九州 おでかけ ✤ ギャラリー(風景)・ コンデジ版

コンデジ写真

説明
書き足しますから・・


➤ 九州 おでかけ ✤ ギャラリー(食)
➤ 鹿児島 ─ 熊本 ─ 大分 GW明けの旅 

九州 おでかけ ✤ ギャラリー(食)

携帯端末撮影
説明は ぼちぼち書いていきます

ケータイで 食事記録です
思いついた時に撮りますので 歯抜けになっています
後半がウチの人が撮ったものです

1。ホテル吟松の食事のすべて
2。鹿児島市内「ざぼん鹿児島ラーメン
3。天文館の「むじゃき白熊(かき氷)
4。「末よし」で鰻重・鰻丼
5。熊本市内通町の「紅蘭亭太平燕
6。別府駅前「まやかしやりゅうきゅう定食(ぶりの漬丼)
7。ドーミーイン熊本の朝食「いきなり団子」も美味


➤ 九州 おでかけ ✤ ギャラリー(風景)・ コンデジ版
➤ 鹿児島 ─ 熊本 ─ 大分 GW明けの旅 

「諦める」のは残念なことなのか ✶ 四月尽に考える

➤老いる

ふと「老いる」を深く考えようする時間がある

そのとき 過去を振り返る心は あらゆる方向からのあらゆる視点が幾通りもの答えを導くだろう

何が正しいというものでもない中からどれかを選んで それを信じて 突き進もうと 若いころならば考えたに違いない

しかし そのように必死で抜かりなく突き進もうという気は もう今はさらさらなくなってしまっているのではないかと 自分を見つめて思う

やりたいことはおおよそ済ませたし 出来ないことにチェレンジして 一通りの失敗も経験したから 粉骨砕身の気合いで挑むことなど ひとつもない

だからと言って 達成感に満たされながら身も心も絶えてしまってもよかろうというつもりもない

自分の器に自在の姿で収まって 昔の荒波を思い出すのもよろしい、もう一度 荒波に挑んでみるのもよろしい

大空を飛んでいるような無重力感のようなモノではない、しかしながら、無気力で無欲なモノでもない

もっと冷静にありのままを見つめて 今の自分の在り方を如何にするかという損得も見栄もない落ち着いた自分の姿だと思う

『有事斬然』『無事澄然』 座右に置いた『六然』の言葉を手元によせる

➤諦める

諦めるという言葉を無意識で使っているかもしれないことで 生きる道に尻込みしているのではないかと自分を少しばかり責めてみたときがある

しかし 諦めるという言葉は もっと大きく自分を包み込んで受け止めたゆえに生まれてくる言葉かもしれないと思うことも増えた

諦めれば前に進めないという印象があるが、しかし、立ち止まって自分を見つめている姿には美しさもある

冷静さが感じられ 「考える人」の頷きに似たものが漂うような気がするのだ

素直に自分を見つめて 周囲を見回して 何がどのように変化しているのかと まず考えてゆく

諦めるということは自分の本質と真正面から向かい合うことではないか

➤見つめる

「諦めることは見つめることなのではないか」というような答えともヒントにもならないようなことを考えながら

結局のところは 終着駅に辿り着くまでに自分の着地点をしっかり見定めておくことが大事なんだ

ゴール直前のストレートを駆けるときに明るい顔でみんなに手を振りたいという夢のようなシーンや、ゴールに着いて一息ついて 祝勝会をするときの ヒーローインタビューのようなものでカッコよく人生を振り返りたいとか

そんな夢のようなことばかりを考えている

もうこれ以上 苦しんだり悩んだりしたくないから まず『自分とは一体 何なのだ』という素朴な疑問に向き合うのだろう

諦めることは イケナイことではなくて 自然に還るってことなのかもしれない

➤言い訳

だから「老いることは悪くて残念なことか」という問いに答えを求めようなんてナンセンスなのだ、老いていくことは 悔しくもないし 残念でもないし 後悔もそこにはない

というような・・言い訳のようなことを積み上げてみた

世に出回っているハウツー本や軽々しく一丁前を書く人生論もどきが流行したりベストセラーになったりする時代だ

「何も分かってはいない」と言って世代ギャップを嘆いてはいけない

老人はひっそりと奥に鎮まって居るのがよろしい


✶ 諦める:諦めるを辞書で引いてみる、諦らか:明らかに観る事、現実をありのまま観察する事

大型連休(GW) あれこれ ✡︎ 昭和の日

連休前に ウド が手に入って 今年の初ものを食べました
風神雷神は ぼちぼちスローペースで読んでます
京都は ガストのランチで始まって
孫ちゃんたちは楽しいキャンプ便りが届きました


四月中旬 花は散って 温たい日がつづく

梨の花が 咲いている
農業研究所で摘蕾をした短い日々を思い出す
人生には 予想しないことがいっぱい散らかっている
生きていればまだまだ続くだろう
毎日を生きる姿勢でいくらでも面白くできるはずだと念じて頑張ろう

✴︎✴︎

初夏はのんびり

少し通院にゆとりが出ているので
五月あたりに少し旅でもしたいな
とか思ったりしている

六月になったら大学病院にお世話になる
今のうちにのんびりしておく

減塩な日々

レトルトカレーやインスタントラーメン・焼きそばがたくさん買いだめてある
しかしみんな減塩のために賞味期限切れになっていく
半分だけ食べて 残りはツマに食べてもらって消費を試みている


穀雨篇 ✢ 京都日記・余韻 二、長生きは 理想か (秘伝)
ハナミズキが咲きました ⭐︎ 四月中旬 (外伝)

春の味を愉しむ 減塩は難しいです ⚙︎ 減塩な日々 (点描)

筍の季節ですね
父が生きていたころや母が元気に歩き回ったころは
春の山菜や秋の味覚は 豊富に手元に届いたものです
今は従姉妹が届けてくれる春の筍がとても楽しみです
今年もいただきました

