな、そう思ってみたり。

・ 伸びるより咲いてゐる

五月の風は、優しいですから、そよそよと吹けば花びらが陽炎のように揺れるのでしょう。

もう、伸びなくてもいいんだ。無理することなどないよ。咲いて、綺麗に。
そう、声を掛けてやりたかったのでしょうか。

・ 枇杷が枯れて枇杷が生えてひとりぐらし

大型連休(GW)が終わりました。(このころは、ありませんけどね)

ふと近所の畑に目をやると、枇杷が実をつけています。既に袋が被せられているものもあります。

ああ、夏が近いと感じます。
山頭火も、きっとそう思ったんだろう。

やがて、この実をもぎ取っていただき、葉が落ちて、冬を迎えるのですが、初夏になると、また実をつける。

ひとり暮らし。いつまでも。

| 2006-05-17 12:34 | 山頭火
梅雨入りをして数日が過ぎた。
晴れる日もあれば、じめじめとした日もある。
人にはそれぞれのなりわいがあって、雨を喜ぶ人もあれば恨めしい人もありましょう。

晴れの週間予報が出ていたので、きょうこそはと期待していたのですが、朝から渋々と雨が降っています。

いかにも梅雨らしい。

本棚から、いつも一冊だけ取り出したまま、机の片隅に置いてある山頭火句集。

音もなく静かに雨が降る休日には、いかにもこの句集はふさわしい。

熊本で路面電車を急停車させたのが四十二歳、その明くる年に出家。
そして
山頭火、四十四歳。大正十五年のことです。

【鉢の子】から

・ 分け入つても分け入つても青い山
・ しとどに濡れてこれは道しるべの石
・ 炎天をいただいて乞ひ歩く

句集の冒頭に出てくるので、誰でも一度は目にする句です。
はたして、夏の句なのかどうか、わかりませんけれど、、、、。

梅雨の合間か、梅雨明けころに旅をすると、山が元気にざわめいて、沢が有り余るほどの水を滝のように落としているのに出会います。

自然は生き物で、山も語りかけてくるものなのだという体験ができる季節でもあります。

優しい顔と、厳しい顔。
自然の中で、
力を抜いて生きてゆくときの自分。

句の中で
そういう自分の美しさを
誉めているようにも思えてくる。

彼がこの句を詠んだときに、これから十四年ほど続く自分の人生をどれほど予感したのでしょうか。

旅は、まだまだ続きます。

| 2006-06-11 09:18 | 山頭火
きょうも暑いですね。
京都・祇園祭はきょうが宵山です。

僕たちが若いころには円山音楽堂で「宵々山コンサート」ってのがあってね。遠くに住んでいたし子どもだったので行けませんでしたが、暑い夏にピッタシの音楽の祭典でした。みんな、貧しかったし、モノを持っていなかったからね。

ほんとうの有り難味であるとか、楽しみというものをきちんと感じ取っている時代だったな。

さて、
山頭火のコミュに書き出したものを、いかに貼っておく。↓
わたしはバイクツーリストですが、同じようにバイクで旅をする人の仲間たちに種田山頭火のファンが多いので驚きます。

ひとりで旅をする人の心は、やはり孤独であり、山頭火も孤独だったということで、言葉にならないような共感を彼の句から授かるのでしょうか。

まもなく梅雨が明けますね。

どんなにジメジメした梅雨が、何日も続こうとも、必ず梅雨は明けます。
その鬱憤のようなものを晴らすかのように、七夕のころに雨が降ります。

・夕立が洗つていつた茄子をもぐ

これは、いつごろに詠んだのですかね。
今頃の季節かもしれないな、と思ったりしてます。
ただ、この句は、あまりにも普通の句ですね。
すごく好きです。

・へうへうとして水を味ふ

旅は、渇きを癒すもの。
水も喉を潤すもの。
暑くて苦しい旅でも、自分で好んで旅に来ているのに、疲れることがある。
自分との対話も尽きた。
さあ、この山の中で、何処を目指そうか…と考えたときに湧き水があった。

・まつすぐな道でさみしい

山頭火は、バイクではなく徒歩ですから、バイク以上に寂しい思いをしたんでしょうね。
バイクだって、寂しい。
動物でも構わないから出て欲しい。(熊は困るが)

寂しいねと話をしあう人が欲しい。

・やつぱり一人がよろしい雑草

行き着くところは、ひとりですよ。
人を不信になったりするわけじゃないけど、結局は自分が美しく生きてゆくことが、美しく生きている人と出会えるチャンスを生むんだろうと思う。

失望したときに、
幾重にも連なる峰とそれを縫うように続く峠道を眺めていたあとに、ふと足元の雑草に目をやると、ふふふと笑われたような気がした。

センチメンタルジャーニーは、もう終わりにしなさい、って。

| 2006-07-16 19:23 | 山頭火
どこまでも、ひとり (「山頭火句集」(ちくま文庫)をよむ)

