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十一月になってコロナの非常事態の制限が解除されて少し街がざわついてきたか
衆議院選挙 一段落してまた元どおりの暮らし
十一月を迎えました
特に所感がないのは 平穏無事だからか 仕事を完全に退いて一年と半年が過ぎます
それはつまりコロナの騒ぎが本格的になっている期間と同じなわけで 「幸運にも」コロナを言い訳に自宅でのらりくらりとしています
いつ死んでしまっても 誰も引き止めないし 悔やまないし 惜しがることもない
だから 参議院選挙が終わったのでそれだけを日記に残すしかないのです
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『 よそいきの服』というのをきなくなったし買わなくなったなとふと思った
毎度のお出かけが『よそいき』である
『衣』については それでもよろしい
『食』については 『ふだん食』と『ご馳走』を分ける暮らしをしなあかんなと思う
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ハロウィンの『アホ騒ぎ』はウチらではそれほど影響はなくテレビがニュースで伝えるだけである
商業がらみに儲けようとする人たちが 多大な金をつぎ込んで儀式的に騒いているのをニュース映像で見ると やはり社会が平和で幸せなのだろうと思います
いかにもな時代を迎えてます
選挙に行って投票をしても何が変わるわけでもないというような感覚の人々がたくさんいるのだと報道されて その報道側にはそのことが悔しくて仕方ない人々が大勢存在すると同時に そんな無関心無気力ノンポリの人たちの勢力は今の時代の立派な一つの派閥のようなものとして考えている人もいる
社会がどうだとか未来がどのように変化するかなどよりも現在の自分が幸せに豊かに逃げ切れればいいと思ってはいないのだが 行動はまさにその通りになっている
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枝野辞任のニュースが騒がしい
彼は本心として『俺がやめて誰ができるんだ』と思っていないかと想像していた
「リーダー論」「監督論」を述べるつもりはない 歴史的な大きな戦争においても数々の条件が必要となるものの『勝ちぬくためにはこの人しかいない この人なら勝てる』という人がある
思想や考え方の賛否は別として 今の時期に勝ってはいけない人があり勝たせてはいけない人がある
だが 勝てなくてもみんなにダメ出しをされながら足りないところを指摘されながらもリーダーとして引っ張るのにふさわしい人というのがある
そして負けたリーダーをいつかは勝てるような立派なリーダにするために今の負けリーダーを刺激する影のリーダーが必要だと考えるのだが どうだろうか
二位は一位を追い越してはいけないし 一位は単独でいつも一位を楽に走れるようになってはならない
選挙を見るたびに勝たなくても良い人がいて勝っても役に立たない人がある
負けても政治を任せておきたい人があって 勝っても政治を任せたくない人もある
そして負けても勝っても 『政治はこの人にしかできない』という人があって いつも負けそうで「おろおろ」している
おろおろしながら 決めたことはきちんと説得をしてみんなの意見をまとめてグイグイと進む
今の政治家にはそんな人はいない ように思う
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現在の暮らしに不満を持つ人は多かろうに選挙結果の数値を言葉に変えると『現状は不満ではない』となる
これを言葉で表現すれば『安定多数で民意では賛成』となる
しかしながら多くの人は モヤモヤを感じている(と思う)
メダカが泳ぐようにウヨウヨと浮かんでいたノイズが消えても『安定多数』になっても不満はモヤモヤのままだ
国民は阿保やと思う
あれほどまでに「傷めつけ」られ「 裏切」られ「卑怯な真似」をして「押し切ら」れたのに忘れたような顔をしているのだから
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楽器が上達している
コロナ期を迎えて同時にのらりくらり生活が始まっている
働き者の人からは「一体何をしているのか 働きなさい 何か仕事見つけて」とお叱りにともとれる言葉をいただく
働く気は全くない
楽器を吹く暮らしをして『何事も基礎は大事である』と感じる日々が続く
一日に三十分でも構わないから吹く
特別に上手になることを目指しているわけではなく 思うように吹けるようになりたいのだろう
基礎が大事だというのには根拠がある
高音も低音もきちんと出るようになってきたしリップスラーのようなこともできるすハイトーンもスルリと出ることがある
合奏をすれば楽しいのだろうが 合致するようなパートナーは見つかりそうにない
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宮本輝 『野の春』(流転の海第九部)』を読み終えた
最終章は 主人公が死んでしまうので 展開としてはトントン拍子なのだが 書き手の思いやらこれまでの輝かしい生き方が蘇って来る
昨今は特に 人が死んでしまうときに 伝え残すこと やり残すことなどを考えてしまい 自分が死ぬ時と重ね合わせると良いことなどは一つもない
死んでいく人を気の毒だと思う
死ぬ間際など言うても言うても言い足りないほど言いたいことあろう
死ぬときはそれが一番の後悔だ
がたくさんあるのが普通ではないかというのが私の考えで
それを満足して死ぬことなどあり得なすきっと最後の一瞬まで お礼でも小言でも夢でもいいから語っていたいと考えている
遠藤周作の『深い河』で登場する主人、公磯辺のの妻の言葉に
『生まれかわるから この世界のどこかに・・・わたくしを見つけて・・約束よ』
というのがあって どうやら 死んでしまうことを考えると人生を振り返ってその小説を思い出してしまってイケナイ
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二三日前にご近所のヤマナカさんのご主人が亡くなって十歳年下の奥さん(81)が一人残された
子供はなく身寄りはそのご主人の妹さんが一人近所に在るだけという
阪神大震災で家が壊れ定年も超えていたこともあって思い切ってこの地に引っ越して来られた
およそ二十六年間をこの地で 二人で仲睦まじく暮らしてられたのだが 奥さんは一人になってしまった
そんな出来事もちょっと書いておく気持ちになっている昨今である
長くなるので切り上げるか
☑️ 十月末にランドセルが届いて喜んでいます
☑️ おにいちゃんがドラキッズに行っている間 待っているのでアイスを食べてます