夏の終わりに考える  白露篇 (裏窓から)

夏の終わりに考える

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受け継ぐ
語らう
耳を傾ける

これまで受け継ぐというキーワードで思いつくことを書いてきた

そのきっかけになったことがある
最近では新聞や雑誌でもテーマにすることが多い
葬儀やお墓のことが引き金だった

身近でも自分が当人になることが一番に確率高そうだから
一般論としてその考えを整理しておかねばいけないだろう

残された人はご先祖や親のことなどを
昔ほどにも大事にしない社会に変化してきている

死んだら終わりという思想もあろう
魂や霊など現代物理学では今のところ証明もできない
墓などを作れば始末に困るだろう
参らされる人の身にもならねばならない
死んであの世でもう一度再会する保証などない

あの世のことを言い始めたら
二十一世紀の人類(ヒト)のおおよそが
あの世の実在性など認めないだろう

科学技術の進歩や情報化社会が社会通年を大きく変化させてきた

脳みそであるとか
そのずっと奥に潜んでいるヒトの心の構え方や拠り所までもを
変化させてしまった

いや
大昔からこういったことは変化しているのだけど
その速さを大きく加速させたと言った方が正しい

🌱

今の時代に亡くなった人の命を弔うモノは
間違いなく五百年や千年の後になったら形として何一つ残っていないだろう

形を残すことが人間の矜持のように大切だった歴史上の時代は
もうすっかりと消え失せているように思う

心は荒れ果てたわけでもないが
命が消えたらそこでお終いで
先祖を弔う、供養する、祀るなどという式は
確実に消滅してゆくだろう

もはやその準備は整いつつあるのではないか

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墓は作らない
骨は散骨する
葬式は行わない

そういったことに異論は無い
だがしかし、その先が大切なのだ

血脈を辿る先祖がどんな偉大な
または愚かな歴史を刻んできたのか

現在の自分の中に流れる血潮の色は誰が作ったのか

それを忘れたり、軽んじたり
将又
その偉大さや足跡を理解できないままで受け継ぐことを怠ってはいけない

墓が、形を変えて消滅しても
昔から果たしてきた墓の果たして来た役割は譲れない
大切なことはそのあたりにある

どこまで心を伝えることができるのだろうか

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新しい時代には新しい考えが存在する
それが進化したものであるとは断言できないし、しない

時代はスパイラルに進化もすれば逆戻りもする
情報化が大きく進化したのは確かだが
文明が進化したとは言い切れない

だから
その点を現代から未来へと生きていく人へ伝えたい

ただ
未来にある幸せが
ほんとうは不幸せであるのかもしれないのだが
それは誰にも判定できない、断定もできない

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何を受け継ぐべきなのか - 処暑篇 (裏窓から )

語らなければ何処にも記録されなかった話

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私が生まれる何年か前に私には姉があった
そのことを母が話し始めたのだ

お盆の静かな午後のひととき
危険な暑さと報道や気象予報が
やかましく報じているけれども
部屋はクーラーを入れて快適にしている

八十七年あまりを生きてきたうちで
夏の暑い一日のいくらかを
クーラーが効いた部屋で過ごしたことなど
恐らくなかったに違いなく

こうして語ることも
時間を過ごすことも
歴史上で
とてもかけがえのない時間であった

貴重な宝のようなときが時々刻々と流れていった
そこで起こっていることを冷静に考えれば考えるほどに
残り時間が幾ばくかしか残されていないことを思う

しかし
残念にも思わない
悔みもしない
怒りも憤りも湧かない
もうどうだっていいのだ
感情や感動はそのうち尽きるのだ

そこにある一つの出来事を
ひとつのモノとして私は話に耳を傾けている

🌱

姉は生まれて一年ほどで亡くなった
今の時代ならば間違いなく生きていたのだが
栄養のあるものを食べされることもできず
病気になっても治療もできず
誰もが死なせてはいけないという行動も取らず
そんな心も 必要以上に持たないし見せもしない

とびきり貧しかったわけでもなかったが
この家系の家族がフルセットで同じ屋根の下に
暮らしているのだからというのも遠因ではあろう

父には弟が二人、妹が一人、姉が一人いる
これで五人
父(私の祖父)がいてその人の妻(祖母)がいる
さらにもうひとつ上のばあさん(曽祖母)が寝たきりでいた
それで三人が追加となる

母を入れると九人が暮らしていたわけで
しばらくして、義姉がお嫁に行く
そこで子どもができて
一人目の子を死産させて
二人目の子の時にお腹が大きくなって帰省する

秋に生まれるというので夏ころから
家に居座ったそうである

それが私の姉の誕生の時期と同じであったのだ
(母も同様に同時期に第一子を流産していた)

