日記が『減塩』の文字ばかりになっていく ❋ 十一月尽

連休とその後の減塩

勤労感謝の日(飛び石)が過ぎて減塩な日々へ ➤ (外伝)

十一月初めに循環器に通いはじめて あっという間に十一月下旬を迎える

塩分を控えた食事にチャレンジ中だ
血圧の値は 130mmHg(120mmHg) - 90mmHg(80mmHg)付近で 落ち着いているようすだ
140mmHgという大きめの値が出ることがなくなったので 減塩の効果が出ているのかもしれない

体重は 四キロ減って 朝目覚めて体重計に乗ると 73kg よりも軽いことがある
これは ここ一年間ほどの間で 80kg に達することもあっただけに 大きな変化だ
きっと 小麦を一切やめてたことによるのだろう
うどん・ラーメン・パン・マクド・ウインナーなどを食べなくなったし 総菜弁当やおかずも パクパクとは食べない。卵も食べたとしても一個丸々は避けている
ステーキなどの肉は 六切れから三切れにまで減らした

みなさんが「素材の味が楽しめるようになりますよ」と仰る
つまり それだけ 味付けが薄くなって キツイ調味料の味が消えていくというのだ

アルコールよりも怖い塩分

僕はそう気づいたわけで 環境破壊の警告を仕事で発信(引退済み)してきたのと同じように 塩分による健康破壊を 叫びたいくらいだ

美味しいものに知らぬ間に味覚が犯されていって 塩分とコレステロールが健康な身体を蝕んでいるのだ。でも 叫んでも 幸せに食べ続けている人の心にはなかなか響かないだろう

書きかけ

寒さが突然やってきた ー 寒露篇


八日 寒露

六日の朝にブルっと寒さがきた
平年よりもかなり寒い朝になったそうで 北海道や高いやまで初冠雪の便りが届く

体調日記としては、その何日か前から六千歩ほどを歩けるようになって
日没のころに出かけるようにしている
腰のストレッチ体操も 少し効果が出ているのだろうか

十日はスポーツの日で寒露(八日)から三連休である
孫っちたちはアウトドアの二度目のイベントでお出かけで
二日目(九日)に朝から小雨に見舞われたようだ

* 続きを書こうと思っても
* すっかり落ち着いて考えなくなったのを
* 嘆きながら
* 筆は中断

天皇誕生日のころに考える *


* 考えていること

悠ちゃんは 小学校にいくのでしっかりしてきましたが 通学路など心配が募ります
誰もが心配をしてきたことなのかもしれません

健ちゃんは 年中さんになるのでますます頼もしくなってきました
お母さん(ムスメ)は 健ちゃんが幼稚園の間は育児の為の時短で仕事ができますが そのあとは大変です

「つづく」で終わったドラマのような - 小雪篇 裏窓から


二十二日 小雪
二十三日 勤労感謝の日

* 書きかけ

朝日新聞(ひととき)23日の投稿に「やさしいうそ」という投稿があった
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8月、夫婦で新型コロナに感染した。夫は希望通りの病院に入院できたが、私はなかなか決まらず、3カ所目でやっと入院した。入院期間は1カ月に及んだ。一時は酸素吸入が必要なほど悪化したが、「夫に会いたい。子どもたちのためにも生きて帰らなければ」と気持ちを奮いたたせた。「パパはどうしてる?」と電話で息子に聞くと、「おやじも頑張ってるよ」と教えてくれた。9月に入り、退院の日。迎えの車の中で長男が手を握ってきた。「おふくろ、ごめん。うそをついていたんだ」。後ろに座っていた次男が私の肩に手を置いた。「おやじ、8月29日に亡くなったんだ」私の退院までは伝えないようにしようと、子どもたちで相談して決めてくれたのだ。家に帰り、遺骨になった夫と対面した。おしゃれで、はやり物が好きだった。明るい性格でみんなに好かれ、設計の仕事に打ち込んでいた。遺骨が収まる箱には生前使っていた帽子をかぶせ、シルクのマフラーを巻いている。しょうがないと思う。寿命だと自分に言い聞かせた。でも悔しい。遺影に話しかけずにいられない。「パパ、早く起きて」(東京都中野区 室伏節子 主婦 77歳)
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上述の記事の話をふとしたことでツマが今朝方 話をしてくれて
私は読んでいなかったので 珍しくどんな話をしてくれるのかと耳を傾けた

。。

パパはどんな人だったのだろう
お幾つくらいだったのか
どんな暮らしぶりだったのか
みなさんの生活ぶりは・・・

「おしゃれで、はやり物が好きだった。明るい性格でみんなに好かれ、設計の仕事に打ち込んでいた」とだけ書いてある

わたしのようなお節介な者には 聞かなくても良いことまでも気にかかる
仕事のレポートの影響なのか モノを正確に再現できるように残すことに気を取られ
こんなとき 構わなくても良いことに気を取られて 人間がつまらなくなったなと
自分を嘆く

