大暑から立秋へ 大暑篇 (裏窓から)

大暑
大暑

大暑(7月23日)が過ぎるころから
何も書かないままの日々がいく日も続く

危険な暑さが続いていると
ニュースでは報じている

果たしてそうなのだろうか
と疑問もある

危険という言葉が安易に暴走していまいか

人(ヒト)が自分の都合のいいように暮らした挙句の果てに
このような暑さが襲ってきたのではないか
と言う疑問が
どうしても拭い去ることができない

便利なことが慢性化して
豊かな暮らしに満たされてしまった挙句の果てに
暑さが襲いかかってきたのだ
と思うと

少しは何かを辛抱するとか
我慢や不自由を受け入れるべきではなかろうか

台風12号が来て
大暑の後にわずかな涼しさが戻ったものの
7月から8月にかけても再び暑さが襲っている

🌱

百円の回転寿司を
あれを寿司(のスタンダード)だと言って
鱈腹食べるのは
もはや現代人の流行りでも何でもなく
日常になっている

「食べ放題」という看板を掲げた店で
空腹を満たそうとするのではなく
上質の味を夢見た果てに
あれも一つの上質の分類の端くれだと認めて
満足している

そんな人たちが標準の時代になった
そしてぼくはそんな標準に乗れないでいる

ぼくは
そういう時代に乗り遅れているのだ
三十年後から人生を始めた人たちに指摘される

では
「遅れる」って何を意味するのだろう
どんな状態を指すのだろう

ステージが違うだけで
時系列の順が前後するだけのことで

指数関数と三角関数とを融合させた空間で
彷徨っているのならば
答えなんてないのだろうと思う

🌱

身近なところで考えれば
離婚をする人が当たり前のようになって来て
社会のなかで結婚をするという根本的なところまでが変化をしてゆく

タバコを吸う人がその辺にフツウに居る社会が消滅して
オトコやオンナの区別がなくなって
子育てはオトコでもなくオンナでもなく
挙げ句の果ては親でもない人が行うようになって

オトコとオンナの差別も区別も存在も特徴も
どうでもよくなって性的な差別も障がいの差別も
影も形も無くなって
ある種の平等が実現してゆくのだろうが

分子生物学が進化した果てには
人が考え出した生命科学のような技術と
脳科学と数学が進化した人工知能を超えた新しい知能により
社会が想像のつかないことになってゆくのだろう

けれども

やはり遅れていると指摘されるぼくが
現在のアタマで考えついたり思いつく想像の空間では

そんな夢のようなものを
進化とは安易に呼べない

「快」と「楽」に走ってしまう生き物は
滅びたほうがいい

地球が滅びても不思議ではないかもしれないような
延長の道程を走っているのかもしれない
この暑さをお祭りにしているようで甚だ滑稽です

まずは豊かさと幸せボケを見直さねばならない

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猛暑日を待ち構えていた庭プール (裏窓から) 大暑篇

前略 ご無沙汰しています
と或る人あてに書き始めたものに
少し手を入れてここに残しておく

参議院の選挙が行われてこのあとには都知事選がある
無関係ではあるけどもアホみたいに日本中が気にかけている
誰もがそんな素振りをしている
いや、関心を持ているような錯覚に陥っている

ちまたには情報が溢れている
それも十分すぎるほど錯綜している
メディアは情報を奪い合いい先取りして見せて
何を優位の根拠にしようしているのだろうかと思う
そんな状況でお互いが醜い闘いをしている

新聞やテレビを見せられる側もそれにつられてお祭りのように話題にしている
そんな風潮の中でコチラもアホみたいに必死になって追いかけてしまいそうになっていた
危うく大事な心を見失ってしまうところだった

けれども一方で
普遍性をもって揺るぎないものを伝えてくれるモノがどっしりと不敵に存在する
どんな流行にも動じず泰然とするものがある
何もかもを巻き込み去ってしまうような勢いにも動じずにそこに存在するモノ
そういうモノにあこがれとか美的さをや落ち着きを感じてしまう

