落ち葉舞う師走の風は冷たかろう ─ 大雪篇 【裏窓から】

師走を迎えて本格的にいよいよ来たかと思わせる寒波と共にフォークソング「風」を作曲してヒットさせた、はしだのりひこさん死去のニュースも飛び込んできました。

1960年代の後半から一世を風靡した「ザ・フォーク・クルセダーズ」や「はしだのりひことシューベルツ」の名前を知らない人も多いかもしれません。

五十年という歴史のページをパラリと捲ってすべては過去の中にしまい込んでしまうこともできましょう。

けれども、それでは少し気が収まらないというわけで、酒を片手に音楽を聴いてあのころ・あの人を偲びました。

北山修・はしだのりひこのコンビでヒット作を放った「花嫁」も回想するなかに出て来ます。

「花嫁は夜汽車にのってとついでいくの」と歌っても何の違和感もないどころか、夢とロマンに満ちていた時代でした。

天国にはこわい神様がいて地上へと追い返されることもあったのかもしれない。

しかし今も昔も「プラタナスの枯れ葉舞う冬の道」は変わりなく、京都・都大路には「プラタナスの散る音に振りかえる」人が溢れて賑わっていることでしょう。師走は刻一刻と暮れていきます。

これを書き始めた日から配信する日まで、日一日と目まぐるしく変化する波のなかで、今年一年を省みて漢字を考えたりしながら、ふっと五十年を振り返ってみる時間があったので、ここに覚え書きをしておこうかなと思ったのでした。


もう少し書き足したい

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高を括る ─ 大雪篇 【裏窓から】

ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる   山頭火
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ   山頭火

句集「草木塔」の始まりに出てくるそれほど目立たない句だが
時をかえて読んでいると目にとまった

もしも山頭火が大酒飲みでなければ
あれほどまでに人々の心を掴むことはなかったのだろう
山頭火は捨てきれずに
背負っていたモノに少しでも近づこうとしていた

捨てるということは
それが何であっても
いつの時代であっても
難しいことなのだと思う

🍀

師走のある日のこと

書棚を整理しながらも数々の本たちが目に飛び込み手が止まる
大掃除を諦めてしまうことも多い

毎年のことながら早々に諦めて
ガラス越しの陽だまりで
じっくりとお気に入りを読み返すことになるのだ

🍀

ときには
熱い酒をチビリチビリと舐めながら山頭火句集を読んだりした

その酒が冷えてしまっても読み続けて
足も膝も手もすっかりと冷え切ってしまおうとも
もう目が離せなくなっていたりする……



ぽりぽりと齧って悲し過去の恋


🍷

さて、
昔の大掃除といえば一家を挙げての大仕事で
家中の家財道具や押し入れの中のものも
全部庭先(せんざ)にほうり出して
畳を上げてパンパンと叩いて
すっきりと新年を迎える準備をしたものだ
(近所中にパンパンという音が響いた師走であった)

そういうわけで
年も押し迫ってきている

いちいち過去のことなどかまっておれなかった半世紀前
あれから人々の心の豊かさは大きく進化し
何よりも現代社会では物が豊富になり
「片付ける」=「捨てる」というわけにもいかない

「断捨離」という便利な言葉も使われているものの
お掃除や片付け物をきちんと成そうとすると
断捨離とい言葉が机上で作り出された
一種の仮想の言葉のようだとわかってくる

悩んだ末の挙げ句
それほど整理もされずに
年を越してしまうのだ

🍻

歳末のスーパーの店先に
しめ縄が並んでいるのを見かけることが多くなった

師走になると
父が長屋の土間で
しめ縄をなう後ろ姿を
毎年見かけたものだ

お店でしめ縄を購入しても
ご利益のようなものや
神様への感謝が
果たして伝わるものなのだろうか

とやや疑問に思ったりもしている

❤️

12月7日は大雪でした

【裏窓から】を書き始めたのがこの日で
ぶるっとくる朝を迎えることが
だんだんと増す

真っ白な霜に覆われた銀世界の朝はお正月を回ってからだろう
と想像をしたりしながら
少し高を括っているところもあろうけど

ユニクロで今年はマフラーを買ってもらったのでぬくぬくなのだ