✤ 鰻を食べたけど食事制限を・・ 立冬篇

立冬を迎えている

これまでに生まれてから歳の数だけ冬を迎えてきたことを思うと それが六十数回ということに驚く一方でたった六十六回なのかと冷静に見つめる時間もある

冷静に見つめるということが大事であり 意味の深いことなのだと思う

前にも触れたが 一年を50週間と切り捨てて考えると 10年は500週間だ。たった500回なのか とんでもない500回なのかは それぞれの対象に依る。あと10年生きるとして 目標に決めたことに500回チャレンジするような 活動的な暮らしを取り戻すべきだと常々思うのだが

様々なことに直面している

心房中隔欠損』に加えて『心不全』の症状がある。節制して暮らしていれば長生きできるさ と明るく話してくれる人の言葉は貴重だ。別に何も悲観的には考えていないから大丈夫

生命科学分野を卒論に選んだこともあって一生 このことに関心を持ち続ける人生を送ってきたわけだが 今ここにきて人が生き続けることへの使命や節理のようなことを考えることが増えている

紛れもなく 痴呆脳との出会いが大きい。自らの生命もその終端を如何にあるべきなのか、考えることが増えている

面倒な話はやめよう

✣ ✣

京都に来て 介護面会をする生活を 送っている。その間の食事を簡易的な台所ですることもあって 「ままごと」のようなおかずをツマが作ってくれる。これがまた今までになく新鮮で美味しく食べられる。今までテレビの料理番組やグルメ料理店のCMのような華やかな料理を作って愉しんでいた毎日から 急旋回となった

先日の循環器科の平岡先生の話を受けて 食事メニューを見直している結果 『ままごと』のような料理を毎日食べるわけだが 美味い食材で作る料理よりも 頭の片隅にある「十年後の健康」を思うと これまでの食事が「裸の王様」に見えてくる

明日に続きを書くことにする


✤ 鰻を食べに出かける – 十一月初旬号

冬が来て愈々なるものあれこれと ー 立冬そして皆既月食 立冬篇 (裏窓から)

立冬(七日)を迎えた
寒さが愈々だと肝にも銘じる
だが 実は
毎朝 ゆっくり日が昇るまで寝ているのです日々なので 朝の寒さは一向に感じない

気温を確認すると8℃ほどまで冷えんでいるようから
駅までの道を歩いていたころならば 吐息の白さに冬を感じっっていたに違いない
穭田が朝露に光っているのを見ながら駅へと向かった日々があった

書きかけで・・つづく

🍲 🍲 🍲

🌕 🌕 🌕

  • あっという間の冬到来である
  • 月影がざわめいている静けさ
  • 月見上げ思いさまざま胸に抱く
  • ほんとうはひとりじめしたかった冬の満月
  • 聞かせたい月の兎のものがたり
  • 散歩道 ひっつき虫を避けて跳ぶ
  • たくさんの月の写真おおきに
  • 嬉しいのは揺らめく焚き火の煙かな

🌕 🌕 🌕

満月であり皆既月食であった(八日)

日が暮れて月が登り始めて暫くすると 白く丸い月が次第に欠け始める
7時過ぎから始まり二時間余り
すっぽりと地球の影に隠れてまた元通りに現れるショーが展開された

🌕 🌕 🌕

🐠🐠 サンマ13号(九日)

やはり
GFR40に大接近』
していることが気にかかる日々です

打つ手がない、、
と言いながらきちんと医者にかかればいいのですが
そこまではまだええんとちゃうか

そんな気持ち・・・

(書き足すかも・・)