夏の、暑さの盛りを歩いた句は少ないか。

感情は、秋でも冬でも同じなのだろうが、

しかし、秋のほうが感動がストレートに出て
また、冬のほうが痛みが切実なのかもしれない。

・ 日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ
・ 炎天かくすところなく水のながれくる

山行水行から
この2句のあとは秋の句のようだ。

日没時間が、日に日に早まってきているのがわかるこの頃、月を眺めても夕空を見上げても、秋が近いのだとしみじみと思う。

・ 蚊帳へまともな月かげも誰か来さうな

蚊帳が出ているので夏なのだろう。けれども、月の明かりの物寂しさもあるのだ。

・ 糸瓜ぶらりと地べたへとどいた

夏休みの思い出だが
子どものころに庭で糸瓜(ヘチマ)を作った。
大きくなってくれると嬉しい。

でも、夏休みも終わりが近いのだ。

地べたに届いたヘチマは、その後、どうなるのだろうか。
秋が迫っている。

嬉しいのか。かなしいのか。
山頭火は、どこまでも一人なのです。

| 2006-08-25 21:00 | 山頭火
きょうも、山頭火句集をひらく

このごろは涼しい自然の風が吹いてくるので
部屋にいてもご機嫌です。

山頭火句集を読んでおりました。

うしろすがたのしぐれてゆくか

この句は私の今の歳で詠んでいるんだと改めて知り、
山頭火の最期までのその後の10年と
私のこれからの10年を
頭の中で並べている。

こおろぎが鳴いている。
おっ、鳴き止んだ。

| 2006-09-04 22:00 | 山頭火
お茶の花

満月の夜が近づいている。

このころになると毎年決まって、山頭火の命日が近づいていると思う。

そして彼の歳にひとつずつ歩み寄ってゆくのだ。

きのうの朝、職場の前に広がる茶畑で花が咲いているのを見つけた。
茶の新芽が出たら喜び、茶摘みの人の姿をみては、空気の綺麗なことに感謝する。

ほー、お茶の花って今ごろ咲いたのか。そう感じ取りながら、季節感を失ってゆく自分を、自分たちの変わりつつある生活スタイルを恥ずかしく思った。

・ 萩ちればコスモス咲いてそして茶の花も

句集をぱらぱらとめくると、秋から冬のものが目立つ。春や夏が少ないのではなく、山頭火がつぶやく姿が、秋や冬の静けさに合うのかもしれない。

子どものころ、満月の晩に母が団子を作ってくれた。米粉で作った味のない、ただの団子だった。

あの時代であるから新米が収穫できてその祝いにというような民俗学的な考察もできようか…と思ってみたが、40年前の稲刈りは今よりもほぼ2ヶ月も遅い10月半ばころだったことに気づき、米粉は古米になる手前のもだったのだろうか、と推測を改めた。

古米を一粒も残さず新しい年を迎える、という昔の人の精神を忘れてしまった現代人には、およそ理解できない風習なのかもしれない。

秋は、かなしい。
しかし、

・ もりもりもりあがる雲へ歩む

という句もよむ。

いつか、大空から地上を、蕪村のように見下ろしたいと願っていたのかもしれない。

| 2006-10-04 20:59 | 山頭火
category – 山頭火 2013/04/30


続・山頭火句集 [山頭火その4]
平成18年の秋から平成20年の秋までに書いた記事で、全6回のうちのその4です。
私の子どもは、平成になる1年前に生まれています。
そして高校に進学する直前に私は会社をやめています。
苦しいときだったと思います。
ムスメは私学でしたし、私には仕事もなく、生活に余裕はなかった。
秋の夜が更けてゆく 山頭火句集を読む

ちょうど中秋の名月のころにこの前のメッセージを書いたのか。
命日が近かったのでそれなりにしんみりと読んでいた句集であったが、山頭火の心は想像できない。

「私は長い間さまようてゐた。からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。在るべきものに苦しみ、在らずにはゐないものに悩まされてゐた。そしてやうやくにして、在るものにおちつくことができた。」

旅から旅へ、のなかでこう書いている。

人は、さまようことに憧れを感じるのだろうな。だから、山頭火のようにさまよいたいのだろう。

悲しいものを悲しくみつめ、ささやかなる喜びを子どものように喜ぶ。人間を悪人と思うことなく、自分を見つめる。時には厳しく、時には情けなく、自分を見る。
雑草風景から
・柿が赤くて住めば住まれる家の木として
・みごもってよろめいてこほろぎかよ
・日かげいつか月かげとなり木のかげ

この秋の最後の満月が終わって次第に欠け始めている。
冬至を迎えた日に木枯らし一番が吹いた。

山頭火がいただく酒の杯にも月の明かりが差したのだろう。
寒さを感じながら、冬を想像したのだろうか。

何を見ても優しい視線が、この三つの句にも表れている。

秋の夜が更けてゆく。
月が天を横切り、寒さが襲ってくる。

| 2006-11-08 22:25 | 山頭火
「山頭火句集」(ちくま文庫)をよむ

最近、「パソコンの部屋が寒いので、落ち着いて書けないから」、という言い訳で、ここへの投稿をサボっていました。そろそろ復帰したいのですが。

人間と言うのは、、、、
追い込まれないと美しいものや芸術的なものを作り出せないことがあります。
少し弛んでいると山頭火をよんでもよみ流してしまう。
だからと言って山頭火をよめば蘇るものではない。

