何を受け継ぐべきなのか - 処暑篇 (裏窓から )

語らなければ何処にも記録されなかった話

🌱

私が生まれる何年か前に私には姉があった
そのことを母が話し始めたのだ

お盆の静かな午後のひととき
危険な暑さと報道や気象予報が
やかましく報じているけれども
部屋はクーラーを入れて快適にしている

八十七年あまりを生きてきたうちで
夏の暑い一日のいくらかを
クーラーが効いた部屋で過ごしたことなど
恐らくなかったに違いなく

こうして語ることも
時間を過ごすことも
歴史上で
とてもかけがえのない時間であった

貴重な宝のようなときが時々刻々と流れていった
そこで起こっていることを冷静に考えれば考えるほどに
残り時間が幾ばくかしか残されていないことを思う

しかし
残念にも思わない
悔みもしない
怒りも憤りも湧かない
もうどうだっていいのだ
感情や感動はそのうち尽きるのだ

そこにある一つの出来事を
ひとつのモノとして私は話に耳を傾けている

🌱

姉は生まれて一年ほどで亡くなった
今の時代ならば間違いなく生きていたのだが
栄養のあるものを食べされることもできず
病気になっても治療もできず
誰もが死なせてはいけないという行動も取らず
そんな心も 必要以上に持たないし見せもしない

とびきり貧しかったわけでもなかったが
この家系の家族がフルセットで同じ屋根の下に
暮らしているのだからというのも遠因ではあろう

父には弟が二人、妹が一人、姉が一人いる
これで五人
父(私の祖父)がいてその人の妻(祖母)がいる
さらにもうひとつ上のばあさん(曽祖母)が寝たきりでいた
それで三人が追加となる

母を入れると九人が暮らしていたわけで
しばらくして、義姉がお嫁に行く
そこで子どもができて
一人目の子を死産させて
二人目の子の時にお腹が大きくなって帰省する

秋に生まれるというので夏ころから
家に居座ったそうである

それが私の姉の誕生の時期と同じであったのだ
(母も同様に同時期に第一子を流産していた)

母の話の大事なところはこの先だ

🌱

「ねえさんは大事にしてもらっていた」

母そう話してくれる
もちろん姉さんはそんな優遇のことは考えたこともないし
今でも知らないままだ(姉さん=私の伯母さん)

妹が家事や食事を取り仕切り(妹=私の叔母さん)
姉の食べものは最大限に手厚くしていた
(もちろん自分も都合よくしていた)
弟たちにも心配りをして食べさせた(弟=私の叔父さん)
高校生だったからたくさん食べたという

母は農作業にも出た
夏から秋にかけては農家の一番大切な時だ
お腹が大きくて赤ん坊が今にも生まれそうでも
田んぼに出たし
生まれてからも娘をほっておいて仕事をさせられたという

「ねえさんは暖かい縁側で大事にしてもろて本読んだりしてたわ」

テレビドラマの残酷な話そのもだが
まさにそんな状態が
子どもが生まれるまでから
生まれてのちも一年間続いたのちに
私の姉は肺炎で亡くなったのだ

帰省して手厚く迎えてもらっているねえさんは一人目を死産
私の母は同時期に流産をしての二人目だったのだが
今では信じられないような差別的な暮らしだった

🌱

母は怒りも見せず
悲しそうな顔もせず
淡々と振り返りながら
あのころを話す

言い終わっておかなければ死ねないとでも考えたのか
いつまでも自分の中に置いておいても仕方がない
と考えたのか

その話を聞くと
母が言い終わってそれで尽きて
死んでしまうのではないか
とさえ思えてくる

処暑
処暑

父が亡くなって二十年以上が過ぎる
一人で二十年は長いと思う

わたしのツマは
姑が二段構えで生きていて
おまけに夫の兄弟妹まで住んでいて
さらに私の父は小さい時に耳の治療を怠って
耳がほとんど聞こえなかったという苦を患っていて
そんな苦とともに四十数年一緒に生きてきたのだから

