令和五年大晦日を迎える
今年も大きな病気をせず倒れることなく一年を終われることに大いに感謝したい
心不全の症状が見つかったものの怯えることはないと思っているので、真正面から治療をすればきちんと治るだろう
塩分制限が始まっているけれども それほど苦にせず 面白半分の気分で減塩をやっている(去年の十一月から)
食べることの欲を抑えようとすると 確かに我慢であり 寂しさもある
諦めがあるので 苦痛は然程ない
食べることとは 何のためなのか
人類は食べる暮らしと 如何に関わってきたかを振り返って考えてみるいい機会だ
暮らしとは如何なるものか・・
それは人類が目指すものは何か・・にも通じる
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お正月であるから「おとうさんを家へ連れて行ってやれば・・」という知人もいますが、しかし それはできません
「サ高住」には お正月の話題はない
来客も職員もそのことについては一言も口い出さないし触れようとしない
そのような連想は 御法度なのだ
『痴呆脳』の記憶を刺激することは 罪悪だ
サ高住には 家に帰れない人や帰りたくない人、また 帰ってきてほしくない家族があって この住宅に追い込まれた人々の扱いは 優しさに満ちているようであっても様々で おおよそが冷たい
ウチも とーさんには 家の話はしない
もう家には誰も住んでいないかのような雰囲気を伝えてあり、帰っても誰もおらず何もないと思い込んでもらっている
「サ高住に入っていれば (毎日何も心配しなくても)ご飯が食べられるから・・」と説得してあるが、どこまで本当の事情を理解して記憶しているかは不明だ
社会には 重荷を背負って暮らす人が想像以上にたくさんあって それぞれの人々が やり場のない悩みや 不満を含んだ感情を胸に生きている
真っ当に漲ってくるはずの感情を 殆ど失ってしまっている『痴呆脳』の人には 自分自身におめでたいお正月が来て 旧友にも再会できるかもしれない筋書きは思い浮かばない
したがって そこには悲しみもない
何もない・・エンプティー(数学では空集合という)なのだ
そのことが、一年ほど付き添うてみて わかってきた
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冷暖房の行き届いた部屋で 時間が過ぎてゆくのを ただひたすら待つ(過ごす)
おなかが減ったらお菓子を食べればいい
食事の時間を見失わないよう大きな時計を備えてもらっている
時間が来れば食堂へ歩いてゆく
そんな日々を ただ送っているだけだ
相撲や大リーグの大谷翔平の野球は 分かる
だが 季節が移ろうことは 身に染みてこない
暑さ寒さを感じ取ることも近ごろは危うくなってきた
春物の服から夏物へ そして秋物から冬物への衣替えも意識から消えてしまった
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「また二週間ほどしたら来るわ・・」といつも言って帰ってくるが それが一か月でも二ヶ月でも三ヶ月になっても「多分わからない」だろう・・
当然、そのことに家族は気がつくわけで、だったら「放ったらかしでも問題ない」となる家族もあり それを理由(切掛)に 放置されてしまう人も大勢ありそうだ
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そうは言うても しかしながら また年が明けたら顔を見に行く予定にしている
身の回りを掃除と整理整頓をして、洗濯をして、季節のものを買い揃えて、おやつも補充して・・何も記録に残らないような会話をして 数日過ごして帰ってくる
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一人の人間の周囲には幾人もの人がいて お互いがその人たちを支えて・支えられて生きている
痴呆脳になってしまうと 大勢が知らん顔をする様子に出会う
昔から無縁だったのだというような顔をして振る舞う人も中にはあって 損得を見抜いての判断の人もある
所詮そんなものかと 残念になるのだが、そのウラには オモテには出てこない人々も潜んで居る
人々それぞれの思いや葛藤がきっとあるのだろうが こちらは神様でもないし 全てを見渡せ・見抜け・探れるわけでもない
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大晦日の夜 寝静まった空に除夜の鐘が響いているのだろうか
一年を振り返ることは 即ち『痴呆脳』と対峙してきた日々を振り返ることでもある
充実した年末年始を迎え 新しい年を明るく迎えられるように祈ろう
健康で清々しい元旦を迎えられるように祈ろう
ここで思いついた目標をしっかりと胸に 来年も元気にいきたい
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🎍 外海の遙かな果てを夢見続け
🎍 輝く太陽のまだもっと向こう
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#三三を嫌がった生き方
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