大晦日に思っていたこと ✦ 痴呆脳と共に一年

令和五年大晦日を迎える
今年も大きな病気をせず倒れることなく一年を終われることに大いに感謝したい

心不全の症状が見つかったものの怯えることはないと思っているので、真正面から治療をすればきちんと治るだろう

塩分制限が始まっているけれども それほど苦にせず 面白半分の気分で減塩をやっている(去年の十一月から)

食べることの欲を抑えようとすると 確かに我慢であり 寂しさもある
諦めがあるので 苦痛は然程ない

食べることとは 何のためなのか
人類は食べる暮らしと 如何に関わってきたかを振り返って考えてみるいい機会だ

暮らしとは如何なるものか・・
それは人類が目指すものは何か・・にも通じる

お正月であるから「おとうさんを家へ連れて行ってやれば・・」という知人もいますが、しかし それはできません

サ高住」には お正月の話題はない

来客も職員もそのことについては一言も口い出さないし触れようとしない
そのような連想は 御法度なのだ

『痴呆脳』の記憶を刺激することは 罪悪だ

サ高住には 家に帰れない人や帰りたくない人、また 帰ってきてほしくない家族があって この住宅に追い込まれた人々の扱いは 優しさに満ちているようであっても様々で おおよそが冷たい

ウチも とーさんには 家の話はしない

もう家には誰も住んでいないかのような雰囲気を伝えてあり、帰っても誰もおらず何もないと思い込んでもらっている

「サ高住に入っていれば (毎日何も心配しなくても)ご飯が食べられるから・・」と説得してあるが、どこまで本当の事情を理解して記憶しているかは不明だ

社会には 重荷を背負って暮らす人が想像以上にたくさんあって それぞれの人々が やり場のない悩みや 不満を含んだ感情を胸に生きている

真っ当に漲ってくるはずの感情を 殆ど失ってしまっている『痴呆脳』の人には 自分自身におめでたいお正月が来て 旧友にも再会できるかもしれない筋書きは思い浮かばない

したがって そこには悲しみもない

何もない・・エンプティー(数学では空集合という)なのだ
そのことが、一年ほど付き添うてみて わかってきた

冷暖房の行き届いた部屋で 時間が過ぎてゆくのを ただひたすら待つ(過ごす)

おなかが減ったらお菓子を食べればいい
食事の時間を見失わないよう大きな時計を備えてもらっている
時間が来れば食堂へ歩いてゆく

そんな日々を ただ送っているだけだ

相撲や大リーグの大谷翔平の野球は 分かる
だが 季節が移ろうことは 身に染みてこない

暑さ寒さを感じ取ることも近ごろは危うくなってきた
春物の服から夏物へ そして秋物から冬物への衣替えも意識から消えてしまった

「また二週間ほどしたら来るわ・・」といつも言って帰ってくるが それが一か月でも二ヶ月でも三ヶ月になっても「多分わからない」だろう・・

当然、そのことに家族は気がつくわけで、だったら「放ったらかしでも問題ない」となる家族もあり それを理由(切掛)に 放置されてしまう人も大勢ありそうだ

そうは言うても しかしながら また年が明けたら顔を見に行く予定にしている

身の回りを掃除と整理整頓をして、洗濯をして、季節のものを買い揃えて、おやつも補充して・・何も記録に残らないような会話をして 数日過ごして帰ってくる

一人の人間の周囲には幾人もの人がいて お互いがその人たちを支えて・支えられて生きている

痴呆脳になってしまうと 大勢が知らん顔をする様子に出会う
昔から無縁だったのだというような顔をして振る舞う人も中にはあって 損得を見抜いての判断の人もある

所詮そんなものかと 残念になるのだが、そのウラには オモテには出てこない人々も潜んで居る
人々それぞれの思いや葛藤がきっとあるのだろうが こちらは神様でもないし 全てを見渡せ・見抜け・探れるわけでもない

