紙切れメモ

[走り書き]
一枚の紙切れの端くれに走り書きがありました。

あのときに心の奥深くから
目がしらのあたりを通って
頭のなかのすべての隙間に
いきわたるほどに
スパークする衝動が走ったのでした

そんなものが
自分の感情のなかに
隠れてでも存在していたことに
ある種の違和感のようなものと驚きを感じながら
仕方ないじゃなか湧き出てくるんだ
と素直に湧き上がってくる思いに従っていたのです

冷静な一面が自分のなかにあって
こんなことをやらかしてしまって
取り返しがつかなくなったら
大変なことになると思っている自分が
滑稽なほどに冷静に行動を起こしているのです

あとになって考えれば
そういう突発現象は普段でもときどき起こっていて
判断する知性のようなモノを無視して
行動していることはあったのでしょうが
あのときに
心の奥深くから飛び出したのが
それまで長い間生きてきていながら
一度も経験したことがなかったような
揺さぶりであったのは間違いなく
長い人生には似たようなことが何度か有りながら
激しく動揺するものがたった今起こっているのだと知る
初めての経験でもあったのでした

つまりわたしは
そこにいたひとりの女の人に
釘付けにされてしまうようなことは
かつて一度も経験したことがなく
腰が抜けたように
そこから動けなくなっていたのでした

鶴さんの物語の
バスを見送ってからヒッチハイクで帰るシーンは
このように
激しい心の葛藤があったということなのでしょう。

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鶴さんとの出会い

[人生のトビラ]

人生を歩んでゆくうちに開けてみたくなるような扉(トビラ)がいくつもある。開けなくとも人生は滞ることはない。どれだけの人がトビラを開けることを試みて、そこへ踏み込んでゆくのだろうか。出てこられなくなるかもしれないのに。

トビラの存在に気がつかないことだってあろう。トビラではなく路傍の石であるかもしれない。いったん腰掛けて休まれば今まで歩み生きてきた道が違って見えてくる。これから行く道が明るく見えるかもしれない。

[旅とバイク]

1987年に北海道に旅立ったときのことを「小さな旅」と「旅の軌跡」のなかに書いてい る。ふと立ち寄った本屋で手にする北海道の観光ガイドブックがきっかけだった。無鉄砲に急行銀河に乗って北海道まで行っている。中学時代から文通友達だっ た裕ちゃんという女の子が天塩町にいたが、訪ねる意思があったわけでもなかった。ただ、頭の片隅に置いて北海道を選択していることは間違いない。

後にバイクでも行っている。最果ての場所への憧れがあったし、高校時代に仲良しだった友人が二人とも先を越して裕ちゃんを訪ねて行っていることもあったのかもしれない。だから、大学1年の夏に北海道周遊券で行くことを思い立ち、迷いもなく実行している。

しかし、学生時代には長い旅には出ていない。これは貧乏だったことが理由であるため、社会人になって爆発したかのようにバイクに乗ってあちらこちらへと出かける。オートバイとのつながりは子どものころにまで遡ると不自然ではなく、根っから二輪が好きなんだろう。

[旅で出会った女性]

1987年の汽車の旅で鶴さんと出会う。余別という町の行き止まりのバス停で一人の女の 子と言葉を交わすところから「鶴さん」の物語は始まる。きちんと書いてないので、断片から二人の関係や気持ちを想像して読むことになる。この人は鶴さんが 好きだった。おそらく、人生で最も好きだった人ではないか。大学時代には手紙のやり取りが続き、それがダンボールいっぱいになる。写真を送ったことは1度もなかった。

東京で再会をするのが4年後のことだった。高田馬場の駅前で待ち合わせるが、互いに向かい合うように歩いてきて一旦は行き違っている。それほど面影が記憶になかったのだ。

遺された膨大な日記を隈なく読んでいくとそのことを始めいろいろなことがわかってくる。この人とはもう会えない絶望の時を迎えてもまだ、もう一度会いたい、と強く激しく思い続けていたこともわかる。

おとう

わたしは日常会話では父のことを「おとうさん」と呼ぶかまたは「おとう」と省略して呼んだ。父もそれに応答しているので周囲から見れば滑稽な掛け合いだったかもしれないが、わたしたちにとっては自然体であった。

メールで父に呼びかけるときは父と書いた。「父、今日の予定は?」という具合だ。

これから4人の女の人を軸にして、あの人とはどんな人間であったのかを考察しようとしている。登場人物である父のことを「父」と書くか「あの人」と書くか「彼」と書くか「おとう」と書くか。さてどうしようか。

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[照れ屋]

あの人は、自分でもよく言ったのだが、照れ屋であったらしい。それは一見してはとても想像できないことだったのに、しばらく付き合いをしてみると成 る程と納得させられた。自分に自信を持った一面ともう一面で大きな劣等感を持っていたのだった。自信と劣等感が背中合わせになっているところへ褒め言葉で も投げかけてもらえれば照れるしかなかったのだろう。

[ウソツキ]

もう一点、あの人は時々出任せの嘘を言うことがあった。出任せとか嘘という表現は曖昧だが、ズバリと質問を投げかけて「4人の女に惚れましたか」な どというような打ち込みのような質問をすると咄嗟に首を横に振りシラを切るような出任せをついて一旦はその場をしのいだ。たいていは訂正をするのだが、照 れ屋の性格が存分にそうさせたのだろう。

[秘密]

しかし、3人ではなくそれ以上の女性が日記には登場する。結婚をしてからも2人登場し、それ以前に1人登場する。そして日記には一切顔を出さなかった人が1人いる。手紙と資料に隠されていた。

大体において秘密を持たない人であったので、シラを切ったり嘘を突き通すことは日常でもいかなる場合でも有り得ず、この人はどこかで誰かに必ず言えない事実を漏らしている。

[日記]

秘密を隠し通せないところは、日記を書くことで、自分の迷い事を知り整頓している面がでも現れている。誰かに読まれるかもしれないことでも日記に書 き残している。だが、系統だてて書いているわけではないので、奥深く知るためにはしっかりと読まねばならない。ものごとによりけりだが、日記のどこかに自 分だけがわかる記録をしている事も有り得る。照れた気持ちで書いているその顔を想像しながら読み進むと、隠れたものが見えてくるような気がする。

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[結婚前後]

結婚を区切りにそれまでとその後を「前期・後期」と呼んでもいいだろう。

女性に架ける希望の夢が、前と後では違ってくるのだ。年齢的な変化でもあろうし、社会経験の深さも加算されよう。子どもから大人へと変身をするし、人間の生きざまに白と黒があることも知る。

[惚れる]

女に惚れてしまい、騙されて裏切られて陥れられて、落ちぶれる。アホな男が立派に愚かを繰り返すドラマだ。くるくると旋回をしながらどん底に落ちてゆく。大目に見てくれる人がいたから生きてこれたのだとヤクザ映画のようなことを思いながら、どこまでもどん底を彷徨うのだ。

[ビョーキの人間像]

それでも女に惚れる。こういう愚かさをビョーキといって笑ったことがある。ご先祖さんには立派な方々があったのに、ビョーキならば受け継いだ資質でもあるかもしれない。人間像とはどんなものであったのか、そのあたりも調べて掘り起こしてみる。

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[A型]

血液型はA型だった。そのこともあって周囲の人はA型人間らしいところが多かったと感じているようで、細かいところにも気が利き几帳面であった。し かし、それはこの人の一般的な面であって、しっかりとつきあうとその反面も多かった。部屋は片付いていそうで片付かない。身の回りのモノも几帳面に扱いそ うで大事に手入れが行き届いていたわけではない。金銭面ではケチで節約家であったが、欲しいモノを買うときはぱーっと買ってしまうことが多い。

[おしゃべり]

よくしゃべる。くどい。自分の理屈で勝手にモノゴトを考えて、自己完結している面がある。そのくせ常に自分に不安と自信と劣等感と自尊心を持ってい た。ナルシストな面は一切持たなかったというより、そのような人を見るととても嫌った。そして、酒を飲むとよくしゃべった。しゃべる時間長くなると必然的 にそれを嫌がる人もいたので、この人の酒は特段嫌われるのもでもなければ歓迎されたりするようなモノでもなかった。

[オンナ]

大事な面がある。オンナ好きであった。嫌われているかもしれないのによくしゃべった。簡単に友達になってくる。もちろん平気で話しかけるのだから迷 惑でもいったんは友だちのようになったのかもしれない。そして、気に入ったオンナの子から連絡先やメールを聞き出すのが上手だとみんなが言う。本当に上手 であったのかも何とも言えないが、どういう手段を講じるのか、まさかあの人から聞き出したとは神業的な…というような人のメールを知っていることがあっ た。害がないと思われていたのかもしれない。

[夢追い人]

オンナ好きな人には遊び人も多い。しかしこの人は遊び人ではなかった。オンナと井戸端会でしゃべっているか、過去を回想しているか、夢を語っているか。社会の仕組みにケチをつけているか、何かに理屈をつけているか、そういったことをしゃべっていれば満足な人だった。

[ブス選]

面食いではなかったですね。人を直ぐに好きになるのですが、片っ端からべっぴんさんは居なかったし、テレビの女優さんの話をしても、大勢が美人を好むものなのにこの人はちょっと変わった女優さんが好きだったようです。

[幸せを食べる虫]

突き詰めてゆくと、好奇心の赴くままに行動して感動を味わって、それは旅などで少し叶えたりして幸せを味わって、酒を飲んでしゃべってオンナに惚れ て夢を膨らませて追いかけて、浮き世をさまよっていたのでしょう。ブログの中で自称しているように「夢を追い幸せを食べる虫」だったのだと思います。

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[4人のオンナ]

学生時代に2人も好きな人がいた。そして、結婚後期にもう1人で惚れてしまったオンナがいるので、ツマとで4人。

学生時代の女性は、大人の世界でいう「オンナ」ではなく情熱的で淡い恋をする女性だった。実らぬ恋を必死になってつかもうとするのだ。ブログにある 「鶴さん」はこのひとりの女性を書いたものだ。もうひとりの淡い女性は、日記にもブログにもどこにも出てこない隠されたままの女性だ。1枚の写真と大封筒 に雑然と詰め込んだ手紙の束だけが残っている。

この人が残した手紙をよく読むと、残存する手紙は一部分で有ることが分かってくる。2人の女性と交わした手紙は、元々、段ボール箱に溢れるほどあっ たという。ある時期に病的豹変でその束を始末しているらしい。手紙に書いた文面をなくすことを悔やまないほどの確信と自信をその女性に抱いていたのか。は たまた、きっぱりと記憶を絶とうとしたのか。不明だ。

そして最後4人目のオンナとは黒い歴史のなかにあって、本人も日記に明確には書いていない。きちんと伝えるために書いたモノではない日記、すなわち自分に語りかけるような日記が残るほか、鳥のひろちゃんのブログでも脚色をつけて書いている。事実は不明のままの物語だ。

いつか二人が

クルマのステレオがユーミンをシャッフルして流し始めた。咄嗟には題名が浮かばない。
思い出せなくてイライラする。

でもそれはほんのいっときで、気にかけないでアクセルを踏みこむ。
ターボチャージャーがエンジンを軋ませるように唸っている。

クルマは快適にスピードを上げてゆく。

埠頭を渡る風。
歌の題名が頭にフラッシュのように甦る。

青いとばりが道の果てに続いてる
悲しい夜は私をとなりに乗せて
街の灯りは遠くなびくほうき星
何もいわずに 私のそばにいて

埠頭を渡る風を見たのは
いつか二人がただの友達だった日ね
今のあなたはひとり傷つき
忘れた景色探しにここへ来たの
もうそれ以上 もうそれ以上
やさしくなんてしなくていいのよ
いつでも強がる姿うそになる

