誕生日 大寒 命日 大寒篇 ─ 裏窓から

21日が大寒で母の誕生日であり
22日が父の命日で早いもので18回目を迎える

寒い時期に人が逝くような気がする
気のせいであって欲しいと冬の間は願い続ける

祖父は伊勢湾台風の来た年の12月15日に逝っている
死因は心筋梗塞だったらしいことを最近になって母の語りから聞いた

わたしには先祖から受け継ぐ運命があって
父も祖父もパタリと心臓が止まってしまって
はいそれまでだった

添い寝していた二人が
真ん中で寝ていた父の身体が
あっという間に冷たくなっていくのを
自分の身体と肌で感じ
「おい 仁が冷たくなっていくわ」
と感じたのだと話してくれたことがあった

冷たくなってしまった日は
22日で
おそらく大寒の明くる日で
山が真っ白に雪を被り
数年に1度かもしれぬという寒波が襲来していたのだった

大寒のころは特別なのだ 私にとっては

誕生日 大寒 命日

供え物も持たずに
墓を訪ねた

私の父の好物はなんだったのだろうとふと思った

すぐに答えられないほどに知らないのだ
それは 私が生きるのに精一杯だからというわけではない

親に甘えているから
それが当たり前の
ぬるま湯だからなのだ

そこにいる限りは
ぬるま湯を沸かしてくれる人のことなど
気にとめない

血脈に潜む重き流れは
凡そ一方向なのだなと犇犇と思う瞬間だ

しかし
それが理屈ではなく当たり前であったからこそ
ヒトは歴史を作ったのかもしれない

そんな大それたものでもなかろうと
仰る方々もおありかもしれないが

ヒトは未熟者のうち
散々な無礼を顧みず
馬齢を加えるにつれて恥を知り
後悔を積み上げてゆく

しかし
まあ これでいいのだ
そういう哲学でいいと思う

ヒトはそんなに完成されたものでなくてもいいのだと思う

遺す言葉 その2 を読み解く

【自解】
その2を読み返してみる。
大筋は以下である。


遺す言葉 - 2

  • 遺言というもの
  • 言葉として遺せるものは何もない
  • 考える前に閃く
  • 猫が玄関を閉めないので解決する
  • まずやってみる
  • 面倒くさい
  • 晩年は絵を描いていた
  • 絵を始めるときに

(平成23年6月30日)


■遺言というもの

自分でも読むのが面倒なのだから他人は読まないだろう
なかなか書き進まないのは、ゆっくりと考えることが難しいのだろう
誰かが読むのか
読まれぬ間に捨てるのか
果たして如何なる運命にあるんか

■言葉として遺せるものは何もない

父は「人の振り見て我が振りなおせ」という言葉を口癖にした
それは、親がこめた子どもへの伝言であったのだ
遺せないわたしは早くも敗北宣言かもしれない

■考える前に閃く

理屈も言うことがあった
だが、芸術的には私には理解できない感性を持っている人だった
絵を描く、 木を彫る、木を組み上げる、
物を作る、無から工夫して創り上げる
自然行動的欲求を解決する行動を天性として持ち合わせていた

■猫が玄関を閉めないので解決する

昭和30年代
ウチの猫が玄関を閉めないので自動的に閉まるように玄関の引戸を改造する
玄関前人が来るとブザーがなる仕組みも実用化
実行家だった

■まずやってみる

「何が問題か解析も大事だがまず現物を見つめなさい」
そういう注意を受けた

■面倒くさい

そんな言葉はこの世の中にはない。これは口癖だった。
次の一手には必ず理屈があるのだということも言った

■晩年は絵を描いていた

(晩年)水彩画を始めのちに油絵に
作品は九割以上が駄作で付き合いのあった人の家に散らばっている
それらを回収してどこかに飾る部屋を作りたいとも思う

■絵を始めるときに、あれこれを考えることはしなかった。
小遣いもないのに高額な画材を買ったり、人目を気にせずに写生を始めたりした。
私にはそんなストレートさも素直さもない

2011年6月30日 (木曜日) 【- Walk Don’t Run -】


大雑把に読み返して、読み解いて、贅肉を取り去ってみた。

こんな父のようになれなかったのは自分に素直さが欠けていたからだ。
あの人は素直な人じゃなかったが、純粋な人だった。

悠々自適であったかどうかは本人に確かめるしかない。
言葉を何も残さずに逝ってしまった。
きっと、わたしもそう終わりたいと思っているのだ。

もっと生きさせてやりたかった。

遺す言葉 - 29 をまとめる

遺す言葉 - 29
をブログからピックアップしている

目次ページを作成するのは「その29」が初めての試みで
これまでには このようなページを思いついていないので存在しません

構想はあとから湧いて出るものだろうから
遡って目次を作ることはせず
その1からその28までを読む人があったならば
お手数ですが ブログを辿っていただくことでおねがいしたい

こんな記事を
本当に必要とする人が
この世にいるのかどうか
不明なままである

❏ 「遺す言葉 - 29


2015年8月10日 (月曜日)
宮本監督(津商) ─ 頼まれごとは試されごと
【雷山無言・語録選】


2015年8月11日 (火曜日)
立秋と書き出す手紙蔓の花 ─ 立秋篇
【裏窓から】


2015年8月20日 (木曜日)
心は巧みなる画師の如し ─ 水のかたち(宮本輝)から
【雷山無言・語録選】


2015年8月23日 (日曜日)
稲刈り ─ 処暑篇
【裏窓から】


2015年9月 5日 (土曜日)
北海道 ─ 花も嵐もⅢ その84


2015年9月12日 (土曜日)
秋風に吹かれて鉄棒にぶら下がる ─ 白露篇


2015年9月17日 (木曜日)
舌まがりアナタを好きと言いそびれ
【余録】ねこさん通信


2015年10月 2日 (金曜日)
むかしの話 ─ 花も嵐もⅢ その85
【花も嵐もIII】終楽章


2015年10月31日 (土曜日)
等伯と永徳 ─ 霜降篇
【裏窓から】


【利賀村】 を回想する

11月1日になった
むかしを回想している

利賀村に行ったときのことが
真っ先に浮かんでくる

検索をしてみた


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    いい。牛首峠に迷い込んだのが初期の頃だ。利賀村にそばを食べに行って、帰り道のルートで牛首峠を越えたときだ。線路の石ころのようなバラストのダートに迷い込んで…
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    利賀村というところがある。蕎麦がたいそう旨いという。しかしあのころは、蕎麦にはそれほど関心はなく、新しい味覚を求め…
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