写真だけの日記

減塩の日々は
厳しいものがありますが
まあまあ楽しく減塩してます


旬の味で春を愉しむ ✶ 筍が届きました

四月のはじめに ✿ 朔日餅も呼ばれて花見もした月のはじめの一日

ぼちぼち
孫ちゃんたちに会いに行き
桜見物に出かけて
朔日餅も呼ばれて
月のはじめの一日を過ごした

穏やかに
減塩の日々が続き
春夏の手術の不安も気になりながら
三日に循環器内科の診察の日を待っている


四月はじまり ❀ 朔日餅呼ばれて ちらほらの桜見物 点描

如月中旬・京都日記

初恋の傘懐かしく春の雨
#春の雨

春よ来い 春は恋や と誰ぞゆう

春の雨 雪にはならへん優しさ

書くことをはじめたのは
大学ノートの
片隅に
余白があったからだ
#余白 #はじまり

三月中旬 東京では春一番が吹いたとニュースが流れていた
京都に上がってくるときに木津川沿いの山間の道で時雨に遭う


三泊四日で 京都・嵯峨別邸に来ている
厳しい寒さの季節は終わったのだと 納得してもいいものかどうか
再び小雪が舞う日が戻ってきても じっと時を待てば 暖かくなる


サ高住

とーさんはいつも 何も変わらず 季節の感覚も持てず 部屋の温度設定が暑すぎるとも寒すぎるとも感じることもなく 暇になったおやつを食べ 時刻が来たら食事に行くというリズムを送っている

一月にコロナに罹って治った直後に来てくれた孫が 二月にもまた来てくれたという
十六日に部屋に顔を出したら すぐにその話が出たという
前回は記憶から消えていたのに今度は覚えていたので ウチの人も少し驚いたらしい

他に何も進展はないようだ
今は大リーグの大谷選手の話題もそれほど華やかではないし 相撲もない

私のことを気にかけてくれていて「手術したんやろ、よーなったか」と同じことばかりをツマに尋ねるようだ



河原町・新京極

キリンシティに行ってきた
ビールとソーセージを食べたかったからだ
銀座ライオンに行ってもう一度別の店で愉しもうと考えたわけだ

ラム肉とソーセージとコブサラダとビール
静かで雰囲気のいい店だった
ビールを静かに愉しんで 軽くソーセージを摘んで喋っていると
心が解放されていくのがよくわかる

カウンターがメインで
一人で静かに味わっている人の方が多い


如月中旬号 ✦ 京都日記 河原町新京極篇

喪中葉書と年賀状とのせめぎ合い ✴︎ 小正月篇

旧友宛の手紙に

五十歳を超えて六十歳を通過していく間に
昔の友達が だんだんとそっけなくなってくるのを感じて
そのことを残念がって書いても
誰も関心を示さず 相槌も打たなくなりつつあります
そんな愚痴めいたことを本音で書ける人かな
と(貴君を)感じているからか また書いています
みんな 家族の方を向いているのか
昔のことには関わりたくないのか
よーわからん

と書いて新年の挨拶としたのだが 返信が来ない
理由は 不明で 推測は果てしなく次々と浮かび… ある一点に収束してくる

友達なんてのは もはや 丁寧に対応したり 深い感慨や思い出を大切に共有する年齢ではない・・のか

🔥自分がこれから行く果てはどうなるか
🔥この先をどれだけ幸福に満たされて生き抜くか
🔥襲いかかる不運や災難からどうやって上手に逃げ切るか
🔥そんなことを考えている毎日
🔥そんな📨手紙にいちいち反応しているゆとりはないのだ

そんなところがほんとうの気持ちなのだろう

小正月

寒中見舞いが一枚届いて お母様(91)が亡くなられたという知らせだった
二、三年前あたりから 喪中ハガキの方が 年賀を追い越す勢いだ

下旬(21日)には うちの母も九十三歳を迎える
年末に九十八歳の姉を送ったところだ

今年が最期の正月かもしれないと覚悟をする
一方で 素直に構えれば長生きしてくれそうな気もする
あまりそのようなことを口にすれば 縁起でもないことを呼ぶような気もする

心房細動

月末にアブレーションの手術を受ける
その心構えのことで頭がいっぱいの毎日
高血圧

ダイジェスト


㊙️伝
成人の日 から 小正月まで 1月15日
寒さのせいで 血圧が微妙に上昇中 ⚙︎ 寒中 ぼちぼち 1月11日

号外 ✤ ギャラリー 十七日〜冬至まで

十七日から二十二日(冬至まで)
減塩日記 ギャラリーです

お鍋、豚バラ大根、雑炊、タニタの減塩味噌、すごい納豆、日野菜、鯛、鰻、唐揚げ

鰻は 大きな病院での診察の帰りに うなぎを計画したのですが、水曜日で狙っていた店がお休みでした

そこで 別の店に行ったけど それが残念な味でしたので、悔しくて・・

次の日に孫ちん連れて 『はし家』さんへ行って食べ直し。満足です

冬至を迎えました

「裏窓から」をしっかり考えて書きたいと思っています

時を失う ✣ 車谷長吉 赤目四十八瀧心中未遂

赤目四十八瀧心中未遂を読み返している

車谷長吉の小説で「時を失う」という表現が出てくる

赤目四十八瀧を彷徨い 物語の結末は心中未遂なのである
二人は 生きてゆくことの儚さと まさに「時を失う」衝撃を 感じながら 自分の生きる道の運命と闘う

「時を失う」
ものがたりの中で言葉にしてちらりと見せて しかし それが一体どういうことなのかには触れていない

この世で生きていく限りは 夢がありその夢に敗れることがある

明るい未来を諦め 現実に向き合い その泥のような沼で踠きながら さり気ない顔をしながら生きている

泥に塗れて生きていかざるを得なかった人生を 何も恨むことなく 受け止めて この道の先へと二人の行先が展開される

「生島さん。うちを連れて逃げて。」
「えッ。」
アヤちゃんは下唇を噛んで、私を見ていた。
「どこへ。」
「この世の外へ。」
私は息を呑んだ。私は「触れた。」のだ。 アヤちゃんは、私から目を離さなかった。 私の風呂敷荷物を見て、ほぼ事情を察していたのだ。私は口を開けた。言葉が出なかった。
アヤちゃんは背を向けて、歩き出した。その背が、恐ろしい拒絶を表しているようだった。私は足が動かなかった。アヤちゃんは遠ざかって行く。私は私の中から私が流失していくような気がした。小走りに追いすがった。(208P)

「おばちゃん、いまごろがっかりしてるわよ。」
「はあ、よう分かってます。私はいっつもこないして、時を失うて生きてきたんです。」
「生島さんは、やっぱりむつかしいことを言やはるわね、 好きなんやね。 時を失うやなんて、私らよう分からへん。」
「 は、 すんません。」(213P)

