少しひとり旅のツーリングの話をしよう

お盆で、話のネタもないし
昔のことを思い出している
写真もあまり残っていない
自分では撮らないし 走ってばっかしだったからな


▼ コロナ災禍で今年の夏は外出もままならない

ひとり旅を楽しみにしているバイクツーリストたちは、この時期にどこでどんな旅をしているのだろうか

旅から足を洗ってしまい、仕事からも足を洗ってしまった今、かつて、国内を無我夢中で走り回った過去を思い出す

紛れもなく懐かしい思い出である

▼ 感慨を呼び戻そうとすればするほど、あの時の激しかった感動を再現するのは至難だと気づく

二度と同じ感動をこの手に戻すことができないのは悲しいことだ

だが、あの時に一瞬に燃え上がった衝撃的な旅の激情は、やはり思うようには甦らなくて仕方があるまい

もしも、写真が残っていても、日記が克明に記録してあったとしても、あの時はありのままでは戻らない

▼ あの時にわたしの身体に湧き上がった痺れるような衝撃的な感動は、あの時だけのものだったのだ

冷静に回想すればそれは当然だ

もう二度と甦がえらなくとも、あの時の感動は自分の心の何処かにしっかりとした思い出として残っただろう

わたしという人間を作る感じる力の一部になって蓄積されたのだと思いたい

▼ いつも必ず、ひとり旅であった

旅先の出会う旅人や地元の人たちに声をかけられて

「ひとり旅か、いいなあ」

と話しかけられることが多かった

▼ わたしのスタイルは「いつも、ひとり」だった

誰にも頼らない、頼られない
行き先も自分で決める
夜の過ごし方も自分で判断する

食べる、買う、歩く、寝る、も自分ひとりで決めて
雨に遭っても、道に迷っても、寂しくなっても、ひとりで考える

▼ そんな旅を長く続けてきた

ひとりが当たり前で、とことんわがままになってみることで自分の足りなさや愚かさや失敗を振り返ってきた

それと同時に、自分の生き方も切り開いてきたつもりだ


▼ 「どうしてひとり旅に出るのでしょうねえ」

出会う旅人たちにさりげなく尋ねてみる

「現実逃避でしょ」

と、あっけなく答えてケラケラ笑っている人、涙ぐんで静かになる人、乾杯を誘う人、出会いを喜び合おうとする人、様々だった

▼ 焚き火を見つめながら缶ビールを片手にポツリポツリと話をする

そこで語られた物語や恋や失恋や怒りや歓びは、途轍もなく貴重だった

みんな、言葉の裏には深い深い理由を抱きかかえて旅に出てきていることを知るのだった

▼ 言葉で生き方を考え人生を悩み、明日からの元気を胸にひとり旅を終えて元のところに戻ってゆく

逃げてきたままは出来損ないだ

元気になって戻るのだった


▼ 旅人のスタイルは大きく変化した

ネット社会がもたらしたものやモノの進化による便利が溢れている

旅に苦労がなくなった(工夫もしなくなった)

高速道路も充実したし、バイクも高性能で多様化してきている

天気の予測に悩んだり、道路情報、宿泊情報で苦心をすることはなくなった

昔のような不便な旅をする人は、今はどこにもいないだろう


▼ もう、わたしは旅人に戻ることはできない

戻る場所(旅のスタイル)がないのだから、懐かしむだけである

新しい時代の旅人は、新しい旅のスタイルを築いていく

それでいいじゃないか、と言いながらも「寂しいねえ」と言ってくれる人もいる

▼ そんな仲間たちもやがて順番に消えてゆくのだと思うと、生きてきた感動を可能な限り何かの形にして伝えて、受け継いでもらえる方法をしばしば考えたことがあった

しかしながら、このごろは、それさえもお節介なのかもしれないとも感じる日々が多い

▼ わたしの旅の軌跡はある種「歴史的足跡」である

坂本龍馬が新婚旅行で残した数々の記録が、一つの歴史的出来事であるように、わたしの旅も出来事だった

どこまで残せるのだろうか、残す必要があるのだろうか

残すことを求められているのだろうか、紛失して惜しまれるものなのだろうか

仕事を退いて考えていることはそんなことばかりです


記録はこちらが詳しい

【バイク】小さな旅

【バイク】旅の軌跡


負けるな負けるなボクたちは塵だから塵にかえる - 小雪篇(号外)

