きさらぎの日和もよしや十五日 上島鬼貫

■ 巻頭言

例年になく寒い冬になりました。

立春を過ぎてもいっこうに寒さは衰えず、友だちが「三寒四寒」と言って笑わせてくれました。

建国記念日の朝にはうっすらと雪が道路をおおいました。

パソコンに向かうときも、冬山に出かけるような防寒対策をしています。

それでも、手が冷たいです。

二月は「如月」ともいいます。

寒さで着物を更に重ねて着るからでしょう、漢字で「着更着」とも書きます。

「きさらぎ」と読みますが、むかしの人は洒落た名前を付けてくれるな と、まことに感心をします。

きさらぎの日和もよしや十五日 上島鬼貫

鬼貫の句にはもっと難しくてインパクトのあるものを密かに期待してしまいますが、この句はホッとします。

立春も過ぎましたし「きさらぎ」とひらがなで綴ってじっと春を待つのでしょうね。

■ あとがき

先日、鳥羽市の離島を訪ねて、小さな旅を愉しんできました。

定期船で島に渡るのですが、それはそれは冷たい風が海上を吹き抜けます。

海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

島の住人の人たちは誰もデッキに出ようとはしませんけれども、船に乗るのが大好きなので冷たい風に吹かてきました。

島の中を健康ウォークを兼ねて散策をするうちに、港の小屋の軒先で日向ぼっこをしているお年寄りを何組も見かけました。

言葉にならない暖かさを感じながら島旅ができました。

旬のお魚も美味しかったです。

この峡(かい)の水を醸して桃の花 飴山實

春は、飴山實の句がほっこりします。

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ほんとうに断捨離するべきもの - 立春篇 (裏窓から)

遅くなりましたが
立春篇です

++

++

この二つを一月に書いて
ぼくは迷路に入り込む
六十年という歳月を生きてきて
偉そうなことを言うつもりは毛頭ない

むしろ
四十歳を過ぎて五十歳を回ったころに
自分の子どものことも
さらには
子どもを取り巻く社会のことにも
不満と不安をもって
社会やその体勢や
そこで先頭に立って走る人物の人間性に
どことなく怒りを爆発させていた

だが
心配はいらない

もうそんな気持ちは収まった

ぼくは
「伝える」「遺す」
という言葉が引き出そうとするもっと重みのあるものを
一生懸命に自分の人生という過去の中に探し出そうとして
焦っていたのだ

そう思うことにした
いや気づいたのだ

つまり
何かを引き継いだり伝えたりできたとしても
それは精神論であったり
形のない遺産であって

新しい時代の新しい人類のヒトたち
即ちぼくの子ども、孫、ひ孫たちには

それほど役立たないのだということを
自分自身に冷酷なほど強烈に知り
納得しなくてはならないのだ
と思うようになったのだ

あっけらかんと言えば
いつ死んでも誰も困らない

もしも一瞬だけ困ったとしても
パスワードのわからない開からない宝箱は
丸ごと棄ててしまうだろう

新しい時代の人類は宝箱などには
それほど関心がないのではないか

それにもっと言えば
宝物の価値は新しい人類が決めるのだから

断捨離という流行言葉があるが
なんて馬鹿馬鹿しい言葉だと一蹴していたのに

ちかごろ
本当に断捨離が必要だったのは
ぼくの勉強部屋(書斎)のガラクタではなく

自分の自伝や遺言じみたものではないのか

そんな自爆な(秘伝)が浮かんでくる始末だ

鬼はどちらへ - 鬼は外 そっと裏口の鍵開けておく ━ 節分号 (裏窓から)

鬼はどちらへ ━ 鬼は外 そっと裏口の鍵開けておく

▪️ 鬼は外 そっと裏口の鍵開けておく

鬼は外と叫んだ日は遥かむかしのことだ
大人になってすっかり息を潜めてしまった
果たして現実的でないからといってやめてしまって良いのだろうか
もっと真剣に鬼は外・福は内と叫ぶことが必要なのではないか

ハナからそんな古典的伝統をバカにしているヒトたち
伝統儀式など迷信の延長なのだと高を括るヒト
十分に現在の暮らしに満足して貧しさがあふれた昔の暮らしを引きずったような風習には無関心だというヒト
たった今を生きてゆくので精一杯で他人のことなど構っておれないだろうというヒトもあろう

鬼を心に棲ませる
閻魔様を忘れない
仏を心に秘める

罰が当たるのを恐れる
神の眼差しを感じる

今やそういう時代ではなくなった

コインを二つ三つ手に握って
食べ放題・飲み放題という店へと出かける

ホンモノを見失ってしまった時代を嘆いたことがあるが
そのあとにはホンモノを見分けることのできないヒトが溢れ
もはやホンモノを求めないヒトが常識化し
物の見方が薄っぺらくなってきて

