『父の日』で検索してみた 父の日篇

  1. 三十数年の歳月が過ぎて幻の日記が見えてくる
    らないのだそう思って黙っていたに違いない父の日記は紙切れ一枚も残っていないしかし、こんなことを必ずあの枕元に置いていた帳面に書き残していたはずだ残っていなく…
  2. 父の日記 はじめに
    父の日記 はじめに   (秘伝本篇はリンク先です)わたしが子どものころ、そう小学生から中学生のころのことだ。父は、就…
  3. かき氷
    モで日記にしておきたいようなものもある 父の日が近づいているのでそんなことを詠んだ句などが色々と気にかかったかき氷を食べながら話をする光景と父とかき氷を食べ…
  4. 人生なんて 出番など ないままそっと 幕が降りる
    何も買ってやらなかったそういえば誕生日も父の日も何も贈り物をしなかった挙げ句の果てにはいつかは一緒にお酒でも飲もうと願いながら染み染みと食卓に向かい合いなが…
  5. 父の日や仕事に来てる父ばかり
    思うのですけど家族はお肉がいいみたい▶ 父の日や仕事に来てる父ばかり写真日記から …
  6. 父の日や父に似ているムスメ哉
    子どもと親は似るもんだなと思うなぜって父の日のプレゼントが届いたといって写真に撮って送ったらムスメといったらそうやったな 何を送ったか忘れとったわと電話で…
  7. 三十年という周期 ─ 小寒篇
    たものに―2013年10月16日 (水)父の日記■子どもというものは父や母の日記や行動や考えにはあまり感心を持たないことが多い例をこれまでにもいくつか見てき…
  8. 飲むで検索する
    6月下旬篇つぶやきない。6月19日▼父の日や普通に1杯酒を飲む▼父の日や部屋で形見の絵を睨む▼父の日に鬼の顔して我を見る父の日に、三句いじって、黙り込む…
  9. 父の日記
    (10月15日)という日記のなかで「父の日記を読ませてもらった。父が日記をつけていたとは知らなかった。」と書き出している。親と子どもというのはギャップを…
  10. 父の日や貴方はあの日の朝のまま ─ 6月台風4号接近中
    ですな。台風がくるそうです、もうすぐ。▼父の日や貴方はあの日の朝のまま▼ねえ線路の向こうに繋がった町にいる貴方便りをおくれよただいま6月18日(月) こんな…
  11. 好きだよとイチゴを噛んでキスをする ─ 5月下旬篇
    かで、後悔をしている自分がいるのだ。▼ 父の日や逝って孔子の如くなり5月24日(木)▼摘み食い人差し指だからなお美味いそうだ。この日は、から揚げを食べたのだ…
  12. ヒソヒソとあなたの好きなウイスキー 6月下旬篇つぶやき
    まり好まないのかも知れない。6月19日▼父の日や普通に1杯酒を飲む▼父の日や部屋で形見の絵を睨む▼父の日に鬼の顔して我を見る父の日に、三句いじって、黙り込む…
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捨てられない一つの記事

男のひといきから

男のひといきから
新聞を切り抜いて
読み終わったから
捨ててしまおうと
そんな風には
できずにあるひとつの記事がある

宮下奈都(その6) 神さまたちの遊ぶ庭

宮下奈都 神さまたちの遊ぶ庭
宮下奈都 神さまたちの遊ぶ庭
平成28年(2016年)5月11日(水)
基本が大事だという。スポーツをするときの指導者の言葉だ。当たり前のことが当たり前にできること。ファインプレーにしてはいけないとも言い換えることができる。

宮下一家は最寄りのコンビニまで37キロもあるという僻地へ山村留学に行く決意をし実際にやり遂げてしまう。遂げるということはファインプレーではなく普通に誰でもができるようにプレーしたのだ。

野球でもテニスでもラグビーでもサッカーでも、普通の処理を失敗なく必ず成功してさり気なくしていること、これはファインプレーより難しいだろう。

この作品を読んで詰まらないとか味気が薄いという人は、これからの人生でも努めて生き方を見なおしたほうがいいかもしれない。

少なくともこの物語は筋書きはなく、そこがオモシロイ。でも、正義の味方は悪役には絶対負けない約束に似たようなものがあるように、留学する主人公たちには突き抜ける勢いがあって、それ加えて、惹きつけていくモノがあるのです。

