サドン・デス(sudden death) 寒露篇 裏窓から

秋分から神無月を迎える時期に色々と思っている

其の一つに

🌱 サドン・デス(sudden death)

これはジョーダンで語れるものではない時期に差し掛かってきた

祖父も父も六十五歳と六十六歳でこの世を去った

叔父もまだまだこれからというときに病で倒れて再起を図る前に逝ってしまう

顔がそっくりなように性格もよく似ていた

似ていることに薄々は気づいて大人になってゆくのだが
父が死んでからそのそっくりなことを確信する

たった十八年間しか同じ屋根の下では暮らさなかったのだし
とりわけ突っ込んだ対話をしたわけでもない

いわゆる親子で飲むことを愉しんだことも数えるほどだった

だが確実に似ていることを確信する

何故に似なくてはならないのか
同じ血脈であるのだからだ

だから身体の弱さもよてもよく似ている

ヒトは万能のように見える科学が支配する時代になっても
天地人のさらに向こうにいる神が与えた滾るものを簡単には変えることなどできない

やがて確実に来る サドン・デス(sudden death)

待ち遠しいようで
怖いもの見たさで待ちわびるようであるものの決して歓迎はできない

負けないようにしておくつもりでいるが
勝てないだろうと思う、血脈には


💦滾る漲る迸る を考える

ぶるっと一回ふるえて冬を思い出す


寒露篇

サドン・デス(sudden death)という言葉は

じわりじわりと迫って来る
けれどもそれほどの恐怖感はない

恐れているわけではない
しかし 覚悟ができているわけでもない

🌹

礼を欠いたままの恩人がたくさんある
私の人生の舵を切ってくれた人もある

音信の途絶えた人もあれば
先に逝ってしまった人もいる

🌱

10月8日は寒露でした
少しずつ夏の暑さを忘れ去っていきます

冬の寒さが忍び寄る
ぶるっと一回ふるえて冬を思い出す


💦 滾る漲る迸る を考える篇

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ひつじ田が露光らせて寒さなし 寒露篇 - 裏窓から

▶️ 寒露
七十二候の暦が冬の前触れみたいにヒヤッと寒さを漂わせる
早朝に駅へとゆく折にも頬を撫でてゆく引き締まった空気に真剣味を感じる

ひつじ田の朝露が水平に照らしてくる太陽光で銀色に輝いている
稲架がけが並んだ田んぼも見なくなってしまった

暑くなったり寒くなったりの日々を繰り返している
九月のような日だと思えば十一月の寒さがくる

毎年のことだが
寒露のころって誕生日が近いのでソワソワとしている

長袖にしたり半袖にしたり
いかにもぼくの性格に似ているようでもある

▶️ 京都
十月初旬になってまもないときに三日間ほど京都へ出かけていた
その帰りに寒露をの時節を迎えた

六日から七日にかけて雨が降った
横殴りになるような激しいものではないものの
静かで淑やかを装いつつ豊かな降水量を記録したのではなかろうか

三十余年ぶりにむかしの職場の同期の子と会うのだという
ツマといっしょに出かけた
会って話し込んでいる間には
秋の国宝の特別公開にでも行ってこようか
と軽く考えてていたのだが
雨降りを避けて地下街やそこに連なる大型店舗を
行ったり来たりしていた

▶️ 「壇蜜3」という日記
電車の中で日記を読むのがなかなかリラックスできる
一日分の短い日記を読み終わっては外の景色をぼんやりと眺めている
あらっと思うキーワードがあるときは付箋を貼るかメモ帖に書きとめている

「泣くなら一人で、出来事は日記に」

味なことを所々で書く人である
見たこともないし声を聞いたこともない真っ白な印象の人である
知性を見せびらかす風でもない

▶️ 日記を書く
司馬遼太郎を読んでいるときに書く日記は「街道をゆく」ふうになるし
壇蜜日記を読めば壇蜜ふうになってしまう

もちろんそれは自分がそう思っているだけで他人が読んでも似ていないのに
人というものはそういう人物や人物の生き方に知らぬ間に傾倒してゆく

▶️ 総選挙
それが正しかろうが間違っていようが
1つのことをぐいっと考え込むことは大事なことで
この十月に大騒ぎをする総選挙であっても
考えることなく送ってしまう人が多いのではないか