赤目四十八瀧心中未遂

なんべん読んでも後半部分はどこを読んでも泣けてきて仕方がない

悲しいからではない説明ができない

説明をされたとしても聴いている方もわからないだろう

迦陵頻伽(かりょうびんが)
なんて美しい悲しみだろう
涙も出ない
泣けてくる

全篇を何度も読み直す
何度読んでも

頭の中に突っ張っている人生というものの 自分なりの理解を 鋭い刃で刺し込まれるような衝撃が伝わり 何が悲しいわけでもないのに 感情が揺さぶられる

どういう理由があって この作品に引き込まれていくのかは 自分でも本当のところがわからない

目の前の現実から 逃げ出したいというわけでもなさそうだ新しいドラマを手にしたいという願いがあるわけでもない

自分とは全く違った世界での 大人の童話のようなものなのかもしれない
車谷長吉という人のナマ人物と会ったわけではないが 小説が生み出す世界とのかけ離れていながらも すぐ隣にあるような決して夢物語でもない小説のどこかに惹かれてしまったのだ

作風が私の中に自然に溶け込んできているのだろうか初めて読んだ時は数行で放り出してしまったような記憶もあるものの 何を切っ掛けにしてかすっかり引き摺り込まれてしまったのだ


時を失う

何気なしに読み流してしまい
消えてしまいそうな言葉に
見事に引き留められてしまった


さて
この師走のテーマにしている考察に入ろう

と思ったが
別日記にしようかな 長くなるし

日記が『減塩』の文字ばかりになっていく ❋ 十一月尽

連休とその後の減塩

勤労感謝の日(飛び石)が過ぎて減塩な日々へ ➤ (外伝)

十一月初めに循環器に通いはじめて あっという間に十一月下旬を迎える

塩分を控えた食事にチャレンジ中だ
血圧の値は 130mmHg(120mmHg) - 90mmHg(80mmHg)付近で 落ち着いているようすだ
140mmHgという大きめの値が出ることがなくなったので 減塩の効果が出ているのかもしれない

体重は 四キロ減って 朝目覚めて体重計に乗ると 73kg よりも軽いことがある
これは ここ一年間ほどの間で 80kg に達することもあっただけに 大きな変化だ
きっと 小麦を一切やめてたことによるのだろう
うどん・ラーメン・パン・マクド・ウインナーなどを食べなくなったし 総菜弁当やおかずも パクパクとは食べない。卵も食べたとしても一個丸々は避けている
ステーキなどの肉は 六切れから三切れにまで減らした

みなさんが「素材の味が楽しめるようになりますよ」と仰る
つまり それだけ 味付けが薄くなって キツイ調味料の味が消えていくというのだ

アルコールよりも怖い塩分

僕はそう気づいたわけで 環境破壊の警告を仕事で発信(引退済み)してきたのと同じように 塩分による健康破壊を 叫びたいくらいだ

美味しいものに知らぬ間に味覚が犯されていって 塩分とコレステロールが健康な身体を蝕んでいるのだ。でも 叫んでも 幸せに食べ続けている人の心にはなかなか響かないだろう

書きかけ

サ高住のロビーで考える - 十月はじめに

京都のSOMPOの玄関ロビーのソファにかけて 介護面会にきたツマが用件を済ませて帰るまでの1時間ほど 待つ時間がある。その間に ここに出入るする人を眺めていると 職員と家族の面会者のほかに ヘルパー業務の人が何分かおきに出入りをする。人は受付に声をかけ 静かに決められたルートで歩いていく。荷物を運び込む人や 掃除をする人もいるし 自分の部屋を出て散歩に行く人とか廊下を人の歩く姿も時々見かける

病院の入院病棟の廊下とは 雰囲気が少し違う。ここに住むのは 健康な人から痴呆の症状や老化で要介護の人までいる。定期的に通院をする人もいる。だが、大部分が事情があって自分の家に住めない人だろう。またはこのサ高住がいいと判断した人だ

病院の病棟との決定的な違いは 病気が治って退院をする人が混じっているかいないかだ。このまま一つの運命に向かって進んでいくの待つだけの人だけが 今は健康で、何の問題も支障もなく生きているという空気は どこにもないものだ

京都日記

八日(金)大津の王将でお昼、夜は簡素にイタリアン

﹅﹆

用事を済ませた日は帰り道で食事をして
家に帰って簡素な(手間のかからない)食事で済ませる

(号外)九月初旬 写真日記

九月初旬 号外

思いついたら
書き足してます

  • シャインマスカットを直売所に買いに出かけた
  • 丸亀製麺でうどんを食べた(ちょっと贅沢なうどん、鬼おろし)
  • ステーキ皿を買った
  • かき氷を食べにコメダに
  • 鰻を食べに大口屋へ
  • サンマ1号
  • いとう料理店
  • ラーメンあれこれ

夏バテ知らずに暮らしている - 八月下旬

八月中旬の最後の日に孫たちがキャンプに行った様子が届いた
今の子どもたちは 夏休みに山を駆けずり回ったり川で遊んだりしない
遊ばないから余計に危険が伴うようになり 事故が起これば目立つのだろうか

健康診断に行って 肺がん、肝炎、前立腺の検査も入れてもらった
今年は無料でやってもらえるというのでありがたくお願いをした

不整脈も見つかって 平岡先生宛の手紙も書いてもらった
九月になったら心臓の検査を受けに行こう

鰻を食べに回り道をした
「川新」は二度目で 初めての時はお持ち帰りにした
お店で食べるのが美味しい

(処暑)
そうこうしている間に処暑が過ぎた
北海道で買ったお土産が埋もれた荷物の中から出てきて 風を切って食べてみる

旅に出かけたのは六月の下旬だ
日が過ぎるのは早い


➡️ 不整脈があるのが気にかかる - 八月下旬号 外伝

京都日記ノート 

﹅ これが 台風7号8月14日9時 の様子です。残しておこう

お盆の真っ最中に台風7号が紀伊半島潮の岬から山陰地方へと抜けていった
当地は15日の午前中に風雨共に強くなってきた
県内各所で停電も起こり 台風数値的強さ以上に暴れている
我が家では幸運にも停電も風による被害もなかった

草稿として温めていても何か新しいことが閃くわけではない

夏はそのうち
気づかぬように終わるだろう
それでいいのだ
命も
気づかぬように・・なのか

先日も呟いてみたが

高齢者住宅の玄関ロビーで
人を一時間ほど待つ
読書をしながら待った

僕の前には
九十歳くらいの爺さんが
ポツンと一人ソファーに座って
前を見て じっとしている

一時間
そのまま

つぶやき

SOMPO住宅でツマがとうさんと話をしてから帰ってくるまでの間
玄関ロビーで待った時の感想です

時間は止まっているように見える
しかし
刻々と刻まれていて そこにいる人はその刻みの波に乗って呼吸をする

これまでに
生きるとはとういうことか
愉しいとは どんなことを言うのか

などを考えてきた

もしも命がここで止まったとしても
何も変化も起こらないし
激情の波が湧き立つものでもない

まだ梅雨は明けないみたい(十二日)ワインの封を切る- 七月中旬号

ワインのこと
少し書いておこうか

我が家にとって歴史的高価なワイン購入でしたが
やっと 今夜一つ目の封を切りました

『清見』の栓をあけてウチの人はハンバーグを作ってくれて
チーズも買ってワインをいただきました

私たちにはもったいない味です
とてもいい香りがする
甘すぎないし 酸っぱすぎるわけでもない
なるほど 美味しいワインというのは わざとらしくアピールして来ない味なのだ