のちの二十年の間に
孫にもひ孫にも恵まれて
のんびりと農作業を愉しむように暮らしてきたのだから
それはそれで幸せであったのだろう

今さら怒りを思い出したくもないのではないか

父が亡くなって十七年ほど後に
生前に植えた杏子の木が真っ赤な実をつけた

私はとても嬉しくて
ブログなどにも書いたけど
母は淡々と
今年は成らんだなあ
と言ってお終いだった

このマイペースの幸せがとても大事なんだろう
そのときはコロリと逝けるようにと切実に祈っている

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林檎がぶりと囓って人生を回想す (裏窓から)− 霜降篇

▼何故になかなか言いたいことが言い出せないのだろうか

いいえ 違う
言いたいことは言っているけど
本質に到達するまで
相手がそっぽを向いてるか
その逆で
わかったような気分になるかで
「オレのいうことをきちんと聞いてほしい」
と叫んでいるのさえ届いていない状態なのだ

つまり分かり合えていないという不満ばかりが募っているのだ

▼言いたいことがいくつかあっても

都合のいいこととか
直感的に理解できることを
物分かりのいいやつになりきって
理解したようにウンウンと頷いてくれて
納得をしてくれているようにも思えるのだが
真意が伝わってゆく過程のどこかで減衰している
結局のところ上手く伝わらないのだ

と言うように 今のところ私は思っている

▼それでも そう簡単には理解し合えないと思う

昔も今も変わらないように思っていたのであるが
小中学校時代の友人に声をかけて少し話し込んで見ると
その後の人生の何かが影響して私の想像している人と違っていたりすることがある
まさかの人が社長になっていればサクセスストーリで
私が話し込む前の一種の想定のあるかもしれない
しかし
まさかの社長のような話とは正反対であったら
どうしたらいいのだろうか
私に引き止められた方が迷惑と思うかもしれない

同じ学校を出て
それぞれの希望を持って高校に進み
夢と志を持って大学へ進む人もいる
同じ環境で学び
順風満帆な人生の始まりのように
社会に羽ばたいたはずだ

だけれども足跡が筋書きと違っていたことで生まれる
無意識の中の凹みのようなものが
確実にあるのを感じる

▼ものさしはそれぞれ違ってもいいのだと
わかっているように喋るけれども

自分と違う暮らしぶりなんてのは
机上の理論なのだとつくづく思う
だから
幸せであっても
不幸であっても
苦しみでも
痛みでも
悩みでも
辛さでも
わかったふりをしてくれる友だちは
とても優しい親友であることには変わりがないが
実際のところは
理解し合えないのだということも
きちんと理解していなくてはならないと思う

▼儚いよね
それじゃあ

そう言いたくなるのだが
そこに現実がある

▼でもそんなものなんだよ
社会はそんなもの
だから
そこから考えることを始める

▼考え始めると
止まってしまう

* 子育てに行き詰まって虐待や殺人に至る人の話
* 貧困で家庭までもが崩壊してしまうような現実の存在
* そういう人々とそうでない人との格差
* その格差を解決しようとする行政サイドの現実認識レベル
* 社会の一部だけが華やかに進化してゆき取り残されてしまっている面があること
* 現代社会が実は安定しているように見えるけれど結構ガタがきているのではないかということ
* その泥が吹き出さないこと

▼ほんとうはもっと自然に打ち解けあえる仲間だったはずだ

イデオロギーの違いは
何の壁にもならず
お互いに理解し尊重し合えたはずだった
今の社会が仲良しクラブ的になり
思想や思考が軽薄になって
金太郎飴的になっているのを見て憂いながら
考察は無限ループのように続く

そんな中でかれこれ思うのだが
あまりこう思いたくはないのだが
それぞれがいわゆる金持ちになり
社会的な地位も名誉も得ることができて
それなりに不自由なく暮らせるようになり
出世はしないが安定した暮らしが得られて
人によっては出世もして
付き合いもそれなりで
仕事も順調で失速の予想もなく
困ったこともないし
悩みもないんだ

というような友だちに発展して行けば
ホイホイと声をかけても
なかなか応じてもらえなくなってきたように感じる
僻みじゃないの?言われるけど
ニンゲンって僻まずともそういうものだと切実に感じる
でも
そうじゃない友だちもたくさんいるから
ちょっと救われて生きてゆけるわけだが

▼純粋に損得ない時代の仲間たち

それはそれで本当の友だちであるし大切な人だが
こちらがそう思っていてもそう思ってくれてもいない人もいるし
ちょっとショックですが
新しく築き上げてきた社会のつながりの中で新しいものを獲得して
古いものを捨ててしまったのか
忘れてしまったかのように冷たい人もいた
人間が冷たいとは思わないものの
でも僕には無愛想にみえたのだ

