長い人生凸凹だらけ 凸が5割で凹が5割 秋分篇 (裏窓から)


秋分のころに考えていたこと・あれこれ

▶  古い船

古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう

なぜなら

古い船も新しい船のように新しい海へでる
古い水夫は知っているのさ新しい海のこわさを

(これって吉田たくろうの詩です)

むかしのフォークソングになるが
それほど陳腐化したものでもないのではないかと
このごろになって感じている

ぼくも古い水夫だが
新しい海に出て行かねばならない

▶  新しい海

あらゆるものが変化をしている

変化のないものもあるが
それはひっそりと目立たないようにしている

情報化の波が押し寄せている
決して荒波ではないものの

これまでとは形も勢いも
向かってくる方角も
手強さも天気や気象までもが異なっており

短時間で波動が豹変するものだから
手を焼いている人が想像以上に多い

大海に漕ぎ出る船も時代と共に立派になり
高度な知識や技術を身につけている水夫も多い

もしも遭難してしまい
無人島に流れ着いたりすることを想定すると
サバイバルな力や知恵に少し物足りなさや不安があるが
否定ばかりもできないだろう

▶  しおれる

壇蜜日記3を断続的に読んでいる

ある日彼女はその日の最後に「しおれる」と書いた

この言葉が印象的でメモ帳にさらりと書きとめた

人の心が弱っているとき
挫けているとき
失意に満ちて前進する気力を失くしたときに
花はしおれるし
心もしおれる

実績などをみれば
彼女のそんな弱々しさの裏に
逞しさも感じるので
これは決して悲しい日記ではないのかもしれない

世の多くの人は
日々を必死で生きている中で
時にはしおれてしまう日もあろう

日記を読んで
壇蜜さんがしおれる(萎れる)と書くと
背中をそっと抱かれたような気持ちになる

萎れた花であれば
水をもらえばまた復活できる
早く活力を取り戻し花を咲かせたい

▶ 秋の陽射し

6月7月ころの県内の測定ポイントで
日射計の1日平均値が
30メガジュール/1平方メートル(MJ/m2)ほどの日が連続していたのだが
秋分のころになると
20(MJ/m2)以下の日が多くなる
間違いなく
陽射しの勢いが約半分になってきているのだ

東京辺りの年間平均値が15〜20MJ/m2らしいので
お昼と夜の時間が半分ずつとなっていることから考えても
ぼくの住む地域は一年を通してまさに
平均的な日射エネルギーを受けてることになる

秋を感じながら
人生を振り返るわけでもなく
なんとなく
「人生は第四コーナーから」
という傍題を掲げてみた(ブログ)

▶  1年フライングで

友人が1年フライングで退職をした

その知らせを聞いて驚いた
と同時になるほどとも思った
他にもたくさんのことを思ったり
ツマとそのことで話をしたりした

書ききれないほどたくさん喋ったので
中途半端に書くのもイケナイし
辞めた友人にはノーコメントのままである

そろそろ書ききれないほどにもなった感想の数々が
沈殿化してきたので
少しずつ掬い上げていけないかと考え始めている

まあ、第四コーナーからゴールまでは長いから
もう少しぼんやりと考えていてもいいだろうけど

▶  秋の空

「女心と秋の空」というてみたり
「男心と秋の空」いうてみたりして
微妙に男女の心の違いを
皮肉ってみたりするのも面白い

詰まるところ
秋を過ごす心や夏の暑い思い出などは
とうに忘れ去り
これからやってくる冬の寒さへの支度を始めている

心も体も実は切り替わっているのではないだろうか

そういう意味では
人生の結末の支度もできているのかもしれない

▶  第四コーナー

ブログで少し遊んでいる
日記を書く以上は後世の人に読んでもらえるようなことを書こうと考えたこともあったのだが
遊びで書くのだから忘れても構わないことを書いて日常を「吐き出して」みようかと思う

▶  友人も第四コーナーから

様々な意見や見解があって
ぼくの家族の中でも
そのことを考えると話題になる

他人の人生に踏み込むのは一般的現代社会ではタブーであるから
お茶の当てにして申し訳ないのだが
わからないことや考え方の違いやらを
想像したり代わりに夢見て
自分なりに未来を想像しはじめると
限りないところまで夢が膨らむ