セメント積んだ倉庫のかげで
ひざをかかえる あなたは急に幼い
だから短いキスをあげるよ
それは失くした写真にするみたいに
もうそれ以上 もうそれ以上
やさしくなんてしなくていいのよ
いつでも強がる姿好きだから

白いと息が闇の中へ消えてゆく
凍える夜は 私をとなりに乗せて
ゆるいカーヴであなたへたおれてみたら
何もきかずに横顔で笑って

青いとばりが道の果てに続いてる
悲しい夜は私をとなりに乗せて
街の灯りは遠くなびくほうき星
何もいわずに 私のそばにいて

魔法にかかったように情熱を注いで惚れてしまった人のことを父は日記の片隅に書き残している。でもそれはほんとうのことを知っていないと間違いなく見逃してしまう。
詰まらない日記しか書けない人だったから、もしもあとで誰かが読んだとしてもどこの何が大事だったのかとか一番主張したかったのがどこかなどがわからないままだ。
けれども、わたしは他にも残された資料とふだんから口癖のようにつぶやいていた言葉から、あの人が何を言いたかったのかを斜めの視線で考察してみようと考えた。

あの人が、ほんとうに心から惚れていた人は一人だけでそれはツマだけだった。そのことを最初にきちんと明確にしどんなことがあっても疑いを持たないように頭に入れておく。
その点に揺らぎや疑いを持ってしまうと、数々の日記の言葉が一人歩きをするおそれが生じるので、くれぐれも気をつけて考察を進めてゆく。
ツマだけであったと書いたのだが、この人の心を揺るがした人は、何名かあった。3人とも5人とも推察できる。
たしかに気の多い人であったためにそのあたりを誰にも特定されまいと考えたのかもしれない。だが、きちんと読み進むと、大きく影響を与えたのは3人、いや4人であったといえようか。

続・千夜一夜 その234まで

プラットホーム  続・千夜一夜 その234

淋しい静けさはホンモノの静寂だった。物音さえしない時間と空間に自分が置かれている圧迫感がしんしんと漂う。昔に出会った静寂は偽物だったのかもしれない。ざわめく人の声と雑音に埋もれて自分だけが孤立してゆく時空のなかで深い深い穴のなかへと閉じ込められるような圧迫感と淋しさ。相互に解け合うことのできない苛立った感情が衝突している。それでも頭のなかは無音で、わたしはひとりで、目の前にいたあの人もひとりぼっちだったのだ。
プラットホーム。
それは別れの舞台には月並みなものでしかなく、ありふれたドラマのエンディングのように人の動きは冷たくスローモーションで、ガラス瓶が砕け散るようにばらばらになってゆくのだった。あの人とわたしは見つめ合い手を取り合い、心を揺すりあいながら別れを惜しむように風景のなかへと溶けていった。もう逢わないつもりでいるのだと固く決心しているあの人と、その人を無理矢理でも連れ去りたいと企む悪党のようなわたしがそのシーンのなかで無言の対決をしていたのだった。


偶然の記憶  続・千夜一夜 その233
半時間ほど前にケータイにメールが届きその人が上り特急で都会へ行くのでたぶん海の方に向かってくる私とどこかのの駅で行き違うだろうと知らせてきていた。7時ちょうどにその人の特急は町を出ている。それが今さっき私が見送った特急だったのだろう。走り去る列車の窓にその人の姿を探そうと密かに心に決めていたしその人もメールの雰囲気で私を見つけてと伝えるような書き方をしている。でも、私はその人は私のことなどもうこの駅を過ぎるころには忘れていることなど簡単にわかった。だからその人の姿を見つけたとしても無駄なことも知っていた。
私は昔のある光景を思い出していた。偶然のことで知り合いになってちょっとした仲になった女性が一人いた。その人との出会いは、すれ違う列車の中で目があって知り合いになり何度も繰り返すうちに頭の片隅に記憶に残りそれがあるときに街で出会い話をする機会になったという、ドラマのようなものだった。私たち何か赤い糸のようなもので結ばれていたのだわ、といつも口癖のように言い合いお互いに頷き合って楽しい日々を過ごした。しかしその人とは、その暮らしぶりを風の便りとして何度か聞き、手応えのない手掛かりにそっと声を投げ掛けてみるチャンスがあっただけで、生存の感触があっても音信がなかった。それ以上は人として押してはいけないというところまで来て途絶えている。
停車駅で列車の出発を待つ間、子どもたちの歓声をぼんやりと聞いていると、不思議なほどに忘れているその昔のほかにもあった対話が蘇ってきた。淋しい静けさが私の記憶を掘り起こすのだろう。
2014年11月10日(月曜日)


ぬけがら  続・千夜一夜 その232
ディーゼルカーのブレーキの音が頭の奥まで突き刺さるのを怖れて両手で耳をおおっていた子どもたちが、止まった列車を見届けてから万歳をするように両手を挙げて再び遊び始めた。子どもたちは色とりどりの服を着て駅のホームから駅前の広場を使い尽くして駆けずり回っている。ホームには柵もなければ警報機もない。古ぼけた昔からの駅舎が残っているもののもう20年も30年も前から無人化されてしまったのだろう抜け殻のような建物が、ここは列車が止まる駅なのだ、と主張するように居座っている。栄えたころはさぞかし威風堂々としていてモダンな建物であったのだろう。
列車が駅に止まっても乗る人も降りる人もなく、車内放送もされない静かな時間に、子どもたちのはしゃぐ声を聞いてぼんやりとしていると、駅構内の上りホームを特急列車が警笛を鳴らしながら通り抜けていった。
2014年11月 2日(日曜日)


海のくにへ  続・千夜一夜 その231
車窓が里山の雑木林の中から、トンネルを抜けて緩やかな下りのカーブを走り終えたときに、海景色に変わった。隣の客席の少し年老いた夫婦らしき二人が歓声をあげながら大急ぎで鞄のカメラを出している。列車は小さな入江をゆっくりと回り込むように走ってゆく。ディーゼルカーのゴーという音も断続的にやんで、真っ青な海のほとりに民家が見え始めると線路は束の間だけまっすぐになって、赤茶けたコンクリートのホームにゆっくりと止まる。そのスローに息が途絶えるような一時的な静けさが入り江のまわりにそっと佇む集落の美しさを一段と引き立てている。
2014年10月31日 (金曜日)


夏になる  続・千夜一夜 その230
三篇を書いて置いたままにしている。それには理由があってないようなものだ。わかりやすく考えればわたしはもう恋文などを書く必要が失くなったのであり書く気力がなくなったともいえようし書いても無意味になってしまったわけだ。しかし、人の心などそう簡単に変えることなどできるわけもないから、あの人のあらゆるところを嫌いだと感じようが、野に咲く花のように忘れたころに姿を見せてくれると何もかも忘れてぼんやりと見つめる。
2014年5月28日 (水曜日)


冬から春へ  続・千夜一夜 その229
いや、気力も情熱もなくなったなんて悲しすぎる日記だね。あの秋はそんな哀愁に包まれ、もう会えないかもしれないとまで思ったのだろう。もう一度、高台の深い森のなかの木立の間から海が見下ろせるベンチで、あの人と向かい合わせに座りヤマモモのジュースを飲みながら、交わす言葉が浮かばなくとも風に吹かれてみたい。そう!今度は薄目を開けてじっと見つめておくことにする。照れてばかりでじっと見ることすらできなかったあの日。
2014年3月14日 (金曜日)


秋のはじまりに 続・千夜一夜 その228
私にはもうあの人を追いかける勇気も気力も情熱もなくなったのだと、あのときは確かに思った。そう。あのときがいつの季節であったかさえも忘れているのに、今、秋の風が吹いて、あららっと思ったのは気のせいではないのだ。心を空っぽにしてしまい、恋もできなくなった私に、もう一度好きになろうと誰かが何処かで囁いたのだ。もはや春も夏も忘れていても、今から新しい秋を旅をはじめよう。端末がお知らせのチャイムを鳴らすから。
2013年9月 8日 (日曜日)


さがしもの 続・千夜一夜 その227
ああ、あのときふらりふらりとさまよいこんだ夢のなかのようなところに戻ってきた錯覚に今でもときどき襲われることがある。すぐにそれが幻想的なイメージだと気付くのだが、そのやり切れない余韻の波に少し浸っていたい気持ちも出てくる。追いかけても一向に追いつかないし、探しまわっても貴方は見つからない。確か以前にもここで貴方を見つけたのだから、こんどもきっとこのあたりにいそうだと思いながら探すのだが届かないのだ。
2013年6月 5日 (水曜日)


ざわめき (千夜一夜・その226)
鳥が鳴きやんで、ざわめく森が息をひそめようとしたとき、貴方の影が私に近づいてくるような予感がした。やがてそれが、気配に変わって、激しい息づかいになり、ときめきが私に襲い掛かる。抱きしめたい。その衝動が言葉になったか、それとも風を震わせながら伝わったのか。突きとめることもできないままに、夢の中で見る夢の幻を私は掴もうとしたのかもしれない。強く抱きしめて離さない。更に私には激しい情熱が沸き起こった。
2013年5月 9日 (木曜日)


回想 (千夜一夜・その225)
あの人は小さな峠になった切通しの向こうにある入り江に囲まれた数軒しか家のない小さな集落に住んでいた。わたしはただそれだけで、それは内緒の話だけれど、その人を好きになってしまった。沖には鯛の養殖筏が点々とあって、その間を漁船がときどき行き交うのが見えるどこにでもあるような漁村がその人の住まいだった。一本道を行き止まりまで突き当たってしまってオロオロしていると、どこかからか彼女が現れて小さく手を振ってくれた。
2013年5月 2日 (木曜日)


溜息 (千夜一夜・その224)
いったいどれほどの時間が過ぎればあの人のことを忘れることができるのだろうか。どれだけ哀しく思い出しても、また切なく苦しく恨らやんでも、その涙の量を秤で測って、はいはい一杯になりましたからお待ちどおさまでしたというような、笑話でも済ませてくれない。どこまでもいつまでも、気持ちに逆らって記憶の中にいるのは嬉しいけれど、叶わぬ想いが憎くなることもある。ああ、私とは全く別世界の人だったのだ、と溜息をつく。
2013年4月 4日 (木曜日)


潔く (千夜一夜・その223)
これまでに何度も同じようなことや情景を書いてきたが、そろそろ終楽章を書かねばならないと思う。私には未練があった。しかし、それは決して美しいものではなく、叶うことのない儚く無残で、淫らに乱れたものであったかもしれない。私たちは清くて美しかったよと、かつてどこかで讃えあった、あの偽りのドラマを演じたのとはまったく違う。だから、潔く切り上げて、私はキョトンとしていたいのだろう。あの人を訪ねたいと思った。
2013年2月 6日 (水曜日)


苦しさ (千夜一夜・その222)
散る花と国の峠でわかれたり。この句を思いたったのは、人生で一番切実にその人を想い心を焦がしていたときではないだろうか。片思いがこれほどまでに焦れったく儚く哀しいものだとは後になって感じるのだが、このときは、あの人のところへと続く峠に佇んで集落を見下ろしては、溢れ上がる想いを噛み殺していた。あの人は私の気持ちを知っていながら、固くその扉を閉じている。それが私にはよくわかった。好きだと言えない苦しさ。
2013年2月 5日 (火曜日)