そういう意味でも
あの頃の友達ならば分かりあるだろうと
損得ない時代の友だちを思ったこともあったが
なかなかそうも行かなかったし行かないらしい

▼新しい時代には新しい船が出て新しい時代の水夫が乗るのだ

僕は残念な気持ちでしたが
新しい時代を生き抜いている友は
古い時代の人は不要だったのだ
それでいいのだと思ったと同時にそれでいいのか
瓦解が待っているぞ
とも考える

気持ちの真の部分では
昔を忘れて欲しくはなかったのだ
しかし…と諦めざるを得ない

▼私には私の道しかない

それは貧しいながらも
格差の最低ランクの中で生きていく
僻みとしか思ってもらえないような
屈折したところで生きていく

そうだそこには
健康な私がいて
孫がいて
その子の親はしっかりとした展望を抱いていて
何も心配がなければいいのだ

▼自分の大きな夢を叶えるために無心に努力をしてきた
間違いとは言わないけど

自分の次の世代や
さらに自分の見ることのできない次の世代を
見つめて生き抜くことが大事なんだと思う

自分が成功して地位や名誉、お金を得ることも大事だが
言葉は難しいけど
受け継ぐことがもっと大事だと思う

優秀な思想を
理想の行動力を
次の世代に伝授して
長い歴史の
永遠ある発展に役立てるための一役を果たすことが
人間としての使命であり
親としての今の時代の務めなのだと思うようになったこのごろだ

私はそれほど社会に貢献できなかったけど
私の祖父や父が社会において
果たしてきたことを
復活させて
私の子孫にも受け継がせて
歴史を曲げてはいけないのだと思う

そのためにも
自分が自分のためだけに生きて
名誉とか地位とかお金を得ようとしたことは
とても恥ずかしいことだった
巻き戻せぬ失態だったと思う

▼思い直したことを
受け継いで生きたい

見てわからん者は聞いてもわからん

見てわからん者は聞いてもわからん
ヒトのふり見て我がふり直せ
この二つの言葉について考える

父には頻繁に注意をされたものだ。
小言ではない。説教でもなかった。
偉い人の説法に似たようなモノであったのかと今ごろになって回想する。

▼見てわからん者は聞いてもわからん

この言葉の本当に深い意味考えてみるとき、ずっと50年以上もの間にわたって本当の「その心は」の部分をわたしは理解しないままでいたのだと気づく。ちょっと恥ずかしいのだが、当たり前のことを理解していなかった自分の愚かさをさらけ出す話だ。

「見てわからんことがあっても、聞いたらわかるやないか」
さらには
「見なくてもきちんとした設計図があれば完璧に学ぶことだって出来るはずやないか」
と若いときには何度も思ったものだ。

そう考えた理屈は決して間違っていないとも言えるし、その言い分で成功を収めることも出来るだろう。そのまま完了して終わってしまうこともある。さらには、成長していく段階においても「見てわからん者は聞いてもわからん」という言葉の真意を理解しないままで何も困らずに安泰に過ごせた人も多いかも知れない。

しかし、この言葉にはもっと深い哲学が潜んでいるのだ、と歳を経る毎に思うのである。

見てわからん  → 聞いてもわからん
聞いたらわかる → 見てもわかる

論理式はこうなるのだが、それだけではない。
じっと見つめて、観察することからすべては始まる。

そこに隠されたコツであるとかその手法を考案した人の視線や視点・考えを想像して学ぶこと。
さらにはその技が生まれてくるまで、頭脳のなかを駆け巡った工夫や着想の切っ掛けやアイデアの変化を肌身で感じて自分のモノにしなくてはならない。

職人の技を弟子入りした者が何年もの下積みを経て身につけて一人前にしてゆくときの姿勢のようなモノを説いているのだ。襖張りであるとか寿司職人が師匠から学ぶのに十年二十年という目の眩むような年月を要して血と涙の足跡やワザを受け継ぐ。

こんな伝承のスタイルは、今の時代には消えかかっているのかもしれない。
だが、自分が1つのモノを完成して揺るぎない技として完成して、さらにそれを未来に受け継ぐ確固たる作品や無形の力にしてゆくために、本当に真剣にやり遂げようとするならば、まずは「見て」学ぶのだと父はわたしに教えていたのだ。

この「見る」と短く表している言葉の奥には果てしなく揺るぎない厳しさがあったのだと思う。