鬼はどちらへ - 鬼は外 そっと裏口の鍵開けておく ━ 節分号 (裏窓から)

鬼はどちらへ ━ 鬼は外 そっと裏口の鍵開けておく

▪️ 鬼は外 そっと裏口の鍵開けておく

鬼は外と叫んだ日は遥かむかしのことだ
大人になってすっかり息を潜めてしまった
果たして現実的でないからといってやめてしまって良いのだろうか
もっと真剣に鬼は外・福は内と叫ぶことが必要なのではないか

ハナからそんな古典的伝統をバカにしているヒトたち
伝統儀式など迷信の延長なのだと高を括るヒト
十分に現在の暮らしに満足して貧しさがあふれた昔の暮らしを引きずったような風習には無関心だというヒト
たった今を生きてゆくので精一杯で他人のことなど構っておれないだろうというヒトもあろう

鬼を心に棲ませる
閻魔様を忘れない
仏を心に秘める

罰が当たるのを恐れる
神の眼差しを感じる

今やそういう時代ではなくなった

コインを二つ三つ手に握って
食べ放題・飲み放題という店へと出かける

ホンモノを見失ってしまった時代を嘆いたことがあるが
そのあとにはホンモノを見分けることのできないヒトが溢れ
もはやホンモノを求めないヒトが常識化し
物の見方が薄っぺらくなってきて

一方で豊かな暮らしを求め続け
あたかも満たされたような錯覚が広がり
幻影と実像が区別がつかないヒトが増えてゆく

回転すし屋が食べ放題に転換しているというニュース
適齢期を少し過ぎた(かも)という女性が五十歳ほどの男性を紹介されたという呟き

モノがどのようにあるべきか
を考え続けると理屈を言うといって煙たがれる

どちらが間違っているのか
何がおかしいのか
考えようとしない世相

やはり
鬼は必要なのだ

どこにいってしまったのだろうか
頼りになる鬼


2018年2月 3日 (土曜日)
増殖する『新・裏窓から』
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胸に手をあてる 立春篇 (裏窓から)

▼ 鬼さんも泣きたい夜がたまにある

節分が迫ったころにふっとそんな落書きをして
ほんの言葉の遊びなんだと自分で自分に語りかけて
あるような無いような心当たりを手さぐりしている

世の中の鬼さんのなかには
さぞや寂しがっている鬼も多かろう
と思ったひとときだった。

泣いた赤鬼という童話を
子どものころに読んでもらい
人の(鬼の)優しさや友情、社会の中の正義と悪などを
噛み砕いた言葉ではなく
形にならない波動のようなもので子どもながらに
自分の体内に受け入れたときがあったのだ。

人にはそういう敷居のない心や受け皿がある。

鬼には鬼の事情があったのだろう。
その物語を受け入れる側が熱ければ熱い物語になるし
冷めていればサラリと終わることになるかも知れない。

野球界の名選手だった清原氏が逮捕されて、
ニュースがざわざわとしている。

もっと昔には、
江夏投手だって同じ罪を犯して刑罰を受けている。
シャバに戻ってから
「江夏」の名前がタイトルに入った本が出版され
彼は事件と犯罪のことにも触れている。

社会に大きな影響を及ぼす力を持っていた人であったのだから
そして社会の大勢に背中を押してもらって称えられて生きてきたのだから
彼らはこれからの社会に恩返しをしなくてはならないと思う。

そう自らが再び決意をして行動を起こさなくてはならない使命を持っていると私は思う。

これまでの数々の闘いはさぞかし厳しかったことだろう。
目標に向かう道のりは想像以上に厳しく孤独で淋しいものであったのかと思う。
孤独と向かい合わせになっていたときの誰にも言えぬ感情は計り知れないものがある。
それらのときの勇気であるとか闘志、あのころの真摯な姿勢や心を忘れたわけではあるまい。

人は熱くなったときのことをそう簡単に忘れられるモノではない。

憎しみ然り、喜び然り。
あるときは怒り、哀しむ。
必ずや再起を祈りたい。

恩返しということについてはこれまでにも何度も書いてきた。
誰であっても、たとえどんな貧乏人であってもどんな大金持ちであっても
人生の最大の使命は恩返しをすることだと私は思う。

自分だけで幸せがつかめたわけではないし、自分の才能だけで走り切れたわけでもないのだ。
静かに胸に手を当てて考えてみなさい。