酒房・あうん

「居酒屋・鶴さん」
「喫茶・コリン」
その店の話はこれまで書いてきたとおり

劇的な出会いがありました
情熱的な恋もしました
それに悲しい別れも経験しました

++

ねえ、ぼくと
ケッコンして欲しい

ダメなのわたしには
大好きな人がいるから

そんな会話があったわけではない
二人の間を 確かめようと僕はしないし
鶴さんは自分からも話しはじめようとはしなかった

月日は過ぎる
コツコツと音を立てるように刻まれてゆく時間の
その間に何度も逢う
話もしたし
お酒も飲んだ
夜の銀座を彷徨った
だが 何を話したのか 記憶にない

憶えていないって こんなことを言うのだ

多分ぼくたちは将来の夢の話をしたのだけど
大人たちが言うような記録なんか残ってない
楽し過ぎて日記にも書き留めていなかった

++

ぼくと鶴さんがケッコンしなかった訳は
誰も知らないのだけど
鶴さんとぼくは知っている

酒房・あうん

二人の間には 現実はなかった
夢しか見えてなかったのだろうか

すべては「あ・う・ん」なのだ
しゃぼんのようにふわりふわりと漂いながら
どこかに紛れて行ってしまう

その訳は誰も知らないけど
ぼくたちは知っていたのかもしれない

二人はお互いに
この国のどこかとどこかで暮らしていて
「酒房・あうん」で辛口の旨い酒を飲んだ時にだけ
幻の乾杯にこたえてくれるだろう

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居喫茶・コリン
居酒屋・鶴さん
酒房・あうん
カフェ・六角堂
古書・わはく

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居酒屋・鶴さん

「居酒屋・鶴さん」

それは京都の古い町屋の並びにポツリと潜んでいる店だった
十年ほど前から気にかかっていた

初めて知るまではそんなに存在感などなかったし
華やかな看板を通りに向けて出しているわけでもなければ
レトロな店構えでもない

古ぼけた暖簾は3つに割れるもので
一番左に「鶴」真ん中に小さく「さん」と手書き風に書かれているだけ
戸口に小さく「鶴さん」と彫り込んだ木の表札がある

居酒屋だと思ってみれば居酒屋だ
メシ屋だったら「鶴さん」は不似合いにも思えるので
やはり居酒屋だろうとじわじわっと飲み屋感が湧いてくる

ふとしたことで店の暖簾が目についた
素人の書いたようなデザインであったが
私の脳裏を「鶴さん」のことが
ぐるぐると回っている時だったのかもしれない

鶴さんとは、北国の田舎町にある薬科大学の学生で、
下宿で「喫茶コリン」という集いの部屋を作って、
学生時代を送った一人の女子の名前の一字だ

もちろん、店とその女性とはまったく関係いない
だが私はある日から何も用事のない週末などに
ふらりとこの店で道草をするようになる
「ふとしたこと」と知り合いや同僚には説明をするけど、
その理由がはっきり言えず曖昧なのは、
理由が理由らしくなく意味がないからである

今となっては暖簾が急に気になり出した瞬間などのことは
まったく記憶になく、不明になってしまった

ただ、

むかしの女友だちに千鶴子さんという子がいたこと
その子が懐かしかったので店の名前で思い出したこと
さらには
その店に行けば何かいいことが起こるかもしれないような予感があったこと
あくる日にいいことが起こるような気持ちになれたらいいなと考えたこと

そんなおまじないのような気持ちで
暖簾をくぐったのだろうと話している

鶴さんという店が日ごろの通勤で通る路地にあっても
特別に気にとまることさえなかったのに、
ある日突然気になり出した理由について
「やはり何か事件か大きな変化あったのではないか」
と親しい友だちが尋ねてくる

けれど、
鶴さんはある昔に私の前から姿を消してそれきりで
今となってはどこで何をしているのかさえわからない

そんな人なんです

++

そんな「居酒屋・鶴さん」に
立ち寄っている私がいる

一人で店に入って
焼き串か串カツかを二三本つまんで
冷やのお酒を二合飲んで
帰ってくる

ゆっくりとお酒を飲む稽古をしようと思うことがある
何かいいこととか
誰かがおめでたいとか
昼間にちょっとラッキーなことがあったとか

そんなふうにつぶやきながら
無理やりな理由をつけて
言い訳をつけてやって来る

財布の小銭を気にしながら
時間の使い方が下手だな
飲み屋で過ごす時間は窮屈だな
などと思うくせに

カウンター越しに見える酒が並んだ棚の片隅に
「鶴さん」と彫り込まれた彫刻を見ている

店には滅多に来ない

そこにはドラマにもならないような平凡女将さんがいる
そして、ちょっと意気が合うところがある
でも、それ以上は何も知らない
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喫茶・コリン
居酒屋・鶴さん
酒房・あうん
カフェ・六角堂
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喫茶コリン