﹆﹅

九日がむすめの誕生日
お祝いを何もしなかったので
このワインを贈ろう

でも ダンナさんは1%の酎ハイでも酔うてしまうから
ワインは嬉しくないだろうなあ
仲良く 乾杯をしてもらえるとええなあ

啓蟄篇 三、 裏窓から(余白)

✤✤

啓蟄 三

何も考えがまとまらないまま『啓蟄 三、』を迎える
平和なのだろう 何も心配事もなく日々が過ぎるのだ

言い残すことはないのか

そんなことを考える日々が過ぎゆく時間の中で
果たして何を残す必要があるのか
死んでしまえば消滅ではないのか

説教じみたことは 聞かされる側にはさほど役に立たない

確かに 父の言葉は人生を振り返るたびに自省を促すことはあった
だが それが重要な鍵となって父の人生も私の人生も転換したとは断定できない

もしも 大きな失敗や後悔を招いていたとしても たった今を生きる一人の人間にとって そんな未来映画の予言のようなことは不要なのかも知れない

そんな(言葉に動じているような)柔な生き方をしているようでは 厳しい人生を生き抜く資質を持っているとも言えない

つまりは その人が生きている間に残そうとすることなど 生きている人の人生の嗜みの一種類に過ぎないのかも知れない

真に望んで過去の助言や姿が欲しいなら生きている間に盗み学び勝ち取るべきであるし 亡くして(失くして)からそのような要望が出るなら 残された資料を学者のように堀探すのがよかろう

﹅﹆﹅

これでいいのだ

元来 その程度の人間だったといえよう

大きな野望を持ったところで資質も備えておらず 多分 IQ も高くなく 性格も甘っちょろくて いい加減であったのだから この程度で終了とする

そう思うと随分と楽になるし 死んだ後の始末は多少の苦労や手間があろうとも 世間のみなさん並みに対処すればなんとかなる

膨大な遺産や資産が金銀財宝が残っているなら 悔しいと思うのだろうが 一円の稼ぎにもならないものが残るだけだろう

﹅﹆﹅

夜さり

夜さり

つぶやきから 集めてみました


❀❀❀

書きかけ
気まぐれに書き足します
またお越しください

建国記念の日で連休でしたが土日です

『サ高住』日記

京都に滞在する期間の昼間、ツマはとーさんのところへと顔を見せに出かけてゆく
何を話すわけでもなく時間が過ぎていくようだ

ロッキングチェアの代わりにしているマッサージ機に腰掛けたままで うつらうつらとして ペラペラと話すこともなく一時間以上も過ごして 特に寝ると言うわけでもないらしい

認知の機能が働かないところと 正常な機能箇所とは 脳の中では明確に区域が分かれているようで 何から何までもが見境もなく痴呆になってゆくわけではない

同時に身体の動作機能が衰えてくると 下着の着替えや トイレに行く動作 エアコンの操作なども 確実にできなくなってきている

緑内障の治療が迂闊だったこともあって 片目がほとんど見えないし 残された方も 手のひらサイズのデジタル時計が見えているのかさえはっきりしない状態だ

思考をする一部分は正常者に劣らないところもあるので 気の毒でもあり不幸でもあろう。しかし 機能の衰えが目立つようになってくると 幸せとは何か 生きているとはどう言う意味を持つのかというような命題と向き合うことになってくる

そういう人と一日付き合う正常な人からすれば この人にいつまで生きていて欲しいかと言う安易には言葉にできない葛藤が襲ってくるのだ

﹅﹆﹅

麦畑を見に散歩に行ったのは 六日でした
久しぶりに外に出て歩きました

週末の十日から連休で、その明けまで京都です
お決まりのおでかけです

土日は比較的穏やかな日で
京都の別邸別室で ぐうたら過ごしました

ーー

* 日々 似たようなことを書いています

寒さじりじり 一月下旬へ ー 続『痴呆脳』から考えさせられること

京都からの帰りに悠ちゃん健ちゃんにみたらしを買って立ち寄った

❆ ❆

❆ ❆

痴呆脳の行き着くところ

『痴呆脳』を考えてはその不安を口にすると 周囲の人々がそれぞれに意見や考えを持っていることがわかってくる

今までに見えていなかっただけで 多くの人が『痴呆』『認知症』に直面していることを知る

考えてみれば30%以上の人が高齢者の現代から30年後には二人に一人が(50%)が高齢者の時代になる

その高齢者の20%が認知症またはその傾向を持つ人と予測をされている
道路を歩いて赤信号で停止をするよりも 認知症の人に会う確率の方が高いかもしれな

さて

自分を(あるいは身の回りの人を)認知できなくなること
即ち人間という知能を持つ動物が 記憶と感情を失うことだ

それは 人間らしさを失ってしまうに等しい
しかしながら それは生命を失うことではない

美しく咲き誇っていた花が 花を咲かせることを終了してしまう
花は枯れてはいないのだけど 花壇から摘み取って捨ててしまうか

人も 動物として生命を絶やさず 血が流れ続ければ「生きて」いる

思考や感動を失い記憶を蘇らせることが無かろうとも 血が流れていれば
その姿が 花は咲かなぬとも光合成を続ける花のようである限りは 「生きて」ゆかねばならぬ

人は「生きる」という「行動を」ではなく「状態を」維持する使命を生物の遺伝的な使命のように守ろうとする

「生きる使命」とは何かという原点回帰を『痴呆脳』は投げかけてくる

ーー

考察は続く

記憶を失う ー 続 京都師走日記 ・ 雷山無言

(師走日記続き)

夜も更けて参ります
更けゆく夜に日記を書き始めて二日目になります
(読み返しては書き直すので 刻々と変わってしまいます)