▶  資金が必要ですね

何をするにも資金が必要なのは世の常だ

そうでもないという意見ももちろん出るが
それは至って条件が揃ったときの例外的なケースで
現実の社会では苦労をしている人が多い

そのことを本意を胸にしまって一端ウンと言って
受け止められないような柔軟さが人物にないと
今の複雑な社会構造を理解することはできないだろう
私は堅物で窮屈な人間ですと公表しているようにも思える

▶  素直な人ゆえに

さて、
自分の人生を
第四コーナーからゴールまで
計画どおりに走り抜けていただきたい

彼はちょっと変人が入っているところもあるけど
普通に天真爛漫な明るい人だ
真面目に自分の人生に向き合いたいのだと思う

▶ 彼が思いきったトリガーや動機はわからない

1年間という終幕前のステージを早く切り上げたのには
おそらく深い理由があったのだろう

通常ならば終幕前のステージであれば
それまでの良かったことや
見せ所、あるいは苦心から
成功へのステージをコマ送りにして
音楽ならば指揮者が髪を乱して
グランディオーソの章に全力を注いでいるところだ

早く辞めたということは
そういうステージはすでに終わったか
ハナからやる気がなかったのか
できなかったのか

などなど
ちょっとマイナス要素の想像も勝ってしまう

▶ 思いついたらすぐアクション

体力も行動力も
資金力も柔軟性も
段々と衰える
そんなあたりまえのことが
第四コーナーに差し掛かったころに
ようやくわかってくる

適切な時期を逸すると成功を逃すことになる
手を打つならば早い方が良い
そのように考えたのだろうと思う

▶ 友だちなんてのは水モノよ

ぼくは人生の半分ほどでそういうふうに思うことが多くなった
みんな自分に精一杯だから
格好つけているだけで
友達は大切と教科書に書いてあるかのように繰り返す反面
実際には振り向くゆとりなどないのではないか

▶ 子育てに必死よね

田舎なので
4千万円ほで家が建っているだろうか
子どもの教育費も同じくらいだろうか
大体の数字だが

やっと解放されたところだ

▶ 貧しくても生きてきた

新人時代の初任給は15万円もなかったから年間でも300万円にはとてもとても
40歳少し後にでスピンオフするときには年間800万円くらいで
それがいきなり200万円ほどに急降下だったのだから

育英会からの450万円の借金を子どもに背負わせたまま社会人に放り出してしまった
なんてひどい親だったのか

今はやっと、ムスメ夫婦の所得はぼくたち夫婦の3、4倍になったか

世の中には
もっと悲惨な家族や
悲惨というよりは
不運とか不幸という家族も多いだろう

▶ 座標の話

このごろは
貧困 - 豊か
不幸 - 幸せ
は同じ座標にはないのだなと思うことが多い

そりゃ同じ座標であればわかりやすいし
世界の人がある意味平等に幸せを享受するのかもしれないけど

つまりは
貧しくても幸せになれる
という可能性を
自分のために信じたいのだ

▶ 人生は枝葉が多くてスリリングだ

それほどたくさんのことが次々と出てくる
ひとつずつにコメントが書ける
人生が長くなるとそんな枝葉に思うことがあるのだ

でももうそれが面倒でどうでもいいよと
十把一絡げにしてしまうこともある

▶ 細かいことは考えない

明日の楽しみに影響あると困るので
細かいことは考えない
詰まらないことでも悩まない
些細なことで怒らない
明日や何日も先のことを早いうちから考えない
考えたって始まらないことは考えない
失敗をしてもくよくよしない
成功してもアホみたいに喜ばない
好き嫌いはあってもそれほど気にかけない
長い人生凸凹だらけ
凸が5割で凹が5割
周りを見渡せばいい人ばかりでもないけどそれでいいのだ

 

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(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子

(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子

半月ほど前から新聞連載に佐藤愛子さん「(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子」が登場し、9月1日が、最終回・その15でした。

その14のときに

書き始めると、ハチローのエゴイズムの裏側に潜んでいるものが見えてきました。小説の基本は、人間について考えることです。そして、そのためには、さまざまな現象の下にあるものを見なければならない。