大学に入れずに浪人をした時に出会った言葉だろう

「大学への数学」の巻頭言にさらりと書いてあった一言と記憶する

その時につけていた日記のタイトルに僕はこの言葉を選んだのだった

🌱

ちっぽけな塵のようなものだ
肩に力を入れて意気込むのはやめて
平常心で受験に挑もう

そんな風に思ったのだろうか

今更日記をめくり返して読むのもセンチすぎる

そんな時代があったのだということで
バッサリと焼き捨ててしまえばいいと思う

自伝のススメ のようなことを考える輪講のようなものをやってみたい

先日ある人に

「自伝のススメ」のようなものを考えてみたいと思うのよ
自分では 格好のいい自伝は書けないから
周りにいる人を集めてきて寺子屋風にして輪講をするの

というような話をしてみた

みんなで自伝を書こう
誰に読んでいただくものでもない
自分のために書こう
回想したことをピックアップして書くのだ

例えば

  • 思い起こしてみて事件だったことを三つ挙げよ
  • どうしても自伝に登場させたい人物を三人挙げよ

なんてどうかねぇ

旅のスタイルが変化してゆくにつれて新しい感動を求め続けることを諦め始めてしまったのだった(平成の回想篇)

平成23年のGW 4月29日に 熊野古道を歩いた写真の一部です
波田須の付近です


🌱 むかしの旅のスタイル

  1. ツーリングマップは 紙である
  2. ネットにつながる環境はない
  3. 地図情報、天候情報をネットで入手するようなことは考えにも及ばない
  4. 天気予報は 宿のテレビで確認するとか道の駅で調べる
  5. ケータイ電話もないので宿の確保は公衆電話である
  6. メールという手段も存在しない
  7. 旅先の温泉情報や秘境情報、峠の荒れ具合は地図とにらめっこして決める
  8. その他の情報は走りながら地元の人から入手する
  9. 高速道路を走る旅は好まれず、ETCは無い

🌱 平成前半以降の旅のスタイル

  1. むかしの旅のスタイルはほとんどが過去のものになってしまった
  2. ETCの一般化やノンポリのビックバイク化で高速道路の利用者が増えた
  3. 旅は不便の中で計画するのもではない
  4. 困難を乗り越えて未知の場所へと走るものでもない
  5. グルメ情報や温泉情報は安易に手に入る
  6. 一方で情報が情報として過剰扱いになり、旅の旨みを奪い始めた
  7. 旅の楽しみ方に変化が出てきて古い文化としての「旅」は消えてゆく
  8. 古い旅のスタイルは根強く密かに人気があるものの文化遺産化されている側面がある
  9. 遺産として旅のスタイルを楽しむのは従来の楽しみ方とは異質であると感じる

🌱 新しい旅をはじめよう 新しいステージで

ということで、十六歳から三十九年間乗り続けたバイクを降りています

誕生日 大寒 命日 大寒篇 ─ 裏窓から

21日が大寒で母の誕生日であり
22日が父の命日で早いもので18回目を迎える

寒い時期に人が逝くような気がする
気のせいであって欲しいと冬の間は願い続ける

祖父は伊勢湾台風の来た年の12月15日に逝っている
死因は心筋梗塞だったらしいことを最近になって母の語りから聞いた

わたしには先祖から受け継ぐ運命があって
父も祖父もパタリと心臓が止まってしまって
はいそれまでだった

添い寝していた二人が
真ん中で寝ていた父の身体が
あっという間に冷たくなっていくのを
自分の身体と肌で感じ
「おい 仁が冷たくなっていくわ」
と感じたのだと話してくれたことがあった