常に、自分に奢ること無く暮らす。
山頭火と共に歩めることは、自分の不幸の一端でもあるのですが、それはすなわち幸せでもあると思っています。

山頭火句集をよむ。
こちらに参加してくださるかたがたがあるということは、ありがたいことです。
人それぞれ感じ方が違いましょうが、響けば同じです。

また、近日にでも再開したいです。

| 2007-01-18 09:32 | 山頭火 |
続・「山頭火句集」(ちくま文庫)をよむ

秋の夜長に山頭火句集を開いてから、幾日も閉じたままであった、というわけではありませんでしたが、少しお休みをしてました。ちょっと、鑑賞するのにいい時期を逃しましたか。
【雑草風景から】

・枯木に鴉が、お正月もすみました

山頭火は、カラスを優しい目で見つめている。
あの鳴き声に、哀愁のようなものを感じるのか。
カラスの孤独を察しているのだろうか。

静かに秋が暮れ、年が暮れていった。

・冬がまた来てまた歯がぬけることも
・噛みしめる味も抜けさうな歯で
・霽れて元日の水がたたへていつぱい

冬の凍てつくような寒さを嘆くとか、弱音を吐くような句は一切見当たらない。

ただ、寂しい。
ひとりとは、こんなものか。

そう嘆くような気配があるだけで、彼は強い。

・ひつそり暮らせばみそさざい

さあ、気を取り直して、まだまだ頑張るぞ。
そんな感じもします。
寒い冬の京都の朝。天竜寺の修行僧が「うおぉー」とうなって各家の玄関前を回っているのに出会うことがありました。

山頭火も、生きねばならないし、修行もせねばなりません。
冬に弱音は吐けなかったのだ。

・ぶらりとさがつて雪ふる蓑虫

弱くなった心で見つめる目と、自分を厳しく戒める目とで、優しく見つめている。

もうすぐ春が来ることを感じ取っている句のように思えます。

| 2007-01-22 22:14 | 山頭火 |
水音の行けるところまで

雨水が過ぎて、三日月が次第に太り始めている。

きわめてあたりまえのことだが、立春を過ぎれば春が間近に迫り、月が欠け、そして月が満ちてくれば、弥生・三月もまもなくだ。

寒く冷たいこの季節に、山頭火は井月の墓参を思い立ち伊奈谷へと向かっている。昭和九年。五十二歳。
『草木塔』 旅から旅へ  から

・春が来た水音の行けるところまで

さあ、木曽路から伊奈へと旅立とうという山頭火の心をこれほどまでに表した句が他にあろうか。

・乞ひあるく水音のどこまでも

春なのだ。水が勢いを増して迸っている。そのことを山頭火は知っている。

歩き疲れても歩くしかない。そういう人生を選んだ自分に、時には優しく、時には厳しく、しなければならない。

木曽路まで、まだ歩かねばならない。

木曾路 三句

・飲みたい水が音たててゐた

・山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる

・山しづかなれば笠をぬぐ

木曽の春は、おそらく、静かで温もりに満ちた春だったに違いない。
鳥が啼いて、山がざわめき、雲が流れている。

そこには、待ちに待った春が来ている。

景色が、迫ってくる。
山頭火が居る。
歩いているのが見える。
皆さんにも見えるでしょう?

| 2007-02-22 22:06 | 山頭火 |
続「山頭火句集」(ちくま文庫)をよむ

きょうは、其中一人を読む。

冬と思われる句は少ないような気がする。
実際にどうかはわからないが、山頭火の冬の句はひっそりとして目立たないから、というのも理由のひとつかもしれない。

・雪へ雪ふるしづけさにをる

其中庵にも雪が降るのだろう。
比較的暖かいところだから、しんしんとではなく、ぼたん雪が静かに降っているのか。
春が間近ということか。

まさに、一人なのだ。

・雪ふる一人一人ゆく

何をしても、一人。
其中に居ても、何処かにゆくにも一人。

ぼたん雪が蓑に積もる。それを払うこともなく歩く。
山里に人影などなく、日が暮れて夕闇が迫る。
雪明りの中を歩く。

寒さが伝わってくるようだ。

・あるけば蕗のとう

山頭火が歩くと、そこには春がある。
氷が溶け出し、水が湧き出て、蕗のとうが芽を出す。

同じ春を見ても、歓びは人それぞれだ。
蕗の黄緑が目に浮かぶよう。

・音は朝から木の実をたべに来た鳥か

春は、実が成るというより新芽の季節だ。

先日、日記に「ウソ」の写真を載せたが、きっとこの鳥はウソに違いない。
桜のつぼみをついばみに来ているに違いない。
そんな様子を思い浮かべてしまう。

山頭火はこの鳥のさえずりを寝床で聞いたのだろうか。

・こころすなほに御飯がふいた

春の句かどうかはわからないが、寒々とした台所の風景を思い浮かべてしまう。
子どものころは、台所といえば土間で、その真ん中に煙突があって大きな竈があった。
その竈の御飯が吹き上がるのだろうな。

分厚く重い木の蓋の隙間から白い湯気が吹き上がる。
しゅー、ぼこぼこと音がする。

春は、新芽を食べるのが美味い。
味はうす味でいい。
味噌が少しあれば、あとは炊き立ての御飯が美味い。

| 2007-03-01 22:18 | 山頭火 |
(2005/02/23) のメモと書いている。

ふるさとは遠くして木の芽 種田山頭火

「山頭火句集」(ちくま文庫)には索引がついている。そこで「ふるさと」という言葉で始まるものを探してみると3句見つかります。

3句のうち「鉢の子」にあるこの句はなぜか私の目によくとまる。赤いボールペンで <嬉野温泉で4泊後、早岐の町へと出る途中> とメモが書いてあります。図書館で借りた本にでも書いてあったのかな。