貴方はいない (千夜一夜・その221)
昔々に出会った小さな子が話してくれた海のロマンの物語を思い出している。白く眩しい光が世界で一番大きな海を横切ってその子の部屋の中に横一直線に差し込む。ウチの窓の下には高い高い断崖があってその下に大きな海があってお日様はウチにまっすぐ差してくる。確かそんなふうに話してくれた。時間が過ぎ行き再び原風景に還ってきた。銀色の衣の様に輝く海原に天使の羽衣のようなしなやかさで波が揺れて流ている。貴方はいない。
2013年1月28日 (月曜日)


侘助 (千夜一夜・その220)
初めて貴方と歩いた石畳の坂道をお別れする日にもう一度だけ歩きたいと思いました。でもそれは我儘だとわかっていながら、貴方に手紙を書き綴ったのでした。そう、ひと冬に幾度も雪の降り積もることのないその坂道で侘助が凍える様に私たちを見つめている。そこでもう一回貴方に一言を伝えようと思ったのです。しかし侘助は、振り返る直前にポタリと雪の上に落ちた。ほんのまばたきほどの時間差で二つの想いがすれ違ったのでした。
2013年1月25日 (金曜日)


突然に (千夜一夜・その219)
この恋文の200字ノートは「千夜一夜」ではなく「200夜」にすればあっさりと終われたろうにどうしてアラビアンナイトのように千夜一夜も私は書こうとしたのだろうか。しかしその理由は明らかすぎる。千日以上になってもさらに幾らでもあの人に恋文を綴り続ける確信が私にはあったから。そしてさらにドラマとして綴り続ける予感もあった。物語が突然終わりしかも悲劇的なほどドラマは面白いのだと嘗て自分で話したようになってゆく。
2013年1月11日 (金曜日)


坂道  (千夜一夜・その218)
何度ももう嫌いになったと思い込もうとしたのだけれど、ふとしたことでその人を思い出すと締め付けられるような胸の痛みを感じるのだった。遮断機が鳴って、その向こうにあの人に似た姿を見つけたとき、はっとして、見つめようとすると特急列車が私を遮る。立ち止まって踏切のこちら側でその人を待つこともできず、後ろを振り返ることも我慢をして私は坂道を上ってゆく。朝日が白くさわやかな輝きで10階建てのビルを照らしているのに。
2012年12月15日 (土曜日)


恋文  (千夜一夜・その217)
恋文を幾ら綴り続けてもあの人は読んでもくれないことを知っていた。それでも、気持ちを投げつけるモノが欲しくて、ペンを持てば湧き上がる感情を断片的に書き残してみたりした。届いたとしてもそこで終わり、その先に道筋などなかったのに、その行き止まりまで来て私はそこが行き止まりなのだと確認している。歯痒かった。でも、それで良かったのだ。あの人は私の綴る恋文の波動とは全く違った羽ばたきをしている人なのだから。
2012年10月22日 (月曜日)


満月  (千夜一夜・その216)
月は十五夜で満月になり同じ時間をかけて新月に戻ってゆく。新しい月が始まる、などといつの時代の人がどういう手がかりで考え出したのだろう。今の時代をゆく私にとってこの呼吸を忘れまいとする気持ちが襲ってくるときがある。それはあの人を思い出しあの人の面影に再会しようとするときだ。お呪いやお祈りを頼りにするわけでもないのだが、満月が空に浮かぶと高ぶりは頂点に達する。深呼吸をする。▼満月をまっている呼吸の谷間
2012年9月23日 (日曜日)


さざなみ (千夜一夜・その215)
かつて、ベートーベンの月光を聴いては悲しみに耽った夜があった。しかしやがて、それもすべて忘れてしまう日が来るのだろう。幻のような出来事だったとか天使のような人だったと私は振り返るのだろうか。魔術にかかっていたのだとすれば思い出しもしないのかもしれない。そう、物語は入江の見渡せる小高い丘に続く石畳の坂道で始まったのだった。森の中に迷い込み、夕日に赤く染まる海を見下ろし、裸足をさざなみで漱いだひととき。
2012年8月14日 (火曜日)


白い街 (千夜一夜・その214)
あの人はかつて私が描こうとした物語の倫子と銀子を思い出せた。銀子はプチハネ茶髪のショートカット。倫子は真っ黒で長く肩まであるサラサラ の髪だった。私は現実では倫子や銀子のような人には出会っていない。だが、倫子のモデルにしたいと考えた人はあった。そして、銀子にもそんな人がいたものの、もっと知ろうとすればするほど銀子から遠ざかってしまい私の空想はバラバラになっていってしまった。▼酔いどれてあなたを想う白い街
2012年7月18日 (水曜日)


出口へ (千夜一夜・その213)
もう、私の物語は出口を失っている。書きかけてそのままに放置したメモが散らかって、取り返しがつかなくなっている。もう一度拾い上げて、あのとき、私が何を感じてその言葉を書き残したのかを考えて、できることならその場にいたあらゆる人の情景も手繰り寄せて、ふたたびじっと見つめて、あのときのように激しく想いをぶつけたいと願ってみる。しかしながら、そこには出口などなく、出口への道のりもさえも見あたらないのだった
2012年7月11日 (水曜日)


海が嫌い (千夜一夜・その212)
冷たい風の吹いたある朝にもう冬など懲り懲りだと弱音を吐きつつ坂道を黙々と登る。鉛色の空から冷たい物が落ちてくるのに気づく。▼初雪と思わせぶりの霙かな-何を見てもあなたのことを思い浮かべてしまう自分から早く抜け出して、私は私の新しいブルースを作ろうと決めているのに、落ちてすぐに舗装道路で儚く融けてゆく霙を見つめながら、またしても雪国生まれの人のことを思い出す。あの子はあなたと違って海は嫌いが口癖だった。
2012年6月26日 (火曜日)


対岸 (千夜一夜・その211)
私は臆病でありながら無鉄砲なこともしました。声が聞きたい衝動であの人の入り江が見える対岸を幾度も訪ねたこともあります。同じ町から突然電話をしたことが一度だけあったし手紙を出したこともあった。よせばいいのに衝動的にそんなことをして返事がなかったことを当然だと自分に言い聞かせて、自分の愚かな部分を責め続けていたのかもしれない。でも、あの人は優しい人だったのです。どんなときでも一瞬に見せる笑顔が大好きでした。
2012年6月 1日 (金曜日)


ひととき (千夜一夜・その210)
200文字の手紙を毎夜書きました。その手紙にはいつも同じことばかりを書きました。しかしこの手紙は届かない手紙です。告げられない苦しさを書く夜はいつも静かな夜で、丸い月を見あげてはその人を思い出し、月のない夜にはまぶたに精一杯笑顔を蘇らせました。花屋の店先に季節の花が並ぶのを見ては、生け終わった花台の花をいつも静かにじっと眺めているあの人の姿を思いました。柱の陰から見ているだけだったひとときが過ぎ去る。
2012年6月 1日 (金曜日)


千回の恋文 (千夜一夜・その209)
叶わなくとも千回の恋文を書き続けよう。果てることなく書き続けてゆこう。私は、そんな風に心に決めて想い続けることにしました。何の疑いも迷いも持たずにこの決心ができたのは、その人を好きになってはいけなかったからです。それゆえにこの恋が叶わぬともあの人をこっそりと見続けることの空しさを痛く感じることがあってもそれは私の覚悟のうえでした。向こう岸にいるあの人をこちらから静かに見ているだけの幸せと苦しみ。
2012年5月23日 (水曜日)


叶える (千夜一夜・その208)
もしや時間は止まってくれるかもしれない。あの人は立ち止まって別れの言葉をひとことでもくれるかもしれない。そんな甘ったれた幻想をいつまでも棄てられずにエンドレスの悲しみに沈んでゆくところが私の最も私らしい姿でした。ほんとうは独り占めしてしまいたいと切実だった。だけどそんなことはできるわけがない。そもそもこのときの願いは、ハナから叶うものではなく、願いを抱くことで自分のなかの何かを癒していたのでした。
2012年5月23日 (水曜日)


時間をとめる (千夜一夜・その207)
闇を一手に吸い込むように目の前に広がる静かな海原を部屋の窓から見下ろしている。そこには時間の動く気配などはなく、生き物が呼吸をする音さえもない。 風にも依らないエネルギーが生み出す大きな息づかいのなかにあって、太陽がそそいでくれる瞬きの揺らぎにも満たないほどの僅かな波が小さな筏を揺らし続けている。私の心は揺れていた。あの日、大好きだと言ってしまった私が嫌いだった。時間を止めるためにも無言がよかった。
2012年4月30日 (月曜日)


消滅する直前の炎 (千夜一夜・その206)
貴方のメールはいつも気まぐれでペンを持って言葉が浮かばないままインクが乾いてしまうほどに考えて考えて手紙を書いた私とは違って言葉をテニスボールやバトミントンの羽根のように打ち出してメールにしているみたいだっただけに、もうラケットは片付けましたとばかりに音沙汰もないときが幾らでも平気で続いたりご機嫌のときは道端の四葉のクローバほどの感動でさえ便りをくれた。あれは消滅する直前の炎のようなものだったのだろうか
2012年4月29日 (日曜日)


ヤマモモのジュースを (千夜一夜・その205)
丸い月貴方を想う白い夜。だんだんと月が大きくなってゆくのを見あげながら、貴方が出かけて行った旅を考えていた。偶然に貴方は、一人旅にゆく列車の中からメールをくれた。驚くことにそれがちょうど私とすれ違う列車だった。貴方とは凪の入り江に一筋の波跡を描きつつ沖に出てゆく漁船を見ながらヤマモモのジュースを飲んでいたあの日の午後に逢ったのが最後だった。もう会えないだろうという、よからぬ不安が脳裏から離れない。
2012年4月29日 (日曜日)


消えてゆく (千夜一夜・その204)
夢は、諦めることはあっても棄てないで心の片隅をいつまでも痺れさせていて欲しい。私はそう願い続けて、あの人のことを想い続けた。想いながらたびたび、もう一度、山霧の晴れゆく谷間に差し込む朝日を二人で見ることができるだろうかと考えることがあった。幻を追いかけて夢をみることができるのだろうか。幻とわかっていながら夢を追えるのだろうか。やがてあの人は私の手の届かないところに消えて行ってしまう日が必ず来るのに。
2012年4月24日 (火曜日)


ささやく (千夜一夜・その203)
シェヘラザードが千夜一夜にわたって物語を囁いたように私もあの人に手紙を届けようと考えた。それは投函しない手紙で、あの人を想い続ける夜を忘れずに心にとどめておく大切な記憶だと私は思っていた。届かない手紙は千夜を超えて綴りゆけるような気がした。永遠に止まることのない振り子時計のように刻々と ペン走らせあの人をまぶたに蘇らせるのだ。夢がいつか破れることはわかっていても、その夢は棄てないで胸に秘めておく。
2012年4月24日 (火曜日)


無言の (千夜一夜・その202)
あの人はほんとうは見栄っ張りで意地っ張りだったのかもしれない。誰にでも好かれている自分を偽り続けていたのかもしれない。でも私はそんな疑いの想像をすぐにかき消す。窮地に追いやられても、弱みなど見せずにいつまでも美しく舞い続けようとするあの人を見続ける私は涙さえも出さず手を差し伸べることもできずにただ見守った。無言の私に気づいているのかも確かめられず泣かないあの人を遠くから見ていた。あの人が蘇るときを待つ。
2012年4月15日 (日曜日)