冷たくなってしまった日は
22日で
おそらく大寒の明くる日で
山が真っ白に雪を被り
数年に1度かもしれぬという寒波が襲来していたのだった

大寒のころは特別なのだ 私にとっては

誕生日 大寒 命日

供え物も持たずに
墓を訪ねた

私の父の好物はなんだったのだろうとふと思った

すぐに答えられないほどに知らないのだ
それは 私が生きるのに精一杯だからというわけではない

親に甘えているから
それが当たり前の
ぬるま湯だからなのだ

そこにいる限りは
ぬるま湯を沸かしてくれる人のことなど
気にとめない

血脈に潜む重き流れは
凡そ一方向なのだなと犇犇と思う瞬間だ

しかし
それが理屈ではなく当たり前であったからこそ
ヒトは歴史を作ったのかもしれない

そんな大それたものでもなかろうと
仰る方々もおありかもしれないが

ヒトは未熟者のうち
散々な無礼を顧みず
馬齢を加えるにつれて恥を知り
後悔を積み上げてゆく

しかし
まあ これでいいのだ
そういう哲学でいいと思う

ヒトはそんなに完成されたものでなくてもいいのだと思う

遺す言葉 その2 を読み解く

【自解】
その2を読み返してみる。
大筋は以下である。


遺す言葉 - 2

  • 遺言というもの
  • 言葉として遺せるものは何もない
  • 考える前に閃く
  • 猫が玄関を閉めないので解決する
  • まずやってみる
  • 面倒くさい
  • 晩年は絵を描いていた
  • 絵を始めるときに

(平成23年6月30日)


■遺言というもの

自分でも読むのが面倒なのだから他人は読まないだろう
なかなか書き進まないのは、ゆっくりと考えることが難しいのだろう
誰かが読むのか
読まれぬ間に捨てるのか
果たして如何なる運命にあるんか

■言葉として遺せるものは何もない

父は「人の振り見て我が振りなおせ」という言葉を口癖にした
それは、親がこめた子どもへの伝言であったのだ
遺せないわたしは早くも敗北宣言かもしれない

■考える前に閃く

理屈も言うことがあった
だが、芸術的には私には理解できない感性を持っている人だった
絵を描く、 木を彫る、木を組み上げる、
物を作る、無から工夫して創り上げる
自然行動的欲求を解決する行動を天性として持ち合わせていた

■猫が玄関を閉めないので解決する

昭和30年代
ウチの猫が玄関を閉めないので自動的に閉まるように玄関の引戸を改造する
玄関前人が来るとブザーがなる仕組みも実用化
実行家だった

■まずやってみる

「何が問題か解析も大事だがまず現物を見つめなさい」
そういう注意を受けた

■面倒くさい

そんな言葉はこの世の中にはない。これは口癖だった。
次の一手には必ず理屈があるのだということも言った

■晩年は絵を描いていた

(晩年)水彩画を始めのちに油絵に
作品は九割以上が駄作で付き合いのあった人の家に散らばっている
それらを回収してどこかに飾る部屋を作りたいとも思う

■絵を始めるときに、あれこれを考えることはしなかった。
小遣いもないのに高額な画材を買ったり、人目を気にせずに写生を始めたりした。
私にはそんなストレートさも素直さもない

2011年6月30日 (木曜日) 【- Walk Don’t Run -】


大雑把に読み返して、読み解いて、贅肉を取り去ってみた。

こんな父のようになれなかったのは自分に素直さが欠けていたからだ。
あの人は素直な人じゃなかったが、純粋な人だった。

悠々自適であったかどうかは本人に確かめるしかない。
言葉を何も残さずに逝ってしまった。
きっと、わたしもそう終わりたいと思っているのだ。

もっと生きさせてやりたかった。

遺す言葉 - 29 をまとめる

遺す言葉 - 29
をブログからピックアップしている

目次ページを作成するのは「その29」が初めての試みで
これまでには このようなページを思いついていないので存在しません

構想はあとから湧いて出るものだろうから
遡って目次を作ることはせず
その1からその28までを読む人があったならば
お手数ですが ブログを辿っていただくことでおねがいしたい

