「おやじのせなか」をおやじ側から書いてみる

よくしゃべる人です。自分の言いたいことや主張とか理屈はとことんしゃべりたい人です。

テレビは食事の時に見るくらいで、ほかの時間にはPCで何か書いているとか読書をして過ごしています。

仕事を45歳で早期退職してからは落ちぶれていったように見えます。

お給料が4分の1になったというのが口癖でして、最近は行動力もなくなりました。

永年乗っていたオートバイからも足を洗ったし、車もフランス車から国産の軽自動車に乗り換えてしまって、それでも満足そうに振る舞っています。

金がないと行動力が鈍るけれども、金があっても自己満足や自分のためだけに使って社会に役に立たないのは立派とは言えなかった、と現代社会情勢を今頃になってチクリチクリと非難しています。ある種の反省なのでしょう。再起を狙っているのかもしれませんが、もう起死回生は無理でしょう。

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大企業の名刺や肩書き、国家検定試験、学歴、まあそんな武勇伝のようなものは素っ裸で社会に出たら何の役にも立たんのだと言ってます。

悔しかったのかもしれませんね。そういうモノを纏って土俵に上がって闘ってきた自分が愚かだったと言いたかったのかもしれない。そう考えているのかな。

おデブになりました。若い時はスリムで映画俳優みたいだったかもしれません。もちろん、母もそうだったのですけど。

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おじいさんは几帳面だったと聞いています。けれどもお父さんは、結構いい加減です。本棚の本は決して規則的に並んでいないし、机に積み上げてあるものも多い。片付けも苦手のようです。

でも、時間を守ることにはやかましいです。遅刻はもちろん許されませんが、ノロノロと準備をしていてもイライラの元になり、1時間前には準備完了!しなさい…みたいな。

お酒が好きです。どれだけでも飲めますし、よく喋ります。
やかましい。くどい。

健康が心配です。


子どもから見たらこんなふうになりますかね

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夕焼けを待つのさよなら言いたくて

ボクがノートの片隅に
夕焼けを待つのさよなら言いたくて
と書き残したのは11日のことだった

どんなことをそのときに考えていたのかはまったく思い出せない
けれども、どこかで美しい夕やけが見えたのだろう

誰を待つわけでもなかったし
待ちたい人がいるわけでもない

かつて
夕やけを仰ぎながら坂道を二人で歩きながら帰ったことはあったかもしれないが
それも後になって数々のドラマを書いているときに
日常と非日常が混ぜっこぜになってしまったのかもしれない

確かに
そんな風に二人で睦まじく坂道を帰れるような仲良しな人は数少なかった
或るとき偶然にバッタリと校門ではち合わせになった人が
クラスの人気者の可愛らしい子だったりすることは
ドラマでなくとも限りなく日常に近いことであったかもしれない

しかしボクの学校時代の思い出は
授業が終わると誰かの自転車のケツに飛び乗って駅までぶっ飛ばしていったような
校則との闘いのような青春だった

さようならを言って別れてまた明日会えるようなピュアな
ドラマのような日常を夢見たわけではないものの

夕やけを見ると
胸がときめくような人を
坂道の下で待ち伏せして
取り留めもない話を交わして
さようならをするというドラマを
頭のなかで創りだしてしまう

同じ夕やけを見ているかもしれない人のことを
切なく思い続けるような人は
もう今はどこにもいないのだろう
そんな気がする

泣き笑顔

きみが空を見上げているのは
星を見あげていたいのではないことくらい
わたしには簡単に想像できる

そこにあるのは
月でもないし
飛行機でもないし
スペースシャトルでもなかった

真っ暗闇という巨大な神秘だけが
いつも泣き笑顔でいるのは辛いという
きみのジョーダン混じりのような照れの
無言の問いかけに
答えようとしている

しかし
答えなどない

芝生のセリフのようなリズムで
捨ててきた過去を語りながら
明るい素振りで昔を許しているきみは
隠し通したい秘密を幾つも持っているのだと
わたしは気づくべきだったんです

でも
あのときのわたしは
きみの魔術にかかっていて
さざなみに向かって歩いてゆく
きみの後ろ姿を
見つめていただけだった

きみの面影を暗闇に葬ったあとにも
嵐が去ろうとしている秋の朝にも
わたしはきみのいなくなった海に向かって立ち
ただただ雨に打たれていたいという戯言は
やはり非日常の夢の片割れでしかなかった

そんな意地悪で
ありふれた模範解答に
気がついたのは
ずっとずっと
時間が過ぎてからのことだった