布団こうて暮れる霜月ふる里へ ─ 小雪篇 (裏窓から)

布団こうて暮れる霜月ふる里へ

小雪が十一月二十二日
着々と日は過ぎて
今年も残すところ一月である

🍀

霜月が暮れてゆく
その或る日にふる里の母を訪ねてゆく

メモには
🖌 ふる里に凩吹いて暴れとる
🖌 故郷の陽だまりに一人母がいる
🖌 木枯らしや麓の村が凍えとる
などと書きとめていたので
少し風が肌寒かったのかもしれない

🍀

これまでに
いくたびも
暮れてゆく十一月を
送って来たわけであり
今月の暮れも
然程特別なものでもなかろう

ただ
父が二十年前に
ストンと息を引き取ったように
やがては必ず母にもその時がやってくる

覚悟というものは
できているようで実は脆いものだと
わかっていながら
また今年も暮れを迎えよとしている

🍀

そのときどきで
揺れ動いたり乱れたりするような師走を迎えて来た

今年も例外ではなかろう

それほど多くは残されていない時間と
誰も知ることのできない残された時間の果てを
探ろうとしながら

突き放してしまいたい衝動と
抱きかかえたい弱さのようなものが
一枚の暦をめくると
潜んでいる

🍀

十二月という月は
そんな節目であり
格別なひとときでもある

勝負には勝てないツキを持ちながら
もう少しだけ
人生に勝負を賭けているのかもしれない

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立冬のころに考えていたこと ─ 立冬篇 (裏窓から)

立冬が過ぎる頃から次第に
気持ちに決心がついてきて
もう今の仕事は年度末で終わろう
と思い始めた

急に新しいことを探そうかと考えるなんて
想像もつかないことだったし
そもそも 今さら 新しいことに挑むのもどうなのか
という疑問も多い

ツマは言い訳ではないかと手厳しく
いつものように怒りを私に向けて
もう少し働いてもらわねば困ると言うのだ

言い分はとてもよくわかる
しかし 私だって
生死をそろそろ自分で決めることが許されてもよい「としごろ」ではないのか

そう思うと 還暦を超えても 尚
自分の意思の割合より他人様の意思の割合の方が多めになっているような職場環境で
オロオロと頭を下げて 仕えていることもなかろうに

そう思えてきたわけである

このままでは終われない
そんな気持ちが枯れ果てていた心の中から湧き上がってくる

復活したいのかもしれない

 


ひの菜 と ぶり大根 を 食う

十月の満月 - 霜降篇 (裏窓から)

霜降篇

20日に熊野古道を歩きに出かけて
ご機嫌で家に帰って
いつものようにお酒を飲んで
その後に居間で横になって
うたた寝をする

飲んで食べて
うたた寝をして
風呂に入ってねる
という日常の繰り返しです

仕事はそれほど複雑ではなく
高度な知識や技術を求められているものでもないとは思うものの
もうこの歳なって
正規の職員と同じような成果を望まれているとしたら
光栄ではあるものの幾分重荷ではある

脳梗塞の症状は
そんなのんべんだらりとした日常の真っ最中に起こったのだった

20日の夜のこと

うたた寝から目がさめると
手が痺れていて風呂から上がっても心地が良くない

布団に寝転んで
スマホ(iPod touch)を仰向けになったまま
左手で操作しようとするけれども
手が痺れている

まるで
足が痺れて動かなくなり
突いても痛くなく
立とうとしても力が入らない状態になったときの様子に似ている

来たか 冷静にそう思った

(終)

霜降

十月のある日に
届いた手紙は
雨に濡れてインクが滲んでいた

返事を書こうと思うものの
意気込みすぎてなかなか書き出せない

メールは出しても読んでもくれない憎いやつ

ぼくも滲むインクで返事を書けたら

と ふと思う

意地っ張り

泣きっ面

🌱

ごめんねと言い出せなくて俯いて

🌱

満月の静かな夜のひとりごと

満月や思い出すのは君ばかり

🌱

25日は満月でした
今更眺めに庭に出ることもなく
しかし
夕刻の頃にどこかで真正面に向かい合ったが
さらりとかわして行き過ぎた

月を見あげるのが辛いというわけではないが

心が飢えていないいないと
人間は枯れてゆくのだと思う

星を見ても月を見ても
思い出すことはいろいろあるわ

暮れゆく秋に
今更何を
言えというのか

サドン・デス(sudden death) 寒露篇 裏窓から

秋分から神無月を迎える時期に色々と思っている

其の一つに

🌱 サドン・デス(sudden death)