大晦日の夜 寝静まった空に除夜の鐘が響いているのだろうか

一年を振り返ることは 即ち『痴呆脳』と対峙してきた日々を振り返ることでもある

充実した年末年始を迎え 新しい年を明るく迎えられるように祈ろう
健康で清々しい元旦を迎えられるように祈ろう

ここで思いついた目標をしっかりと胸に 来年も元気にいきたい


✦✦✦

🎍 外海の遙かな果てを夢見続け
🎍 輝く太陽のまだもっと向こう
🎍 九割以上が失着だった人生
  #三三を嫌がった生き方
🎍 星占い雨降り出して大晦日
🎍 大晦日リセットボタンを押しとなる
🎍 大晦日さらばとゆうて締めくくろ


師走・元旦 ダイジェスト ✦ ギャラリー (外伝)

魔法にかかったように時間に残してきた足跡 ✻ 京都日記 [裏表紙・号外]

京都日記


冬を待つ束の間の季節である

秋という時間は短く足早に心を枯れさせてゆく

しかしながら
この枯れてゆく瞬間というのは
自分を静かに見つめられる
かけがえのない時であるようにも思える

数々の忌まわしい過去を捨ててしまおう
思い出など枯れ果ててもかわまわない
とそう思っている

ひとつの逃げの手段かもしれない

やがて
忘れようとしても忘れられることなどないはずの
魔法にかかったように時間に残してきた足跡

あっさりと掃き捨てられそうな気持ちになる

欲張って
自分の人生の記録帳を膨れ上がらせてきたのだが
それもよくよく考えれば
虚しいことだと気づく

その気づきが正しいという保障もないまま
行く道を探って
一つ二つと決心を重ねて
やがて行き着くところの姿を思い描く人も多かろう

答えなど
模範解答などどこにもないし
答えがあるかどうかさえ明かされないままだ

京都の時間は止まっているかのようにすぎる

痴呆の人が静かに
『サ高住』の玄関ロビーを歩いている姿を見ていると
何処かへ泳ぎつこうとする
漂流する何者かそれは漂流者にも似ているように
見えてくる

決められた動作を
繰り返すロボットのように動き回る介護施設の人たちや
それと対照的に浮遊する高齢者の姿が
決定的に病院での様子とは違うことに
遅まきながら気づき
目指すところの違いを知らされる

静かである
会話はいらないのだ

待っているのだろうか
自分がどこかに導かれるのを

息が止まる瞬間

いや
誰か人が現れるとか
恋人ができるとか
昔の友人がやってくるとか

この住処を飛び出して
何処かへ行けること

夢見るのだろうか


✢✢ 十一月十日のひとときに メモ帳に書き残したメモを載せておく

腎臓病(CKD)を学ぼう - 月の初めに考える 霜月

外伝✺ 塩分など制限厳しい日々・・十月は足早に過ぎて ✢ 十一月はじめに  ➣

⚡︎

十月は 飛騨高山に出かけたり 心電図の連続計測を受診したり サンマも連続して食べた

サンマ6号(16日)
サンマ7号(27日)
サンマ8号(29日)
食べ続けました

けれども

⚡︎

心房細動

心房中隔欠損』の他に 心電図解析の結果 『心房細動』も見つかります(31日)

⚡︎

不整脈の薬にこれから世話になる
腎臓病(CKD)の恐れがあること 遺伝的にも 予測がついていた
コレステロール脂肪塩分との闘いの日々が始まる

12月の初めに血糖値の上昇の検査(HbA1c)を受けます。その結果を診て 日赤で精密検査か、しばらく 食事療法を続けるのか。この先はまだ私にはわからない

⚡︎

美味しいもの

ウインナー ソーセージ、ハンバーグ、ラーメン、パン、竹輪、ハム、マヨネーズ、サーロインステーキ、ベーコン、バラ肉、スパゲッティ、たらこ、エビ、小麦粉製品、バター類、卵類、鰻

こういったものは 要注意でして 大きく制限がかかってきます
しばらくは お別れになりそうな気配です


つづく・・・

蛭子さんの絵画展 - 京都日記をひと息ついて

漫画家でタレントの蛭子さん(75)が描き下ろした新作の絵画19点を展示する個展「最後の展覧会」が開かれているというニュースを読んだ

蛭子さんは レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症を2020年7月に公表していて、現在はデイサービスを受け通院をしているという