泣かない (千夜一夜・その201)
あの人はたやすく泣いたりするような人ではなかった。負けてへこたれそうになっても弱音も吐かない姿が私の印象だった。泣かないでと私は言った。もっとも私の心配などよそにあの人はたやすく泣いたりするような人ではなかった。負けてへこたれそうになっても弱音も吐かない姿をいつも見せた。だからこそ泣かないでと言いたかったのかもしれない。ほんとうは脆く崩れ落ちるような弱さを何処かに持ち合わせているのを知っていたから。
2012年3月20日 (火曜日)


千夜一夜・その200まで

胸にしまう (千夜一夜・その200)
一切のときめきも喜びも哀しみさえも胸にしまうことした。▼好きですとリンゴをかじって言ってみる。窓から差し込む明かりを受けて真っ赤な林檎は白く光る。でも林檎は白ではなく赤い林檎なのだ。あの人の薄くしかしながら激しく赤いチークが蘇る。その頬をじっと見つめることもできなかった自分にため息が出て、あの人は私の気持ちを知っていながらそれを許さなかった人だ。諦めがついて貴方の小さな眼が好きだったのだと気がつく。
2012年2月20日 (月曜日)


幕が下りる (千夜一夜・その199)
わたしの中を諦めと絶望の嵐が吹き荒れ過去の忌々しい憎しみや後悔が次々とわたしを悩ませた。しばらく投げやりにトロトロオロオロする時間を過ごし苦しさで己を見失いそうになってゆく。だがやっと落ち着くところに辿り着く。ここでは黒い天使が現れては消え再び近づき、わたしに哀しい過去は棄てなさいと助言する。すると消そうとする慕情がちっぽけなドラマに思えてきて、まさに幕は下りる瞬間となる。わたしはそこで拍手をした。
2012年2月13日 (月曜日)


化粧 (千夜一夜・その198)
こんな化粧もしていないわたしでごめんなさい、恥ずかしかったわ、とその人はいう。確かにいつものように激しく美しくている貴方ではなかった。けれども、ふだんの、それは、まさしく素顔の貴方の姿で、とても素敵で魅力的だった。でもそれを上手に言葉にできずにいる自分自身がいて、ぶん殴りたいほどでした。もうこれで会えん、このときが最後かもしれん、そう予感を抱きながら貴方の小さな後ろ姿を自分の瞼にしっかりと焼き付けた。
2012年2月12日 (日曜日)


泥の海 (千夜一夜・その197)
二日が過ぎた。動揺は少し収まったものの、地獄に落ちるような恐怖感がときどき胸を突いてくる。夜半からさらに雨脚が激しくなったようだ。一度だけ目が覚めてふたたび眠ったら夜が白み始めていた。脱出。そんな言葉が浮かんだ。でも、私たちは逃げるのではなく旅に出るのでもなかった。私は暴走しているのだろうか。そんな自問を繰り返しながら泥のようにうねる湘南の海を見ていた。いったん上がった雨が再び嵐のように降り始めた。
2012年2月 6日 (月曜日)


供養のような (千夜一夜・その196)
もう情熱のすべてを使い果たしてしまった。冬ざれた野山で北風を受けても霜が降っても枯れることなく飄々としている雑草の如く、夢がいつになったら叶うのかとか、幸せとはなんだろうか、などということを考えるのはやめにすることにした。私は兼ねてから胸に抱き続けている「銀子と倫子」の物語を、実像のように綴ってゆきたいと思った。それがあの人を慕い続ける残された心の供養のようなものだ。▼雨降りて人恋しきと傘が呼ぶ
2012年2月 5日 (日曜日)


沖を見る (千夜一夜・その195)
あの人は真っ白な砂浜をひとりで先々と歩いてゆき私を置いてきぼりにしてしまう。気まぐれに振り返り「疲れたわ、帰りましょ」というと海に向かったまま しゃがみこんで目を細めた。この人を今はもう好きじゃないと口に出さずに自分に話しかけてやる。沖を漂う漁船のように流れる時間とは別次元の波動の上で生きている。そう見せかけて私は手探りをする。そうはさせぬとあの人は沖の筏を見る。波打ち際の砂が引潮で乾き始めている。
2012年1月20日 (金曜日)


抗い (千夜一夜・その194)
11月下旬のある日。少しずつ寒さが増し始める毎日を送りつつ12月になったら年も暮れ大事に棄てずに置いている数々の拘りを思い切って処分しなくてはならないと覚悟している。絶対にこの人のことは忘れないだろうと思った人でさえ長い年月の果てに記憶が曖昧になってゆく。それは仕方のないことで、あのときの熱い情熱も、いや、あの激しい憎しみも今は許してもいいという気持ちに変化している。▼抗いもこの曲がり角まで、あとは冬
2011年12月17日 (土曜日)


とっておき 2 (千夜一夜・その193)
思い出は儚い。最期の年齢が近づくにつれてもう2度と会えないことが明白になってくるとある種の諦めと諦めた後のステップとしての決意が生じ始める。私には、とっておきの写真が1枚もなかった。悔やむのは、そう、あの人とのとっておきの1枚の写真を撮れなかったことだ。あの人といってもカテゴリーごとにさまざま人物があるが、当たり前のように言葉を交わし、さり気なく意地っ張りを交わしながら、とっておきを幾つか失ってきた。
2011年12月 6日 (火曜日)


とっておき (千夜一夜・その192)
美味しい酒を手に入れたりもう2度と食べられないような珍しいお菓子に出会ったとき、それをそのままの形で残しておけないものかと願うことは多い。人一倍に欲張りで寂しがり屋なクセに、そういうものをなるべく大事にしないように自分から心がけてきたようなところが私にはある。時期を満たして消滅するのが嫌で、そいつを独り占めして絶対に誰にも渡したくないというわがままを持っているのだ。そんな私に悔やむことが幾つかある。
2011年12月 6日 (火曜日)


九月の雨 (千夜一夜・その191)
夏が終わりきらない。あのころそんなことを紙切れの隅に書いてしばらく放置していた。九月に降る雨は気分しだいでどうにでもなる。あるときの雨はさぞや恨めしく、好きな人への届かぬ想いを湿らせて毒を含んだような雨にだってなる。そのときもきっとそうだったに違いない。しかし今となってはもはやいじらしさも悔しさもない。あの時間は過去でありあの人は体温を失ったように冷たくなってゆく。▼赤い花アナタの心に突き刺して
2011年11月30日 (水曜日)


ボタンのかけ違い (千夜一夜・その190)
都合の悪いことや思うようにことが運ばなくなって何か言い争いになってしまうと必ず「ボタンのかけ違い」というふうに言い訳をして逃げようとしてしまう。きっと、あの女も何処かで足を踏み外して人生の方向が定まらなくなったときから、狡く逞しく生きてゆく術を得たのだろう。潜在的に欠片があったのかもしれない。しかし、あの女と私の相性は「ボタンの掛け違い」というような生易しいものではなかったことに、あとになって気づく。
2011年11月27日 (日曜日)


悪夢 (千夜一夜・その189)
嫌な夢を見たことがった。悪夢とノートにおぼえがきをしたものの、しばらくのあいだにそれがどのような具体性を持っていたのかさえも忘れて、今さらになって、その悪が許せてしまう。そういうことがしばしば続くと、私には悪という文字は不必要なのではないかとさえ思えてくる。あの女は確かに悪意に満ちていたのかもしれないが、それ以上に愛してしまったのも紛れもなく私自身だった。そんなことを繰り返しながら愚かに生きてきた。
2011年11月27日 (日曜日)


銀に輝く (千夜一夜・その188)
いつか昔、誰かに打ち明け話をしたことがあった。僕の心のなかにはふたりの女性がいて、そのふたりはそれぞれがまったく違ったタイプなんだっていうような話をした。名前を「銀子」と「倫子」といって、僕のえがくドラマの主人公にもしていきたいと打ち明けたのだった。そのひとりである女性が、銀に輝くススキの野原をアルプスの少女のようなワンピースを着て歩いて来る姿を思い浮かべて、私は千夜一夜を書いていたのかもしれない。
2011年11月27日 (日曜日)


抜け出せない (千夜一夜・その187)
オトコがオンナに惚れるということはある種の狂気の沙汰なのだと今ごろ気づいている。冷静になって醒めた頭で一部始終を回想するとき、あんな愚かな手段でその人をこちらへと振り向かせようとしていたことがこの上なく恥ずかしく最低だったとわかる。どんどんと自分を負ける戦に導いていってしまいそれに気づけない。いや知っていても抜け出せない制御不能の状態になった。そしてあそこに進化は存在しないのだと、あとになって分かる。
2011年10月15日 (土曜日)


変わらない (千夜一夜・その186)
貴方へ届けようとした数々の手紙は、あれはもうマボロシであったことにしてしまいたい。確かに正直な呟きだったのだとも言えなくはないが、恥ずかしくも大人が綴る恋文ではなかったのでした。貴方に多かれ少なかれおバカで愚かなメッセージを届けてしまい迷惑をかけてしましたことを悔やむ。赤面するほどに恥ずかしい。大好きは変わらないものの、一時期の様な狂気の夢中さは今はもはや静まってしまって、しっとりと昔を偲んでいる。
2011年10月15日 (土曜日)


暗号 (千夜一夜・その185)
貴方にだけ暗号のように届く手紙を私は書き続けたいと願った。それは私が考えていることや想いを貴方と少しだけでも共有できたらという切実な願いであり純粋な祈りのようなものだった。どうしても貴方に届けたいという重苦しい感情は引き潮のように翳ってこのときは片隅にそっととどまっていればそれでいいと思い始めていた。けれども貴方はいつものように気まぐれ子猫が尻尾を立てたまま知らんふりをする如く私の便りには無言だった。
2011年10月12日 (水曜日)


想い続ける (千夜一夜・その184)
あの人への恋文は、もうおしまいにする。さわやかさも、ほほえみも、優しい眼差しも、すべてがマボロシのような夢だった。その夢に描いているあの人はきっと現実には思うほどに素敵じゃなったのかも。それでも私は好きでいたいのだと片意地のようなものを張りながらも突っ張ってきたのだけれど、今は嵐が去ったようにさわやかになってゆく。あの人というマボロシの女性を描きながらその虚像と実像を重ね合わせつつ想い続けたあのころ。
2011年10月 2日 (日曜日)


さわやか (千夜一夜・その183)
そうさボクはさわやかという言葉をすっかり忘れてた。キミはさわやか、素敵な笑顔と透き通る明るい声で僕を幸せにしてくれた。…と青春ソングのような詩節が浮かんだよ。気がつかなかったけれど、あの人はアルプスの少女ハイジのように、少しも悪意など持たず人を疑うこともなく憎むこともなく、意地っ張りでもなく見栄っ張りでもなく、みんなに微笑みかけてくれたのでした。その微笑を私だけが独り占めしようとするのはいけなかったの。
2011年10月 2日 (日曜日)


しあわせ (千夜一夜・その182)
十年ごとに彗星の如く私の前に現れては私の心を惑わせ煩わせていつかどこかに消えていってしまう人たち。戸惑ってはいけないときにその人に出会いやがて意味も訳もなく堕ちて行ったのだ。好きなわけではないし独り占めしたいわけでもないと言い訳を並べ立てても、ほんとうは大好きで独り占めして誰にも渡したくなかったのだろう。今なら潔く認めてもいい気持ちが満ち潮のように押し寄せて来る。何度も何度も「私はしあわせ」とくちずさむ。
2011年9月13日 (火曜日)