これはジョーダンで語れるものではない時期に差し掛かってきた

祖父も父も六十五歳と六十六歳でこの世を去った

叔父もまだまだこれからというときに病で倒れて再起を図る前に逝ってしまう

顔がそっくりなように性格もよく似ていた

似ていることに薄々は気づいて大人になってゆくのだが
父が死んでからそのそっくりなことを確信する

たった十八年間しか同じ屋根の下では暮らさなかったのだし
とりわけ突っ込んだ対話をしたわけでもない

いわゆる親子で飲むことを愉しんだことも数えるほどだった

だが確実に似ていることを確信する

何故に似なくてはならないのか
同じ血脈であるのだからだ

だから身体の弱さもよてもよく似ている

ヒトは万能のように見える科学が支配する時代になっても
天地人のさらに向こうにいる神が与えた滾るものを簡単には変えることなどできない

やがて確実に来る サドン・デス(sudden death)

待ち遠しいようで
怖いもの見たさで待ちわびるようであるものの決して歓迎はできない

負けないようにしておくつもりでいるが
勝てないだろうと思う、血脈には


💦滾る漲る迸る を考える

ぶるっと一回ふるえて冬を思い出す


寒露篇

サドン・デス(sudden death)という言葉は

じわりじわりと迫って来る
けれどもそれほどの恐怖感はない

恐れているわけではない
しかし 覚悟ができているわけでもない

🌹

礼を欠いたままの恩人がたくさんある
私の人生の舵を切ってくれた人もある

音信の途絶えた人もあれば
先に逝ってしまった人もいる

🌱

10月8日は寒露でした
少しずつ夏の暑さを忘れ去っていきます

冬の寒さが忍び寄る
ぶるっと一回ふるえて冬を思い出す


💦 滾る漲る迸る を考える篇

続・旅とはそもそも(2)- バイクでゆく 立秋篇 裏窓から

🌱🌱
🌱🌱 旅とはそもそも(2)- バイクでゆく

バイクを買いました
新入社員のころです

休みが続くと旅に行きたくて
紀州の山の中を彷徨うように走り回ったりしたのですが

秋の連休に

仕事の束縛(休日出勤ですね)に反発するように
出勤明けの日に信州に向けて飛び出しました

地図を持たないあてのない旅でした

宿の予約もしませんでしたし
そのあとの行き先も決めていませんでした

もっと言えば
信州とはどんなところかも知らないままだった

卒業の間際に友だちの車で
麦草峠を越えて
蓼科や別所温泉に入ったりしながら
諏訪の街並みも楽しんできたことがありました

あのころに考えていた旅とは
ふらっと出かけるものだったのです

☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️

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🌱🌱  旅とはそもそも(3)- 筋書きのないもの

旅に
用意周到な計画などなかった

天気を予測することも(ネット情報も)なかった
オススメのガイドブックのようなものは無縁だった
(あれはお金持ちの人が行く優雅な旅のためのものだった)

高速道路を利用するお金はケチった
(そもそも高速道路もそれほどなかった)

貧乏旅であったので野宿もした

ユースホステルも利用した

ビジネスホテルは贅沢だった

誰かが行って良かった評判も大事だったが

地図を見てココに行ってみたいという衝動が大事だった

鄙びた温泉は大きな魅力だった

安くて美味しいご当地の料理(B級グルメ)を求めて走った

人里を離れた寂しい峠をひっそりと越えて昔の旅人の足跡を偲んだ

山村の道端の人とお尻が冷たくなるほど長く座り込んで話すこともあった

バイクを止めてそばに偶然止まったライダーと話し込んだ

女性ライダーも気さくな子が多く長々と話し込むことが多かった

総じてみんな気安く声かけあって楽しく語らった

YHの談話室では
「私たちも仲間に入れてください」
といって話に加わってくる子がたくさんあった

旅とはそもそも ─ あのころのバイクの旅とはいったい何だったのか 秋分篇 裏窓から

振り返っている時間が時々ある
このごろ

だが
懐かしむわけではない

そういう足跡を振り返ってそれがどのようなものによってもたらされたのかを考えると人生がとても不思議に思える一方で必然にも思える

サドンデス(sudden death)を想像する年齢になってきたから
ひとつの区切りで何か纏めておこうという気持ちがあるのか

sudden death いずれそのうち触れていきたい

まずは

旅とはそもそも
を考えているので 引用してから

続く

何を受け継ぐべきなのか - 処暑篇 (裏窓から )