パパは 何も言葉を遺す準備もしないで ストンと消えたのだ
と思う

あれこれと説明のない短いこの作文に悲しさが溢れているのが見えてきて
思わず咽ぶのであった


冬を迎えるときに考える - 立冬篇 裏窓から

・・・

* 書きかけ の続き

僕は幼稚園に行ってないので思い出はない
そんなにそのことの後悔はない
家でお祖父さんと楽しく暮らしていたそうだ

子どものころにひと通り読んでもらうお伽噺(むかし話)を読んでもらうわけでもなく
お茶の間にようやく届いたテレビというものを見て社会や世界を走り回ったのだろう

お祖父さんは 村会議員で曾お祖父さんは村長だったという
世間の動きが気になる人で何でもよく知っている博学な人であったという

孫の私が小学校に上がる数ヶ月前に亡くなっている
糖尿病の症状が相当に酷かったと花が話してくれたことがあった

僕の孫は 写真のように二人で現在年少と年長で 来年からお兄ちゃんは小学校に入る

十一月はじめに考える - 文化の日篇


。。

十一月になってコロナの非常事態の制限が解除されて少し街がざわついてきたか

衆議院選挙 一段落してまた元どおりの暮らし


十一月を迎えました

特に所感がないのは 平穏無事だからか 仕事を完全に退いて一年と半年が過ぎます

それはつまりコロナの騒ぎが本格的になっている期間と同じなわけで 「幸運にも」コロナを言い訳に自宅でのらりくらりとしています

いつ死んでしまっても 誰も引き止めないし 悔やまないし 惜しがることもない

だから 参議院選挙が終わったのでそれだけを日記に残すしかないのです


📍

『 よそいきの服』というのをきなくなったし買わなくなったなとふと思った

毎度のお出かけが『よそいき』である

『衣』については それでもよろしい

『食』については 『ふだん食』と『ご馳走』を分ける暮らしをしなあかんなと思う


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ハロウィンの『アホ騒ぎ』はウチらではそれほど影響はなくテレビがニュースで伝えるだけである

商業がらみに儲けようとする人たちが 多大な金をつぎ込んで儀式的に騒いているのをニュース映像で見ると やはり社会が平和で幸せなのだろうと思います

いかにもな時代を迎えてます

選挙に行って投票をしても何が変わるわけでもないというような感覚の人々がたくさんいるのだと報道されて その報道側にはそのことが悔しくて仕方ない人々が大勢存在すると同時に そんな無関心無気力ノンポリの人たちの勢力は今の時代の立派な一つの派閥のようなものとして考えている人もいる

社会がどうだとか未来がどのように変化するかなどよりも現在の自分が幸せに豊かに逃げ切れればいいと思ってはいないのだが 行動はまさにその通りになっている


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枝野辞任のニュースが騒がしい

彼は本心として『俺がやめて誰ができるんだ』と思っていないかと想像していた

「リーダー論」「監督論」を述べるつもりはない 歴史的な大きな戦争においても数々の条件が必要となるものの『勝ちぬくためにはこの人しかいない この人なら勝てる』という人がある

思想や考え方の賛否は別として 今の時期に勝ってはいけない人があり勝たせてはいけない人がある

だが 勝てなくてもみんなにダメ出しをされながら足りないところを指摘されながらもリーダーとして引っ張るのにふさわしい人というのがある

そして負けたリーダーをいつかは勝てるような立派なリーダにするために今の負けリーダーを刺激する影のリーダーが必要だと考えるのだが どうだろうか

二位は一位を追い越してはいけないし 一位は単独でいつも一位を楽に走れるようになってはならない

選挙を見るたびに勝たなくても良い人がいて勝っても役に立たない人がある

負けても政治を任せておきたい人があって 勝っても政治を任せたくない人もある

そして負けても勝っても 『政治はこの人にしかできない』という人があって いつも負けそうで「おろおろ」している

おろおろしながら 決めたことはきちんと説得をしてみんなの意見をまとめてグイグイと進む

今の政治家にはそんな人はいない ように思う


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現在の暮らしに不満を持つ人は多かろうに選挙結果の数値を言葉に変えると『現状は不満ではない』となる

これを言葉で表現すれば『安定多数で民意では賛成』となる

しかしながら多くの人は モヤモヤを感じている(と思う)