恋い焦がれ続けた人を目の前にして銀座の夜は過ぎた

彼女は話す

**

あのねその下宿の一室を「喫茶コリン」と呼んでいたの
神経伝達物質のアセチルコリンから戴いてきたの
そこでおしゃべりをする仲間は同じ大学の同じクラブにいた仲間で
バスケット部と合唱部を掛け持ちしている子たちでした
女子が三人で男子が一人で
歌の歌えるバスケット選手たちでした(ケラケラ)
下宿といってもほとんど寮のような雰囲気です
大学は一つしかないですし
学部も薬学部しかないのですもの
小さな大学で学生もみんなの顔をくまなく知っていたし
名前もほとんどわかった
日本海に面した海を見下ろす高台にあって
下宿屋さんは大学のキャンパスから麓へ降りる斜面の坂道沿いに散らばっていました
地方から出て来て下宿をして薬剤師を目指している人がほとんどでしたから

**

大筋ではそんな話しだった
しかし、ほかの面々の名前やら仲間との親密度やら好意の度合いなどを想像させるようなことを鶴さんは何も語らなかった

**

寝台列車のような形の下宿屋さんだったという
住まいや町のこと、学校のこと、友だちのこと、毎日の楽しみのことなど
鶴さんはときどきそのころのことをとても楽しく懐かしがりながら話してくれた
けれどもひとつひとつはどれも断片的で
ベールに包まれたドラマのようであった
大好きだったその人のある時代の青春の一コマを想像するには
とても物足りない話の集まりだった
四年間もの長いあいだ心を寄せ続けた人が
どのように日々を送っていたのか
忘れたころにひょっこりと手紙をよこしてくれた人が
その合間にどんなふうに毎日を送っていたのだろうか

**

喫茶コリンというところで青春時代を送った鶴さんとは
東京で一年半だけ
時々会って銀座のパブで話をするという友だちだった

東京を離れてから二度会った
京都市と郡山市で

あの人は喫茶コリンをもう忘れたのだろうか
あれから私は夢ばかりを見ている
鶴さんという人が「喫茶コリン」というお店を
日本のどこかでやっているという物語だ
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居酒屋・鶴さん
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鶴さん その後

おゆうはんを食べていつものように寛いでいたら
1通のメッセージが届いて
ホイと開けると驚く人であった

(香港にいる)鶴さんのお兄さんからだったのです

ものすごく激しく驚きながらも血が引くように冷静だった

ずっと昔に出した私からのメールに気づき開封してくださったらしい
そのことにホッと一息つきながら次の展開にも期待を膨らませたのですが
しかし 読み進むとそれは無情なものでした

一行ずつ読めば
(この手紙のように)捉えるのが正しかろうな
と私も同意する
つまり これで終わった としっかりとピリオドを打たれたわけです

喜びも悲しみも湧き上がっては来ない 極めて冷静な感情でした

🔷

メールには

過去の経緯は何となく分かりました。然りとて、彼女には言うつもりは全く有りません。次男坊が今年5月に会社の研修で香港に来てまして一緒に食事しました。子供らの成長は、頼もしいものです。日本の、そして世界の明日を拓く力になるのです。 まあ、昔の思い出は心の奥深くにしまいこんでしまいましょう!!

と書いてありました

お兄さん宛てに、私はある時に手紙を書いたのです
それがいつの頃のことかさえも記憶にも記録にもなく
そのとき書いた文面も
「届かないメールなど保存しておいてももう不要だから」
という理由で削除してしまっています

何を書いたのかは思い出せない
お兄さんを Facebook で発見して瞬間的に手紙を書こうと思いついたのでしょう
どうしても連絡を取りたかったのでしょう あのころは

私がその後どうしているか
あの人がその後どんな人生を送ったのか
思い浮かぶ人それぞれの人生模様を想像しても
今は連絡先さえわからないし
連絡先や住所らしいところを見つけて手紙を書いても音沙汰もない
結婚をしましたと連絡をして以来パタリと便りが来なくなったからね
とツマがいうくらい潔くて清い性格なのでしょう

そういうジレンマの中で 少しだけ期待を持って
お兄さんに手紙を書いたに違いない
と思います

もらった手紙に
簡単なお礼を添えて返事を出したいと思います

何を書こうか
今から考える


まず最初にお礼を申し上げます。
お返事をいただきどうもありがとうございました。
感謝します。

私がFacebookでお兄さんの名前を見つけて 多分必死の思いで書いたのでしょうが 何を思ったのか 何を期待したのか 曖昧になりつつあります。

音沙汰もなかったので、それは無理な話だったのだと思うことにして 送信簿を削除して整理してしまいました。

あの時に(何時のことかも記憶も記録もないのですが)何を考えて どんな文面を書いたのかは覚えておりません。恥ずかしいことを書いていなければ良いのだがとそれだけを思っております。

私が結婚をすると連絡を入れたら パタリと連絡をくださらなくなったので (私の妻が言うには)「きっと潔く澄み切った人なのだろう」と 私の記憶からは薄れていきましたが。

次男さんがと書いてられるので結婚をして子供があるとわかります。
お母さんの面倒みるのでそれが一番大事なのだということを あの頃にはよく話していたので心配をしたりしていました。