﹆﹆﹆

もうそろそろ今日のお勤めを終えてお休みしようという時刻ですが、とうさんは リモコンをなくしたと言うて大騒ぎをしておる

どうせ、狂気なって怒ってゴミ袋に投げつけたか、どこかに投げつけて壊したのでそれをゴミ箱に放り投げたんではなかろうかと僕は推測する

認知症に伴う「せん妄」が日常になってきて 「狂気」に似た症状になることが増えている

ツマが浮気をしているというような根拠のない記憶が真実のように変化して、似たような事件が創作ように枝葉をつけて膨れ上がり、過去の出来事もねじ曲げられて、その大間違いに興奮して「真っ赤」になって怒りを表して物を投げたり叫んだりする

次第に人は寄り付かなくなる

家人(ツマ)は (オトコのところに)逃げていった、と妄想は発展する
(暴れるのを避けて部屋を借りて出ていってしまったのが真相)

帰ってこないからキレるのは 当人にしたら当たり前のことで、リモコンはそんな暴挙・暴動の末に壊れてゴミ箱に投げ入れたとしても不思議ではない

自分で投げ捨てておきながらそのことは記憶から消えてゆくのだろう

﹆﹆﹆

人間(ヒト)は挙げ句の果てには 全てを忘れていくものなのであろう

昼間に 長男が訪ねてきた

徘徊をして「ケーサツに保護され電話があって引き取りに行った」というのが真相で 『いづうの鯖寿司』を一つ置いていったのだが、そのことさえ 尋ねても 記憶にないという

この人の幸せとは一体なんであろうか
三途の川を渡るときには 真実を知り 『せん妄』を拭って渡らせてあげたい

特別なことは何もなく十月が尽きる ー 神無月最終号

🍏 🍏 🍏 🍏

🍊 腰の痛み

今年正月明けに発症した腰の痛みについて
椎間板ヘルニアと診断を受けて 悲壮的な日々を過ごし
夏まで痛みに苦しんできた

夏が過ぎて 気になる痛みはあるものの ウォーキングも可能になって
ハワイアンダンスのようなストレッチ体操を毎日数分繰り返す
これが効果を出しているのかは不明であるが 痛みは激減している

朝 床から立ち上がる時に 針で突くような痛みが少しある
しかし 体操をする間に次第に消えてゆく

🍊 誕生日だった十月

記録する出来事は何もない
年をひとつ重ねただけだ

父親の年齢にひとつ近づくことで さまざまな思いが時々巡ってくる

人柄のことや悩みのことなど

ゆっくりと人生について話をしたこともなく
生き方についての説教じみた事も何もされなかった

喜怒哀楽の日々についても
どんなことで悦んだとか 怒ったとかいう話もしなかった

美味いものを食って楽しかったとか
今度どこぞで美味いものを食おうというような話もしなかった

。。

父親とはそんなものなはずではなかったのに
という後悔は 満ちてくる
しかしながら 諦めもある

母はその分 二十五年も長く生きている
だからと言って ジタバタするものでもないし
今を素直に生きるだけだ

🍊 巨峰を買いながら
今年も これで最後かもなあ
と言い 去りゆく夏秋を惜しんでいる

* 書きかけながら 続く

大学ノートの裏表紙に 書き残すような作品 ー 十月の或る日

あの人はくるりと背中を向けて
向こうの方に歩き始めた
そちらには私の行きたいところはないのに

電車がホームから出る時も手を振ることもなく
くるりと背中を見せて
ホームから降りる階段へと向かった

あの人の背中はいつも
私に「お好きになさって」
と叫んでいるようだった

秋風が吹き始めて
街並みが枯れ始めると
寒い寒いと言って背中を丸めて
その背中を私に見せながら
植物園の遊歩道を先へ先へと歩いてゆく

ねえ 帰り道で
カレー屋さんに寄りましょう

すたすたと先を歩いて
カレー屋さんの角を曲がるのだろう
私はその背中を追いかけるの



いつからか
スポーツの日と呼ぶそうです

小学校の時に
オリンピックが東京であって
競技場の階段を駆け上がって
聖火が点火されて
パッと燃え上がった炎に感動した

🌰 かまどの火つけてひと息冬支度

🌰 秋の夜に新藤涼子さんの詩集は沁みる

🍄 マツタケ食べなくなりましたねえ

三月中旬号 号外

ブログを間違えて書いてしまったのでそのままアップしておく


もう一個のブログに書いているつもりだったのだが
アップして確認をしてみたら『秘伝』の方のブログだった

こんなことは意外と珍しい

ミスというのは日常どこにでも転がっている
仕事でも遊びでも勝負でもつきものだ

大切なことはミスを犯してしまった時に即座にどのように対応するかが大切なのだろう


もっとも一切のミスも許されない、実際にミスというものがないのではないかというものもある
ベートーベンであっても誰でも構わないのであるが
あの音楽を演奏するピアノのソリストさん
あの人たちに間違いという言葉はないのではないか

そう常々思っているが


四月からの仕事を探しているので
欠員を募集している部署に履歴書を送っては面接に出かけるということを何度か繰り返している

昔から付き合いのある部門であるが、私など年金取得年齢の声が聞こえる人はそれほどお呼びでない

一方で、若くて力があるが、何を理由にかで(いわゆる安定した)職についていない人がポツリポツリといて、昔なら私のような爺さんが座る席を喜んで仕事にしているような姿に出会うと社会の現実(姿)を数字だけで判断をしては間違いであるのだとと痛感する

しかしそんな社会批判をしても役立たない
しばらくは空いている椅子を探して面接に出かける日々は続きそうだ

 

「あとがき」から 15日号 

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巻頭言

9月7日は二十四節気の「白露」でした。

俳句を愉しむテレビ番組の影響でしょうか、暮らしのなかで季節を感じるひとときを言葉で味わおうという俳句人がジリジリ増えているような気がします。

手紙を書く習慣や文化がそこはかとなしに廃れようとしていっても、日本人の脳は時候の挨拶の作法を忘れたくはないのかもしれないな、と僅かながら歓びを感じます。

白露や茨の刺にひとつづゝ 与謝蕪村

この季節に蕪村だったらどんなふうに詠むのだろうと想像しながら歳時記の本をパラパラとめくるとこんな句に出会いました。

芭蕉と蕪村、二人の句にはそれぞれの味わいがありますが、夏色が微かに残っている初秋なので、芭蕉よりも蕪村のほうが何か気持ちに響くものがありそうだと期待をしました。

引っ張ってきたこの句は、蕪村が放つ絵画的イメージをきりっと表した優しく深みのある句に思えます。

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■ あとがき

お盆過ぎころから朝になると我が家の付近でとても奇麗な声で囀る鳥がいることに気づきました。

「ちちい、ぴゅるるる…」と二三度繰り返して鳴くのですが、物陰に隠れて姿は見えず、探している間にやがてどこかへ飛んでいってしまいます。

環境学習情報センターの木村さんに、今ごろの時節に急に家の軒先に現れて早朝に奇麗な声で囀る小鳥がいるのだが、名前の見当は付きませんか、と質問をしました。

すると、声を録音するか姿の写真を撮るなどしてください、と返事をもらいました。

残念ながら、小鳥を追いかけるカメラや録音機を持っていないので、早々に諦めてしまいました。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」 この歌は立秋のころに詠んだものでしょうが、「風」ならぬ「小鳥の声」に季節の変化を感じながら毎朝を迎えています。