机の上には句集のこの文庫が1冊あるだけで、山頭火の日記をいつでも読めるような環境にはないのですが、このたった1冊の句集だけを読んでいるのも飽きないもので、ここで山頭火を探り、自分を探るのです。

山頭火にとって「ふるさと」は死んでしまった母や兄弟と同じく、もう2度と逢えないものです。自分が死んで極楽か地獄かに行ったとしても、母と巡り逢える保障も無い、遠くにあるものです。
(何度も書きますが、芭蕉さんにはふるさと・伊賀というところがあったんです)

どうしたらそこに行けるのであろうか。行きたい。
こんなにまで落ちぶれて、みすぼらしい行乞となりながらも、母にだけもう一度逢いたいと思わぬ夜はなかったに違いない。

自戒を抱きながら歩き、山を越え、寒さをこらえ、酒を飲む。

春、今まで枯れ枝だった灰色の木に、小さな芽を見つけた時、彼は遠いところを思い浮かべたのでしょう。ふるさと。

| 2007-03-09 23:52 | 山頭火 |
(2005/02/23) 改
とメモには書いています。

山頭火句集の「孤寒」から

>だまってあそぶ鳥の一羽が花のなか 山頭火

この句は春だ!という句は意外と見つけにくくて、何を選ぶかなあ思って、ぽんと取り出したのが、

>ふるさとは遠くして木の芽 山頭火

でした。そしたら、既出でした。お気に入りは何度でも無意識に選んでしまう。

カラスや鳥、木の芽、花。
ひとりになって自分と対話をすると、自然界とも対話ができるようになってくる。
あそんでいる鳥は、誰だったのでしょうね。ウグイスかな。

我が家の椿の枝にはたくさんのメジロがいます。
ウグイスは、まだもう少し、さえずりが下手です。もう半月ほどすると上手に「ホーホケキョ」といえるようになるでしょう。
そうか、だまってあそんでいた鳥は、ウグイスだったのかもしれない。

| 2007-03-10 00:09 | 山頭火 |
(2005/03/01) メモから

◆ 春風の鉢の子一つ 種田山頭火

其中日記から。

其中庵に移り住んだのが昭和7年ですから、其中庵での初めての春のころでしょうか。(昭和8年ころ)

3月になると日差しが白くて明るくなるのを感じます。寒く凍える行乞もやっとひと段落です。
春になると目の前のモノが活気を帯びて動き出すだけでも、うきうきしますもの。
山頭火はその鉢を手にして歩いたのでしょうね、きっと。
松山市・一草庵に「春風の鉢の子一つ」の句碑があります。

道後温泉に浸かったあと、市内の案内マップを見て一草庵へと私は急ぎました。正岡子規は有名ですが、山頭火の終焉の住処であった一草庵への道を尋ねても知らない人があるほどです。

住宅街の中にひっそりと庵はありました。

昭和14年の暮れに一草庵へと移り住み、冬春夏を過ごし、秋に脳溢血で倒れて死んでしまいます。やっとたどり着いたこの庵でわずかな時間を過ごし、望みどおりにころりと往生してしまったのでした。長いようで短いような59年でした。

春になると山頭火は自作のこの句をきっと思い浮かべていたことでしょう。

| 2007-03-10 21:58 | 山頭火 |
(2005/03/04) メモから

◆ かすんでかさなつて山がふるさと 種田山頭火

あすは啓蟄だというのに東京では雪が降っているとニュースを報じている。今朝、伊勢平野では朝から雨が降っていました。

あたたかい雨です。御在所連山に冬中、白く積もっていた雪がまた少しずつ融けてゆきます。

山頭火が川棚温泉を発って其中庵へと旅をする途中で見た山には、春の雨が降りしきっていたのでしょう。

地面を濡らす雨は、春の芽を呼び起こすように、語りかけるように空から降りてくる。

山頭火はふるさとの山を春霞の中に描いていたのでしょうね。

句集では、

>春風の鉢の子一つ

の前に、

>かすんでかさなつて山がふるさと

の句があります。このうしろに、

>わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく

があります。

春の雨。
冷たいことには変わりがないけど、少し気持ちが和らいでゆくのがわかるような気がする。

| 2007-03-10 21:59 | 山頭火 |
春の雪

・この道しかない春の雪ふる

山頭火には自由に選ぶことの出来る人生の手段など何ひとつなかった。この道を行くしかない。非情にも春であるのに深深と雪が降る。

そんな風景を思い浮かべます。私の勝手な想像です。

初期のころの句ですね。山頭火という人が行乞の暮らしを始めて開眼をしてゆく様子を、作品を通じて感じることがあります。

私は文学者ではありませんのでそういうことを論じるに至らないのですが、私なりにそういうものに触れると嬉しくなります。

(出身は電気通信工学ですが、もしも文学を選んでいても、山頭火など振り向かなかったのではないかと、想像してます。)

| 2007-03-10 22:06 | 山頭火 |
秋に逝く

すっかり筆を置いてしまっていた。半年が過ぎたことが早かったのに驚くのだが、妙にそのことが残念にも思える。時間経過を愉しんでいるようで怯えている自分がいる。

昭和15年10月11日午前4時(推定) 心臓麻痺と診断。
山頭火は、コロリと逝ってしまう。

秋が少しずつ深まる季節に、

夕焼雲のうつくしければ人の恋しき  山頭火

と詠んだ。人生が乱れてからも、様々なところを歩き、人に感謝し、人に恵まれ、あるときは励まされてきた。

一草庵に来てからの幸せは、

| 御飯のうまさほろほろこぼれ  山頭火
| おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて  山頭火
| もりもりともりあがる雲へ歩む  山頭火