うちにも 認知症のとーさんがいる。去年十二月にその症状の深刻化に気づいて新年から高齢者住宅暮らしをしている。診断をする医者は アルツハイマーとは明確に言わない。しかし 診断名はそうでないにしても 周囲は「痴呆脳」の進行は明らかだと認めるし 生活にも支障が出ているので 介護認定を受けている

とーさんは 日常は介護ヘルパーさんに頼るものの 生活必需品や突発的洗濯、身の回りの世話をするために長女であるツマが出かけて行き 一か月の三分の一を近くで暮らす。私も付き添いで一緒に出掛けて 住宅の傍である実家(の近く)に滞在する

絵を描いている蛭子さんのニュースを見て思いついたことは、うちのとーさんも日常の生活の中に絵を描くという遊びを取り入れてやれば 少しであろうが痴呆脳の進行を抑えられるのではないかということだ

もともと絵を描くとかそれに色をつけることには馴染みが深い人だ

一縷の望みを託してみたいところだ

一月からの九か月間に 痴呆は目に見えぬほどであるが進んでいるように見えるが 掛かりつけの医者の診断では病状として全く変化がないようにいう。脳だけではなく身体機能も衰えているのは 傍らにいれば気づく。食欲も変化しても不思議ではなく 定時の食事は積極的ではなく おやつのお菓子ばかりを食べる様子がわかる。何かをしようとする意思が衰え お菓子を食べたりする行動だけが残って それ以外の時間は横になって休んでいる時間に取られていく

来た、会った人がみんな口を揃えて「このまま死んでしまえば幸せだ」と言う

着実に老化が進行していることは顕著化して 人間としての脳の働きは 着々と退化している


夏休み 作られたアウトドアな気が少しするのだ・・  八月はじめに考える

八月初めになっても考えることがなくて


7月29日、30日 孫たちはキャンプ
8月1日 図書三冊

  • 澤田瞳子
    火定
    星落ちて、なお
  • 山脇りこ
    50歳からのごきげんひとり旅 だいわ文庫

八月回顧

八月になればソワソワしていたものだ
夏休みを十日間ほどもらえたサラリーマン時代には 取り憑かれたようにバイクに荷物を積んで旅に出た

冷静に回顧すれば あれは異常なほどに職場から逃げ出そうとしていたのだろうか
家庭も置き去りにして一人旅に出るのは のちに反省しても 行き過ぎていた身勝手だという感が残る。もちろんその時の当人はそんなことなど反省もせずに既得権として遊びに出掛けてしまっていた

数々の反省が 残される時期であるものの もう後悔しても戻せない
もしも あの時間のあの行動がなかったとしたら 人生が違ったものになっていたのかどうか

責めることもできないし いまさら 塗り直すこともできない

自分の足跡に自信と確信を持つのが 一番なのだろう

アウトドアな時代

孫たちはアウトドア三昧で夏を過ごす

むかしなら 夏休みは学校科から解放されるのだが 今の子は親が仕事をしているのでそうはいかない

爺さん婆さんが近所に住まなければ 夏休みであっても普段通り 学童や幼稚園に行く

それが当たり前だからそれでいいわけであるものの 昔の世代から考えると やりきれないものも感じる

子どもは 勉強や習い事を淡々とこなし 夏休みは 滞りなく終了してゆくのだろう

熱い夏

水の事故のニュースも届く中 猛暑日の最高気温記録も日々更新をしていく

命に関わる危険な暑さ という言葉も飛び出す

大変な時代がやってきたと言って騒いでいるだけでは済まされない時代が近づいているのを感じる


五月雨や未練もないと見得を切る - 五月中旬号 (京都日記)