読書をしておそらく大勢の人が感じ取ったものは共通していながらも、言葉にまとめるにはなかなか手ごわかったりする。

あることを決めるときに1つの物差しあるいは多数決で決めた尺度で測っていこうとする社会、何かルールを作って見つめ合うようにしておく社会から、勇気を持って飛び出そうというのだし、心の何処かで一度は考えた夢の様な社会に、ワープするみたいに行く。飛び出した先は無法でもなければ、規範がないところでもない。人の理想とする夢の様なところ。なのにあらゆることを考えたり悩んだりしながら、留学することに成功した人はおよそ帰還するときも成功を喜んで帰るから、不思議なコミュニティーです。

しかも子どもたちと大人までもが浸っている日常を、どっぷりと感情移入して読ませてくれたのだから、言葉になってすぐには出なくても仕方がない。

宮下さんのペンはじっくりと観察しているはずで、間違いなくその節々で判断をしているのだけど、例えば子どもたちの心の揺れ動きを丁寧には綴っていない。育児日記ではないのだし報告書でもないのだからそれで良いのだが、いわゆるサバサバしている。それが余計に読者とこの村で起こっている現実との間の壁を半透明化しているのかもしれない。

チャンスの神さまの前髪の話、コンタクトレンズが凍りつく話、村の人は純朴と言われて憤りを感じ37キロのコンビニと30分の通勤時間のことを考察して一石を投じるところなどを読んでいると、決して脳天気ではない哲学者だ。(おっと哲学専攻だってね、なるほど)

時にはひょうきんを装い、天然であり、楽天的である。そんな人なわけ絶対にないことくらいわかってますけど、なかなかの役者だ。

そう考えると、このリズムとステップでこれからも宮下風のほんわかコミカルポエムのようなタッチで、リリカルな色合いでやさしい視線を絶やすこと無くドラマは続いてほしい。

多くの読者がトムラウシに出かけてみたくなるでしょうし、こんな理想のような暮らしに自分も飛び込んで行きたいと夢みるだろうな。

家族が仲良しでなくてはと最後のほうでポロリと書いています。毎日そのことに感謝して、うまく言葉にできずその言葉の本意をも間違って伝わらないように考えてみたりするようなことも(私のまったくの想像ですが)多かったに違いないが、さり気なくひとことで多くの読者に一番大事な自分たちのファインプレーをファインプレーに見せないように伝えているのではないか。

作品は1だけ書いて9は読者が考えてみようみたいな哲学書のようなものだったと思えるのだが、これもやはり先入観でしょうか、宮下さん。

今日の一冊

今日の一冊

というブログを見つけた

この人はどんなかたなのか全くわからない
けど知りたくなってくる ほどに

なかなか
こじんまりとしていながらも
そこそこどっしりと重みのある
とても魅力的なブログだ

読むことを楽しめるものが減っているだけに
得した気分だ

けど正体不明なのが残念
(想うほどに知りたくなる)

311 もうひとつの日記

311 もうひとつの日記(mixi から)

5年前の3月10日にわたしは次のような巻頭言の書き出しでメールマガジンを考えていた。


サクラサク。春の空をこんな電文が飛び交ったのは昔のことです。
そんな時代があったことを知る人も今は少なくなりました。

しかし、情報通信技術が夜明けを迎えるのは、1830年代にイギリス人のミシェル・ファラデーが電磁誘導理論を考え出したころのことで、それ以前の通信はとても原始的でした。
飛脚が街道を駆けたり、さらには狼煙をあげて情報を伝達したりしていました。

サクラサク、という言葉と、世間を騒がせたひとつのできごとの記事を見て、科学技術の賜物である携帯電話がもしもこの世になかったならば、不正を働いた子はサクラを咲かせようと頑張れたのかもしれません。


不正というのは携帯電話で入学試験中に不正を働こうとした受験生のニュースが話題になっていたからだ。

東日本を大地震が襲い、原発が惨事を起こすのはあくる日のことである。

科学技術の賜物という表現をしている。これは、原発事故の後であったならば、原子力エネルギーを指すように置き換えられるのだろう。

人類は一度手中に収めた快楽や利便を、欲望という善にでも悪にでも力を働かせることができるもののせいで、簡単には捨てたり諦めたりできない。

既得権という都合のいい宝物にしても、便利さ、豊かさ、満足度、更には長い歴史で積み上げてきたご褒美のような今日の暮らしスタイルにしても、一 度どこかに置いて大局的に見なおさねばならないのではないか。そうここで何度も書いてきたが、社会の大勢がそう思っていても政治はいっこうに方向を大きく 変える気配はない。