でも、待てよ
そしてそのこと自体がとてもアブナイのかもしれない
そう思ってしまうことがあるのだ

そんなものを美しいとか毅然としていて頼もしいとか思うことがすでに心が蝕まれている証ではないか
しっかりと自分を見つめようと思う

これから暫くの間、暑くなります
あんばいようお暮らしなして

手紙はそこでおしまい。


♣ マネーをたくさん潜ませた軽々しい情報が世の中の流れを作っていくことへの怒りなのだろう

怪しい情報が出まわっていても誰も咎めないで、むしろそれが堂々としている
そのあてにならいものを根拠にして大事なことを判断しているヒトがたくさんいる
そのくせ、そういう情報の海を悠々と泳ぐようにいて、上手に問題を拾い上げて一丁前な意見や苦言を呈している奴が居る

あるときは、1つの人権を主張して大きな盾にして、クレーマーみたいなことをやって満足している(アホがいる)
アホとまでもいかなくても、意見は自由だから(言論の自由)ということで、いかにもな論法で勝手なことを自由に無責任に言う
(マスタベーションのようなものだ)

世の中には詰まらない情報が溢れている
それに詰まらないヒトが寄って集(たか)っている

都知事選挙だってまともそうに見せかけて熱狂的にメディアが騒ぐ
必要以上に騒ぐのはニーズがあるからなんだろう
儲けが出るからなんだろう
儲かれば何でもするというのは矜持としてどうなんだ

けれども、ニーズを求めている方がまたそんな群衆の階層だ
そんなことに関心があるなら真剣に国会議員を選んでくれよと言いたくなる

そうは言いながらも選挙はいつも真剣勝負の結果だ
だから、今回の結果が真剣な結果だ
そういう人がこれからの行政を引っ張っていくのだという事実と現実を明示している

情報という簡単に手が伸ばせるものに安易に手を伸ばしているのだということは誰もが知って認めている
けれども、深く考えずに表層の波の美しさを見て、思いつくように物事を決めいく

そんなことをしていてはいけないと思いながらも、それでも事が進むことを知ってしまった
だから、社会が段々と崩れていっているのだ

エロな映像がいつの間にか無制限に流出しているように、政治をコントロールする哲学も、崩れている
個々の持つ重みや色合いを無視して目に見えるダイジェスト的なデジタルの姿だけで選ばれていく

「表層と深層」という言葉が浮かんだ
深層を誰も見つめようとしない
いつかその深層から泥が吹き出すかもしれないのに
いったいいつごろから深層に目を向けなくなったのだろう

こんな愚痴や新しい提案を日記やブログに書いている人を見かけない
そのくせ、イケガミとかいうそれらしい解説者に人気が集中したりしているから、オカシイ

昔なら読みに来てくれる客が無くてもブログや時事解説を書いている人が多かれ少なからずいた
しかしそういう人は売れないから消えていき、このごろはほとんど姿を消してしまった

その代わりに写真を掲載して何かを書く
写真だけがネットを流れて人の目をキャッチする
活字を読む人が少なくなった

ケータイが多いから長文をじっくり読まなくなった
読むべきものが多すぎて全ての意見を読み切れなくなった
全ての記事にゴミのような記事がどんどん増えているので選別が難しくなった
下手くそな文章と上手な文章を区別することなど、どうでも良くなってしまった
ツイッターで流れる文章を入試の国語の問題のようにして真剣に読むならば
全部読んでしっかり考察するのに3,4時間では読み切れないだろう

やっぱし

多すぎる情報
切り捨てられる情報
どうでもいい情報
などが多いのだ。

今の世の中をこれらの情報がめちゃめちゃにしてしまった
読者が軽薄でミーハー的になった
誰でも書けるのは望ましいことだし自由に意見が出るのもいいことだが
質は間違いなく低下してゆく

だから反発して(変人になって)わたしは自分のために
(1)なるべくテレビは見ない(2)流行りには注目しない(3)怪しい解説は聞かない
ということに気を使っている

近ごろは、朝日新聞や毎日新聞も信用度が低くなってきたこともあって、何を頼りにしたら良いのかを見失いつつあります

でもね、1つ言えるのは
「時代は巻き戻せないので、これからの時代はこれからの人が作る」
ということだ
そして「わたしの出番はもうない」


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