躓く・忘れる・落とす・こぼす─朔日にうるめを食いつつ考える

♠️躓く
絨毯程度のちょっとした厚みであっても足がすっと閊えてしまうことがある
足が微妙に高く上がっていないからだろうと思う
そういうふうに躓くことが増えた

♠️忘れる
頻繁に会った人なのに暫く振りにどこかでばったり再会して名前が思い出せないことがある
いわゆるド忘れである
これには特徴があって必ずと同一人物を繰り返して忘れる
意地になってメモをするものの見ないで思い出そうとしても蘇らないことが多い

♠️落とす
テーブルに腰掛けて作業などをしながら手を伸ばして離れた場所からハサミを取ろうとしたときなどに手に持ったハサミをポロリと落とす
手が握る力(握力)を加減する制御神経のようなものが微妙さを失ったからであろう
一定の力で握り続けている時にふっと筋力が緩むように見える

♠️こぼす
漬物とか惣菜などをテーブルの上で取り分けるときに取り皿までの間でぽろっと匙からこぼすとか箸から落ちしてしまう
また、お茶漬けをかき込むような動作でご飯を食べているときに口からポロポロとご飯などが零れ落ちる

うるめ
朔日にうるめを食いつつ考える

(1)忘れる
(2)落とす
(3)こぼす
(4)躓く

この4つのアクションは日ごろの行動で起こるミスだ
特にある年令を回ったころからこうしたちょっとしたミスが気に掛かるようになってきた

しかし視点を変えると面白い

人生の歩むうえでの自分の姿や道程にも当てはめることができるのではないかと後でよく考えてみて気づいて苦笑いをする

人生において起こるこれらの4つのミスは、若いときであれば日常茶飯事で、驚くことではなかったわけで、むしろそれをステップ・アップの足場にしてきたはずだった


♠️落ちると躓くは人生において痛い思い出がある

受験に落ちる
高校入試失敗で始まって高校2年の2学期の交通事故の後の成績の急落
大学受験は推薦で落ちて現役で落ちて浪人で落ちまくる
進級においても落第を体験するし
人生いろいろというのは早くも15歳の時から始まったのだった

躓く人生
元来頭は良くないのだからそんなに背伸びをしても無駄なことが多く
自分に合った人生の道を歩むべきで合ったのだと気づくのはこの年に近づいてからだ

躓いたことをふりかえるものの実力不足なのだから想定通りに壁に当たったというのが正しいか
出世もできないし仕事での成功も(私の力では)輝かしいものはあまりない
周囲に恵まれての言ってみれば歴史に残るような足跡があるともいえようが
私が一人で築いたものではない

オンナ好きの怠け者、さらには見栄っ張りでケチ
思い出したくもないオンナに騙されて人生の崖を落ちることになったのはここで封印する
(ツマには感謝します)

そもそもが競うことを嫌う性格がたたって
似たものが集い切磋琢磨して上達しながらものを作り上げてゆく集団には行きたがらない

♠️曽祖父、祖父、父と三代に渡って、村長、村会議員、公務を努めてきたのだから
何もスピンアウトして遠い都市に本社を置く企業に行くことなどせずに
故郷に御恩を返すべく奉公する職につき持ち味を出せばよかったのだ

(身近な人たちは口を揃えていうのだが、もうすでに遅い)

♠️こぼす と 忘れる
まあ歳食ったんだから仕方あるまい

幸せに生きよう
健康に暮らそう
そんなことばかりを口癖にしている

忘れる

平成22年(2010年)の年末に「遺す言葉」を書き始めている。

忘れようとすることとはどういうことかをあのときは考え続けていたのかもしれない。

忘れてしまうには覚悟が必要だ。
そのことを薄々感じ始めいるようだ。

恩返しをしないままですべてを忘れてしまっていいのか。
何も残さずに命を絶やしていいのか。
そんなことを考えたのではないか。

許すということは忘れるということだ。
そのことが言葉になって迫ってきたときにこれまでの許せない数々の出来事を次々と思い出してゆく。
しかし、次々と出てくるはずのものがそう長くは続かなかったから慌てた。
こんなに少なくはないはずだ。
もっと憎しみや恨みに満ちていたはずだ。
だから、許せないアイツらのことは必ず山のようにあるはずだ。

そう考えたのだろう。

ところが、あたかも許したように出てこないのが悔しい。
許すということは忘れるということ
その言葉を何度も頭のなかで反芻した。
忘れてしまっては許したも同然だ。

怒りも湧き上がりながら
万事休すなのかと悲しくなる。
諦めもどこからか忍び寄る。

けれども、ゆるさないために思い出さねばならないのだ。
ペンを置いてはいけないと誓おう。