一方で豊かな暮らしを求め続け
あたかも満たされたような錯覚が広がり
幻影と実像が区別がつかないヒトが増えてゆく

回転すし屋が食べ放題に転換しているというニュース
適齢期を少し過ぎた(かも)という女性が五十歳ほどの男性を紹介されたという呟き

モノがどのようにあるべきか
を考え続けると理屈を言うといって煙たがれる

どちらが間違っているのか
何がおかしいのか
考えようとしない世相

やはり
鬼は必要なのだ

どこにいってしまったのだろうか
頼りになる鬼


2018年2月 3日 (土曜日)
増殖する『新・裏窓から』

人生をドラマに

■人生をドラマに

わたしは人生をドラマに仕立てようとしたのか
それともドラマだと勘違いをしていたのか

あしたはいつもドラスチックなものだと描いてしまったのか

そうあってほしいと願ったのか


 

2018年2月 2日 (金曜日)
増殖する(秘)伝

十年

十年

書きかけて放置している
そのうち書き足すのだろうか

うそっぽい

年度の節目に誰かに渡すための引継ぎのための文書を書いている
そのことは普通の業務なので格別な感傷などはない

寧ろ十年間という歳月に
たったこれだけのことをしてきて
それだけのことを大切にするかのように日々を過ごしてきたことが
ある意味では滑稽であり
眺めようによれば愚かで情けなくもあり
幸せでもあり楽しくもあったのだと
客観的に評することもできる

ささやかな人生であり
掛け替えのない十年であり
もっと羽ばたけた十年であり
よくぞ墜落しなかったなとも言える十年だ

さきごろからたびたび考え込むようなネタとして思い浮かび
しばらく放置している間に日々の雑音のなかに消えてゆくことがある

何かを遺す
何かを伝える
何かを受け継ぐ

大切なものは何であるのかを見極める
不要なものと大切なものを区分する

それらを考えて答えを出すために求められることがある
簡単なことだが難しくあり悩ましいものだ

判断をすることだ
区別をして色分けをする
不要なものは切り捨てる

だが、しかし

リンゴよりもイチゴが好きだ
イチゴよりもメロンが好きだ
メロンよりもリンゴが好きだ

そういう人にとっては
白黒をハッキリさせるとか
これは右の棚で次のこれは左の棚
というように区分をテキパキとすることはできない

さてさて
困ったものだ


2018年2月 1日 (木曜日)
増殖する(秘)伝

父の最期の言葉

父の最期の言葉

二十年前の大寒の二、三日後に父は亡くなっている

残された母の話によると
亡くなる日の二三日前には
既に意識がぼーっとしてたらしい

ビールが飲みたいと言うのであるが
こんな状態で飲ましてはならんと思い
お茶をやったという

「ビールと違うやないか、まずいなあ」

言うてやったわ
と あのときを母は回想している

それが父の最期の言葉であったことになる

2018年1月29日 (月曜日)
増殖する(秘)伝

 

三十数年の歳月が過ぎて幻の日記が見えてくる

三十数年の歳月が過ぎて幻の日記が見えてくる

子どもが結婚をしたときに
遠く京都に住んだままで
家のそばに新居を構えることもなく
将来のいつ頃になって帰ってくるのかも
はっきりとさせなかったこと

父はこのことについて
眠れない日が続くほどに
考えて続けて
あらゆる可能性を求めて構想を描いたのではないか
と思う

子どもは
自力でこれからも生きてゆくつもりだろう

自信に満ちているのはわかる
しかし、たとえ自分が頼れるような親でなくとも
親を頼ってそばにいたいというような素振りさえもしなかった子どもを思い
好き勝手にしている様子を見せられるときは
おそらく寂しい思いをしたに違いない

学校にやっているときの六年間の苦労を振り返りながら
東京で学業を終えたら故郷に戻ろうと考えてくれることを
普通に筋書きにしていたかもしれない

それだけに相当に寂しい日々を過ごしたことかと推測する

さらに、後年になって
子どもは夫婦で故郷に帰って来たものの
車でⅠ時間ほどのところに家を構えてしまう
自分たちはその家にのこのこと
立ち寄ることも憚られるようなこともあった

そんな暮らしに、ある時は満足する一方で
何処かしら寂しく思ったことだろう

子は子で新しい時代を生きるのだから
むかしの世代は何も申してはいけない
申したとしても
決してそれが生きてくる言葉にもならないのだ

そう思って黙っていたに違いない

父の日記は紙切れ一枚も残っていない
しかし、こんなことを
必ずあの枕元に置いていた帳面に
書き残していたはずだ

残っていなくても
それが見えてくるような気がする

三十数年の歳月が過ぎて
自分が父と同じような立場になった時に
恐ろしいほどに

幻の日記が見えてくる

門井慶喜 銀河鉄道の父
門井慶喜 銀河鉄道の父

読み始めました
銀河鉄道の父

2018年1月28日 (日曜日)
増殖する(秘)伝