木曽旅情庵 その2 ─ 寒露のころに考える

考えてみれば
失うことの連続であり
人生の第4コーナともなれば
新しいことなど
もうこれ以上に起こらない

旅情庵という宿へは
もう行くことはなかっただろうが
営業をやめてしまったことは
わたしの旅のひとつのカテゴリーに
ピリオドを打った

旅情庵に何度も泊まりに行き
信州の山々の雄大な風景や
目がさめるような秋の紅葉を目の当たりにし
大きく息をを吸って
元気な自分を取り戻そうとしていたのだろう

ちょうど十月の今ごろ
地図も持たずに
新品のオートバイで
乗鞍高原へと
鉄砲玉のように
走っていったのは
1982年10月の連休でことだった

三連休の一日目に仕事が入って
不平不満の気持ちで仕事に行ったときの気持ちの
記憶だけが強烈に残っているものの
あくる日に高速に飛び乗って
何も調べもせずに
ただ信州の方をめざすという
爆発心のようなものだけで
でかけたのだ

だから地図もなければ
宿の手配もしていなかった

あれから
信州の虜になり
木曽街道や中山道に夢中になり
秋の紅葉、初夏の新緑に
食べて走って湯につかって泊まって
という冒険のような旅をしてきた

旅情庵はそんな遊びのひとコマで出会った宿で
全国数々のユースを駆けまわったなかでも
飛び抜けて贔屓にする理由を
しっかりと持っていた宿だった

風呂に入れば窓から御嶽山の峰々が見えたし
窓のすぐ下には鄙びた田舎の山畑の景色があった

宿の建物は古くて
歴史を肌で感じることのできる味わい深いもので
タイムマシンに乗って
半世紀を飛んできたような安らぎの空間だった

ねこが
どっしりと
ふつうに
静かにいて

写真もスケッチも残していないので
わたしの記憶が老化とともに過去を捨て去る

それと一緒に消えていく記憶のひとつだ

それでいいのだ

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あらすじ(鶴さん)

あらすじをおさらいする。

1977年の夏に偶然のことで出会った鶴さんと手紙だけの交流を4年間経て東京で再会する。それは1981年の夏ころのことだった。

大学で足踏みするわたしよりも早く東京の銀座にある優良企業に薬剤師の資格をもって鶴さんは働いていた。

わたしも技術を活かす世界に出て行きたいと夢を描き京都の会社に就職を決めた。
鶴さんと東京で会えた夏からわずか半年余りでの別れとなる。

一緒に京都に行こうと誘うのだが鶴さんには強い考えがあって、京都についていくことはできないという。
わたしはその理由を知って叶わぬ願望を抱き続けることは、自分を悲しませるだけだと考えた。
しかし、思いや感情を意思の力で変えることは難しい。
哀しみや痛みはどんなに強い念力があったとしてもそう簡単に思うようにはならない。

京都に行ってからも鶴さんとの手紙の交流はしばらく続いて、京都で再会、更に彼女の郷里の福島県郡山市でも1度会っている。

ドラマは、わたしが結婚をするという知らせの便りを出した直後で終わった。
ツマはその物語の凡そをわたしから聞いて、それは彼女の正義だったのだと話した。

物語を伝説にしてもかまわないから、鶴さんのことを形で残したいと思い、わたしは「鶴さん」を書いた。

夢に描くべき決着を目指してはいけないにもかかわらず、わたしは探せるものを探そうとした。
それがわたしの性格だったといえばそれまでだが、結末の美しさを失ってしまったのかもしれない。