さて、おおかた記事を書き終わってふっと気がついたのですが、七十二候・第四十四候(9月13日~17日)が「鶺鴒鳴」(せきれいなく)と暦に書いてあります。

そうか、あの鳥の声の正体は、鶺鴒(セキレイ)だったのでしょうか。

3月5日(土)に生まれる 啓蟄篇【裏窓から】


啓蟄に幸せの文字見つけたよ
にも書いた通り お昼過ぎに病院に駆けつけて
午後は止まったような期間を過ごしたのだった

病院の待合室(談話室)でツマが待ち続けるのを視界の片隅に置きながら、私もカバンにいつも入れてある「孔子」(井上靖)を読んだりして紛らわすものの孔子様の言葉とこのたび子どもが生まれてくることとの関連性などは何一つもなく重くじんとくる子の言葉を読み続けると自分がこれまでに犯してきた数々の失敗をひとつずつ思い出してしまうのだったが、しかも、子の言葉を読み続けるとあらゆる過ちまでもが然るべき戒めを経て再起へと向けられているようにも思えてきて、こんな時期にこの言葉を読むのが辛くなるのであった


ツマが
「もう母親の役目は終わったのやな」
と生まれた直後に呟いていたのを聞いて

さらに、生まれる少し前にその談話室で何度も涙を拭きながら刻々と時間が過ぎ時刻が来るのを待っているのを見続けて

28年前に今母になる子を産んだ時のことを思い出し、40年前に亡くしてしまったたった16年間しか一緒にいなかったツマの母のことなどを考えると

歴史は否応無しに過去を過去としてのカテゴリーに追いやって着々と新しい幕を開けていることを痛感する。

28年前にこの子の母が生まれた。そのときにわたしは仕事をしていた。

30歳という働き盛りでひとつの方向に向かって進んでいたのだ。そんな時代があって、そのころはおおよそが自分の力で突き進み、苦しい時や悲しい時試練の時には大いに悩み、そのすべての悩みも自分で片付けてゆくのだというような自信や確信に満ちていた。

今更、それを過ちだと言うつもりもないが、それはひとつの未熟のカタチであったのだと思う。

人は、あるいは若者はそういう未熟なカタチでなければ成長できないともいえる。未熟であるがゆえに地につかない不安定さがつきまとうだろう。

そこには必ず差しのべる手があり祈りがあった。ひとつも功を奏しないこともあれば命を救うこともある。その見えない力があってこそ未熟が成り立った。


わたしはこの日記に「伝」という字を入れた。伝えねばならないと考えたからだ。

伝えるものは数限りなくあり、形があるものもあれば恩義のように無形のものもある。哲学じみたものもあっても良い。わたしが祖父や父から受け継いだものの中には教義を受けなかったものもあるし言葉にさえならなかったものもあるが、先代に似ている事を指摘されてそれも受け継いた1つなのだと感じ取る。

さて、
この生まれた子どもがどんな名前をいただきどんな夢を抱いて大きくなってゆくのか。

ツマが言うように「役目は終わった」と私も思う。だから、今度は恩返しをするステージなのだと漠然と考えている。そして、実はこの恩返しのステージが人生で一番重要な幕ではないのかとも思い始めている。

 

 

 

うるうの日

閏の日ももうすぐ終わります

お昼前にも時雨れたけど
夕方からも再び時雨れてきまして
でも、温かい感じがする

ムスメさん
(早く生まれるかもと先生に言われながら)
予定日の閏の日を迎えてますが
まだです。

親が一番待っているのかもしれんな

この子の時もそうやったんか…
と今更気づく

暮れゆく年


ムスメが角煮に挑戦している頃
(角煮と蕎麦はムスメLINE)
ウチの人は伊達巻に苦心していました

はんぺんを磨り潰す道具にすりこぎを応用しました
フードプロセッサーなんてあろうわけがないから苦心したようです

ムスメさんはのんびりペースで
角煮を夕方に仕上げ
暗くなったころに近所のお店にかき揚げを買いに行ったそうです

煮しめにも挑戦して
なかなかの奥様ぶりです
▶ 元旦

八月から九月へ(ムスメさん)

8月の中旬からつわりがキツかったようで
何かを食べたいのだが食べればゲロゲロと
戻してしまうので滅入っていたようですが
下旬ころからはかなりマシになったように
話しておりました

旬のサンマも食べたしかぼちゃも食べたし
料理の腕はまだまだのようですが旦那さんは
おいしいと言って食べてくれているそうです

8月25日 豚しゃぶ感覚
0825-28580

8月30日 さんま
0830-28798

8月31日 しょうが焼き
0831-28826

9月1日 かぼちゃそぼろ煮
0901-28891

LINE から

九月へと跳んだ歓び 八月尽

8月30日は曇り空のスタートでした。

夜さりには雨が降っていたような覚えもあるものの、涼しくなりよく眠れるせいか、外の気配のことなどに気を使うこともなく割とぐっすりと眠っていました。

夜が明けてすぐに新聞をとりに外に出たら雨が上がっていたので、運動不足気味が気にかかっていることもありもしも小雨でも駅まで歩こうと決めていました。

でも、着くころには薄日が差して、普段のように汗が吹き出しました。気温は低いのですが。

S女子校のいつもの子におはようと挨拶をして、朝顔の写真を撮ったりして汽車を待ちました。

20150831朝顔IMG_1875

9月1日は、雨降りでしたのでバスに乗って行きました

何の変哲もなく九月が始まっていくのです。
きょうから列車の中に増えた高校生もさり気なく昔の景色のように収まって、九月は雨の始まりだったのに暗くもなく始まったのでした。