母の話の大事なところはこの先だ

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「ねえさんは大事にしてもらっていた」

母そう話してくれる
もちろん姉さんはそんな優遇のことは考えたこともないし
今でも知らないままだ(姉さん=私の伯母さん)

妹が家事や食事を取り仕切り(妹=私の叔母さん)
姉の食べものは最大限に手厚くしていた
(もちろん自分も都合よくしていた)
弟たちにも心配りをして食べさせた(弟=私の叔父さん)
高校生だったからたくさん食べたという

母は農作業にも出た
夏から秋にかけては農家の一番大切な時だ
お腹が大きくて赤ん坊が今にも生まれそうでも
田んぼに出たし
生まれてからも娘をほっておいて仕事をさせられたという

「ねえさんは暖かい縁側で大事にしてもろて本読んだりしてたわ」

テレビドラマの残酷な話そのもだが
まさにそんな状態が
子どもが生まれるまでから
生まれてのちも一年間続いたのちに
私の姉は肺炎で亡くなったのだ

帰省して手厚く迎えてもらっているねえさんは一人目を死産
私の母は同時期に流産をしての二人目だったのだが
今では信じられないような差別的な暮らしだった

🌱

母は怒りも見せず
悲しそうな顔もせず
淡々と振り返りながら
あのころを話す

言い終わっておかなければ死ねないとでも考えたのか
いつまでも自分の中に置いておいても仕方がない
と考えたのか

その話を聞くと
母が言い終わってそれで尽きて
死んでしまうのではないか
とさえ思えてくる

処暑
処暑

父が亡くなって二十年以上が過ぎる
一人で二十年は長いと思う

わたしのツマは
姑が二段構えで生きていて
おまけに夫の兄弟妹まで住んでいて
さらに私の父は小さい時に耳の治療を怠って
耳がほとんど聞こえなかったという苦を患っていて
そんな苦とともに四十数年一緒に生きてきたのだから

のちの二十年の間に
孫にもひ孫にも恵まれて
のんびりと農作業を愉しむように暮らしてきたのだから
それはそれで幸せであったのだろう

今さら怒りを思い出したくもないのではないか

父が亡くなって十七年ほど後に
生前に植えた杏子の木が真っ赤な実をつけた

私はとても嬉しくて
ブログなどにも書いたけど
母は淡々と
今年は成らんだなあ
と言ってお終いだった

このマイペースの幸せがとても大事なんだろう
そのときはコロリと逝けるようにと切実に祈っている

はや夏がすぎようとして手さぐりで  立秋篇 (裏窓から)

結論から書かねば成らない

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そんなメモが見つかった

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  1. まずまずの人生であったと思って満足している
    周りは不満だと思っているだろうが
    人間なんてのは勝手なものだから仕方ない
    許してやってくれ
  2. 金は稼げなかった
    そのことは自分の打って出た勝負が失敗だったことを意味する
    貧乏を共有させたり金に世話になった人が多かったことで
    今更何も弁解はできない
  3. 身分相応の人生だったのではないか
    見栄を張ったわけでもなく
    必要以上に立派を装ったわけでもなく
    将又見下されて生きたわけでもなかろう
  4. 楽しく生きたという点でよしする
    金がなかったことは前に書いたが
    貧乏であったことが不幸ではなかった
    大金を使って生きる人生もあっても良いだろうが
    そちらを残念ながらその道を選択できなかったというだけで
    幾らかの無念や寂しさも残るものの
    こちらも堂々とした人生だったと思う
  5. 他人と比べるものでもなかろう
    自分の裁量程度で生き通せたのではないか
    器以上の仕事を請け負うても苦心するだけだったに違いない
    怠け者な側面も持っているのだから表裏なく生きて来たと思う

🌱

書き始めてほったらかしにしたのだろう

真面目に書くと長くなる
長くなると読まれなくなる
読んでもらえないと伝わらない

しかし
短いと誤解を招く
または不十分であったりする

本当のことはどうやって受継げばいいのだろう

8月6日 巨峰と水割り
8月6日 巨峰と水割り

8月も25日になり末を迎えているが
日付は立秋(7日)とします

大暑から立秋へ 大暑篇 (裏窓から)