語らなければ何処にも記録されなかった話

🌱

私が生まれる何年か前に私には姉があった
そのことを母が話し始めたのだ

お盆の静かな午後のひととき
危険な暑さと報道や気象予報が
やかましく報じているけれども
部屋はクーラーを入れて快適にしている

八十七年あまりを生きてきたうちで
夏の暑い一日のいくらかを
クーラーが効いた部屋で過ごしたことなど
恐らくなかったに違いなく

こうして語ることも
時間を過ごすことも
歴史上で
とてもかけがえのない時間であった

貴重な宝のようなときが時々刻々と流れていった
そこで起こっていることを冷静に考えれば考えるほどに
残り時間が幾ばくかしか残されていないことを思う

しかし
残念にも思わない
悔みもしない
怒りも憤りも湧かない
もうどうだっていいのだ
感情や感動はそのうち尽きるのだ

そこにある一つの出来事を
ひとつのモノとして私は話に耳を傾けている

🌱

姉は生まれて一年ほどで亡くなった
今の時代ならば間違いなく生きていたのだが
栄養のあるものを食べされることもできず
病気になっても治療もできず
誰もが死なせてはいけないという行動も取らず
そんな心も 必要以上に持たないし見せもしない

とびきり貧しかったわけでもなかったが
この家系の家族がフルセットで同じ屋根の下に
暮らしているのだからというのも遠因ではあろう

父には弟が二人、妹が一人、姉が一人いる
これで五人
父(私の祖父)がいてその人の妻(祖母)がいる
さらにもうひとつ上のばあさん(曽祖母)が寝たきりでいた
それで三人が追加となる

母を入れると九人が暮らしていたわけで
しばらくして、義姉がお嫁に行く
そこで子どもができて
一人目の子を死産させて
二人目の子の時にお腹が大きくなって帰省する

秋に生まれるというので夏ころから
家に居座ったそうである

それが私の姉の誕生の時期と同じであったのだ
(母も同様に同時期に第一子を流産していた)

母の話の大事なところはこの先だ

🌱

「ねえさんは大事にしてもらっていた」

母そう話してくれる
もちろん姉さんはそんな優遇のことは考えたこともないし
今でも知らないままだ(姉さん=私の伯母さん)

妹が家事や食事を取り仕切り(妹=私の叔母さん)
姉の食べものは最大限に手厚くしていた
(もちろん自分も都合よくしていた)
弟たちにも心配りをして食べさせた(弟=私の叔父さん)
高校生だったからたくさん食べたという

母は農作業にも出た
夏から秋にかけては農家の一番大切な時だ
お腹が大きくて赤ん坊が今にも生まれそうでも
田んぼに出たし
生まれてからも娘をほっておいて仕事をさせられたという

「ねえさんは暖かい縁側で大事にしてもろて本読んだりしてたわ」

テレビドラマの残酷な話そのもだが
まさにそんな状態が
子どもが生まれるまでから
生まれてのちも一年間続いたのちに
私の姉は肺炎で亡くなったのだ

帰省して手厚く迎えてもらっているねえさんは一人目を死産
私の母は同時期に流産をしての二人目だったのだが
今では信じられないような差別的な暮らしだった

🌱

母は怒りも見せず
悲しそうな顔もせず
淡々と振り返りながら
あのころを話す

言い終わっておかなければ死ねないとでも考えたのか
いつまでも自分の中に置いておいても仕方がない
と考えたのか

その話を聞くと
母が言い終わってそれで尽きて
死んでしまうのではないか
とさえ思えてくる

処暑
処暑

父が亡くなって二十年以上が過ぎる
一人で二十年は長いと思う

わたしのツマは
姑が二段構えで生きていて
おまけに夫の兄弟妹まで住んでいて
さらに私の父は小さい時に耳の治療を怠って
耳がほとんど聞こえなかったという苦を患っていて
そんな苦とともに四十数年一緒に生きてきたのだから

のちの二十年の間に
孫にもひ孫にも恵まれて
のんびりと農作業を愉しむように暮らしてきたのだから
それはそれで幸せであったのだろう

今さら怒りを思い出したくもないのではないか

父が亡くなって十七年ほど後に
生前に植えた杏子の木が真っ赤な実をつけた

私はとても嬉しくて
ブログなどにも書いたけど
母は淡々と
今年は成らんだなあ
と言ってお終いだった

このマイペースの幸せがとても大事なんだろう
そのときはコロリと逝けるようにと切実に祈っている