自分のその後のことや鶴さんのその後のことなどを 同窓会のように屈託無く、話が聞きたいと私は思ったのでしょう。地震の被害はどうだったのかなど 考えれば次々と思い浮かんで来ます。

こうしてメールをいただいたのが11月で 鶴さんの誕生日が13日であったことを思い出しました。
私がちょうど10月13日なので それだけが理由で記憶に残っているのだと思います。
おめでとうござます。

私はこれまで、今に至るまでに膨大なみなさんにお世話になり 励まされ 叱られ 怒鳴られ 諭されて 生きて来ました。東京時代に膨大な恩や薫陶を受けた人が何名もあります。

その人たちにきちんとお礼を言えていないことが最大の悔やみなので 彼女にも短い日々にお世話になった 数々のことに しっかりお礼を伝えたい。

今はそう思っていますが、声は届かないとしても お兄さんにこうしてお話ができたので ありがたく思っております。

それこそ何かで万一機会でもあれば、一言お礼を言っていたとお伝えください。
どうもありがとうございました。

あらすじ(鶴さん)

あらすじをおさらいする。

1977年の夏に偶然のことで出会った鶴さんと手紙だけの交流を4年間経て東京で再会する。それは1981年の夏ころのことだった。

大学で足踏みするわたしよりも早く東京の銀座にある優良企業に薬剤師の資格をもって鶴さんは働いていた。

わたしも技術を活かす世界に出て行きたいと夢を描き京都の会社に就職を決めた。
鶴さんと東京で会えた夏からわずか半年余りでの別れとなる。

一緒に京都に行こうと誘うのだが鶴さんには強い考えがあって、京都についていくことはできないという。
わたしはその理由を知って叶わぬ願望を抱き続けることは、自分を悲しませるだけだと考えた。
しかし、思いや感情を意思の力で変えることは難しい。
哀しみや痛みはどんなに強い念力があったとしてもそう簡単に思うようにはならない。

京都に行ってからも鶴さんとの手紙の交流はしばらく続いて、京都で再会、更に彼女の郷里の福島県郡山市でも1度会っている。

ドラマは、わたしが結婚をするという知らせの便りを出した直後で終わった。
ツマはその物語の凡そをわたしから聞いて、それは彼女の正義だったのだと話した。

物語を伝説にしてもかまわないから、鶴さんのことを形で残したいと思い、わたしは「鶴さん」を書いた。

夢に描くべき決着を目指してはいけないにもかかわらず、わたしは探せるものを探そうとした。
それがわたしの性格だったといえばそれまでだが、結末の美しさを失ってしまったのかもしれない。

誰にも言えずに

(ムスメからみた『架空日記』)

 

父は鶴さんのことについてほとんど喋りませんでした。

  • バス停で出会って手紙を書いたら返事が来たこと
  • 手紙の宛名は「北海道中央バス終点余別駅の前のバス停でアルバイトをしていた女の子様」だったこと
  • 返事が来たこと
  • 文通が続いたこと
  • 四年後に東京で再会したこと
  • その後も何度か食事に連れて行ってもらったこと
  • 京都に住んで間もなくの頃に再会したこと

そのような出来事を話したくらいで、どう思っていたかとか、どんなふうになって欲しかったのかなどは話さなかった。

ですが、東京を離れる最後の日に鎌倉へ行ったときの写真は大事に置いていて、誰がみてもといってもお母さんかわたししかいませんけど、勝手に見ても何も言いませんでした。

棄てようともせず押入れの箱に入れたまま放ったらかしにしていました。

鶴さんを読むと激しい思いがこもっているのがわかります。しかし、誰にも言えずにいたのでしょう。

紙切れメモ

[走り書き]
一枚の紙切れの端くれに走り書きがありました。

あのときに心の奥深くから
目がしらのあたりを通って
頭のなかのすべての隙間に
いきわたるほどに
スパークする衝動が走ったのでした

そんなものが
自分の感情のなかに
隠れてでも存在していたことに
ある種の違和感のようなものと驚きを感じながら
仕方ないじゃなか湧き出てくるんだ
と素直に湧き上がってくる思いに従っていたのです

冷静な一面が自分のなかにあって
こんなことをやらかしてしまって
取り返しがつかなくなったら
大変なことになると思っている自分が
滑稽なほどに冷静に行動を起こしているのです

あとになって考えれば
そういう突発現象は普段でもときどき起こっていて
判断する知性のようなモノを無視して
行動していることはあったのでしょうが
あのときに
心の奥深くから飛び出したのが
それまで長い間生きてきていながら
一度も経験したことがなかったような
揺さぶりであったのは間違いなく
長い人生には似たようなことが何度か有りながら
激しく動揺するものがたった今起こっているのだと知る
初めての経験でもあったのでした

つまりわたしは
そこにいたひとりの女の人に
釘付けにされてしまうようなことは
かつて一度も経験したことがなく
腰が抜けたように
そこから動けなくなっていたのでした

鶴さんの物語の
バスを見送ってからヒッチハイクで帰るシーンは
このように
激しい心の葛藤があったということなのでしょう。