の句にわかるよう、後年になってからも山頭火の持ち味を出している。
山頭火句集の最後の章である「一草庵」を読むと、自分の死を予期しない山頭火が垣間見られる一方で、死の覚悟が見えるところが悲しい。

昔、一草庵を訪ねたときに、あの庵の前を流れる小川を見ながら、思ったことは、山頭火もこの川の水の流れを眺めながら日々を過ごし、

濁れる水の流れつつ澄む    山頭火

の句を詠んだのだろう、ということだった。

まさか、その秋に頓死とするとは夢にも思わなかったのではないか。

いや、酔い果ててしまったあとにも、あの句のように、澄みを取り戻す水の如く蘇えろうと夢を見ていたのだろうか。

秋に逝く。

私も、秋に逝きたい…と思った。

※作品引用;山頭火句集(ちくま文庫)から

| 2007-10-16 11:37 | 山頭火 |
夏の句 山頭火句集をよみながら

夏の句を探しにゆく。
今夜も「山頭火句集」を読む。

どのようなものが見つかるのか。
現代のせっかちに反発しながら、
夜を過ごす。
夕立が洗つていつた茄子をもぐ

こいつはそらんじてて、いつでも出てくる。
夕立の季節が来ると嬉しい。
でも暑い夏は嫌だ。
「草木塔」、旅から旅へ。

この項の最初の句が

わかれてきた道がまつすぐ

です。

月も水底に旅空がある
柳があつて柳屋といふ涼しい風
みんなたつしやでかぼちやの花も

と続く。
夏の句、と思うとなかなか見つからない。

秋に苦しみ、冬に凍えて暮らした人だから
そういう季節の句が、目立ってしまう。

暑い夏にも
きっと、
オロオロと歩いたはずだ。

ここでとりあげた句には、弱音はない。

| 2008-07-09 08:11 | 山頭火 |
笠にとんぼをとまらせてあるく

いや、そんな句を思い出しました。

日が暮れると、

風がすーっと吹いてきても、それは秋の気配ですね。
虫も鳴いていましたし。

夏の句は少ないようですが、秋の句は多いですね。

| 2008-08-19 21:47 | 山頭火 |
歩きつづける彼岸花咲きつづける

あれよあれよという間に秋がやってきます。
私の住む平野では稲刈りが始まっています。

彼岸花が咲いたら、奈良県の吉野から明日香へと越える名もない峠の麓の集落に彼岸花が綺麗に咲くところがありまして、地味な花だけに人々が集う様子とその花を見に行ってこようかと思ってます。

明日香は、素朴です。

川原寺と橘寺の間の芝生公園は、時代とともに俗化されてきていますが、そうは言っても、あの時代を髣髴さてくれます。

聖徳太子の馬の蹄の音が聞こえてくるようです。
表題の句は、種田山頭火。鉢の子から。
昭和4年、山陽地方。 そう赤ペンでメモってある。

| 2008-08-23 21:51 | 山頭火 |
ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯

これは山頭火が52歳のときの作品らしい。(昭和10年)
鉢の子。(第3句集)「山行水行」のなかにあります。

この52歳というのが何とも神妙です。

あふれる湯。
それを聞いただけで、「ちんぽこ」を連想できる。
歓び。

どこの温泉でしょうかね。
川棚温泉かな。
昭和9年に木曽路を旅しているが、そのあたりだろうか。

この句の前には「千人風呂」と前書きがあります。
どこだろうね。

諏訪まで行ったのかな。

| 2008-08-31 20:36 | 山頭火 |
秋は、何故か。

歩きつづける彼岸花咲きつづける

この句は、学校で習うみたいです。
子どもたちに山頭火がわかるんだろうか。

「柿の葉」の項をひらく。

山頭火は、昭和十年暮、旅に出ています。

大阪、京都、伊勢、鎌倉、東京、甲州路、信濃路。
その後、新潟、平泉。永平寺を経て其中庵へ。

「柿の葉」は第五句集で、このときの句が多い。

いつまで生きる曼珠沙華咲きだした

おそらく、この真っ赤な花が咲きだすのは今の時代とほとんど変わりが無いだろう。
数々の人に歌われ、美しいと言われたり、嫌われたり。

寿命は意外と短く、秋が深まるころには赤い花は落ちてしまってない。

鎌をとぐ夕焼おだやかな

夕焼けがきれいなのことは、誰もが感じることで、彼はその空が綺麗だとか美しいとは言わない。
わかっているからだろうか。
この時期に空を見上げれば、必ず鮮やかな空に巡り会える。
あっという間に夕暮れが早まってゆく毎日のなかで、いつもいつも夕焼けが綺麗だ。
このまま、ずっと一年中、秋ならいいのに。
稲刈りのころ、いつもそう感じたものだ。
そんな稲刈りの風景もすっかり変わってしまった。