煩う (千夜一夜・その181)
もう想い煩う必要がなくなったのだと染み染み思う。あの日、ふとしたことでこれまでに一番欲しかったあの人の笑顔を私は手に入れた。それはケータイか何かで撮影した写真で、その笑顔に再会できたことで私はこの上なく幸せになれた。これまで「逢いたい声が聞きたい遠くからでも見つめていたい」と日記に綴り、静かに佇むものを眺めては想いを募らせていた。しかし本当に一番欲しかったのはこの子の笑顔を心にとめておきたかったのだ。
2011年9月11日 (日曜日)


ぱっと咲く (千夜一夜・その180)
「思いつき。あなたを好きになったのも」 十七音を浮かべながら、心にもない言葉の遊びだなと思っている。あの人を思いつきで好きになってしまうわけがない。じわりじわりと素敵さが見えて来る毎日を送りながら、意識してそっとその可愛さに触れてみると、パッと花が咲いたときの驚きのように私の心は揺さぶられたのだ。そういう感動を感激にして持ち帰って眠れない夜を幾度か過ごせば、誰でも魔法にかかったようになってしまう。
2011年9月 4日 (日曜日)


凪 (千夜一夜・その179)
二百文字という限られた升目の中にあの人への想いや夢物語やささやかな思い出や取るに足らない淋しさを書いてきたのだが、もうそろそろオシマイにしよう。夢中になっても静かに語りかけても、すべての私の思いはあの人にもう届け終わっているのだから、オシマイでいいじゃないか。日が暮れてゆく凪の堤防で、おしゃべりな私を無口にしてしまうような魔術を持っている海に向かって、さようならの言葉のあとの十二文字を考えている。
2011年8月 3日 (水曜日)


まさか (千夜一夜・その178)
まさか、ほんとうにあのときの別れが永遠の別れになってしまうとは、誰にも言えない途轍もない悲しみだ。確かに、もう逢えない予感があったのだが、あの人は、もはや私の前に姿をあらわそうという気持ちを一切持っていない、ということが少しずつ明らかになるほどに悲しみが押し寄せてくる。何かの拍子にまた切っ掛けを作って逢えるだろう、と軽々しく考えていたものの、どうやら、今度ばかりは心で受け止めねばならないようだ。
2011年7月14日 (木曜日)


南風 (千夜一夜・その177)
もういいよ、キライになるから。そんなうそは言えないね、おまえさんには。そんな会話を思い浮かべつつキライになれたらどれほど楽かと考える。南風が優しく吹き込んだのだろうか。日が西に傾き湾の入り口付近の水平線に丸い月が昇ろうとするころ、風は止んでいたに違いない。点々と浮かぶ鯛の養殖筏を、さざ波の跳ね返す光が飾りの様に光らせていたのだろう。あの人のいるあの浜へはもう私は行けない。▼南風凪を待たずに消えてゆく
2011年6月23日 (木曜日)


赤く小さく (千夜一夜・その176)
そうか、ただの女か、マボロシか…と繰り返しながら。その人を思うと寂しさがどっと覆いかぶさるように私を襲った。蛇苺を見てヘビを想像できるわけがない。爬虫類のあの冷たい触感はとても苦手だから。真っ赤な苺は小さいからこそ惹かれたのか。▼黄色い花、貴方を想う優しい花。もしもこの時に出逢った花が赤色だったら私は優しいあなたを慕わなかった。▼怒りん坊そんなあなたに出逢いたい。膨れ面のその人を想像しただろう。
2011年6月19日 (日曜日)


蛇苺 (千夜一夜・その175)
ただの女をマボロシを見るように私はひたすら追いかけていただけなのかもしれない。二度も三度も四季が移ろいゆく合い間にも廃れることのなかった想い。どうやって始末すればいいのだよと問いかけたとしても、アイツはネコのように知らんふりをしている。酸っぱい顔をした真っ白な猫のような、ただの女を、私はマボロシを見るように追いかけていただけなのかもしれない。▼蛇苺あしたの恋を占うて。へびいちごとカナでは書かない厳しさ。
2011年6月19日 (日曜日)


十六夜 (千夜一夜・その174)
窓を開けて月を眺めている間に私は眠ってしまった。満月のクセに隣の屋根に隠れそうなほど低空を月は横切ってゆく。初夏の月を見て…どうしてもあの人に会いたいと思っている。誰にだって私の心は嘘をつけない。何を見ても何を耳にしても、あの人が目の前に出てくる。月が白く淡く輝けば、色の白いその人を思い出し丸い顔が蘇ってくる▼丸い月アノコ髪型変えたかな▼空をみる切ない切ない十六夜。眠れば切ない夜は終わり朝が来る。
2011年6月18日 (土曜日)


遠回り (千夜一夜・その173)
雨に散ってしまう運命のツツジであっても、あの甘い香りを放ち、鮮やかに咲き誇るツツジの花の坂道が私は好きだった。夕暮れのひととき、電車道沿いの坂道歩けば、二人がたとえ言葉に詰まっても困ることはなかった。ハイヒールの足音がコツコツ響いていたのが蘇ってくる。あなたは遠回りじゃないの?と尋ねることはできなかった。あの人は何かわけがあってこちらの道を歩いて帰る。私の知らない理由にちょっとヤキモチを妬いた。
2011年6月10日 (金曜日)


ツツジ (千夜一夜・その172)
梅雨の走りの雨があがったあの一日だけに晴れ間がやってきた。まさにその日に、私は一枚の写真を撮って届けたくて花の咲く石畳のあの道を訪ねた。しかしそこには花はなく、私を迎えてくれたのは新芽の緑が鮮やかに吹き出している光景であった。ピンクの花びらをこぼれんばかりに咲かせているような、夢に描いたツツジはどこにもなかった。失望が私を襲う。次にここに来るときはきっと梅雨だろう。▼ツツジ咲くいつかの雨に散るために
2011年6月 3日 (金曜日)


封じ込める (千夜一夜・その171)
メルアドを聞き出せばきっとときめかなくなるだろう。そのまま、知りたいと願い続けるのがいい。聞き出すチャンスはいくらでもあるのだから、たやすく使ってしまうのはやめた方がいい。昔、夢を叶えることだけに突っ走って、叶えた夢を愉しむことをうっかりと逃したことがあった。あのときを忘れてはいけないのだ。だがこの人は、自らを語ることは一切なく、まるでこれまでの苦渋の過去を自分の胸に封じ込めようとしているように見える。
2011年5月14日 (土曜日)


ひっかく (千夜一夜・その170)
おとなしく黙って向かいに座り少しだけニコニコし何も自らは話し出そうとはせずテーブルに置かれたヤマモモの生ジュースのストローを口に付けたり掻き混ぜる素振りをしたりしながら決してため息をつくこともなく店の周りに広がる森を眺め遠くから届く潮風を感じているのだろう。海は無言でその人も無言。この人を誘拐しどこかに逃げてしまいたいという衝動。きっと私はその人の立てた爪で激しく責められるだろう。
▼ひっかいた心の隙間にキスをする
0921山帰来 (27)
写真:山帰来にて
2011年5月14日 (土曜日)


惹きつけるもの (千夜一夜・その169)
時に鬱になるとあの人は話してくれた。どんな気持ちで打ち明けたのだろう。私を突き放すつもりだったのかもしれない。でもその話を聞いてあの人を絶対に放したくないと私は強く思った。時々ヒステリックなふりをする時もあるけれど、それがますます私の気持ちを傾けてしまう。あの人は知らない。ただ単に好きだからあなたの前にいるのではない。離れたくないほどの魅力があなたにはあるのだ。それを伝えたいけど、あの人は耳を傾けない。
2011年5月12日 (木曜日)


星より秘めやかに輝く (千夜一夜・その168)
貴方には星より秘めやかに輝くときがあって、華やかな面影を漂わせつつも、光の中に吸い込まれてゆく哀しみを抱きながら、ひっそりと暗闇の中へ姿を消そうとする揺らぎを持っている。小さく点になってもなお瞬き続ける情熱を滲ませて、ぽつんとひとりの貴方は孤独と闘っている。それが私にはわかった。雨よりもやさしく春のそよ風よりも爽やかなシルエットに包まれても誰にも言えないものがあったの。いつもそんな気がして貴方を見てた。
2011年4月26日 (火曜日)


嘘つき (千夜一夜・その167)
静かで暴れることのない落ち着いたペンが綴ってゆく短い手紙の言葉は、いつかやって来る私たちの別れを予期するようだった。池に投げ入れた石ころが水に落ちる音でもなく涸れ底に転がるでもなく無音のままが続くなら、それは終わりを意味するのだろう。今になって思えば、それは穏やかで優しそうにも見えるのだが、実はそんなに生やさしいものではなく、呪文ほどに震えていたのかも知れない。陽炎のような日々。君のこと好きだと言った嘘つき
2011年4月13日 (水曜日)


さすらう (千夜一夜・その166)
雪うさぎ輝くことが哀しくて。どなたかのつぶやきが目に焼き付いたまま離れない。太陽の光を受けてキラキラと輝くうさぎはやがて融けて流れて消える。哀しくてもそれは破ることの出来ない約束なのだ。もう心を震わせるのはゴメンだ、慕い続けるのにも疲れたと私は思い始めている。叶わぬとわかっていてもいいというのは嘘だ。できることなら少しでも心が触れ合えばそれでいいのに。オトコの人ってアホですね。今更ながら沁みてくる。
2011年4月13日 (水曜日)


アホ (千夜一夜・その165)
好きという言葉を何度も自分に呟きながらこのことは誰にも言えないことなのだと染み染み思う。あの人に私の気持ちが必ず伝わっていると信じている。だが、伝わったところでやり場のなさが新たに生まれるだけで、だからあの人は、オトコの人ってアホですねと言って私をからかう様に見つめた。離れ離れになることは出会ったときに決まっていて、その人が遠くへ行ってしまった一年前にも私はこうして夕空を見上げては飛行機雲を探していた。
2011年4月11日 (月曜日)


ねぇ聞いて (千夜一夜・その164)
ねぇ聞いて、いいことがあったの。でも誰にも話せないの。口に出して誰かに言うと、シャボン玉のようにパッと消えてしまいそうな気がして。かつて、ある人から便りが届いたときに、喜んでそれを人にペラペラ喋ったらその人からの便りは途絶えたの。手紙に嬉しいことが書いてあったときも懲りずに喋ってしまってしょんぼりよ。そもそもが実るわけでもない恋心に春など訪れない。そっと一人で楽しむのが一番なのかもしれない。
2011年3月29日 (火曜日)


追いやる (千夜一夜・その163)
かくて私はその人のことを自分が持てる記憶の果てへと追いやろうとした。言うまでもなくそんな辛さに何故遭わねばならぬのか。望みはもはや微塵もなくなり如何なる努力を成したとしても最早努力だけでは揺るがせないものの諦めであったのか。崩しようのない大きな壁がそこにあり、決して動じることのない固い意思でそれは支えられていた。法や心を捻じ曲げようとしてみたところで壁は容易く動かせない一種のエネルギーを持っていた。
2011年3月25日 (金曜日)


失う (千夜一夜・その162)
わたしをすっかり見失いはじめている。このままでは意識の置き場も喪失してしまうだろう。喜怒哀楽の感情が空中分解してしまいそうだ。何が一番今のわたしにとって哀しいことか。それはあなたを忘れてること。遥か遠い人にしたくない。わたしが好きなことに気づかないふりをするなんて、この世のどんな拷問よりも苦しい。だからあなたをそっと、遠くもなく近くもないところから見つめていたい。でも、それさえも不可能なのがとても悔しい。
2011年2月11日 (金曜日)