大暑
大暑

大暑(7月23日)が過ぎるころから
何も書かないままの日々がいく日も続く

危険な暑さが続いていると
ニュースでは報じている

果たしてそうなのだろうか
と疑問もある

危険という言葉が安易に暴走していまいか

人(ヒト)が自分の都合のいいように暮らした挙句の果てに
このような暑さが襲ってきたのではないか
と言う疑問が
どうしても拭い去ることができない

便利なことが慢性化して
豊かな暮らしに満たされてしまった挙句の果てに
暑さが襲いかかってきたのだ
と思うと

少しは何かを辛抱するとか
我慢や不自由を受け入れるべきではなかろうか

台風12号が来て
大暑の後にわずかな涼しさが戻ったものの
7月から8月にかけても再び暑さが襲っている

🌱

百円の回転寿司を
あれを寿司(のスタンダード)だと言って
鱈腹食べるのは
もはや現代人の流行りでも何でもなく
日常になっている

「食べ放題」という看板を掲げた店で
空腹を満たそうとするのではなく
上質の味を夢見た果てに
あれも一つの上質の分類の端くれだと認めて
満足している

そんな人たちが標準の時代になった
そしてぼくはそんな標準に乗れないでいる

ぼくは
そういう時代に乗り遅れているのだ
三十年後から人生を始めた人たちに指摘される

では
「遅れる」って何を意味するのだろう
どんな状態を指すのだろう

ステージが違うだけで
時系列の順が前後するだけのことで

指数関数と三角関数とを融合させた空間で
彷徨っているのならば
答えなんてないのだろうと思う

🌱

身近なところで考えれば
離婚をする人が当たり前のようになって来て
社会のなかで結婚をするという根本的なところまでが変化をしてゆく

タバコを吸う人がその辺にフツウに居る社会が消滅して
オトコやオンナの区別がなくなって
子育てはオトコでもなくオンナでもなく
挙げ句の果ては親でもない人が行うようになって

オトコとオンナの差別も区別も存在も特徴も
どうでもよくなって性的な差別も障がいの差別も
影も形も無くなって
ある種の平等が実現してゆくのだろうが

分子生物学が進化した果てには
人が考え出した生命科学のような技術と
脳科学と数学が進化した人工知能を超えた新しい知能により
社会が想像のつかないことになってゆくのだろう

けれども

やはり遅れていると指摘されるぼくが
現在のアタマで考えついたり思いつく想像の空間では

そんな夢のようなものを
進化とは安易に呼べない

「快」と「楽」に走ってしまう生き物は
滅びたほうがいい

地球が滅びても不思議ではないかもしれないような
延長の道程を走っているのかもしれない
この暑さをお祭りにしているようで甚だ滑稽です

まずは豊かさと幸せボケを見直さねばならない

大雨の降る空を見あげて晴れを待つ 七夕号 ─ 小暑篇 【裏窓から】

九十四歳のお母さんを亡くされて
そのあれこれとあったあとに
きちんとした便りも書けるわけでもなく
そっとブログが復活するのを
お待ちしていました

ブログのタイトル通りの「静かな生活」が
ふたたび蘇ってきて
「静かな」暮らしが淡々と過ぎてゆくのを
お祈りするばかりです

自分をじっくりと見つめる日々が
歳をとることで次第に増してくる

このような時間が一日のなかで多くを占めるようになってきても
そこにはそれほど決定的な答えがあるわけでもなく
考え込んだところで探り出せるものでもない

ずっと遥かむかしに
自分のゆく果ての姿を想像しながら描いたような
人生の第四コーナーのようなものあるのだと
このごろ やっと気づきはじめている

これまで歩んできた道が
人生行路だったのか
苦行の修験道だったのか
将又、明るい光を受けたステージへの花道だったのか

もはやそれは振り返って酒の肴にするくらいしか使い道もなく
次の世代に語り継ぐような価値などはないといえよう

胸に秘めて
静かに暮らしていきましょう
ということだと感じている

そしてそれがわたしの使命なのだと
このごろ痛切に感じます

六月の終わりに咲く花

この頃は猜疑的な人間になって来て
「別れる男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます」
という言葉が川端康成のものかどうか疑っている

それゆえでもないが
ムクゲの花を見るたびに
憎い女が蘇る

お礼をいう

三十四年前に二人で暮らし始めた家を
散歩の傍ら訪ねてみたら
取り壊して新しい住宅が立ち並んでいました

京都の嵯峨嵐山というところです

表通りは観光の人で溢れて
一条中に入ると昔の雰囲気も少なからず保ちつつ
京都の普通の人たちの暮らしの空間がありました

そそくさとそこを捨てて
今の地域に移り住み
倍ほどの広さの屋敷を手に入れて
今の暮らしをしていますが

人生なんてのは
何が正しいとか間違ってるとか
表が美しいとか裏が鮮やかとか
そんな法則なんてないです

後で気がつくのですよ
あの時にああしてたら
こうなって幸せだったかも

でもね

それが幸せとは限らないでしょ
成功していたとも言い切れない

だから

こうして今まで来たことに
感謝して
かけがえのない幸せに
お礼を言わなあかんのですわ

こればかりは
遺産でも受け継げない
私が完全燃焼しておくべきもの

だから二人で
足並みを揃えるのですわ

そう思います

このメッセージは
旦那さんが胃癌にかかったブログ交流のあるかたに
治療・療養中の旦那さんと過ごすある日の日記(ブログ)に
コメントを書いたものです

それは他人に向けて書いたものですが
間違いなく自分宛の手紙でもありました

残しておきます