吹きぬける秋風の吹きぬけるままに

どうしてなのでしょうね。
秋の風は私がどんなに怒っていても爽やかに吹き抜ける。
もしかしたら、悲しかったとしても、優しいのかもしれない。

| 2008-10-05 23:37 | 山頭火 |
ひよいと四国へ晴れきつてゐる

1939年の秋。
山頭火は四国へと渡り、松山、一草庵にすむようになる。

この句は、「四国遍路」の最初の句で、いかにも青い海が目の前に広がる様子がわかる。
人は
何事においても
さり気なく、ひょいと
やってのけることが出来れば大したものだ。

飄々と、生きているわけではないのだが
そんな苦しみや哀しみを覆い尽くすように
飄々と、生きているように見える。

四国に渡って、1年後。
1940年の10月。

コロリと逝く。58歳。

もりもりもりあがる雲へ歩む

いつまでも
歩いている姿がよく似合う。

| 2008-10-06 23:27 | 山頭火 |
category – 山頭火 2013/04/30


山頭火のこと [山頭火その5]
山頭火のこと

このようなタイトルを書いているが、「その5」にあたる。
読み進んでみることにしましょう。
平成28年の日付がある。

ちくま文庫の「山頭火句集」( 村上譲編) を持って和歌山から徳島へとゆく船に乗りました。
平成九年、ゴールデンウィークのことです。

真っ青な海の向こうに淡路島が見える。
山頭火句集の「ひよいと四国へ晴れきつてゐる」の気分で四国の旅が始まりました。

こ の年のゴールデンウィークの第一の目的地は、山頭火が最期の庵とした一草庵(松山市)です。バイクの後部座席にはキャンプ道具を満載しました。そしてツー リングバックに山頭火句集を丁寧にしまった。句集は何処へ行く旅であっても、いつでも必ずバックに入れて持ち歩いてきたものです。

「ひょいと四国へ」

山頭火は昭和十四年の秋に広島県宇品港から、そして私は平成九年の春に和歌山港から出帆しました。半世紀以上の隔たりがあっても、海も、晴れきった空も真っ青でした。

私と種田山頭火の出会いは、ちょうど今から十年程前です。何かの書評の片隅に書かれていた句集に興味を持ち、田舎では容易に入手できず意地になって京都まで探しに出かけて買い求めたことが始まりでした。

教 科書通りではなく俳句と呼ぶにはちょっと変で、意味もよく分からないし、感動さえなかったというのが第一印象です。しかし、魅せられるだけの理由がそこに はあった。生きている吐息のようなものです。必死に生きていることを決して表面には出さず、また大きく悲しむわけでもない姿。日々、立ち止まってあらゆる ものを見つめ返す。そうした生き方のなかに、人々の暮らしを素朴に捉えて放さない言葉や自然を見つめる眼差しがありました。

「分け入つても分け入つても青い山」
「うしろすがたのしぐれてゆくか」

こ れらに代表されるように、感じたことを直球勝負でぶつけてくる。五七五という理屈を見事にかわして、肝心な部分を突いてくる。山頭火の自由は、我儘、勝手 というものではなく、五七五であるべきとする規律に対してその書式に囚われない作品を詠むことです。漂泊、行乞の俳人と呼びますが、言葉が放つ美的なイ メージなど実際には無く、流浪の果ての乞食だったと想像します。孤独で寂しい一人旅を続ける人生。死のうとしても死にきれなかった過去や辛い毎日、修行の 日々がまだらになっていたのだろうと感じました。句集をぱらぱらとめくりながら私は、数々の句が織り成す大きな波動のようなものを発見します。そのため息 のような自由律に、揺るぎないパワーを感じたのです。

「うしろ姿のしぐれてゆくか」

日本画家の池田遥邨が画いたことでも 有名です。二十一世紀になって山頭火に触れる私たちも、実はいつも一人で、ときには寂しさを感じ、社会の軋轢を背負わされ、あるときは、逃げ出して放浪の 人生となってみたいと思っているのかもしれない。だから、漂泊の旅に憧れて、スケッチブックやカメラを持ち、遠く見知らぬところへとあてもなく旅を始める のでしょう。「まつすぐな道でさみしい」と感じながら。

四国はお遍路さんの島ですから旅人を迎える視線がとても優しい。

「どうして一人旅なんですか?」
「山頭火みたいになりたい…」

私も放浪の旅人を気取りたくなって一草庵に辿り着くまでに少しばかり道草を食いました。一草庵はひっそりとしていました。目立った建物でもなく、派手な案内があるわけでもなかった。質素な佇まいを味わいながら無言で庵の周囲を私は歩き回りました。

「濁れる水のなかれつつ澄む」

彼が逝く一ヶ月前、自分の人生を樋又川の流れに感じて詠んだという。そのせせらぎに川藻が揺れています。向こう岸の道路を車や自転車が通り過ぎてゆきます。一草庵の玄関先にある記念スタンプを句集の裏表紙に押して、私は惜しみながら庵を去りました。

| 2006-04-15 22:22 | 深夜の自画像(詩篇)
category – 山頭火 2013/04/29


お茶の花が咲き始めましたね [山頭火その6]
山頭火のことを徒然に書き始めて時が少しずつ過ぎていた。
2004年(平成16年)
あの頃、私はどんな人生を描いていたのか。
40歳代の未熟?な自分を50歳代から見つめなおしてゆく。
最後に| 2004-11-30 23:55 |と貼っている。
深まる秋に想いが広がったのではなかろうか。
原文を貼っておく。
今日は、4句