こんな記事を
本当に必要とする人が
この世にいるのかどうか
不明なままである

❏ 「遺す言葉 - 29


2015年8月10日 (月曜日)
宮本監督(津商) ─ 頼まれごとは試されごと
【雷山無言・語録選】


2015年8月11日 (火曜日)
立秋と書き出す手紙蔓の花 ─ 立秋篇
【裏窓から】


2015年8月20日 (木曜日)
心は巧みなる画師の如し ─ 水のかたち(宮本輝)から
【雷山無言・語録選】


2015年8月23日 (日曜日)
稲刈り ─ 処暑篇
【裏窓から】


2015年9月 5日 (土曜日)
北海道 ─ 花も嵐もⅢ その84


2015年9月12日 (土曜日)
秋風に吹かれて鉄棒にぶら下がる ─ 白露篇


2015年9月17日 (木曜日)
舌まがりアナタを好きと言いそびれ
【余録】ねこさん通信


2015年10月 2日 (金曜日)
むかしの話 ─ 花も嵐もⅢ その85
【花も嵐もIII】終楽章


2015年10月31日 (土曜日)
等伯と永徳 ─ 霜降篇
【裏窓から】


【利賀村】 を回想する

11月1日になった
むかしを回想している

利賀村に行ったときのことが
真っ先に浮かんでくる

検索をしてみた


  • 無謀なこと 花も嵐もⅡ その56
    いい。牛首峠に迷い込んだのが初期の頃だ。利賀村にそばを食べに行って、帰り道のルートで牛首峠を越えたときだ。線路の石ころのようなバラストのダートに迷い込んで…
  • 戸隠へ  花も嵐もⅡ その25
    ングが変わり始めたのでしょうか。富山県の利賀村に蕎麦を食べに行き、長野県の戸隠に蕎麦を食べに行く。だんだんと「蕎麦ツー」というものが楽しくなってゆきます。…
  • 蕎麦ツー  花も嵐もⅡ その24
    利賀村というところがある。蕎麦がたいそう旨いという。しかしあのころは、蕎麦にはそれほど関心はなく、新しい味覚を求め…
  • 平湯・キャンプツーリング
    して温度計を見たら1℃。昔、11月初旬に利賀村でビバークキャンプをしたときに1℃だったなあ。周りの山は真っ白だったのだから、十分にその寒さだ。しかし、平湯…
  • 1994年 夏・東北を走った
    行[6] 8/11:…日本海沿岸…富山(利賀)……自宅(松阪)[8/11-1]日本海沿岸(2)[8/11-2]利賀再訪[8/11-3]帰途119行[7] …
  • 奥飛騨・信州(1996年)
    合掌造りP106/P108/P136 利賀村の蕎麦(食べて)~名前わかんない峠~楢峠P95上→下 <奥飛騨> 飛騨・高山市P92 平湯…
  • 楢峠から水無ダム方面利賀村へ  幻想篇
    楢峠は厳密に言うと「楢峠+県道34号線(利賀村方面)」をさしている。 天生峠は飛騨古川から白川郷へと東西の峠で、楢峠は天生峠の手前から北上する。さらにその…
  • 冬じたくまでに会いたい人がいる
    奥飛騨へ、いざなうもの1992年11月に利賀村を訪ねて、秋から冬に変化する瞬間の寒さを体感した。あのワクワクを子どものように待ち侘びている。そのインセンテ…
  • 楢峠、牛首峠 【峠越え】
    富山県に利賀村と行ったときの思い出話を。1992年の10月31日の朝、テントなど一式とパンツを3枚を持って奥美濃へ行きまし…
  • 第15話【花も嵐も】 利賀村への道<奥美濃>
    富山県に利賀村というところがあります。そこの蕎麦は格別に旨いのだという話をバイク仲間から教えられて知ってしまった私は、ずっ…