という部分がありました。

そしてさらに、その15では、

私の人生はつくづく怒濤(どとう)の年月だったと思います。しかし、その怒濤は自然に押し寄せてきたものではなく、人から与えられたものでもない。私自身の持ち前の無鉄砲でそうなったのだと気がつくと、よくぞ奔流に流されず溺れずにここまで生きてきたものだと、我ながら驚いてしまいます。とにもかくにも自分の好きなように力いっぱい生きてきました。決して楽しいといえる人生ではなかったけれど、恨みつらみはありません。何ごとも自分のせいだと思えば諦めもついて、「悪くなかった」と思えるのです。

とはじまっています。

二度目に離婚をした夫のことを回想し、思わずマーキングをしたのですが

(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子:15 最後はわからずとも受け入れる

 最後の作品になると思い、88歳で長編小説『晩鐘』を書き始めました。小説で彼を書くことによって、私はその変貌(へんぼう)を理解しようと考えました。人間を書くということは現象を掘り下げること。一生懸命に掘れば現実生活で見えなかった真実が見えてくる。そう思って書いたのでした。

 しかし書き上げても何もわかりませんでした。わからないままでした。いくらかわかったことは、理解しようとする必要はない、ただ黙って「受け入れる」、それでいいということでした。

と書いている。
その後、ふらんす堂の yamaoka さんも同じ箇所を自分のブログに引用して「ただ黙って受け入れる」というタイトルの所感で「丹田にズンと来た」に書いた。

ぼくは嬉しくなってきました。

受け入れる、ということは人生の幾つもの節々でぼくたちに要求されてくることで、或るときは否応なしなこともあります。

受験においても、子育てにおいても、社会人になっても、結婚しても。
夫婦お互いに対してもそうでしょう。

受け入れることによって滲み上がってくる身体中の抹消神経を痺れさせるような「苦味(にがみ)」のようなものに、多くの人が共感するのではないでしょうか。

ほんま、ぼくもズンときました。
まだまだ若輩モノですけど。



(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子:14
書き始めると、ハチローのエゴイズムの裏側に潜んでいるものが見えてきました。小説の基本は、人間について考えることです。そして、そのためには、さまざまな現象の下にあるものを見なければならない。

(語る 人生の贈りもの)佐藤愛子:15
最後の作品になると思い、88歳で長編小説『晩鐘』を書き始めました。小説で彼を書くことによって、私はその変貌(へんぼう)を理解しようと考えました。人間を書くということは現象を掘り下げること。一生懸命に掘れば現実生活で見えなかった真実が見えてくる。そう思って書いたのでした。

しかし書き上げても何もわかりませんでした。わからないままでした。いくらかわかったことは、理解しようとする必要はない、ただ黙って「受け入れる」、それでいいということでした。

消えてゆくもの - 穀雨篇 【裏窓から】

(四月二十日 穀雨)

ムスメの旦那さんのおばあちゃんが亡くなった
旦那さんにすれば実の父の母(だからおばあちゃん)です
ムスメ側から見れば私の母と同じ関係になる

幸いに私の母は生きていて
今日も電話を掛けてきて
「タケノコをもろたのでどうや」と言うていた

タケノコは今年になって二回めで
一回めはしっかりと湯がいたものを用意してくれて
それをもらって帰って炊いて食べた

明日も受け取りに行くという約束をした
この先 あと何度受け取りに行けるだろう
100歳まで生きたとしても春は十回あまりしか来ない

ムスメ家族のおばあさんのことを考える

若い夫婦はどのように
八十歳を過ぎた人の死を捉えたのだろうか

自分が歳をとるにしたがい子どもが大きく成長する
それと同時に、血や義理で繋がった血族・姻族を失う機会が増える

まだ三十歳ほどのころの自分を思い出してみる
つまり
自分の身の回りで人が死んでしまうということに
未経験であった時代のことを私は回想した

若い二人はどんな風に死別というものを捉えているのか
これには計り知れないものがあるのだ

ひとこと 死別と言っても
様々な死に方がある

なかには
若くして無念な死に方をする人もある

憎まれながら死ぬ人もあれば
惜しまれて死ぬ人もある

別れについて考えても
人それぞれである

いつかは別れがくるのだが
幾つものドラマがありシーンが起こる
喜怒哀楽、非情不条理に満ちていることもある

あれこれと思うと
私が歩んできた三十年前に遡って
あのころの自分を思い出すとか
その後の歴史を掘り返すのは
今更のことながらきわめて辛い

その忸怩たる思いを
誰に引き継げるわけでもないし
夫婦の仲で話題にしても
分かり合えるものでもなかろう

若い二人も三十年後に私と同様の感情や思いを抱くとは限らない
それは当然のことだ
あらゆる条件やモノ組合せが変わって
心もまったく違った感性や感情の上で生きているだろうから
新しい時代には新しい心情が生まれているのだろう