5年という昔を振り返りながら5年先10年先の構想を考えるとき、わたしたちは、経済社会のことだけではなく、もっと大局を見つめねばならないのは言うまでもない。

不安と期待が交錯する311である。

一瞬をみつめる

私の書いたコメントをメモしておく

このごろ 私も母(85歳)を訪ねて家に帰ることが少し増えたかな

意識して会っておこうと思うのかもしれません

母はむかしの話をしてくれます

私の上に姉があって死なかしてますが、その後に男の子があったけど流産したこと、さらに私の5つ下の弟との間に二人の男の子を8ヶ月と7ヶ月で流産していることなど、を話してくれます

残酷な命の絶える様子などもしますが 私は母が生きていることを染み染みと噛み締めながら同じ話であっても むかしの話を新鮮に聞いて帰ってきます。

新しい世界で行きてゆく練習か準備か まあそんなようにも思えます

話を聞いて帰っては日記に書き留めています

生まれてから一度もしなかった話も多く 脈々と記憶がどこかで生きていたのを感じます

一瞬
例えそうでもあっても とても掛け替えのない時間ですね


コメント元

傾聴ボランティア

先日、ホームの母の部屋に、傾聴ボランティアの実習生(講師は久田恵さん)の方が見えた。母の趣味の墨絵について、いろいろ聞いてもらえることになっていた。母が墨絵を始めたのは40代からで、今から半世紀近く前からのことである。このホームに入る1年ほど前まで、静物や風景などをずっと描いていた。絵の話なら喜んでするのではないかと、周囲の人は予想していた。

ところが、である。母が熱心に話すのは、戦前の女学生時代のことばかり。臨海学校のこと、伊勢神宮参拝のこと、戦争が始まったこと、勤労奉仕のこと・・・話は戦後にさえならない。夫や子供のことも話そうとしない。中年から始め、あんなに夢中だった墨絵も、「もうやってない」と言うだけ。母の戦後は何だったのだろう、結婚して家庭を持ったことも、忘れてしまったのかしら?

昨日の句会で、こんな句を出した。舌足らずで、子としての無念の思いが出ていないけれど。

鳥雲に母の戦後はただ一瞬〉  こはる

大きくて揺るぎない

大きくて揺るぎない
という日記を書き残している。
ブログだからいつの日にか消滅してしまうこともあるかもしれない。
それはわからない。

昔ならば必死で残そうと思案したものだ。今は消えてしまってもそれはそれと思えるようになってきた。

2500篇書いてきた過去が自分の死とともに消えていいのか。
わたしはそう考えた。

大学時代の友人に残したい(伝えたい)気持ちをメールしたら返事が来て

来年で還暦の○○○です。自費出版は数十万円かかりますが、結局、親戚や友人に配っておしまいの自己満足でしょうが、自分の死後も形に残ります。他人に読んで欲しければ、「小説家になろう」に投稿すれば、エッセイなどのジャンルもあるので、読んでもらえるようです。僕は、子孫がいない事が確定しているので、何かを遺す作業(写真の整理とか)は、止めました。同好の士がいれば、遺せるのでしょうが。

と書いている。

初行に書いた揺るぎないものについて纏め直して書き留めておく。

ヒトは
どかんと動かないもんにあこがれる
また 不変な姿にも思いを馳せる

自分も大きくなりたいと思うし
揺るぎない人生を送りたいという意志を持って進もうとする

自然てのは
数々の苦難を経て
それらを犠牲にして(あらゆるものを)捨ててきたからこそ
あれほどまでに大きくなれたのだ
と思う

ヒトは
所詮 自然に
包まれているだけなんだ

ジリジリと伝わってくるものは
およそ 誰もが同じように感じているのだろうけど
取り込まれたあとは
みんなそれぞれに化学反応のように変化してゆくのだろう

揺るぎないものを核にして
感情の増殖は続くのだ

死んだら終わり
苦し見ながら死にたくない

多くの人がそのように考えるのだろう

あるとき母が面白いことを言っていてポンと膝を打って頷いた。

死ぬときに痛いとか苦しいとかも嫌やけど
バタッと死んでしまうのも嫌や

(遺言を遺す時間が欲しいということなのだろう)
(多少の痛みや苦しみは我慢するので)

床に伏して
誰や彼やと来てもらって
ひとことずつでいいので話をし
別れを惜しみ
自分を懐かしみかつ惜しまれながら
死んでいきたい

およそ
話の内容はそんなことだった

叶えてやることができるかどうかは
神様仏様のワザの話だ

わたしはこの話を聞いて
気持ちがわかるような年齢に達してきた
ということを知る

余韻だけ遺せればいいのだろうか。