私のゴール (千夜一夜・その161)
終点なんて一体どこにあるのだろう。本当にあるのだろうか。ゴールと書いてみて、少し見えてくるような気がする。ある人を追いかけて、追いつくことなどできもしないと知りながらその行方を想う。もう会えないかと不安を抱いたことさえあったが、今はそんなことは考えたくない。確かに結果は見えていた。愛とか恋とか情熱とか。真心とか真面目とか誠実とか。そんなモノで歯が立つならば、哀しみという言葉は不要だったことになる。
2011年1月29日 (土曜日)


冬籠り (千夜一夜・その160)
寒さは嫌いじゃないのだと口癖のようにいいながらも、ほんとうは温温とした暖炉の前が好きなのだ。冷たく肌を突き刺す季節風が吹く時期にはどこかに籠もってしまうのがいい。この「籠もる」という言葉にじっと息を潜めて時を待つようなイメージがあり、それが好きで家の中に冬籠るのを私はとても好んだ。もう誰にも会わない。とことんひとりになって、身体から汚れた膿を絞り出し、綺麗な血が滲み出てくるのを私は待つことにするの。
2011年1月29日 (土曜日)


見えない糸 (千夜一夜・その159)
わたしは見えない糸を手繰って彷徨い続ける。その糸のたもとにはわたしを麻薬で犯した悪人がいて、いけないことであっても糸を手繰り続けている。昔話で誰かに教えられたように、「玉手箱を絶対に開けてはならない」と固く忠告を受けたにもかかわらず開けた愚か人のように、わたしは夢を求め未知なるものを探し続け、細やかな誘惑に引きずられながら見えない糸を手繰る。ときには風のように、また詩人のように、自分を失いながら。
2011年1月26日 (水曜日)


突然 (千夜一夜・その158)
たとえそれが忌々しい記憶であっても、魔法に罹ったわたしが愚かだ。そもそも魔力に憑かれたように狂ってマボロシを追い続けるなど愚かさと浅はかさの至りだ。しかしながら、狂った側にも理由がある。ふだんから素敵だとか理想だと言い続けているような人物ではなく、趣味も性格も考え方も何もかもが突然変異的な人が目の前に現れたときに、わたしはどうやら魔術にかかりやすいということがわかってきた。十年とはそんな時間なのだ。
2011年1月26日 (水曜日)


十年 (千夜一夜・その157)
彗星のように女は現れた。そう、およそ十年ごとに、襲ってくる自然現象のように、わたしの前には女性がひとり現れた。十年という時間が何を意味するのか不明であるが、ほぼ間違いないこの時間の空白の後に次の新しい物語をわたしは迎えた。それは石畳を共に歩いたあの人だけではなく、十年前にも、そして二十年前にもわたしを惑わせて狂わせて失意の淵に追いやってしまうというような人生に凸凹を残してしまう出来事で幕を閉じた。
2011年1月26日 (水曜日)


マボロシ (千夜一夜・その156)
去年のある日あの人は怪我をしたという。横転した車の下敷きになって十数箇所を骨折したと、歩けるようになった頃ひょっこりと便りを出した私に無造作に教えてくれた。便りはそこで途切れた。あれから私は依然としてマボロシを追い続けている。夢を見ながらマボロシを追い、夢のなかでまた夢を見る。マボロシの自分が堕ちてゆく。あの人のことはもう嫌いになろうと思いながら、マボロシの翼に乗って逢いにゆきたいと夢見ている。
2011年1月17日 (月曜日)


サイレン (千夜一夜・その155)
ケーキなんて…と投げ捨てるように思った後、それでいいのだとひとりごちた。すると今度は頭の中に再び大晦日の救急車のサイレンの音が蘇った。幾つも山を越えねばならない村の名が車に書かれている。この町で誰がどうなったのだろうか、老人が脳内出血で倒れたか、予定よりも早く子どもが生まれるのか。あのときに感じたこととはまったく異種とわかっていながらも目の前を流れゆく社会の悲哀や驚愕を肌身に感じつつ家路を急ぐ。
2011年1月17日 (月曜日)


ケーキ (千夜一夜・その154)
日が暮れてしまった夜空にうっすらと銀色の分厚く重たそうな雲が横たわっていた。冷たい風が頬を切る様に吹き付けると滲んでいた涙が目尻を伝って凍る様に肌を刺す。煌煌と明かりを放つケーキ屋がすぐそこに見える。何の用事もない自分にとってそこへ出入りする人に興味などないものの小さな箱を下げて車の中へと足早に消える女性の姿をみるとそこには幸せが一杯詰まっているのがわかる。あの人はどんなケーキが好きなのだろうか。
2011年1月17日 (月曜日)


しみったれ (千夜一夜・その153)
さて、そろそろペンを置く支度をしよう。もうそれほどいつまでもこの人のことを書き続けるわけにもいかない。すい星のようにある日わたしの前に現れた人だから、すい星のように消えていってしまってもおかしくもなく、わたしはそのことを知らなかったつもりでいれば何もこれ以上哀しむことなどないのではないか。ところがそうではない。どこの女性たちもが助言するように男とは未練に満ちた動物でしみったればかり。そうわたしも。
2011年1月 7日 (金曜日)


惹かれる (千夜一夜・その152)
私がその人に吸い寄せられてゆく始まりのころはエクボの素敵なくらいの感動しかなかった。なのに、福永武彦が「風土」の中で残酷だと書いていた海が持つイメージを放つその人に私は惹かれてゆく。あの人にはハイヒールもお洒落なブーツも無縁だったし銀のピアスも亜麻色の長い髪も似合わなかっただろう。そういうものは、彼女の可愛さにはそぐわなかったのだ。でも私はドラマを描くと必ずあの人のイメージをそのように自由に変えた。
2010年11月30日 (火曜日)


残酷 (千夜一夜・その151)
あの人はいつもひとり静かにいた。本当はそれほど人付き合い上手じゃなかったのだろう。無理矢理それを隠していた訳でもなかろうが、そのことに触れられるのが嫌だったに違いない。そんなふうに頑張って背伸びしている意地らしさが憎めなかった。-いつでも、白波のように、絶望が牙を噛んでいるのだ。海はまったく人生に似ているよ。粗暴で、強情で、残酷で(福永武彦)-あの子も激しい性格だったか。細雪の三女・雪子が思い浮かぶ。
2010年11月29日 (月曜日)


千夜一夜・その150まで

えくぼ (千夜一夜・その150)
あの人を初めてみたというか初めて会ったのは、つまり、長い間遠くを繋いでいる電話だけで話していた人に初対面した日でもあった。しかし、そのときのあの人の残像は何ひとつ記憶にない。要件は微かに覚えていて、ちょっとした連絡か何かだったのだろう、例えば嬉しいとか驚いたとか予想外とかそういうものも何もない。静かに首をかしげて廊下を歩いてゆく姿と明るくにっこりとほほえむエクボだけが私の記憶に出てくる始まりなのだ。
2010年11月17日 (水曜日)


ショーウィンドウ (千夜一夜・その149)
何も見なかったような顔をしながら言い聞かせるようにホレテハイケナイと心の中で反復していた。惚れてしまうことはないという自信はある。叶わぬものに手を伸ばすのはもうこりごりだ。痛い思いも辛い思いも嫌だ。凩はその日から毎日のように吹き荒れた。帰りの列車を待つ間、ひまつぶしに駅前のカジュアルな洋品店街を歩けばショーウィンドウの中のざわめきが聞こえるような気がした。▼シルエット、キミに見えるてくる木枯らし
2010年11月12日 (金曜日)


胸のぬくもり (千夜一夜・その148)
冷たく強い凩が頬を突き刺すホームに立ち間もなく列車入ってくるというときに胸の中でケータイがぶるぶると震えた。「ありがとう、大好き(はあと)」の文字が目に飛び込んだのだから私に戸惑いがなかったとは言い切れない。ワカッテいるのだが。オブラートに包んだ飴玉をそっと口の中に放り込んで周りをキョロキョロと見渡すときのように私はドキドキする動揺を大事しながら誰にも気づかれないようにケータイをポケットにしまった。
2010年11月12日 (金曜日)


はあと (千夜一夜・その147)
麻薬のようなその言葉に私は戸惑わず、いくらかの期待も持たなかった。あの子の言葉は日常のひとかけらのできごとであり、この人にとっては何ひとつ飾りを纏わない自然な挨拶だったのだろうから。しかし、心の奥深いところで私の心はピクピクと緊張し、温まってゆく。木枯らしの吹き始めた11月中ごろに、仕事帰りの坂道を下りながら、今日も元気な顔を見れて嬉しかった、とメールしたら、ありがとう、大好き(はあと)、と返事が来た。
2010年11月12日 (金曜日)


大好き (千夜一夜・その146)
マボロシダッタノカモシレナイと思った瞬間から数か月が過ぎたある日、いつかの大雨に出した見舞いの便りのことを思い出す。ほんとうに心配してめげていまいかと胸を傷めた。そんな便りにもあの人は必ず返事をくれた。ハートマークとか「大好き」という言葉を何の垣根もなく投げてよこす人だった。そんな人だったからこそ本当の意味での「好き」ではないとわかっていたつもりだったが言葉は魔術の呪文のように人間を溶かしてしまう。
2010年11月12日 (金曜日)


マボロシ (千夜一夜・その145)
「オトコの人ってアホですね」そう、私はアホやからいつか貴方がそういってた通りの奴です。オマケに、そんな奴であればなおさら、恨んだり憎んだりもしないみたい。月曜朝の貴方の激しい赤のチークが嫌いだっけど、好きだったのかもしれない。小さな入り江に潜んだ静かな家で再び会って、化粧もせずに水でルージュを引いたような貴方は海の精のように素敵だった。あれはマホロシダッタノカモシレナイと思うことにする。さようなら。
2010年11月 6日 (土曜日)


置き手紙 (千夜一夜・その144)
そこには「さようなら」という言葉などなく、あるのは、絶望の果ての失墜だけかもしれないのに。私は、貴方が投げ付けて去って行った置き手紙を丸めて棄てようともしなければ、拾い上げて読もうともしない。その手紙にはおそらく言葉や活字など何も書かれてないだろう。真っ白の便箋が丁寧に畳んでしまってあるだけだろう。きっと貴方のことだから、私がこれでもかというほど哀しめばいいと願ったに違いない。そんな気がするの。
2010年11月 6日 (土曜日)


燃える空 (千夜一夜・その143)
赤く燃えている空に季節の色などあるのだろうか。私が貴方に会いたいとこんなに切なさを募らせているときにも夕暮れは容赦なくバラ色のドラマの終わりのようではないか。哀しみに満ちて迎えたあの日の朝のように赤く海原を照らしているではないか。赤色が好きだといって、赤いバラを見つめていた日々もあったのに、今はそのすべてを哀しみへと集結させようとしている私がいる。私は見つかりもしない出口をずっと探し続けている。
2010年11月 6日 (土曜日)


幻の鳥 (千夜一夜・その142)
絶望の淵に追いやられたら私は死ぬ覚悟で物語を終わらせるのだろうか。まさかそんなことをするはずもない。私は自分が不死身で必ずまた生き返ると思っている。その人を恋するひとりの人間として永遠に生き続ける。しかし、その人は容赦なく私を崖っぷちに追いやる。というか、その人にはそんな気はサラサラないのだ。なぜならその人は短気でヒステリックで、夢に架けるロマンのかけらさえない人なのだ。私は幻の鳥を追い続けている。
2010年10月29日 (金曜日)