眼科で糖尿病の所見があるといわれる

眼科所見

日記に書くことはこれくらいや

仕事なし 健康状態は不安定だ
歴史的に昔の人の視点で見れば
社会を生き抜くには能力不足の判断をされて 仕事などさせてもらえない
まさに 私はそんな状態か

人間が持つ時間軸と社会が提供する時間軸のズレあって
その中を生きていくには 暮らしにくい世紀を迎えている

﹅﹆

つまりは
野生で生き獰猛な獣たちと戦って暮らしていたらなら
もはや生き延びることなどできない身体になっている

落ちぶれてきているのを認めねばならんのだ

﹅﹆﹅﹆

﹅﹆

京都日記

車折神社の三船祭りは 来週 第三日曜です

十三日(土)のお昼過ぎから雨が降り始めまして 外に散歩に出かけるのは諦めました
そういえば「十五日は葵祭ですやんか」と思いついたのが昨夜のことでした

お天気は雨の予報ですから きっと翌る日に順延でしょう。僕は その前に京都を離れようと思っています

﹅﹆

『いっせい』の鰻をお持ち帰りで買って とーさんに届けてきました。「母の日」なので お店は予約で満杯で追加予約は受け付けず 次々とお客さんを断っていたようです

とーさんのいるSOMPOの家へも入れ替わり立ち替わり遠くから家族が訪れて 玄関先には車が溢れていた

﹅﹆

どこの じーさんも ばーさんも この季節だけは束の間の幸せだ

未来が暗い人ばかりではないものの、明日から急展開で明るくなりそうな人もいない
このまま 明かりが消えるのを待っている人たちばかりみ見える

この施設の玄関で ウチの人が帰ってくるのを待っている
時々ふらりと どんな意味か不明だが じーさんやばーさんがソファに並んで腰掛けて 話を始める

どんな程度の知り合いなのか わからないまま 静かに耳を傾けてみる

街の公園のベンチで偶然に隣り合わせになったように
━ 九十四歳ですんや、おたくは?
━ わしは八十四歳ですわ
などと挨拶を交わしているのがわかる

もしかしたら 昨日もここで会って同じように話したのではなかろうかと思うような会話をしたかもしれない

実際に 同じ話を毎日していても どちらも全く迷惑でもなく苛立ちもないような人が この建物中には 何十人もいるのだ

﹅﹆

うなぎ

とーさん うなぎ美味しかったかなあ
京都の人は、見栄っ張りで、ブランド志向なので 最初は 嵐山の『廣川』の鰻というていたのですが『いっせい』でもええという。ボクにすれば そんなに美味しい鰻でないのだけれど、そして江戸前と聞くとさらに それほど・・と期待も薄らいでしまうけど、ココと決めたら カタチを大事にするから 美味しいかどうかは二の次になってしまうのかもしれない。もしかしたら最初に食べて感動したとかいう思い出もあるのか

確かに とても上品ですし 江戸前なので蒸してあるので柔らかい。来客に出すならこんな鰻だと いかにも京都の味です

﹅﹆

老人施設でも、結核病棟でも、軍事収容所でも、癩病施設でも そう変わりがないような雰囲気のSOMPO高齢者住宅の外容ですが、とーさん自身にはそれほど悲壮感もなく、送り込まれたとか閉じ込められたという感覚はなさそうだ。それが病気のせいか、認知症の薬の投薬のせいか、人間として自然な姿なのか、不明である。だけど 切ないことにボクから見れば 穏やかに 三途の川の方を向いて 座っている毎日のように見える

時間を過ごすことにも苦心もせず 野球を見たり 相撲を見たりしていると時間が過ぎてくれるから、悲壮的なものはなく 悲しみや苦しみも 何もない、恨み辛みも湧き上がってこない。時間が淡々と過ぎるのです。人が来てくれるのが切々と待ち遠しいこともないのだが 電話をすると「今度 いつ来てくれるのや」と口癖のように尋ねる。だからと言って 行かなければ 早く来てくれとせがむこともない。

一日の時間は止まったようであり刻々と流れているようでもある、日々に愛想つかして悲鳴を上げることもない、目の前で起こっていることを記憶に残すこともないので 来客が来てくれてもやがて忘れてしまい、特に日時の感覚はなく その日が何日で何曜日であるかも (動物と同じように)意識に持つこともなく時間の流れに浮遊しているだけだ