茶の花のちるばかりちらしておく
いつしか明けてゐる茶の花
冬が来てゐる木ぎれ竹ぎれ
こころすなほに御飯がふいた

山頭火は、昭和7年から山口県小郡町の其中庵に住みます。
その佇まいは今でも当時の様子を再現して公開されています。

わたしは1度だけ訪ねることができました。山口は遠かった。
四国・松山市の一草庵に寄ってから行きました。

どちらの庵も観光客の姿などほとんどなく、わたしが独り占めできました。
何もすることなどないので、狭い庵をウロウロと歩き回るだけで贅沢な時間を過ごしました。

山頭火句集 其中一人  ちくま文庫から
| 2004-11-30 23:55 | 読書系セレクション |
category – 山頭火 2013/04/29


2013年4月30日 (火曜日)

【お知らせ】

種田山頭火のこと

むかし、種田山頭火のことをかき続けたことがありました。

そのひとつのカテゴリーとして「山頭火」が存在しました。もう、昔のことなので、読んでみても面白みがないのです。しかし、それなりにそのころの自分の気持で書いているので、私のために少し手を加えて残しておこうと思います。

そこで、FC2にブログを作ったので、移動することにします。
こちらのブログのカテゴリは、カテゴリー名だけ残し、本文は抹消します。

++

山頭火の記事を読むのは現代です。今の視点です。

当時の日記を読んでみても、何を書こうとしていたのか、今のわたしでもわからなくなりつつある。

少し加筆できたらいいなあ、と思っています。
でも、あのときの思いに今の気持ちを書き加えるとアンバランスになってしましますから、このままのほうがいいかも知れれません。

++

時代は巡って現代です。

昔あるとき山頭火を読んだ人のなかに、こんな奴がいたのだとお伝えするだ

2013年4月30日 (火曜日) 〔山頭火〕


2014年11月 3日 (月曜日)

山頭火に惹かれて、この人の姿に重ねてわたしも一人旅に出て、雨風を肌身で感じ、暑さ寒さを嘆いて、一筆書きでは辿れない複雑な足跡に、人生のもつれを感じながら走り回った時代がありました。

しかし、あの頃を振り返ると、それは幸せが幾らかまだ底の方に残っていたからこそ、どん底を共感できたのっではないか、とあとで思うようになってきました。そして、あれはささやかな幸せの中での一時的なセンチメンタルであり、ある種の錯覚のようなものであったのかもしれないとも思えてくるのです。

そんなことを思うのは、何年もあとになってからです。夢中になれた時期はわたしにすれば人生の頂点のころだったし、ゆく道は逃げ道しかなかった。

あのころは世の中には実は途轍もない恐ろしいほんとうのどん底というものがあるのだということなど知らなかった。

今のわたしはかなりどん底に近いところにいるのですが、まだもう少し下に隙間がある。そのスレスレにまできてみると、あの頃はまだ豊かであって、ど ん底には見向きもしなかった。そんな上からにやや近いところに居られたから心酔できたのではないかと、後になって気づくのです。

だから、山頭火を読んで惹かれて心酔している人には、まだ僅かほどのゆとりがあって、その豊かさの余裕は幸せなことなのだ、と思うのです。つまり、共鳴できることは余裕があり幸せだということで、そのことに感謝をしなくてはならないのだと思うのです。

確かに、文学というのは、とことん貧しく酷い暮らしの環境で生まれてくるものがあります。反対にこの上ない豊かさに育まれてくるものもありますが、 山頭火もまだ(あんな状態であっても)とことんではなく、最低限度に共鳴できるところあたりにいてくれたのかなとも思います。(つまり、ゼロではなかっ た……)

山頭火のブームが沸き起こる中で、そういうどん底ではないすれすれのどん底を、例えば現代社会がどれだけ理解しているのだろうか。都合のいいように、味付けして飾り付けてお洒落にしてはいまいか。そう考えると、すーっと覚めるようなものが脳味噌のなかを走るのです。

それは、どんなジャンルのどんな作品にもあるのだろうし、どんな業界にも似たようなことはあると思いますので、クールに見ればいいと思うものの、近頃、山頭火を読むと、飽和して頂点にある現代社会に、いいとこ取りにも似た扱われ方でどん底のようなものとして見られ、少し寂しいなあと思ったりしています。

幸せってのは、やはり、どん底を知っている人であればこそ感じ取れる点があります。豊かな社会に中の温もりの中で暮らしている人たちに、いったいどこまで山頭火が理解できているのか、と思いながら、このごろ冷静に山頭火を見られるようになった自分のほうが、あのころより遥かに山頭火を理解して、調度よい距離をおいて読めるようになったな、と感じるのです。