絶望 (千夜一夜・その141)
きっと私はこのドラマを早く終わらせてしまいたいと思っている。恋を失うことも愛に惑うことも、もはやありえないのだから潔く切り捨ててしまうのがいいと思っているのだ。なのにどうしてこれを書き続けているのか。つまりそれは、絶望という言葉も失望という感情もない私にとって、崖っぷちに追いやられたり、望みをなくして立ち上がれなくなるような哀れな結末はなく、まして惨めもないのだから、そのことが邪魔をしているのだ。
2010年10月29日 (金曜日)


土砂降り (千夜一夜・その140)
雨の降るイライラの募る日に庭の花畑からバラを切って一輪挿しに投げ入れてみる。人影のまだ少ない昼休みのロビーであの人が花を活けていたのを思い出している。あの横顔を何度も何度も思い浮かべながら、一輪挿しの脇にあの人の姿を置いてみる。深い淵がたとえ存在したとしても静かに花に手を添えているあの人のシルエットは私のものだ。私はそれだけで、毎日をドキドキして送ってきたのだから。▼土砂降りに棘ある花を生けている
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅣ (千夜一夜・その139)
カーテンを開ければ窓の下に真っ青な海が広がるという景色は、私にしたら夢のような世界であっても、小さいころからそこに海があったその人にすれば、悲しみも辛さも喜びも悲しみも、みんな飲み込んだ海だったかもしれない。「海が好きだ」と私が呟いたのを聞いたあの人は、あのとき、悲しそうにうつむいて黙ってしまった。なぜにその気持ちに気付かなかったのかと今更ながら思う。私とあの人との間には深い深い淵があるのだと思う。
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅢ (千夜一夜・その138)
朝日と夕日にいったいどんな違いがあるというのだろう。どちらも同じ自然の姿であるのに、心が沸き立ってみたり沈み込んだりを繰り返しながら、人を好きになったり嫌いになったりしている。あの人のウチの、おそらくあの人の部屋からも、海のざわめきが肌でわかるはずだ。さざ波が浜に打ち寄せる音も静かな朝ならば聞こえるのだろうか。きっと、真っ赤な朝日が窓から差し込む部屋で、波の音を耳に眠い目を擦りつつ起きるのだろう。
2010年10月22日 (金曜日)


海のざわめきⅡ (千夜一夜・その137)
それは私の我儘であるにしても、多少の焦りや妬みを含んだ嫉妬のような感覚だったと思う。自分では何の他意も欲も無いと言い放ちながら、海がざわめく、陽の当たる静かな佇まいへ訪ねてゆき、何を語ることもせず時間を過ごせたらどれほどまでに幸せだろうかと幾時となく夢を見ていた。すでに夢破れていたこともあり、腫れ物に触るようにその人には何も打ち明けられないのだろうけれど、私の心は充分すぎるほどに届いていたに違いない。
2010年10月21日 (木曜日)


海のざわめき (千夜一夜・その136)
私は怒っているのであろうか。そう、その人に怒りを持っているから、私はこうしてこれを書いているのかもしれない。しかし怒りは、憎しみも生まないし恋情も残さないままだ。穏やかな波の上を漂う流木のように、沖からその人の居る岸辺を眺め、眼を細めてにこやかにしているふりをしながらも、ほんとうは最大の絶望に満ちていたあのときを思い出させようとする。そうだ、私はやはりその人を憎み、その人に怒りを感じているのかも知れぬ。
2010年10月20日 (水曜日)


月を見上げる (千夜一夜・その135)
どうしたら私の心の叫びを届けられるのかと夢中になったことがありました。でも、あの人は私の心の内を察していながら知らんふりしていただけで、私も十分にあの人に気持ちが届いているのを感じていました。あの人が知らんふりすればするほど、私は夢中になっていってしまう。あの人にはそんな気などサラサラないのに私は夢中になる。知らん振りしなければならない理由があったのもわかっている。▼同じ月きっとあなたも見てようか
2010年9月23日 (木曜日)


気障はお嫌い? (千夜一夜・その134)
そんなことがなんとなくわかってきた時期がありました。私の思い込みや期待で、魅力があの人には溢れかえっているように思えたわけです。でも、恋って盲目って言うように、私の場合は恋じゃないと言い張ってみるけれど、まあそれは置いといて、自分でも恥ずかしくて顔から火が出そうな気障な言葉を用意してメールでポンと投げても、仕事帰りの坂道でほろりと呟いても、あまり反応してくれなかった。▼雨の朝、あなたの手紙を読み返す
2010年9月19日 (日曜日)


ロマンチスト (千夜一夜・その133)
あの人を知りたくて一生懸命になるのは訳があった。友だちも多くて人気者で明るくて爽やかだからきっとモテルだろうけど、自らは何も話し出さない人だから、思うほどに人付き合いが広くもなく友だちも多くない。見た感じよりも派手でもなく大勢よりも一人が好きなのかもしれない。けっこう人付き合いに気を使ってヒーヒー言っているタイプなのかもしれない。それにそれほどロマンチストでもないみたい。▼彼岸花咲いて静かにもの思う
2010年9月19日 (日曜日)


夕やけ2 (千夜一夜・その132)
諦めきれずにあなたに手紙を書こうとする。でもそれは、中学生のころに書いた恋文のようで、好きですと言葉に出来ず、一歩手前でうずうずするようなかんじ。大人だから潔く好きだといおう、と思うのだが、上手にいえない愚かな奴。夕やけの中に飛行機雲を見つけて、あわててメールを投げてみる。キミの夕やけは、ボクの夕やけ。そう思うと繋がれるような気がして、私は一生懸命に夕やけを見上げた。言葉にならない、私の気持ち。
hkoukigumo
2010年9月 9日 (木曜日)


夕日 (千夜一夜・その131)
走る列車の中で手帳にそんな走り書きをした。夕焼けなんか見てなかった。旅に出ても何も解決しないじゃない。たとえあなたに逢えたとしてもそれは同じ。このままでは燃え尽きて、私はやがてバーンアウトしてしまいそうだ。そんなことを考えていた。日に日に熱くなってゆく自分は、ちょっとイケナイ状態で、そうなると早く焼け落ちたほうがいいのかも。だったら、できる限り綺麗な姿で落ちてゆきたいな。走る列車に宵闇が襲ってくる。
2010年9月 9日 (木曜日)


秋の暮、心に旅をさせてみる (千夜一夜・その130)
秋の暮、心に旅をさせてみる。そう手帖の片隅に書いている。あの日の私は乱れに乱れた。あなたを想う私の気持ちなど誰にもわかりはしないから、想えば想うほどに心は迷宮入りだ。あなたからの便りなどあるわけもなく、差し延べた手を何処にも戻すことができないままで、いったい私はどこへ行けばいいのだろう。▼秋の暮、心に旅をさせてみる。私は旅に出るしかないのだろうか。心だけが遠くへ旅立てば私の切なさは解消されるのだろうか。
2010年7月23日 (金曜日)


十月、真っ赤なリンゴ (千夜一夜・その129)
秋も深まるとリンゴが美味しい。サクッと音を立てて齧ってみる。シャリシャリと噛む。あなたはいつも上品だから、きっと綺麗に皮をむいて細かく切って、そう、真っ白な小さなお皿に並べているかもしれない。会いたいな。でも会えなくてもいいかな。今、小さい目のあなたを思い出してる。(14日)▼好きですと、リンゴをかじって言ってみる▼諦めがついてあなたの小さな眼が好きだったのだと気がつく▼雨音やいつもどおりに地を叩く
2010年7月16日 (金曜日)


十月・月 (千夜一夜・その128)
秋という季節は遠くにいる人を慕ってもの思いに耽るには絶好だ。夜は、静かで甘く優しく、月は綺麗に輝き、日ごと高く昇るようになる。沁みる寒さが感情を刺激し、遠くにいるその人に想いを投げかけるに如何にも相応しい。空の真上に向かって叫べば遠くに届くような気がしてくるのだ。つき先ごろも、月はひとり、星は二人で見上げたい、と書いた(3日)▼同じ月きっとあなたも見てようか(5日)▼これきりと言い出せなくて神無月
2010年7月16日 (金曜日)


十月、まあちょっと (千夜一夜・その127)
去年の秋のメモが残っている。それをポイと屑篭に棄てられない自分を憎んでみたり、可愛く思ってみたりし、ゆくゆくは哀れなのだと気づき始め、誰にも言えない感情に襲われる。そこには照れでもなく怒りでもないものがある。そんなことを繰り返しながらメモを読み進む。そう、あなたは手の届かないところにいる。(1日)▼キミと僕、秋雨前線でつながる▼夕焼けに切なくなって、まあちょっと▼まあちょっとあなたに手紙を書いてみる。
2010年7月16日 (金曜日)


散り散りに (千夜一夜・その126)
あなたに愛を告げる/言葉を探しましょう/並木道を歩く二人に。こんな流行歌があった。愛を自分のなかに擁いているのだろうかと自問を続けた。その自信のなさと熱くなる情熱との二つの心を葛藤させながらこれを書き、結局今は「恋文」としている。もう終章のつもりでいるのでこのあとに改めることもないだろう。恋心は幻のまま、そして纏まることもなく、散り散りの言葉を集めて、つまりは塵とする覚悟を決めるため書き続けられる。
| 2010-07-07 04:44 |


赤 (千夜一夜・その125)
たまには雨もいいさ、ちょっと湿って。そんな十七音のつぶやきが残っている。まるで、詰まらなくなった講義の合間に大学ノートの片隅へ書く落書きのようだ。その十七音がとても切なくナルシスト的だ。秋は無言でいても時めいていても過ぎてゆく。指切りを思い出すたび彼岸花。赤色が好きだ。秋晴れの青空を見ても、それが、夕刻には真っ赤に燃える夕焼け雲に変化しても、何を見ても人が恋しいときには、もはや手の施しようがない。
| 2010-06-27 13:41 |


雪子  (千夜一夜・その124)
初恋なんて覚えてないわ…体育祭。私の地方ではまだ紅葉は色づかないけど、九月の中旬にどこかで秋の運動会を見かけて初恋のころが急に懐かしくなったのだろう。職場の体育祭やマラソン大会というとあの人はいつも人気者だった。見かけは小柄だが、負けん気が強かったのかも知れない。元気に汗を流している姿が印象的だ。しかしながら、その溌剌さの陰には細雪の女四姉妹の三番目の雪子のような性格があったのかもとも思えてくる。
| 2010-06-23 10:04 |


終楽章その四 (千夜一夜・その123)
深まる秋にその心の寂しさも萎えてゆく自分の弱さも知りながら、おはようと爽やかに挨拶するよりも、さようならと明日を見つめて分かれるほうに、静まった自分の気持ちを置いて眺めているような自分がいる。「坂道の下のイチョウが散りました」こんな十七音を残し、静かに自分を見つめる夜を迎えてる。秋は少しずつ彩りを重ねて、寒さも日一日と忍び寄る。「しずけさが誘ってくれた白い月」名月の夜に空を見上げてひとりでそう詠む。
| 2010-06-22 19:05 |


終楽章その三 (千夜一夜・その122)
分かれは日常の記録にとどめるまでもないままで繰り返されて、聞こえることのない小さな一言のつぶやきは私の魂の炎の源に当たる芯を痩せ細らせていった。それはあたかも人間が餓死してしまう際に衰えてゆくような痛みを、何ら齎すことなく苦味だけを帯びた苦痛を残し、私の魂はそれさえも覚悟のうえで受け止めながら、分かれがいつか最後に別離になってしまうときを陽炎を見るように思い浮かべていた。そこには逆らえない壁がある。
| 2010-06-22 19:01 |