20150901sabaIMG_1876

おゆうはんは、お魚でした。サバ。お昼にもお魚を食べましたけど、こういう日は別に珍しくもなく、一日一魚ではなく一日二魚やなと悦んでいます。

揚げ出し豆腐は別に食べたいといったわけでもないし最近話題にしたわけでもないのだけど、どこかわたしの気持ちが望んでいるのが通じたみたい。

八月の末の話ですが。

30日の日曜日にJR名古屋高島屋で栗きんとんを買ってきたのです。(ツマ)
それが、九州の名品だったらしく「鈴懸」というお店のものでした。とても美味しかったのです。
これまでで食べたことがある栗きんとんにはない和菓子としての気品のある味で、一番美味しかった。

20150830栗きんとんIMG_1873

20150830栗きんとん会社IMG_1874

ソーダ水

私は冷たい麺類が大好きで、夏になっても美味しく食べ続けますので、夏バテという言葉は全く無縁です。好き嫌いも全くありませんので、四季折々の味覚を美味しくいただいて、モリモリと成長しております。

もうすぐやって来る土用の丑の日には鰻も食べます。県内ではなかなか手に入りませんが、鱧も好きで遠くまで買いに出かけたりします。

夏をそれなりに楽しみながら感じることは、楽しもうと思えば思うほどに子どものころに食べた美味しかった食べ物やお菓子に戻って行ってしまう、ということでした。スイカ、かき氷、冷や麦・冷そうめん、ソーダ水…。

文明が進化しても涼しさを呼ぶ夏の味はそれほど変化しないのかもしれません。

一生の楽しきころのソーダ水  富安風生


7月号のメールマガジンのあとがきにはそんなことを書きながら、何十年もの変遷がもたらす味覚の変化や食べ物に対する執着心そして満足心のようなものも、ずいぶんと姿を変えてきてしまったと振り返る。

成長してゆく真っ直中で自分の身体の中に染み込ませていった味とか習慣というものは、容易く変更してしまうことなどできず、好き嫌い旨い不味いなどの感覚に基づくものは他人の忠告や刺激でさえ役に立たないほど頑固であることが多い。

それでいいのだと思う。

政治の方も揺れている。今決めたことは20年30年後になって不安から現実課題へとかわり問題となって人々を困らせたり悩ませることになるだろう。

新しく選挙権を得て勇んで投票をした人々は人生の半分以上を終えたころにあの時の人たちが叫んでいた声の本当の意味を知る。

歴史はそういう長いうねりで躍動している。

「一生の楽しきころ」はたった一回しかないのかもしれないが、間違いなく次の世代に伝わっている。少しずつ姿を変えて伝わってゆくのは仕方がないことだし、何が善くて何が悪いのかは、更にその後の歴史が吟味することになろう。

このうねりを楽しみながら人生の最終コーナーを心地よく走り終えたい。

京都日記(宵々山)

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14日の朝は少し早めに駅に到着し、駅前のDOUTORでモーニングというのが定着

20150714お昼韓国料理IMG_1806

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京都駅に降り立ったらちょうど早めのお昼ごはん(よりもまだ少し早かったが)伊勢丹をぶらぶらとして、11階のいつものへんにきて、韓国料理のショーウインドウに目が止まった。美菜莉という店で1500円ほどだったので満足。

20150715おひるバイキングIMG_1809

かき氷も食べたい。ポルタに降りて行きランチの人たちであふれる店で冷たい氷を食べました。

20150714ハモIMG_1811

車折の家に着いて真っ先に鱧の話をしたために、お父さんが近所のお店に買い物に誘ってくれはって、ハモを買ってかえることに。

スーパーの鱧でもどこの鱧でも、夏は鱧を1回は食べておきたい。

水無月も食べたし、小鯛の笹漬けも食べた。写真はない。

20150715菊水鉾IMG_1810

15日は朝から四条烏丸あたりへ出かけて鉾を見ようと決めていた。
烏丸の手前でバスを降りて一筋上がって、菊水鉾の前に出てきた。
記念に絵葉書を1枚だけ買ってみる。

暑いので早くご飯を食べたい。

20150715バイキングIMG_1813

古今烏丸の中にあるザ・ブッフェスタイル サラに行ってみる。久しぶりだったのでウキウキです。
それほど混んでいることもなく、同じ階にある京都精華大学のギャラリーや京都シネマを見て時間を潰す。

20150715お昼IMG_1812

一生懸命に食べて一息ついて写真を撮る。タイムサービスのフレンチトースト。

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美味しかったパスタをもう一度おさらいして

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ソフトクリームは大好物なのでしっかりと2回も食べる

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高島屋に行く前に長刀鉾をちょいと見ていく

20150715hamoIMG_1818

帰りは車中で鱧の弁当を食べる。

二十五年ぶりくらいの人に会う

(きのう)

海に来てます
小雨降りだして
また止んで

海に来て木枯らし帰れぬ干潟なり わはく

パクリ先は、コレですな(↓)
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

20150704hikisio引き潮IMG_1787

干潮時刻
13:30ころ
1時間ほど前に海にいました
25年ぶりの人にも会いました
小雨が降ったりやんだり

楯干しイベントでしたが
わたしは参加者に会いに行っただけですので
収穫なし

でっかいお魚を袋に入れて
持っている人がおって
ええなあって思ってまして

スーパーでお刺身を買いました

旨そうなモノが店にあれば買います
しびの文化

この味が気の毒なことにわからない人があるけど
それは文化の違い
わからない人は食うべからず

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届ける

一枚の葉書にその人の近況が書いてありました。

引っ越しをしたことや仕事を辞めたことのほかに、近ごろさらにまた新しいことを始めていて、自分がどんどんと進化しているのが伝わってきました。

とても安心させてくれる内容で、少しホッとして、わたしの心や身体が温まってくるのが、その便りから分かりました。

最後に手書きで、メールは苦手で返事をなかなか書けないのだとも書き足してありました。

メールのことはおよそ想像していたからへっちゃらだったけど、もしかして気を使わせていたならば悪いことをしてしまったと悔やみました。

でも、わたしがメールを構わずに出したとしても、怒ったり凹んだり投げたりするような弱くて負けやすい人でないと思います。

大丈夫です。また、交流が復活します。

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むかしはもっと子どもに見えて、あんまし頑張って仕事をしているのを見ていると、いい人見つけて早く幸せになることを祈りました。

今はあのころと比べたら、ほったらかしにしておいても大丈夫な感じが出てきて、すっかり大人になって安心できる子になってきたと思います。

ほんとうに少しずつ話をするたびに、知らない面などが少しずつ見えてきて、どんな子なのかわかってきます。

それがわたしとは全く正反対の方向に向いている人なのですが、ふつうならこの辺りまで分かってくると、全く違う考えとか食い違う性格なのでというよくある理由で、だんだんとかみ合わなくなるとか疎遠になるところでしょう。

