立冬のころに考えていたこと ─ 立冬篇 (裏窓から)

立冬が過ぎる頃から次第に
気持ちに決心がついてきて
もう今の仕事は年度末で終わろう
と思い始めた

急に新しいことを探そうかと考えるなんて
想像もつかないことだったし
そもそも 今さら 新しいことに挑むのもどうなのか
という疑問も多い

ツマは言い訳ではないかと手厳しく
いつものように怒りを私に向けて
もう少し働いてもらわねば困ると言うのだ

言い分はとてもよくわかる
しかし 私だって
生死をそろそろ自分で決めることが許されてもよい「としごろ」ではないのか

そう思うと 還暦を超えても 尚
自分の意思の割合より他人様の意思の割合の方が多めになっているような職場環境で
オロオロと頭を下げて 仕えていることもなかろうに

そう思えてきたわけである

このままでは終われない
そんな気持ちが枯れ果てていた心の中から湧き上がってくる

復活したいのかもしれない

 


ひの菜 と ぶり大根 を 食う

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ぼちぼちと冬に向かう ─ 立冬篇 (裏窓から)

二週続けて県南部沖を襲った台風であったが、幸いにも被害や怪我に見舞われることもなくホッとしている

台風や大雨などの災害は、不運をいう前に自らの油断や奢りによる点も振り返るべきである

自然の猛威は、近代の地球温暖化による影響だけではなく、ずっと原始の時代からニンゲンが闘ってきた歴史のなかにある

決して今に始まった訳ではないと言ってもいいだろう

河川の氾濫、山壁の崩落は、大地を我が身の都合の良いように人類が改造をしようとした時から始まり、地球の上である種の均衡を保っていた力を、自分たちの都合でねじ曲げてしまったことが大きな起因要素であろう

ヒトは勝手な生き物だと思う

住みよいように山を削り、川を曲げ、海を埋め立てておきながら、自然からのしっぺ返しには知恵という力で立ち向かおうとする

いつまでたっても、人類への驚異を封じ込めようとしている壁のどこかで綻びるところが絶えない

なのに、いつまでもどこまでも開発をやめようとしない

地球温暖化というもっと大きなパワーでやられるかもしれないのに、まだ、高を括ったようなところがある

台風が過ぎて日一日と秋めいてくるので、荒ぶれた心も秋のしっとりとした雰囲気と相まって、落ち着きを見せ始める

静かに冬を迎えようとしている姿は覚悟を決めた生命体の一つの姿でもあるのかもしれない

◉ 雨の日や傘かくれんぼ尻尾追う
◉ 誕生日リセットボタンに指乗せる
◉ 柴漬けを食うや酸っぱき人生思う

誕生日の頃に書き留めた三作ですが

なかなか、うまくまとまらない
苦汁を飲んで暮らしているときとか
不満に満ちているときとか
夢を追いかけているときとか
そういうときにびっくりするような作品が生まれて

なかなか、それなりに幸せなときは
緩んでしまって
作品に締まりも切れも情熱も欲望も
そのかけらが出てこないものだ

🍀

立冬に当たって所感が
スラスラと浮かばないのは
どういうことだ

ムスメは13日の予定日を控えて
いつでもオッケーの気持ちなようですが
なかなかです