二人で生きている - 立夏篇 【裏窓から】

5月5日(立夏)

夏になる
こどもの日であったが仕事に出かけて
帰り道でケーキ屋さんに人の群れがあるのを見て
そうか
子どもたちにケーキを買うとか
夕飯でご馳走を食べるとか
そういう日だったのか
と気づく

日記には何も記録がなく
6日に

🌱こどもの日子どもは巣立って夫婦だけ

そんなことを書きおいて
ゆうはんには二人で餃子を食べている

当たり前のことにもっと感謝をして生きていきたい
言葉にしてしまえばタダそれだけのことである

🍀

目が見えて
耳が聞こえて
心に何らかの病を患うこともなく
身体の機能も不自由なく
生きている

わたしの父は耳が聞こえなかったのだが
日常生活であの人の苦労を推し量ることもせずに生きていたわたしは
なんと無謀な人間だったのか今頃に気づく

身の回りに至ることで考えてみると
わたしは結婚をして
子どもがいて
孫ができて
まずまずの近所に住んでいる

🍀

金はない
これは当たり前のことで
自らの能力と力量の限界から考えれば
こうして暮らしておれるのは
贅沢なほどに真っ当なのだ

人に騙されたり
悪い企みにハメられてしまったのも
今思えばお人好し過ぎた

🍀

人間というのはあれほどに
絶対忘れないぞと思ったことまで
はっとして忘れてしまうのだから
哀しいものだ

わたしはお人好しなのだ
(だったら)バチは当たらんやろ
アタマの閃きは決して良くない
だがそのことと生きる道とに相関性はないだろう

🍀

ツマには感謝している
しかしそんなことを言葉で語っても
ツマは一切喜ぶことは無く
寧ろ昔まで遡って
不平不満をわたしに向けて
これまでの人生を悲しみ悔やむだろう

🍀

しかし
それでいいのだ
仕方なかろう
誰にも打ち明けられない弱音があってもいいのではないか



わたしは
初夏の風になって
蜜柑の花咲く丘を
一気に海まで駆け下りて

あの人の前に
かくれんぼの鬼のように飛び出してみたいと
夢のようなことばかりを考えていたひと頃があったのだ

伸ばした髪を短すぎるまでに切るのもやめて
ふわりとした天然のウエーブにブラシを当ててみたり
置きっぱなしになっていた若い頃の大事なコロンを
本棚の片隅で見つけて
少しつけてみたしりている

本当に会いたい人は
何処にいるのかわからず
何をしているのかもわからない

広告

カタツムリ柱のキズを越えてゆく ─ 立夏篇 【裏窓から】

▶ 好き好き好きと三つ言ったら夏が来る
▶ ヤキモチを妬いて五月の雨となる
▶ カタツムリ柱のキズを越えてゆく

平成23年の五月ころの日記を探っていてみつけた

あのころは
ああこんな月だったのだと振り返っている
けれども
誰も私の思いの中身を知ることはないだろう

それでいいのだ
残しておくことを躍起になって考えるのは
もうやめた

ただ たしかに
そんな他愛もないことを
ため息もまじえずに美化もせずに
泣きもせず笑いもせず話せる人がいて
またその話に耳を傾けてくれる
朴訥とした人がもしもいたなら
それは何て幸せかとも思うけれど

やはりそのことは叶わぬ願いなのだろう

一方で

過去は過去だというサバサバした心もちかごろになって持ち始めている

毎年同じ時同じ日に麦の穂が出ているのを見つけて
同じように柱のキズを見つめているのだが

いつかこのキズが
それほどの思いを蘇らせるだけのパワーを
持たなくなるときが来るだろう
時代は常に未来に向かって進んでいるのだということだ

ほんとうに私が風になれるならば
小さな入り江を見渡せる花咲く丘に棲みたいと

♣♣

4日
こどもの日のイブに初節句のお祝いをする