﹅﹆

うなぎがとりわけ好きなわけでもかったはずだし、もともと食い物の味にうるさいわけでもなかったと思う。幼少だった戦後の苦労時代の食い物の苦労や生きるための苦労が頭にこびりついているから 上級なものにあり着きたいという貪欲な根性が激しく体の中を流れているので 味がわかるよりも 人並み以上に食いはぐれたくない意識がある。それを克服していつかは稼いでやろうという強い意識があって、その上での 京都の人の格式とブランドとプライド、評判と値段と見栄などが合体して いかにも京都の人らしくモノ選びをする。そこに満足があって達成された幸せを築いて来たのだろう

だから、こんな環境で「うなぎが食いたい」と言い出したとーさんの気持ちには 人生の苦心を乗り越えてきた上での栄冠をもう一度味わおうという感覚が滲み出ていると感じる。

江戸前の鰻は やはり関西好みの味では無いはずだし、京都人などは鰻なんてものよりも もっとおいしくて安いものが好きなはずだけど ある意味で鰻が高級感を持っているので 心をその点で満たしている

京都流の美味しい料理というのが頭にこびりついていて、それは守らなければ (京都人のプライドを破棄してしまうことになりかねず)よそモンに成り下がるような意識が奥深く潜在的にあるのだろう

自分たちの本質から(京都)文化を生み出したのではなく 外部からの人々が融合して侵略し合って 騙し合って、見栄を張りあって築き上げた(京都という)土地に息づいた訳で、そこで人間が生きる手法のようなものがあるのだ

﹅﹆

「そんなもんを食べさしたら 冥途への招待の晩餐になってしまう」と感じてしまうことは誰にも言えない。その考えは 間違っているかもしれないから、ボクの『悪言・毒舌』で留めておかねばならない

しかしながら、鰻を食べている姿は 可哀想で よー見ておらんから、(椅子もないけど)無理に同室で同席して一緒に食べると言い出せずに、ボクは部屋に帰って一人でいただきました

『ごちそうさま』と電話をして とーさんも『満足に』食べられたと 報告を聞いて やはり いっそう 悲しさが募るのだった


京都でのつぶやき

🐝 紐のなか三人寄れば汽車ぽっぽ
   #ぽっぽの意味を知っとるか

🐝 大堰川暴れて待つ葵祭

🐝 新緑の嵯峨野を濡らす本降り

🐝 十五日うっかりしてた葵祭

🐝 たんぽぽや 恋の花咲くぽっぽっぽ

🐝 雨降り出しとりました昼過ぎから(京都)

🐝 たんぽぽがふわふわ嵐電コトコト

痴呆脳 について考える ー 令和四年大晦日に考える

外伝🔗 こがらしの一日吹いて居りにけり ー 年末整理 の日記で

「三途の川への道標」のことに触れた

さらに 静かに考え続ける


(雑記メモ) 痴呆脳 Ⅰ

﹅﹆﹅ 痴呆脳

『痴呆脳』という言葉を思い浮かべた

「痴呆」から「認知症」へと言葉が変化するため「痴呆」は相応しくないとされるが、人の様子を表現する言葉がより病的な色合いを持ち始め 「痴呆」人を

差別的蔑視域に分類することに間違いがあるのであって、人が持っている人間味が備える「うっかり」で「ボケ」な点を 「病気」と今だに一線を引いて区分する事を思うと 「ボケ」は人類と永遠に付き合いをする「病気」であるのだから 目を叛けないためにも『痴呆』でええ

﹅﹆﹅ 脳死

「脳死」と「心肺停止」で 人は「死亡診断」をされ、つまり 生き返ることはなく『死亡』と見なして 荼毘に伏す

そこで私は『痴呆脳』という言葉を造語し 生きている人の痴呆の人の脳をそう呼ぶことにする

痴呆脳は 脳死とは生理学的には全く違うが 脳死の脳と比べて活動具合にどのような差があるというのか

﹅﹆﹅

(雑記メモ) 痴呆脳 Ⅱ

﹅﹆﹅ 痴呆脳は 生きているのだ

  • 生きているのだが 記憶を喪失するし 現状のステータスの確認もできなくなる時がある
  • 会話は交わせるものの 会話を記憶して再生して次の思考をこなすことは不可能である
  • 判断についても 自分の存在の状況を認識していないので その後にある判断は 出鱈目だ