2014年11月 3日 (月曜日)
〔山頭火〕

夏の風

リンク切ればかり
ざわざわする


夏の風

私は、回想 (千夜一夜・その225)を書いて、ものがたりの終わりの姿を探っている。

しかし、このものがたりも終りがあるようでないような、つまり、ものがたりとしても面白みのないところをグルグルと回っている。

それは、私の心に原因があるのだ。

あいつなんか嫌いだと言いながら、ひとたび会えばすべての憎しみを忘れ、何ヶ月も会わないでいてもその幻のような魅力だけを見続けていられる。

五弁に咲いた紫の花を見てあの人の後ろ姿を思い出し、ツツジの香りが風に吹かれて来ることに驚かされたりしつつ、優しい眼差しで海を見下ろしていたあの人の横顔を脳裏に蘇らせている。

夏が似合うあの人だから、私には初夏の夜が苦しい。

みかんの花が咲いて甘い香りを漂わせる山へ、風になって舞い降りたい。

会いたい。

シュール 2013/05/10


▶ 森へ

眠りの浅い夜が終わっていった
その明け方の白い光。

瞼がフラッシュするようで
私は再びドラマに引き込まれてゆく。眠れぬ夜だからこそ
私はあの日の森に帰ってゆける。

花が咲き、森が匂いを振舞い始めると

ざわざわと心が騒いだ。好きだと言い出せない時間が過ぎてゆく。

シュール 2013/05/10


▶ ムラサキ

ムラサキが好きだと言ったあの人の唇が紫、熱く

シュール 2013/05/01


▶ 見つめる

ほんの数秒でいいから
あなたのことをじっと
見つめていかったのだ。

シュール 2013/04/30


ア・ラ・カルト
【銀マド】から

▶ 最後に

ごめんな
さよなら

ありがとう

おしまい

Tags:未練 強がり
| 2010-05-19 10:09 | ア・ラ・カルト |


▶ 告白

打ち明けてしまうと、
思わぬ展開になってしまうこともあるし。

ああ、これなら気持ちを伝えるんじゃなかった、と
悔むことがあるけど、

1回きりの勝負だし、
熱くなったらどんな風になるやらわからないもんな

| 2010-05-19 09:53 | ア・ラ・カルト |


▶ 化粧なんて

もともと化粧は嫌いで、
化粧の女性も好きじゃなかったくせに、
ある人の場合は
それが少し強めの化粧でも
好きになってしまっていたということ。

そういうことってあるよね。

夜遊びをしたあくる朝のような化粧も好きだったし、
予告なしで訪ねたときに
日傘を差して出てきたすっぴんも好きだな。

小さい目と小さなえくぼ。

| 2010-04-28 10:48 | ア・ラ・カルト |


▶ 宮本輝つながり、な方々

宮本輝が好きな方にネットでめぐり逢うと
「錦繍」の話をして、川の話をして、「春の夢」の話をする

蔵王のダリア園の話から
「海岸列車」での冒頭に出てくる「鎧駅」に及ぶ

みんながそれぞれの頭の中で自分の人生を照らし合わせている

| 2010-02-21 08:37 | ア・ラ・カルト |


▶ ぷにちゃんへ

ぷにちゃん
お元気なようで。

GREEは退会しちゃったから
もう行けないです。
IDが書いてくれてあったので
そのコメントは消しました。

コチラにコメントを書いてメルアドを書いてくれれば
シークレットな状態で私に届きますよ。

| 2010-01-09 09:25 | ア・ラ・カルト |


▶ お友だちとの再会

先日も、GREEの友だちだった「ぷに」ちゃんが
コメントを残してくれて喜んでいる。
でも、連絡の取りようがないなあ。

GREEの友だちが来てくれるのはうれしいです。
忘れないでいてくれたのねって思うと。
ウルウル。お便りくれる人は
【足跡帖】に頂戴ね

ブログってのは、一方向でやってるからね。
誰が見てるかワカランし、
何も書いてないのにカウント増えるし。

そういうわけで、しばらく放置していました。

ぷにちゃんのコメントもあったし、
ボチボチ再開しようかな。

| 2010-01-09 08:02 | ア・ラ・カルト |


▶ 秘めてる言葉

もうすぐ
おやすみなさいの
時間がやってくる。

おやすみなさい、のひとことに
もう少し、
秘めてる言葉を付け足したくて
ドキドキするけど

考えるだけで
あとは、目茶目茶。

手紙の時代に逆戻りしたい。

| 2009-10-24 22:47 | ア・ラ・カルト |


▶ ペロリ

僕の舌先で

君の鼻をベロリと

なめてみたい。

(夢だったか)

| 2009-10-24 22:46 | ア・ラ・カルト |


▶ シアワセ

私って
シアワセ
なんだろうか。

| 2009-10-24 09:24 | ア・ラ・カルト |


▶ 逃避行

私は
石畳の坂道

というのが好きで、
そういうところに女性を置いて写真を撮ったり、
うしろ姿を描いたり。

黄色いイチョウが
暖かい絨毯のように散りばめられた坂道で
ひとりの女性の写真を撮ったことがあります。
最高の作品でした。

その人は
その写真を
お見合い写真などに使っていたのですけど

結局は私と結婚してしまったのですけど

秋の深まるときに

逃避行など試みたことはないけれど

もしも、遠くへ駆け抜けていこうとするなら

やはり、初雪を期待して北へゆくのかな。

| 2009-10-21 22:13 | ア・ラ・カルト |
シュール 2010/07/29