けれども、わたしがこの子を手放せないで大事に引き止めています。

理由がないままですけど、好きなんです。

恋とか愛とかじゃなく、好きなだけなんです。

不思議な友だち

あれこれと書きながらもなかなか登場しない人(Kさん)がいます。

その人(Kさん)は学生時代に心の拠り所の人として存在したとても大切な人です。

都内に住み車でならば30分ほどで辿り着けるような近所にいながら五年間の暮らしで一度しか会わなかったというような一風変わった関係の友人です。

わはくさんはこの人のことをペラペラとは喋りませんでしてどんな間柄でどんな友だちだったのかもあまり話してくれませんでした。

初めて出会ったときのこともサラリと教えてくれただけです。

合コンをやってその会場で息が全然合わずに貶(けな)し合いばかりをして終了となったにもかかわらず手紙のやり取りが始まってそれで長い友だちになっていることは結構色んな人たちに喋っているみたいですがそれ以上はあまり知らされない。

近くにいても会わなかったのだし実際のところそんなにみなさんにペラペラと教えて回るような出来事もなくて手紙の友だちだったようです。

文學部の彼女でしたが熱く文学作品のことを語り合ったりしたわけでもなかったみたいですし趣味もお互いでよく知り合って理解しているわけでもないらしい。

就職が決まって浮かれているわはくさんをお祝いするために新宿の飲み屋街の地下の一角にある小さな居酒屋でひっそりと二人だけのさようならパーティをやっています。

就職で京都に去ってゆくわはくさんとのお別れの挨拶だったのです。

合コンの後で会ったのは五年間でこの1回きりでした。

五年間不定期に手紙だけはやりとりをしていましたが電話もかけないし写真も見せあわないし近くにいながら会わないで合コンのときの面影だけを胸に抱いていた人に新宿で再会したその雰囲気は想像できないものがあります。

わはくさんが京都に行ってからも細々と文通は続いていました。

わはくさんのツマ(J)さんはわはくさんが京都に来たばかりのころのことをよく覚えていていつもポストに手紙が届いているのを見かけたと言ってます。

でもその手紙は実は半分は鶴さんからのものだったかもという心配もあってもう半分が(Kさん)からのものだったかも知れないのですけれども今となってはそんなことはどうだっていいことです。

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かぼちゃでまあ一杯

このごろをときどき振り返るたびに毎日に飲み過ぎているのを反省しているので今夜こそは控えるからと言って朝に家を出るのですけれどもおゆうはんの時刻になって飯台に座るとかぼちゃが三切れ入った小鉢とそのとなりに水と氷の入ったグラスを出してくれますのでまあ一杯ということになるわけです。

20150618kabotyaかぼちゃIMG_1757

百貨店で中元の用事を済ませてふたりでブラブラと歩きながら陶器の焼き物などを見てゆくわけです。

とても落ち着いた雰囲気のお鉢と小鉢とお椀、小皿が並べて置いてあるのが目につくとどうしても立ち止まってしまいます。高額なので買おうなんっていう気は更々ないもののいつか一揃い買ってゆっくりと食事をしたいなというようなことを呟きながら歩いてゆく。

母にお茶碗を買ったことがありました。そんなことを思い出してそれがずいぶんと昔のことだったことに気付き改めて月日の儚さを思うわけです。あのとき父はまだ生きていたかなそうすれば夫婦で揃いの茶碗と湯呑であったはずだがどうやらそうではなかったような気がして記憶の曖昧さが少し情けなくなると同時に父が逝ってからの月日がやはり重く長いものなのだと思うのでした。

もうそれほど長生きもできないだろうしできたとしたらそれはおまけに当たるほど年齢になってきたのでお茶碗も意味もなく日常に添うて暮らしにあるものであるからいいかもしれないなあとちょっと覚えておいて何か急に思い立ったら買って帰ろうなどと考えている。

いまは貧しい暮らしだけれどそれはそれでいいが豊かに暮らしていたころにあらゆる人にもっと義理を果たしてお礼をしておくのが筋だったなと二人で話をしながら高級な陶器の並んだ売り場を歩いてゆく。義理を果たすというよりもそのときの自分は誰のお陰で成功してそこで大きな顔をしておれるのかを考えると必然的に義理などという言葉など不要となりそれよりもそのときの節目の時期にはきちんと感謝とお礼の心を伝えてゆくべきであった。もしも今あのころのように豊かな暮らしならば果たせる限りの恩返しをできるのにと人生の終焉支度をしつつも残念ながらその義理が果たせず恥ずかしい思いをしている。

この晩はそんなことをあれこれと考えながら一杯飲んでストンと寝た。そのあとにムスメから連絡があったらしく旦那さんが一次試験に通って早速一生懸命勉強を始めたという。何も応援はできない。わたしの出る幕はもうない。

6月6日 オムライス

ムスメさんからLINE

0606-23390

6日はわたしは仕事で
ムスメの旦那さんはAMテニス
ムスメはAM家事であった。

午後、平和だったのでわたしは休暇を取り
博物館で展示を見て
そのあとムスメと同じ時刻に家に向かって車を走らせた。

ムスメはハハと二人で熊野の郷という温泉へ
わたしは家でのんびりしていた。

ムスメは夜にオムライスをこしらえたと知らせてきた。

うちは質素に玉ねぎ入りのひろうず
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7日、ムスメは美容室に行き、ふたたび家に帰ってきて
今度は家族三人で出かけることになった

なんだかね
スパが食べたくて
あさりを買って帰ったのでした
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6月4日 酢豚

ムスメさんのLINEから

0604-23197

ツマの誕生日を5日に控えて
我が家ではお祝いモードが高まる
といってもムスメがいないので
二人だけでのお祝い

パエリアをしたのだけど
フライパンのまま写真を撮るのも
格好が良くないと思い
器に盛ってから写真に撮ろうと試みたら
そこが思うようにいかないところで
綺麗に出来上がった料理がバラバラになって
写真に撮れなくなった

そのことがツマにとってとてもショックで
ムスメに写真を見せてやろうと頑張っていたのに
落胆させてしまった

ムスメからラインが届く
送りたかったとことさら思っているだろう気持ちに
あしたホールケーキを買おな
と言うくらいしかできない

誕生日イブ

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誕生日ってのはウレシイのだな
ワインを買ってこようと意見が一致して
普段は見ないようなお値段の棚を
と言っても千円ですけど
我が家にとったらとっても贅沢でした

20150604birth誕生日IMG_1727

ムスメがいなくなったので
ホールケーキが食べられない
だからショートにしたのですが
やっぱしあした
ホールケーキを買おうと
決めたみたい