このような哲学めいたことを考えはじめると
迷路のなかを歩き回るようである

糸口などまったくないようでありながら
必ずとあると信じている自分の力のようなモノの感触を
掴むことができる

私は
昔からこんなことを考えるのが好きだったのかも知れない
しかし
この年齢になってからある年代まで戻って
考え直すからこそ意味があるだとも思う

ある意味では
すでに無力なのだけれども
考えることによって
小さな炎を灯し続けて
これからの年令を生きていきたいと願っているのかも知れない

その炎を
聖火の火のように
受け継げたら最高の幸せだろう

あの子たちのおばあちゃんが亡くなったことを
最も悲しんだのは紛れもなく息子であったはずで
この人の心は揺らぎながら
その人から生まれて
あの人と共に60年間を生きてきた時間や歴史を
死別する前後の相当の時間に静かに
考え思い出し尽くしてきたに違いない

そのことを
つまり、何を回想し何を考え何を悔やみ何を喜び……
などということを
子どもたちに伝えることはできない

けれども
炎として受け継ぐことであるならば
できるかも知れない

(通夜から帰ってきて)
穀雨の夜はそんなことを考えておりました

生きている - 清明篇 【裏窓から】

(四月四日 清明)

社会悪を切り
世間の不条理を掘り起こし
人間関係のつまらなさを嘆き
友情の脆さを指摘し
愛情というものは儚いことを悟り
情熱は冷めやすいものだと見つめ直す

併しながら
長くて冗長な時間に大きな価値を見出し
生涯を共にする人との出会いに感謝し
人生で出会った師匠にこの上なき敬意を抱き
新しい時代を受け継ぐ人に最低限度で最大の言葉を残したいと願う

夢は叶わずとも儚きことに美学があると独りごち
自分の正義を自問をし
怒りと諦めと無駄の流転の中で
泰然と生きている

🍀

ここに書いた一行一行の中に
それぞれ展開をして
あれこれと書きたいことがある

けれどもそのことには触れずにいよう
角が立つこともあるし
反発も食らうし
毎度のこと 変わり者扱いされるだろう

🍀

思いがきちんと伝わらないのは
私の力量不足に他ならない

ともだち-春分篇 【裏窓から】

友だちは大切だという
大切には変わりないが


これまで散々世話をかけたりまた心の支えになってもらったり
ときには人生への訓示となるような話をもらったりしながら
友だちに支えられて生きてきたわけである

しかしここに来て
そのような間柄にあった友だちとは一体どういうものなのだろうか
と考えさせられることがこのごろ多い

それは「果たして」という自問から始まってゆく

友だちって掛け替えのないもので何よりも大切なものです
という声は当たり前のように聞く

「果たして」の正体とは何か

ほんとうに大切なものなのだろうか
とい疑問が湧いてきたあとに
その自問に自責の波が覆い被さる

🍀

友だちのおかげでこれまで生きてこられた

つまりそのことに感謝をする一方で
その人たちは人生において
寄り添いながらも掛け替えのない大切なものなのだろうか
いつまでも燦然と輝く宝のようなものなのだろうか
と再考している

🍀

今を生きるのが精一杯で
暮らしにゆとりを失い
お手本のような人物になれるわけでもなく
毎日を生き抜くのに必死で
明日からの日々に遭うかもしれぬ予期せぬインシデントに
怯えながら私は生きている