メダカが泳ぐようにウヨウヨと浮かんでいたノイズが消えても『安定多数』になっても不満はモヤモヤのままだ

国民は阿保やと思う

あれほどまでに「傷めつけ」られ「 裏切」られ「卑怯な真似」をして「押し切ら」れたのに忘れたような顔をしているのだから


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楽器が上達している

コロナ期を迎えて同時にのらりくらり生活が始まっている

働き者の人からは「一体何をしているのか 働きなさい 何か仕事見つけて」とお叱りにともとれる言葉をいただく

働く気は全くない

楽器を吹く暮らしをして『何事も基礎は大事である』と感じる日々が続く

一日に三十分でも構わないから吹く

特別に上手になることを目指しているわけではなく 思うように吹けるようになりたいのだろう

基礎が大事だというのには根拠がある

高音も低音もきちんと出るようになってきたしリップスラーのようなこともできるすハイトーンもスルリと出ることがある

合奏をすれば楽しいのだろうが 合致するようなパートナーは見つかりそうにない


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宮本輝 『野の春』(流転の海第九部)』を読み終えた

最終章は 主人公が死んでしまうので 展開としてはトントン拍子なのだが 書き手の思いやらこれまでの輝かしい生き方が蘇って来る

昨今は特に 人が死んでしまうときに 伝え残すこと やり残すことなどを考えてしまい 自分が死ぬ時と重ね合わせると良いことなどは一つもない

死んでいく人を気の毒だと思う

死ぬ間際など言うても言うても言い足りないほど言いたいことあろう

死ぬときはそれが一番の後悔だ

がたくさんあるのが普通ではないかというのが私の考えで
それを満足して死ぬことなどあり得なすきっと最後の一瞬まで お礼でも小言でも夢でもいいから語っていたいと考えている

遠藤周作の『深い河』で登場する主人、公磯辺のの妻の言葉に
『生まれかわるから この世界のどこかに・・・わたくしを見つけて・・約束よ』
というのがあって どうやら 死んでしまうことを考えると人生を振り返ってその小説を思い出してしまってイケナイ

二三日前にご近所のヤマナカさんのご主人が亡くなって十歳年下の奥さん(81)が一人残された

子供はなく身寄りはそのご主人の妹さんが一人近所に在るだけという

阪神大震災で家が壊れ定年も超えていたこともあって思い切ってこの地に引っ越して来られた

およそ二十六年間をこの地で 二人で仲睦まじく暮らしてられたのだが 奥さんは一人になってしまった

そんな出来事もちょっと書いておく気持ちになっている昨今である


長くなるので切り上げるか               


☑️ 十月末にランドセルが届いて喜んでいます

☑️ おにいちゃんがドラキッズに行っている間 待っているのでアイスを食べてます

うしろ姿の静かな意思 - 大雪篇 裏窓から

十二月七日 大雪を迎える

🔥 健ちゃんのうしろ姿

二人兄弟は いつも一緒の服を着ている
だから 双子の兄弟と思われてしまう

それがなかなか嬉しくて
そろいの服を選んで着せてしまうのだろう

兄弟の性格は正反対の点もある
その心理は不明だが

幼稚園に出かける毎朝に
兄は十分に余裕を見て準備ができ
早々に車に乗り込む

(時刻は読めないが)弟は時計を気にせず
急がねばならないことは十分にわかってるだろうに
平気で飯台に向かって正座でパンを食べている
その写真がある

兄の悠ちゃんは 車でスタンバイである

母は玄関で着替えを持ち
「早くしなしなさい」
と叫んだそうだ

それでも泰然としているうしろ姿が美しい

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🔥 師走である

一月から一体どんなことが起こってきたのか
振り返ってみたいと思い手帳を繰ってみた

三月まで勤務してその後はプーの暮らしであった年である
年の初めから耳鼻咽喉科に通い続けなかなか完治せずに悶々と過ごした日々であった
コロナは以前と鎮火することはなく社会の外にいて眺めている
九十歳になる前に二十三回忌の食事として一泊で出かけたいと
母が言うていたことも実現できた

それくらいが思い起こせるような出来事ではないか

🔥 うなぎを食べる

うなぎを食べに立ち寄った
(母の耳鼻咽喉科医院への付き添いがメインであった)

三十年以上昔だろう
父と母と私ら夫婦で来た店である

あのとき 母はうなぎをよう食べなかったので
鰻好きの父の連れられて来たものの
席に腰掛けて見ていただけだったのか
ご飯だけを食べたのか
自分でも記憶が曖昧らしいのだが
その時のことを思い出しては懐かしむ

他の記事でも触れてきたが 父との思い出は少ない
食事をしたり 一杯飲んだりした思い出は
指を折ろうとしても出てこない

かと言って 父は寂しい思いをしながらあの世に逝ってしまったのかというと
残された人の話では そうでもないらしい

うなぎを旨そうに食べている姿は 全く強烈には焼き付いていない

蘇るほとんどの記憶が明確ではなく
マッタケを山のように採ってきた時の顔
ズガニをたくさん獲った時の嬉しそうな朝の顔
川で獲ってきたうなぎを 裏の流しで捌いている時の顔

そんなことを偲びながら うなぎを食った
うなぎの味は不変である

。。。。