何でもネットなどの情報網で検索し流れるままに決定してしまう人が多い
そういう人がこれからの社会を構築してゆくといえばこの上なく儚く情けない

▶️ 不便であることを活用する
負けるとわかっていても
戦さに挑む人の心の奥深くを
一度でもはかってみる柔らかな視線が必要だろう

論座を返す
白黒を互いに入れ替える
そういうふうにじっくりと考察をして未来を設計する
考える手間や勇気や手段を失ってはいけない

何でも任せっぱなしの便利な時代である
不便であることを活用することを忘れないように心がけたい

一人旅がブームらしい (裏窓から) − 寒露篇

♠️ 一人旅

一人旅がちょっとしたブームらしい

いかにも今の時代に誰がが何処かで何かに火を着けてやれば瞬く間にブームになりそうだ

そしていかにも何もポリシーのない人たちがブームに群がりそうなキーワードである

今まさにそんな時代ではないかと思う

♠️ しかしそういう人たちをなじって悪言を吐きたいわけではない

ブームに群がる人々の陰で本当に一人旅の歓びと楽しみと味わいに出会っている人も多いはずだ

これもいかにもで、きっと多くの旅人が一人辿る旅のルートを噛み締めていることだろう

♠️ 淋しさを一人で受け止めて一人で完全燃焼するような人たちが様々な迷いや妄想や泣き言や歓喜を経てその果てに行き着くところが一人旅だとも言えるかもしれない

即ち究極の淋しさを自虐的に噛み締める時代にあって今という時代の主人公の姿が変化しつつあるのかもしれない

そんなことを思うと一人旅の旅人をちょっと応援してやってもいいような複雑な心境も生まれてくる

🍀

♠️ 何故一人を選ぶのか

1980年代私は一人で旅をするバイクソロツーリストだった

あのときどうして私は一人旅を選んだのだろうか

一人旅なんてものは話し相手も相談相手も存在せず寂しいし心細いし弾むような楽しさも味わえないし独り言の繰り返しで答えのない自問自答を繰り返すばかりの旅だ

なのにどうして私はそんなスタイルの旅を選んだのだろう

どうしてそんな旅のスタイルが今ごろになって人気があるのだろう

♠️ 昔キャンプ場で酒を飲みながら自問自答のような会話を交わした名も知らぬ一人旅の若者を思い出す

逃避ですよ

その人は今現在日常を過ごしている社会や人間関係や仕事そのものから(たぶんあらゆるストレスから)逃避をしてきていると明確に語っていた

🍀

♠️ 人一倍の寂しがり屋が一人旅に出た理由は

ぶらりと無計画に家を飛び出せる軽さにあったのかと思う

本当は神経質で行く先に迷い道など絶対に無いようにありたいといつも考えて暮しながら仕事をしているやつだから糸をプツンと切ってしまうとやたらと遠くに行きたがった

♠️ 一度も行ったことのないところを未知なところという

いつも未知なものや未知な場所そして未知な人を求めて走った

いつも新鮮でありたかった

感動が欲しかった

行きているモノの息遣いを肌で感じて興奮していたかった

🍀

時代の大きな波が巡ってふたたび一人旅の時代がきたからといっても今の人たちの愉しむ旅と私の昔の旅とは随分と違うように感じるのは私の旅が十分にあらゆる地方を網羅したからであろうか

もしくは私がそれなりの年齢に達しているからか

「一人旅」という言葉は同じでもその言葉の意味が全く同じとは限らないだろう

さらにそれが誘うイメージなんてものはかけ離れてきても不思議ではない

素直に今の人に混じって昔のように一人旅に出てみるのも一つの選択だろう

けれども古い旅人は新しい旅人のように旅に出ることはできないだろう

❤️

社会人になって最初の秋の連休

十月の体育の日の連休は私の一人旅の第2回目のチャレンジ記念日だった

日記によると夏に紀伊半島を一人旅しているので記念日ではないらしいことも思い出しながらわかってきたからチャレンジ記念日と呼ぼう

あてもなく地図さえも持たずに高速道路に飛び乗るような旅だった

ひょいと家を飛び出し紅葉を思い浮かべ漠然とあてのない旅の道を探しなら北に向かって走った

泊まる場所も宿も決めずに走った

目の前にあるものや飛び込む景色は全てが私には感動だった

🍀

この世には悪人なんていないと思っていたし美人で魅力的な人ばかりだと考えていた

そんなピュアな人間に無意識に立ち戻ってゆけるのが快感だったのだろうか

一人になって現実から逃げ出してきている快感に惹かれていったのだろうか

家庭を置き去りにして一人で旅に出ることはいつの時代であっても我儘なことだったはずだ

そのことを承知で家を出てくるし家族は送り出してくれた

そこには語りつくせない深い愛情があったのだろうと後年になって回想している

🍀

今になってふたたび一人旅がブームになっても、それは私が一人で彷徨うように走り回っていたときとは全く違うものだと明白に感じることができても、あの時間に私がどんな激情で旅を続けたのか、どう言うわけか上手く説明ができずにいる

じれったいながらも言葉を探し続けている

そう 私の一人旅はもっと淋しくて哀しくてとことん一人でとてつもなく馬鹿げていながらもどこの誰もが羨むような自由さを秘めていて、もっとロマンがあったような気がする

懇懇と満ちてくるドラスティックでセンチメンタルなモノを求めようとしていたのかもしれない