つまり 痴呆脳の人に精一杯の情報を注ぎ込んでも その内容を持って『三途の川』を渡れない

さらには あの世に到達してもこの世のことを再現できないのではないか

そう考える

﹅﹆﹅ 痴呆の世界を無知だった

痴呆は身近であると思っていたのは大間違いだった

実は「痴呆」の人やその症状 そして周囲で介護をする人々を全く知らなかった

社会の実態を全く知らずにきたということだ

離れて住む「とーさん」に怪しい症状が出たのが十二月の初旬で その時から大慌てが始まった

﹅﹆﹅ 介護をしながら「可哀想」を連発する

つまりは 生きながら自分と会話し反応をする相手が 何も考えていないことのジレンマ

正常な時もあるが(これはそう見えること自体がすでに認知症状の一種だが)言うている事がメチャメチャなことが多い

せん妄に惑わされて 行動が不安定(暴れる、暴言を吐く)である

  • 人間らしさを感じられず
  • 元に戻る見込みが無く
  • その人らしさもなく生きている意味が感じられず
  • 見ているのも辛いことがあり
  • 可哀想で仕方がない
  • 元に戻せない
  • このまま行く末は遅かれ早かれ死んでいくのか
  • それを認知症というのだ

だから 可哀想だという

  • この人の幸せは一体何であったのか
  • これ以上の幸せがあるのか
  • 苦しむことなく楽にしてやりたい

様々な思いが頭をよぎる

﹅﹆﹅ 脳死や心肺停止のようには扱えない

しかしながら、当然、生きているのだから死なせてしまってはいけない(殺人)

と言いながらも
痴呆脳は もはや死んでいるに等しいほどに再起不能だ

生理学的に心肺を止めずに脳波が検出できても 再起不能であり 人格の残像が残っていても 脳死に限りなく近い

﹅﹆﹅ 三途の川を渡るまで

最高の介護を誰もが尽くす

この悦びを持って三途の川を渡るとすれば
この人の脳裡の中心に「生きている間の思い出」が、あらゆる過去が回想できるほどに残っているのだろうか

末期癌の人のように痛みに苦しむわけではないが、痛みのない苦しみに締め付けられているかもしれない

だから

「死なせてよい」というつもりは毛頭ない

しかしながら
本人の幸せを通り越して周囲が介護をする姿は 果たして愛に満ちているのか

単に
自分が満足し納得するためだけではないか

痴呆脳との対話が続く

(R2)