そんな私から周りを眺めれば
押しなべて
富める人と富めない人の両方を見て
考えることができる

十分に幸せに毎日を送り
暮らしにゆとりがあって
まっとう日々を過ごしている人は
この先を読む必要はないだろう

問題なく暮らしている人がいる一方で
正反対の暮らしをしている人がいる

不安定な日常を刻々と送り
金のやりくりも苦心して
それなりに我慢をしながらも
いつか夢を叶えるために
無心に頑張っている人がいる

その人たちは言葉にしてしまえば
寂しい日常でありながらも
気持ちを切り替えて
元気を出して
哀しみは見せずに
生きている人たちだ

幸せな人の声が
(ネットやSNSでも)
自分の耳にい届いてくるのは
幸せな人が自分の幸せなことだけを
あちらこちらで呟いたり
吐き捨てたりするからであって

その反対座標の先には
言葉にならないため息が
おそらく掃いて捨てるほどに
たくさんあるに違いなく
それらはじっと堪えて
噛みつぶされているに過ぎない

🍀

友だちや先輩やかつての同志などにも
随分と会わない日々が続く

お互いが叱咤激励し合いながら
ときに競い人生を着々と歩んできた過去があった

アクティブに変化をしていたあのころの興奮から
煮え滾っていた熱気を急速で冷却してやり
俯瞰的に振り返って眺めてみると
もはや遠い存在のようになってしまっている友だち像が見えてくる

或るときは遠くから
あるいは近くにいて
刺激し合い支え合った仲だった

富める暮らしならば筋書きどおり
けれども
貧しく不幸な人生を送っていて
何も力になってやれない人物がいると
(まさにそれは自分自身であるかもしれないのだが)
無力を感じる

詰まりは
友だちなんてのは触媒にはなるのだけど
中和剤や解毒剤にはなれないのだ

🍀

ある種の隔たりや格差や不運が
さらには仕事の都合で遠くに住み
家族ができて疎遠になり
やがてお互いの距離が遠くへと離れてゆくのを
感じるのは仕方のないことなのかもしれない

不幸にみえていても幸せなこともあれば
幸せにみえても悩みを秘めていることもあろう

春分の日の車窓から
春分の日の車窓から

こんな世の中だからなのか
自分が生きるのに精一杯だからなのか
他人は他人と割り切っているからなのか
それって自業自得だろうと思っているのか
世の中を生き抜くのは金だと思っているのか
負け犬にはなりたくないと思っているのか
今を燃え尽きようと思っているのか

・・・

🍀

そんなふうに
友だちは
幸せなときは幸せなりに幸せを装飾させてくれた

けれども
今の自分自身に化学変化を起こさせてまで
何かに近づこうとはしないから

だから
友だちってのは
もう役目を終えているような気もするのである

🍀

行き着くところは
自分を映した鏡の中の自分であるような
逃げ場のない一瞬であり
睨み合う自分の姿なのだ

人生を生き抜く - 啓蟄篇 【裏窓から】 

平成29年3月3日の朝日新聞コラム(おやじのせなか)で小島慶子さんが

—>
片働きになって痛感したのは、女性は仕事を辞めても責められないけど、多くの男性は「死ぬまで働け」というプレッシャーを背負い続けているんだ、ということ。男性だってもっと色々な生き方があっていいはずなのに、「しんどい」なんて言おうものなら負け犬扱いされる。その上、家で「粗大ゴミ」とか言われたら、心が折れるよな、と。
<—

と書いているのです
このインタビューには前後があるので
この一文だけではわかりにくいですけど
お父さんの偉大さと苦労が後になってわかってきた
というようなお話です

🍀

私は
小島さんのお父さんのように一生働き続けませんでした

50歳前に仕事を放り出して
定職のない私がいる家庭でありながら
ムスメは私学の中学高校大学を出しました

450万の日本育英会の借金ができまして
就職したムスメにさらにそれも委ねました

10年以上早く仕事を辞めてしまいましたので
年金も最低レベルしかもらえないことがわかっています

一流大企業を退職して年収は4分の1ほどになっても
しかしながら
お金がないこと以外は充実した毎日を
精神的に大きなストレスもなく送れたことは
幸せであったと思っています

世の中にこんな生き方が存在したのだと
人生の終盤になって気づいたのでした

仕事のない恥ずかしさや
社会的地位や名誉がない情けなさよりも
それまで企業というところで
そんなことも知らずに
無知に働き続けていた自分が
むしろとても恥ずかしかった