冬を迎えるときに考える - 立冬篇 裏窓から

・・・

* 書きかけ の続き

僕は幼稚園に行ってないので思い出はない
そんなにそのことの後悔はない
家でお祖父さんと楽しく暮らしていたそうだ

子どものころにひと通り読んでもらうお伽噺(むかし話)を読んでもらうわけでもなく
お茶の間にようやく届いたテレビというものを見て社会や世界を走り回ったのだろう

お祖父さんは 村会議員で曾お祖父さんは村長だったという
世間の動きが気になる人で何でもよく知っている博学な人であったという

孫の私が小学校に上がる数ヶ月前に亡くなっている
糖尿病の症状が相当に酷かったと花が話してくれたことがあった

僕の孫は 写真のように二人で現在年少と年長で 来年からお兄ちゃんは小学校に入る

新しいステージ - 立冬篇 その二、 裏窓から

👻 イチョウ並木 昔の日記は仕舞い込む
👻 日めくりは寒い季節への招待状
👻 窓越しは木枯らし劇場特等席


10日は健ちゃんの誕生日でした
三歳になりましたと上手に指三本立てている

🍀

立冬が過ぎても当然ながら何も目新しいこともなかった
そんな日々が過ぎた

健ちゃんの誕生日が10日だ
ムスメさんもこの日から職場復帰
わたしは新しい仕事を探して面接に出かけたが❌

新しいステージの幕が開いた
鳴り物入りで開いたわけではないけれども
今年度はプー太郎

🍊

わたしの辞書からはすっかり『朝寝坊』という言葉は消えた
早く起きる必要性がなくなったのだから 「朝寝坊」はありえない[

むかし 「スズメはなぜ電線から落ちないか」という問答をした事がある

「落ちそうになったら飛べばいいから」と結論づけたのだが
その後も自問自答は続いていた

飛び続けるためには 体力が必要だ
いつかは着地点を見つけて身体を休めるために降りなくてはなるまい
着地点は安全なのか、襲撃を受けないか

🍊

では

飛ぶ鳥は大空を自由に飛び回れて幸せか
地上から見上げる小さな生き物は不幸せか

人生問答は たぶん しばらくつづく


深まる秋に思うこと - 立冬篇 裏窓から


さて、十一月七日 立冬である

いよいよ冬を迎えるにあたり何を考えていたのか
先日「漸く」という漢字を覚えた(笑)

学は漸(ぜん)を以て日に進むを貴ぶ。 天下の極遠なる、固より人跡の及ばざる所のもの有り。 然れども日日に力(つと)め行きて息(や)まざれば、則ち至らざる所無きなり。 学の源流は遠し。 苟くも下学(かがく)の功、日に進みて已まざること久しければ、則ち以て上達すべきなり。 (貝原益軒 慎思録)

  • 木枯らしや待ち遠しいのはただ一つ
  • 朝ぼらけきのうの焚き火の痕を見る
  • 一通の手紙届いて秋の暮れ
  • 呼び止めて振り向かないで夢の人
  • 北風やコートの裾のその奥へ
  • ふける夜魔法のように寝落ちして
  • 人生を語らずは本当に美学なのか
  • 陽だまりで燃え尽きる人生の焚き火する

🍀

文化の日も過ぎてまた普通の日々が戻って来た
寒波が来ているので覚悟をして朝を迎える
仕事を退いてからは朝寝坊をしているので朝の寒さはそれほど感じない

仕事に出掛けていれば
日に日にイチョウが色づくのやら職場に向かう人の上着が厚くなるのをみながら
冬の到来を肌に感じていたのだろう

十二月から三月まで少し仕事をしたいと思い募集に応募中であるが
願いが叶う可能性は低かろう、こんな爺さんに席を明け渡してはくれまい

僅かでありながらももしも職場に戻るならと想像をしてみながら
一年以上ご無沙汰をしている昔の部署を懐かしんでみている

🍀

サンマ7号を美味しく食べた
家でもらって来た生姜も漬けてみた

甘くて酸っぱい
子供のころにはこんなものは美味しいなどと思わなかったのに
我が家の畑からの里芋も茹でた

🍀

その二へつづく

文化の日 〜 立冬篇

立冬(八日)

冬が来る
歴史を辿るとそれは辛い季節の到来であった
同時に農家にとっては勢いを緩めて繁忙期に備える引きの季節でもあった

コタツを出したいと思うが 片付けのことや掃除のことを考えるとなるべく使いたくないらしく
我が家では こたつの代わりに電気座布団を敷いてコタツ布団をかぶって今で夜を過ごす

食事が終わってバラエティのテレビ番組をみたりしているが 面白くないので眠ってしまう
これがどうやら身体の部分の贅肉を増やしているらしい

じりじりと2キロほど体重増加をしたようだ
食べる量は変わらないように心得ているし
ウォーキングは数字で管理をしているので揺るぐことはない

人体というのは面白い反応を示してくれるようで
うたた寝とほろ酔いというのは 確実に効果があると確信してよかろう

さて
どうしたものでしょうか

つづきは後ほど


最近の朝夕手帖から

1 人生の筋書き

「人生に筋書きはない」というところにドラマとしての素晴らしさがあるというが、しかしながら、筋書きはあるのではないか、 むしろ筋書きがあった方が面白いわけで、筋書きを一時的に空白とし、カデンツァのようなものを演じてゆくのが面白い

2 身の丈

「身の丈に」という言葉でニュースが騒々しい
いかにも今の世の中の軽はずみな連中が足場の弱いところを狙って屋台骨を揺らそうとしている指摘だ
滑稽な風景であり茶番劇である

「身の丈」という言葉は本来はとてもうち気品があり控えめを表現するのに適していて
美しい言葉だと思うのだが、すっかり悪い印象で利用された

狙われた人は迂闊だったのだと認めざるを得ない点ががあるものの
攻めた方は、気品のある言葉表現を下品に使ってしまい
味を台無しにしてしまっただけではなく
放言してその後には何の成長も進化も残渣さず、改革も提案せず終いだ
自己満足の淵にいるだけで、また一つ化けの皮を剥がしてしまった感がある

誰もが自由に罵詈雑言、悪言正論を投げ出せる時代だ
それだけに、「自由に」という意味を間違って解釈したままで好き放題を発言するのでは、無力・無知をさらけ出すだけだ

身の丈を知った上でオピニオン・論理を投げてほしい

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