ある秋の小さな旅 (千夜一夜・その121)
秋のある日の私の小さな旅は取るに足らない些細な出来事なのかも知れないが、一方で絶対に失いたくないひとつの思い出でもある。まるで駅のホームで恋人を送るかのように私はその人と別れて、小さな路地へと行ってしまう車を見送った。帰りにはお祖父さんのお墓参りをする言っていた。その言葉がその人の優しさを象徴しているのだと思う。その人はまっすぐ私は右へと、小さな集落のなかにある交差点で、さようならと呟いて分かれた。
| 2010-06-22 05:56 |


終楽章その二 (千夜一夜・その120)
そうだ。塵に還ればまた新しく芽を出して、再び花を咲かせることが出来るのだ。生命がこの世に生まれて活動を終えたときに還ってゆく場所が土であるように、もしも私が花ならばこの花も土に戻ってゆかねばならない。物語は切ないほうが、味わいがあるかもしれないし、その次のシリーズが生まれやすいのかもしれない。はっきりと無理だとわかっていても、はっきりと言葉に出して「嫌いだ」とか「好きだ」と言わせたい性格なのだろう。
2010年 06月 15日


終楽章 (千夜一夜・その119)
すでにもうこの物語は終楽章に入っているのであろうが、昔に「鳥のひろちゃん」を書いたときも「鶴さん」を書いたときもそうであったように、一向に終わりだと認めようとしない自分がいる。花がピンクやオレンジや黄色など様々に咲き、見る人を和ませてくれようとも、いつかそのときが来れば枯れて、萎れた花びらは枝から落ちてしまう。誰かに拾われ土に埋められれば幸せだ。行き交う人に踏みにじられ、やがて風に吹かれて塵になる。
2010年 05月 21日


弱くて愚か (千夜一夜・その118)
やがて必ず訪れる別れのときは、それ自体が悲しいものか、それとも幸福を伴うような必然なのか、またはいずれにも当たらないことだってあるだろう。まったく想像はできないにしても、心のどこかで覚悟をしているのかもしれない。しかし、その反面、いざそのときを迎えたらおそらく未練を隠せず、ジタバタとする自分も見えるのだ。もっとも私らしい姿を曝け出しながらその人とサヨナラをするのだろう。弱くて愚かな自分を哀れもう。
2010年 05月 21日


夢を語る (千夜一夜・その117)
この人は何を考えているのだろうか。きっとこの子にも大人の恋があったのだろうな。それが熱いものであるとか深いものであるとか、私には知る由もない。ただ、好きな人が永遠に幸せであってほしいと願うのは誰しもが同じで、この人を幸せにするチャンスも力もないけれども、今、小鳥の囀る森の中に身も心も埋もれさせたままで、束の間の幸せを感じその光輝を浴びながら、この人の幸せの夢を語って聞かせて欲しいと思ったのだった。
2010年 05月 20日


山帰来(2) (千夜一夜・その116)
山帰来であの人は山モモのジュース、私は何のジュースだったか記憶にないけど、めはり寿司も注文した。茂みに囲まれた山の斜面に建つ静かな店だった。とても私たち二人が来るには相応しいとは思えない。まもなく挙式を控えた二人ならわかるが、イケナイ二人の来るところではなかった。山モモのジュース、久しぶりだわ。そうその人は、まるで呟くように、私から目を逸らせたまま海を見ている。何を思い出しているのか。気に掛かる。
2010年 05月 20日


秘める (千夜一夜・その115)
私にとっては猫としか思えない。でもそのことを口にすると少し不快な顔をする。滅多に不快な顔をしない人だ。気に食わないときはよそ見をして知らんふりをしているような人だ。不快な顔をされるとこっちはちょっとどころか凄く落ち込む。何ひとつ私の望みを叶えてくれるわけでもないこの人を、じっと見ているのが好きだった。何ひとつ幸せにならない。そんな夢を胸に抱きながら見つめているのだ。辛いのだがそれはそれで幸せだった。
2010年 05月 14日


熱情 (千夜一夜・その114)
時計の針は止まらない。止めることもできない。コチコチと時が刻まれてゆく深夜、この流れに身を任せて次なるドラマの筋書きを私は描こうとする。かつて大きな夢を胸に目前の荒波に向かい、勇気と情熱で船を漕ぎ出そうとしたときの、揺るぎないシナリオは誰にも負けぬエネルギーを持っていた。しかし、細かく刻み続けられた時空の果てに、小さな変化が大きなものとなり、あのときの熱いモノが些か衰えてしまったようだ。暫し休むか。
2010年 05月 12日


猫よ(4) (千夜一夜・その113)
あの人は、猫と犬ではどっちが好きかというような世間話的でアイスブレーク的な話にもまったく乗ってこないマイペースな人なのだし、馬鹿げた話をすることに交わるのも好きでないようだ。ましてオトコ好きでもない。もっとも私はこの人にモテようと思っているわけではなく、この人のちっこくて優しい目と、可愛いエクボ、ときどき見せるはにかみを含んだ話し方が好きなだけだから、早く嫌いにならねば自爆をすることになると思う。
2010年 05月 12日


猫よ(3) (千夜一夜・その112)
その怒りの様子を見て百年の恋も冷めたか、とまでは言わないが、濃い化粧が嫌いな私がここまで貴方を思っているのに少しはわかって欲しい、と思ったのは確かだ。しかし、あの人のそういうところを見ているとまるで、猫に横からお節介をしたときに、奴らが怒り食いついてくるのに似ているな、と思った。今は「アバタもエクボ」状態の私だから大きな失望することなく踏みとどまったものの、というより不思議にも許してしまうのだ。
2010年 05月 12日


猫よ(2) (千夜一夜・その111)
私にとって、あの人は何ひとつ分からない不思議な人で、きっとあの人は正体不明のまま、私の前から姿を消してしまう日が来るだろう。そんな微かな予感がある。猫のようだと私が言えば、どうやら猫にはマイナスのイメージが多いらしく、とても不快そうな表情をするし、化粧が濃いと言えば、それを私がどう感じているのかを聞こうともせずに珍しく怒りを込めた語調で声も大きめで「そんなことはどうでもいいじゃないですか」と嫌がる。
2010年 04月 16日


猫よ (千夜一夜・その110)
秋の終わりに京都の街を散策したくなり、ひょっこりと出かけてみたことがあった。そのことを伝えたくてメールをすると、普段から一向に返事をよこさないあの人が「今信州に来ています」と気まぐれな返事をくれた。自分を猫のようだと言った人があったがそんな風にいわれて嬉しい人がいるものか、と珍しく感情を荒立ててメールをくれたこともあるが、やっぱし、この人は紛れもなく気まぐれな猫のようだ…と私にさえ思えてくる。猫よ。
2010年 04月 14日


予感 (千夜一夜・その109)
予感はある種の理論に基づいて発生するのだと思うことがあって、三度目にこの町であの人に逢った午後、それが最後になってしまうのではないかという叶って欲しくない予感のようなものを感じた。それはあの人が再び今のところに戻ってくるという期待でもあったのだが、春から6ヶ月という時間が過ぎたのだから、さらにあと6ヶ月が過ぎれば今度こそ本当のお別れになるという確度の高い予測もあった。じっくりと考えると悲しみが湧くのだ。
2010年 04月 14日


痺れて (千夜一夜・その108)
食物が美味しく風光明媚で人情が厚いから何度訪ねても飽きてこない。次に来てもまたワクワクと愉しめる町に変化してしまったのは、その人の吸引力であるのは明らかで、心とはその程度のものだ。まるで魔法や催眠術に罹ってしまったかのように惑わされて続け、そんなことわかっていますよと思いながらも甘い戸惑いと神経が痺れてゆくようなある種の悪質な酔いに縛られて成すがままに流されている。この人に恋をしてはいけないのに。
2010年 04月 14日


あなたのもとへ (千夜一夜・その107)
手帳から。この人がこの小さな入り江に帰ってきて住み始めるまではまったく気に掛けなかった町なのに、初夏の或る日にあとを追ってこの人を訪ねて以来、まるで一夜にして色を塗り替えたかのようにこんなちっぽけな地方の町がまったく違った町に見えてきたのです。あれから私は、例えば贔屓にする町で美味しいワインを求めるように、この町に立ち寄るようになったのです。峠を越え最初のコンビニを曲がり港までゆき片隅の公衆電話まで来て。
2010年 04月 09日


脳裏 (千夜一夜・その106)
私はあの人を脳裏にしまってあるの。メールをしても返事もくれないのに顔を合わせば別人のように優しくにこやかに私の話に相づちを打って、やがて疲れたように小首を傾げて眼を閉じてしまう。話すことに疲れたかのようにふわっとしている姿が私の心をどんどんと痺れさせてゆく一方で、これ以上あなたを見つめていたらわたしは生きていられなくなるのではないかというような錯覚にも似た衝動が襲ってくる。でも、騙されてはいけない。
2010年 04月 07日


出さない手紙 (千夜一夜・その105)
今夜はどんなお話をあなたに書こうかな。私がとても醜い人間だということでも打ち明ける?いいえ、そんなことしたって、破滅のときが近づくだけだから、今夜はあなたのことを思い出して、少しお酒に酔ってみたいなと思っています。きっともう、私のことなど気に掛けてもいないだろうけど、私はたった三回だけでもあなたに逢って話ができたことを永遠の思い出にしているんだから。出さない手紙でも、こうして書くのが好きです。
2010年 04月 06日


憎まれ口を叩きつけ (千夜一夜・その104)
黒い天使。あなたは私にとって悪魔のようで、ほんとうだったらトコトン嫌いになって、おもいきりなじって、憎まれ口を叩きつけてやりたいほど嫌いだった。そう思いながらも、好きだった。抱きしめたいとかキスしたいとか、そういうのではない。憎らしいけど好きなの。そんな音楽があったけど、気持ちはあの音楽のように陽気じゃない。私はいつでも、あなたを連れ去って独り占めしてしまいたいという夢ばかりを描いていたのだから。
2010年 04月 06日


ひとりよがり (千夜一夜・その103)
好きですと、リンゴをかじって言ってみる。そう紙切れに書いて暮れゆく秋を哀しみながら、もうすぐきっとあの人が戻ってくるのだと少しだけ喜んだ。しかし、あのときはあの人に再び会えることが、即ちやがて遠くて永い別れになってしまうのだということを気にかけなかった。予想をしなかったわけではなかったものの、元気になって戻ることのほうが嬉しかった。ひとりよがり。わたしはあのときのほど醜い人間であったことはない。
2010年 03月 27日


春ベンチ (千夜一夜・その102)
三月のある日、色彩を失った月の光が照らし出す庭の中に雪柳が陽炎のように潜んでいる。まさにそれは潜んでいるというのが相応しいほどに、惑いを漂わせていた。思わずわたしは好きな人の名を呟いてしまった…。その瞬間に途轍もない諦めの感情がわたしを襲う。その日、街では卒業式に向かう袴姿の女学生をたくさん見かけた。そうだ、決定的な日が時々刻々と近づいてきているのだ。散歩道誰を待つのか春ベンチ。そう、刻々と 忍び寄る。
2010年 03月 27日


欲望 (千夜一夜・その101)
誰にも知られたくない激しい欲望を私は持っている。それは、あなたを独り占めにしてもう絶対に放さないのだという強烈なものだ。しかし早くあなたを嫌いにならなくては私も滅びるかもという不安もある。春になって喧嘩をして、冷たい雨に濡れながら「さよなら」できるだろうか。と、そんなおぼえがきをノートの端くれに書きながら、好きです嫌いですを繰り返している。まるで、ドラマの狂人を真似するように、わたしは振舞うのだ。
2010年6月25日 (金曜日)