平均年令よりも10年以上早く死んでしまった
父親の年令に近づこうとしています

父は定年になってから数年間に
どれほど充実した人生を過ごし
どれほどまで満足をして
人生を終わることができたのか

生前の言葉や遺作などを集めて
それを調べたり考え始めてみると
「人生を生き抜く」という
哲学めいたことを考えてしまいます

私は
仕事を勝手に10年あまり早くやめて
いつ何時に死んでもいいような人生を
貧しく(ある意味では)幸せに送りました

あと数年で父の享年になります
その年齢になったら私の新しい人生が
無一文で始まるのです

社会人になった時の同期と比べても
年金は4分の1に満たないでしょう

でももうそんな欲はありません
老後は前借りして過ごしたようなもんです

ですからこれからの私の人生は
いつ死んでもいいような
明るく軽く愉しい人生であって欲しい

だから健康に生きることが必須なんです

🍀

(こんな一筆を知り合いに吐き出しながら)

一瞬でも私がこんなことを考えていたのなら
それを後になって訂正してもあるいは願いが叶っても
書き残しておきたいと思っています

子どもが社会人になる頃から頻繁に思うことは
「人生は恩返しをすることで終わっていきたい」
ということです
そして
その心を引き継いで遺していかねばならない
それはヒトの使命であって
故に結婚もしなくてはならないし
子どももできなくてはならない

私自身も家族も子どもも
みなさん社会の中の様々な繋がりの中にいて
助けててもらいながらここまできたのですが
ちょっとそのことに
気づくのが遅すぎたんではないか
言葉だけでわかったつもりになっていたんではないか
ということです

さらに、しかしながら
何一つ恩返しなどできない私が居るんです

だったら(反面教師であっても)
ヒントになる言葉を遺すしかないです

積読(つんどく)

大きな流れの波の上を
漂うように彷徨うている
そんなふうに思うことがある

若くて元気なころは時に無謀なこともしてきたけれど
今は考えもしなかったような自分がいて
それがやけにしおらしくて苦笑する

周りから仲間が抜けてゆくときもあったし
息が合わずに逸れてってしまったこともある
どっちが本流だったのか
いつまでも考え込んだものだ
さらには、この世から逝ってしまったものもいる

わたしもそんな波の上を
ときには大きく揺られながら
ここまでやってきた

もう沈んでもいいいやと何度も思い
漂うだけで幸せと泣いたこともあった
ほんと
私は今日まで生きてきました♬
と口ずさんだものです

たくさんの人に手を差し伸べてもらい
命を助けてもらい
沈まないように静かな波間を導いてもらい
ここまでやってきた

これからは
恩返しをする番なのです

若い時とは違った使命が山ほどあって
パワーは昔のようになくて
なんの取り柄もなくて
でも
人生の後半戦は忙しい

一緒に頑張ろう
まだまだ この先も

最近どうよ?

と尋ねられて

井上靖の「孔子」を
もう10年以上鞄に入れて
持ち歩いているけど
やっと読んでて泣けるようになったよ

と答えている


平成28年12月17日中日春秋(中日新聞)から
「積ん読」という言葉は、世界に誇るべき日本語らしい。オックスフォード大学出版局は、「愛書家が知っておくべき十の言葉」の筆頭に、tsundoku(ツンドク)を挙げた
▼買った本を読まないまま、積んでおく。そんな状態をずばりひと言で表す言葉が、英語などにはない。日本の読書文化が生み出した見事な言葉なのだ
▼だが、胸を張ってばかりもいられない。本棚からあふれ、廊下や枕元などで山となった本に、自己嫌悪さえ覚えるのに、その山は確実に成長し続ける。そういう「積ん読病」患者にお薦めなのが、若松英輔さんの近著『言葉の贈り物』だ
▼若松さんのお父さんも大変な愛書家で、晩年に目を悪くして満足に読めなくなっても、買い続けた。どう見ても無駄である。父の「積ん読病」を若松さんが同僚に嘆くと、こう言われたという。「読めない本は、読める本より大事なのかもしれない」
▼<人は、いつか読みたいと願いながら読むことができない本からも影響を受ける>と、若松さんは書く。<私たちは、読めない本との間にも無言の対話を続けている。それは会い、話したいと願う人にも似て、その存在を遠くに感じながら、ふさわしい時機の到来を待っている>
▼いい言葉だなと思い、こういう本はじっくり噛(か)みしめるように読もうと、枕元の本の山の一番上に置く。かくして積ん読の山は、また高くなる。