沁みるということ ー 令和四年師走に考える

しみる(沁みる)という字を漢字で書いて立ち止まっている

その時に十七音で綴ったのが 次の句で 作品としては駄作かもしれないが 自分に問いかけるものを噛み締めている

年の瀬は焚き火の煙も目に沁みよう   #忘れる

﹅﹅﹅

十二月の初旬に認知症の症状が急激に悪化した父親を介護するために京都に来ている

ツマに付き添って停止しているような時間を 一日中過ごし 答えのない問題のゆくえを不毛だと分かりながらも 解きほぐすゆくえを一生懸命考え続けている

次々と滲み出てくる後悔、解決の糸口のない未来のゆくえ、手の打ち様のないが決して難題でもない選択肢 これらが為す糾える迷いをほどこうとして喘いでいる

前に進もうと何歩も足を踏み出しても 進んでいる手がかりは感じられないまま 暗闇の中を彷徨うように 誰も保証をしない得体を掴みながら進む

痴呆の人を見つめ続けることは苦痛である

手を差し伸べても 応えが返ってこないし あったとしてもそれは 幻か夢やうつつと変わりがない

﹅﹅﹅

生きていることに疑問を抱き 生きていても仕方ないから もう死んでしまった方が良いのだとさえ思い詰める

親子であるがゆえにそんなことを考えてはいけないという気持ちがいっそう自分を締め付けている

﹅﹅﹅

『沁みる』

言葉は無常であり 無情とも言えるか

そもそも・・と口癖が出てしまう


🎋🎋🎋

心に沁みると言う言葉がある
煙が目に沁みる、胸に沁みるなど、心の中に入り込み身体全体を痺れさせてゆく

「毒に痺れる」と使えば何かいけないものが沁み込んでくるのがわかる

忍び込むものは 毒であり薬であり 喜怒哀楽の感情でもあろう
痺れをもたらす魔薬は 心の中にまでいきわたり魔法をかけたように魂にまでおよぶ

🎋🎋🎋

『沁みる』

焚き火を見ながら 全てを燃やし尽くしたいと思う人もあろう
これで燃え殻になってくれれば オシマイだ とさっぱりとする人もあろう

甦る後悔や憎しみ、恨みもあろうし 歓びもあるだろう

令和四年の師走
どこかで焚き火をしながらその煙のゆくえをぼんやりと追うことができるならば、忘れたいことを燃やし尽くして 新しい年のために数々の怨念を また今年も忘れようとするのだろう

大学ノートの裏表紙に 書き残すような作品 ー 十月の或る日

あの人はくるりと背中を向けて
向こうの方に歩き始めた
そちらには私の行きたいところはないのに

電車がホームから出る時も手を振ることもなく
くるりと背中を見せて
ホームから降りる階段へと向かった

あの人の背中はいつも
私に「お好きになさって」
と叫んでいるようだった

秋風が吹き始めて
街並みが枯れ始めると
寒い寒いと言って背中を丸めて
その背中を私に見せながら
植物園の遊歩道を先へ先へと歩いてゆく

ねえ 帰り道で
カレー屋さんに寄りましょう

すたすたと先を歩いて
カレー屋さんの角を曲がるのだろう
私はその背中を追いかけるの



いつからか
スポーツの日と呼ぶそうです

小学校の時に
オリンピックが東京であって
競技場の階段を駆け上がって
聖火が点火されて
パッと燃え上がった炎に感動した

🌰 かまどの火つけてひと息冬支度

🌰 秋の夜に新藤涼子さんの詩集は沁みる

🍄 マツタケ食べなくなりましたねえ

八月から九月へ(ムスメさん)

8月の中旬からつわりがキツかったようで
何かを食べたいのだが食べればゲロゲロと
戻してしまうので滅入っていたようですが
下旬ころからはかなりマシになったように
話しておりました

旬のサンマも食べたしかぼちゃも食べたし
料理の腕はまだまだのようですが旦那さんは
おいしいと言って食べてくれているそうです

8月25日 豚しゃぶ感覚
0825-28580

8月30日 さんま
0830-28798

8月31日 しょうが焼き
0831-28826

9月1日 かぼちゃそぼろ煮
0901-28891

LINE から

6月6日 オムライス

ムスメさんからLINE

0606-23390

6日はわたしは仕事で
ムスメの旦那さんはAMテニス
ムスメはAM家事であった。

午後、平和だったのでわたしは休暇を取り
博物館で展示を見て
そのあとムスメと同じ時刻に家に向かって車を走らせた。

ムスメはハハと二人で熊野の郷という温泉へ
わたしは家でのんびりしていた。

ムスメは夜にオムライスをこしらえたと知らせてきた。

うちは質素に玉ねぎ入りのひろうず
20150606hirosuひろずIMG_1734

7日、ムスメは美容室に行き、ふたたび家に帰ってきて
今度は家族三人で出かけることになった

なんだかね
スパが食べたくて
あさりを買って帰ったのでした
20150607spaスパあさりIMG_1738

6月4日 酢豚

ムスメさんのLINEから

0604-23197

ツマの誕生日を5日に控えて
我が家ではお祝いモードが高まる
といってもムスメがいないので
二人だけでのお祝い

パエリアをしたのだけど
フライパンのまま写真を撮るのも
格好が良くないと思い
器に盛ってから写真に撮ろうと試みたら
そこが思うようにいかないところで
綺麗に出来上がった料理がバラバラになって
写真に撮れなくなった

そのことがツマにとってとてもショックで
ムスメに写真を見せてやろうと頑張っていたのに
落胆させてしまった

ムスメからラインが届く
送りたかったとことさら思っているだろう気持ちに
あしたホールケーキを買おな
と言うくらいしかできない